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百醜千拙草

何とかやっています

資本主義の構造的問題としての研究不正

2008-06-27 | Weblog
先週号のNature誌にScientific misconductについての調査結果とそのコメントが出ていたので、読んでみました。ここ数年、韓国のstem cell研究者やベル研究所、東大、阪大などでおこったhigh profileケースで、科学研究における不正は多くの人の関心を集めました。今回の調査では、アメリカでNIH grantのサポートを受けている約2000人余りのPrincipal Investigatorクラスの研究者を対象に行ったアンケート調査を行った結果、201件の不正と考えられる行為が3年間の間に目撃されたとのことです。不正の内容はデータのでっち上げ、改ざんが60%、盗作が約40%でした。不正は誰かから聞いて調査したら見つかった例が最も多く約30%、不正データに気がついた例が25%、直接不正行為を働いているのを見つけた例が11%です。不正行為の発見後、不正行為が公けに報告されなかったケースは37%あり、不正が見つかった場合の対処の困難さを示しています。不正行為は見つかった方はもちろん、見つけた方もしばしば不利な状況に追い込まれます。とくに学生やポスドクが指導者の不正を見つけた場合、公けになると、指導者への懲罰はそのまま自分にまで降りかかってきます。過去のこうした例では、研究室の閉鎖、活動停止などによって、大学院生でありながら、新たな研究室とテーマを見つけ直さねばならないことになったりしています。また、不幸なやや特殊な例として「今西カリ事件」があります。1986年、Cellに発表された免疫学の論文でのデータに不正があると思い込んだカリのポスドクが告発しました。ノーベル賞受賞者で前カリフォルニア工科大学総長のDavid Baltimoreが共著者であったこともあり、政府諮問機関も巻き込んだhigh profile ケースとなりました。足掛け10年にわたる調査と検討の結果、このケースは不正ではなく過失であるとの結論となり、カリに対する起訴は取り下げられたわけですが、この事件によって、発見者はカリの実験室を去ることになり、カリ自身もMITを出ることになり、Baltimoreはロックフェラー大学総長を辞任することになりました。その後も折々に、研究不正事件は報道されてきているわけですが、研究不正に対する各方面の関心は近年とりわけ高まっているように思います。このNatureの記事では、そのあとどうすれば不正行為が無くなるのかという議論が続き、倫理教育、施設の規律、報告者の保護、指導者の教育とかについて述べてあるのですが、私には、もっとも重要なことの議論が意図的に避けられているように感じられました。つまり「なぜ研究者が不正を働くのか」という観点からの議論です。この記事に述べられている策は全て対症療法であって、病を根から絶つものではありません。なぜ不正を働くのか、これは「成果主義」である殆どの資本主義活動の最終目的、「儲けてナンボ」を達成する近道だからです。どうしてスポーツ選手はドーピングするのか、どうして企業は税金をごまかし、製品の偽装を行うのか、動機はすべて同じです。研究者が不正をするのは、不正をしてでも論文をよい雑誌出すことによって「研究費と職場と地位を確保する」ためです。そのことは、誰が不正を働くのかを見るとなんとなく見えてきます。不正を働くもっとも多い例はポスドクであり、これはポスドクがアカデミアに職を得ることへのプレッシャーが最も強いことが動機であろうと想像できます。最も少ないのはAssociate professorです。多くのAssociate professorはテニュアでしょうから、首になる心配は余り無いわけで、ある程度落ち着いて研究できる環境にあるわけです。興味深いのはFull Professorの人による不正がポスドクについで多いことです。阪大でも教授自ら不正行為に手を染めていました。このレベルだとおそらく、研究費や自分の学会での縄張りとか政治力という新たな不正の動機があるものと思われます。この不正を根本的に無くするには、成果主義の傾向を低下させるしかありません。研究費や職場の確保を論文のみで判断しないシステムを作るか、研究者であれば誰でもそれなりに喰っていけ、学会の役職は業績に関わらず持ち回りという環境をつくるしかありません。そうすると、いずれにしても研究者間の競争を少なくすることになるわけで、当然、生産性は落ちます。実際、生産性の低下を起こすことなく不正を無くす方法はないと思います。私は現代生命科学は、消化不良になるほど玉石混淆の論文が出過ぎていますから、生産性が落ちても不良品のない方が良いと思いますが、世間の人は生産性が落ちるぐらいなら多少の不良品は我慢する方を選ぶ人の方が多いかも知れません。不正は困るが生産性が落ちるのも困るという勝手は通りません。高くて質の悪いものはいっぱいありますが安くて質のよいものは滅多にないので、質の良いものを求めようとすると高い値段を払わねばなりません。無理な話ですが、研究資金や職場の数を今の5倍にあげれば不正は激減するでしょうし、研究の質もそれなりに保たれるでしょう。一方で、現在の研究環境のまま、生産性を保ちつつ不正を減らそうとしても、これは構造的欠陥ですから無理です。不正に対する罰則を厳しくすれば不正は減るでしょうが、その他の研究環境を改善しない限り、それは結局、研究者の数を減らすことになりますから、生産性は確実に落ちます。しかし、研究者の数と研究費の比を適切な値にもっていくことは、健全な研究遂行においては不可欠と思われますから、現在の研究者と研究資金の不均衡を改善していくための方策として、不正罰則強化のような大鉈が必要なのかも知れません。現在の多少インチキしてでも論文が通ったもの、より多く儲けたものが勝ちという正直者がバカをみる社会システムでは倫理、道徳教育などでどうにもなるものではないと思います。
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故郷小考

