百醜千拙草

何とかやっています

冗談返し

2009-02-27 | Weblog
ちょっと小耳に挟んだどうでもよい話。
 最近、British Medical Journalにビデオゲームのやり過ぎで、指の皮膚に障害をおこした女児の例が報告されたそうです。ビデオゲームのコントローラーのボタンの押し過ぎとのことで、不謹慎ながら、猿になんとか、という諺(?)を思い出してしまいました。携帯電話、インターネット、TV、薬、などなど、昔なら中毒になるものは、酒と煙草とギャンブルとXXぐらいでしたが、今はものやテクノロジーがあふれかえっていて、快感中枢を刺激するための小道具にはこと欠きません。危ない世の中となったものです。しかし、そういう私もコンピューターの前に座っている時間は十年前の十倍ぐらいにはなっているはずです。幸い、酒も煙草もギャンブルもXXもしませんし、携帯電話もビデオゲームも持っていないので、正気を保っております。
  このニュースで思い出したのがつい最近、Science かNatureの小話欄で知った、「Cello Scrotum」という病気で、同じくBritish Medical Journal に1974年に John Murphyという人によって報告されました。「チェロ陰嚢症」とでも訳すのでしょうか、この病気は、バイオリニストの頸椎症やフルート奏者の顎関節症と同様に、チェロの弾き過ぎによって起こる陰嚢の炎症であると報告されています。ところが、最近、著者の妻であるDr. Murphyが、あれはウソだったと告白したとのことで話題になりました。34年前の殆ど誰も知らないような冗談をなぜ今更、告白するのか、本人たちの真意は知りませんが、年をとって、昔の悪さを後始末せずにほっとくことができない気持ちは、なんとなく分からなくなくもないです。 インターネットでみつけた記事によると、そもそもこの冗談は、クラシックギタリストの乳首の炎症(Guitarist’s nipple)の報告を読んだMurphy夫妻が、これはきっとウソに違いないと考え、悪ノリで、チェロ陰嚢症をでっちあげて、投稿したところ、出版されてしまったということらしいです。冗談を真に受けられたいうわけで、昨今はやりの論文捏造とはちょっと趣を異にしますが、こういう冗談はいけません。以前、飛行機の機内で、手荷物の中身を聞かれた日本人が、冗談で「爆弾」と言ったために、飛行機が緊急着陸して、大騒ぎになった事件がありました。冗談を言うにも場所をわきまえるべきです。この場合は幸い大きな問題に至ることはありませんでした。無論、大した反応もなく、1991年には、チェリストでもある皮膚医が、チェロを弾き過ぎて陰嚢炎を起こすというのは考えにくい、との批判的意見をアメリカ皮膚科学会誌に表したぐらいらしいです。
 この冗談のきっかけになった、クラッシックギターの弾き過ぎで起こるとされる、ギタリスト乳首炎は、Dr. Curtisという人が同じく1974年にBritish Medical Journalに報告したとなっていますが、最近、同誌に発表されたMurphyの告白文によると、Dr. Curtisにクリスマスカードを送ったところ、本人はギタリスト乳首炎について何も知らなかったそうで、これも誰か別人が仕組んだ冗談ではないかと書いてあります。これらの記事はPub Medに収載されていますので、興味のある方は、Cello Scrotumでサーチしてみてください。オリジナルの報告はretractされました。
  しかし、BMJはそれなりに権威ある臨床系雑誌なのですから、ギターの弾き過ぎの乳首炎とか、チェロの弾き過ぎの陰嚢炎とか、エディターももう少し慎重に審査できなかったのだろうか、と思ったのですが、よく考えたら、エディターが冗談とわかっていなかったはずはない、と思い直しました。冗談を間に受けられたのではなく、これはプラクティカルジョークのプラクティカルジョーク返しだったに違いないと思います。結局、一杯喰ったのは、34年前の冗談の告白をせざるを得なくなったMurphy夫妻だったのかも知れません。

付記。
BMJに掲載された、Guitar nippleとCello scrotumの全文をコピーしておきます。これを読むと、エディターはやはり真面目な医学情報と思って掲載したのかも知れません。それにしても、この「I am, etc.」という結びの句は何でしょうか?今まで、知りませんでした。

Guitar Nipple
Sir,   I have recently seen three patients with traumatic mastitis of one breast.  These were all girls aged between 8 and 10 and the mastitis consisted of a slightly inflamed cystic swelling about the base of the nipple.  Questioning revealed that all three were learning to play the classical guitar, which requires close attention to the position of the instrument in relation to the body.  In each case a full-sized guitar was used and the edge of the soundbox pressed against the nipple.  Two of the patients were right-handed and consequently had a right-sided mastitis.  When the guitar-playing was stopped the mastitis subsided spontaneously.
 I would be intereseted to know whether any other doctors have come across this condition.    I am, etc.  
P. Curtis Winchesther.

