百醜千拙草

何とかやっています

分け合えばあまる

2016-07-29 | Weblog
最近、人のブログのコピペばかりしているような気がしますが、先日の柳田先生のブログの記事を読んで、ちょっと思ったこと。

ある危機感
f、、、わたくしが今日こんなタイトルで書こうと思い立ったのは、日本の生命科学関係の研究費はかなり危機的な状況にあり、だれかが意図的に引っ張っていないのに、ある方向にずんずん向かっている。大げさにいえば破滅的な状況かもしれないが、誰かが意図的にしてないがゆえに、批判すべき特定組織があるわけでもなく、研究者がまるで自発的にそういう方向に向かっているかのようで、それがわたくしの危機感を高くしているのです。、、、

一つ目立った成果を上げると、5年くらいの研究費を得ることができます。うまくいけば次なるステップにいけるかもしれません。
次の段階は目立った研究成果を複数連続的にあげた研究者の段階でこのクラスは大学なら教授になれるはずです。研究費も年間3千万円とか5千万円以上になるでしょう。それぞれの分野で我が国の代表研究者になっているはずです。この層の研究者はいまの日本それほど多くないこともありだいたい手厚く対応される可能性が高いです。少なくとも研究費のラウンドを一回あたり5年として、10年くらいまでは。
このレベルで新顔のリーダーが沢山出て、切磋琢磨が起きることが望ましいに決まっています。
問題は、この層の研究をその後国はどのようにあつかうか確かな方針はどこにもないのです。
、、、
ある程度の規模に達したラボが研究費を絶たれたらどうなるか、あまり想像したくありません。しかし、いまの日本そういうことが沢山起き出しているのです。
、、、
現今の日本の研究の問題は、国を代表するような研究者たちが長期的な研究費を絶たれて、実質的にラボを閉鎖するかもしくはやってはいけない研究の方向に向かってなんとか延命を図るかの岐路に立たされているのです。、、、


梯子を外される、というわけではないのですが、中堅どころになって、ようやく研究室が回り出したころというのは、プレッシャーが最も大きいと思います。若手のうちは色々あった優遇がなくなり、まだ大御所ほど名前も売れていない、それでも研究費を取り続けていかないと、折角、何年もかけて築き上げたものものと将来が一緒に消え去ってしまいます。研究界全体から見ても、折角、投資してあるところまで育てた人材が消え去るのですから損失なのですけど、競争原理があるから生産性が上がるという信仰みたいなものが広く染み渡っていて、いわば「自然選択」の原理に沿っていて、生産性の低い者は速やかに淘汰されるべきだ、とさえ考えられているフシがあります。

私は、個人的に局所最適解のみにフォーカスするような「動物的」システムを学問や教育の世界に導入するべきではないとと思います。学問や教育というのは、人間的な活動であって、動物の生存競争と違うレベルで考えられるべきだと思うからです。

以前にも書いたかと思いますが、プロジェクトベースの研究費審査というのが問題の根源にあると思います。つまりカネの配分を、期待されるプロダクトの価値に従って行うというやり方です。プロジェクトベースで審査する限り、研究者はプロジェクトの遂行に必要な「モノ」であり、プロジェクトが終われば必要がなくなる使い捨て資源だと形式的には見なされるからです。研究者も普通の労働者と同じで、生活もあれば家族もあるのです。プロジェクトを進めるためや会社が利潤を上げるための「労働力」である以前に、人間であって、家畜でも機械でもないのです。残念ながら、資本主義社会というのは、突き詰めれば、人間はカネを生み出すための道具あると見做すワケで、それを正当化する数多くの理屈があります。現状では、研究室の運営も会社経営と基本的には同じです。カネを取ってこれなければ畳むしかありませんが、この競争原理が研究や学問の分野にもそのまま適用されるべきだとする資金分配者側または資金が潤沢な研究者側に広く蔓延しているのが根本的な問題ではないかと思います。(カネのために)人間が使い捨てにされるのは別に研究者に限ったことではないですが、このネオリベというか、焼肉定食、競争社会を煽り続けてきた最近の政策が行き着く先に、人間らしい社会など望むことはできないと思います。

人間が人間であるために必要なのは、思いやりであり、共感であり、助け合う心です。競争でも強者が弱者に押し付ける自己責任論でもありません。カネや資源と云うものは「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」もので、「うばい合えば戦争 うばい合えば地獄」になるのです。

ついでに言うと、日本の政府や官僚が、戦争に大っぴらに参加できるようにしたいのは、競争原理に基づく近代の資本主義の論理で動いてるからでしょう。つまりは、カネです。戦争は(一部の人間が)儲かるからです。そして非常事態を口実に国債をチャラにしつつ、火事場泥棒的に国民資産を巻き上げつつ、戦後の自らの地位を確保する、一石三鳥です。そして「やらなければ、やられる」という貧困な発想の生む恐怖感を利用して国民世論を操作するのは比較的容易だからでしょう。
しかし、だいたい原発だらけの日本は、武力で攻撃されたらどうやっても確実に負けるのですから、「勝つ」というのは戦争に巻き込まれない、攻撃を予防するという手しかないのです。そのためには自ら戦争を放棄し、他の国にとっても思いやりがあり、付き合って得になる親切な国であることです。小学生なら良くわかることです。ま、「お人好しは利用される」という発想しかなければ、他国とのWin-Winの関係を作り出すための方法を考えようともしないでしょうけれども。
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生身を離れる危うさ