2008-06-24 | Weblog
魯迅の「故郷」という作品は中学の国語の教科書で読んだのですが、当時その作品にとても感動したことを覚えています。先日、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)にあるのを見つけて、何十年ぶりに読み返してみて、なお、この作品の良さをあらためて感じました。私の場合、子供の頃読んで感動したものは、大人になって読みかえすとつまらないと思うことが殆どなので、これは珍しいことです。大人と子供の感性は随分違いますから。この小品は、故郷を離れて出世した主人公(魯迅自身)が故郷の家を引き払うために帰郷するというだけの話なのですが、その風景画を見るかのような淡々とした文章(おそらく原文は中国語でしょうから翻訳者の苦心もあるのでしょう)から滲み出す情感は独特の香りがあります。この作品はおそらく最後の一行のために、数々の魯迅の作品の中でもとりわけ有名なのだと思います。そこには希望について次にように述べてあります。

希望とはあるとも言えぬし、無いとも言えない。これはちょうど、地上の道のようなもので、元来地上に道は無いが、歩く人が多くなれば其処が道になるのだ。

この一見、本筋から離れたようなやや唐突な結びの一文での魯迅の真意は何だったのか、私はよくわかりません。この作品は中国のプロレタリア文学であると位置づけもあるようで、庶民がつつましい生活の中で希望にすがって生きている様子をもって、支配者層に対しての抗議を示しているのだと考える人もあるようです。しかし、私には、この最後の文は、故郷から永遠に離れていく自分が、自分や故郷の人の人生ををしみじみと振り返って出た素直な言葉なのだと思います。故郷の恵まれない昔の知り合いを思い浮かべ、彼らがどのような道をたどって今日まで生きてきて、今後どのように生きていくのか、その思いがふとこういう表現になっただけなのではないかと私は思います。希望について述べたというよりも、希望や道に示されるように時間の流れの中で現在から少し解離して存在するものの不変さと無常に満ちた現実そのものについての言葉なのではないかと思います。その思惑はどうあれ、なかなか含蓄の深いこの一文は、この小説の結びとして極めて有効に働いていると思います。希望や道に限らず、世の中のものはそもそも有るともないとも言えると思います。無常の世の中だからこそ、はかないもの一つ一つに心を向けるとも言えます。自分の人生のこれからを思ってみる時、限りある時間をどのような道をとって進めばよいのかと焦りを感じることは誰でもあるでしょう。その時に、道というものはそもそもなく、振り返ってみてはじめて、通ってきた所が道と呼ばれるに過ぎないということを思い起こすことは有用であろうと思います。逆に希望とは将来へ向けての暫定的な方向性であって、どこにもその方向へ導く道などはない。歩き続けることそのものによって方向性は見えてくるが、立ち止まればそれは消えてしまう。希望とは過去にのみある「道」を将来から仮に眺めてみた場合の仮想図であると言えるかも知れません。高村光太郎も、道程の中で、「僕の前に道はない、僕の後に道はできる」と同様のことを言っています。

故郷という言葉を生まれ育った所という地理的な意味だけで捕える人はいないでしょう。故郷はむしろ時間的概念であろうと思います。故郷を懐かしむ人は、故郷とは過去にしか存在しないということを知っているはずです。だから故郷とは出発点であって、終着点にはならないものだと思います。未だに存在しない道は、ただ前を向いて歩く事によって作り出されます。それを振り返って眺めるとき、その出発点として故郷が、ある種の完全性を備えて彼方に見えます。 「人はどこから来て、どこへ去るのか」この哲学上、宗教上の大問題は、過ぎ行く日常の一片一片の中に見え隠れしています。魯迅のこの作品でもこのことが感じ取られます。人は故郷という過去からやってきて希望と言う将来を見ながら現在を歩く存在だということなのかも知れません。「故郷は遠きにありて思うもの、よしやうらぶれて異土の乞食となるとても、帰る所にあるまじや」、それでは人はどこへ帰っていくのでしょうか。
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コリンズの辞任が象徴するもの