Cello Scrotum
Sir,   Though I have not come across "guitar nipple" as reported by Dr. P. CUrtis (27 April, p. 226), I did once come across a case of "cello scrotum" caused by irritation from the body of the cello.  The patient in question was a professional musician and plyaed in rehearsal, practice, or concert for several hours each day.   I am, etc.
J.M. Murphy  Chalford, Glos



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進化するシークエンサー(3)

2009-02-24 | 研究
2月号のNature Biotechnologyと2月12日号のNatureで第三世代のDNAシークエンサー(一分子シークエンシンサー)の近況についてカバーされています。第二世代シークエンサー、454/Roche、Solexa/Illumina、ABI(SOLiD)の競争は、現時点ではSolexa/Illuminaが、どうもトップを走っているように思います。その主な理由は、これらの大量平行シークエンシングが、当初の目的であったゲノムの解読には、現在、余り使われていないというユーザー側の事情があると思われます。ゲノムの解読にはシークエンスデータを繋ぎ合わせるAssemblyが最も困難なステップとなります。これには、かなりの能力のコンピュータやその操作が必要で、誰にでもできるというものではないからです。現在の大量シークエンシングは主にDeep sequencingに使われていることが多いと思います。これまで、マイクロアレイなどで遺伝子発現解析などをやっていた人が、サンプル量が少なくて済み、アレイ実験に比べて「ぶれ」が低いシークエンシングに切り替えたという感じなのではないかと思います。そういう目的ではアセンブリは必要ありませんから、シークエンスのannotationとその発現頻度を計算さえできればよいので、大したコンピュータ操作は必要ありません。値段的にも、2つのサンプルを比べるのにマイクロアレイで、duplicateで4枚のDNAチップを使ってやるのと、各々1ランずつシークエンスするのと大差ありませんし。そうなってくると、1ランあたりのリード数が多い方法が有利なわけで、第二世代シークエンサー3者の中では、SolexaとABIが、1ランあたり、約20ギガベース読め、1ベースあたりのコストも同様で最も優れているようです。Solexaの方がABIよりも多少、リード長さが長く、ABIより先行して市場に出たので、Solexaが好まれているのではないかと思います。一方、大量平行シークエンシングの先駆けの454/Rocheでは、現行のマシンでリード長が500ベース近いという長所はあるにせよ、Solexaに比べて、リード数が一桁以上少ないという欠点があります。Deep sequencing目的には30ベースも読めれば十分なので、その目的ではリード長が長いことは、ほとんど長所にはならない一方で、リード数が少ないというのは大きな短所となっています。現在のシークエンサーの使用状況を考えると、これからの数年間はおそらく、Solexaの一人勝ちとなるのではないかと思われます。一方、以前にもお伝えした第三世代一分子シークエンシングを世界で初めて商業化したヘリコスですが(進化するシークエンサー)、苦戦しています。これまでの第二世代と比べて、性能的にそう優れているようには見えません。シークエンスのリード数はどうもSolexaの二倍ほどありそうで、コストも多少安いようですが、リード長は短く、意外な事にシークエンスエラーがかなり多いという欠点があるようです。しかも機械の値段はSolexaの二倍するということです。NatureのNewsでは、(これまでヘリコスマシーンは5-6台売れたらしいですが)そのうちの最初に買った施設が最近、返品したということを伝えています。一方、Nature Biotechnologyでは、第3世代の期待のシークエンサー、Pacific Bioscience社のテクノロジーについて、カバーしています。まだ市場には出ていませんが、前回、私が噂に聞いたときには、リード長1キロベース以上という話だったのですが、今回のこれらの記事では、どうも600 – 800ベースぐらいが実情のようです。DNAポリメラーゼで蛍光ラベルした核酸の取り込みをリアルタイムで測定して読むわけですが、普通のDNA合成反応よりもスピードは遅いようで、一秒あたり3-5塩基が読めるとのこと。しかし、それでも従来のシークエンサーとは比べものにならない早さですので、Pacific Bioscience社では、ゲノム塩基全てを3分でシークエンスできる(実際にはもちろん、無理ですが)と言っています。ただ、このテクノロジーでも、ヘリコス同様にどうもエラーが多いようで、これがネックとなりそうです。ただしPacific Bioscience側は、このテクノロジーで使用されるϕ29というDNAポリメラーゼは、塩基置換能が高いので、同一テンプレートを何度もシークエンスすることが可能で、それによって、最終的な正確さは99%以上に上がるとは言っています。  というわけで、余り意味のない予想ですが、今後5年の大量平行シークエンサーの市場予想は、1位がSolexa/Illumina (65%)、2位がABI(SOLiD) (15%)、3位が454/Roche (10%)、4位がPacific Bioscience (10% もし売り出されれば)という感じでしょうか。(数字は私の当てずっぽうです)ヘリコスは、現在のテクノロジーでは、生き残れないでしょうから、近々、3大メーカーに吸収されるのではと想像しています。この動向は、現在の大量シークエンスがDeep sequencingを目的とするのではなく、ゲノム配列解読が主目的となったときに変わるかも知れません。遺伝子発現解析などがマイクロアレイではなく、qPCRやシークエンシングによって行われることがそのうち主流になると予想されますから、どう転んでも、Solexaは生き残るでしょう。そう考えると、ちょっとゲノム解読にもDeep sequencingにも中途半端に見える454/Rocheが、間もなく市場に現れるPacific Bioscience社のシークエンサーとどれだけ渡り合えるかが、その生き残りにおいて重要であろうと思われます。今回のレポートを読む限りでは、Pacific Biosciece社のテクノロジーも期待したほど、劇的に優れているという感じはありません。454と比べると、スピードでは優るでしょうが、このレベルであればスピードの持つメリットは限られているように思いますので、もし454が正確性とリード数とコストで優るなら、人は454を選ぶのではないかと思います。しかし、技術は日進月歩なので、ひょっとしたら、もっとすごいシークエンサーが彗星のように現れて、独走するようになるかも知れません。いずれにせよ、消費者にとって、これらの技術の進歩は喜ばしいことです。
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卵の側に立つ

