百醜千拙草

何とかやっています

研究スタイルの変化

2016-02-26 | Weblog
最近の研究の動向をみていると、スピードがどんどん早くなってきているように思います。網羅的解析法の発達でツールとマテリアルはそこそこ出揃ったような感があり、かつてはツールの開発も含めて一つのプロジェクトであったものが、今ではそうした出来合いのモデュールを組み合わせて形を作り、そこの多少の肉付けをしていくというスタイルの研究を多く見かけるようになった感じがします。レゴみたいなものですね。最近のトップジャーナルに出ている論文でも、すでにデータベースにあるものを再解析して主要なデータをひねり出していくというスタイルのものもよく見ます。こうした研究では、いかに大量にdatabaseに眠っているデータから欲しいものを掘り出すかというコンピューター解析の技術がものを言うということになります。
あいにく、私のメインのスタイルは遺伝学的手法なので、public dataだけからチョイチョイというわけにはいきません。マウスのツールは使いやすくはなりましたが、金と時間がかかるのは相変わらずです。数年前からの「知識やデータの集積は終わりつつあり、これからはその応用を考える時代だ」というような風潮があり、パブリックデータを広く有効利用しようとする傾向は好ましいことではあります。

一方で、網羅的解析で得られたビッグデータを複合的に組み合わせて、より包括的にするというような研究をよく紙面でみます。ビッグデータからズームインして深く掘り下げるというのではなく、単にビッグデータを三次元化したというようなタイプのやつです。こういった研究に関しては、その知見がどれほど意義があるのか、私はちょっと懐疑的なところがあります。マイクロアレイの出始めもこんな感じでした。大量のアレイデータを並べて、どちらかと言えばdescriptiveな論文がたくさん一流紙に出ました。そのうちのどれほどが現在にまで影響を及ぼすような研究であったかと言われると、あまり思い浮かびません。

しかし、研究というのも、半分ぐらいは流行歌みたいなものです。そのほとんどが一時的には注目されても、いずれすぐに忘れ去られるもので、その多くは生物学的な意義よりも、技術的進歩によって新しいタイプのデータが得られるようになったという点を評価されているように思います。だから流行化するし、流行だから流行のスタイルが飽きられたら(つまり、技術が汎用化したら)その時点でそのスタイルで論文を出すのは難しくなります。ま、私は、それでも良いとは思っております。その中で実際に役に立つようなものは形を変えながらも残っていくわけですし。

さて、ちょっと、世間のこと。今頃になって、政府関係者は福島原発事故に関して多少反省しているポーズをとろうとしているような感じですが、相変わらず、その場かぎりで誤魔化せば、その内、被害者の人々も諦めるだろうというような態度に見えます。

東京新聞から。

二〇一一年三月の東京電力福島第一原発事故の際、首都圏で大規模な避難が必要になる最悪のシナリオに備え、当時の菅直人・民主党政権下で首相談話の作成が極秘に行われていたことが分かった。本紙が入手した草案には「ことここに至っては、政府の力だけ、自治体の力だけでは、皆様(みなさま)の生活をすべてお守りすることができません」などと万策尽きた状況を想定した部分もあり、原発事故直後の政府内の危機感をあらためて示している。、、

菅義偉(すがよしひで)官房長官は二十五日午前の記者会見で、東京電力が福島第一原発事故当時に炉心溶融(メルトダウン)の定義を明記したマニュアルを使用せず、炉心溶融の公表が大幅に遅れたことについて、「(これまで)誤った説明をしたということは極めて遺憾だ」と述べた。、、、、(口では東電を批判しても、東電を解体したり、原発廃止したりはしないのねー)

直接的、間接的に経済的な恩恵を受ける中で、柴田さんの頭からは原発にリスクがあることが消えていった。一九八六年四月、旧ソ連・チェルノブイリ原発事故が起きても、二人とも「構造が違うし、あれは別物。日本の原発は安全・安心」と信じていたという。、、、「地震と津波だけならこんなことにはならない。放射能のせいだ。見た目は以前と変わらないのに、こんなの異常。むなしい」。夫妻の表情が曇った。 、、、

政府の原子力災害現地対策本部は二十日、福島県南相馬市で住民説明会を開き、原発事故で同市の帰還困難区域以外の地域に出ている避難指示を四月中に解除したい考えを伝えた。住民からは「時期尚早」など反対意見が相次ぎ、桜井勝延(かつのぶ)市長は終了後、「四月中の解除は難しいと感じた」と話した。
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野党共闘、共産党の決意

2016-02-23 | Weblog
わが道を行く、唯我独尊、イデオロギー中心主義、そんな印象と、共産主義国家の現実やそれに対する偏見、などが相まって、「共産党」をみる人々の目は、どちらかと言えばこれまで冷ややかでした。偏見を排して「共産主義」という社会形態を考えれば、(動物ではなく)人間が作る社会としては理想形であると私は思います。資本主義は、突き詰めればカネを持っているものが持たないものを搾取する「弱肉強食」の動物の社会であり、マルクスの唯物史観によれば資本主義は崩壊して社会主義、そして共産主義へと進化していくはずのものでした。しかし、過去のイデオロギーに先導された共産主義国家は、人間の限りない利己的な欲望というものを過小評価しすぎたのではないだろうかと私は想像します。理想と現実には必ずギャップがあり、現実の方に人は流されるわけです。現実社会での欲望が満たされていなければ理想を語るのは困難です。武士は喰わねど高楊枝、ボロは着てても心は錦、とはなかなかいきません。それを不断の努力で理想へと近づけていくのが「人間」なわけですが、そういうことは個人レベルでは可能であっても、人間としての成長レベルの異なる雑多な人々が混じり合い、各個人が必ずしもその共産主義への理想に一様に燃えているわけでもないような社会で、理想に向けて努力するということは大変です。自然と統治する政府が力をもって人民を抑え付けるというようなことが必要になり、人々は不満を溜め、政府はより強権的になり官僚主義となっていったのではないかと思います。つまり、人々のレベルが共産主義を国家レベルで実践できるほどに達していなかったのだと思います。(キブツなど参加者の選択を厳しくしている小さな共産コミュニティーでは共産主義はうまくいっているようです)