2008-06-20 | 研究
ヒトのゲノム配列解読は、当初、パブリックセクターはNIHのフランシスコリンズが指揮し、プライベートでは元NIHのクレイグハンターがセレラを率いて、火花飛び散る競争を繰り広げ、10年に渡るビッグプロジェクトを完成させました。ヒトゲノムの一通りの解読後は、Deep sequencingの方向へと発展し、HapMap Projectを中心にヒトゲノムの多様性と疾患との関連についての研究という方向へと進んできました。一方でゲノム情報に基づく「個の医療」を実現していこうという方向性も明らかになってきて、例えば23andMeという会社では、個人のゲノム解読サービスを売るビジネスを現在展開しており、シークエンス技術の向上につれこの手のビジネスは増加していくものと考えられます。現在、pyrophosphate法による大量シークエンス技術が454/Roche、Solexa/Illumina、ABSで商業化されていますが、更に次世代の単一分子シークエンス法がかなり実用に近づいてきているようです。この単一分子シークエンシングでは、2通りの方法が使われているようで、一つはポリメラーゼ反応を使用し、蛍光色素のついたポリメラーゼと蛍光ヌクレオチドを使って、DNA合成中におこるFRETをリアルタイムで読むという方法、そしてもう一方はもっと物理的な方法で、先端が10ナノメートルのプローブを使い、伸ばした単一鎖DNA上を文字通りなぞっていく間に、塩基の違いに由来する物理的な特性の差を検出することによって配列を決めるというものです。これらの単一分子シークエンス法が、454などのシークエンス法に対して優れている点は、一回のリードで何キロもの連続した配列を極めて短時間で読めるということです。確かに454では大量の塩基解読が可能かもしれませんが、PCRが必要なこと、一塩基を決めるための反応時間が長いことから、一回のリードで読める塩基数は現在、約100塩基程度、新型の機械でもせいぜい、数百塩基が限界です。これらの短いフラグメントをゲノムのサイズに組み立て直すことは、極めて高いコンピュータ機能が必要となります。つまり、現在のpyrophosphate法では、Deep sequencingはできても、それをゲノムに組み直すという点で大変な困難があるということです。ヒトゲノムプロジェクトを振り返ってみても、当時の最高機能のコンピューターはセレラが持っていて、それによって初めてショットガンシークエンシングによって得られた塩基配列のアッセンブリーが可能となったのでした。しかし、一リードで相当な距離を一気に読める単一分子シークエンス法が実用化されれば、コンピューターによるアッセンプリー作業の負担は相当軽減されると考えられ、国民みんなが自分のゲノム配列を知っているという時代が非常に近くなると考えられます。フランシスコリンズは10年以内には一人1000ドル以内で個人の全ゲノム配列を決めることができるようになるであろうと予測しています。そのコリンズが、今回、NIHのヒトゲノム研究所(NHGRI)の所長を辞めることを表明しました。もともと医者である彼は、ゲノム解読という最初の大きな目標を達した後、如何にこれらの情報をヒトの健康の増進、疾病の予防といった次のレベルの目標に繋げるかという視点を持っていました。そのためには多数の対象者を対象とするゲノムシークエンスデータと種々のパラメータを関連づけるための前向き研究が必要だという結論に達したわけですが、現在の技術でそれだけの大規模で高価な長期研究を遂行するとなると、年間300 - 500億円程度が必要となる計算で、とてもそんな予算を国が割く余裕がないという現実に直面することになりました。そんなフラストレーションもあり、また多分58歳という年令のこともあって、彼は新しいchallengeを求めてNHGRIを去ることを決めたそうです。辞めてからは、「個の医療」についての本を執筆し、それから次のポジションを探すとのことです。一個人のできることは限られています。彼の満足するような新しいchallengeがそうそう転がっているとは思えませんが、是非とももう一花咲かせてもらいたいものだと思っています。一連のゲノムプロジェクトフィーバーが終焉を迎えたことを象徴しているようなコリンズの辞任でした。
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新しいアカデミアは実現したか

2008-06-17 | Weblog
先日、1950年に女流プロレタリア作家で共産党活動家の宮本百合子さんが発表したエッセイ、「新しいアカデミアを 旧き大学の功罪」を目にする機会がありました。この六十年前のエッセイを読んでいて、現在の日本の社会と大学の問題というのは根が深いなあとあらためて感じました。明治維新という改革の中途半端さが現在にいたるまで尾を引いているようです。短いので、全文を転載します。

