百醜千拙草

何とかやっています

正直であること

2013-01-29 | Weblog
ここ、しばらく何かとやることが多くて世間のことに気が回らず、書きたいことがありません。
オバマとクリントンがツーショットでTV番組のインタビューに出ているのを見ました。クリントンも国務長官の激務で燃え尽きたようで、2004年の大統領候補だったジョン ケリーに代わります。クリントンさんも随分老けて、太りました。オバマもすっかり白髪頭で確実に時間は経っていっていいるのを実感します。
 ジョン ケリーを見て、大統領選での相棒だったジョン エドワーズを思い出しました。大きく立身出世して大統領選に二度も出たのに、不倫と隠し子がばれた上に選挙資金を不正流用した疑いまでかけられ、すっかり落ち目になってしまいました。ちょっとした出来心がその後の人生を大きく変えてしまうのですね。
そういえば、ちょっと前、ランスアームストロングがオプラの番組で、禁止薬物を使ったと認めたというニュースが話題になりました。それを受けて、オーストラリアの図書館では、アームストロング関係の本を、フィクションのコーナーに移したという話を聞きました。笑い話のようですけど、いくら本人の自業自得とはいえ、本人の気持ちを想像すると悲しいものがあります。研究でも、研究不正がバレて転落していった有名研究者が何人もいます。彼らの論文は、通常撤回されて、なかったことになりますが、著書の場合はどうなるのでしょう。やはり、サイエンス フィクションのコーナーに移動されるのでしょうか。
 正直であることは最上のポリシーであるといいますが、バレたら罰があるからという以上に、正直であることは自分自身の幸福のために大切だと思います。仮に絶対バレないような不正直であったとしても、自分自身はそれがウソであることを知っているのですから。不正直であるとは自分自信に対しても不正直ということでしょう。そうやって得たツールドフランスの輝く大記録を自分で誇らしく思えるのでしょうか。そう思うと悲しい話です。自分のキャリアや人生を棒に振るとはこういうことでしょう。ただ、アームストロングの身近な人の話だと、アームストロングが「ずるをする人間(Cheater)」という言葉を辞書で調べていた、と言っています。違法薬物を使用したということが「ずる」に当たっていたという認識が本人に乏しかった可能性もありますね。10キロオーバーでみんなが走っている高速道路を自分も10キロオーバーで走っただけだぐらいに思っていたのかもしれません。ある地域の外国の人々で、平気でウソをついて他人を騙す人がいます。彼らは自分の身を守り自分の利益のためにつくウソは、ウソではなく、単なる方便であり、悪い事ではない、と信じているのだそうです。法律を守るか守らないかはどちらが利益になるかによって決まるようです。たしかに、法律も規則も人間が恣意的に決めたもので絶対ではありません。しかし、正直であるとは自分自身に対して正直であるということではないでしょうか。もっとも他人を騙してでも自分の利益を増大させることが自分にとって正直だと信じているのならどうしようもありませんが。
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バッハで書きもの

