百醜千拙草

何とかやっています

ズビズバー

2021-05-28 | Weblog
久しぶりに昔の師と話をする機会があり、現在の問題と将来の話を少ししました。自分では、悪循環の中にいるときはこういうものだろうと軽く考えていましたけど、人に話してみると結構、客観視できるもので、そこそこひどい状況だなあと実感しました。私は、なにかとあきらめが悪い方で、いつもそれが多くの場合マイナスに働いて、傷を深めることになります。また、危険や機会に対してパッと反射的に動くのが苦手で、行動する前にいろいろ考えている間に手遅れになって痛い目にあいます。この下手な考えのためにパッと反射的に動けないのと諦めが悪いというコンビネーションは結構最悪で、泥沼にハマるとなかなか出られないのです。私のその師は対極で、危険を察知しそれを避ける能力や最小限の努力で最大の成果を得る行動法は驚くばかりです。全てが色々な角度から非常に合理的に計算されています。昔は、家が同じ方面なので同じ電車に乗り合わせることがよくありましたけど、家に帰るという一つの行動だけでも、驚くべき計算の上に行動が制御されており、昔の武術の達人なみの無駄のなさで帰宅するのでした。

てなわけで、最近、低調な話が多くなりがちなので、ホントにどうでもいい話。以前に紹介した昭和のヒット曲、左卜全とひまわりキティーズの「老人と子供のポルカ」ですけど、以前から、歌い出しの「ズビズバー パパパヤー」という歌詞が気になっていました。パパパヤーはなんとなく、トランペットのファンファーレの擬音ではないのかと思ったりしたのですけど、「ズビズバー」は何なのでしょう。

一番ありがちと思うのは、これはもともとはDoo Wopのスキャットとから取ったのではないかという可能性です。当時はアメリカン ポップスをはじめとする洋楽が大量に流入した時代で、キングトーンズのような和製ドゥーワップ グループもありましたから、「ドゥワッ ドゥワ」とか「シュビ デュバ」といったスキャットを左卜全のイメージに合わせて、わざと訛らせたものと考えるのが自然だろうと思います。作詞作曲は早川博二さんで十五年ほど前に亡くなっておられます。ご存知の方は教えてください。

ズビズバ ーが気になったのは、この間、昔のポップス曲に「Zou bisou bisou」という曲があることを知ったのがきっかけです。この曲は英語版とフランス語版がともにヒットし、日本でもカバーされていますので、「ズビズバー」はひょっとしたらこの曲からの発想という可能性もわずかながらあるのではないかとふと思いました。この曲は、1960年に、フランス語版はGillian Hills、英語版は「Zoo be zoo be zoo」のタイトルでソフィア ロレーンが映画の中で歌ったようです。日本では森山加代子さんや中尾ミエさんがカバーしています。

60-70年代の外国の曲というのはクリーム メロンソーダのようになぜか懐かしい感じがするのですけど、なぜでしょう。

ジプシージャズのAvalon Jazz Bandのカバーで

森山加代子 版

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後悔していること

2021-05-25 | Weblog
若い時に実家を遠く離れて20年以上が経ちました。私の父はそれよりさらに10年ちょっと前に亡くなっており、以来、母は、父と建てた家で一人暮らしをしていました。表札には私の子供が生まれた時に、私の家族の名前を書き加えてあって、多分、いつか私も家族も帰ってくるかもしれないと思ってのことだったでしょうけど、その字もすっかり褪せてしまいました。

母も元気なうちは、一人暮らしでもいろいろな活動に参加し、友人との交流もあってそれなりに楽しくやっていたようでしたが、八年ほど前に調子を崩して長期入院して以来、すっかり活動性も落ち、友人との交流もなくなり、その後、車の免許も返上して、自宅から動かなくなりました。以来、毎年、実家で二週間ばかりを一緒にすごすようにしていましたが、年々と少しずつ調子は悪くなってきています。