2016-07-26 | Weblog
人手不足で苦しんでおります。プロジェクト二本が最終ストレッチに向けて第三コーナーを回りつつある段階なのにもかかわらず、関わっていた主力の二人が戦線離脱、加えて、研究費申請に向けて色々とやらねばならないことで頭が一杯で、数年来のもう一つのプロジェクトは放置状態です。

プロジェクトも、全貌が見えてそろそろまとめに入ろうとする頃から苦しくなりますね。若いときなら、苦しくても一気にやってしまおうとしたものでしたが、もはや気力と体力的にそういう訳にもいかず、苦しいときはペースを落してとにかく無理をせずに着実に歩を進めていくことにフォーカスして日々を過ごしております。

さて、先日の内田樹の研究室の記事。現代の貨幣制資本主義社会の愚かしさが見事に解説されています。
 それで、ふと思ったのですが、近年、基礎医学研究も「生身」の体を離れつつある危うさを感じることが多くなり、なるほど、無理な経済成長を望む政府と同じロジックで研究界も動いているのかも知れないと思いました。
 最近のCell, Natureの姉妹紙に乗る論文の少なからずが、NGSなどの大量データに依存した研究です。簡単には追試はできないし、プライマリーデータを解析することも容易ではありません。つまり、読者やレビューアがデータを第三者の目から見て独自に評価するというようなことがすでに困難になっており、著者らのデータ解釈と示されている二次データを信じるしかないという論文が多くなってきました。
 また、株の自動取引ではないですが、NGSなどの大量のデータのメタアナリシスとなってくると、そのデータの解釈さえ生身の人間にはできず、コンピュータに依存せざるを得ないというような事態になっています。この手の論文は、門外漢にはもはや理解不能です。そして、こうした大量データは、しばしば独立して解釈できないのに、論文の結論を支持するために必要なものと考えられているような風潮さえあります。データの解釈はこれからコンピュータがすることになり、論文の結論も、遠からずコンピュータが出すことになるでしょう。そうなれば、論文のレビューもコンピュータ、そのうち、論文を書くのも実験するのもコンピュータと機械、出てくる科学論文の結論はコンピュータにしか理解できない、そんな時代が来るかも知れません。

この地に足が付いていない感というか、実体との乖離感、は大変、危ういものだと思います。

以下、(既にお読みになった方も多いかとは思いますが)内田樹の研究室から一部抜粋。

2016.07.22
日弁連での講演の「おまけ」部分
、、、、
例えば、今では株の売買というのはほとんどコンピュータのアルゴリズムがやっている。計算式が1秒間で千回というような速度で株の売り買いをしている。、、、、すでに経済自体人間のコントロールを離れている。金融経済というのはそういうものです。もう生身の人間の生活とは関わりがない。
実体経済というのは人間の衣食住をベースにして動きます。、、、だから、実体経済で動いている限り、経済活動の規模には限度がある。人間の身体という限界がある。消費活動はどれほど倒錯的なものであっても、結局は身体という限度を超えることはできない。、、、、でも、それではもう経済成長ができないということがわかった。身体というリミッターを外して、人間の経済活動を無制限のものにしようと考えた人がいた。それが金融経済です。
ここで起きている出来事はもう生身の人間の身体とは関わりがない。だって、これはもう消費活動じゃないからです。商品やサービスを買うわけじゃない。金で金を買うのです。株を買い、不動産を買い、国債を買い、石油を買い、金を買い、外貨を買う。これらはすべて金の代替物です。
もう現代の経済活動は人間の生理的要求を充たすためではなくて、お金の自己運動になっている。ただ、ぐるぐる回っているだけです。もう人間は関係ない。だから、極端な話、ある日パンデミックで世界の70億人が絶滅したとしても、その翌日に証券取引所ではアルゴリズムが元気よく株の売り買いをしているはずです。もう人間抜きで経済活動が行われている。
経済はもう成長しないのです。
経済活動には身体という限界があり、人間の頭数を無限に増やすことは地球環境というリミッターがあってできない。
、、、この人口推移でなお経済成長しようとしたらできることはいくつもありません。
一つは戦争をすること。戦争というのは極めて活発な経済活動を導きます。どこでもいい、どこかに戦争を仕掛ける。戦争が始れば私的財産を洗いざらいひっかき出してマーケットに投じることができる。「欲しがりません勝つまでは」で社会福祉も医療も教育も、金にならないセクターには一文も投じなくて済む。軍需産業は大儲けできる。成金たちが車を買ったり、シャンペン飲んだり、豪邸建てたりすれば、そういう富裕層向けの小売り業も「トリクルダウン」に浴するかも知れない。、、、兵器産業というのは資本主義にとっては理想の商品です。ふつうの商品の場合、商品をマーケットに投下すると、ある時点でマーケットは飽和する。、、、、でも、兵器には「飽和」ということがない。というのは、兵器の主務とは兵器を破壊することだからです。マーケットに兵器が投下されればされるほど、破壊される兵器の数が増える。対立や憎しみが激化すればするほど兵器へのニーズは増大する。、、、実際にこの間経団連のえらい人が言っていましたね。「そろそろ戦争でも起こってもらわないと、経済が回らないから」って。それが本音だと思いますよ。
実際に経済成長率というのは、戦争や内乱やクーデタの国において非常に高いのです。、、、、
もう一つ、経済成長のための秘策があります。それは日本の里山を居住不能にすることです。、、、みんな里山を捨てて都市部に出てくる。これで行政コストは大幅に削減できます。里山居住者は地方都市に集められる。離農した人たちには賃労働者になるしかない。仕事が選べないのだから、雇用条件はどこまで切り下げられても文句は言えない。そこで暮らすか、東京に出るしかない。そうすれば、人口6000万人くらいまで減っても、経済成長の余地がある。日本人全員を賃労働者にして、都市にぎゅうぎゅう詰めにして、消費させればいいんです。「日本のシンガポール化」です。
日本もそういう社会体制にすればまだ経済成長できるかもしれない。、、、
でも、日本にはシンガポール化を妨げる「困った」要素があります。それが里山の豊かな自然です。
温帯モンスーンの深い山林があり、水が豊かで、植生も動物種も多様である。だから、都市生活を捨てた若い人たちが今次々と里山に移住しています。移住して農業をやったり、養蜂をやったり、林業をやったり、役場に勤めたり、教師になったり、いろんなことをやっている。今はたぶん年間数万規模ですが、おそらく数年のうちに十万を超えるでしょう。都市から地方への人口拡散が起きている。政府としてはそんなことをされては困るわけです。限界集落が消滅しないで、低空飛行のまま長く続くことになるわけですから、行政サービスを続けなければいけない。おまけに、この地方移住者たちはあまり貨幣を使わない。物々交換や手間暇の交換という直接的なやりとりで生活の基本的な資源を調達しようとする。そういう脱貨幣、脱市場の経済活動を意識的にめざしている。ご本人たちは自給自足と交換経済でかなり豊かな生活を享受できるのだけれど、こういう経済活動はGDPには一円も貢献しない。地下経済ですから、財務省も経産省も把握できないし、課税もできない。これは政府としては非常にいやなことなわけです。
、、、
だから、われわれが言うべきなのは「もう経済成長なんかしなくていいじゃないか」ということなんです。今行われているすべての制度改革は、改憲も含めて、すべて「ありえない経済成長」のためのシステム改変なんです。、、、、