唯物史観では資本主義が崩壊したのちに共産主義へ移行すると言っています。つまり、資本主義が行き着くところまでいって、国民の9割以上が一部の支配者層の奴隷であるという認識が広がり、国家の破綻に繋がりかねないような状態になって、資本主義がまず崩壊する、共産主義社会への移行にはその必要があるのだろうと思います。逆に言えば、グローバル企業がバッタバッタと倒産し、金融産業が消滅し、失業率は5割を超え、通貨が価値を失って紙切れとなり、人々は生存の危機にさらされるというような状態を経る必要があるのかも知れません。しかし、その時期がだんだん近づいてきたのではないだろうか、と私は思います。そうなった時に、もう戦争という選択はおそらくあり得ないでしょう。

アメリカで社会主義を公言するサンダースが民主党大統領候補として熱烈な支持を伸ばしてきているのはその現れではないでしょうか。一般アメリカ人にとって、上位1%の金持ちが下位50%の人々の富を合計した以上を独占しているという事実を受け入れるのは難しいです。金持ちになって豊かで幸せな生活をする可能性が誰にでもあるような社会であれば、「今は辛くても、そのうちに」と現実を受け入れて頑張ることもできるでしょう。しかし、一般アメリカ人はその親の世代に比べても確実に貧しくなってきており、中流層がすっかり下流層へと地盤沈下をおこしている状態で、若者は「アメリカンドリーム」を実現して億万長者になる確率の低さを現実的に計算しています。日本でも同じだと思います。真面目に働いて、価値あるものを生み出し、実際に社会に貢献している人々が報われず、そういう人々のカネを利用して価値も生み出さないような仕事(例えば株式という紙切れを売り買いするようなバクチ行為など)をしている人間の方が豊かな生活をしているヘンな社会が現代です。常識があれば、サンダースがアメリカの金融業を厳しく批判するのもわかります。

それはともかく、日本共産党が今日ほど、存在感を見せていることはなかったのではないでしょうか。本来、もっとも危機感を持ち、現在の史上最悪の自民党政権を生み出した張本人である民主党こそが、深く反省して、その失態を取り戻すべく、野党の中で中心となってアベ政権打倒の旗を振るのが、あるべき姿です。しかるに、どうも現民主党は「やってるフリ」して長いものに巻かれたい体質なのか、危機感も当事者意識もあまり感じられません。対して、最近の共産党には心打たれるものがあります。アベ政権を倒さない限り、共産主義の理想も何もないという危機感、目の前のもっとも大きな障害を倒すためには、自らを曲げることも厭わないという強い意志が感じられるような気がします。

毎日新聞から。共産党「1人区」独自候補を原則取り下げ方針

 共産党は22日、各都道府県代表と夏の参院選候補を集めた会議を党本部で開き、安全保障関連法の廃止を公約することなどを条件に、参院選で改選数1の「1人区」の独自候補を原則として取り下げる方針を確認した。次期衆院選でも独自候補擁立を抑制し、一本化を呼びかける。
 志位和夫委員長は会議後に記者会見し「参院選までのわずかな期間で野党共闘をまとめなければいけない」と指摘。そのうえで独自候補の擁立について「大局に立って判断する。1人区は思い切った対応をする。かなりの人は立候補を取り下げる。単なるすみ分けではなく、本格的な選挙協力を目指したい」と表明した。


社会を変えるためには、自らがまず変わらなければならない、そんな覚悟を感じますね。「あの」共産党がここまで言っているのです、続かないのは野党ではないと思います。
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ブランドもののゴミ箱

2016-02-19 | Weblog
共感を覚えた話。
私も以前から、結果の意義は二の次で、研究手法、方法に問題がなければとにかく出版するというスタイルの編集方針の雑誌は、いかがなものかと思っております。

"without any requirement for ,,," Yas's Green Recipes から

編集委員を引き受けたものの、その役目を果たすのに少し重荷を感じている雑誌がある。この雑誌の出版社は、いわゆるメジャージャーナルとその姉妹誌をたくさん抱えていて、超高額な講読料や話題性重視(偏重)の編集方針(と世間で思われている)で、時折り研究者コミュニティーからやり玉に挙げられている。その出版社が抱える雑誌のうち、私が編集委員を引き受けたのは Open access, Peer review, Fast decision を唱う、比較的新しい流行りのスタイルをとっている雑誌である。編集方針には「本雑誌に掲載する論文の要件は、技術および方法論が確かな原著であること。インパクトや新規性は問わない*」ことが明記されている。論文の重要性の評価は読者に委ねるということだ。
、、、、
なぜこれほどまでにこの雑誌社は論文の不採用を嫌がるのか? もしかすると、インパクトには欠けるが中堅どころのそこそこの論文を根こそぎ自分たちの雑誌で掲載して、他社の雑誌に回したくないのではないか? と勘ぐりたくもなる。
、、、
さらにすでに書いたように、この雑誌で採用された論文の質は必ずしも良いものばかりではない。つまるところ「研究のインパクトは論文を掲載した雑誌のインパクトと無関係で、個々の論文がそれぞれ別個に評価されるべきだ」との考え方に基づいて考案されたこのような雑誌の編集システムはかなり危うい状態になっていると私は感じている。
、、、 
一方、有名な雑誌社のブランド名が影響しているのか、この雑誌の Impact factor は実は低くない。その Impact factor を目当てにまた大量の論文が投稿されて、またオフィスにスタックしてと、悪循環に陥っているようにも見える。普通に考えればこのような雑誌の Impact factor が高止まりするはずはないのだが、、、。この雑誌とほぼ同じコンセプトで編集されている別の雑誌の Impact factor は年々下がってきている。、、、、