2013-01-25 | Weblog
バッハのピアノ曲を聞きながら書きものしております。小学生の時は歌謡曲、中学生はフォークとロック、高校、大学はジャズやソウルと音楽の好みが変わってきました。年のせいでしょうか。しかし、私と同年代の同僚研究者でもずっとヘビメタ一筋の人とかも(若いときに医学生バンドでレコード出してたそうです)いますから、音楽の好みが変わるというのは年齢とは関係ないのかも知れません。プロでもそうですね。スティーブンタイラーなんかあの年でも若い時から格好もスタイルも同じです。逆に音楽性が変化するする人も少なからずいます。スタンダードジャズを歌い出したロッドスチュアートとか、あまり感心しませんね。ジャズシンガーとして歌がうまいわけでもありませんし。大体、私はジャズは若者が主張するための音楽で、スタンダードジャズと呼ばれるスタイルの音楽は本当のジャズではないと思っています。そういうラウンジのお酒のお供みたいな音楽を、仮にもかつては先端のブリティッシュロックをやっていた人間がやりだすということにどうも抵抗があります。
 最近は音楽そのものを聞くことが少なくなりましたが、もっぱらクラッシックです。それもロマン派より前のものがいいです。若い時、渡辺貞夫さんが「音楽は美しくないといけない」と言ったという話を聞いて違和感を持ったのを覚えているのですけど、最近は素直に同意できます。ちょっと前は女性ソプラノのアリアを聞きながら作業していましたが、これは本当に「聞いてしまう」ので、頭を使う作業中には向かないことがわかりました。それでバッハのピアノ曲に落ち着きました。
 若い頃に自分で買った唯一のクラッシックピアノのアルバムはホロピッツとグレングールドでした。当時はYoutubeなどない時代です。ホロビッツのアルバムはベートーベンの三大ピアノソナタで、ジャケットはホロビッツが笑顔で座っている写真です。レコードを聞きながら、きっとこの人は感情豊かに演奏するのだろう、と想像していました。一方、グレングールドのジャケットはモノクロの若いころのグールドの気難しそうな顔がいくつか合成されたもので、バッハのパルティータとフランス組曲だったような気がします。レコードを聞いて、きっとグールドは機械のような冷たさで演奏するのだろうと想像していました。それから何年も経って、Youtubeでホロビッツやグールドの実演を見る機会があって、私の最初の印象が全く逆だったことを知りました。ホロビッツのテクニックは驚愕ものでした。まったく表情も姿勢も変えずに手をべったり開いて手首を低くした異様なスタイルで、それこそ手だけが別の生き物かのようなクールさでホロビッツは演奏するのでした。逆に、私はグールドの演奏を見て、グールドに対する偏見が根拠のないものだと分かりました。グールドは後年コンサート活動をやめ、スタジオ録音しか発表しなくなりましたし、随分、他の人とは違った弾き方をします。そんな気難しい変人だという世間の評価が私の偏見のもとであったのだと思います。しかし、ビデオでみるグールドの姿に私は単純に感動しました。あれ程、音楽に入り込んで、愛おしそうにピアノを弾くのだとは思いませんでした。それをみているだけでも楽しい暖かい気持ちになります。二人ともこの世を去って久しいですが、Youtubeのおかげで私は今日も彼らの演奏を聞くことができます。
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関西大弾圧について

2013-01-22 | Weblog
来月頭が〆切のグラント書いています。5ページの短いものですが、ステムセルのグラントで私は基本的にステムセルの研究者ではないので、結構ハードです。おもしろい仮説とマウスツールがあるので、何か書けるだろうと年末年始をノホホンと過ごしていたら、なかなか書けずに、昨日の時点でようやく、骨格が決まりました。論文と一緒で、骨格が決まって第一稿を書いてから、恐怖の推敲が始まるので、最低締め切りの二週間前にはそれなりに仕上がっていないといけませんから本当はブログ書いたりしている場合ではないのですけど。リジェクトされた論文も体裁を変えて、投稿しないと行けませんし、今月末までにプロジェクトの進行報告書も書かねばなりませんし、来月頭には、別の原稿の〆切もやってきます。実験もしないといけませんし、ちょっと、あせってきました。
 病気から復活した友人が職場に出てきました。再発や後遺症の不安や恐怖で不眠症になったという話を聞いて、すごく前向きで明るい彼女なのに、その抱える悩みの大きさあらためて思いました。将来の不安や過去の後悔で現在の心をいっぱいにして「悪い気分」になって現在を無駄にしてはいけないというようなことを話合いました。

オバマが二期目の就任式を行いました。法律で就任は1/20と決まっているのですが、今年は1/20が日曜日だったため、20日にホワイトハウスの中で小さな就任式をやったあと、21日の(Martin Luther King's dayの振替休日)に一般に向けて二度目の就任式をやることになります。後、一時間程で始まる予定です。ゲストパフォーマーは、ジェームステイラー、ケリークラークソン、ビヨンセとのこと。前回はイツァーク パールマンとアレサフランクリンという顔ぶれだったと思うのですが、今回は随分軽いですね。二人の若手女子の歌のうまさはよくわかります。個人的には初老に入ったクルーナー、ジェームステイラーがどんな"America the Beautiful"を歌うのか興味あります。

