百醜千拙草

何とかやっています

平和な国

2023-03-31 | Weblog
下のようなツイートを見つけました。


これはどうもオーストリアの右翼政党が、ゼレンスキーのスピーチがオーストリアの中立の原則に反するためにとった行動のようです。つまり、ウクライナの国民とロシアの兵士の生活と命を犠牲にして、アメリカ軍産ビジネスとNATOの勢力拡大を図るための行為に加担するゼレンスキーに対し、オーストリアの政治家は抗議の意を表明したということです。先に侵攻したのはプーチンのロシアではありますが、そこに追い込んだのは冷戦終結時の約束を破って、どんどんNATO加盟国を増やし東側へ勢力を増やしていった西側、つまりアメリカです。ちょうど太平洋戦争で、日本の真珠湾への先制攻撃を誘ったやり口と似ています。アメリカはこの戦争によって大恐慌を脱し経済復興を成し遂げました。そうして10年に一度の割合で世界を戦争を仕掛けて軍需産業を中心に経済を回してきたアメリカという国は、EU経済圏入りを望むウクライナに目をつけたのでしょう。知ってか知らずか、なんらかの取引があったのかなかったのか、ゼレンスキーは露骨にそのアメリカの思惑に乗りました。単にナイーブな善意の大統領だったのか、確信犯なのかはわかりませんが、結果的に大勢のウクライナの人民の命と生活を奪った責任者の一人です。

日本で、この戦争の本質を見抜いて同様の行動をとった政党は「れいわ」だけでした。あの秀才揃いの共産党でさえ、他の政党と一緒になって、ロシアを非難すると同時に対ロシアのウクライナ戦争を支援すると足並みを揃えたぐらいです。これがイデオロギー政党である共産党の限界であり、アメリカの言うことには無批判で追従する自民党の限界であります。しかしながら、この見識の差というのは悲しいばかりです。ま、オーストリアにとっては戦場はほぼ真横にありますから戦争への心配はより強いでしょう。日本の多くの政治家は対岸の火事とでも思っているのか、ウクライナ戦争の意味を考え、どういう立ち位置をとるかを深く考えて行動を決めたのは「れいわ」だけであった、という日本の政治のお粗末さ。

オーストリアの中立原則を守って、ゼレンスキーとアメリカに抗議したオーストリアの政治家と、戦争放棄を世界に類なき平和憲法で謳っている国の首相でありながら、必勝しゃもじにG7まんじゅう、のキシダ。そんな平和な脳みその持ち主を総理に戴くわがニッポン。情けなさも極まりますな。
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絶対的なアホ

2023-03-24 | Weblog
アホとかバカとかを人に対して言うべきではないと私は思っております。他人の自尊心を傷つけることはしてはならないことですし、誰かをアホとかバカとか判断するのも基本的に個人の感想です。しかし、世の中には絶対的なアホというものもあるということは事実と思わざるを得ません。

夏のG7ホスト国の首相でありながらウクライナに行っていないという体面を気にしたのか、先日ウクライナに行ってゼレンスキーと会談したキシダ。「必勝しゃもじ」を贈ったというニュースを聞いて、心の底から呆れて軽蔑の念を深めました。これコロナにアベノマスクなみのインパクトです。戦争のために家を失い殺され続けているのに「必勝しゃもじ」を戦時下の大統領に贈るのがニッポン国の首長、という情けなさ。