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我が闘争 ギャグかトランプ共和党 稚拙な政府 はっぱふみふみ

2016-07-22 | Weblog
大橋巨泉さん逝去とのニュース。
寂しいですね。かつての日本のジャズ界を育てた人、私の世代では、テレビ司会としての活躍や「はっぱふみふみ」のコマーシャルで覚えていますが、全盛期に引退し、その後は、優雅に世界中で生活を楽しんでおられた様子でした。
いつもにこやかで明るい陽性の巨泉さんでしたが、最近の右翼化、独裁下するアベ政権には危機感を抱かれて、発言されておられたのを覚えております。かつての民主党体質を早々と見抜いてダメ出ししたこともありました。鳩山氏もこの時によく巨泉さんの意見を聞いておけば、現在の民進党の惨状はなかったかも知れません。ま、もうすっかり手遅れですが。

トランプ夫人のスピーチ、ギャグかと思いました。オバマ夫人のスピーチをお手本にするつもりが、そのまま読んでしまったという恥ずかしい事件。スロベニア生まれで元モデル、トランプとの年齢差は24、お互いのどこに惹かれたのか、色々と想像させるカップルですが、それでも要は中身です。しかし、スピーチがオバマ夫人のコピー、というのでは、、、。共和党大会も根強い反トランプ感情のせいか、選挙に向けて一枚岩となって団結、とはほど遠かった様子です。
しかし、共和党がこんな状況なのに、民主党もヒラリークリントンですからね。それでもさすがにトランプはありえないでしょう。

話変わって、辺野古問題、国が、またいきなり沖縄県を訴えると言う話。この誠意のなさ、この傲慢さ、さすがはアベ政権。
たまに田舎の学校にいますな。親が地元の有力者の金持ちで、校長は親戚、担任は校長のイエスマン、という事情で、クラス中から嫌われているのに、やりたい放題、逆に一部の人間は長いものに巻かれよとばかりその手下にまでなって、弱いものいじめに加担する、それでますますつけあがる、、、というような子供が。
人の見かけを云々してはナンですが、この官房長官、最近、ますます人相が悪くなってきたような。

それにしても、この国の政府の稚拙さ、ため息が出ます。そういえば、さっき見た地上げ屋さんのブログで格言が引いてありました。「賢い者が愚か者から学ぶことの方が、愚か者が賢い者から学ぶことよりずっと多い」それはそうでしょうね。学習能力が低いのが愚か者なのですから。国民諸賢は政府から色々学ばせてもらっているとでも思うしかないですね。

