百醜千拙草

何とかやっています

No Nukes! (4)

2011-03-29 | Weblog
地震から3週間たって、海外では、この地震のニュースはだんだん扱いが小さくなり、エリザベステーラーが死んだとかリビアの攻撃状況とか、英国王子の結婚式のケーキとかがトップニュースになってきています。リビアの攻撃も確かに深刻な問題でしょうが、人道的見地からの介入とか言いながらも産油国で反米のリビアのオイルに手を出したい英仏の思惑が臭ってきて、嫌になります。しかし、思うに、福島第一原発の問題は、外国から見ても、既に遠い日本という国で起きた大惨事で、自分たちには関係ない、という気分でいることができないほど深刻になっていると思います。

福島第一原発の状況、毎日のようにゾッとするような情報が小出しにされています。経緯を踏まえてこの報道状況を見ると、かなり危機的状況にあるのは間違いないようです。4基の反応炉すべてが冷却系がストップしてダメージを受けたということは、広瀬隆さんが言われているように、一基でもコントロールできなくなれば、作業危険が大きすぎて、他も手がつけられなくなり、「お手上げ」となるということを意味しています。(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5735)

2号基から通常の1000万倍(その後、10万倍に訂正)の放射線が検出されたとニュースを受けて、アメリカの核科学者、Michio Kaku氏も同様の見解を示し、作業がますます困難になってきており、状況は悪化しつつあって最悪の場合はチェルノブイリを越える規模の災害になるだろうと述べています。

核燃料格納器はどう考えても破損しており、かなりの放射性物質が大気、周辺の土壌、海へと拡散している様子です。とくに3号機で使っていたらしいプルトニウムを含む燃料がどうなっているのか心配です。東電、政府、マスコミは一切、プルトニウムのプの字も口にしません。この半減期が二万年以上もある危険な放射性物質が周囲に拡散したという情報が流れたら、パニックになると考えているのではないでしょうか。東電はプルトニウムを測定する器具がないので外部に委託しているとかいう言い訳をしたそうですが、この辺の反応をみても、政府も東電もプルトニウムが周囲に実は拡散していることを知っていて隠しているのではないか、と勘ぐらせるに十分です。永遠に残る放射線汚染を考えただけで気が重くなりますが、今の状況はチャイナならぬアメリカシンドロームに向けて着実に進行しているように見えます。下手をすると長崎原爆の数百倍の規模の中性子爆弾となって辺り一面を吹き飛ばすことになるかも知れません。

今朝のニュースでは、ついにアメリカ東海岸にも福島原発のものと思われる放射性物質が検出されたとのことです。そんな中で世界の日本政府や電力会社の危機管理の杜撰さ、事故への対処のまずさに加えて、情報隠蔽に対する不信感が強まって来ているようです。コメントに戴いたように、日本でも国民の空きカン政権に対する失望感と不信感は多大なものがあり、阪神大震災時に新進党を率いた経験があり、議員の信頼があって、ゼネコンにも顔が利く(?)、小沢氏に指揮を取ってもらいたい、という声を多く聞くようになりました。既に日本だけの問題ではない原発事故に対処する政府の拙劣な対応は、今後の復興、外交にすでに大きなマイナス点をあたえています。空きカンは情緒不安定になって、突然、泣き出したり怒鳴り散らしたり引きこもりになったりしているという話も聞きます。この未曾有の国難にあって、日本という国全体の舵取りをする立場の人間がメルトダウンしているという話ほど、情けなくも気が滅入る話はありません。自ら有能者に助けを求めることができないなら、誰かが引導を渡してやらねばならないと思います。

それにしても、人間はバカでした。人類の英知などというものはただの猿知恵に過ぎませんでした。後悔先に立たずと言いますが、もうどうしようもありません。何とか事態の収拾を祈るのみです。
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No Nukes! (3)

2011-03-25 | Weblog
地震の後、ずっと事態の進展が気になって、なかなか本業に集中できません。やっぱり、研究というのは、平和な時代でなければできないことだなあと思います。地震の後の一週間は、やらねばならないことは機械的にこなしてきましたが、頭はウワの空で、論文のただの一本も読みませんでした。久しぶりに行き来の電車の中で、研究関連のものを読み始めました。ほっとします。平和の有り難さをしみじみと感じると共に、被害にあわれた人々の苦しみや悲しみを想像すると、本当に心が痛みます。

降雨のせいだろうと思いますが、東京の水道にも放射性物質が検出され、この原発事故の広がりと今後が懸念されます。政府マスコミは相変わらず「安全だ、心配ない」と言っていますが、「危険だ」とはもちろん言えないわけですから、その辺りは、国民自らが情報を集めて判断する必要があります。日本人は隣人の行動を基準にして自分の行動を決める傾向がありますが、隣りの人が呑気にしているから自分も大丈夫だろうという判断ほど危険なものはありません。赤信号でもみんなで渡っているから恐くないと思っていると、根こそぎやられます。

「原発は安全だ」というキャンペーンを数十年にわたって続けて来た一方で、度重なる、放射線事故を起こしては、隠蔽してきた政府と発電当局です。彼らの言うことがどれぐらい信頼性があるかは推して知るべしでしょう。少なくとも、外国のメディアで、日本政府ほどの脳天気な見方をしているところはないと思います。ドイツでは原発を全て即時停止を決めましたし、スイスでは国民の9割近くが原発反対という調査、アメリカでは原子炉の安全性問題に取り組んで来たマサチューセッツの議員のEd Markeyはオバマ政権に対して地震の危険性のある場所での原子炉建設中止を促しました。

原子力技術には、私、絶対反対です。とくに「もんじゅ」を始めとしてプルトニウムを使う技術は、直ちに永久的にシャットダウンすべきです。プルサーマルなど、もってのほかです。大事故が起きて日本が永久にただれた焼け野原になるのを待っているようなものです。

さらに、現在、すでに、処理に困っている大量の放射性廃棄物、その一部が作り出す放射能だけで、日本中の人間全員を殺すのに十分な量の危険物をどうするつもりなのか、この日本には、誰も責任を持つ人間がいません。それらが人類全体を脅かす大問題になる頃には、自分たちはとっくの昔にあの世に行っているので、知ったことか、と思っているのでしょうか。死ぬ時はみんないっしょだから恐くないと思っているのでしょうか。

