百醜千拙草

何とかやっています

政府の言論弾圧とジャーナリズムの自己規制

2016-03-29 | Weblog
先週末、アベ政権からの圧力で報道番組降板となったとされる3人のベテランアンカーのうちの一人、岸井成格氏を含むジャーナリスト5人が外国特派員協会の主催で記者会見。ゲンダイがレポートしています。

NHKに「情報操作」疑惑…キャスターら抗議会見も取材せず

2016年3月26日 10時26分 日刊ゲンダイ
「何でいないんですかね。こういう所にNHKは来るべきですよ」――ジャーナリストの大御所たちがカンカンだった。

 24日、外国特派員協会の主催で、ジャーナリスト5人が記者会見を行った。登壇したのは岸井成格氏(71)、田原総一朗氏(81)、鳥越俊太郎氏(76)、大谷昭宏氏(70)、青木理氏(50)。青木氏以外は70歳を越えるベテランばかりだ。

 彼らの結束は、高市早苗総務相の「電波停止」発言をはじめ、安倍政権のメディア潰しと、それに萎縮する腑抜けメディアに抗議するため。この日も「(高市発言は)憲法と放送法の精神に真っ向から反する。知らなかったら大臣失格。故意に曲解したなら、言論統制への布石だ。どこまでも責任追及していく」(岸井氏)、、、、、

批判の矛先はNHKの報道姿勢にも向かった。冒頭の発言の主は岸井氏で、怒りのワケは会見の取材にNHKは記者もカメラも誰ひとり、参加しなかったこと。2月末に同じメンバーがそろった高市大臣への抗議会見の取材にも、NHKは来なかった。完全に無視を決め込んでいるのだ。、、、、

 岸井氏が「(NHKは)いつも最後に政府与党の言い分をくっつけることでニュースを完結させようとしている」と指摘すると、大谷氏は「NHK内部の人」から聞いた話として、国会論戦のニュースは「必ず政府側答弁で終わらないといけない」と応じ、制作サイドで義務づけているように語ったのだ。、、、、ニュースの結論を必ず政府の言い分で締めるのは、一種の情報操作、、、、、、、


この政府のメディアに対する圧力を告発する記者会見は外国のメディアでは大きく報道されているのに、日本ではほとんど取り上げられず、大手では毎日新聞と朝日新聞が取り上げたのを見たぐらいです。

ワシントンポストの記事。
Japanese journalists allege government pressure on media

アベ内閣に批判的な報道を抑制するために政府がメディアに圧力をかけていると、日本のジャーナリスト5人が糾弾した。同時に、日本のメディアの「信念を貫く姿勢の欠如」を嘆いた。

、、、アベ内閣はメディアの内容を神経質にチェックしている、なぜならテレビでの評価が支持率に影響するからだ、と元毎日新聞で朝日放送のニュースアンカーの鳥越氏は言う。「今の日本では、メディアが権力を監視するのではなく、政府がメディアを監視しているのです」、、、
政府の圧力よりもメディアの劣化が問題だ、と政治家に厳しい質問をすることで有名な田原総一郎氏。 「私から見れば、報道局上層部の自己規制が最も重大な問題だ」


メディアが政府をチェックするのではなく、政府がメディアをチェックしているとは、何とも情けない「民主主義」です。そういえば、民進党の結党大会でシールズの奥田さんが「国民の政治ばなれ」を引き合いに出して、現在の傍若無人なアベ政権や、(あるいは、ドジョウや空きカンの裏切りを指してか)「政治が国民ばなれ」しているのだ、と述べました。まさにその通りです。政治家は選挙のときだけ国民の方を向き、当選してしまえば霞ヶ関の方を向いている。なんともアベコベの多い国です。

それにしても、ネットに工作員は送り込むは、報道に圧力をかけるは、痴漢はでっち上げるはと、姑息なことです。日本もすっかり北朝鮮ですな。外国で、その北朝鮮ぶりを大々的に報道されて、肩身が狭いです。結局、そういう政権を選んだ国民もアベ内閣なみのレベルなのだろうと諸外国からは判断されてしまうワケですしね。

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アスナロ精神

2016-03-25 | Weblog
この数年やっていた仕事をまとめるべく、去年からちょっとずつ原稿を書いているのですが、なかなか進みません。ある程度、ストーリーが出来てきたころに、資金切れになったり、別のプロジェクトやグラント申請などに時間を取られて、しばらく本腰を入れて取り組むことができなかったこと、加えて分野の人々の(比較的)冷たい反応や、別の論文の仕上げなどに関わっていたせいで、気勢も削がれて遅れていたのです。やはり、こういうものはタイミングが大切ですね。自分が「面白い」と思っている間に、その勢いでまとめてしまわないといけません。