政府、沖縄知事を22日に再提訴 普天間移設巡り
 菅義偉官房長官は21日午後の記者会見で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡り、同県を相手に新たな違法確認訴訟を22日に福岡高裁那覇支部に起こすと発表した。辺野古の埋め立て承認を取り消した翁長雄志知事が、撤回を求める政府の是正指示に従わないのは違法だとの確認を求める内容。政府と県は、再び法廷闘争に入る。、、、

辺野古埋め立て 政府あす沖縄県を再提訴
、、、、会合後、翁長氏が記者団に明らかにした。翁長氏は政府の対応について「(政府と県との)協議が先だと思っていた。直ちに提訴するという判断は非常に残念だ」と述べた。国と県は再び法廷闘争に入る。
 政府と県は三月、埋め立て承認取り消しに関し、三件あった訴訟を取り下げることで合意。この際の和解条項には、政府があらためて行う是正指示に関し、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」の審査をへて、県が再び提訴する手順が盛り込まれていた。
 だが想定に反して、国地方係争処理委は是正指示が適法か違法かを判断せず、両者は「真摯(しんし)に協議」すべきだという見解を出すにとどまった。このため県は政府との協議を優先し、定められた期限内に提訴をしなかった。
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都知事選帰趨

2016-07-19 | Weblog
トルコのクーデター、日本でもかつて2.26事件がありました。気持ちはわからんではないです。現代の日本も「力」を持っている一部の人間が、大多数の国民を支配しているわけで、民主主義という建前のウラの現実を思い知らされるようなことがあると、その不条理を「力」によって解決したいという気持ちにもなるでしょう。武力というのは一番わかりやすい力ですし。日本ならカネと権力ですね。これは単なる暴力よりもタチが悪いです。

しかし、力に生きるものは力に死すです。仮に今回のクーデターが成功していても、シリアやさらにロシアとの関係上、トルコの現政権を支持したいアメリカとNATOが、すぐに新政権を「力」で制圧してしまったでしょう。

クーデターが失敗に終わるとトルコ政権は、さらに強権的方針を表明しました。今後、更に権力の強化を図ることになるでしょう。日本の2.26事件時は、世界大恐慌の煽りを受け、国民の不満が鬱積していました。この事件が日本政府と政府側に立つ陸軍によって制圧された後、軍の力はより強大となり、結果として太平洋戦争を導く結果となったとも考えられています。今後、トルコも政府側が統制と強め、国民の不満はより鬱積し、国情はさらに不安的になっていくであろうと思われます。その歪みをいつまでも「力」で抑えつけておくのは不可能です。トルコの現政権の終わりも近いだろうと私は思いました。「驕れる者久しからず」は世の原則ですし。

同様に、現在の日本、自公の一人勝ちのように見えます。これもいつまでも続かないと思います。しかし、今、仮に、かつての8党連立みたいなトリックを弄してその政権を奪うようなことができたとしても、それが国民の意思を反映していないのであれば、長続きはしないでしょう。まずは、人々の意識が総じて一定レベルに達する必要があります。

今回の選挙年齢の引き下げは、社会経験の浅い、いわばメディアのプロパガンダにのせやすい若者で野党票を希釈して、与党有利に選挙を進める狙いでしょう。選挙結果は、一見、与党の一人勝ちのように見えますが、与党も支持を失いつつあるのは自覚しており、だから衆参ダブルを断念したし、こういう姑息な手も使うわけです。事実、今回の参院選で、創価学会員の3割が公明党に投票しなかったという話もあります。多少の希望を感じさせる話です。

東京都知事選、有力3候補のうち、自民党が分裂、野党統一候補として鳥越氏。前回、善戦した宇都宮氏が野党共闘のためにあえて出馬を見送り、鳥越氏支持を表明したことを考えると、不正がなければ、鳥越氏の当選となるはずでしょう。敵は分裂しているおり、その二人とも、特に東京都民に好かれているとは言えない人々です。それでも増田氏(あるいは小池氏)が当選してしまうのが今の日本の選挙です。(そうならないことを願っておりますが)

この東京都知事選、当初、立候補を計画していた石田純一氏、リテラの記事によると、今後、一切の政治的発言は「できなくなった」のだそうです。

今週14日に告示された東京都知事選。各候補者が街頭演説をスタートさせたが、もうひとつ注目されたのは、出馬を断念した石田純一が選挙応援に登場するのかどうかだった。だが、昨日15日、石田の所属事務所がこんな驚きの発表を行った。
11日の会見をもちまして、今後一切、政治に関する発言はできなくなりました
 この国は憲法で言論の自由が保障されており、どのような立場の人間も自由に政治的な発言をすることが認められているはず。しかし、石田の事務所は「政治発言は今後一切できなくなった」と、石田についてその言論の自由を取り上げる宣言をしたのだ。
 これは、スポンサーやテレビ局、代理店と石田の所属事務所の間で、そういう取り決めをしたということだろう。


チェルノブイリの後の1988年、RC サクセションのアルバムが発売中止になった事件を思い出させますな。東芝が原発を作っていた関係で、反原発メッセージの「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」の入ったアルバムが、当時の所属会社東芝EMIからは発売できず、「素晴らしすぎて発売出来ません」と新聞広告を出した事件です。

ドロドロしてます。ま、スポンサーあってのテレビ役者、スポンサーの「力」で支配されているわけですね。

ところで、都知事選の立候補者のリストを眺めていると、いろいろな人が出ています。

(毎度おなじみ)マック赤坂、スマイル党総裁。(ちなみに、弟子は、マック赤坂見附)
桜井 誠、在日特権を許さない市民の会
上杉隆 無所属、ジャーナリスト (鳥越氏が出なければ応援していたところですが)
立花孝志(たちばな・たかし) NHKから国民を守る党 (一瞬、あの「"ち"の巨人」がNHKを批判しているのかと勘違いしました。しかし、都政に携わるにしては、党名がちょっとSpecificすぎるのではないでしょうか?)