昨年のコロナ以降、私は単身で実家に帰って一緒に住むことを真剣に考えはじめました。来年の半ばぐらいまでには、こちらのことにカタをつけれるだろうし、さすがにコロナもおさまっているのではないだろうか、と考えていたのです。あいにく、いつもの「やっているふり」の日本のコロナ対策は先進国中最低で、終息するどころか、このままでは原発事故と同じで、半永久的に危険と共存していくことになりそうです。

コロナおかげで、昨年は実家に帰るのを見送り、今年の秋ぐらいにと考えていたのですけど、そうこうしている間に、母が数週間前に自宅で転倒し骨折して入院することになりました。手術して、つい数日前にリハビリ病院に転院となりましたが、もともと活動性が低い状態でこうなっているわけで、どこまで回復するか、そしてまた自宅に帰って一人で生活ができるのかの見通しは微妙です。妹の住む場所から比較的近く、また出入所の自由が利く施設が見つかったので、退院後はとりあえず、そこに移るという話に落ち着きそうな感じですが、その後はどうなるかわかりません。活動性が上がらなければ、そのまま自宅に戻ることは叶わないかもしれません。

もう手遅れですけど、今になって、私の勝手で遠く離れて二十年も一人暮らしをさせてしまったことを後悔しています。同じような理由で、義両親にも随分不孝をしてしまいました。"Hindsight is 20/20" とはいいますけど、振り返れば、人生の色んな局面で、私は、あまり賢くない選択を数多く重ねてしまい、多くの人に迷惑をかけ、悲しませることになってしまったなあ、と思います。

最近は、先のことを思うより昔のことを思い出すことが増えました。一生の中でそういう時期に差し掛かったということなのだろうと思っています。
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一喜一憂

2021-05-21 | Weblog
いろいろ自分ではどうしようもないことが重なり、それでもできることはやろうと頑張ってはいるのですが、それさえも思いがけないトラブルに見舞われて困った状況です。そのストレスが悪いのか、ちょっとここ数日心臓の具合も思わしくなくなりました。これも、自分ではどうしようもないことの一つです。悪循環というのは、自分では理解していても、一旦、入り込むとなかなか断ち切るのは難しいものだなあ、と実感しています。

自分ではどうしようもない問題であるとはわかっていても、複数の問題を抱えているというのは気分のわるいものです。そういうわけで、複数のシナリオを予想して、先々のことにもできるだけ打てる手は打っておこうと考えているのですけど、一番の不確定要素は自分の健康と寿命で、そこが怪しいものだから、なかなか先が読めません。ただ、データなどから、私の余命はあと5年から20年ぐらいの間ではないだろうかと想像しています。結構、幅がありますけど、仮にあと20年生きると仮定して、その間、健康で自由に思うことができる期間というのはおそらく長くて数年だろうなあ、と思います。あまり気楽な時間は思ったほど残っていないものだなどと思いながら時間を潰しております。

思うようにならぬのが人生で、小さなことに一喜一憂しながら時を過ごして、ふと気がついたら勝算のない退却戦に突入しつつあるような感じですけど、まあいいか、とつぶやきながら、とりあえず日々勤めております。
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西洋と東洋

2021-05-18 | Weblog
週末は論文査読を二つ。どちらも中国からです。一つのジャーナルはImpact factorが10以上あるのに、ウチの業界ではまだ無名の雑誌。比較的後発の雑誌で、例によってNPGが出しているわけですが、無名の雑誌なのにIFが高いというのは、事情があります(と思います)。この雑誌のChief Academic Editorをやっているのはアメリカの某有名大学を拠点にしている中国人研究者と彼と近いアメリカ人研究者で、雑誌の編集室は中国です。ご存知の方もいるを思いますけど、中国の細胞生物学学会誌もNPGから出ており、その雑誌のIFも10以上ありますが、国際的には無名雑誌と言ってよいでしょう。雑誌の中身をみればその理由がわかります。8割以上の論文は中国人が著者であり、彼らが相互またはセルフサイテーションをすることで、インパクトファクターを吊り上げているのです。アベノミクスで量的緩和した金を株式市場にぶちこんで株価を買い支えたようなものですね。