論文を書いて投稿するという作業は、限りある雑誌の編集リソースと紙面を奪い合うセールス活動でもあります。気難しいエディターの食指をくすぐり、シニカルなレビューアを説得して初めてナンボです。そんなセールス活動をやっている時に、売り込もうとする商品への自信がや情熱がなくては、売れるものも売れません。そういう意味で、論文やグラントを書くというのは、ある程度テンションが上がっていないと難しいです。書いているうちに足りないデータや弱点などが嫌でも目に入りますから、イヤイヤ書いていると、ますますテンションが下がっていきます。といって書かないと更に負のスパイラルに入ってしまいますので、とにかくゴリゴリと進めていくしかありません。そのうちまた最初のころの情熱を取り戻して調子が出てくるだろうと期待しています。

私は書くことそのものは嫌いではありません。実験も論文やグラントの「売り方」を工夫するのは好きな方です。かつて、共同研究者の人の論文のゴーストライターみたいなことをやった覚えもあります。その時は、そんなヒマがあればもっと自分の研究に集中すべきではないのか、と自分でも思ったりしたのですけど、ネタの盛り付けや演出を考えるのは他人のネタでも楽しいです。

研究者の中には実験は好きだが書くのは嫌いという人が少なくありません。実験をすることと論文を書くことは基本的には全く異なる作業だと思います。会社の開発部門と営業部門ぐらいの差はあるでしょう。しかし、私のような零細規模の研究者にとってみると、実験をすることも論文を書くことの中にも共通の要素があります。

それは、限られた資源の中から最大効果を引き出すという倹約精神です。「Thrill of Thriftiness」という表現を目にしたことがありますが、倹約を楽しむということは、限られたリソースの中から最大限の成果を絞り出すゲームを楽しむ、ということだと思います。ケチとも言われたりしますけど、「倹約すること」と「吝嗇であること」は精神の上で異なるものだと思います。

話がちょっとずれました。論文を書く作業は、手持ちのネタを如何に美味しく料理して見栄えするように盛り付けるか、というゲームであり、ちょっと足りないからといって、新しい高価なネタを買い揃えるというようなことは大抵できません。実験にしても、その研究の目的を達成するために、如何に手持ちの機材や技術や資金、リソースを最大限に利用するかという工夫をします。

それで、我々のような資金も労力も限られた零細研究室がそれなりの結果を出すためには、大手がやらないようなことをゲリラ的にやるというようなアプローチを取らざるを得ないわけです。リソースが限られているので、大手研究室が興味を示さないような分野で、使えるリソースを探し出して、異なった視点から何らかの価値を捻り出していくみたいなスタイルになります。大手研究室のように、わが道を堂々と進むような研究はできないのです。喩えが古いですが、テニスで言えばマイケル チャン、相撲で言えば舞の海、その辺を目指しています。

ま、それでも、いつかは真正面から正攻法でも勝負ができるように、アスナロ精神で、コツコツと頑張ろうと思ってはいる次第です。
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言論封鎖とプロパガンダ

2016-03-22 | Weblog
官邸からの「圧力」が原因で降板となったと言われている、テレビアンカー三人のうちの二人が、最後の花火。

”クロ現”最終回国谷さん。広報局通じコメント、
”時代が大きく変化しつづける中で物事を伝えることが次第に難しくなってきました”。

と政府の言論統制を批判。官房長官がNHK上層部を呼びつけてかなりの圧力をかけたらしいですからね。「I am not ABE」でコメンテイターを降板させられた元官僚、古賀氏に習って、「官邸の圧力で、正直な報道ができなくなりました」とでも露骨に言ってもらえたら嬉しかったです。

もう一人、報道ステーションの古舘伊知郎氏、「ワイマール憲法の教訓、なぜ独裁が生まれたのか。 緊急事態条項に警鐘」と、独裁色を強めるアベ政権を批判。アホウ氏の「ナチスのやり方を見習え」という露骨な言動に対する抗議でもあったでしょう。

それから、政府の言論統制と言えば、教科書問題がありました。教科書を書き換えて、アベ氏ら日本会議の妄想じみた歴史観で現実(現時点で世界的に共有されている歴史観)を塗り替えてしまえ、という子供を狙ったプロパガンダ作戦。産経がなぜか詳しく報道していました。

灘、筑駒、麻布など有名校がなぜ? 唯一慰安婦記述の中学歴史教科書「学び舎」、30校超で採択

慰安婦問題に唯一触れた「学び舎」の歴史教科書が30校以上に採用されましたが、採用した中学校は名門校が多かったそうで、「なぜ?」の答えは自明だと思うのですけどね。

国立と私立中では採択権が教育委員会ではなく学校長にあり、、、、同社の歴史教科書は平成16年度検定以降、中学校教科書で各社が一切採用しなかった慰安婦に言及し河野談話も取り上げた。当初、申請した教科書では強制連行を強くにじませながら大きく取り上げたが、不合格とされた後、再申請の際に大幅に修正した。
同社の歴史教科書の採択数は全国で約5700冊(占有率0・5%)。業界では「参入組にとって障壁が特に高い教科書業界では異例の部数」(教科書関係者)

朝日新聞の丸洋一さんのツイート。 産経新聞によると、慰安婦について記述した中学教科書は1社。それを少なくとも30校以上が採択した。産経が各校に採択理由を取材したところ、大半が非公表だったという。法律上、学校には採択理由を公表する努力義務があると産経は書いているが、それより、採択理由をいちいち尋ねる方が不気味。