日本に、言葉の正しい由緒にしたがっての、アカデミア、アカデミズムというものが在るのだろうか。徳川幕府のアカデミアであった林氏の儒学とそのアカデミズムとは、全く幕府の権力に従属した一つの思想統制のシステムであった。幕末の、進歩的な藩に置かれた藩学校は、当時表面上は幕府法律で禁じられていた 英、蘭学の学習を秘密に行ったり、「万国」の事情に精通しようとする努力を示した。それは、たしかに幕府政治の無力を知り、封建制におしひしがれている社会生活について沈黙しているにたえなくなった「人智の開発」であり、明治に向う知識慾であったにはちがいない。しかし、これらの藩学校は、藩という制度の 枠にはまっていた本質上、当時の身分制度である士農工商のけじめを脱したものではなかった。「士分の子弟」の智能開発が藩学校での目的であった。この性格は、士分のものが来るべき「開化」の担当者であるべきだという見通しに立ったものであった。そして、明治維新という不具なブルジョア革命は、事実ヨーロッ パにおけるように市民による革命ではなくて、下級武士とその領主たちが、一部にふるいものをひきずったままでの近代資本主義社会への移行であった。明治維新の誰でも知っているこういう特質は、「四民平等」となって、ふるい士農工商の身分制を一応とりさったようでも、数百年にわたった「身分」の痕跡は、人民 生活のなかに強くのこりつづけた。明治文学の中期、樋口一葉や紅葉その他の作品に、「もとは、れっきとした士族」という言葉が不思議と思われずに使われている。この身分感は、こんにち肉体文学はじめ世相のいたるところにある斜陽族趣味にまで投影して来ているのである。 日本の大学、なかでも帝大といわれた帝国大学は、明治以来のそういう日本的な伝統のなかで、どこよりもふるい力に影響されていたところではなかったろうか。帝大とよばれた時代でも学力と学資があれば、もちろん、士族、平民という戸籍上の差別が入学者の資格を左右するものではなかった。しかし、日本のあらゆる官僚機構と学界のすべての分野に植えこまれている学閥の威力は、帝大法科出身者と日大の法科出身者とを、同じ人生航路に立たせなかった。「息子を世に立たせよう」という自身には封じられていた希望で、田畑を売ってまで「大学を出した」日本の親のいじらしい心は、他の半面で、日本の軍国主義社会を支え維持させて行く大きな経済的社会的基盤となった。というのは「うちの息子は学問ができて人物もしっかりしているのに、金がないばかりに大学へやれない。知事や大臣にはなれなくても、せめて軍人になれば出世は力次第だから。」という親心と息子の心を吸収して、百姓の息子でも、軍人ならば大将にだって成れる道として、軍国日本に軍人の道が開かれていたのである。日本の大学は、人類の理性と学問に関するアカデミアであるより以前に、官僚と学閥の悪歴を重ねた。見えない半面で軍国主義日本の基盤を養いつつ…….。 尾崎紅葉の「金色夜叉」は、貫一という当時の一高生が、ダイアモンドにつられて彼の愛をすてた恋人お宮を、熱海の海岸で蹴倒す場面を一つのクライマックスとしている。明治も中葉となれば、その官僚主義も学閥も黄金魔力に毒されてゆく。もし、昔の東大の「よき日よき大学」によきアカデミズムがあったのなら、どうしてケーベル博士は大学の教授控室の空気を全く避けとおしたということが起ったろう。夏目漱石は、学問を好んだし当時の知識人らしく大学を愛していた。彼に好意をもって見られた『新思潮』は久米、芥川その他の赤門出身の文学者であった。けれども、漱石は大学の教授控室になじめなかった。「大学の学問」について疑問を抱いていた。博士号をおくられたときは、それをことわった。 日本の戸籍と、公文書から、士族、平民、私生子という差別が徹底してとりのぞかれたのは、昭和十四、五年ころになってだろうか。侵略戦争を強行し、すべての人民を戦争目的に動員するために、日ごろの差別感情をとりのぞく必要が感じられたからであった。つまり、人権剥奪の最もはげしい形である戦争への召集のために、個々の存在抹殺としての身分平等化が行われたわけであった。朝鮮の人々の日本名への改姓が強制されたと同じに。しかし、日本の大学でも兵営でも、の人々の遭遇する運命は多難であった。そして現在も決して偏見がとりのぞかれたとはいえない。松本治一郎氏の天皇制に対するたたかいとパージがよくその消息を告げている。今日の大学は、どのようなアカデミアであり、アカデミズムをもっているだろうか。ことあたらしく観察するまでもなく、大学法案に関する問題、レッド・パージに対する各大学の状態が強いられている現実を語っている。大学は、英語を使用し、英語で使用される新しい大小の官僚、事務官を養成すればことたりるところという標準で組みかえられつつある。それに抵抗して日本の理性と学問、文化の自立を主張する動きは、全日本の規模で全学問の分野を包含した。生きる自由、学び、働き、良心に従って行動する自由とともに、人権の一つとして奪われた理性を回復しようとする日本の青春の奮闘がある。すべての人々に訴えるこれらのたたかいの成果におそれて、労働組合、言論機関、芸能人ばかりでなく、教授と学生への思想抑圧、レッド・パージがおこった。文部、法務、特審関係、どこを見てもその指導的地位にいるものは、大学の第何期生かであり先輩である。過去の大学に、もしアカデミアの精神が伝統するというならば、これらの人々が現在、大学とその教授、学生、即ちわたしたち人民に向って示す精神のどこにその片鱗を見よ、というのだろうか。こんにちの日本からは、正しい人民のアカデミアとアカデミズムが生まれてゆかなければならない。人類の発展と幸福のために、真に貢献する学問と学問そのものの尊重の精神が確立されなければならない。このことは、民族の理性を守る仕事であり、人権擁護のためのたたかいのまぎれもない一面である。 (1950-12)