昨日の「内田樹の研究室」に次のようにありました。
「貧しい環境」において、日本人は知性的で、合理的になる。「豊かな環境」において、感情的で、幼児的になる」
その通りだと思います。そして今、現在の状況を多くの人が戦中、戦後に喩えているように、大本営発表を繰り返し国民を欺いていた政府、未曾有の災害によってあらわになったこの国の政府の無能を見て、私もこの災害が太平洋戦争での核爆弾とだぶって見えます。内田さんは、歴史の演繹によって、「私はこれは近代史で三度目の、「日本人が賢くふるまうようになる機会」ではないかと思っている。、、、だから、日本人はこれで「眼を覚ます」だろうと私は思っている。私たちにとってもっともたいせつなものが何かを思い出すだろう。思い出さねばならない」と述べています。

私もそうであって欲しいと思います。しかし、私はそう楽観的になれません。原子力政策を含む日本の政策は、日本人の問題では既にないからです。これらの災害は、人間の意志を越えたオートノミーを得て怪物化してしまった世界規模の資本主義経済がもたらした末期がんの部分症状として必然的に現れたに過ぎないと私は思っています。このような原子力事故が起こることは十分、想定できたことでした。もう50年も前から世界中で原子力反対の運動が繰り返されて来て、事実、過去にも大勢の犠牲者を出した事故が何度もあったのにもかかわらず、原子力発電はどんどんと推進されてきました。毎年、原爆の恐ろしさを語り継いで来たはずの被爆国の日本に、なぜ不要な原発が林立しているのか、海水を暖め、海中からのCO2放出させて地球温暖化を促進し、かつ、長期にわたって極めて有害な廃棄物を量産し、地域住民に癌をおこし、海の生物に奇形をおこしてきた「破滅」という二文字が明らかに点灯している原子力発電が地震国の日本で推進されてきたのはなぜなのか、思うに、それは世界規模の資本主義に基づくAutonomous Greedとでも言うべきものが、あたかも坂を転がるボールのように加速度をつけて「わかっちゃいるけど、やめられない」レベルにまで達してしまったからではないでしょうか。ここで、日本人が賢くなっても、地球の他の国の全員が賢くなっても、この破滅へと向かって転がるGreedを止めるのは容易い事ではない、と私は悲観的に思うのです。
三度目の正直で、この原発事故が契機になって、原発廃止へと転換して欲しいと私は心から望んでいます。
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No Nukes! (2)

2011-03-22 | Weblog
収束が見えない原発事故、マスコミは今日は何トンの水を放水した、放射線レベルが微妙に下がった、そういう表面的な話ばかりをしています。この手の報道を聞くと、昭和天皇崩御の時を思い出します。
 昭和天皇が危篤に陥った時、マスコミは天皇のバイタルサインを毎日報道しました。今日の体温は何度、脈拍、血圧はいくら。熱が下がった、脈が落ち着いた、血圧が下がった、そんな調子で、天皇がすい臓がんの末期でどんなにもっても数ヶ月で亡くなるという本質について語られることはありませんでした。それは、多分、昭和天皇がまもなく亡くなるということは誰もが何となくわかっていて、そしてそれに対してはどうすることもできず、議論するような対象でもないので、要するに、体温と脈拍ぐらいしか伝えるものがない、そういうことだったのでしょう。

しかし、今回の放射線事故は、焼け石に水を多少かけて温度が微妙に下がった、下がらなかった、と近視思考している場合ではないと思います。正しい情報に基づいて、最善から最悪の想定外の事態までを想定しシミュレートし、それを適切に国民に知らしめ、彼らが自分自身で状況を判断して、彼ら自身の責任において最適の行動を選択できるようにするのは政府、東電の責任であるはずです。しかし、彼らがその義務を誠実に遂行しているとは思えません。
 事実、数日前のニュースによると、アメリカは日本が出してくる情報が信用できないと不信を募らせ、独自の調査チームを派遣する一方で、ルース大使を通じて空きカンに圧力をかけ、小沢氏、鳩山氏、マエハラ氏と会談させたとのこと。小沢氏、鳩山氏にマエハラ氏という取り合わせが妙だな、と思っていたら、アメリカに脅かされての会談だったというウワサで、謎が解けました。つまり、マエハラ氏はずっとこの政権でのアメリカの使いパシリをやっていたのに、献金スキャンダルを仕掛けられて辞任してしまったため、アメリカが日本政府の(本音の)情報を手に入れることが出来なくなったということのようです。そして、宿敵の小沢氏、鳩山氏を空きカン会談させたということは、アメリカは空きカンが全く使い物にならないことを腹に据えかねたということであり、この急場はたとえ敵であっても能力のある人間を使う方が益が多いと計算したということなのかも知れません。

報道される情報については、「今日は80トンの水を放水した」というのと、「今日は80本の竹槍をB29に向かって投げつけた」というのとどう違うのかを説明しないといけません。水を放水して冷却するというような手段しか取れないということは、放射線の制御が極めて困難であるということを意味しています。政府や当事者、専門家に期待されていることは、このような方法が奏功した場合、しなかった場合、そして効果をどう評価し、どういう場合にどういう危険が考えられるのか、どういう状態になれば住民は東日本から避難すべきなのか、判断を下すことができるようなレベルの情報を供給することです。アメリカは、空きカンのいつもの「全力で努力したい」とか「しっかり協議してしっかりやっていきたい」とか、「石に齧りついてもやめない」とか全く何の意味もないお役所答弁を聞かされたのでしょう、それでヒラリー国務長官が激怒したという話です。

それにしても、空きカンのドアホぶりにはハラワタが煮えくり返りそうです。悪徳弁護士を副官房長官に据えたのも噴飯ものでしたが、今回、わざわざ閣僚ポストを増やしてまで、野党から入閣させようとしたという話を聞いて、コイツは、どこまで根性が腐っているのか、と思いました。ドサクサにまぎれて、平常時では絶対不可能な大連立を姑息に成立させ、かつ責任を野党にも押し付けて、オノレの身を守りたいという浅ましい考えが丸見えです。恥も外聞もないというのはこのことでしょう。