2009-02-20 | Weblog
村上春樹さんのエルサレム賞受賞のスピーチについて、あちこちで議論が盛り上がっています。イスラエルのガザ攻撃を批判したと解釈されているようですが、もちろん、そのような具体的な例を批判したのではなく、政治的、軍事的目的の遂行のために、犠牲にされて来た普通の人間の問題を、「卵と壁」という比喩で訴えたわけです。
 正直言って、人間を卵に、体制を壁に喩えるのは、分かりにくいと思います。体制(壁)は人間(卵)が作り上げたものであるという関係性を読み取りにくいからです。村上文学の魅力はその分かりにくさにあるのではないかと思います。(実はあまり、村上作品を読んだことがないので間違っているかも知れません)分かりやすい文体で書いてありますが、その意味するところは明示的ではありません。しかし、よく分からないけれども、何か深い含みがありそうな感じがします。そして、いろいろなように解釈できる。つまり、読者の自由度が高いということなのだと思います。例えば、「人間は卵だ」と言って、その説明を読者に預けてしまう。「人間は卵だ」と言われると、誰でも、そう言われればそうだと納得できるような何かがあるように感じられると思うのですが、では具体的にその何かとは何だと問われると、おそらく、人によって様々な答えがあり得ると思います。村上春樹が多くの読者に受入れられるのは、多分、具体的に口にできないけれど、その存在を誰もが感じ取れるような、あいまいでありながら確実な何か、を指し示す、その感覚の鋭さによるのではないかと思ったりします。
 スピーチでは、卵(人間)のvulnerabilityというようなものを、非人間的な壁と対比させました。割れ易い卵と強い壁という対比は分かり易いです。しかし、これでは、卵と壁という対立の成り立ちを説明しません。これらがアプリオリに存在し、対立しているというrigidな構造がすでに前提としてあって、なぜ卵と壁が対立しているのか、壁たる体制は卵たる人間が作ったものであるはずなのに、どうやって卵が壁を作ったのか、その辺のところが、ちょっと腑に落ちません。イスラエルにまで出向いて、世界に向かって、一言いう機会を与えられるという得難い機会があれば、私なら、きっと比喩はなしで誰にでもわかるようにストレートに話すでしょう。それは、単純で誰にでも誤解なくわかることを最上とする科学論文のレトリックをコミュニケーションの原則であると、私が思っているからかも知れません。同じ理由で、村上春樹のスピーチでは、解釈の少なからぬ部分を読者に残すという彼の小説スタイルを踏んで、あえて、比喩を使ったちょっと分かりにくい表現となったのかもしれません。比喩はしばしばダイレクトに語るよりも効果的ですが、しかし、誤解も生みます。最大の誤解は(私が思うに)「村上春樹が、イスラエルでイスラエルの軍事行動を批判した」という解釈でしょう。事実、新聞の見出しにもそういうように書いてあるものもあります。私は、本人は、絶対にそんな意図でスピーチしたのではないと確信があります。
 スピーチの中心は、「いくら壁が正しくとも、いくら卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と言った言葉であろうと思います。この喩えを聞いて、なお、イスラエルを批判している、と考える人があるなら、その人は相当思い込みが激しいと言えるでしょう。「いくら卵が間違っていても、自分は常に卵の側に立つ」と言う表現は、社会における小説家の役割を十分に意識した立派な言明であると思います。小説家の目指すことは、畢竟、ヒューマニズムの推進です。それが最終的に小説家が社会と関わり合う上での目標であると私は思います。村上春樹のような、ある意味、私小説的な作品を書く人が、社会に向けて、こういうメッセージを発信したということは、彼自身の小説家としての成熟性をも示しているのだと私は思います。
 パレスティナ問題では、ユダヤにとってもイスラムにとってもキリスト教者にとっても聖地である土地の正当な所有者を主張して引かない人々の間の喧嘩ですから、イスラエル、パレスティナのどちらの言い分にも理があります。だから「正しい、間違っている」というレベルの議論は、水掛け論となって決着が着きません。結局、力づくで決着をつけようとするわけですが、軍備で優るイスラエルがガザを攻撃し、そのために大勢の人が死に、それをもって人々はイスラエルを非難しているわけです。私は、そう非難するなら喧嘩両成敗でなければならぬと思います。事実、ハマスもイスラエルを攻撃しているわけですし。人々がプロテストしているのは、この戦争によって、一般市民が巻き添えとなって多数死んだということについてであるのは間違いないと思うのですが、仮にそれがイスラエルの攻撃によるものであっても、短絡的に、だからイスラエルが悪いという結論にしてしまうと、これでは泥沼になってしまうと思います。正しいから殺してもよいと考えるのがおかしいのは誰でもわかるでしょう。でもイスラエルやパレスティナ(に限らずどの戦争もそうです)でやっていることにはまさにこのおかしな理屈が中心にあります。戦争で殺し殺されることは、誰が良いとか悪いとかの問題ではありません。原爆を落として罪もない一般国民を何十万人と殺したアメリカに対して、「アメリカが悪い」と言うことが無意味なことを戦後日本人はよく分かっているはずです。戦争は絶対悪であって、それに参加したり巻き添えになったりした人は、(村上が言うところの)systemの犠牲者である、そういう観点でパレスティナ問題が捉えられるべきであると、村上春樹は言いたかったのだろうと想像します。個人たる人間がまず尊重されなければならない、彼らの人権が踏みにじられるような行為を絶対悪とするという観点で、我々は思考しなければならない、「卵の側に立つ」とはそう言う意味です。
 イスラエルもハマスもその周囲で火に油を注ぐ人も野次馬も、一歩下がって、頭を冷やし、ちょっと考えてみて欲しいと思います。聖地と自分の家族の命とどちらが大切ですか?
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豊臣家の人々を読んで