競争が激しくなると、自然とメトリックス至上主義となります。結果として研究は出版のための活動となり、よりインパクトファクターの高い雑誌に数多く論文を載せようとする研究者が、厳密さにかけるデータを寄せ集めて話を作るというヤラセのドキュメンタリー番組のような論文が増えることになっています。(私自身の経験から)この傾向が露骨なのが最近激増した中国からの投稿で、端的に言うと「雑な」論文が多いのです。その論文をよく見てみると雑なだけでなく、話そのものも怪しいということがしょっちゅうあります。その中国人研究者が置かれている事情も理解できるし、競争が激しいところで怪しいデータや捏造などが多くなるのは世界中どこでもですけど、それを言い訳にするのは認められません。英語は適当、必要な情報がポロポロ抜けていて、理解困難な論文を週末の数時間を費やして読んでいると、正直、だんだん腹が立ってきます。

中国(や日本でも)で問題の多い論文が多い理由は、勝者報奨を基本原則とする弱肉強食競争社会の構造的なプレッシャーに加えて、歴史的、文化的な差異、つまり中国(広く東洋)の現実を重視する文化、が影響しているのではないかと私は考えております。科学は西洋で生まれた世界を理解するための方法であって、そもそも東洋の文化と馴染みが悪いのではないかと私は思っています。ちょうど西洋での革命を機に打ち立てられた民主主義が日本にはいつまで経っても根付かないのと同じではないでしょうか。

その東洋と西洋の差について、強い印象を受けたのが若い時に呼んだ石田種夫さんのエッセイです。亡くなられて随分たちますが、石田種夫さんはバレエダンサーだった方で、その昔読んだ本は、舞踊、舞踏を入り口とした優れた西洋と東洋の比較文化論でした。日本人でありながら西洋のバレエを踊る著者の実体験からの深い考察が記されていました。

例えば、西洋と東洋の踊りの違いについて述べたところで、一つ非常に印象に残っているものがあります。東洋の踊りは地面を踏みしめるように踊り、その動きは農作業などの日常生活と密接に繋がっているのに対し、バレエではあたかも地面から離れるような動きが強調される(トウで立ったり、ジャンプしたりする)という観察と考察の部分です。このことは、たびたび、異なったコンテクストで指摘される東洋の「現実主義」と西洋の「理想主義」の傾向を示す一例として、私には非常に腑に落ちました。

この違いを突き詰めていくと、農耕民族と狩猟民族との差に起源をなすのだろうと思います。土地から離れるとのできない農耕民族が和を大切にして個を殺すのに対して、狩猟民族は個人が優先され、敵と味方に区分します。農耕民族だと、自由度は低いが安定性は高い、狩猟民族だと自由度は高いが安定性は低い、ということになるのではないかと思います。それで、前者は現実主義的傾向で共生指向、後者は理想主義的傾向で競争的、弱肉強食指向をもつようになったのではないだろうかと想像します。

話がずれました。中国からの論文はなぜ雑なのかという話でした。それは中国人は科学的厳密さよりも論文出版効能を最優先しているからだろうと思います。厳密な態度で間違いのない結論に到達することよりも、人よりも早く、多く、有名雑誌に論文を出版することが重要なのです。なぜなら、厳密な研究を行うことは後者の達成を遅らせる上に金やポジションといった実利につながらないからです。加えて、絶対神への信仰のない中国人や日本人は、行動基準は「原則やルールの忠実かどうか」ではなく、むしろ「まわりの人間がどう振舞うか」であって、赤信号でも皆が渡っていればOKだと考えがちなところが、この実利主義傾向をさらに加速させているのだろうと想像します。

ま、そもそも論文出版ビジネスもメトリックス主義もほとんどシステムとして破綻していると私は思います。さらにはアカデミアというものがもう崩壊寸前なのではとさえ思います。論文査読をやる度に、自分は何をやっているのだろうという虚しい気持ちを感じることが増えました。
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あなたには価値がある