私が過去に書いたものを見てみると、五、六回は原子力反対のエントリーを書いていました。「直せないものを壊さないで」かつてセヴァン スズキさんは環境破壊にプロテストして言いました。原子力発電で生み出される大量の放射性物質を人間は無害にする術を持ちません。原子力を使い続けるということは、人間が自分自身では処理する事の出来ない危険をどんどん増やして、そのツケを複利で将来に先送りしているということです。このまま原子力を使い続けると、いずれ将来のわれわれの子孫がわれわれの利己的な行いによって滅亡することになるでしょう。腹立たしいことに、原発を推進しようとしている連中は、将来の危険よりも、現在の自分の利益のことのほうが百倍も大事だと考えているのです。 

原子炉時限爆弾   広瀬 隆 (著) ダイヤモンド社

調べてみると、原爆の恐ろしさを知っているはずに日本に、電力供給の観点からは必ずしも必要のない原子力発電所が50以上も立っている理由は、CIAの手先であった読売の正力松太郎の権力欲に帰するようです。原子力発電技術を日本に売りたかったアメリカと権力の道具に使いたかった正力の利害が一致し、正力は原子力委員会初代委員長に就任し、(極端な話)アメリカの利益のために日本に原子力発電所を林立させることになったワケです(原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史 (新潮新書) [有馬哲夫著]。日本の原発は最初から国民のためでも日本のためでもなく、アメリカと正力個人の利益のためのものでした。そして、日本の原発はどんどんと利権者を生み、「悪の巣窟」と化して行きます。例えば、原発利権とヤクザと原発奴隷についての話が、下のブログにあります。

極道マンガにみる『原発利権』の真相 ~”原発奴隷”の実態~
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/3a7cf0d2de811ed226036447e5b390e6


ついでに、20年前、東芝EMIから発売中止になったRC サクセッションのカバーズというアルバムの中の「サマータイムブルース」がYouTubeで現在、大ヒットしているようです。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=aJdMa1VI0do#at=266

寒い冬がそこまできてる
あんたもこのごろ抜け毛が多い
それでもTVは言っている
「日本の原発は安全です」
さっぱりわかんねえ、根拠がねえ。


Wikipediaから: 本来は、所属レコード会社の東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)から1988年8月6日(広島平和記念日)に発売される予定だった。しかし、「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」で反核・反原発が歌われており、特に後者は露骨な原発批判のため、自身が日本の原子炉サプライヤーでもある親会社の東芝からの圧力がかかったと言われており[要出典]、先行シングル「ラヴ・ミー・テンダー」(6月25日発売予定)ともども、「素晴らしすぎて発売できません」という新聞広告(1988年6月22日付全国紙)と共に発売中止となる。


最後に、自分が正しいことをしているから国が自分の身の安全に責任を持ってくれる筈だと考えている日本人も多いかも知れませんが、そういうのは思い込みにしか過ぎません。国民は真実を知り、自らの身は自分自身で守るしかないことを自覚する必要があります。この国の政府とマスコミは、己の保身のためには、真実を隠蔽し、責任を投出し、一般国民を犠牲にすることを何とも思っておりません。
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無責任隠蔽体質

2011-03-18 | Weblog
地震、津波での多大な被害に加え、未曾有の放射能汚染危機で、心配しながら動向を見ておりますが、政府、電力会社の認識と諸外国での放射線事故の程度の認識の程度の差に唖然とするばかりです。アメリカは原発から50マイル(80キロメートル)以内を避難対象とするべきだという公式見解を発表し、フランスは事故の程度はスケール7の内の6であり極めて深刻だ、という専門家の意見を発表しているのに、一方、日本政府はおそらく50マイル半径の住民の避難が困難と考えているのか、30キロの住人でさえ屋内待機させている状況です。メルトダウンがこのまま進んで中性子爆弾となれば、周辺何十キロと吹き飛ぶわけで、今の政府の対応では、「想定内」の「想定外」が起こった時の被害は測り知れません。原発は作業員も被ばくが多すぎて長時間作業することもできず、作業員の数も限られていることから、事実上、お手上げ状態。冷却は年単位で必要なわけですから、非効率なヘリによる散水でコントロールはできないでしょう。

この未曾有の惨事が未曾有の無能内閣で起きたという悲劇、今日のニュースだと、悪徳弁護士を副官房長官にしたそうで、この空きカンは死んでも治らんな、と思いました。ついこの間、尖閣諸島問題で責任を那覇地検になすり付け、問題発言を繰り返して、更迭され、政治ゲームで策略を弄することしか能のないことが露呈したばかりではないか、この国難に際して、空きカンとか悪徳弁護士とか枝豆とかの無能を絵に描いたような人間が集まれば集まる程、迷走してますます国民に迷惑を及ぼすことが、分からないのか、と心の底から怒りがふるえ出ました。

それにしても、日本(の少なくとも一部)がこの様に放射能にまみれて廃土になる日がこんなに突然くるとは思いませんでした。日本だけの問題ではなく、世界中に核反応炉はあるわけですので、世界中どこに行っても安全な場所などないのですが。国の安全よりもわが身の金銭的利益を優先してきた原子力行政と発電事業が起こした人災です。

事故から5日も経ってからようやく韓国にホウ酸の支援を要請したとか、13日時点での情報では、既に米海軍はホウ酸注入を提案して援協力を申し出たのに、東電はホウ酸を入れると永久廃炉になるとかいう理由で断ったという話です。振り返って言うのもナンですけど、これが本当なら劣悪な判断ミス、おそらく隠蔽体質によるものでしょうが、悔やんでも悔やみきれません。