ラサール石井氏。
たとえ発案が官僚からだとしても、却下すべきだろう。 「聞く力」はあるが、「考える力」がものの見事にない。
とコメント。

いや「聞く力」にしても、国民の声も世界の声も全く聞こえていないでしょう。

大量破壊兵器があるとイチャモンをつけて、イラク侵攻し、大勢のイラク市民を殺しフセインを吊るし首にしたジョージ ブッシュを思い出しました。大量破壊兵器は無かったことが明らかになって、ヘラヘラ笑いながらカーテンをめくって大量破壊兵器を探す仕草をして、人々の怒りを買いました。戦争で人が死ぬということを何だと思っているのか。キシダにしてもゼレンスキーにしてもプーチンにしても、国が破壊され人が死んでいって行っているということに対して、全く真摯に考えているように見えません。国民の命や生活よりも勝負に勝つことしか興味がないらしい。国民はチェスの駒ぐらいにしか思っていないのでしょう。国の長期的繁栄と人々の生命と生活を守ることを考えたら、戦争は勝敗を棚上げにして永久停戦を目指すという落とし所しかないです。ゼレンスキーはEU経済圏入りをしたいばかり、やすやすとアメリカ軍需産業の代理人、バイデンの甘言に乗って、ウクライナを武装し、できもしないNATO入りを目指すことで、プーチンを挑発した。ゼレンスキーはアメリカ軍産にとっては扱いやすい男だったのでしょう。彼にも国を戦場にして大勢の国民の命と生活を奪った第一責任者であるという自覚があるようには思えません。

そして、キシダ、「必勝しゃもじ」。アホにも限度がある。憲法9条をもつ平和国家であるはずの日本ができることは、死ぬまであきらめずに戦え、と戦争を焚き付けるのではなく、戦争は絶対悪であり、ただちに停戦に向けてロシアとアメリカと交渉できるような場を仲介すると表明することです。GHQが草稿した日本憲法を持つ日本であるがゆえに、日本はこのコンフリクトの解決を仲介できるユニークな立場をとれたはずで、それによって、アメリカの属国から真の独立国へと成長していく一歩にもなったのです。

聞く力も考える力もないキシダは、アメリカの後ろを金魚のフンのようについて回るだけ、ただでさえ世界の国々からアメリカのパシリと見下されているのに、さらに「必勝しゃもじ」。日本の評判にトドメを刺しました。

絶対的アホ。
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メディアの終わりと恥知らず

2023-03-22 | Weblog
今月から新しいというか古い仕事をしていますが、これまでと違い、ストレスも少なく楽しい毎日で、おかげで愚痴をブログを書いてガス抜きをする必要がなくなりました。とはいえ、長年の習慣で論文やTwitterでニュースはフォローしております。ウチの研究分野は盛り返す兆候もなく右肩下がり、日本の未来は果てしなく暗いわけですが、地球ができて以来の歴史に比べれば、研究分野が興亡し、日本が栄えて滅亡したりするのも大海のさざ波のようなものなのでしょうか。

日本の政治は三流未満ですけど、日本の民間の人々は本当に優秀です。優秀な国民が、腐敗し切った政治のために、生活が脅かされ、安心して能力を発揮することができないというのは、日本のみならず世界の損失だと思います。

日本の政治腐敗がここまで深刻化したのも、日本人が政治に無関心なせいですが、これほどまでに自分の生活に直結する政治課題に興味を持たなくなった一つの原因は、日本が経済的成熟に達したころからの、スポーツ、セックス、スクリーンの3S政策で、メディアを通じて人々の刹那的快楽追求を煽り、政治的または社会的問題への関心を逸らせてきたからであろうと思います。加えて、日本の民主主義は民衆が勝ち取ったものではなく、敗戦後、アメリカによってもたらされもので、真に日本人の血肉になることはありませんでした。

テレビをつけると、野球と芸能ニュース、お笑いとグルメばかりで、5分と見ていられません。そんな中で、誠実に報道の役割を果たそうとしているキャスターもいて、テレビ会社の会社員という立場の制約の中で歯痒い思いをしているのも伝わりはするのですが、それを読み取れるほどテレビを見ている国民には余裕がないのが現状でしょう。