どうみてもこれは金儲けのためであろうというのが透けて見えるのが何とも。私、記事の中で引き合いに出されているPLoS Oneに関しては、同情的な部分もあります。PLoSは商業雑誌での偏向出版傾向を排して高品質の論文を掲載するという名目でアカデミアの人が中心となって始めたものですが、高いリジェクト率から編集コストがかさみ、その結果として資金繰りが悪化し、一時は廃刊の危機にも瀕しました。それを救ったのがPLoS Oneであったと私は思います。つまり上位PLoSタイトルにリジェクトされて本来であれば他に流れてしまったはずの論文の受け皿を作ることで、掲載料を集めて運営資金を工面し生き延びることができたのだろうと想像するからです。(PLoSに関しては8年前に、Natureがフロントページで取り上げた際に、記事にしたものがあります。)極論すれば、PLoS Oneは経営上の必要からやむなく始めた不本意なジャーナルではなかったかと思うのです。しかしながら、その当初の成功は存在意義を正当化し、PLoS上位ジャーナルから流れてきたであろう比較的高品質の論文がインパクトファクターを押し上げ、このスタイルの「実験方法に瑕疵がなければ、知見の意義を問わずにとにかく出版する」ような科学出版が成り立つと、人びとは考え始めたのだと思います。その結果が、毎日数本はやってくる新興雑誌からの編集や投稿の依頼メールに表されるように、アカデミアの研究者の労力をタダで利用しつつ、研究者からの投稿料を目当てに科学出版業界に新規参入してくる金儲け主義の怪しい連中ではないかと思います。近年、中国など科学振興に投資している国からの総じてクオリティーのあまり良くない論文が激増しており、そうした論文の出版のニーズが増大しているために、ビニネス チャンスがあると思われているのでしょう。

研究者側にとってみれば、長期的にはクオリティーの低い論文を出すことは出さない場合に比べてマイナスとなりかねないと思います。しかし、短期的には話は別です。質よりも量で評価する文化のある所も数多いですし、競争の激しい若手にとっては、キャリアがかかっていますから、苦労してやった研究なのだからとにかく論文は出したいし、長期的な評判を考えているような余裕はないという場合の方が多いでしょう。それで、結局、とにかくたくさん論文を出版したいという人々が、レビューの甘いこの手の雑誌に、クオリティーの低い論文を大量に投下することになっているのだと思います。それはレビュープロセスを麻痺させる上に、結局、ジャーナルの紙面は質の悪い論文で希釈され、インパクトファクターの単調減少を招くことになります。これがPLoS Oneに今起こっていることではないのでしょうか。こうなると、まともな論文ならこうした雑誌に投稿しようとする人はいなくなって、ますます雑誌の評価が下がり、「ゴミ箱」雑誌とみなされていくことになると思います。

私が何よりこの手の雑誌が問題だと思うのは、科学出版というものが基本的にアカデミアの人々のレビューや編集における無償の奉仕活動によって支えられているという事実を、雑誌社側も低品質論文を投稿する側もきちんと認識していないのではないかと思われる点です。レビューアやアカデミック エディターがわざわざ貴重な時間を割いて論文の審査するのは「お互い様」だからです。論文の評価は仲間内でやっているのです。そのことを思ってみれば、質の悪い論文を投稿することに普通は自己規制がかかると私は思います。しかし、残念ながら、切羽詰まっている人々や他人の苦労よりも短期的な自分の利益のことしか考えられない人々は少なくないです。

上のリンク先で取り上げられている雑誌は、N紙系列のSR紙であろうと思われますが、最近のこの出版社の経営方針には、私も疑問を覚えています。ブランド名を利用した金儲け主義としか思えません。いくらN紙ブランドとはいえ、このような状態で長続きする訳がないと思います。ゴミ箱と認識される前に編集方針を変えて、よりSelectiveにしていかないと、SR紙もPLoS One同様の運命を辿るであろうと想像します。8年前にN紙はそのフロントページでPLoS Oneを批判的に取り上げましたが、そのN紙出版グループが(金儲けのために?)PLoS Oneに追随するというのはなんとも情けない気がします。大臣職をチラつかせられた瞬間に脱原発主張を過去にさかのぼって封印したどこかの二世議員を思い出させますな。所詮は商業雑誌、地獄の沙汰も金次第ちゅーことですかね。


こんなのを見つけました。シャネルのゴミ箱だそうです。
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筋書きと本番

2016-02-16 | Weblog
北朝鮮がらみの週末の新聞記事などを繋ぎ合わせてみました。

東京新聞、筆洗
こちらは子どもも読み通せるエーコ作品である。<爆弾づくりに熱心な将軍は、戦争をしたくなりました>。かつて、書いた絵本『爆弾のすきな将軍』(海都洋子さん訳、六耀社)。最近、復刊した。平和の意味を教え、戦争の愚かさを笑う▼北朝鮮が日本人拉致被害者の調査を一方的に打ち切った。世界のやめてという声の中で「長距離弾道ミサイル」を発射した。