この国は政府を見ても分かるように、自分に都合の悪い事は手遅れになるまで隠しておく隠蔽体質であり、かつ責任を負うべき地位にある人間が誰も責任を引き受けず、切羽詰まったら「想定外」という言葉で言い逃れようとする無責任国家です。早い話が利己主義小人の集まりが国を運営してきた悲しい国です。
今回の地震、原発事故を見ても、政府は前回の阪神大震災から何も学ばず、電力会社はチェルノブイリやスリーマイル島から何も学ばなかったのが明らかです。何も学ばなかったというよりも、学んで教訓を生かそうという気持ちさえなかったと言えるでしょう。とりあえず自分だけ良ければよい、そういう小人が官僚や政治家や天下り原発事業のトップをやっているのですから。
こうして人間はわが身を自ら滅ぼすのかと情けなくなりました。

お手上げとなってしまった今、政府や電力会社の危機管理の甘さを責めたところで仕方がありませんが、最悪、日本国全体が放射能で覆われるというシナリオは避けなければなりません。
 現場で文字通り身の危険を省みず、必死に働いている人々には本当に頭が下がります。事態の収束が明らかでない今、本当のチェルノブイリを考えないといけないでしょう。原子炉周辺数十キロは多分、何十年に渡って立ち入り禁止となることになると思います。地域の被害を受けた方の心中は察するに余りあります。沖縄で駐日米軍の被害を受けてきた人々も同じ思いでしょう。どうして中央のために地方がここまで犠牲にならねばならない理不尽に私も憤りを覚えます。


一方、耐震偽装で地震に対する安全性が全く足りないのに建てられたらしい、静岡の浜岡原発の操業停止を訴える署名活動が活発化しています。

http://www.geocities.jp/plumfield995/

原子力発電所の耐震偽装を告発したのに、全く黙殺された元技術者の人の証言。
http://www.mynewsjapan.com/reports/249#estimate
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危険な原発、地震マシン?

2011-03-15 | Weblog
福島の原発、地震で放射線漏れ、しかも冷却機能の損傷でメルトダウンが起きているのこと。すでに被爆者も確認され、悪くすればチェルノブイリやスリーマイル島並みの被害が懸念されているようです。地震の直接的な被害を受けた上に、このような二次災害をも被ることになった地域の方の心中は如何ほどかと心が痛みます。

原発に関する一番の問題は十分な情報が正確に報道されているかということではないでしょうか。官房長官や首相らが政府の見解を発表していますが、彼らも官僚が伝える二次、三次情報をしゃべっているだけで、実情は知らないのです。専門家と現場の人間に直接しゃべらせなければなりません。そもそも、従来から原発を推進したい政府の放射線事故に関する情報はかなり抑制されていると考えて良いでしょうから、実際は既にかなりの放射線汚染を起こしているような感じです。これまでも原発での地震や人為的ミスなどで放射線漏れは何度も起こってきました。表に出たものだけでもかなりの数ですから、多くの漏れてるけど隠してるケースを考えたら、相当量の放射線汚染が日本各地で起こっていると考えられます。これは都会の人の電気消費をまかなうための発電ですから、都会の人の利便のために地方の人が犠牲を被る、しかも恒久的になりかねない環境汚染です。

この地震王国の日本に50を越える原子力発電所が林立し、日本以外の国では危険すぎて実用を止めた高速増殖炉の「もんじゅ」のような事故を起こすためにあるような原発がいまだに日本に存在しているのは、原子力関連機構への天下りという官僚利権に加え、将来の核武装化を考えてのことではないかと私は思っています。「もんじゅ」と「原子力関連機構」でgoogleしてみると、関連16社に59人が天下りという去年のニュースがトップ近くに表示されます。天下って税金をつまみ食いするために、実用化の見込みもない危険極まりないもんじゅを操業しているのにも噴飯ものですが、もう一つ、思うに、多分その隠されたミッションは核兵器用のプルトニウムの産出することではないでしょうか。
 
ところで、地震は自然災害だと私は思ってきましたが、最近になって、自然気象を操作する兵器が存在するらしいということを知りました。 前世紀のはじめごろに、著明な物理学者の二コラ テスラが共振を利用した「地震マシン」を発明し特許をとったという辺が始まりのようです。そういえば、オウム真理教の「ああいえば上裕」さんが、テロの手段として「地震マシン」の話をしていましたね。その時は、私は、「地震マシン」と聞いて、そんなものがあるものか、上裕さんは修行のし過ぎで頭がやられてしまったに違いない、「掻痒を伴う一過性の皮膚の浮腫」と間違えたのではないか、とバカにしていたのですけど、実は、オウムは本気でテスラの残した「地震マシン」の資料を探してユーゴスラビアまで行ったと後で知りました。
 その「地震マシン」、テスラの死後、アメリカとロシアの軍で実用化の研究が継続されてきたのだそうです。現在、HAARP(高周波活性オーロラ調査プログラム)と呼ばれる「兵器?」があるそうで、これは、いわば巨大な電子レンジのようなものらしく、共振を利用した波動でエネルギを倍増させ、地震を含む色々な気象異常を誘導することができるという話です。早速、複数のサイトで今回の地震がHAARPでやられたのではないかと推測されています。(例えば、
http://www.atlanteanconspiracy.com/2011/03/japan-tsunami-caused-by-haarp.html)

気象兵器というものを私は理解できているわけではないので陰謀論は止めますが、リンクにある最後のビデオで、しばらく前のフルフォード氏の竹中平蔵にインタビューで、なぜアメリカ隷属の売国政策を行うのか、と訊いたら、竹中氏、「そうしないと、アメリカが地震マシンで日本を攻撃するからだ」と答えたと言っていますね。以前、ハマコーもTVの生放送で「アメリカの言うことをきかないと3つめの原爆を落とされる」と叫んだ事件もありました。アメリカとロシアの地震マシンは本当に実在するのかも知れません。
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ZFN臨床応用、盗作辞任、メア騒動