今回の高市の噴飯ものの答弁にしても、マスコミは当の被害者にも関わらず、ニュースキャスターは、この異常事態があたかも日常茶飯のことであるかのような他人事の報道をしています。だれでも己が身がかわいいでしょうが、首根っこを政権政党につかまれて本来すべき報道をしないのであれば、社会の木鐸とはとても言えません。いずれにしてもテレビも新聞も滅びゆく業界でしょうけど。

さて、週末のもう一つのニュースでは、石垣島に開設された自衛隊基地にミサイルが搬入されたということが報じられました。それに反対する地元人々を映しながら、アナウンサーは、このことが如何に島にとって、また日本にとって重大な意味を持つかというコメントもせず、まるで、一地方の桜が狂い咲きしたという程度のレベルの報じ方でサラッと流してお終いです。これでは、メディアは報道の仕事をしていないに等しいです。石垣島にミサイルが搬入されたということは、台湾有事の際にアメリカ軍が介入すれば、石垣島が真っ先に中国軍の攻撃対象になるということであり、自衛隊がアメリカ軍の下部組織として、石垣島を戦場にした米中戦争の手先に使われて殺されるということを意味しています。そのことを沖縄や石垣島島民なら、容易に想像できるのですが、本土の人間は理解できない。だからこそ、理解できない人に理解できるように伝えるのが報道の役割でしょう。しかし、沖縄に基地負担を押し付けて、都合の悪いことから目を背けたい自民党政権は、国民にはバカであって欲しいわけで、この問題を深く報道してもらいたくない。その意向に沿うように「忖度」を強制させられ、政権に屈して、プロパガンダ拡散装置、国民総白痴化装置、となりさがったのが今のメディアです。

そもそもこれは、アベが官房長官のころから、メディアを恫喝し圧力をかけてきたからです。ようやくアベが死んで、アベ政権の不正なメディアコントロールの証拠が出されたにも関わらず、アベの子飼いの高市、アベそっくりの嘘をついて自ら窮地を招いた挙句に、責任転嫁、アベそっくり。いまだに呆れ果てるような不誠実な答弁で悪あがきを続けるものだから、国会が幼稚園の学級会未満のレベルになっている。それは、間違いなくアベが作った先例、「幼稚でバレバレのウソをついてでも、自ら自分の非を認めなければ逃げ切れる」のせいです。究極の恥知らずでしょう。普通の成熟した大人なら恥ずかしくてできないこてですから。

民主主義先進国の外国の人がこの状況を見たら、日本の異常さに腰を抜かすでしょうね。近代民主主義国家で政府がこれほどまでに信頼できない国はそれほど多くないでしょうし。
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高市事件の影響

2023-03-14 | Weblog
今回の高市事件を職場の人と雑談していて思ったのは、当然のことではありますが、支持する政治家や政党が人によって異なるのは、個人がそこに何を求めるかによるということです。十分に知的で教養も経験もある人が自民党を支持する理由は、自民党の政権与党としての経験と政策を評価しているか、自民党支持が自らの利益に直結している場合が多いようです。一方で自民党を支持しない人々は、それとは逆の理由に加え、大きいのは、特にこの20年ほど、戦後民主主義の原則を踏み躙ってきたからだと思います。

例えば医学研究であれば、いくら理屈や整合性のあるデータであっても、正しいプロセスを経て得られたものでなければ、それには意味がありません。一方で臨床診療などでは、一応、科学的根拠と論理に基づいて診療を行いますけれども、個々のケースにおいては、結果がよければOKです。逆に医学的には成功したが患者さんは亡くなったというケースは失敗ですから、プロセスの厳密さは科学研究ほど優先されません。政治においても同様の考え方の違いがあると思います。プロセスが正しくなければ意味がないと考える科学的アプローチ(これは西洋的価値観とも言えるでしょう)と、結果が良ければいいという東洋的実利主義的価値観のいずれに親和性があるかによって、自民党への支持、不支持はわかれるのかも知れません。自民党政治は腐敗しているけれども国民がそれなりに幸福ならばOKと思う人と、腐敗を放置しては将来の社会の健全さが損なわれると思う人との意見が異なるのは然るべしです。

