中学生になって音楽に興味がでてくると、楽器そのものへ対する興味をも私は持つようになりました。土曜の午後には楽器屋に行って、ショーケースの中に並べてある有名ブランドギターをガラス越しによく観察したものです。フォークギターは何といってもマーティンD45でした。当時のお金で50万円ぐらいはしたのではないかと思います。エレキギターでは、ギブソンとフェンダーが人気を二分していました。ギブソンレスポールモデルの優雅に盛り上っていく表板に塗装されたサンバーストの色合い、シンプルでありながら独特の曲線を描くフェンダーテレキャスターのお尻の丸み、子供心にも美しいものだと感じたものでした。最初はギターや弦楽器を主に鑑賞の対象にしていたのですが、そのうちピアノにも興味が移りました。といっても、子供のころバイエルから逃げ回っていた私に演奏家としての才能があるわけではなく、ピアノという楽器そのものに対する興味です。美しく黒光りするピアノのボディー、つやを帯びて光る鍵盤、その上に金色に輝くYAMAHAの文字。世界のヤマハ、日本が生んだ最高の品質を誇る楽器メーカー、当時の私にとってヤマハは、楽器製造業という大海を威風堂々と進む大艦隊のようでした。スタインウェイでもベヒシュタインでもベーゼンドルファーでもない、硬質で真面目なヤマハのピアノが私は好きでした。(因みにベーゼンドルファーは経営難のため、今年ヤマハに買収されたそうです)ベーゼンドルファーがロールスロイスで、ベヒシュタインがマセラティで、スタインウェイがベンツなら、ヤマハはトヨタです。全てのグレードでくるいのない高品質を達成しています。品質のブレを個性といってごまかしたりしません。高校生のころは、ヤマハに入ってピアノ職人になりたいと半ば本気で思っていました。今はクラビノーバの一オーナーであるという以外にヤマハとは何の繋がりもないのですが、それでも、世界に誇る楽器メーカー、ヤマハを生んだ国の日本に生まれたということを誇らしく感じることがあります。徹底した品質管理と細部にまで気を配った細かい仕上げ、行き過ぎることのない控えめな個性、ヤマハの楽器は上質を知る大人の楽器であると思います。(ところで、私はヤマハとトヨタの回し者ではありません。車はスバルです)
コンサートのピアニストであれば、自分のピアノを演奏の度に会場に運び込むなどというのは余程、一流の人に限られます。好き嫌いにかかわらず、その会場にあるピアノを弾くことになるわけで、いくらベヒシュタインの繊細な音が好きであっても、スタインウェイしかなければ、寿司にバーベキューソースをつけてでも喰わねばならぬのです。ピアノの音質の好き嫌いを問わない楽曲といえば、ジョンケージの「4分33秒」という曲があります。初演は1952年、この曲は三楽章からなり、各楽章の長さが、30秒、2分23秒、1分40秒で合計の演奏時間が4分33秒というわけですが、演奏者はピアノの鍵盤には触れません。各楽章の演奏の開始はピアノの蓋を閉めることではじまり、演奏中、ピアニストはじっとすわっているだけです。演奏が終わると奏者はピアノの蓋を開けます。ですから、基本的にピアノ曲でありながらピアノの音はしないという曲なのです。以後、この曲には多少のバリエーションがうまれ、現在では各楽章の長さは自由に決めてよいことになっているそうです。4分33秒という曲の長さは「易」によって決めたとあります。この曲はCDにもなっており、アマゾンで手に入るのは、ハンガリーのピアニスト、Zoltan Kocsisのものです。因みに彼はこの曲の初演の年の1952年に生まれています。脱線しましたが、ピアニストが必ずしも自分の楽器を弾くことができないというのと異なり、他の演奏家は大抵、自分の楽器を持ち歩くことになるので、昔の私のように楽器フェチになる人も当然ながら多いと思います。自分の愛器は子供のようにかわいいのが当たり前だと思います。弦楽器の中でもバイオリン系の演奏家は特にその傾向が強いのではと思います。それで、過去にもこういうニュースは何度かあったのですが、今回は、ニューアークの空港で、4億円する300年もののストラディバリウスをタクシーに置き忘れたバイオリニストが、善良なタクシー運転手のおかげで愛器を見つけることができて、(お礼に100ドルあげた)という話がBBCニュースで紹介されていました。もっとも、このストラディバリウスの本当のオーナーは別にいるらしく、ストラディバリ協会が演奏家に楽器の貸し出しを斡旋しているらしいです。演奏家にとっての楽器は、我が子に等しいということを考えると、タクシーに置き忘れるとは言語道断と思ってしまうのは私だけではないでしょう。少なくとも、楽器をタクシーに置き忘れるような演奏家の音楽を聞きたいとは私はおもいません。また、ロックバンドなどがステージで楽器を壊すパフォーマンスを見ると、家庭で虐待されている子供の絵が思い浮かんでしまいます。