2009-02-17 | Weblog
とある古本屋で、しばらく前、司馬遼太郎の「豊臣家の人々」を買いました。司馬遼太郎の書いたものの面白さというのは驚異的だと思います。何を読んでも面白いし、いつ読んでも面白い。二十歳台のころ、一時は随分、熱心に読みました。それから二十年近く経って、更に三十年以上前の作品を読んでも、なお面白いというのは、私にとっては稀有なことです。大抵、若いときに面白いと思って読んだものを読み返すとつまらないと思うことが多いのです。
 村松友視が雑誌の編集者をしていた頃、子母沢寛の「悪猿行状」と司馬遼太郎の「竜馬がゆく(だったと思います)」が編集部での人気を二分していて、子母沢寛にそのことを言った所、「司馬君の作品には表街道を突っ走るような颯爽とした感覚があるから、若い人が司馬君を好むのはよくわかるよ」と言ったというエピソードをどこかで読んだ記憶があります。私が若くなくなってから読んだ司馬遼太郎の作品には颯爽感よりは、背景にみえるスケールの大きさをより感じます。歴史というある種の事実を含んだ題材の中のドラマ性を発見あるいは発明し、それをより大きなコンテクストの中でとらえなおして描いてあること、そしてあの独特の説得力のある文体、分析すればそういうことなのでしょうが、一人の人間がこのように常に高いレベルの作品をかくも数多く世に出したというのは只々、驚嘆するばかりです。司馬遼太郎があるテーマにとりかかると、古本屋街にトラックで買い付けに来て、関連した古書を根こそぎ買っていくという話を聞いたことがあります。その大量の資料を驚異の速読で読み込み、その基礎の上に作品が書かれるので深みがあるのでしょう。
 司馬遼太郎が亡くなる数年前に文化勲章を貰ったときに、「褒美を貰ってうれしいが、明日からはまた一書生の気持ちに戻って、仕事に励みたい」というような事を言ったのを、当時、大学院の私は聞いて、深く感動し、「学問の道も同じく、常に一書生の気持ちで謙虚に研鑽しなければならない」と、酒に酔った拍子に、当時の教授にしゃべったのを覚えています。
  豊臣秀吉の天下は、まさに「難波のことは夢のまた夢」と自ら要約した通りでした。この本には秀吉の周囲の人間、つまり一代でゼロから興り、そして滅んだ豊臣家に近く係った人々の悲劇が描かれています。殆ど、すべて悲劇です。豊臣家の人々に出てくる人は、正室の寧々意外は、普通の感覚で見ると、秀吉本人も含めて、全員、悲劇的な生涯を送ったといって良いでしょう。最期の章では、家康の策略に全く抗する術をもたない、淀君と秀頼の大阪城での最後が描かれています。この母子はなぜにこのような惨めな死に方をせざるを得なかったのか、何が悪かったのかと考えずにはおれませんでした。秀吉が親バカで甘やかしすぎたせいだと言えば、その通りでしょうが、因果関係をたぐって人生の悲劇の原因を探そうとすること自体が、あるいは間違っているのかも知れません。
 ひょっとしたら、私たち一人一人は、世界という芝居の舞台に出演する役者で、与えられた役割を演じているだけで、私たちの自由意志の届く範囲は、人生芝居の脚本の制限の範囲内なのかも知れません。そうならば、秀吉の天下もその周囲の人の不運も全て彼ら自身が創り上げたというよりは、むしろ脚本に書かれた筋に沿って舞台が展開しただけのことであったのだと解釈できなくもありません。秀吉も淀君も秀頼も、その歴史の芝居の役を期待されたように演じたのだ、と私は捉えたいと思います。そう考えれば、彼らの一見虚しい人生にも十分、意味があったのだと思えます。
 若いときは、歴史から何か教訓的なものを読み取ろうとしていました。秀吉の成功に必然性はなくとも、その滅亡は必然的なものでした。それを見て、「どうやったら失敗するか」については確かに歴史から学べるように思います。しかし、その逆の、どうやったら「幸せな人生が送れるか」あるいは、単純に「成功の方法」については、歴史はほとんど何も教えてくれないように思うのです。失敗の仕方はそれこそ無数に簡単な方法があります。対して成功するのは難しい。同様に、不幸になるのは色々な方法で簡単にできるのですが、幸せのなり方は各々自分自身で努力して見つけなければなりません。豊臣家の人々の中に幸せな人がいたのだろうか、幸せの中で死んだ人がいたのだろうか、と考えました。幸せは気持ちの問題なので、外から見ただけで想像するより他ないのですが、例えば、秀吉の母でさえ「宮廷暮らしではなく、百姓暮らしをしたい」と言ったように、秀吉の強大なエゴと権力欲は周りの多くの人々を犠牲にしてきたように思います。そして秀吉の天下はあっという間にやってきて、あっという間に去っていった台風のような天下でした。秀吉とその周辺の人から見れば、無意味な天下でしたが、続く徳川幕府の成立と400年のとりあえずの平和がもたらされるためには必要な嵐であったのかも知れません。そういう観点から、淀君と秀頼の死には歴史的な意味があったと思ったのでした。
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復讐するは我にあり