日本の帝国主義の終焉となった第二次世界大戦敗戦の五年後、マッカーサーによる日本の共産主義弾圧の中で、共産主義作家の筆によって書かれたものという複雑な背景を差し引いても、日本の大学に対する批判として頷かされる公平さを備えていると思います。日本の大学は真の意味で独立、自立性を持っておらず、政治的、思想的弾圧のもとにありつづけてきた状態を批判しているわけですが、驚くべきとことは、この提言から六十年たった現在でも、日本の大学にいまだに「正しい人民のアカデミズム」が真に存在するとは思えないという現実でしょうか。今日、日本の大学に自立した学問の自由は本当にあるのでしょうか。とりわけ金食い虫の生命科学においては、本来非営利組織である大学でさえも、金を取ってこれる研究、金につながりそうな実用的研究が大切な研究であるという経済至上主義による思想的制約を課せられています。この経済至上主義による大学の自立性の間接的侵害は、大学の研究費の多くが税金に依存しているという点によって正当化され、「税金を研究費に使用しているのだから、国民に直接役に立たない研究をしたいなら、自腹を切っておやりなさい」という暴論を平然と口にできるような知識人を跋扈させています。結句、「研究は自由にやってよろしいが、政府が気に入らない研究や研究者にはお金は出ませんよ」という事実上の弾圧があるわけです。その政府とはとりもなおさず、綿々と受け継がれてきた東大卒と官僚との密着によって作られる閉鎖的なクラブに他ならないのです。日本の大学のアカデミズムというのは、桃源郷のように実在しないもので、何十年経っても到達できない目標なのかもしれません。宮本さんが指摘するように、明治維新という中途半端な革命が、結局、真の民主主義を日本に実現させることをむしろ阻害したように思います。日本は町民文化によって栄え、町民はお上と係わり合いになることを避けてその文化を築いてきました。お上は一般人よりも上にあって彼らをコントロールする、そういう概念が未だに根強く残っている国なのです。町民はその与えられた限界を越えてはならぬものという刷り込みが現在でも残っているのでしょう。今日でも大学も日の丸の下に制御されており、それを大学人でさえ疑っていないというのが実情なのかも知れません。現在、大学の教育ビジネス化、大学研究室のベンチャービジネス化を見ていると、宮本さんが終戦後に嘆いた日本のアカデミズムというものは、現在は経済至上主義と日本政府の悪政によって、当時以上に損なわれてきていると言ってよいかも知れません。日本の大学が独立自治であるためには、日本政府を外部の力によって改革することが不可欠なような気がします。
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平均寿命はなぜ伸びたか

2008-06-13 | Weblog
日本では毎年、三万人の人が自殺をし、その割合は現在も上昇傾向だそうです。約千人に二、三人ということは、人間を数十年やっていれば、知り合いで自殺する人も何人かはでてくるということです。実際、私の知り合いの人にも自殺された人がいます。近年の自殺者の増加は、経済的理由が大きいのではないかと思われます。一方、日本での平均寿命は世界一となったという話も聞きました。多くの開発途上国での平均寿命の伸びは、成人の寿命が伸びるためではなく、小児層での感染症など疾患罹病による死亡率の減少によると考えられています。日本や他の先進国では、こうした小児の疾病による死亡率が近年劇的に減少したということはないでしょうから、実際に成人の生存期間が増えたのかも知れません。全死亡率に占める自殺者の割合を私はよく知らないのでわかりませんが、理屈では自殺する人の年令が若ければ、平均寿命も下がるでしょうし、逆に自殺者の年令が上がれば、平均寿命も多少上がることが考えられます。ひょっとすると、平均寿命の伸びというのは自殺者の高齢化のためなのかも知れません。自殺者の数は歴史的には経済と密接な関係があります。不況時は自殺者の数は明らかに増加しています。ですが、今日、日本はバブル後の不況からだんだんと回復してきているはずなのに、自殺者数は減少傾向にありません。思うに日本の社会が無批判に競争原理を取り入れ、競争力の低い弱者を切り捨てる政策を押し進め、格差社会を実現した結果、平均経済は回復しつつあっても、裕福層を除いた層では逆に経済状態は悪化し続けているということを反映しているのかも知れません。人間の幸福感をいうものを年代別に調査すると、四十台で幸福感は最低に達するのですが、そこを乗り越えると幸福感を感じる人の割合はぐっと上昇していくのだそうです。確かに厄年をいわれる時期を含んでいますし、いろいろな面で四十台の人の感じるプレッシャーは大きいと思います。しかし、その苦しみを通過するとおそらく将来の展望も比較的はっきりしてくるでしょうし、苦しみの経験をしたこと自体も自信となって、五十台以降の幸福感の増大をもたらすのではないかと想像されます。しかるに、現在の日本では、その幸福であるはずの中高齢者が経済的不安などから将来への明るい展望を描けず、自殺する例が増えているようです。その一つ原因は国の弱肉強食、高齢者切り捨て政策であろうと思います。高齢者や弱者に対する福祉政策の後退は国力の低下の反映を反映しています。日本人の政治不信、政治家官僚のリーダーシップの欠如と誠実性のなさは、今日の窮地に至ってますます悪循環を生み出していると思います。誠実で強いリーダーシップを発揮できる政治家が必要です。まずはこの十年間、最悪の政治を実践してきた自民党に退陣してもらうことが第一ですが、この際、外国から優秀な政治家をリクルートしてくるのはどうでしょうか?(もっとも優秀な政治家などどこにもいないかも知れませんが)
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成功のわけ、日本の教育