韓国で核配備支持50%超 報道機関の世論調査
韓国の聯合ニュースとKBSは14日、両社合同で世論調査会社に依頼し11~12日実施した調査の結果、「在韓米軍の戦術核再配備」と「韓国の核兵器独自開発」を支持する人の合計が52・5%で、核保有に対する反対意見の41・1%を上回ったと伝えた。 北朝鮮による1月の核実験後、韓国では核保有論が台頭。今月の事実上の長距離弾道ミサイル発射で、世論はさらに硬化しているとみられる。


朴大統領が対北朝鮮演説へ 
韓国大統領府の金声宇広報首席秘書官は14日、北朝鮮による核実験と事実上の長距離弾道ミサイル発射を受け、朴槿恵大統領が国会演説を行う方向で国会側に要請したと明らかにした。「大統領として国民を守る責任を尽くす一方、北朝鮮のさらなる挑発を防ぎ不安を解消する上でも、国民の団結が必要だということを強調する」


米中交渉、春節明け後に活発化 安保理制裁決議案めぐり
安保理はミサイル発射を受けて迅速な決議採択を目指すことで一致したものの、米中が制裁内容をめぐって折りあえずに長期化しており、先行きは不透明だ。「この件に関して、われわれは(北朝鮮と)同盟国ではない」。ミサイル発射を受け7日に開かれた非公開の安保理緊急会合で、中国の劉結一国連大使は珍しく声を荒らげた。


北朝鮮移動式ICBM旅団編成か
韓国の聯合ニュースは14日、北朝鮮の朝鮮人民軍が最近、ミサイルなどを運用する戦略軍の配下に、開発中の移動式大陸間弾道ミサイル(ICBM)「KN08」の旅団を編成したと、複数の韓国政府消息筋の話として報じた。聯合ニュースは「事実上、実戦配備の段階にある」としている。


という感じで、北朝鮮の核実験、人工衛星打ち上げ(ミサイル発射)などの行為に対し、アメリカと韓国が行動を開始。北朝鮮のこれらの挑発行為の本当の動機は何なのでしょう。武器をチラつかせて国際援助をねだるというような頭の悪いやり方を、いくら「将軍様」でもするでしょうか。そこのところは私も引っかかっております。自国が置かれている状況は流石にわかっているでしょうから、アベ氏でもあるまいし、単に「爆弾が好き」だからという理由でこのような行為は行わない(はず)です。

関して、岩下おじさんのブログから

余計な勘繰りでしかないが、風が吹けばおけ屋が儲かるという論法で行けば、、、、、、
日本海軍(日本でのみ海上自衛隊と呼んでいる)のみならず軍全体そして国威の発揚・自国防衛の世論盛り上げの宣伝費、およびパック3などの我が国独自の防衛網の整備、かててくわえて韓国、そしてその韓国に配備しようとしているアメリカ主導のサードシステム配備などを含めると防衛産業の総体に対する需要はどう軽く見積もっても数十兆円は下るまいと思われる。、、、この三カ国の国民世論は某国のロケット打ち上げのおかげで自国の予算の使い方に反対するものがいなくなるという効果ものぞめる。、、、年に一度のこんな花火大会でも、某国が行ってくれないと日韓米の軍事産業が潤わないのは確かであろう。、、、、某国の予算の約七分の一も使って打ち上げるぐらいなら貧困にあえぐ国民に使ったらどうかと「よく」言われるが、たしかに貧しくはあるけれど、金正恩体制になってから度重なる経済制裁にも拘らず人民一人あたりの平均所得は毎年増えているからである。、、、、好むと好まざるとにかかわらず確実に北朝鮮の経済は「なぜか」よくなってきているのである。
、、、この先軍政治国家の財政を誰が支えているのだろうかこの体制維持によって政治的経済的利益を得ているのは「結果的に」誰であろうか
、、、、などと考えたりする。


陰謀論は仮説として検討しておく価値はあると私は思います。私のメシの種である科学研究における考え方の基礎となっている「方法的懐疑」など、言わば、わざわざ陰謀論を仕立て上げてそれを否定していくという作業であるとも言えますし。

世界の出来事はおそらく、非常の多くのパーティーの思惑が複雑に絡み合った上で起こっていることで、どこをどのように見るかによって解釈も変わってくると思います。証拠もなしにいつものように、アメリカが北朝鮮に資金を流してマッチポンプをやっているのだ、と断じてしまうと単なる陰謀論者になってしまいますが、その可能性があるということを考えておくことで、将来の危険を回避できたりもすると私は思います。世の中の出来事にはだいたい筋書きがあるが、しばしば本番では、筋書き通りには進まないものです。大まかな筋書きは考慮しつつも、常に物事を中立の立場から眺めることが大切なのではないかと私は思います。
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分野の隆盛と衰退

2016-02-12 | Weblog
私はマウス遺伝学的ツールを使っている関係で、結果的に発生生物的な研究をやっていたわけでですが、気がつくと、最近は、発生学的なものから多少離れてきています。Reverse geneicsを用いた発生遺伝学研究というのは、手法的には、生物になんらかの遺伝子操作を加えて、その発生段階での形質を記述するという実験をするわけで、特にマウスの遺伝子操作ができるようになった20 - 30年前から、一挙に分野が拡大しました。それまで、発生学とは無縁の人々(私もそうですが)が、興味のある遺伝子を操作した遺伝子改変動物がしばしば発生異常を来すので、発生学の分野に参入してきて、片っぱしからノックアウトを作って、形質を記述するという論文が量産されるようになりました。それが分野の拡大を招いたのだと思うのですが、この数年、発生学の分野が明らかな縮小傾向を示しているように私は感じます。
思うに、マウス遺伝学を通じて発生にやってきた人は、そもそも発生学的疑問に基づいて研究してきたコアな発生学者ではない人が多いので、その手法でかける論文を出し尽くした後は、だんだんと発生学分野から去って本来の彼らの興味の分野に帰っていっているのだろうと思います。極端に言えば、発生バブルが弾けたとでも言えば良いのでしょうか。