2009-02-13 | Weblog
相撲部屋のしごきで力士が死亡した事件で、親方の刑事責任を問う裁判が始まりました。親方側は部屋の管理責任を認めましたが、「兄弟子に対する暴行指示を した」という検察側の主張は否定しました。この辺はグレーゾーンで、しごきのどこまでを、従来の相撲界の常識から考えて許される範囲とするか、どこまでを 暴行とするかは、解釈する人によって違うと思うので、弁護側としては当然かと思います。もちろん、事件当時の親方の心の中を推察すると、被害者の態度に腹 を立てていて、教育目的の名のもとに、その腹立ちを晴らそうという気持ちが多少なりともあったことは間違いないと思います。しかし、多分、親方はその感情 にそれほど意識的ではなかったであろうと思うのです。つい腹立ちまぎれにやりすぎた、そんな感じなのだろうと思います。それを検察側が「暴行指示」と解釈 するのはどうかなあ、と思います。
  そもそも、刑事裁判が何のためにあるのか、素人の私が想像するに、2点の目的があって、一つは他の国民に対する「見せしめ」、もう一つは遺族にかわって の「復讐」ではないかと思います。「見せしめ」のためには、罰は重いほど効果があるでしょう。「復讐」に関しては検察側は特に考慮していないと思います が、遺族にとってはこの部分はより重要かと思います。結局、当事者にとって刑事裁判というものはまさにそのためにあると思うのですが、「復讐」というと聞 こえが悪いので、かわりに「正義(justice)」という言葉を使うのです。
  死んでしまった者を生き返らせることはできませんから、実際にこの問題を解決することは不可能です。妥協策として遺族にどう補償をするかという問題へと 変換せざるを得ません。この交渉は民事で行われることになるのでしょうが、遺族の感情の問題というのは難しいですから、補償よりも、刑事裁判でできるだけ 重い罰を受けるのを見て、復讐心を満足させたいと考える人もあるでしょうし、今回のように、暴行への意図の程度を測りにくい場合には、「不幸な事故」と考 えて、刑事罰は最小限にしてもらって、民事での補償問題に集中してもらいたいと思う遺族もいると思います。  
 責任という点で言えば、以前にも述べました(参加者全員が最終結果に責任を) が、今回の事件では、私は親方が9割以上責任があると思います。部屋の管理責任を十分に果たせなかったと弁護側も認めている通り、親方も自分の責任は自覚 しています。ただ、そこに、親方自身でさえおそらくはっきりとは自覚していないであろう「暴行指示の意図」があったかどうかを争点にするのは検察側はやり すぎだろうと私は思います。しかし、裁判というものは、議論を通じてそれなりの妥協点を最終的に見つける作業であると考えれば、最初から、検察や弁護側が 「妥当な主張」をする必要はないのかもしれません。あるいは、刑事裁判というものは、単なる検察側と弁護側の綱引きで、検察側はちょっとでも罰を重く、弁 護側はちょっとでも罰を軽くしようという目的だけを目指して、機械的にやっているだけなのかも知れません。素人の私が見ても、ちょっと通らないだろうと思 う「暴行指示」があったかどうかで争うのは、時間の無駄のように思うのですが、裁判でごちゃごちゃ議論するのが、弁護士の仕事だから、彼らは時間の無駄と はもちろん考えないのでしょう。この辺は、レビューアやエディターとの駆け引きで、なんとか論文を通そうとする研究者も同じような時間の無駄をいっぱいし ていますから、私に批判できるような資格はありません。
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蜘蛛の糸を繋ぐ