2021-05-14 | Weblog
5分間フランス語もはじめて九ヶ月近く続いています。多少の単語や表現や文法を覚えましたけど、まだまだとても使い物にはなりません。ま、特に使う予定もないのですけど。ただ、いいことも二、三あります。一つは運動と同じで、毎日の5分のノルマを果たすと小さな達成感を感じることができることです。多分、こうした毎日の習慣で何かに集中することは、瞑想と同じような効果があるのではないだろうかと思います。もう一つは、知らなかったことを知ることです。ものを知ること、わからないことがわかるようになることも小さな喜びです。この間はピーマンがフランス語(またはラテン系言語)のpimentからきていると知って「へーえ」となりました。ただしpimentは辛い唐辛子で、日本のピーマンやベルペッパーはフランス語ではpoivronです。ちなみに胡椒はpoivreです。他にもパンタロン、シュミーズ、マントとかの今は日本では使われなくなった外来語もフランス語由来であるのもこの五分フランス語を始めてから知りました。

この間、掃除をしていたら、モンマルトルのサクレクール教会に行った時のお土産のコインが出てきました。その時はいろいろとスランプで(いまだにスランプは続いているのですけど)、げん担ぎで「奇跡のメダル」を買いに行ったりもしたなあ、などと思い出しました。その効果はまだ出てません。この時はフランス語の知識はほぼ皆無で、最初からフランス語を理解しようという気持ちもなかったので、知らない故にいろいろなものを見過ごすことになったと思います。折角行ったのにサクレクール教会のSacre Coeur が「神聖なる心(イエスの心臓)」という意味であることも知りませんでした。そのお土産コインは500円硬貨を二回りほど大きくしたサイズで表は教会の建物が描かれており、裏には十字架の下に壺状の絵があり、その外を縁取って、短い言葉が印字されています。当時は何が書いてあるのか壺状の絵は何なのか分からなかったのですけど、五分フランス語のおかげで、今回は書いてある言葉の意味がわかったのでした。コインには、"Tu as du prix a mes yeux et je t'aime" とあり、直訳すると、「私の目にはあなたは価値を持っている。そして私はあなたを愛す」です。調べてみると、これはイザヤ書43-4の言葉でした。神の愛を示しています。

このコインを買った時には、コインの裏の壺のようなものが心臓であるとも理解できず、刻印してある言葉が聖書の言葉とも知らず、ただの小さな円盤上の物質に過ぎなかったのに、今は同じものが意味をもつ存在になっていることに感動しました。自信を失った時や不安になった時、「神の目には、人間は誰にでも価値があり、愛される存在である」という言葉は救いです。コロナ以降、いろいろなことがありすぎてちょっと参っていた私に、何気なしに買ったお土産コインが思いがけず再び現れて、救いの言葉を投げかけてくれたのかな、と思っています。5分フランス語の効用ですね。
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知らないと答える

2021-05-11 | Weblog
バーチャル学会無事終わりました。私の発表は二人で1時間15分のセッションで、私が前座で一般的な話をしたあと、二人目の人が専門の研究の話をするという形です。質問時間が30分以上とってあり、食品会社がスポンサーで二人目の人の話に繋ぐ必要上、栄養を絡めた話を含めたのですけど、私は栄養とか代謝とは専門家ではないので、知らないことをいろいろ聞かれたら困るなあと思っていたら、案の定、結構厳しい質問を受け、うちのいくつかには「知らない」と返答せざるを得ませんでした。そうした質問の一つに関して聴衆の中にいたとある偉い教授からはChatでつい最近の論文を紹介されました。見てみると責任著者はEric Landerでした。もともとは数学者で遺伝学者に転身した人です。華々しく活躍し、Broad Instituteの仕切り役を長年やって、今年からはバイデン政権の科学アドバイザーを努めているわけですが、いまだに自分の研究室から遺伝学者として論文を出しているのだなあ、と感心しました。そのBroad Instituteを設立した慈善家のEli Broad はつい先月末に亡くなったのでした。