2011-03-11 | Weblog
3/3/11号のNatureフロントページから。
AIDSに対する新しい遺伝子治療法が臨床私見に入ったととの話。これがうまくいけば美しい科学の勝利なのですけど。二つのブレークスルーがこの治療法の基礎になっています。一つはCCR5という遺伝子の変異があるとHIVウイルスが感染できないという発見。CD4(+)T細胞にHIVが感染するのにこの遺伝子産物が必要なのだそうです。もう一つは、最近注目を浴びている遺伝子操作法、ZFN (Zinc Finger Nuclease Technology)という技術の開発です。この技術は遺伝子配列特異的にDNAに結合するzinc finger domainを持つDNA結合蛋白をデザインし、それにDNA切断酵素(Fok I)をくっつけたものです。いわば制限酵素反応を生体内でやってしまおうという発想です。これを目的細胞で強制発現させて、塩基配列特異的にDNA二重鎖切断をおこさせ、その修復過程で変異を意図的に導入するというやり方です。この方法を使って、ラットのノックアウトなどが作られています。生きた細胞内でこの反応が特異的に効率よく起こるならば、ES細胞の培養が困難なラットや他の動物でも、直接受精卵の中でノックアウトできるわけで、これまでマウスの専売特許だったノックアウト技術が広がります。ただ、かなり長い配列を特異的に認識するようなキメラ酵素をデザインする必要があるのでこの部分がそう簡単ではないこと、またマウスのES細胞でやるような凝った変異は入れる事はできません。

AIDSでのこの発見と技術の応用は、AIDS患者からCD4(+)T細胞をまず単離し、CCR5を特異的に認識するZFNを発現させてCCR5を潰したT細胞を再び患者さんへと返すというやり方です。現在6人の患者さんがこの治療を受け、免疫細胞数の増加が5人で認められているという話で、期待を煽られます。まだ、数も少なく、T細胞増加が本当にCCR5変異を誘導したせいかどうかもはっきりしていないし、副作用(非特異的変異の導入など)も明らかでないので、ちょっと先は長そうです。レトロウイルスを使った遺伝子治療で白血病が頻発するということも報告されていますし、まだまだ多くのハードルを越えなければなりませんが、もしこれがうまくいった場合は、科学研究成果に基づいて理詰めで病気に勝つという美しい話になると思います。

ゴシップ欄では、ちょっと下世話な話で、ドイツの防衛省大臣、Karl-Theodor zu Guttenberg氏の辞任について。辞任理由は違法献金ではありません。大学院時代に学位論文で盗作をしたのがバレたからという情けない理由。ドイツの首相、Merkel氏は大学院時代の不正行為はGuttenbergの政治家としての価値を減ずるものではない、と弁護したが、バッシングを受けて辞任に至ったとのこと。ドイツの大学人や院生はMerkel氏の弁護は学問における盗作の問題を軽んじるものだとして非難。そりゃそうでしょう。学問で盗作とか捏造とかはfelonyですからね。学問界ではいわば重罪人だが政界では関係ない、という理屈がすでに、国民に奉仕する公僕としての意識に欠けるというものでしょう。論文で盗作するということは、自分の利益のために人の物を盗むということです。そういう人が大臣として権力を持つということに危機感を持たない方がおかしいでしょう。利己的でズルい人間が権力を持ったら、国民にツケが回ってきます。そういう危険をあえて冒したいと普通の人は思わないでしょう。無論、盗人にも5分の理もあり人権もあるので、日本の朝日新聞のように無罪主張をしている人間に向かって議員をやめろとか開いた口が塞がらないとかいうような無茶苦茶な言いがかりをつけて魔女裁判をやるのは許されません。しかし、盗作を確認した大学から証拠を突きつけられたのだから、本人自らが「出処進退」を明らかにして、国民の判断を仰ぐのがスジというものでしょう。Merkel首相はそういうべきでした。

アメリカ国務省のメア日本部長の「沖縄はゆすりの名人」発言が表面に出て、非難を受け、結局、更迭となったという事件に関して。私は、こんなことがここまで日本で大騒ぎになると私は思っていませんでした。
 日本以外の国で、国際政治を多少知っている人なら、おおむね日本はアメリカの属国だと考えていると思います。だから、あれほどの経済的貢献をしながら、いつまで経っても日本は国連の常任理事になれないのです。他の国々は、日本はアメリカの属国でアメリカの言いなりだ、日本に票を与えることはアメリカに二票やるのと同じことだと考えているわけです。特に、満州侵攻されて国を蹂躙された中国の、アメリカとの戦争に負けてその属国となった日本に対する目は厳しいと思います。少なくとも中国は日本をまともな独立国であるとは看做しておらず、正直なところ日本をバカにしていると思います。しかし、その理由は日本の戦後の政治体制にあり、いわば身から出た錆であり、これでは中国でなくてもバカにするわな、と私は思います。そして現政権に対しても、例えば尖閣諸島問題での対応を見て中国政府は日本の政治の実力(のなさ)を改めて確認したことでしょう。
 それで、このメア部長の話がなぜ日本でここまで大騒ぎになるのかですけど、日本人の国民性とそれを利用した言論統制のせいだろうと私は思います。それについてはまた後日、機会があれ書きたいと思います。

いずれにしても、こういう発言が表に出て大騒ぎになるのは良い事です。新聞や学校教育を使って国民に信じ込ませて来た日本官僚と55年体制政治のついてきたウソが表にでてくる分けですから。それを恐れる官僚、そしてアメリカがこの正直な国務省日本部長を更迭したのは当然のことです。シッポ切りですね。
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使いパシリ

2011-03-08 | Weblog
マエハラ氏、外相辞任ですか。とにかくこの人が空きカンの次に首相になるという筋が消えそうで良かったです。この人はトップに立つ政治家としては危うすぎます。

外国人からの少額の献金ばかりが強調されていますが、多くの人が指摘しているように、一番の問題は510組系の893企業からの献金を偽装したということでしょう。この問題をマスコミはあたかも単純ミスのように報道して終わりにしているわけですが、そんなワケはないだろう、というのが普通の人の感覚でしょう。地上げ屋さんのブログによると、京都のこの人の後援会長は、マエハラ氏と893関係のつきあいに嫌気がさして止めたというウワサだそうです(http://latache1992.blog56.fc2.com/blog-entry-403.html)。
私はマエハラ氏は空きカンの飼い主から一緒に捨てられたのだと読んだのですが、この事件を矮小化しようとする意図が感じられるマスコミ報道をみると、このマエハラ氏のスキャンダルを仕組んだのは別にいるのか、カン降ろしを危惧した空きカンか悪徳弁護士という内部犯行かと思ったりします。ならば、まるで連合赤軍か中核革マル、意地と欲での子供のケンカという下らないレベルで、悲しすぎます。