2009-02-10 | Weblog
2/5号のNatureの表紙は、しわくちゃになったグラント応募用紙の表紙に、「Rejected」のスタンプが押された絵でした。嫌な気持ちになる表紙です。実はこの表紙の絵になっているグラントの書式は、数年前まで使われていたPHS398と呼ばれるNIHグラント応募用の書式で、オンライン応募への移行にともなって、現在ではSF424という違った書式に変更されています。去年までは、通常シングルスペースで25ページの研究計画にその他の情報を加えた全部で60 - 100ページほどのグラント応募書類を、アメリカの研究者はバカにならない時間をかけて準備していました。(今年からページ制限が変更になりました)アメリカの研究者であれば、合計3回(今年から2 回)のチャンスしかなく、3回あわせた採択率が3割ほどのグラントに、全てがかかっていることが多いのです。このNatureの号では、二人の中堅とベテランの女性研究者で、NIHグラントの更新ができなかった人の詳しい話が描かれています。自分のキャリアはもとより、多くの場合で、家族の生活もかかっているNIHグラントに依存する研究者は、基本給なしの歩合制のみで働くセールスマンのようなものです。いくらよい商品であっても、多くの場合、買い手の事情で売れる売れないが決まります。毎日食べるのが精一杯の家庭では、米は売れても車は売れないでしょう。また車を買い替えたいと思っていても、不況で収入が減っていれば我慢すると思います。しかし、そういう「消費者」のニーズや購買能力が変化したからといって、研究者は容易にその商品を変更するわけにはいきません。研究者は長年の専門のトレーニングを経て、その世界の専門家となっていくので、例えば、何十年かけて、ようやく内分泌専門家になったときに、もう社会に内分泌専門家のニーズがないから要らないと切り捨てられたりすると、その人の専門家としての道が断たれるだけでなく、将来、内分泌専門家が必要になった時に間に合いません。一般社会も研究政策を決める中央もそんな長期的視野に立った理解に欠けています。桃栗三年、柿八年、先々のことも考慮して現在の政策は決められなければなりません。このNatureの二人は、グラントの更新が困難になってきたときに、出産があったり、離婚があったり、という私生活でも困難に見舞われています。順風満帆の時期もあったようですが、悪いことはしばしば重なるのですね(出産や離婚そのものが悪いと言っているわけではありません、念のため)。とくに、二人目のベテラン研究者(コロンビア大教授)がラストチャンスの再応募で、スコアが135という高得点(100に近いほど良い)であったにもかかわらず、パーセンタイルが10.6で、ペイラインの10にわずかに届かなかった時のことを描写した場面では、人ごとながら涙がでてきました。必死で頑張って登って来たのに、天国まであと10センチのところで、蜘蛛の糸がきれてしまったカンダタのようです。今回、NIHとの交渉が成功しなければ、新しいグラントとして出すしかないのですが、大幅に内容を改訂し、新しい目標を設定して、書き直すというのは大変なことです。加えて、また一回目からやり直さなければならないので(しかも、一回目はたいてい通らない)、その間のおそらく少なくとも一年以上の活動資金をどうするのかという問題をまず解決しないとなりません。ペイラインが10パーセンタイルというのも史上最低の悪条件ですし、スコアが135なのに10パーセンタイルに届かないというのも余りに気の毒です。ペイラインががもうほんの少し甘ければ、彼女の今後の5年は全く違ったものになったであろうと思うと、本当に天国と地獄です。もしも、彼女がこの危機を生き延びることができなければ、おそらく、コロンビアでの大学教授の職を去らざるを得なくなり、研究者廃業の可能性が高くなります。
 私自身は、社会に出てから、順風満帆というものを経験したことがないのですが、とことん悪い事が重なることもありませんでした。しかし、そんな私もいつ切れるとも知れない蜘蛛の糸にぶら下がっているのは、他の研究者の人と同様です。このNatureの研究者の人は、もちろんあきらめず、生き残りを賭けて、頑張っておられます。私は正しい努力をして、これまで社会に貢献してきた人が、一時の外的条件の悪化によって、再起不能になるような社会(研究者が一旦、店じまいしてしまうと再起は極めて困難です)は、万人にとって悪いものだと思います。どんな形であっても、有能な人の正しい努力は報われるものと信じていますので、彼女らの奮闘が報いられることを願っています。
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神、自然、便所の穴