この数年、私が目にしている傾向は、徐々に縮小する発生生物学分野と、それに伴う発生学専門誌のインパクトファクターの低下です。約15年前ぐらいにCellの姉妹紙としてDev Cellできるまでは、発生学では英国の 「Development」が専門誌の中ではトップであったと思うのですが、あっという間にDev Cellにその地位を奪われました。それでも長らく老舗ブランドの力で高品質の論文を集めていました。発生生物学分野が縮小しだして、Dev Cellもインパクトファクターが10を切りそうになってきて、それに続くDevelopmentやDevelopmental Biologyなども地盤沈下してきました。そうなると、投稿する方も発生学専門雑誌ではない雑誌へ出そうという傾向が高まって、ますます発生専門誌への投稿もインパクトファクターも下がっていくという負のスパイラルが起こっているのだろうと思います。私も発生が絡んだ論文でも、それなりの思い入れのあるものであれば、今ではDevelopmentへ投稿するのは躊躇します。(かつてはDevelopmentに載れば大満足でした)一方で幅広い分野を含むブランド雑誌の姉妹紙が人気を集めているようです。Cell系列ではCell Reports、Nature系ではNature Communicationsなどの新興雑誌のインパクトファクターは8 - 10近くあり、老舗のPNAS並みです。おそらく、発生の絡んだ研究で以前ならDev Cellに落とされて、Developmentに出すところが、Cell Reportsという受け皿ができたので、Developmentに行く前にその系統の雑誌の方へと流れているのではないだろうかと思います。移ろいやすいは世の常とは言え、かつての老舗が落ちぶれていくのを見るのは寂しいです。

とはいえ、研究もある程度は人気商売、人々の興味のあることを研究しないとお金はもらえません。その研究の流行を作っていると思われるマサチューセッツ、ケンブリッジのケンドール駅前付近の動向を見るに、やはりここしばらくは、ゲノムワイド、シングルセル、大量データの包括的解析、という金とパワーとテクノロジーが必要なスタイルの研究がはやることになるのかな、と思います。Broad InstituteのEric Landerは「仮説なしの研究」の有用性、すなわち仮説を生み出すための網羅的データ先行型研究の重要性を説きます。(そもそもBroadは仮説先行型研究を好む伝統的な資金配分システムではサポートされにくいような研究をするために作られた組織ですが)こうしたテクノロジーの進歩、ゲノムワイド解析、CRISPRなどによる網羅的遺伝子変異スクリーニング、シークエンス技術とバイオインフォーマティクスの進歩に引っ張られて研究スタイルの流行が決まっていきます。

近年、とりわけイノベーティブであるかどうかが研究(計画)の重要な評価ポイントとなっています。そして概念的よりも技術的なイノベーションを示すことの方がはるかに易しいです。ですので、好むと好まざるに関わらず、新しい技術をいかに自分の研究に導入していって新たな切り口を見せていけるかという戦略なしには、グラントも論文出版も苦労することになります。その点では、従来のマウス遺伝学と発生学的研究手法にはもはや目新しさはなく、発展性も限られています。そういった事情も発生学と分野からの人々の撤退を招いているのかも知れません。

話かわって、ちょっとだけアメリカ大統領選の話。今回のアメリカ大統領選、共和党候補、クリス クリスティーが撤退宣言とのこと。前回の大統領選の時は随分期待は高かったのに、出馬せず、今回の出馬では、予備選序盤での支持率が伸びなかったため撤退とのこと。加えてニューハンプシャーではトランプが圧勝したという話を聞いて、暗い気持ちになりました。マトモな人が評価されず、トンデモないのが人気を集める、これがアメリカ民主主義というか衆愚政治の怖さですね。日本も同様ですが。最終的に共和党の良心がトランプを止めてくれることを期待したいと思いますが。

もう一つ、話かわって、北朝鮮の挑発に対して、米日韓がそろって、制裁を決定。先日、オバマが、従軍慰安婦問題に関して日韓最終合意をさせました。それで一応の準備が整ったので、任期が終わるまでに北朝鮮問題に道筋をつけたいということで行動開始に至ったのでしょう。オバマの意図は中国を引き込み、日中韓で共同的に北朝鮮を抑え込む体制を作ったあと、アメリカ軍のアジアからの順次撤退ということでしょう。そのためにも、日本には正式に軍隊を持ってもらわないと困ると思っており、日米軍事同盟での日本の責任の拡大をアベ氏に指示してしてきたわけです。かつての自民党であれば、ノラリクラリと面従腹背で飲めない要求はかわしつつ、追い詰められそうになったら辞任して問題を先送りするぐらいの芸当はできました。しかし、どうみてもアベ氏にはどうもそんな芸をするのは無理のようですし、する気もなさそうです。結局、国民が選挙でアベ政権の力を削ぐしか方法がなくなってきたというのが、辛いところですね。
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ホワイト氏逝去、トランプ失速、サンダースの追い上げ

2016-02-09 | Weblog
"The Earth Wind and Fire" のモーリス ホワイト氏、死去との話。パーキンソン病だったということですが、寂しいですね。
子供のころ聞いた大ヒット曲「Fantasy」や「September」は衝撃でした。派手な衣装とホーンセクションのファンクサウンド、感心しながら深夜のライブコンサートの放映を見たのを思い出しました。

