ちょっと愚痴っぽい話ですみません。
昨年はコロナで精神的きて、その後不整脈がひどくなり心不全となりました。その数年前からスランプが続いていたこともあって、これは、きっと膿出しが起こっているのだから、まもなくコロナも収束して心臓もよくなって、明るい方向に向かうだろう、と楽観的に考えていました。しかし、まだまだ明るい兆しは見えず、心臓は後遺症が残り、新たな新人を雇って再起をかけたプロジェクトは一歩も進まず、どうも、これは一時的なディップであるという見方を修正しないといけないと思い知らされました。もうそろそろ上向きに転ずるはずと思い続けた挙句に、この現状、「『もう』は『まだ』」なり、とはよく言ったものです。
それで、近年起きたことは、これまでのような生き方を根本的に見直せというサインだったのではないかとようやく思い直しはじめました。これまで、それなりに情熱を注いできた(と自分では思っている)研究活動のこれまでと今後を自分と家族の残りの人生というコンテクストの中で見直そうとしています。この数年のスランプで、何度も考え直す機会はあったのに、あえて真剣に方向を見直すことをしようとしなかったことを多少、後悔しています。過ぎ去った時間はもう帰ってこないですから。私が鈍いのか、サインが遅いのか、手遅れになりかけてから行動するハメになるのがいつものパターンです。
結局は、何事においても、どんなに情熱を注ごうとも、あるいは人や世の中のために使命感をもってやろうとも、そしてどんな偉業を成し遂げようとも、その主体たる個人にとっては、やることすべては「死ぬ時までの暇つぶし」なのだという虚無的な感想が湧いてきて困っています。昔と違って、この言葉が今は重いです。昔は、どうせ暇つぶしなのだから深く考えず軽快に行こうと思っていましたが、今は同じ暇つぶしなら、残された時間の使い方を積極的に考えなければならないという気持ちになっています。
研究の楽しみや喜びは、数多くの経済的困難や競争や批判に基づくストレスなどと引き換えにしても価値のあるものだと私は信じていたのですが、どうも、それは自分でそう無理に思い込もうとしていた部分もあるということに気きづかされました。思い返せば、数年前から心の奥底ではそのことを知っていたのに、あえて直視しないようにしていたのでした。つまり、「たかが研究」と「されど研究」のバランスがいつのまにか逆転しつつあったのが意識上に顕在化したということです。
事実、ちょっと現在の研究分野を客観的に眺めてみれば、大変な努力の上にすばらしい成果をなしとげた研究の論文が半年で忘れ去られ、毎週、私の狭い関連分野だけでも数百本の論文が出版される状況は、すでに研究者も研究そのものも使い捨てにされるティッシュペーパーの一枚に過ぎなくなっています。ほとんどの論文は人々の記憶からは瞬時に失われて、大海に注ぐ大河の一滴のように、電脳空間に漂う無数の知識のカケラとなって散ってしまいます。ま、それは他の人類の活動と同じなので、別にいいのですけど、しかし、その使い捨てのティッシュペーパー一枚にかけられる労力と時間はリアルの人間のものです。
かつては興味をもった疑問を追求する努力は自分にとって、その時間や労力やその他のものを引き換えにしても価値あることだとは思っていました。趣味に全財産と時間を費やす人も大勢いますように、研究は趣味だとでも思わなければ続きません。しかし、病気になり、コロナで精神をやられ、親や家族の問題を抱え、というような状況になった今は、一連の近年のできごとは、そうした姿勢を考え直せというサインだったと解釈すべきだったと感じるようになりました。
おかしな話で、生物系の研究を職業にしたいいう若い人がいれば(滅多にいませんけど)、私は、何年も前から「辞めたほうがいい」とためらいなく言えました。なのに、一方で、若い人が幸せになれないと自分で思っているようなところに私はいて、それでも自分はOKだと思い込んでいたようです。多分、私は必要以上に辛抱強く諦めが悪いのでしょう。愚かな話です。