Negative dataを論文にするのが大変なことは、研究者であれば誰でも身にしみて知っているでしょう。人の論文をうっかり信じて、それに基づいた研究を計画したものの、中核の結果さえ再現できず、ずるずると深みにはまり、引くに引けなくなるケースも多々あります。そうならないように、どんな研究でもExit Strategyをしっかり考えておくことは重要だと思います。
この間のNatureのフロントベージ(2012; 485, 298-)で心理学の論文を例に上げて、Negative dataの問題と、しばしばその原因となっている先行論文の再現性の問題などが考察されていました。
ある研究分野が成熟してくるにつれて、新しくてパラダイムを変えるような発見をするのはますます困難になって来ています。簡単に発見できる部分は既に発見され尽くされているからでしょう。なんらかの技術的なブレークスルーなどで全く新しいレベルでの発見をするか、もしくは既存の概念をひっくり返すような発見をしないと、成熟した研究分野では注目を集めません。しかるに、有名ジャーナルは、そういう論文を好むわけで、そこに、確実でしっかりした論文よりも、話題性が高くであっと驚くような論文を書きたいというインセンティブが生まれるのだと思います。再現性の低い研究や場合によってはデータ捏造をする原因が、(カーディフ大のChris Chambers言うところの)「見世物ショー的(freak-show-ish)」結果を好む人間心理に源をなしているというのは多分正しいと思います。私も一番熱心に読むNatureの記事はゴシップ記事です。誰が捏造したとか、誰のデータが怪しいとか、そんな下世話な話で、Natureにこの手のゴシップ記事が多いのも、読者のそんな下品な好奇心を知っているからでしょう。
ヒ素をリンの代わりに使うことができる細菌を発見した、とScienceに発表して、専門家からボコボコにされた論文の話は記憶に新しいですし、ついこの間、これまたシークエンス実験のアーティファクトであることが明らかにされた複数のグループの発見(Harvard Dulacらのグループの哺乳類では1000以上の遺伝子がImprintingを受けているという発見や、RNA editingは普遍的現象であるという発見)も話題になりました。いずれの例も、本当だったらこれまでの概念を覆す発見ですが、普通だと、そんな信じられないような結果が出たら、研究者は必要以上に疑り深くなって、あらゆる手を使ってその結論を否定しようと努力し、大抵の場合、取るに足りないような原因を見つけて、がっかりするものです。そして、ごく稀に本当の大発見がなされるのだと思います。然るに、これらの例では、研究者は比較的、安易にその驚くべき結論に飛びつき、有名雑誌もそれを通し、結果、すぐその筋の専門家からクレームがつく、というみっともない結果になっています。見世物ショー的論文を好む読者とジャーナル、それに無意識的または意識的に迎合する研究者という両者のポジティブフィードバックが、話題性に富むが科学的に怪しい論文の増加を促進しているのではないでしょうか。
このNatureの記事には興味深い数字があげてあります。1990-2007年の間に「Positive data」が報告される割合が22%以上も上がったのだそうです。これは、Positive dataに対する指向性がより強まっている傾向を示しているのかも知れませんし、あるいは、実験方法などの複雑化によって、Negative dataを解釈することがより困難になってきているというような理由なのかも知れません。しかし、少なからぬ論文のポジティブデータが再現できないことを考えると、そもそも論文になっているデータそのものに手心が加えられている場合も少なくないだろうと想像できます。
疫学者、John Ioannidisによれば、統計的論理によると「ほとんどの出版された論文の知見は間違っている」のだそうです(Ioannidis JPA (2005) Why Most Published Research Findings Are False. PLoS Med 2(8): e124 )。(このPLoSの論文には26のコメントがついており、この雑誌で最もよく読まれた論文なのだそうです) 基礎生物学では、ほとんどの論文が間違っているというのはちょっと当てはまらないかも知れませんけど、私の分野の論文での感覚では、一流雑誌に出ている論文は、そうでない専門分野の雑誌の論文と比較して、結論が誤っているかまたは一部のデータに再現性が無い可能性ははるかに高いと感じます。
もう一つ、この記事で、Negative dataを発表できた二つの例が上げてあります。いずれも、通常のジャーナルにリジェクトされて、PLoS Oneに発表したのだそうです。これは興味深いです。PLoS Oneが当初の予想に反して多くの論文数にもかかわらず、それなりのインパクトファクターを保って、成功している大きな理由ではないかと思います。しっかりとした研究(即ち、Negative dataの解釈が可能な研究)であれば、論文のインパクトと無関係に採択するという方針が、Negative dataの論文や、Solidであるが余りExcitingとはいえないタイプの論文の受け皿になっているのでしょう。
一方で、怪しい論文を掲載した一流雑誌も、その責任を負うべきだと思います。先のDulacのScienceの論文に対する反駁論文はPLoS Geneticsに発表されました。PLoS Geneticsは十分、立派な雑誌ですし、著者がScienceに投稿したかどうか知りませんけど、もし、したのであれば、Scienceは掲載すべきではないかと思います。一方、しばらく前、Sir2の過剰発現が寿命を延長しないとのNegative data論文はNatureに掲載されました。Lenny Guaranteさん、最近どうしてるのでしょうか?
ところで、西松献金事件、陸山会事件という小沢氏失脚を狙った検察のでっち上げ事件を書いた森ゆう子議員の本、「検察の罠」がすごい売れ行きだそうです。こういう検察や最高裁の犯罪こそ、新聞やテレビといったマスコミが報道しないといけないのに、マスコミは権力側で国民を騙し欺くことしかしないから、非権力側の人々が、こうやって戦わないといけないのですね。この本の中で、黒幕の一人は法務省の黒川弘務であると名指しで書いてあり、波紋を呼んでいます。そして、勘ぐり通り、この男と繋がっているのが例の赤い狸、悪徳弁護士のようです。
また、八木さんたちの東京地検特捜に対する一連の刑事告発が、(地検ではなく)最高検に受理されたと話を聞きました。検察の中にも良識のある人々は大勢いて、今回のような犯罪に手を染める連中を何とかしないといけないと思っているらしいということも聞きました。教授主導で研究不正をする研究室も有害ですが、検察の場合、おのれの出世や組織の利益のために、罪を創り上げ、証人を恫喝し、場合によっては自殺に追い込み、証拠を捏造し、無実の人間を陥れるのですから、その罪の重さは比較になりません。陸山会事件関係検事は不起訴、訓告という"Slap on the wrist"で終りにしようとしているというリーク情報が新聞に流れましたが、どうもそれでは済まなくなってきたような情勢です。検察も最高裁も自分たちが小沢氏失脚を主導したのではなく、弱みを握られて、この犯罪をやらされた部分があるのです。とことん追求して、本当の病巣にメスが入れられることを期待します。