いよいよ今年も最後になりました。個人的には論文で苦しんだ(まだ苦しんでおります)一年でしたが、他のプロジェクトは、まずまず進んでいて、興味深い展開となっているので、それなりに楽しい一年でした。
Scienceでは、今年のブレークスルーの第二位に、クレイグベンターがゲノム全体を合成して微生物を作ったという研究が入っています。私は、ブログにも書きましたが、これはこれまでの遺伝子操作を大規模にやっただけのことでそれ以上のものではないと思うので、ブレークスルーと言う程のインパクトはないと思っております。この報告に関しては、Natureも今年あった特筆すべきこととして挙げてあります。あと生物学に関した所では、シークエンス技術の発達でヒト遺伝子ゲノム研究が飛躍的に進歩したこと、正確には今年ではないですがラットのノックアウト技術の開発と発展、そんなところでした。Natureは先のEditorialでヒ素細菌の発見に関して批判的意見が多いという話を紹介したところでしたが、Natureの今年の出来事にこの件が再び、ピックアップされていて、「Arsenic-based life was discovered. Or not」という題でコメントされています。
日本の社会においては、大きなセットバックの年でした。既得権を守ろうとする国家権力とアメリカのあからさまな不法の数々、検察の冤罪事件やでっち上げ、不正操作、政治的意図で操られたマスコミの虚偽報道、自己中心的な権力欲で国民と仲間を平気で裏切る空きカンの本性などが、露にされ、日本の恥部と腐臭が噴出した年でした。昨年の政権交代の反動でしょう。こういう汚いものが国民の眼に触れるようになることは良い事だと思います。臭いものが多すぎて蓋をするぐらいでは間に合わないことが実感されるでしょうから。個人的にはマスコミの悪質さと記事の劣悪がもっとも腹立たしいことでした。また、散々、悪口を書きましたが、民主党空きカン内閣の奸賊どもには、ほとほとあきれかえりました。無能なだけでなく、人間として許せないと思います。それが、皮肉なことに逆に小沢氏への市民の関心を呼ぶことになり、各地で一般市民が主催するマスコミ虚偽報道や検察、検察審査会などの小沢氏に対する不法行為に対するデモに発展しました。小沢氏、座右の銘は「百術は一誠に如かず」だそうですが、私も人間としてもっとも大切なことは「誠実であること」だと信じております。その対極にあるのが、空きカン内閣の奸賊どもでしょう。
先日、ユダヤ教信者と、なぜ聖書はあれほど、生々しくて気分が悪くなるような話が多いのかという話になりました。例えば、嫉妬のために弟を騙して殺したカインから始まって、部下の妻を騙して、犯して、孕ませて、それを隠そうとその部下を危険な戦地へ送って殺したダビデ王の話、などなど、私などからするとこの手のおぞましい話が聖書にはてんこ盛りになっています。戦国時代の歴史小説と変りません。しかし、どうしてこういうおぞましい話が連綿と2千年近くにもわたって、聖書の中に語り継がれる必要があったのか、その辺が私にはちょっと理解できないと思いました。そのユダヤの人は、それは、そんな物語から教訓を学ぶためだ、みたいなことを言いました。だからこそ、カインもダビデも罰を受けたのだと。そう考えると、ユダヤ教徒やキリスト教徒は、実例を具体的に見聞きしなければ、因果応報とか、誠実さの尊さとかが理解できないのかな、とも思ったりしました。日本人なら、おそらく抽象的な注意を受けただけで理解できただろうと思います。昔、JALのスチュワーデスの教育は、「自宅でお父さんに接しているように、お客様に接しなさい」と一言、言えば足りた、という話を聞いた覚えがあります。そういう抽象的な一言で、具体的な行動を想像できたということでしょう。これは島国で比較的均一な共通の文化を日本人が共有していたせいかも知れませんが、あるいは日本人や東洋人の想像力の豊かさを示しているのかも知れません。ま、そういう時代は過ぎ去りました。
聖書では、民衆の支持を集めるイエスがユダヤの既得権力に迫害され、十字架に架けられます。イエスを金のために売ったユダ、保身のためにウソをつくペテロ、この辺りのドラマは、小沢氏をめぐる民主党議員と妙に重なり合います。イエスの死後、キリスト教の迫害は200年余りも続きました。そんなことを考えてたりすると、現在、小沢氏を十字架に架けようと既得権者がなりふり構わず、迫害を強めているわけですが、仮に小沢氏の謀略による失脚が成功した場合であっても、小沢氏の国民第一の精神は受け継がれ、本当の国民主権がいずれ実現されるのは間違いないと思います。一粒の麦も死なずば、ただ一粒にあらん、もし死なば数多の実を結ぶべし、小沢氏が身を引く時はそういう心境の時でしょう。