それにしても、この政権ほど、ここまで公に批判を浴びせられた政権を見たことがないです。官邸前金曜デモなど各地の反政権デモは今も続いております。国民の声は一切無視し、これだけ強引にあらゆる分野で無理放題をし、繰り出す政策はことごとく大失敗、にもかかわらず、与党であり続けられる不思議。民主党がダメなのが最大原因なのでしょう。もう一度、小沢氏に旗を振ってもらうしかないだろうと思うのですが。
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幸運を実感した再投稿

2016-03-18 | Weblog
暇なのか忙しいのかわからないような日々が続いています。次のグラントのアイデアをアレコレ考えているうちに1日が過ぎていき、一晩寝ると、いろいろ考えたことをすっかり忘れてしまって、また同じことを繰り返すというような馬鹿げたことになっています。この物忘れの凄さは驚くべきものです。どこかから脳細胞が漏れているのかと思うばかりです。昔は、アイデアは自然と天から降りてきたものですが、今は何か思いついても、それが思考のテストを通過して、形になりそうなレベルに到達するものは百に一つもありません。

ようやく5年がかりのプロジェクトの論文を、半年がかりでリバイスをして論文を再投稿しました。振り返れば、動物のcharacterizationは比較的早期に終わったのですが、その後、メカニズムがなかなか詰められず、紆余曲折し、あっちの小道に迷い込んだり、こっちに寄り道したりして、3年以上悪戦苦闘し、最終的に論文にしたデータの10倍以上の様々な実験データはオクラになりました。この論文がそこそこの形になったのは、3年前にきてくれた人が当たりを引いてくれたからです。彼女が来てから、もう一本のプロジェクトも一気に進み、そちらの方も大詰めに近づいてきました。

In vivoでマウス遺伝学的手法を使ってメカニズムを詰めるというのは時間がかかります。最初のデータからいろいろな仮説を複数考えて、種々のデータから当たりそうなものを絞っていって、実験に入るわけですが、動物のことですから、一つの小さな仮説をin vivoで確かめるだけで早くても半年ぐらいは軽くかかってしまいます。論文のリバイスに半年かかったのも、遺伝学的実験を足したかったからで、もちろんこの実験が成功するという保証があったわけではなく、思うようなデータが出ていなければ、その半年は単に棒に振っただけに終わっていた可能性もありました。しかし、彼女のこの半年の頑張りと引きの強さは目を見張るほどのものがありました。リバイス前の論文も、私の当初の予想よりも数段上のよい出来になっていたのですが、この半年のリバイスで、更にインパクトのあるデータを足すことができて、厚みも増してよい作品に仕上がったと思います。5年の月日と彼女の頑張りを思い出して、投稿前には、つい涙ぐんでしまいました。

ま、運が良かったとも思います。しかし、「運」というものは普段の心がけと努力の賜物だと思います。この論文も5年の努力とオクラになった数多くのデータがあったからこそ、この形になったと思います。

私は、以前は、トーストを落とすとバターを塗った面が必ず下になって落ちるタイプだと思っていたのですが、それなりに辛い目にもあいながら匍匐前進している間に、自分は実は「運がいい」のだと理解し始めました。人生ここまで何とか生きてこれたという事実そのものが「運の良さ」を証明しており、その実感に基づいて「運」を当てにもできるようになりました。なんとかなる、ということですね。

どうも、幸運は「自分は運がよい」と思っている人にやってくるようです。私にとっては、そう考えられるようになるのに私なりの挫折の体験というものが役に立ったのだろうとは思っている次第です(とりあえあず、今は)。
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福島原発の今とその後

2016-03-15 | Weblog

福島原発事故から5年とちょっとが過ぎました。各種メディアが5周年に因んで、福島事故を取り上げています。
3/3号のNatureの記事Five years on from Fukushimaは、将来のエネルギー問題に向けて、海外の研究者らとの共同的研究を進め、原発事故の収束と代替エネルギーへの移行に向けて、努力するべきだ、というような論調で、アレっと思いました。
 福島原発事故は、史上最悪の原発事故で、かついまだ進行中の重大な問題です。その重大事故の現状の評価と反省を新たにすべき節目の時に、Natureがフロントページを数ページも割いてわざわざ掲載するような内容の記事だろうか、と思いました。ピントがずれているというか、議論すべきはそこじゃないだろう、という感じです。「タイタニック号の甲板の椅子を並べ替える」という喩えをよく耳にしますが、厳しい現状と今後の事故収束への具体的な議論をすっ飛ばして、未来の話をされてもなあ、と思います。目の前に氷山が差し迫っているのに甲板の椅子の配置など気にしている場合ではないだろう、そう思わせる記事でした。よく見ると、記事を書いたのは東大の人々、うーむ、このような他人事のような、気の抜けたビールのような記事になったのは、すぐそばの霞ヶ関のせいですかね。