2009-02-06 | Weblog
今年は、ダーウィン生誕200年、「種の起原」の出版から150年の、ダーウィン年ということで、科学界ではダーウィンに因んだイベントが多々あるようです。ダーウィンの現在に残る偉大な業績の多くは、彼が、神経性と考えられる数々の病気に苦しみながら中で書かれたものらしいです。
 進化論の話になると、よく、「宗教と科学」の対立図式がすぐ持ち出されるのですが、私はこれらがなぜ対立せねばならないのか、いつも理解に苦しみます。 昨年亡くなったJohn Templetonは「宗教と科学の融合」とかいう目標を掲げて、Templeton foundationを創立したわけですが(宗教と科学)、「宗教と科学の融合」などと聞くと、私にとっては、洗濯もできる冷蔵庫とか、自転車としても使える飛行機とか、醤油味のケチャップとかのようなナンセンスさを感じます。
 生物種が、(神によって)独立して創造されたものなのか、あるいは共通の祖先から、変異や自然選択を経て枝分かれしてきたのかは、今でも論争が続いています。私は「種」という(恣意的な)概念への妙なこだわりが悪いのではないかと思います。そもそも「種」という概念は、本来「人間と猿とは似ているけど歴然と違う」という直感的理解に基づくものであったはずです。これは、「白人と黒人は違う」と思うのと同じことです。黒人と白人を(例えば)肌の色で区別するように、「種」を交配可能かどうかという単純な基準で定義することは、その直感的理解を正当化するための後付けの理屈にしか過ぎません。事実、最近の発見では、交配不可能な独立種であるとされていた二種のげっ歯類が、一遺伝子の違いだけで、交配可能となるという例も示されていますから、「種」の独立性など怪しいものです(Mihola et al)。
 「生物の多様性」を説明する理論として、ダーウィンを含む数多の人々の研究によって、進化論を支持する証拠は数多く示されて来てます。一方、種が独立して(創造主によって)創造されたという説を支持する科学的証拠はありません。しかし、これは「進化の証拠」に比べて、「種が独立して創造主によって創造された証拠」というのを見つけることが、極めて困難であるという理由が大きいことも原因であると思います。一方、進化の証拠も原則的には間接的なものです。ヒトやサルやマウスの遺伝子配列がよく似ていて、遺伝子産物も同様の働きをすることが多いことから、これらの種は、共通の祖先から枝分かれしたという仮説を考え、それを進化と名付け、「生物の多様性」の研究の方便として使うことは、結構なことであろうと思います。現に、私自身も、「進化的に保存された遺伝子」といういうような表現を躊躇無く使います。一方、「人間を含む地球の生物は共通の祖先から進化したのである」と断言し、「人間は神によって独立に創造されたのではない」とでも主張するなら、それは科学的ではないと言えます。進化論が方便であるということに意識的でなく、「進化」が事実であると信じる人は、聖書に書いてあることを文字通り真実であると信じる原理主義者と同様に、ちょっと困ります。
 神は自らに似せて人間を創ったそうです。そうすると、人間と神の格好が似ているからといって、人間と神は共通の祖先から変異や自然選択で枝分かれしたのだ、と言う様な人はいないでしょう。