しかし、今はまだその時ではありません。このまま、理性も何もぶっ飛んでいる空きカン内閣が、権力にしがみつきたい一心で、小沢氏排除を徹底しようとした場合、民主党は崩壊するでしょう。次の総選挙までこの調子で持つとも思えませんから、来年の内閣改造で空きカンが失敗すれば、そこまでと思います。民主党が反小沢、と小沢支持で割れてしまうと、政界は戦国時代になり、何一つ国会が機能しなくなります。それは日本国民にとって不幸な事である、小沢氏はそう考えているので、今の党執行部と内閣の低能どもにはホトホト愛想を尽かしてはいても、党を分裂させて戦国時代にしてはならない、という一心で耐えているのだと思います。来年、空きカンが内閣改造で、問責に上がっている悪徳弁護を更迭しないか、あるいは官房長官を辞めさせても別の閣内の権力ポストへ横滑りさせたりしたら、空きカンは終わりでしょう。権力にあるとは言うものの国民にはもうすっかり愛想をつかわれているわけで、裸の王様と変わりない状態ですから。空きカンには、誠実に正しいことを行うという勇気、根性、能力と責任感がありません。空きカンは最初は権力乗っ取りを果たしたテロリストだったわけですが、いまはその権力ゆえのプレッシャーに押しつぶされて精神を病んでしまっていますから本当に何をするか分りません。ひょっとしたら衝動的に自殺したりする可能性もあるのではないか、と私はこの間、新聞に出ていた狂気の宿った空きカンの眼を見て思ったりしました。
鬼が笑うかも知れませんが、来年は空きカンと空きカン内閣が正気に戻らないかぎり、戦国時代の幕開けとなって、国民は大変な被害を被る可能性が高いと思います。この国民主権実現への動きは大きくなる一方でしょうし、国民を搾取してきた既得権者は最後の悪あがきはよりあからさまとなるでしょうから、経済が悪化していく中で世界一のスピードで老齢化する日本の来年は、あるいは今年以上に大変な年になるのではないか、と思わざるをえません。
ま、これで今年も終わりですからやめましょう。よいお年を。
Scienceでは、今年のブレークスルーの第二位に、クレイグベンターがゲノム全体を合成して微生物を作ったという研究が入っています。私は、ブログにも書きましたが、これはこれまでの遺伝子操作を大規模にやっただけのことでそれ以上のものではないと思うので、ブレークスルーと言う程のインパクトはないと思っております。この報告に関しては、Natureも今年あった特筆すべきこととして挙げてあります。あと生物学に関した所では、シークエンス技術の発達でヒト遺伝子ゲノム研究が飛躍的に進歩したこと、正確には今年ではないですがラットのノックアウト技術の開発と発展、そんなところでした。Natureは先のEditorialでヒ素細菌の発見に関して批判的意見が多いという話を紹介したところでしたが、Natureの今年の出来事にこの件が再び、ピックアップされていて、「Arsenic-based life was discovered. Or not」という題でコメントされています。
日本の社会においては、大きなセットバックの年でした。既得権を守ろうとする国家権力とアメリカのあからさまな不法の数々、検察の冤罪事件やでっち上げ、不正操作、政治的意図で操られたマスコミの虚偽報道、自己中心的な権力欲で国民と仲間を平気で裏切る空きカンの本性などが、露にされ、日本の恥部と腐臭が噴出した年でした。昨年の政権交代の反動でしょう。こういう汚いものが国民の眼に触れるようになることは良い事だと思います。臭いものが多すぎて蓋をするぐらいでは間に合わないことが実感されるでしょうから。個人的にはマスコミの悪質さと記事の劣悪がもっとも腹立たしいことでした。また、散々、悪口を書きましたが、民主党空きカン内閣の奸賊どもには、ほとほとあきれかえりました。無能なだけでなく、人間として許せないと思います。それが、皮肉なことに逆に小沢氏への市民の関心を呼ぶことになり、各地で一般市民が主催するマスコミ虚偽報道や検察、検察審査会などの小沢氏に対する不法行為に対するデモに発展しました。小沢氏、座右の銘は「百術は一誠に如かず」だそうですが、私も人間としてもっとも大切なことは「誠実であること」だと信じております。その対極にあるのが、空きカン内閣の奸賊どもでしょう。