一方、普通のメディアは、事故の現状をまず具体的に評価し、今後の見通しについて議論しています。ロイターの配信。
[10日 ロイター] - 福島第1原発の原子炉で、溶融した高放射能核燃料を発見するべく送り込まれたロボットは「息絶えて」しまった。地下水の汚染防止をめざして、破壊された原発の周囲を囲む地下の「凍土壁」はいまだ完成していない。
そして、原発の敷地の周囲に増え続ける一方のタンクに貯蔵された高濃度汚染水をどう処理すればいいのか、関係当局は依然として途方に暮れている。
現在も福島第1原発の放射線は依然として非常に強く、炉内に人間が入って、非常に危険性の高い溶融した燃料棒の塊を発見・除去することは不可能な状態だ。
福島原発を運営する東京電力(9501.T)は、損傷した建屋から数百本の使用済み核燃料を撤去するなど、ある程度の前進を見せている。だが、同発電所内の他の3基の原子炉で溶融した燃料棒の場所を確定するために必要な技術はまだ開発されていない。
溶融した燃料棒は原子炉内の格納容器を突き抜け、現在の正確な場所は誰にも分からない。原子炉のこの部分は人間にとって非常に危険である。そこで東電では、溶融した燃料棒を探すために、水中での移動が可能で、損傷したダクトや配管のなかで障害物を乗り越えることのできるロボットの開発に取り組んできた。だが、ロボットが原子炉に近づくやいなや放射線によって回路が破壊されて役立たずになってしまい、進捗が大幅に遅れていると増田氏は述べている。ロボットは各々の建屋に合わせてカスタマイズしなければならない。単機能のロボットを開発するだけでも2年はかかると同氏は語る。、、、
作業の多くは、損傷し、高レベルの放射線に汚染された原子炉を冷却するための注水に関連している。その後、放射性物質を含む水は原子炉から汲み出され、敷地周辺で増殖しつつあるタンクに貯蔵される。福島第1原発の小野明所長によれば、100万トン近い汚染水をどう処理するかが、最大の課題の1つだという。、、、


メルトダウンした燃料をどうにかするどころか、その情報を知るための技術でさえ、今から開発するという話。早い話が、5年経っても、事故の収束に関しては、何も進んでおらず、汚染だけが広がっているということですね。
関して、首都圏の放射線ゴミ処理が問題化しています。

首都圏の汚染ごみ2.3万トン 基準下回る分、自治体負担の恐れ
 東京電力福島第一原発事故で発生した放射性物質を含むごみ「指定廃棄物」の処分場建設は、事故から五年となる今もめどが立たない。その間に廃棄物の放射性物質濃度は低下し、一般ごみとして自治体が処理責任を負う恐れも出てきた。東北や関東など十二都県で保管中の指定廃棄物は計十七万トン。東京、神奈川、千葉、茨城、群馬、栃木の一都五県では計二万三千トン。
 指定廃棄物は放射性物質濃度が一キログラム当たり八〇〇〇ベクレルを超えるもので、自治体の申請に基づき環境省が指定し、国が処理責任を負う。、、、国は二月、基準以下になった廃棄物の指定を解除し、一般ごみとして処分できるルールを発表した。


キロあたり8000ベクレルで普通ゴミというのはキョーレツです。1 g あたり8ベクレルです。しかも残っている核種は減衰時間の長いものでしょうから、これらの線量はそう簡単には減りません。ずっと放射能を出し続けることになります。かつて実験でよく使っていた半減期が2週間の32Pでも通常のプローブなどのラベルに一回に使う量は数ベクレル、それでも厳密にシールドをして、少しでも放射線が感知されるものは遮蔽容器に保存していました。それから考えるとキロあたり8000ベクレルというのは立派な放射性物質で、ガイガーカウンターを近づければピーピーとうるさいでしょう。そんなものが、普通ゴミとかありえない、というのが原発事故前の常識ではないでしょうか。結局、これまでの生物学的な見地から決められていた基準だと、放射線ゴミをどうにもできないので、人体に悪影響があるのは承知の上で、基準の方を変えたということですね。この小手先のゴマカシでその場、その場をを乗り切ればそれでよいというのが、日本の政府のやり方です。政府は国民を守るつもりはありません。やっているフリだけです。連中は自分たちの利益さえ守れれば、一般国民がどうなろうと知ったことか、というのが本音なのでしょう。これからも自分の身は自分で守るしかありません。「日本、xxね!」と言いたくなる気持ちも分かります。
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レビューの話

2016-03-11 | Weblog

最近のNatureのフロントページで論文の出版に時間がかかりすぎるという記事がありました。投稿、リジェクト、再投稿、リバイス、リジェクト、、、を何度か繰り返すのはよくあることです。このウェッブサイトの読者アンケートを見ると、最初の投稿から出版まで最長の時間は、1-2年がもっとも多かったですが、5年以上と回答した人も5%弱いました。5年といえば人生の5%以上の時間です。研究の主題にも技術にも流行がありますから、論文も投稿と再投稿を繰り返してタイミングを逸してしまうと、ネタの新鮮さは失われ、人々の興味は薄れ、最終的にインパクトの低い論文になってしまいます。記事で取り上げられている例では、Scienceの最初の投稿から始まって最終的にPLoS Oneに落ち着く過程が生々しいです。