週末、柳田先生のブログの中で沖縄タイムスの記事が引用されていました。これについて一言。

米国務省のメア日本部長(前駐沖縄総領事)が昨年末、米大学生らに国務省内で行った講義で、日本人は合意重視の和の文化を「ゆすりの手段に使う」「沖縄はごまかしの名人で怠惰」などと発言していた。

つまり、グダグダ言っていつまでも日米合意を履行しない、と怒っているわけですが、これが、アメリカが宗主国で日本は属国だという、アメリカ人の常識の表れだと私は感じるわけです。表面上は、この人のいう通りです。「十年以上も前に国と国同士が同意したのに、一歩も前進しない、日本人は不誠実で怠慢だ」というワケです。しかし、日米合意というのは日、アメリカの意志とその傀儡である日本の官僚組織とによって日本人や沖縄人の民意を無視して決定されたものだという部分が無視されています。

日本がグダグダと約束を守らないというアメリカ側の意見に関して、しばらく前の田中良昭さんの、キッシンジャー的に政治を読み解く(http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2011/02/post_248.html#more)という記事を思い出しました。一部転載します。

ところで冒頭「キッシンジャーは日本を馬鹿にしている」と書いたが、キッシンジャーに「日本人は分かり切ったことを受け入れず、ああでもないこうでもないと大騒ぎして、何を決めるにも15年はかかる」という発言があるからだ。キッシンジャーが指しているのは日本の幕末維新と戦後の15年である。
 「ペリー来航で開国も徳川体制の転換も分かり切った話である。それをすぐに出来ない日本は勤王か佐幕かで15年間もチャンバラを続けた。また戦後はアメリカに占領支配されたのだから、日米安保体制を受け入れるのは自明である。それを賛成だ反対だと騒いで落ち着くまで15年もかかった」とキッシンジャーは発言した。


アメリカは戦争で日本に勝ったのだから日本は属国であり、アメリカの要求を拒否することはできないという現実があるのにグダグダいうな、時間のムダではないか、という意識が向こうにはあるのですね。

そういうアメリカの意識に対して、戦後何十年もアメリカに貢いで来たのだからもういいだろう、そろそろより対等で有益な外交関係を作りたいと考えて来たのが角栄や小沢氏や鳩山氏であり、逆に対米従属路線を強化したのが小泉でありマエハラ氏だということでしょう。

日本がこれからも沈没しつつあるアメリカの使いパシリでいるのが国益だとは、私はとても思えません。
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信じることと疑うこと

2011-03-04 | Weblog
Templeton Foundationについては過去にもとりあげたのですけど、最近またNatureのゴシップ欄(http://www.nature.com/news/2011/110216/full/470323a.html?WT.ec_id=NATURE-20110217)に登場していたので。テンプルトン財団は株で大もうけしたJohn Templetonが「宗教と科学の融合」をめざして設立した財団で、研究グラントをだしています。私は。以前に宗教と科学は同じ平面状にないので、「融合する」というアイデアそのものがナンセンスだみたいな意見を書いた覚えがあるのですけど、このゴシップ欄でちょっと面白い表現を見つけました。因みに、私は「神様みたいなもの」を信じていますし、NIHディレクターのフランシスコリンズも敬虔なキリスト教徒ですが、宗教と科学の乖離のために分裂病になるというようなことはありません。同様にイスラム教の熱心な実践者である研究者もかつて友人におりました。ラマダンの間は彼らはフラフラになりながら実験していました。宗教と科学や科学研究は対立するようなものではないと私は思っております。単に次元の違うものだとは思います。昔読んだ池田清彦さんの本によると、宗教と科学は同じ構造をしているのだそうです。つまり、モノとモノとの関係を記述するのが科学で、神と人間との関係を記述するのが宗教だ、というような話だったと思います。「宗教と科学が対立する」という概念そのものに私は問題があると思います。

さて、このテンプルトン財団の研究グラントに関してのコメントですが、宗教と科学の違いについて、例えば、シカゴ大学のJerry Coyneはつぎのようなことを言っています。

「宗教」は教義と信仰に基づくが、「科学」は懐疑と疑問を抱くことに基づく。「信じること」は、宗教においては美徳であるが、科学においては悪徳である。


必ずしもそうとも言えませんが、なかなか言い得て妙です。実のところは、信じる何かがなくては科学も成り立ちません。しかし、現実的な面から言うと、とりあえず目の前の常識的な解釈を疑ってみる「方法的懐疑」という手段をとって、物事を理解していこうとする活動が科学研究であると言ってもよいと思います。例えば、論文のレビューにおいては、レビューアは示されているもののウラを読もうとします。提示されているデータの異なる解釈法がないか、ふつうあるべきなのに示されていないデータがないか、つまり「ないもの」を探しながら論文を読みます。そして、論文を読んで、そのないものが見つからないとき、私の場合は、その論文を高く評価することになります。レビューの経験からすると、そんな文句のつけようのない原稿を読んだのは過去に一度だけです。そういう論文を読むと、良くできた映画を見た時のような、何か得した気持ちになります。因みに、その論文の責任著者の人を私は個人的に知っていたのですが、とんでもない秀才で、私の人生で出会った無数の人々の中で最も「デキる」人でした。

宗教は麻薬だと言われますし、過去ヨーロッパでの戦争の多くは宗教対立によって引き起こされて来ています。日本においては仏教は幕府が日本人をコントロールするために使われました。宗教の名のもとに、多くの殺戮やテロが正当化されてきました。国家や社会のレベルでなくても、宗教のために家庭崩壊を来したり、教祖様に貢いで破産したり、という話は日常でよく見聞きします。一方、宗教のために救われた人々も数限りなくあることでしょう。科学も同様だと思います。火薬の発見は銃器に、核反応は大量殺傷兵器に利用され、大勢の人が殺されました。