学会での質疑では「知らない」というかわりに「It's a good question」と言ってお茶を濁すという文化がありますが、私はこの言葉を使うのに抵抗があって、知らないことを聞かれたときは、つい「知らない」と言ってしまいます。きっと頼りない発表者と思われたでしょうね。でも、そもそもしゃべった内容の半分については自分の研究とは無関係で、専門家ではないですし。ま、知らないことを知らないと言う方が、ヘタに答えると都合が悪いから「お答えは控えさせていただくきます」と回答拒否する自民党の大臣よりはマシだと思います。

今回、この学会は初参加なので、ついでに他の発表も見てみました。この分野のアメリカでの学会と違って、東欧の国からの参加がそこそこあるのが興味深かったです。バルカン半島の国やロシアなどから演題がでていますが、アメリカでの学会ではこういう国からほとんど参加はありません。ヨーロッパ以外ではインド、中国、日本、韓国などからも参加者がありました。インドからの発表もアメリカの学会ではあまり見ませんので、多分、地理的な問題でヨーロッパの学会の方が参加しやすいのだろうと思います。今回の学会の参加者は1000人ぐらいということで、アメリカでのこの分野の学会の 1/3ぐらいではないかなと思います。情報が瞬時にして世界で共有される時代、しかもバーチャル会議になっているのに、同じ分野でありながら研究者はヨーロッパとアメリカで棲み分けているようで興味深いです。来年の学会はヘルシンキの予定らしいですけど、開催できるのでしょうか。ヘルシンキのあるフィンランドは遺伝病のメッカで、私がEric Landerの仕事を始めて知ったのも、ある原因不明の遺伝病のフィンランドの家系を彼が開発した遺伝子解析法を使って解析し原因遺伝子を突き止めた論文ででした。次世代シークエンス法どころかヒトゲノム配列の情報もない時代の話です。

一方、今年の秋のアメリカでの学会はハイブリッドになりそうです。学会事務局はアメリカでのワクチン接種の進行具合などからアメリカ国内は秋には大規模イベントは安全に開催できると読んだのでしょう、リアル学会をアメリカ国内参加者向けに行い、外国人参加者はオンラインでの参加という形でやる予定のようです。しかし、思うに、これだと多分盛り上がらないのではないでしょうか。ただでさえ、落ち目の分野で、近年の学会では、アメリカのムダに広い会議場は寂しい雰囲気が漂っていましたから、参加者が半減するであろう次のハイブリッド学会では、かなり会場の規模を小さくしないと観客のいないオリンピックみたいになるのではないかと想像します。
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希望を希望

2021-05-07 | Weblog
中国で研究をされている人のブログを見つけました。

、、、アメリカ式のラボにしたくて、学生とは対等にディスカッションしようとしているのだが、多くの場合友達感覚で相手して良いと思われるらしく、さらにはコイツは外国人だから少し適当に相手しても問題ないと思われるらしく、感謝は当然なく、あるのは中国人教授相手には考えられない適当な態度である。、、、
、、、夢や希望をもった学生なんて滅多にいないのだ。それが現実である。夢があってもチャンスを得ることができない学生のために頑張ろう、と50歳を過ぎているにも関わらず青臭い愚かな考えを有していた自分がバカであった。学生は単位と学位が取れれば幸せなのである。「自分の頭で考えるんだよ」なんていう言葉は遠回しの嫌味にしか聞こえていない。あるいは指導をしたくない教授の言い訳か。どうすれば楽にデータを出して論文を出して学位を取得できるか。どうすれば勉強しなくても単位を取れるか。それが一番重要なのであり、それを示すことが出来る教授が評価されるのである。、、、

中国人は現実主義で実利主義だと思いますが、この傾向は中国に限ったことではないです。人間は自分がもっとも大切と思っており、世の中の大多数の人は、多かれ少なかかれ他人は利用するためにあると考えているわけですから。