あと、密かに思うのは、やはり最近の研究業界の生き残りの厳しさを反映しているのか、品質の悪いものが増えているように感じます。実験の規模は年々増大し、多くのデータを要求されるようになり、一流紙ではストーリー重視主義がはびこる中、じっくり一つ一つのデータを吟味して確実性の高い、完成度の高いものに仕上げるという努力が省かれれているように感じます。ストーリーは面白いのだが、それを成り立たせているデータそのものの確実性の吟味を怠っている、張り子の虎のようなものがしばしば見受けられます。

今回の知り合い関係者からの論文もそうでした。知り合いだから何とかしてあげたいけど、ちょっと足りない。でも簡単にリバイスできるような足りなさではない。一年がかりの実験をやり直す必要があります。足りない事情もなんとなくわかります。筆頭著者は大学院生でしょうから時間に制限があるのだろうなあ、と思います。著者の方も、足りないのは十分承知しているだろうと思いますが、もう一年かかる実験を繰り返すことはできない事情があって、この形で投稿せざるを得なかったのでしょう。すっきりとは形にならないものを無理に体裁をつけたという感じで、苦労もわかるし、気の毒だなあと思いますけど、もっとも重要な結論をサポートするデータがちょっと弱過ぎます。などと思いつつ、リバイスを推薦するのボタンを押しました。

余程のことがない限り、私はリジェクトのボタンは押さないです。リジェクトにするのが筋だろうという論文でも、著者の努力次第で十分掲載可能なレベルになると考えられるものは、具体的に必要不可欠なリバイスのポイントを指摘した上で、Major revisionを推薦するようにしています。しかし、そんな「温情?」が報いられることは滅多にありません。大体、最初からポイントが抑えられていないような論文を投稿してくるような人々なわけで、そういうのは、リバイス後の論文の出来も大概はダメです。時に、著者がコチラの意図が理解できないのか、あるいは積極的にゴマカシそうとしているのかわかりませんが、グダグダになってしまうこともままあり、こんなことなら、最初からリジェクトしておけば良かったと後悔することもあります。(アベ氏の国会答弁のような、論理が欠如し、要点にわざと答えず、最後は逆ギレするかのようなResponseを平然と書いてくるようなケースがホントにあるのですよ)

もう一本、知り合いではないですが業界ではそこそこ有名な研究室から回ってきた論文がそうでした。その実験には金も労力も時間もかかっていますが、データの解釈に必要な肝心な部分をきっちり押さえていないので、結果に複数の解釈の余地が残り、結論が十分にサポートできていないのです。つまり、研究の基礎工事の部分を手抜きしているために、その上に相当な労力と金をかけて建てられたストーリーが砂上の楼閣のような風情になっているのです。それで、このままではストーリーはいつ崩壊するかもしれないから、基礎工事をやり直すようにというようなコメントを書いて送り返したのが、多分一年は前。リバイスの著者からのレスポンスを見てちょっと驚きました。早い話が、ウチは隣の家でやったと同じような基礎工事をしたが、隣の家は大丈夫なのだからウチの基礎工事をやり直す必要はない、というようなコメントだったのです。ま、そんな三段論法的が通るのなら、世の中の9割の実験は不要です。生物学は厳密科学ではないので、一々、実験を繰り返して知識を集積しないといけないわけですから。

とは言うものの、想像するに、そういった基礎的な実験をやれない事情があるのだろうと思います。その実験をやって予測と異なるデータが出ると、ストーリーが崩れ去ってしまうような場合、論文を通したい一心の著者ならやりたくないでしょう。しかし、怪しい論文、クオリティーの低い論文を出すということは、「信用できないヤツ」と名刺に書いて配るようなものです。出さない方がマシです。

これは、最近、身近な例でありました。5 年前にとある一流紙に出た論文ですが、出版の一年ぐらい前に、筆頭著者の人から直接そのデータを聞く機会があり、その時に「データは別の解釈の余地があり、私の持っているマウスを使えば簡単に判定できるので、協力するので実験をして確かめたらどうか」という提案をしたことがありました。しかし、彼らにとってはストーリーはすでにできており、私の提案した実験で思うような結果がでなければストーリーは崩れ去ってしまうという状況のようでした。その後、彼らからはナシの礫で、気が付いたら論文がでていました。最近、彼らの論文のデータ解釈に関して、私と同じことを考えていた別のグループからコンタクトがあり、彼らの論文のデータの解釈が正しくないことを示す実験データがでたと話がありました。それで事情を説明して、おそらく彼らはデータに別の解釈の余地があることは知っていたが、論文の出版に都合が悪いので、知らないふりをしたのだろう、という話をしました。間もなくして、その「反駁論文」は投稿され、最初の論文の著者側にレスポンスを求める編集室からの連絡が行ったことをまた別のルートから知りました。まだ係争中(?)のようですが、本来なら論文の撤回がスジだろうなあと私は思います。5年前に、怪しいところを隠して一流紙に掲載された論文を、忘れた頃にほじくり返されて、グダグダの挙句に下手すると撤回ということになれば、悲しいことです。正直は最上のポリシーですね。
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アベすぎる人々