しかし、実利主義の悪いところは刹那的であるということです。基本的に目先の問題を解決することが目標であり、将来のことも考えてより優れた社会を作っていこうとする時間軸を考慮した考えがしばしば欠けています。科学的厳密さとプロセスの正しさを重視するアプローチは即効性にかけ、目先の問題をすぐに解決はできないかもしれないが、知識や経験を体系だてて積み上げることで長期的にはより発展が見込める可能性が高いと思われます。

あいにく東洋の島国である日本の政治は常に実利的な方法を選んできました。自民党政治家は、ウソをつき文書を改竄しても権力が維持できて望み通りの政策が実現できればそれでよいという態度でやってきました。不正なプロセスでそれを達成し、社会システムを破壊してでも、とりあえず目先の目標を達成する方が大事だと考えてきたようです。賄賂を使い、利権業者を優遇するために不正な審査や制度改変を行うのも正式なプロセスを踏んでいたのでは彼らの望みが達成できないのだから、止むを得ないとでも思っているようです。しかしながら、それでは目先のことは捌けても長期的に対処が必要な問題に対しては、ただ問題を見て見ぬフリで、先送りして、結局、事態を悪くするだけでしょう。

そんな「今だけ、金だけ、自分だけ」の自民党の態度が、福島原発事故後12年たってもただの1グラムの燃料デブリを福島原発から取り出すことさえできず、汚染水はまったく処理方法さえ開発できずに海洋放出、挙句に原発事故が起きたらお手上げのこの状態で目先の利権で原発の寿命を延ばし、新規原発の建設まで口にするという自民党政権の原発政策に典型的に現れています。これを短くいうと、「無能」で「不誠実」となるわけですが、原発利権業者やとりあえずの電力需要をなんとかしたい人々にとっては、彼らの刹那的な利益には合致しており、ゆえに彼らの評価は逆転するのでしょう。

私は、科学研究者でしたから、自民党の、刹那的利益のためにウソをつきその場その場をやり過ごすことしか考えず、本質的な問題はやってるフリで先送りにするという態度は、将来に大きなツケになって国を滅ぼすと確信しています。

さて、政治をここまで腐敗させたのはアベ政権であり、その後ろ盾で大臣ポストを手に入れたのが高市氏。その腐敗の証拠を掴まれて、ギャグとしか思えない無理すぎる言い訳を繰り広げておりますが、単に、見苦しいだけではなく、この悪あがきが及ぼす影響は極めて大きいかも知れません。

鮫島タイムスから。
、、、担当閣僚が自らの役所の文書を「行政文書だけれども事実かどうかわからない」と明言したことは、行政文書そのものの信憑性を自ら毀損する行為だ。捏造の可能性を含めて内容が不正確な行政文書が存在することを現職閣僚が公式に表明したのだから、もはや行政文書を鵜呑みにすることはできない。行政への信頼を自ら打ち消す自殺行為である。
これまでも財務省は公文書を改竄するし、厚労省は統計を捻じ曲げるし、行政文書への信頼は大きく低下していた。官僚のモラル崩壊は目に余るところであったが、今回の問題は行政への信頼を地に落とす決定打となるのではないか。
、、、安倍長期政権下でガバナンスが崩壊した日本政府がそれでもなんとか機能しているのは、この国で暮らす人々が法治国家の大前提を理解し、たとえ不満はあってもとりあえずは行政文書を「信用に足るもの」として受け入れているからだ。
 その行政文書に対する信用を、なんと政府自身が打ち消してしまった。、、、これから先、私たち国民は役所からいかなる行政文書を突きつけられても「正確性を精査する必要がある」と時間稼ぎすることができるだろう。
、、、魚は頭から腐る。すべては政治指導者たちの責任である。自分たちの手で法治国家の大前提をぶち壊したのだ。もはや法治国家の体をなしていないのである。
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Deja vu?