これらは悪い「科学と信仰の融合」の例ではないでしょうか。盲目的な信仰に科学技術が利用された場合にこういうことがおきます。アジア人やユダヤ人は劣った民族であるので、人類の未来のために彼らを滅ぼすことが正しいとgenocideを正当化する狂信的な権力者によって科学技術は利用されました。「ポア」することは救済だとのおかしな理屈を信じた信者がサリンを撒きました。宗教と科学が相互作用する場合はその逆でなければならないと私は思います。盲目的に信じることによって、イワシの頭をありがたがるよりも、まずはイワシの効用を科学的に検討してから信じるべきだと思うのです。科学的態度が宗教的信仰に先ずれば、宗教の危険が減弱できるのではないかと私は想像します。逆に信仰が科学の上に立って支配しようとするとき、科学技術が誤って利用される危険が高まると思います。
 人でもドグマでも「信じる」という決断をする前に、とりあえず泥棒ではないか、ただのイワシの頭ではないのか、と石橋を叩いてみる、なますだと思ってもでもとりあえず吹いてみる、そういう習慣はトレーニングで身につけることが出来ると思います。

アメリカの植民地でありながら、戦後の経済成長のおかげで豊かになっていく生活と身辺5メートルの平和を享受してきた日本は、人をみて泥棒だと思う必要がなくなり、善良で素直な人々が増えました。真に安全で善良な人々ばかりが住む世界であれば、疑いを知らず善良で素直であることは最も尊い美徳であるでしょう。私もそんな世界に住んで天真爛漫に思いやりと信頼を持って生活したいものだと思います。しかし、実際の世界はそんな美しい場所ではなく、日本の一見豊かで平和に見える社会というのは、いわば、作られた幻想に過ぎないということが、経済成長が止まってから明らかになってきました。その幻想をずっと信じつづけたいという願望を「平和ボケ」と呼ぶのでしょう。信じることは疑うことよりも易しく、心理的抵抗が少ないので、人は疑う必要がない限りは、人は信じたいと思うのだろうと思います(それが社会的動物である人間のデフォールトの心理状態でしょう)。
 しかし、例えば、アメリカ原住民がヨーロッパからの移民によって土地を奪われ、虐殺され、保護地に追いやられたのは、疑うことを知らなかった彼らの善良性をヨーロッパ人に利用されたからでしょう。歴史が示すものは、「(無闇に)信じるものは、嵌められ、騙される」ということです。
 人はこの疑うことと信じることの技術を身につけて使いこなせるようになる必要があると私は思います。無闇に疑うことは己を消耗させますから、無闇に信じることと同様に危険で有害です。正しい「疑い方」によって疑わねばなりません。疑いは方法的に行い(よって疑いを信じ込まない)、信じるられるものの限界を見極めることができる能力を身につけることが大切だと思います。
方法的懐疑は「due deligence」に有用なテクニックであり、成熟した判断力の基礎だと思います。真の民主主義国家を目指すのであれば、国民の大多数が方法的懐疑というテクニックを身につける必要があると私は思います。

さて、マエハラ氏、ノダ氏、レンホー氏に、不正献金疑惑。この際、秘書を逮捕して強制捜査も入れてもらって、党員資格停止処分にでもしてもらいましょう。しかし、こういうニュースが出るといういうことのウラを懐疑的に考えると(別段、懐疑的に考えなくても自明ですけど)、当初の空きカンを捨ててマエハラ氏に首をすげ替えた民主党で対米隷属路線で行こうという計画を、敵は変更し、この際、民主を小沢氏ごと潰すという方針に変えたということでしょう。多分、既に禁治産者状態の空きカンやその後継内閣ではどうころんでも先がなく利用価値がなくなったので、民主党を徹底的に叩き潰してまた自民へ戻そう、敵はそう考えたのではないでしょうか。サンケイが、また民主党への批判を激しくしてきているのもそのせいかも知れません。次の総理の座を待ち構えていたマエハラ氏、空きカンの無能の煽りを喰らって一緒に捨てられてしまったようですね。これまで、小沢潰しに必死になってきた官僚や朝日新聞を始めとするマスコミは、平行してその攻撃を民主党全体に拡げ、統一地方選での民主惨敗と自民の復活を画策しようとしているように、私には見えます。

京大入試でのインターネットカンニングの事件。もちろんやったことは悪いに違いありませんが、警察を入れて逮捕までしたという話、「それは違うだろう」と私は思いました。大学での学問や思想自由は治外法権であって、それらを守るために、学内の揉め事には滅多なことでは警察を介入させない、というのが大学の伝統だと思っておりました。この事件の場合は受験生で、京大学生ではなかったわけですが、それでも京大の入学試験なのだから、そのintegrityには京大が責任を負うべきであって、十分なカンニング防止の策もとらずにおいて、問題がおきたら、警察を介入させて犯罪事件にするというやりかたに、私は京大も落ちたものだな、と思いました。カンニングしたら逮捕するとあらかじめ受験者に周知させていたとは思えませんし。むしろこの事件はこんな大胆不敵なカンニングを許した京大入試システムの方の落ち度だと私は思うわけです。受験生をみたらまずはカンニングを疑い、その可能性を消しておいてから彼らの良心を信じるべきだったのはなかったのでしょうか。こんな派手なやりかたでなくても、他の受験生の中にも何らかのカンニングをした受験生がいない筈はないだろうと想像します。この目立った一人の若者だけを吊るし上げて見せしめにするのが天下の京大のやることかと思うわけです。


どうでもよい話:
アメリカの人気の素人のど自慢番組、「American Idol」のseason 10がはじまっていますが、今年の男子はなかなか良いのがおります。中でも、Luther Vandrossがリバイバルヒットさせた「A house is not a home」を歌ったJacob Lusk君、若いのにこのテクニックと歌唱力、グッときました。美空ひばり流の流し目を使うところが、ちょっと私は気に入りませんけど。
JudgeのJennifer Lopez、「私の大好きなルーサーはもう死んでしまったけど、今は、君がいる!」と涙ながらのコメント。

http://www.examiner.com/billboard-hot-100-in-national/jacob-lusk-house-is-not-a-home-american-idol-2011-luther-vandross-video

ルーサーのビデオでは、この曲のオリジナルを歌ったDione Warwickがにこにこしながら見ていますね。昔は良かったなあ。
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利用される市民目線