2016-03-08 | Weblog
もう悪口言っても状況が良くなることもないので、なるべく批判はしないようにと思ってはいるのですが、先週のドジョウの話には、人間、ここまで落ちたら終わりだなあ、と思わずにはられませんでした。

そもそも私は、政治や権力などには全く何の関心もないノンポリ研究者でした。今も別段、興味があって政治の話をしているわけではなく、日本の政治、政治家や役人が目に余って酷く、身の危険を感じるほど劣化が激しいので、危機感から発言しているだけです。とはいうものの、最近は、限られた残りの人生、すべきことの優先順位を考えるようになり、日本の政治の批判ばかりしたところで有意義な結果につながるよりは、時間をムダにするばかりだろう、と思うようにもなりました。結局、私の見るところ、日本の社会では、正直で誠実で一般国民のために奉仕したいと考えるような人は政治家として生き残っていけないのです。平然とウソつき、主義主張は風向き次第で朝令暮改、国民の話は聞くふりだけしてウラでは官僚と既得権益層と握って、彼らの利益を増やすために働くような、いわば「下種の極み」な人間だけが選択されて残っているのだろうと思わされます。道理で、最近の政治家は誰を見ても文句を言いたくなるわけです。そういう人しかいないのですから。

ところで、感情的なものを排して言っても、ドジョウがやったことは強烈な裏切りです。有名な「シロアリ退治」演説で当選し、小沢氏の力で政権交代して最終的に首相にまでなったくせに、やったことは、シロアリ退治どころか、消費税増税というシロアリの餌を確定し、挙句に最悪のタイミングで解散して、みすみす自民党に政権を明け渡し、史上最悪の政権、アベ政権を成立させてしまった、いわば、野党側にとっての犯罪人です。

読売がわざわざ、過去の人ですでに何の力もないドジョウの話を記事にするということは、野党共闘へのネガティブキャンペーンとしての悪意があるわけで、野党内で揉めさせて野党共闘に水を差すのが目的です。しかし、野党共闘のためとはいっても、それを内部からぶち壊すような「いない方がマシ」な連中は大勢おります。ドジョウが小沢氏を嫌っているのは事実でしょう。しかし、この人、百歩譲って、人としてどうよ、という部分は置いておくとしても、政治家としては許されないことをやったと私は思います。しかし、今更、その罪を並べあげても、それでアベ政権が消えてくれるわけでもないので、みんな無視していたわけです。しかし、たまに発言しては、要らぬことを口走り、それを「敵」に利用されるのだから情けない。あるいは、ドジョウの場合、自民党を野党側から応援するために、ワザとやっているのかも知れませんけど。

 野田氏はもともと、維新との合流や党名変更に慎重な立場だったが、この日は「方針が決まってもごちゃごちゃ言う民主党の悪い癖を出してはいけない」と強調した。ただ、「一番足を引っ張った元代表さえ来なければあとは全部のみ込む」とも語り、首相時代に自らのグループを率いて集団離党した小沢一郎元代表との「共闘」には難色を示した。


しかし、コレには恐れ入りました。手前のやってきたことを棚に上げ、どこをどう捻って解釈すればこのような発言ができるのか。あなた何様?ドジョウでしたっけ。「一番、足を引っ張った元代表」という異常な認識のは、キョーレツですね。その元代表がいなければ、そもそも政権交代もできなかったし、自分が総理になることもなかったわけです。そして、下の地上げ屋さんの話が本当ならば、密かに自民党に政権を売り渡した前代未聞の裏切り者がドジョウです。足を引っ張るどころか、民主党政権をぶっ潰した本人が、民主党政権を打ち立てた功労者に向かって、「足を引っ張る」とは、なんという言い草なのでしょう。

これに対して、ネットでは当然ならが批判の嵐。

続 壺 齋 閑 話から。野田さん、今度はアンタの番だ
、、、民主党が没落した最大の理由は、当の分裂もさることながら、公約破りのウソをついたと、国民から断罪された結果だろう。そのウソをついた張本人は、小沢一郎ではなく、野田佳彦だと国民の誰もが思っているはずだ。なにしろ公約したことを次々と反故にし、やらないといっていた消費税増税をやったのは、ほかならぬ野田さんだ。党の分裂にしても、出て行った小沢さんよりも、党首としてそうさせた野田さんのほうの責任が重い、そう誰もが思っているのではないか、、、


この読売の記事が出る数日前にアップされた地上げ屋さんの記事
・、、、総理に就任した2011年秋以降・・党内が消費税増税議論で、てんやわんやになったとき・・党内説得することなんてハナから当てにしないで、自民党と話してたんだよ。 罪務省の仲介でね。 消費税法案通したあと・・衆議院解散。 このシナリオは、罪務省との共作。 ここまでは・・週刊誌も書いてたよね。 、、、仲間の俺たちにはナニも知らせずに? 敵である自民党総裁に? 解散時期知らせてたんだよ、アイツは!? 有り得ないよね・・? その結果が・・? 累々たる屍の山さ。 小沢さんがどうこう言うヤツより、野田! アイツだけは許せないって人間のほうが、圧倒的に多いはずだよ」