2023-03-10 | Weblog
立民、小西議員が、安倍政権時に政権が総務省を通じて、政権に批判的な報道番組に圧力をかけ、放送法を捻じ曲げていたことに関する行政文書を入手し、国会で当時の責任大臣であった高市氏を追求したことが、話題になっております。ことの問題は、アベ政権がメディアに圧力をかけて自民党や政権に不利な発言を封じ、都合の良い内容だけにして権力に維持を目論んだということで、政権がメディアに違法に介入してきたということです。その追求の中で、突きつけた証拠を捏造だと、悪あがきする高市氏に、証拠が真正なものであれば「辞任するか」と迫ったとこで、開き直った高市氏、「結構です」と答えたものだから、アベの森友事件を彷彿とさせたのでしょう、Twitterやメディアがとりあげ、大ニュースとなりました。

ま、メディアへの圧力はアベが官房長官だったころからアベ自身でやってきたことで、忖度を強要する(変な日本語ですが)アベの「勘ぐれ!」というセリフは有名になりました。そんな事情で、メディア恫喝と圧力は自民党は政権政党としての権利だとでも思っているフシさえあります。こうした自民党の権力の濫用はメディアコントロールに限らず、アベ政権下で大きく拡大し、政治腐敗は一気に進みました。

森友問題では、森友学園の土地払い下げダンピングがアベヨメの迂闊な越権行為から始まり、その追求の中、アベが「私や妻が森友問題にかかわっていたら総理も議員も辞任する」という愚かなタンカを切ったために、公文書の偽造、隠蔽、捏造が行われ、それを強要された公務員が死に追いやられました。アベは自身の保身のために、土地ダンピングをスクープしたNHKの記者を干させて退職に追いやり、公務員を死に追いやり、籠池氏を詐欺師に仕立て上げて刑務所に放り込んだわけです。ま、森友はアベの悪事のほんの氷山の一角、さすがにその際限ない腐敗と悪徳の因果が身に巡ることになりました。天網恢々、因果応報というのはこの世の法則のようです。

さて、「この行政文書が真実であれば、辞任されますか」と、文書を捏造怪文書呼ばわりした高市氏に迫った小西議員。森友当時のアベに倣ったのか、「結構ですよ」と答えた高市氏ではあったものの、自分にはアベの時のように忖度してくれる官僚も、統一地方選前で味方してくれる自民党員もなく、何より困った時に助けてくれるアベはすでにいない状況の四面楚歌、党内党外も辞任に賛成という雰囲気を察して、突然、見苦しい言い訳三昧を繰り広げだしました。

みっともなくも淺ましい。ま、いつもの自民党ですが、ようやくその悪行の報いがポツリポツリと現れはじめました。統一地方選で今後の流れが見えてくるのではないでしょうか。確かに旧民主党も、ましてや維新もダメです。今の野党に政権を任せられるのかという不安もある。しかし、とりあえずやらないといけないことは、すでに腐敗を極めている自民党から権力を奪い返すということです。まずはマイナスをゼロにするところから始めないといけません。