2011-03-01 | Weblog
2-11号のScienceのゴシップ欄から。
世界王手の製薬会社ファイザーの大規模なリストラ。研究開発部門を20%カットし、約$2 billion浮かせようという話。新薬開発は半世紀前と比べて遥かに困難になってきていると思います。加えてパテントで保護される期間は限られますから、営利企業としては、研究開発を自前でやることのリスクが高すぎるということでしょう。そのうち、製薬企業というものは無くなるかも知れません。一方、研究開発のバイオベンチャーから技術一本で巨人となったAMGENのような例もあります。製薬企業が研究開発を捨てて、ただの薬の製造販売会社になって、バイオテクにその部門を依存するようになれば、そういう会社の存在意義は低下していくでしょう。代わりがいくらでもある訳ですから。この傾向はますます加速するでしょうし、ならば、企業研究者という職業はますます不安定になっていくのだろうと想像します。
 アメリカで下院議会の共和党代表のエリックカンター氏が、一般市民が政府のムダ使いを監視して、ムダを排除するプログラム、"YouCut"を提案したそうですが、最近、YouCutをNSF(国立科学研究基金)からのグラントに適用しようと言っているそうです。(http://majorityleader.gov/YouCut/review.htm)。それに対して、テキサス大学オースティンのAlexadra Gadeが、NSFに使われる税金は全体でも0.5%に過ぎない、費用(労力)-効果比が悪すぎる意味のないプログラムだと、反論しています。
 日本の事業仕分けを思い出させますね。思うに同じ問題、そしてインチキが、こういうプログラムにはあるのだろうと私は思います。これはパフォーマンスでしょう。そのパフォーマンスのためにNSFがスケープゴートにされようとしているということではないでしょうか。
 日本の場合、事業仕分けとかいう茶番劇をハデにやって、あたかもムダを省いてますよ、という態度をアピールしましたが、現実は、その後に、ムダ事業はこっそり復活、しかも、特別会計という魑魅魍魎の跋扈する世界には一切、手をつけず。ムダの削減をやったふりして、国民の不満のガス抜きを図り、そしてそれでも財源が足りないからと増税の口実にしようという詐欺商法でした。ついこの間も、先の神奈川の民主党県連で「帰れコール」が鳴り響いた昼行灯オカダ氏、利権の温床「特別会計」や官僚のヘソクリ埋蔵金にも切り込もうともせず、「誰が見てもできないことをいつまでもできるというのは、まさしく国民に対する不正直だ」と言って、また顰蹙を買ったらしいです。誰が見ても何の努力もしていないくせに平気で『できない』と泣き言をいうコヤツらは、のび太くんも顔負けです。
 さて、アメリカのこの"YouCut"も同様の意図が隠されているのでしょう。そして、競争資金で切りやすい科学研究費というものに目をつけたということだと思います。警察の駐車違反のレッカー移動と同じです。交通の邪魔になる車をどけるためにレッカー移動するのではなく、レッカー移動しやすい車をレッカー移動するワケです。税金を使う政府事業にしても、本当はムダなのだけれども利権者がいっぱいぶら下がっていて、選挙に影響しそうなムダは切りにくいが、科学研究みたいなものは切りやすいから切るという態度ですね。
 もう一つ、この市民に、研究グラントのムダを判断させる、というやり方、小沢氏失脚の陰謀に利用された「市民目線」の検察審査会を思い出させます。検察が言いがかりをつけて何度も強制捜査を入れたのに何の証拠も見つからず、起訴を断念したマッチポンプ事件を、この素人を利用したシステムを利用して、起訴議決を作り上げ(検察審査会の議決そのものが全くの架空の可能性が強いですが)、強制的に起訴して小沢氏の政治力を削ごうと、官とマスコミが図っている事件のことです。市民目線とか民主主義とかを錦旗のように振りかざすわけですが、実体は、法律の専門的な判断のできない素人衆を雰囲気で誘導して己の都合の良いように利用してやろう、という国民をバカにした態度なわけです。成熟した判断力を持たない大衆の意見で政治がなされるとき、衆愚政治と言われるわけですが、実体は一部のズル賢いヤツがこっそりと「衆愚」を誘導して利用しているのです。そのことが最近のマスコミのヒステリックな報道を見ているとよくわかります。ネットメディアの発展で、国民は前ほど誘導されにくくなっているので、余計に必死になってデタラメをがなり立てて、結果、悪循環に陥っているのでしょう。世間では朝日新聞不買運動が広がっている様子。慶賀に耐えません。タイミングよく平野貞夫さんの「朝日新聞政治からの卒業を!」(http://www.the-journal.jp/contents/hirano/2011/02/43.html)では、太平洋戦争突入を煽ったことを敗戦後に自己批判した朝日新聞が、65年を経て同様の過ちを繰り返していることを批判してあります。朝日、読売は洗脳、世論誘導のためのプロパガンダ紙と成り果てました。消えてもらうのが世のためです。

話がずれました。この"YouCut"、素人の人によくその内容を評価できない研究の「価値」の判断をさせて、それを民主主義という口実で正当化し、ガス抜きを図ると同時に、責任の一部を転嫁するという卑怯でセコいやりかただと私は思いました。そもそも、研究の価値など、そう簡単にわかるのなら苦労はしません。GFPの発見などその最たるものでしょう。「クラゲの発光蛋白を精製する」ことが、ノーベル賞にいたるような価値を産むとは、当の下村博士でさえ分かっていませんでした。また、科学研究で恩恵を受ける人々というのは、はっきりと特定されてません。あえて言えば未来の我々の子孫がその恩恵を受ける可能性があるわけですが、それもどういう形で恩恵をうけることになるのか、現時点では誰も分かっていないことが多いわけです。その辺り一般の人が科学研究の特殊さというのを十分理解しているとは思えません。下村博士の現役時代に"YouCut" があったなら、クラゲの発光物質の研究に税金を費やすことが国民にとって何の有益性があるのだ、と人々は思ったかも知れません。ならば、この発見はなされなかったかも知れません。「市民目線」をポリティクスに利用するな、と私は言いたいです。
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