かっちの言い分から。
党を割ったというが、民主党が政権を取ったとき、公約にしていた「消費税を上げない」を反故にしたのが野田元首相であったはずだ。それに反対して小沢氏グループが分党した訳で、安倍氏の口車に乗せられて民主党が政権から転落させた最大の戦犯が野田氏でのはずである。そもそも、野田氏が首相になれたのは誰のお陰だと思っているのかと言いたい。小沢氏が代表として選挙を仕切っていなければ、政権が取れたとは思わない。その恩人にこの言葉である。野田氏の心理は、自分よりはるかに大きい小沢氏が同じ党に居れば、思うようにエライ顔をして動けないと思っているのであろう。


プーチャン @putyan ツイート
野田は自民党に政権を明け渡した男。小沢氏は自民党から2度政権を奪取した男。この2人の野党連合における重要性は、天と地ほども異なる。

だんだんと意味のない悪口になってきましたのでやめます。野党共闘を潰すためのネガティブキャンペーンにまんまと乗らされたようです。

もう一つ言わせてください。先週のニュースで、アベ氏のアベすぎる発言にまた反応してしまいました。辺野古の強行工事に関して、国と沖縄県が訴え合うという異常な事態になった裁判で、「協議をやり直す」という当然すぎる和解案が出されて、双方が合意したというニュースでしたが、この和解が成立した直後の記者会見で、アベ氏は「辺野古が唯一の選択肢」という発言をしたらしいです。この発言全文、産経に出ていますが、この人の話には「論理」というものが全く無いですな。国が辺野古移設に関しての沖縄県との約束を長年にわたって破ってきた上で工事を強行しようとしたことに対して、知事が然るべき理由に則って承認取り消しをしたという経緯があります。和解案というのは、県と国がよく話し合って妥協案を見つけなさい、という司法判断を受け入れたということであるのに、和解を受け入れた直後に、話し合いをする前から、「辺野古が唯一の選択肢」などと口走るのでは、ケンカを売っているとしか思えません。ホンとにこの人、人としてどうよ、と思います。加えて、次のようなニュース。和解するといった直後にケンカを売る、アベすぎる首相も首相ならその閣僚も同じレベル、裏で操る東大官僚もあるいは同じレベルなのでしょうか。キョーレツですな。

東京新聞、国、辺野古取り消しで是正を指示 翁長氏は係争委申し出へ
 石井啓一国土交通相は7日午後、地方自治法に基づき、翁長雄志沖縄県知事に対し米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の移設をめぐり、名護市辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消した処分を是正するよう指示した。これを受け翁長氏は、近く第三者機関「国地方係争処理委員会」に審査を申し出る方針を固めた。是正指示は、4日成立の代執行訴訟の和解条項に基づく手続きの一環だが、再協議に入る前の早期の指示に県側が反発を強めるのは必至だ。

頭の悪いやり方というのは、こういうのを言うのです。和解したかのようなフリをして、いきなりケンカを売る。それで物事が進むとでも思っているのでしょうか。国家権力を嵩にきて、力で無理やり押さえつけることしか考えられない、アベ氏やこの連中がやっていることは、チンピラと同じです。かつての自民党はこんなレベルの連中ばかりではなかったはずですがね。
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暗くなったら電気をつけよ

2016-03-04 | Weblog
民主党と維新の合併で、党の名前を募集とか。アイドルグループでもあるまいし、大事なのはカンバンよりも中身ですね。とはいうものの、民主党という言葉に既にStigmaticな響きがありますから、変えた方が良いのかも知れません。内閣改造しただけで支持率が上がったりするような国民性ですから、中身は同じでもパッケージを変えれば、支持も上がるというのは多分正しい読みでしょう。ま、それに、「民主党」とはいうものの、政権担当時、二代目以降は「民主」とは程遠いことをやってきているのですから、名前を変えるのは悪いことではないかも知れません。一層のこと、二つとも生活の党に吸収合併してもらったらどうですかね。

別のニュース。トルコには「大統領侮辱罪」とかいう江戸時代の話みたいな罪があるそうで、この1年半で2000件が立件されたという話。
トルコの検察当局が、エルドアン大統領を「侮辱した」とする刑事告発を大量に受理していたことが分かった。就任からの1年半で、その数は2000件近くに上っている。同国では大統領に対する侮辱は最高4年の禁錮刑に相当するが、これまで立件されることはめったになかった。エルドアン大統領が国民の不満を抑えつけるために利用している、と批判する向きもある。告発されたのはジャーナリスト、漫画家、学者などで、中には学齢期の子供もいる。

民主主義国家なら、大統領は公僕、公僕のパフォーマンスが悪くて文句を言うのは、主人たる国民が当然の権利だと私は思います。これは民事で名誉毀損で争えばよいことですから、検察が出てきて立件するということは、言論統制、専制政治ということでしょう。