先日、ユダヤ教信者と、なぜ聖書はあれほど、生々しくて気分が悪くなるような話が多いのかという話になりました。例えば、嫉妬のために弟を騙して殺したカインから始まって、部下の妻を騙して、犯して、孕ませて、それを隠そうとその部下を危険な戦地へ送って殺したダビデ王の話、などなど、私などからするとこの手のおぞましい話が聖書にはてんこ盛りになっています。戦国時代の歴史小説と変りません。しかし、どうしてこういうおぞましい話が連綿と2千年近くにもわたって、聖書の中に語り継がれる必要があったのか、その辺が私にはちょっと理解できないと思いました。そのユダヤの人は、それは、そんな物語から教訓を学ぶためだ、みたいなことを言いました。だからこそ、カインもダビデも罰を受けたのだと。そう考えると、ユダヤ教徒やキリスト教徒は、実例を具体的に見聞きしなければ、因果応報とか、誠実さの尊さとかが理解できないのかな、とも思ったりしました。日本人なら、おそらく抽象的な注意を受けただけで理解できただろうと思います。昔、JALのスチュワーデスの教育は、「自宅でお父さんに接しているように、お客様に接しなさい」と一言、言えば足りた、という話を聞いた覚えがあります。そういう抽象的な一言で、具体的な行動を想像できたということでしょう。これは島国で比較的均一な共通の文化を日本人が共有していたせいかも知れませんが、あるいは日本人や東洋人の想像力の豊かさを示しているのかも知れません。ま、そういう時代は過ぎ去りました。
聖書では、民衆の支持を集めるイエスがユダヤの既得権力に迫害され、十字架に架けられます。イエスを金のために売ったユダ、保身のためにウソをつくペテロ、この辺りのドラマは、小沢氏をめぐる民主党議員と妙に重なり合います。イエスの死後、キリスト教の迫害は200年余りも続きました。そんなことを考えてたりすると、現在、小沢氏を十字架に架けようと既得権者がなりふり構わず、迫害を強めているわけですが、仮に小沢氏の謀略による失脚が成功した場合であっても、小沢氏の国民第一の精神は受け継がれ、本当の国民主権がいずれ実現されるのは間違いないと思います。一粒の麦も死なずば、ただ一粒にあらん、もし死なば数多の実を結ぶべし、小沢氏が身を引く時はそういう心境の時でしょう。
しかし、今はまだその時ではありません。このまま、理性も何もぶっ飛んでいる空きカン内閣が、権力にしがみつきたい一心で、小沢氏排除を徹底しようとした場合、民主党は崩壊するでしょう。次の総選挙までこの調子で持つとも思えませんから、来年の内閣改造で空きカンが失敗すれば、そこまでと思います。民主党が反小沢、と小沢支持で割れてしまうと、政界は戦国時代になり、何一つ国会が機能しなくなります。それは日本国民にとって不幸な事である、小沢氏はそう考えているので、今の党執行部と内閣の低能どもにはホトホト愛想を尽かしてはいても、党を分裂させて戦国時代にしてはならない、という一心で耐えているのだと思います。来年、空きカンが内閣改造で、問責に上がっている悪徳弁護を更迭しないか、あるいは官房長官を辞めさせても別の閣内の権力ポストへ横滑りさせたりしたら、空きカンは終わりでしょう。権力にあるとは言うものの国民にはもうすっかり愛想をつかわれているわけで、裸の王様と変わりない状態ですから。空きカンには、誠実に正しいことを行うという勇気、根性、能力と責任感がありません。空きカンは最初は権力乗っ取りを果たしたテロリストだったわけですが、いまはその権力ゆえのプレッシャーに押しつぶされて精神を病んでしまっていますから本当に何をするか分りません。ひょっとしたら衝動的に自殺したりする可能性もあるのではないか、と私はこの間、新聞に出ていた狂気の宿った空きカンの眼を見て思ったりしました。
鬼が笑うかも知れませんが、来年は空きカンと空きカン内閣が正気に戻らないかぎり、戦国時代の幕開けとなって、国民は大変な被害を被る可能性が高いと思います。この国民主権実現への動きは大きくなる一方でしょうし、国民を搾取してきた既得権者は最後の悪あがきはよりあからさまとなるでしょうから、経済が悪化していく中で世界一のスピードで老齢化する日本の来年は、あるいは今年以上に大変な年になるのではないか、と思わざるをえません。
ま、これで今年も終わりですからやめましょう。よいお年を。