しかし、近年、短絡的で物質的かつ近視的にしかものごとを見ない若い人が増えたように思います。それは、おそらく、世の中に余裕がなくなってきているからではないでしょうか。長期投資をしている余裕がない、学問を楽しむ余裕がない、人を蹴落として競争に勝たないとよい生活が送れないとなれば、人間性も淺ましくなるのは道理です。また、余裕がなく追い詰められた人は判断を誤ります。四年前にトランプを支持した下層ミドルクラス白人がそうでしょう。

それにしても「夢や希望をもった学生なんて滅多にいないのだ」という言葉は魯迅の「故郷」最後の文章を思い起こさせます。魯迅は「希望は、道のようなもので、歩く人が多くなればできるものだ」と言います。「夢や希望を持たない学生」に「希望」があるとすると、この魯迅の言葉にヒントがあるのではないでしょうか。
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霊能者の遺伝的解析

2021-05-04 | Weblog
週末にツイッター経由で目にした論文。
アメリカにあるThe Institute of Noetic Sciences (IONS)という研究施設からで、この施設はアポロ14号計画での宇宙飛行士Edgar Mitchellが共同設立者の一人となって設立されたものだそうです。月面に立った時に「三昧の境地」を経験したそうで、1973年に施設をサンフランシスコの北の郊外に設立したとのこと。
論文はExploreという名の雑誌に掲載されElsevierから出版されています(https://doi.org/10.1016/j.explore.2021.02.014)。

Genetics of psychic ability - A pilot case-control exome sequencing study
(霊能者の遺伝学-症例対照エクソーム シークエンスのパイロット研究)
Helané Wahbeh et al.

抄録(DeepL翻訳を編集)
はじめに:多くの精神的・肉体的特性と同様に、心霊能力は家系的に発現すると考えられ、遺伝的要素の存在がを示唆される。もしそのような要素が見つかれば、心霊能力の生物学的マーカーとなり、この能力を増強または抑制する環境的または薬理学的な手段の同定につながると思われる。

研究方法:症例対照研究のデザインを用いて、霊能者と対照者の違いを評価した。全世界で3,000人以上の候補者を2つのオンライン調査でスクリーニングし、自分や家族が超能力者だと主張する人を探し出した。主張する能力に関連する尺度(吸収力、共感性、統合失調症など)を収集し、それらの回答に基づいて、精神病や妄想の傾向を示す人は検討対象から除外した。その後、候補者は面接で追加のスクリーニングテストを受け、最終的に13人が「霊能者」として選ばれ、年齢、性別、民族が一致し、霊能力をもたないと自己評価する10人が対照として選ばれた。これら23人の参加者の唾液から採取したDNAを、全ゲノム配列決定の対象とした。配列決定されたデータには、タンパク質をコードする配列のみを対象とした解析と、隣接する非コード配列も対象とした解析の2つの独立したバイオインフォマティクスを適用した。

結果:対照群の1例を除いて、すべてのサンプルでシーケンスデータが得られた。データセットの盲検化を解除したところ、タンパク質をコードする配列(エクソン)には、症例と対照とを区別するような変異は見られなかった。しかし、第7染色体のTNRC18遺伝子(Tinucleotide Repeat-Containing Gene 18 Protein)では、エクソンに隣接するイントロン(非タンパクコード領域)に差異が認められた。この変異は、GGからGAへの変化であり、9人の対照者のうち7人に見られ、すべての霊能者には見られなかった。

考察:これらの結果の最も保守的な解釈は、無作為に抽出された偶然の結果であるというものである。しかし、この結果を他の証拠と関連づけて考えると、この結果はより刺激的なものとなる。これらの結果を再現し、発展させるためには、さらなる研究が必要である。

、、、という論文です。遺伝的関連のない群を比べるのであれば、全部で23人の規模のWGSではちょっとPowerが低すぎますね。心霊能力がメンデル式に遺伝するなら、同一家系内で霊能者と対照者を比較すれば、何か見つかるかもしれませんけど。

どうせならその霊能者に霊能遺伝子のありかを聞いてみる方が早いような気がしますけど。
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