戦後に、より人間的で進歩した平和な世界がもたらされると我々が考えていたことと、どうも逆のことが世界中で起こりつつような感じです。せっかくの平和を放棄し、立憲主義をないがしろにし、民主主義を否定するような政権が増えました。進歩ではなく、明らかに退行です。気分も暗くなります。しかし、未来を作り上げるのは、世界の構成人員、われわれ一人一人です。明るい未来を作るには、明るい気持ちで前向きやらねばなりません。

そこで、最後に一つ、最近、感銘を受けた元気の出る言葉。

「暗くなったら電気をつけろ」
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意外な出来事

2016-03-01 | Weblog
最近、モウロクして読みが悪くなってきたのか、世の中、予想と異なる意外なことことが起こってビックリしますな。

アメリカ大統領選の共和党候補としてクリス クリスティーがトランプの支持を表明したとのこと、はて?どういう思惑なのでしょうか。アメリカの大統領は日本の首相のようなOrnamentではないと思います。「拒否権」というものもありますし、実質的なパワーを持っています。面白半分や破れかぶれで大統領を選ではいけません。これまでのトランプの行状、大統領選になってからの言動、などを考えても、私はトランプはちょっとありえない選択だと思うのですけど。想像するに、クリスティーは大統領や国の将来よりも、とにかく共和党政権を取ることを優先するべきであり、そのためには「勝ち馬」に賭けるしかないと思ったのではないでしょうか。他の残りの候補が最後まで残ったとして民主党候補に勝てるのか、という計算に加えて、対抗馬、ルビオ氏に対するクリスティーの個人的な嫌悪感などもあったと思われます。
一方、保守系ワシントンポストやインテリ経済雑誌エコノミストなどは、トランプはありえない、とつよく反トランプ姿勢を表明。アメリカという最大の軍事力を持つ国の司令官として、トランプのような人間が世界にとって好ましいか、そう問いかければ、肯定する人は少ないでしょう。ただ、不満のたまった共和党支持者にとっては、世界の平和やアメリカの将来よりも、とにかく党の力が強くなって民主党に勝つことが最優先となっているのだろうと思います。とりあえず、今期は、資質はともかく、民主党に勝てる可能性のある候補で戦い、4年後にもっとマトモで強力な人間を育てたいという二段構えで考えているのかも知れません。

一方、民主党側では、南部の州で、クリントンが票を伸ばし、サンダースは苦戦。南部、中西部は共和党の強いところで、本戦になった場合に何にせよ、民主党は獲れない州です。両海岸沿いの民主党の強い州はもちろん、オハイオなどどちらにも転ぶ可能性のある州で共和党に勝てる候補を選ぶべきだろうと思います。その点ではサンダースの方が望ましいと私は思うのですが。南部でクリントンが強いのは、多分、過去クリントン政権を支持してきた黒人、ヒスパニック層にとってはサンダースよりもクリントンの方が馴染みがあるという理由でしょう。

いずれにしてもSuper Tuedsayの明日(アメリカ時間)に各党からの最終候補が大体予測できるようになると思われます。

日本では、これまたガックリきた話、新党大地の鈴木宗雄氏が自民党へ擦り寄り、その長女が民主党を離党し自民党系候補として次の選挙を戦うという話。TPPなど自民党政策を批判してきたくせに、選挙前に自民党系に宗旨替えするというのは、何なのでしょうか。有権者への裏切りではないのかな、と私は感じます。加えて、鈴木氏の長女が議員をやっているのは、民主党の比例区の議員だからで、いわば民主党の看板のおかげです。さらに、これは、小沢一郎の失脚を狙って、自民党と検察と(おそらく最高裁)が組んででっち上げた「陸山会事件」で、議員辞職を余儀なくされた小沢氏の元秘書で元民主党議員であった石川氏の議員辞職に伴う空席を埋めるためのものです。ならば、この人は、民主党や民主党元議員の人のおかげで、反自民党政策をかがげて議員になっているわけで、ここに至って主張をヒックリ返して後ろ足で砂をかけるような真似をするというのは、人として如何なものか、と思うわけです。受けて、民主党は、『民主党の枝野幸男幹事長は29日の役員会で、離党を表明した鈴木貴子衆院議員(比例北海道)について除籍(除名)処分とし、党倫理規則に基づき議員辞職勧告を行う方針を報告した。』という話。ま、当然でしょうな。筋は通さねばならないと思います。

確かに民主党は情けない。民主党は二代目以降、急激に劣化しました。それに加えて小沢氏を排除した執行部は政権運営能力が極めて低いことを露呈し、国民を大きく失望させました。しかし、では自民党が良くなったのかと言われたら、実は、自民党の劣化もそれにまして激しく、自民党はかつての保守政党ではなくなり、アベ政権は、右翼化してほとんどカルト集団となってしまっています。しかし、自民党はとりあえずは与党であり、官房機密費も潤沢にあり、選挙はまだ有利に戦えるでしょう。その自民党に選挙前に擦り寄る理由はいわずもがなでしょうね。誰でも我が身が一番かわいいのはわかります。しかし、建前とか義理とか筋とかを大切にできないのでは、動物と同じだと私は思います。特に、住民や国民の代表を務めようとする人間が、まず己大事であって、どうして信頼を得られるのでしょうか。松山千春さんの意見を聞いてみたいですな。
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