さて、フクシマ第一、二号機の温度上昇が止まりません。昨年末から温度上昇があって、例によって、東電は温度計の故障と根拠もなく言い訳をしましたが、上部にある別の温度計の温度も平行して上昇していることから、核分裂は停止できておらず、放射性物質がどんどん放出されていると予想されます。こんな危機にあってもマスコミも政府も何事もなかったかのように見て見ぬふりをしています。そんななかで、つい最近、反原発活動家の人々が不当に逮捕、拘留されているという話を聞きました。マスコミには流れませんから、インターネットで一般の人々が声を上げ、情報拡散するしかありません。交通違反の取り締まりと同じで、当局は逮捕しようとする相手に対してワナをしかけてきます。デモで当局側に手を出すと、公務執行妨害ですから、よくある痴漢のでっち上げと一緒で、わざと転倒したり押されたフリをして、標的の活動家を公務執行妨害で逮捕し、言論封鎖するという手口です。
私も不当な小さな裁判の被告にされたので、いくら自分が正しく負けるはずはないと知っていても、こういうことはストレスです。まして、これらの人々は、当局の理不尽な政策に個人の集まりとして抗議の声をあげただけであるのに、当局側は権力という暴力を使って言論弾圧、デモ潰しの目的で、逮捕、拘留されるに至っています。その精神的なストレスは如何ほどか、想像もつきません。一人一人は力のない一般市民活動家に対して、弾圧する方は行政も司法も同じ側についていて圧倒的な力を持っているのです。人々がこの国で起こっている本当の事を知り、分断された個人が繋がり、連帯することが必要です。

関連サイトをリンクします。

関西大弾圧救援会関西大弾圧救援会 東京の会
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チェルノブイリの5年後にソ連は崩壊した

2013-01-18 | Weblog
先週いろいろあって一段落、と思ったのもつかの間、先週の結果が早くも返ってきました。
3年がかりの論文は、編集室レベルで撥ねられてしまいました。論文は3年がかりでもリジェクトは一週間たらずです。この雑誌とは相性が悪いです。これまで、三-四回、挑戦しましたが、全部、編集室レベルでリジェクトされました。10分ほど落ち込んでから、落ち込んでも何の役にも立たないと思いなおし、立ち直りました。やはり、ハデでトレンディーな話題でないと、この手の雑誌は難しいですね。内容はそれなりに評価はしてくれているみたいですから、このレベルの別の雑誌に、とりあえず挑戦してみることにします。
 先週の小額訴訟の裁判の判決が届きました。あっさりしたもので、ウチの勝ちだから原告側には何も支払わなくてよいと書いてあるだけです。理由とか書いて欲しかったですね。この理不尽な訴訟のために、私もそれなりに準備し時間を費やしましたからそれだけでも随分な損害です。ま、得難い経験をさせてもらったと思うことにします。

自民党政権になってから、今の所は「安全運転」なのか、余り大きな波風は立っていないようです。この調子で参院選まで低姿勢でやられると、参院選も自民党に取られそうな気がします。何と言っても、空きカン、ドジョウの内閣がヒド過ぎました。この連中に比べたら自民党の方がマシだ、と人々も思うでしょうし、私もこの比較に限って言えば、空きカン、マエハラ氏、オカダ氏、エダノ氏、悪徳弁護士、ドジョウ、これらのどーしようもない連中に比べたら、まだ自民党の方がマシかと結論せざるを得ません。原発と改憲に関しては、安倍氏の方針には大反対ですが、不思議な事に、アベ氏、TPPには慎重な態度を表明しているようです。これだけでもドジョウよりはマシですね。もっとも、参院選までの話の可能性が大きいので、素直には喜べませんが。
  未来の党は結局、大失敗に終わりました。やはり、党首の器というものは大切ですね。大飯原発再稼働を許可した時点でこの党首では、反原発を焦点に戦うのは難しいと思うべきでした。ただ、不正選挙の疑いがかなり濃厚で、実際、選挙無効を訴えて裁判を起こしている人々がいますから、もしも不正選挙が本当であったとしたら、未来の党は本来、100議席ぐらいはとっていた可能性は十分にあると思います。
結局、小沢派は「生活の党」となって分党しましたが、本来、この党が政権交代を成し遂げた時の民主党のコアであったわけですから、ベストはこの「生活の党」がもう一度、与党になることです。ちょっと、現在は苦しいですが、何とか参院選で多くの議員を復活させて、自民党の参院制覇は食い止めてもらいたいと思います。
   経済に関しては、アベ氏、大胆な金融緩和を進めたいという意見、つまり、もっと「円」を刷れ、ということですね。日銀が円を刷れば刷るだけ、政府が金利を払わねばなりませんから借金は増えます。円の価値は相対的に下がることになるので、インフレになって庶民の生活レベルは下がり、思うように消費が伸びないと、景気はよくなるどころかスタグフレーションとなって、良いとこなし、多分、そうなるのではないでしょうか。円の価値を下げて喜ぶのは輸出業だけでしょう。しかし、その利ざやも知れていますから、金融緩和で大多数の国民の生活は苦しくなりはすれ、良くはならないだろうと想像できます。病気の時に無理してカラ元気を出すようなですね。小沢氏は、円高のうちに稀少金属などを買って、円高を利用すればよいと言っていましたが、その通りだと思います。儲ける人は下げ相場でも儲けるのですから、円が高過ぎるから薄めて安くしようというのではなく、高いなら高いなりに賢く利用することを考えるべきです。残念ながら自民党は国民ではなく、輸出をする大企業と官僚のために政策を決めますから、そういう発想にはならないわけで、大企業の利益が第一、一般国民の生活レベルは二の次という政策ですから、しかたありませんね。TPPに慎重なのも、アメリカ追従の官僚とTPPで被害を被る国内市場を気にする大企業とが別方向を向いているからではないかと思います。
   
