細胞生物学界の堕ちた星、mTOR manのDS氏。昨年セクハラで研究室閉鎖、研究所追放され、ついにはMIT教授のタイトルも失ったようで、人々の記憶から早くも忘れ去られようといましたが、ニューヨークの名門校、NYUが雇用するかも、というニュース。
NYU他の教官や関係者の多くは難色を示しているようですが、一方で、支援を表明するかつての研究員らもおります。そのNYU医学校の学長は、DS氏のリクルートメントに関しての教官へのメールで、「暴徒は、異なる考えを持つ人を強硬に『取り消し』たり、反証が困難な方法で根拠なく個人を攻撃したりしたくなる」と述べたそうです。
この学長のメールで、「(人を)取り消す(キャンセル)」という言葉が使われていますが、この言葉は、"cancel culture" という言葉で表される最近の風潮を踏まえたもので、この文章から、NYU学長は、DS氏を速攻でクビにした研究所と大学および財団のとった行動が性急で行き過ぎたものであると批判的に考えているらしいことが伺えます。
Wikipediaによると、「キャンセル文化 (cancel culture または、call-out culture)」という言葉について、「#MeToo運動の一環として使われるようになり、#MeToo運動は女性(と男性)に、特に非常に力のある個人に対して、公に告発することを促進した。、、、キャンセル文化というフレーズは、社会が攻撃的な行為に対する説明責任を厳密に果たすという認識として使われた」とあります。もっと砕けていえば、力の弱いものが罪を犯した有力者や有名人を集団で吊し上げ、社会的に葬ることを是とする文化とでも言えばいいでしょうか。
人の不幸を喜ぶ気持ちというのは、誰でも多少なりともあるもので、その対象が有名人や成功者であればあるほど、喜びは大きく、そしてその黒い喜びを表現したいと思う人も少なくないです。芸能人が薬物や脱税で捕まったりした後の、匿名のコメント欄など、この手の書き込みで一杯です。
このキャンセリングは、しばしば匿名の集団的行動であり、かつ正当な非難の理由があるがゆえに人は軽い気持ちでこの集団リンチに参加して、容易に「炎上」するのだと思います。結果として、こうした人々の行き過ぎた行動は当初の#Me too運動の趣旨から乖離してしまい、ネガティブな大衆行動を示すものとして「キャンセル文化」という言葉は使われるようになっています。
DS氏に関しては、セクハラポリシーに違反したのは事実としても、今回のように社会的に抹殺されるような処分を受けるべきではなかったと私は思います。男女の仲は薮の中ですから、そもそも、これがセクハラか単なる恋愛問題のこじれが発展したものか私はわかりませんけど、明文化された規則の中に「李下に冠を正すことは、泥棒行為とみなす」とかいてあったのでしょうから、厳密性を尊べば仕方ないのでしょう。
しかし、法律や規則に沿って粛々とやるのが法治国家の原則であるとしても、それを動かしているのは感情をもつ人間です。しかも、この場合、法や規則に沿って粛々と処分が行われたというよりも、所属施設は、ほぼ一方的といえるような形で、DS氏を断罪し解雇しました。噂によると、その年のノーベル賞の可能性が高まってきたところへの不祥事だったので、施設としては受賞が決定的になる前にカタをつけたかったのだという話もあります。これが本当だとすると、規則に沿って粛々とどころか、ポリティカルなモチベーションが大きく作用したということになります。いずれにしても、身から出た錆とはいえ、水に落ちた犬を寄ってたかって叩いたという感じは否めません。法や規則に準じて断罪することが「正しい」ことであるが故に、人は気兼ねなく叩けるわけで、「キャンセル文化」が集団リンチと紙一重である所以でしょう。
それで、以前、トランプがTVのミスUSAコンテストの審査員をやっていたときの事件を思い出しました。優勝者の素行不良が明らかになってタイトル剥奪になりかけたとき、トランプは擁護して、「セカンド チャンスが与えられるべきだ」と述べたのでした。これについては、当時も賛否の議論は当然ありました。コンテストに勝ち残れなかった人々や、大学のポジションを得ることができなかった多く人々、つまり、ファーストチャンスでさえ手にできなかった人のことを考えれば、こうした成功した人々が大きな過ちを犯した後で、セカンドチャンスが与えられることは不公平であるとしかいいようがありません。
しかし、私はそれでも、悔い改めるならば、人はセカンドチャンスは与えられるべきだと思いますし、人を社会的に抹殺するほどに集団で叩くのは良くないことだと思います。誰でも、そうした立場におかれる可能性はあるのですから。キャンセル文化が、正義や公正さという理性的概念を利用した人間のネガティブな感情「不寛容さ、敵意と攻撃性」の表れであることに意識的であることは大切だと思います。不寛容さと敵意、それこそが、今、ロシアとアメリカがウクライナに惨状を引き起こした原因の根底にあるのだと思います。