2008-06-10 | Weblog
「時代を超える言葉」という本を借りて読みました。日経ビジネスが十年前に出した本で、いわゆるビジネス書です。私はこの手の本をほとんど全く読んだことがなかったのですが、大変興味深く読みました。これは日経ビジネスの記者が各界の著名人にインタビューして、一人見開き2ページずつ118人分をまとめたもので、この巻より前にも2冊同様の本が出ています。この本以降も数冊でているのかも知れません。この本でインタビューされている人は、人生の晩節にあって成功を実現してきた人々です。これらの人々には、共通している部分がとても多いことに私はあらためて感心しました。この本に出てくる成功を実現した人々はほとんどが、謙虚である、人や社会に奉仕する気持ちを持っている、辛酸をなめた経験をばねに頑張ってきた経験がある、困難を受け入れつつも負けない根性を持っている、そうした点で共通しているのです。私も、こうした資質を身につけて努力すれば、苦労はいつか報われると信じておりますが、一方では、こうした成功者のみから聞く話はいわば片手落ちであって、頑張ったけれども成功することなく老齢となってしまった人々も大勢いるであろうし、そうした人からの話も聞いたうえで、教訓とすべきではないかとも思います。この成功した人々に共通の謙虚さや粘り強さなどが、成功の原因であったのかまたは成功したために後から身に付いたものなのかは本当はわからないと思うのです。成功した本人が後から振り返って、こういったことが大切だと思ったので、成功の理由と考えて後付けしただけなのかも知れません。しかし、頑張ったが結果的に成功しなかった人を探してインタビューするのは、ちょっと困難かもしれません。老齢になった人が、自分の人生を失敗であったと評価することは余りないでしょうし。仮に社会的、経済的意味での成功はなかったとしても、そこまで生きてきたというだけで、人生を肯定してきたわけです。実は失敗などというものはなく、彼ら自身が定義する成功がいろいろな形であるだけなのかも知れません。しかし、多くの犠牲を払って、苦労してあきらめずに努力を続けたが、成功に至らず、時間切れとなってしまい、無念に思っているという人も少なからずいるでしょう。私としては、是非そういう人たち、成功者と同様の資質を備えて努力したのに関らず、報われなかったと考えている人々の話を聞きたいと思います。私自身、現在、客観的に見れば困難の中にいるわけですが、不思議な事に、この一寸先は闇状態の中でも、それほどの窮地であると認識はありません。むしろ、サーカスの綱渡りのように、外からみれば危ない状態でも、本人は綱から落ちないと思っている、そんな状態に近いような気がします。いくら自信があっても落ちるときは落ちるのですが、幸い落ちても命までとられるわけではありませんので落ちた時のことは心配しないでいます。
 ところで、この本の中の島津製作所の会長であった西八條實さんの「突き詰めてこそ活路が開ける」という小文の中で、日本の教育についての西八條さんの感想に同感しましたので、書きとめておきたいと思います。西八條さんは、最近の若い人で寝食を忘れて物事に取り組む姿勢が弱まっているのではないかとの心配をされています。米国などでは組織としての技術力は弱いが、とことんやる人々が多くいて、個人の力と言う点で日本は弱いのではと危惧されています。原因の一つを日本式の教育であると述べられ、自分の夢や限界を追い求めるエネルギーを摘み取り、皆が同じ方向を向く教育しか行われていない、と語られています。私の公立小学校時代を考えても確かにそうでした。振り返れば、私立の中学高校では公立の小学校の時とは随分ちがって、自由な校風だったように思います。以前、述べましたように、日本の教育の一つの目的は日本政府(自民党)の国民洗脳であると私は考えています。日本の教育が、リーダーや起業者ではなく、優秀なサラリーマンや「いいように使われる人」を均質に生産するという目的に沿ってデザインされていると思っています。この大量生産工場方式は高度成長期に国の経済力を上げるという点で極めて効率的に作動してきました。しかし、もはや高度成長期ではありません。西八條さんは、続けてこう述べておられます。「私が学生の頃、忠君愛国の教育を受け、多くの若者が特攻隊にわざわざ志願して死んで行きました。それほど教育の効果は恐ろしいものです。その効果のほどを再認識し、今後の教育は同あるべきかを真剣に考える時期に来ているように思えます」私は、これまでの日本の教育は、いわば国民を品質のよいロボットとして動けるように訓練するものであったと思います(日本に限りません)。リーダーになっていく人は、一般人とは別に「帝王学」を密かに叩き込まれるのです。この帝王学とは、如何に残りの国民を操縦して自らの利益に繋げるかというコツのことであって、別段、より優れた人間となるための学問ではありません。そういう点からみれば、日本の学校教育の崩壊というのは実は好ましいことかも知れません。ロボットが優秀でなくなれば、生産効率は落ちるかも知れませんし、それで一時的に一般国民の生活も落ちるかも知れません。しかし、長い目で見れば、民主主義とはいいながら、ずっと政府の役人や癒着企業が一般国民を操縦してきた日本の官僚主義的構造が再編成され、より成熟した社会を実現していくためのきっかけになるかも知れません。
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Timing is everything