ところで、Wikipediaのダーウィンの記事には、次のようなエピソードが書かれてあります。

決して生物に対する神学的な見解を否定したわけではなかったが、しかしもっとも愛した長女アン・エリザベス(アニー)が献身的な介護の甲斐無く死ぬと、元来信仰心が薄かったダーウィンは「死は神や罪とは関係なく、自然現象の一つである」と確信した。

そのようにダーウィンを確信させるために、神は彼から長女を取り上げたのかも知れません。また、もし本当にダーウィンが、「死は神と関係がない自然現象である」という確信を持ったのだとしたら、「なぜ生き物は死ぬのか」という問いに誰も答えられないこと、「自然現象」という言葉自体、その意味するところは不明であるということ、を意識的または無意識的に無視したということで、私はその理由を知りたいと思います。
 自然現象も自然選択もまた神の行いであると考えるのが、私には自然に思えます。(「神」というのも、いわばまた方便です。臨済も「仏は便所の穴である」と言って、このことを表しました)
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研究者に生きる価値はあるか

2009-02-03 | Weblog
週末の内田樹の研究室での「文学」談義。「文学」を「研究」に置換えて読むと、身につまされ、切ない気持ちになりました。それでも「文学」をメシのタネとして、それなりに快適にやっている人ならではの余裕があるからこそ、こう言えるのだろうなあ、うらやましいなあ、と思ったりします。きっと、今は余裕のご本人にも、昔は、「文学」を語ってメシを喰っていきたいと、志しながらも、明日も知れぬ学者稼業に、どっぷり鬱になってしまったことがあったに違いないと思います。カント哲学の中島義道さんは、学者としての駆け出しの頃は、どんな小さな仕事でも仕事が欲しかったが、今ふりかえれば、自分のやったことの半分以上はやらない方が良かった、みたいな話をしていたのを思い出します。
 今、なかなか進まぬ基礎研究を続けている私にとっては、内田樹の研究室での文学談義、「文学」を「研究」に置換えてみれば、ほとんど、そのまま当てはまります。読むたび、ぐさり、ぐさりと胸に突き刺さるような気がして、いい加減に、足洗うかなーという気持ちにさせてくれます。以下、一部、抜粋。

今の日本で「文学部」の看板を掲げているということは、「私に生きる価値はあるか?」という問いをおでこに貼り付けて生きているようなものである。
こういう問いを引き受けて生きる「狂」の人が社会には一定数(一定数で十分だが)必要である。
ほとんどの大学から文学部が消えて、いくつかの文学部が残る。そこで人々は「私たちには生き残っただけの理由があるのだろうか?」という重い問いを抱えて生きている。
そういうのが「好き」という人たちだけが文学部に集まってくる。
心温まる光景である。

これが心温まる光景であるとは、極論すれば、自分の生きる価値に疑問を抱かずにおれない人々が、お互いの顔を見ながら、「どんな人間にも生きる権利がある」と開き直り、ある種のポジティブな自己肯定を確認しあっているからでしょうね。いくら、自分の生きる価値に懐疑的になっても、人間、鬱になってはいけません。
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