残念ながら、ドクター中松は不出馬。個人的には、マック赤坂氏の得体の知れなさは面白い。しかし、あの政権放送では、国民が聞きたい政策や計画を知りようがありませんから、選挙に当選するのが目的で立候補しているとは思えません。頭はいいはずですから、凡人には理解できない壮大な目標があるのか、すでに悟りきってしまった人なのか、あるいは、単に「ほんまもん」なのか、測りかねますね。発言は時に極めてまともに聞こえます。一回、やってもらってもいいのではないでしょうかね。
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まずいレストラン

2016-07-15 | Weblog

「すぎりおのがんばったるねん」で紹介されていた二つの論文のタイトルがあまりに面白かったので、紹介:

Affinity purificationで引っかかってくるnon-specificな「ゴミ」のデータベースについての論文、
「The CRAPome: a contaminant repository for affinity purification–mass spectrometry data」

もう一つは、糞便中の微生物を調べた論文、
「An In-Depth Analysis of a Piece of Shit: Distribution of Schistosoma mansoni and Hookworm Eggs in Human Stool」

特に、二つ目の論文、4文字単語が、科学論文のタイトルに使われたことは、かつてなかったのではないでしょうか。エディターもレビューアも悪ノリしたとしか思えません。Sxxxはcrapとも言いますから、まだ「Piece of Crap」の方がマシだったのではないでしょうか。それでも十分、おかしいですが。

さて、話題転換。選挙の不正というのは、怪しい選挙結果が出るたびに、密かに議論されるものです。少し前の北海道の衆議院補選では、開票終盤になって、与党の対立候補が得票数でリードしていたにもかかわらず、突然、与党候補に当確が出るという不思議なことがありました。最後に開票されたある選挙区でどういうわけか圧倒的に与党候補者票が多くて、最終的に逆転したのです。集票の機械を作っている会社は独占状態で、機械のソフトを監視する方法もありません。これは、以前の小沢氏の陸山会事件で、検察審査会の審査員を選ぶ「くじ引きソフト」が、インチキでいくらでも不正操作ができたということがあったことを思い出せます。これまでのやり方を見ていると、国政選挙にも色々な不正やトリックが仕組まれているのも十分、想像できることです。

こういうことを確たる証拠も無しに言うと、結局、陰謀論だと言われて、逆に非難を受けることにないますから、誰もおおっぴらには言えないという状況があります。しかし、選挙のために怪しいことが起こるのだから、誰かが、おかしいことを指摘はしていかないといけないのだろうとは思います。

そういう意味で、地方紙とは言え、全国紙並みの発行部数を誇る東京新聞が、コラム欄とは言え、選挙の不正を示唆するような記事を書いたのは、意味があると思います。
という訳で、貼り付けておきます。

東京新聞、筆洗

 この町には二軒の料理店がある。大きい方の店「J」の経営は風変わりで、できる料理はカレーライスとハンバーグのみ。どちらも大した味ではない。見るのも嫌という人もいる▼試しに住民に聞いてみた。アベノなんとかというカレーライスを六割の人がまずいといい、改憲ハンバーグは五割がひどいと答えた。二つのメニューのいずれも人気がない。それでも、町のレストラン選挙ではいつも、もう一店の「M」を引き離し、勝ってしまう▼おかしい。あの店においしい料理はないのに。結果を疑った「M」の店主は探偵に調査を依頼した。探偵は選挙後、町の住民に聞いて歩いた。「あのカレー? ひどいね」「あのハンバーグは絶対許せない」。悪評しか聞こえてこない▼やはり不正投票の可能性がある。探偵は事実を知らせようと「M」に飛び込んだ。「やはり不正…」と言いかけてやめた。この店の様子もおかしい▼メニューを見た。「あの店のカレーはまずい」「ハンバーグは絶対阻止」と書いてある。「おいしい料理を作りたい」「こうやっておいしくします」と決意やアイデアもある。しかし、今すぐ提供できる料理がメニューのどこにも見当たらない▼探偵は店を出た。向かいに「J」が見えた。おなかをすかせた客がカレーを食べている。喜んで食べている人もいる。疑いながら、泣きながらの客もいる。

非常に共感します。近々、JでもMでもない小さなレストランの数々が集まって、客を満足させてくれるのではないか、と期待しておりのですが。
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普通の国へとダウングレード