2008-06-06 | Weblog
クリントンは最後の予備選挙が終わっても、民主党大統領候補戦の撤退を表明せず、オバマは、予備選挙終了後、過半数の代議員数の確定を待って、勝利宣言を行いました。彼のスピーチは既に本戦に向けたものでクリントン陣営を既にライバルではなく仲間とみなして民主党の一体化を訴えたものでした。メディアは、なぜクリントンが勝てなかったかという理由をあれこれ書き並べ、政策公約、キャンペーン戦略、ビルクリントン、様々な理由をあげています。しかし、これだけの長期戦を戦う間に、予備選挙前にはダントツ人気であったクリントンと、殆ど無名であったオバマの人間性とでもいうものが自然と明らかになってきて、結局のところ、オバマの方が人間的魅力で優っていたということが最大の理由であろうと私は思います。マッケーン、クリントンは共に「経験」を売りにし、オバマは経験不足でナイーブであると批判してきたのですが、アメリカ国民はこれまでのブッシュ政治にはうんざりしており、古いポリティクスでの「経験」などむしろ願い下げで、むしろ新しく希望に満ちた時代を待ち望んでいるわけで、そのことが今回の結果に繋がったのだと思います。そんな気分を、オバマはうまく煽り、波に乗りました。「CHANGE」というスローガンは、古い共和党政権を打破し、古いポリティクスを、若くアメリカ初めての黒人系大統領となるオバマが変えていく、という国民の希望のシンボルとなりました。国民が望むその新しい政治にオバマとクリントンとどちらがよりふさわしいかと問えば、答えは明らかです。クリントンにしてみれば、あきらめがつかないのは分からないではないです。彼女にとっては多分、最初で最後の大統領となるチャンスであったであろうし(再出馬の可能性がないとは言えませんが)、予備選前のダントツの人気で、民主党候補は自分だと考えていたに違いありません。そこへ突如、彗星のように現れた若く魅力的な黒人男性がはるか後方から距離を縮めてきて、あれよあれよという間に人気を集め、自分を抜きさっていったのですから、悔しさもひとしおでしょう。しかし、クリントン個人の思惑から少し離れて大統領選を眺めれば、クリントンでは役不足であるのははっきりしています。クリントンは冷静になってオバマに全面協力を申し出なければなりません。民主党がまとまれば、オバマはマッケーンに負ける事はないでしょう。「CHANGE」を求める国民の気分の流れの勢いを、共和党の72歳のマッケーンが押し返すのはちょっと困難であろうと思われます。クリントンは予備選終了後、二日経つのに撤退の表明を保留したままです。今週中に表明するのではないかとの予測ですが、来週に持ち越されるかも知れません。本人以外は、多分ビルクリントンも含めて、もっと早く候補から降りてオバマのサポートを表明すべきだったと思っていると思います。予備選が終わって結果を突きつけられているのに、負けをタイムリーに認められないのでは、評価が逆に下がってしまいます。これまでは粘り強くタフな候補であると思われていたかも知れませんが、この重要な局面でオバマのエンドースのタイミングを逸してしまっては、エゴイスティックな頑固者で理性的な判断力に欠けると判断され、政治家としての適格性さえ疑われてしまいます。クリントンは、胸襟を開いて正直に自分の思う所を述べ、オバマと民主党の支持に全力を尽くすと強い決意を表明しなければ、自分自身の政治生命のみならず、民主党にも大きな傷を残すことに繋がりかねません。穿った見方をする人は、クリントンは、ここで民主党とオバマの足を引っ張って、共和党政権をあえて実現した上で、4年後の選挙で再び大統領候補として選挙に出ることを考えているから、オバマのサポートが出来ないのだという人もいます。もしオバマが大統領となれば時期大統領選は当然オバマ対共和党となってクリントンの出番はないわけですから。しかし、そのようなセコい打算がクリントンにあるとするなら、クリントンは国民の判断力を過小評価しているといわざるを得ません。確かに衆愚政治というように民主主義は、少なからぬ場合で、多数の判断力に乏しい国民の「気分」みたいなもので愚かな決定がなされてきました(戦争などがいい例です)。一割以上のアメリカ人は、オバマの所属していたキリスト教教会の牧師のバッシングのニュースがあれだけ流れていながら、オバマはイスラム教徒だと考えているそうです。国民の多くはそう賢くないかも知れませんが、ただし長期的には国民はやがて正しいことを選択することになります。クリントンが今回民主党の足を引っ張ったために共和党政権となったと評価されれば、4年後にクリントンが民主党の大統領候補になる可能性はまずなくなるであろうと思います。正直は最善の政策であるというのは常に当てはまります。クリントンは大統領候補になれなかったからといって、民主党とアメリカのために大統領として頑張りたいと述べた自身の言葉を反故にするような行動をとってはいけません。それは、クリントン自身の政治家としての自殺行為です。これ以上タイミングを逸することなく、やるべきことをやらねばなりません。そうでなければ、クリントンはむしろ民主党にとって害となってしまいます。私は結局、オバマはクリントンを副大統領候補に指名し、クリントンもそれを受けるのではないかと思っているのですが、これまでのクリントンの行動を眺めてみると妙な破滅的行動をとらないかとちょっと心配しています。
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フランスといえば