EW&Fとスタイリスティックスとビー・ジーズで、私は、男性のファルセット コーラスの曲が好きになりました。アースの当時のLPの幻想的なジャケットデザインは日本人が書いていたように覚えています(調べてみたら、長岡秀星さんでした)。ファンキーな曲も良かったですが、スローな曲も素晴らしい。私のかつてのお気に入りは、「After the love has gone」とソロでの「I need you」です。少年時代の甘すっぱい、苦くしょっぱい、切ないような色々な思い出とつながっています。この年代のミュージシャンが亡くなっていくのは本当に寂しいです。結局、週末、EW&Fやその年代のR&B、アメリカンポップを聴き浸ってしまいました。

日本人好みの洋楽というものがあるようです。歌詞がよくわからなくても日本人には何故か受ける音楽。EW&Fもそうでした。EW&F全盛のディスコブームのころに流行ったAORのボビー コールドウェルなんかも多分、本国より日本での方が人気があったのではないでしょうか。私も、この系統の音楽、昔の言葉でソフト アンド メロー、とかラブとか言われるタイプのスローなのが好きです。彼らの音楽は演歌にはちょっと馴染めないような日本人の一部になっていると思います。というわけで、「After the love has gone」と「I need you」をYoutubeで探してみました。



やっぱりFantasyも貼り付けておきましょう。この曲は、リードはファルセット使いのPhil Baileyですね。




さて、これまであまり興味はなかったアメリカ大統領予備選、ハプニングが起こりそうな気がしてきました。共和党は、冗談としか思えないトランプやクルーズという「ありえない」候補の代わりに、ようやくまともそうな候補が出てきました。このままトランプは支持を失って、指名競争を脱落することになるのではないだろうかと私は思います。そうであってほしいと思います。ありえない人間がある家系に生まれたというだけでトップ1, 2についてその国民を苦しめているような極東の国の例もあることですし。

民主党に関しては、ヒラリー クリントン本命という筋書きが以前からあったようでしたが、ここに来てサンダースが強烈な追い上げを見せています。以前、触れたように、彼は、現代アメリカ資本主義の中枢とも言える金融業界が、富の偏在、貧富の拡大、そして中流階級の地盤沈下をおこしている元凶であると厳しく批判しています。そして、彼の支持者は、アメリカ金融業界のトリックについて、親の年代よりもおそらくもっと良く知っている若者たちです。彼らは、リーマンショックの時に政府が金融機関に対しては国民の税金を使って巨額の損失を補填し大変な優遇措置を施した一方、その金融機関は一般国民の顧客に対してはまるで恩を仇で返すように対応した上にかえって焼け太りさえした様子を良く覚えているのだろうと思います。思うに、彼らは移民政策などで民主党は支持しているものの、クリントンは所詮、金融の裏にいる「支配者層」側の人間であって、国民の真の代表ではないと見なしているのでしょう。現在、富は偏在し、1%の裕福層が、残り99%の人々を合わせた以上の富を占有しているらしいという話があります。99%はかつてその多くが中流階級でしたが、現在はその多くがかつての中流とはに比べて余裕のない生活を送っています。社会主義的思想が求められるのは自然なことであると思います。

この、若者が正論を述べる老人を熱狂的に支持する、という現象は、4年前のロン ポールの時にも見られました。リバタリアンのポールは、当時、共和党指名候補でしたが、いくら小さな政府を好む共和党といっても、ポールの主張はちょっと極端すぎるところがあり、大きな支持を得ることはできませんでした。しかし、若者は熱烈に支持しました。その一番の理由は、やはり、アメリカの管理通貨制度のイカサマを糾弾してきたからであろうと思います。(そして、それがために大統領候補にはなれませんでした)

すなわち、この近年の傾向は、若者の世代が、アメリカ資本主義は末期に来ており、金融システムの改革が必要だと強く認識していることを示していると思います。日本でもそうですが、社会情勢が悪くなると政治的意見を持つ若者の世代は若年化するようです。教育レベルの比較的高い地域では高校生までが、次の大統領候補に関してそれなりの意見を持っており、彼らの80%が民主、共和両方の候補の中で、サンダースを支持しているという話も聞きました。

サンダースが最終的に指名を得て、本戦を勝ち抜いて、大統領になるかどうか、今の所、私は25%の確率と思います。クリントンには悪いですが、彼女は大統領の器ではないと思いますし、若者が支持し、ひょっとしたら本気で金融改革をやるかもしれないサンダースが民主党候補になってくれることを私は期待しています。世代ごとの大きくなる若者の声を支配者層が無視できなくなれば、ひょっとしたらアメリカも本当に変わっていくかもしれません。
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研究の神様の話

2016-02-05 | Weblog
いろいろと雑用その他で忙しくしております。息抜き兼日記のつもりでこれを書いてますが、日常の瑣末時に忙殺されると、書く時間はあっても書きたいことがないという悲しい事態になりますね。

ここ数年一緒にやっている人が一時間のトークをすることになり、昨日、彼女の発表の準備を一緒にやっていてました。そのプロジェクトは、数年前に、小さなdescriptiveな論文になればいいや、ぐらいの本当に軽い気持ちで始めたものですが、彼女が当たりを引き続けて、まるで映画を見るかのような興味深いストーリーにまとまりつつあります。ただし、これは私小説的な研究なので、いくら美しいストーリーでも研究業界に与えるインパクトは大したものではありません。