2016-07-12 | Weblog
先週から、知り合いのお嬢さんの女子高生が研究室に来ています。
将来、医学部に進みたいので、基礎医学研究の現場を見たいということで、数週間の予定ですが、大変です。これまでも比較的研究経験の浅い人をトレーニングしてやってきましたので、慣れてはいるのですが、やはり女子高生となるとモチベーションも実地の知識も違いますので。幸い、ありがたいことに、共同研究している人が面倒を見てくれています。

長年、研究室に出入りしている人を見ていると、モチベーションも大切と思いますが、実験のセンスというものも大切だな、と思います。1を聞いて少なくとも1.5ぐらいを理解するぐらいでなければ辛いです。インプットとアウトプットが同じでは、バイオリアクターとして働いていないと言えます。過去一緒に働いてくれたポスドクや技術員の人のうち二人は、インプットの増幅率十倍ぐらいの優秀な人でした。そういう人はあまりいません。十人に一、二人ぐらいです。

しかし、センスや才能と研究キャリアはあまり関係ないようにも思います。長年、研究現場に残っている人の多くは、粘り強く、研究で生き残れると信じている人が残っているように思います。頭の切れすぎる人や地味仕事を続けることが苦手な人は、さっさと見切りをつけて、別の分野に行きますね。
これは、多分、どの世界でも同じでしょう。駆け出しの頃は、誰もが苦労するので、そこを諦めずに粘っていると活路が開けてきて、続けていくことができるようになるのだと思います。石の上にも3年です。9割の普通の研究者の人はこのパターンでしょう。

残りの少数派の大成功者の人々にも共通項があります。そうしたトップ研究者の9割は、皆、似たような経歴を持っています。つまり、一流大学を出て、一流のラボでポスドクをし、独立後早くから大きな仕事を連発しています。すなわち、成功した有名研究者になりたければ、おそらくこうした条件を満たしていくことが近道なのであろうと思います。中央官僚として偉くなりたのであれば、東大に行くというのと同じでしょう。トップ研究室はリソースも潤沢で超一流紙にもコネを持っており、そういう研究室からの仕事は一流紙に載りやすい。そうやって彼らが流行を作っていくのだから、彼らの仕事は常に流行の最先端であり、したがって常にインパクトの高い論文となるわけです。そういうラボに入り込むには一流大学で良い成績を取っておく必要がある、そういうことでしょうな。
ですので、私のような経歴の人間は9割の普通の研究者の中でそれなりの幸せを見つけながら生きていくことを第一目標としつつ、チャンスを辛抱強く待つという戦略になるのです。

さて、参院選ですが、どーでもいいです。と言うと日本の国とその子孫の将来を真面目に考えよ、と説教されそうですが。
悪法も法、アベ氏でも総理、民意は民意、です。つまり、国民のレベルと政治のレベルは一致します。いくら、役人や政治家や経団連が結託して、マスメディアを操って国民を利用しやすいように社会の仕組みを変えようとしているのだとは言っても、騙す奴も悪いが、騙される方も悪いのです。国民のレベルも結局、アベ氏なみということです。

ただし、これは今現時点の話です。若者はプロパガンダを垂れ流すマスメディアから離れつつあります。そして、親の代に自民党に世話になったから、とか、創価学会信者だから、という義理や組織に頼る票は減っていくでしょう。昔はそれでもよかったが、今では、自民党も公明党も、中身も外見もすっかり変わってしまいました。もっともマトモなのが共産党かも知れないとういうような時代になっているのです。一旦、行き着くところまで行く方が良いのかも知れません。

世界には、悪政に耐えかね、生活が苦しくて国を捨てた人々が大勢おります。歴史的に見ればそういう人々を多く出さなかった国でない国の方が少ないでしょう。しかし、幸い日本は、第二次大戦後、勤勉な平和主義国家として、世界から信頼と尊敬を得てきました。総じて日本人の人間としての優秀さは世界トップクラスであったと思います。

しかし、どうもアベ政権や政府官僚は、グローバルがどうのと言って、日本人のレベルをを世界の平均レベルにまで落とし、「国を守る」ためという詭弁を弄して、戦争産業の末端に加わり、アメリカ軍の下っ端となって、世界中にケンカを売るチンピラ派遣社員にでも仕立て上げたいようです。そうやって、政府は、日本に悪事の片棒を担がせて、テロの対象になるような憎悪を買ってまでも、アメリカに貢ぎ、その隙に国民の税金の一部をピンハネしたい、ちゅーことのようです。アベ氏には「日本軍」というおもちゃを与えて、そのコマンダー イン チーフという称号さえやっておけば満足するだろう、これで、アメリカの歓心を変えるし、いざとなれば、戦争という最後の切り札も使って、溜まりに溜まった財政赤字もチャラにできる、とでも官僚組織は思っているのでしょうな。

野坂昭如さんが亡くなる前に述べられたように、軍装するのは、日本国民を守るためではなく、国民の命と財産の犠牲の上に「国体」(その実態は、支配者層である政府役人)の利益を守るためです。プルトニウムを満載した原発50基あまりを体中に巻きつけた自爆テロリストみたいな状態で、多少、武装したからと言って、どうやって国の安全が守れるとでも考えているのでしょうか(と確信犯に正論を言ったところで無駄ですね)。

ま、これも修行の一部とでも思って、われわれは、善意を持って前向きに、できることをやるしかないです。
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カタにはめられる