2008-06-03 | Weblog
ちょうどフレンチオープンテニスが佳境に入ってきました。この一年いろいろストレスと忙しさで世の中の移り変わりに気が向かず、気がついたら今年も早くも半分が過ぎ去ったという感じです。一昨日まで、フレンチオープンが開催中であることさえ気がつきませんでした。フレンチの赤土の遅い暑苦しいコートとその後のウインブルドンの緑の爽やかなグラスコートとはとても対照的です。球足の遅いフレンチではベースラインからひたすらミスすることなく強打し続けることのできる選手が勝っていくので暑苦しい試合が多く、切れ味するどいサーブアンドボレーを見るのが好きな私としては、何となくテンションが下がるのです。昔、レンドルが強かった頃、ウインブルドンではどうしても勝てなくて、一時は得意のフレンチをお休みしてまで、ウインブルドンに備えたのにやっぱり勝てなかったということもありました。「役人が書類に判子を押すのを見るのと同じぐらいレンドルの試合は刺激的だ」と皮肉られる程、正確無比に強打を繰り返すレンドルスタイルはフレンチでは強かったのですが、「牛若丸と弁慶」に例えられた1989年のフレンチの準決勝では、当時ナンバーワンのレンドルも17歳の小柄な新人、マイケルチャンに煮え湯を飲まされました。2セットオールでの最終セット、意表を突くアンダーサーブで攪乱し、前に出てきたレンドルのボレーミスさそったマイケルチャンの奇策は、未だに語りぐさとなっています。舞の海が小錦や曙を倒した取り組みを思い起こさせます。マイケルチャンの最後まであきらめずひたすら走ってボールを拾いまくるテニスがフレンチの王者レンドルを下した本当に暑苦しい試合でした。フレンチではいつもクレーにつよいラテンヨーロッパ勢が台頭するのですが、今年もスペインのナダールが好調です。それにしても暑苦しい選手です。せめてあの磯に打ち上げられたワカメのような長髪を短く刈って、袖付きの白いテニスウェアと普通のズポンを着て、打つときに唸らないようにしてもらえないだろうかと思います。自分の普段の生活があんまりスカッと爽やかといかないので、余計にスポーツでは、スカッとする試合を見たいと思うのかも知れません。
 フランスといえばファンション。トップデザイナーとしてファッション界をリードしてきた、イブサンローランが71歳で亡くなったというニュースを聞きました。クリスチャンディオールに引き立てられ、彼の死後、チーフデザイナーとして彗星のようにファッション界に現れたサンローランは当時若干21歳でした。兵役の後、ディオールに居場所を失った彼は、60年代初めに独立し、その後の活躍は知られている通りです。死因は脳腫瘍だったようです。脳腫瘍と言えば、最近、脳腫瘍が見つかったマサチューセッツ議員、テッドケネディーは、アメリカ南部の名門大学Duke Universityで摘出手術を行い、その後、化学療法、放射線療法をMassachusetts General Hospitalで行うというaggressive な治療法を選択したそうです。最近、脳腫瘍のニュースが多いような気がしますが、やはり携帯電話のせいでしょうか。
コメント (3)
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