建前上、研究は、社会や人々にとってなんらかの役に立つことを願ってやるわけですが、その一つ一つの活動は極めて個人的、趣味的なものだと私は感じます。なんらかの目的を目指して始めたプロジェクトが、そのまますんなりと思い通りに進むことはまずありません。小さな壁にぶつかっては紆余曲折を繰り返して、結局、ゴールにたどり着けないこともしばしばです。しかしその道すがらに思いがけない発見をしたり、予想もしなかったような「お話」を発掘したりすることがあります。むしろ、それこそが研究の目的ではないかと私は個人的に考えています。極端に言えば、宇宙開発プロジェクトのようなものです。宇宙開発に関わっているほとんどの人は本気で火星に移住したいとは思ってはいないでしょう、しかし、宇宙開発というゴールに向けて努力する間に、地上でも実際に有用な技術が開発されたりわけで、むしろそっちの方が本来の目的であると言えます。いわば「行き掛けの駄賃」の方が真の狙いなのです。アカデミアの研究プロジェクトとも同じようなものだと私は思っており、何よりの駄賃は、研究活動そのものを通じて得られる研究者自身の満足だろうと感じます。

キザにいえば、私にとっては、思い入れの入った研究は「作品」であり、論文は一編の詩であったりするわけです。もちろん5年の力作も、仮に読んでもらえても、大抵の読者は鼻をほじりながら数分で無感動に読み飛ばしてしまうのはわかってはいますが、それでも論文を世に出そうとする側にとっては、手塩にかけて育てた一人娘を嫁にやるような気持ちです。(私、娘はおりません)

無論、あまりにインパクトが大きい発見で、育て上げたり磨きをかける必要もないよううなネタなら素晴らしいですが、そんな大発見は滅多になく、多くの場合は、ちょっとした発見をネチネチと一人前になるように育て上げて、出版できるような形にするわけで、そこに「作品」に対する思い入れが徐々に醸されていくのだと思います。(「熱海殺人事件」を思い出しますね)

それはともかく、このプロジェクトの発展の歴史を振り返って、あらためて、一つ一つの奇跡のようなデータが積み重なって、ここにたどり着いたのだと実感して感動してしまいした。一緒に実験してきた中で、こういうこともあった、ああいうこともあった、失敗した実験も多かった、でもこの実験を思いついたのは素晴らしかった、などなど、過去の出来事を一つ一つ振り返りつつ、無事にプロジェクトが成熟しつつある様子を見ることができたことに、深い感謝の気持ちが湧いてきました。その感動を分かち合える人がいるというのも何という幸せだろうかと思いました。

思うに、私は何年もパッとしない研究人生を送ってきました。客観的にみれば、今もバッとはしていませんが、「自己受容」、「現実受容」をだんだんと覚えて、それでも幸せでいることができるコツをちょっとずつ身につけて今に至ります。このプロジェクトが良い雑誌に載れば、それは私にとっても筆頭著者となる彼女にとっても嬉しいことには違いませんが、仮に良い雑誌に載らなくても、私のこのプロジェクトに対して感じている今の幸せが損なわれることはありません。なぜなら、このプロジェクトがこのように進んだことは、振り返ってみれば、私や彼女の力だけではありえず、肝心なところで研究の神様が我々を導いてくれて奇跡が起こったからに他ならないと確信するからです。ですので、どの雑誌に載るかどうかも研究の神様の導きに任せたいと思います。

なかなかうまくいかなかった若い頃に、私は、研究で成功している人々と話をする機会がありました。そのころ、そんな成功している人々が、共通して「自分はラッキーだった」というのを聞いて、本当に不思議な気がしました。結局、成功は運次第なのかな、と思ったりしました。今では、私は、成功には幸運であることが必要だとは思いますが、同時に幸運に恵まれるかどうかは本人次第であるとも思っています。

実際、私自身、このプロジェクトの小歴史を辿ってみて、「研究の神様のお導き」を実感するに至ったわけで、それで、かつて成功した人々が「ラッキーだった」といった意味が、なるほど、このことだったのだろうか、と腑に落ちたのでした。すなわち、真摯に研究を行い、謙虚に実験の成功に感謝することを続けていけば、肝心なところで、研究の神様が助けに来てくれる、そういうことなのではないでしょうか。それは「運」です。しかし、その運を呼び込む、大切な所で研究の神様に助けてもらう、そのためには、必要な準備と心がけいうものがあり、若いころの私はそれを理解していなかったのだと今は感じます。つまり、頭と体の両方を使って真摯な努力をすることに加えて、おそらく大切なのは、素直さと謙虚さと感謝の気持ちであろうと思います。そこに研究の神様がチョイと休みに来るプラットフォームができるのではないでしょうか。
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留学先の選び方

2016-02-01 | Weblog
週末は、風邪と偏頭痛と不整脈のトリプルパンチでベッドで唸っておりました。人間、二箇所以上を同時にやられると戦意喪失すると言います。トリプルパンチでは、生きているのも嫌という気分になりますね。それで、何もできずにとにかくうずくまって過ごしました。
週明けのニュースを見て、沖縄県が予定通り国を訴えた話とか、アメリカ大統領選とか、汚職の話とか、それぞれ一言いいたいこともありましたが、ちゃんと考えることができなかったので、その話はまたの機会にして、BioMedサーカスの人気連載、「教授と僕の研究人生相談所」の研究留学先選びに関しての今回のエピソードを読んでちょっと思ったことなどを書きたいと思います。