2016-07-08 | Weblog
一年半前に研究室を去った人の3年がかりの論文、散々、引き回しの刑になった挙句、ようやく引っかかりました。
この仕事は、一年半前に出版された別のグループの人の論文のプロジェクトが進行中の時に、内容がオーバーラップするので、一緒に出そうという話をしていたものですが、相手の都合でソロで出されてしまい、結果として、こちらは出すタイミングを失い、行き場を失った状態になっていたのです。それで、そのままでは出せないので、それなりの雑誌に載る程度の形をつくるためのデータを足そうと、いろいろやってはみたのですが、論文のクオリティーを上げるために使えるようなデータを得ることが出来ず、実験を継続する人もカネもないということで、とにかく体裁だけ整えて投稿したものです。なんとか投稿したのが一年前、正直、別グループの論文で重要な論点が既に出版されてしまったため、出来はパッとしません。
ちょっとムリだろうなというレベルの雑誌を数本トライしている間に一年が経ちました。ま、想定内です。

それにしても、N紙出版グループの囲い込み戦略はすごいですね。よほどひどいものでない限り、どこかで出版できる仕組みになっているようです。雑誌名に「Nature」のつく上位雑誌と、つかない二軍雑誌で、裾野を広く構えています。その二軍雑誌群のなかでもヒエラルキーがあります。アメリカの野球リーグ制みたいなもので、「Nature」が名前に入る雑誌がメジャーリーグを形成するとすると、それ未満がマイナーリーグ、マイナーリーグの中でもインパクトファクターは7-9のAAA、5-7のAA、そしてそれ以下というような感じでしょうか。

この論文も最終的にマイナーリーグのN紙系雑誌をトライしたのですが、そこでリジェクトとなった時に、Editorに勧められて更に下位雑誌へそのままtransferしたものです。最初のレビューでのコメントもそのまま次のジャーナルにも伝達されるようになっていて、そこでリジェクトにならなければ、リバイスも基本的にレフリーに回らずに編集室レベルで判断するらしいです。便利でよいともいいますが、まさに「カタにはめられる」という感じです。むこうはビジネス、ブランド名を守りつつ、下位雑誌で掲載料を稼ぐという戦略のようです。

論文出版に関しては、私は、結構、粘る方です。資金が潤沢で面白いネタがパイプラインに詰まっているようなラボなら、最初から、よいジャーナルに通りそうなレベルにしてから出すか、レベルが上がらねければ、絶対載るというレベルの雑誌まで落とすでしょう。そこそこのレベルにいかないような仕事に時間と労力を費やすぐらいなら、サッとロスカットして、見込みのある別のプロジェクットにリソースを回すでしょう。

しかし、私のような零細では、仕事は、一本、一本を、それなりに形にしていかないと、成り立っていきません。投じた労力とカネは多少でも回収していかないと、次がないのです。冒険はできないし、カネと労力が必要な大きなプロジェクトもできません。小さなことをコツコツと質と量のバランスを考えつつやっています。ま、そういうスタイルが性にあっていますけど、時々、「あのころ、二人のアパートは裸電球眩しくて、貨物列車が通ると揺れた、二人に似合いの部屋でした」という昔の歌を口ずさんだりしています。ビンボーくさいですが、なんとなく幸せな感じもしますな。
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Get Up, Stand Up

2016-07-05 | Weblog
ちょっとピンチです。
唯一の戦力と言って良いポスドクの人がようやく2週間の研修から帰ってきて、この数年やっている有望なプロジェクトの完成に向けて最後の難所の実験に本腰を入れて取り掛かろうとする所でしたが、復帰二日後、家族の健康状態の急変で、戦線離脱、二ヶ月は復帰不可能の見通しという状態に陥りました。加えて今週から、女子高生インターンを受け入れるという予定が以前からあって、その人にほとんどの面倒を見てもらうつもりにしていたのです。

バタバタと最小限の引き継ぎの後、送り出し、しばらくしてから、状況が実感として迫ってきました。私以外の誰も彼女のプロジェクトをカバーできる人はいません。また、共同研究で別のプロジェクトを一緒にやっている人も今月一杯で、もとの研究所に帰ります。このプロジェクトもそれなりのインパクトになる予定で、その出版は、彼女(共同研究者)が研究者としての地位を確かにするために重要なのですが、かなりの技術的困難が予想される最後の実験が丸々、残っているという状態です。

グラントも遅くとも来年の3月までに出さないとチャンスを失いますから、その予備データのための実験を色々とやらねばなりませんが、この方もなかなか手探りが続いています。

少なくとも2ヶ月は、これらを全部、それなりに一人で回していかなければならなくなりそうです。週末の実験室で、しばらく呆然と一人立ち尽くしました。季節外れながら、荒野に残る一本の枯れ木に北風が吹き付ける、そんな心境です。

とは言うものの忙中閑あり、週末はニュースをチェックしていました。

私、アベ政権と公明党の悪口も、どうやっても一流になれない旧民主党の悪口も、もう言うのはやめておこうと思います。天網恢々、彼らの裁きは天に任せます。民進党に期待するのも無理です。今の民進党なら、仮に政権交代したところで、前回の空きカン以降のクズっぷりを見ている限り、政権を取った瞬間に自民党化するのが火を見るより明らかです。第三極に期待するしかなさそうです。