朝日新聞から。
 、、、、
 放送法が1950年に制定されて以来、政府は放送番組が政治的に公平かどうかはその局の番組全体で判断するとの立場をとってきた。だがその方針が、一部の政治家と官僚による密室での議論で大きく転換した可能性が濃厚になってきた。
 メディアへの介入という意味でも、政策決定の妥当性という意味でも、重大な事態だ。文書に書かれた内容について、政府はすべてが事実かどうかはまだ確認できていないとする。解明を急がねばならない。
 だが、それを妨げている大臣がいる。当時、まさにその方針転換の答弁をした当人である高市早苗元総務相だ。
 問題の資料が行政文書であると総務省が認めたあとも、高市氏は「ありもしないことをあったかのようにして作るというのは捏造(ねつぞう)だ」との発言を連日、国会などで繰り返している。
 内部資料のうち、高市氏が出席した打ち合わせの内容などを記した部分について、そもそも打ち合わせそのものが存在しなかった、といった主張だ。官僚がなぜ「捏造」する理由があるのかと聞かれると、「パフォーマンスが必要だったんじゃないか」とまで述べている。
 国民の行政に対する信用をおとしめ、国家の基盤を揺るがす乱暴な発言ではないのか。
、、、行政文書は、政策の決定過程や行政の執行過程を着実に記録して、後世の検証を可能にし、将来にわたって国民に説明義務を果たすためのものだ。その作成は、官僚の仕事の中核の一つでもある。
 それを頭ごなしに政治家が「捏造」などと言えば、国民はなにを信じたら良いのか。、、、
 しかも、その文書が作られた当時の総務省を率いていたのは高市氏本人である。仮に正確性に疑義があったとして、その責任は自分が負うことになるのをわかっているのだろうか。確たる根拠を示さずに、公文書制度に対する信頼を掘り崩すのはやめてもらいたい。
 公文書管理の徹底は、政府あげての課題のはずだ。そんななか、このような物言いを繰り出す人物が大臣についているようでは、この国にまともな公文書制度を根付かせるのは難しい。
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ピア レビューはいらない

2023-03-07 | Weblog
ようやく小さな論文が出版されました。もう今後は自分がメインで論文を書くつもりはないので、これが責任著者としては最後の論文となるはずです。ホッとしました。ほぼ同時に共同研究で参加したものも出版されました。これはN誌で理不尽なリバイスを要求された挙句にリジェクトされた仕事で、そのために今回の出版まで初稿が完成してから二年ほどかかっているのではないかと思います。筆頭の人はすでに製薬企業の研究開発部に移ってしまいました。結局、この腎臓での燐代謝と糖代謝が密接にリンクしているという興味深い知見は、発見されてから世間の目に触れるまでに数年かかったことになります。

私の論文にしても、二度のリバイスが必要だったので、初稿から出版まで半年はかかっています。科学的厳密さを追求することは重要だと思いますが、振り返れば、レビューアからの要求は主要な結論に何の影響も与えないもので、いわば枝葉末節をつついたものでした。

思うに、レビューのプロセスは科学的厳密さを担保するためというよりも、学位のディフェンスと同じく、論文出版のための儀式にしかすぎないと場合の方が実は多いのではないでしょうか。

端的にいうと、商業出版と論文至上主義には健全な学問の発展という点においてマイナスの方が多いと私は思っています。論文出版における問題は前にも何度か議論したし、もう私はこの世界にはすっかり愛想が尽きたので、どうでもいいですけど、紙媒体を主な情報のdisseminationの場として使わなくなった現代で、科学論文をピアレビューを経て出版することは時間と労力の無駄である、と一言、言っておきたいと思います。

レビューのプロセスを経ることによって、批判的な思考力が育まれるとか、論理力が検証されるとか、建前はいくらでも言えますし、そうした面があることは確かですけど、現場を広く眺めれば、そのような建前は吹き飛ぶぐらい馬鹿げた商業主義が跋扈する俗物世界だと感じます(どの分野もそうでしょうが)。

というわけで、論文はピアレビューなしに速やかに出版し、出版されたものの一部を公平に評価するシステムを導入すべきだと私は思っています。そうすることによって商業雑誌や出版ビジネスは、原著論文の発表の場としての商売がなりたたなくなるでしょうから、N誌やC誌や、出版でメシを食っている大勢の人々や、こうしたブランド雑誌を広告に使う一部の研究者は抵抗すると思うので簡単ではないでしょう。しかし、この巨大な学術論文の出版ビジネスは、アカデミアを食い物にするのではなく、アカデミアを支援する形に変わっていかなければならないと思います。
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