教授「だがな、今は研究者があまっている。ポスドクから独立ラボのPIになることは非常に狭き門となっている。だから独立ラボのPIとなる平均年齢もあがっているし、ポスドクから独立ラボのPIになれる割合も激減している」
教授「若い研究者にとっては厳しい環境だが、上の世代の研究者はそれを上手く利用していることもある。例えば、大御所と呼ばれるような研究者は、配下にAssistant ProfessorやらAssociate Professorやらを抱えて、そいつらに独立PIっぽくさせて研究費を獲得させているが、その実、自分自身のラボを含めて所属研究機関内に一大派閥を作る。表向きは小さな独立ラボが研究センター内に存在しているように見えるが、実質的には研究費も研究スペースも共用だ。だが、その中での色々なことは、大御所研究者の一存で全てが決まる。配下のAssistant ProfessorやAssociate Professorは単なる中間管理職みたいなもんだ」
教授「だがな、表向きはそんな中間管理職PIも独立PIっぽく振る舞う。で、一番の問題は、そういう中間管理職PIは基本的に能力が低いんだ。ま、考えてみれば当然だな、自分の力で独立できないからこそ、そういう大御所研究者の下で中間管理職PIになってるんだからな」
教授「でだ、留学先選びのときに、そこのボスが独立PIなのか中間管理職PIかということをあまり考えない人間がいる。で、間違って無能な中間管理職PIのところに行ってしまったら、休暇も満足に取らせてもらえずこき使われるだけで業績が出ないなんてことも当然ある」
教授「だから、今回の相談者が本当に留学したいなら、きちんと人を見る目を養っておくべきだな。間違っても俺みたいなのを優秀だなんて思ってはいけない」
僕「・・・。でも教授、独立PIと中間管理職PIの見分け方って簡単なんですか?」
教授「簡単だよ」
僕「ぜひ、その見分け方を教えてください」
教授「君はポリンキーのCMを知ってるか?」


アメリカでのPIの基準は、グラントを取ってきてこれるかどうかだと思います。グラントを取ってこれるということは、グラントを書く能力がある、グラントの研究を遂行するだけの能力がある、それを裏付けるだけの出版歴がある、それなりの機関に所属している、プロジェクトの成功を予測させるだけの予備データをすでに持っている、これだけのことを満たす必要があります。すなわち、単独でPIとなっているグラントを持っており、そこそこの出版歴があれば、まずまずOKではないかと私は思います。現在、NIHのサポートに関しては、データベースがあり、誰がどのようなプロジェクトでいくらサポートを受けているかがわかるので、留学を考えている人は、グラントの状況をまずチェックすべきであろうと思います。それで、真に独立していない中間管理職PIというべきPIですが、そういうPIは確かに存在していると思います。NIHグラントでも小さなグラントやトレーニンググラントであれば、基準は多少緩いですから、ときどきそのようなグラントを独自で、あるいはボスとの共同プロジェクトという感じで取りつつ、親ボスのリソースを借りて、共同、共生やっているようなところはあると思います。そのようなスタイルも私はアリだと思います。独立してグラントを取っていくのは難しい時勢ですから、リソースをうまく使いまわして個人ではなく全体としての利益を図るというやりかたはむしろ推奨されるべきではないかと思います。これが教授のいうように、大御所が一大派閥を作ってその一存で小ボスを使って研究を進める、というようなケースが実際にどれほどあるかと考えれば、これはむしろかなり少数派ではないかと思います。逆に、このようなシステムは、なかなか独立したボジションで安定してキャリアを継続することが難しい研究者の人への救済策としてのプラクティスではないかな、と私は思います。ボスにとってこういうシステムで研究室を回すというメリットはデメリットに比べてそれほど大きくないと思われます。今や、大物でもNIHグラントを一回の応募で取れる確率は高くはなく、本当に安全な人などおりません。そういう状態で小ボスを養えるような人は、ハワードヒューズの金を持っているとか、企業と組んでいるとか、通常グラント以外の金づるがあるようなごく一部の人々ではないかと思います。

しかし、ポスドクとしてトレーニングを受けに行く立場であれば、結局は自分が独立したPIになるために必要なスキルをつける準備として行くわけですから、真に独立していないPIの下で下請け作業をさせられるというのでは、その目的に合いません。普通、十分な能力があれば、アメリカの場合では、ポスドクのあとテニュアトラックポジションに移って独立することが多いので、PIの経歴をちょっと見てみて、ポスドク後の仕事がポスドクや学生時代の仕事と独立していて、かつ通常サイズのNIHグラントに匹敵するグラントを獲得しているかを見て見れば良いだろうと思います。私の意見では、比較的若手で独立後に旧ボスの名前の入っていないそこそこのインパクトの論文を責任著者で出版しており、メジャーなグラントのサポートを持っている人が良いように思います。そういう人は成功への野心もあり、ハイインパクト論文出版への意欲も高く、本人自身がグラント獲得、論文出版という厳しい戦いの最中でもあるので、まさに数年後の自分がやらねばならないことを直接学べる可能性が高いと思います。

一方、大御所のところも多くのメリットがあります。まずハイインパクト論文が出せる確率が高い、最新の技術や知識へのアクセスが容易、などです。しかし、大御所はある程度安定したシステムを作ってしまっているので、ボスから直接学べることは限られます。そこに集ってくる優秀な同僚からそうした技術を学び、盗んでいくだけの積極性が必要と思います。いずれにせよ、その辺は本人の才能、努力と根性次第ではないかと思います。

というわけで、教授はポリンキーのCMという答えでしたが、私の意見では、留学先を選ぶ際は、次の点をチェックすればよいのではないかと思います。PIがテニュアトラックの比較的若手であること、単独責任著者でインパクトのある論文を出していること、研究のスタイルや内容が自分の興味とある程度一致すること、メジャーなグラントサポートがあり留学期間中継続すること、それから、これは見極めるのは難しいですが、人柄に難のないこと。人柄については、許可をとってそのラボの在籍者や出身者にコンタクトを取ってみるのが良いでしょうね。
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