それにしても、どうして300年前のバイオリンの方が、現在のものよりも良い音がするのでしょうか。楽器の素材が成熟するのに300年という年月が必要なのでしょうか。きっと製造技術に関しては現在の方が進んでいるのでしょうし。あるいは、ワインと同じでストラディバリウスという有名楽器だと思うからよい音がすると感じられるだけなのでしょうか。調べてみると、以前に日本のテレビ番組でストラディバリウスのブラインドリスニングテストをやった結果がありました。4本のバイオリンのうち、一本が本物で残りはレプリカです。もっとも評価が高かったものは、約200万円の国産高級バイオリンで、その次は30万円のフランスの量産品、一億円の本物を当てた人は6人中1人だけでした。このテストで使われたストラディバリウスは1689年製とのことで、最も評価の高い18世紀初頭のものではなかったという点はあるにせよ、聞き手にとっては一億円の名器でも、30万円の量産品でも、大差はないということでしょうか。(演奏家にとってはまた別の話かもしれませんけれども)
コンサートのピアニストであれば、自分のピアノを演奏の度に会場に運び込むなどというのは余程、一流の人に限られます。好き嫌いにかかわらず、その会場にあるピアノを弾くことになるわけで、いくらベヒシュタインの繊細な音が好きであっても、スタインウェイしかなければ、寿司にバーベキューソースをつけてでも喰わねばならぬのです。ピアノの音質の好き嫌いを問わない楽曲といえば、ジョンケージの「4分33秒」という曲があります。初演は1952年、この曲は三楽章からなり、各楽章の長さが、30秒、2分23秒、1分40秒で合計の演奏時間が4分33秒というわけですが、演奏者はピアノの鍵盤には触れません。各楽章の演奏の開始はピアノの蓋を閉めることではじまり、演奏中、ピアニストはじっとすわっているだけです。演奏が終わると奏者はピアノの蓋を開けます。ですから、基本的にピアノ曲でありながらピアノの音はしないという曲なのです。以後、この曲には多少のバリエーションがうまれ、現在では各楽章の長さは自由に決めてよいことになっているそうです。4分33秒という曲の長さは「易」によって決めたとあります。この曲はCDにもなっており、アマゾンで手に入るのは、ハンガリーのピアニスト、Zoltan Kocsisのものです。因みに彼はこの曲の初演の年の1952年に生まれています。脱線しましたが、ピアニストが必ずしも自分の楽器を弾くことができないというのと異なり、他の演奏家は大抵、自分の楽器を持ち歩くことになるので、昔の私のように楽器フェチになる人も当然ながら多いと思います。自分の愛器は子供のようにかわいいのが当たり前だと思います。弦楽器の中でもバイオリン系の演奏家は特にその傾向が強いのではと思います。それで、過去にもこういうニュースは何度かあったのですが、今回は、ニューアークの空港で、4億円する300年もののストラディバリウスをタクシーに置き忘れたバイオリニストが、善良なタクシー運転手のおかげで愛器を見つけることができて、(お礼に100ドルあげた)という話がBBCニュースで紹介されていました。もっとも、このストラディバリウスの本当のオーナーは別にいるらしく、ストラディバリ協会が演奏家に楽器の貸し出しを斡旋しているらしいです。演奏家にとっての楽器は、我が子に等しいということを考えると、タクシーに置き忘れるとは言語道断と思ってしまうのは私だけではないでしょう。少なくとも、楽器をタクシーに置き忘れるような演奏家の音楽を聞きたいとは私はおもいません。また、ロックバンドなどがステージで楽器を壊すパフォーマンスを見ると、家庭で虐待されている子供の絵が思い浮かんでしまいます。それにしても、どうして300年前のバイオリンの方が、現在のものよりも良い音がするのでしょうか。楽器の素材が成熟するのに300年という年月が必要なのでしょうか。きっと製造技術に関しては現在の方が進んでいるのでしょうし。あるいは、ワインと同じでストラディバリウスという有名楽器だと思うからよい音がすると感じられるだけなのでしょうか。調べてみると、以前に日本のテレビ番組でストラディバリウスのブラインドリスニングテストをやった結果がありました。4本のバイオリンのうち、一本が本物で残りはレプリカです。もっとも評価が高かったものは、約200万円の国産高級バイオリンで、その次は30万円のフランスの量産品、一億円の本物を当てた人は6人中1人だけでした。このテストで使われたストラディバリウスは1689年製とのことで、最も評価の高い18世紀初頭のものではなかったという点はあるにせよ、聞き手にとっては一億円の名器でも、30万円の量産品でも、大差はないということでしょうか。(演奏家にとってはまた別の話かもしれませんけれども)