山本太郎氏推薦の無所属、三宅洋平さんの選挙活動が盛り上がっているようです。私は知らない人でしたが、選挙演説でのT-シャツに「Now you see the light. Stand up for your rights」と書いてありました。調べてみるとレゲエバンドの人のようで、なるほどと思いました。(学生の頃、試験勉強中の私の応援歌でした)イギリスの植民地であったジャマイカに連行されたアフリカ人奴隷と自公政権に奴隷化されようとしているニッポン国民が重なるのでしょうか。なんとか若者の共感を得て、頑張ってもらいたいものです。

権力や組織が個人の権利を蹂躙するのは、創価学会でも同じようです。三宅さんの選挙応援で、そんなことを予感させる創価学会員の若者のスピーチをリンクします。

創価学会員が公明党に「無理」宣言 https://youtu.be/3QKXPbVXAFc

学会員が、安保法案を批判すると「地獄に落ちる」そうです。キョーレツですな。アベ政権下のニッポンも地獄、どうせ地獄なら、一踊りしよう、そんな前向きさを感じますね。

Get up, stand up, don't give up your fight.... ちゅーわけで、意味は多少違いますが、私も頑張りたいと思います。
Bob Marleyの1980年のライブ


三宅さんによるカバー

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失敗しない実験

2016-07-01 | Weblog
てなワケで、イギリスのEU離脱の交渉はこれから多分、年単位で始まる訳ですが、ドイツが早速「いいとこ取り」は許さない、みたいなことを言っています。ドイツではなく、ギリシャぐらいが言ってくれると面白いのになあなどと不謹慎なことを思ってしまいました。

ドイツの気持ちはよくわかります。とくにメルケル首相としては、キャメロンの馬鹿げた政治的バクチの失敗の煽りを食らったようなものですからね。キャメロンの政治生命がどうなろうと知ったことではないが、EUを道連れにして、ドイツにその尻拭いを押し付けるのでは、いい迷惑だと思っているでしょう。

EUという共同体のメンバーの権利を享受するには義務が伴う、当たり前だと思います。
そこには「フェア」であることを望む人間の心理があります。しかし、フェアであることを望むとは、嫌らしい見方をすれば、自分は他人に比べて「損」したくない、負けたくないという心理と同根ではないでしょうか。イギリスは外国移民の受け入れを制限するくせに、EUの市場には自由にアクセスしたいというのなら、ドイツやフランスがその移民の受け皿となって自分たちが「損」をすることになる、「フェア」でない、という言い分でしょう。もっともですが、では、より貧しいEU諸国の国民にとってはどうでしょう。同じ人間として同じヨーロッパに生まれたというのに、コチラは生きていくのに精一杯だ、豊かなライフスタイルを満喫しているイギリスやドイツの国民はアンフェアに地球のリソースを使いすぎている、ちょっとぐらいコチラに回してもバチは当たらんだろう、ぐらいのことは思っているでしょう。

つまり、フェアであることの基準など非常に恣意的で自分勝手なものです。思うに、フェアとかアンフェアという考え方も、各々の自己保存能の一部として社会生活を営む人間のエゴに対処するために生み出された概念ではないでしょうか。この辺りが、人間の社会の難しいところです。大勢のレベルの違う人間が集まって暮らすのですから、お互いのエゴがぶつかり合わないように調整するのは簡単ではありません。それで「フェアネス」という概念を発明せざるを得なかったのではないかと思います。

そして、フェアというものが概念で恣意的なものである以上、現実の世の中は「フェア」であるものなど何一つないわけで、要は、人々が納得できるかどうか、です。「いいとこ取りは許さない」とか「ただ乗りは許さない」と筋の通った発言をすれば、国民を納得させやすい。然るに、実際には「辞めたいという国をやめさせないことはできないのだから放っておく、引き続いてEU市場をイギリスに開放するかどうかはどちらがEU諸国にとってプラスになるかを考えてから決めればいい」と考えた方が「得」な結果になりそうです。しかし、それでは残った国の国民の「気持ち」が収まらんのですな。

キャメロンにしてもメルケルにしても、政治家であり、その主要アジェンダは、平たく言えば、国民をうまく操ることです。彼らにとって、国民は自分たちに権力を与えてくれるお客様であり、お客様は常に正しいのですから、彼らの機嫌を損ねないようにすることが第一の仕事です。今回、その国民を操るためにキャメロンは丁半バクチを打ち、その危険な賭けに負けました。そして、EU崩壊へのドミノ倒しを防ぐべく、メルケル首相もEU諸国の国民を納得させる声明を出す必要がありました。

外から見ていると、まるでドタバタ喜劇です。

いずれにしても、人生も世界も、コントロールのない実験のようなものです。コントロールがないから結果の解釈ができません。解釈ができないということは、自由に解釈してもよいということだとも言えます。これからEUを見て、成功したと解釈するするのも、失敗だったと解釈するのも自由です。

というわけでイギリスのEU脱退については、私は是非を云々せずに、興味深い実験と思って、その成り行きを楽しみたいと思います。
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