そんなことよりやはり原発事故のことをもっと考えないといけません。フクシマの影響が顕在化するのはこれからです。前政権が情報隠蔽し、棄民政策を取ったツケが十倍、百倍になって返ってきます。チェルノブイリ事故の5年後にソ連は崩壊しました。もちろんソ連の官僚制度の腐敗が極度に進行していたのが直接原因ですが、チェルノブイリという緊急事態がその官僚の無能ぶりを浮き出させて、崩壊に導いたのも間違いないでしょう。今の日本は80年代終わりのソ連に似ています。その観点から詳しい考察をされているブログを知りましたので下にリンクします。日本という国家形態がいつまで続くのか、崩壊したときにアメリカと中国は日本をどうしようとするのか、不安になりすね。

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政府が通貨を取り戻す

2013-01-15 | Weblog
いろいろ盛りだくさんの一週間でした。
3年がかりの研究をようやく投稿できました。原稿は書き始めてから数ヶ月。最後の一ヶ月ぐらいは寝かして、推敲にあてましたから、半分ほったらかしでした。でも読み返すと必ず直さないといけない所がでてきて、それを何度も繰り返すことになるので、論文書きも終盤ほど時間がかかるわりに進みません。
小額訴訟の裁判所に行きました。訴えられるという経験を初めてしました。自分の利益のために他人を脅かして利用しようとし、うまくいかないとマッチポンプで問題を自分で作っておいて訴えてくるということをする人間に自分が絡まれるとは思っていませんでした。訴えたらこちらが裁判前に折れてくるだろうと、相手は思ったのでしょうが、出るところにでるのはこちらも望んでいたことなので、何事も経験と、裁判所に行ってきました。裁判所ではさすがに相手はいつものような威勢の良さはなかったですね。こういう人は、ウソをつかないと宣誓していても判事の前でやっぱりウソをつくのですね。判事の方もその辺は折り込みずみでしょうけど。
それから、研究室メンバーのお別れランチがありました。明日の飛行機で発つとのこと。今となってはただ寂しく感じるだけです。
ちょっと疲れたので休みたい気分です。

ところで、以前にも何度か書きましたが、現代資本主義が延々と貧困を作り出すその諸悪の根源は「中央銀行」制度であるということに、私は強い確信を持っています。それに関連するのですが、先日、アメリカの「財政の崖」に際して、オバマが一兆ドルが額面の硬貨を発行することを考えているというニュースがありました。



最初はピンときませんでしたが、コインを発行するのがFRBではなくアメリカ政府であるということを知って、これはすごいことだと思いました。このニュースを緊急事態に対する小手先の対処、「奇手」と論評するマスコミがありますが、それでは本質を見落としていると思います。もしも、これが実現すれば画期的なことです。つまり、これまで民間銀行であるFRBや日本では日銀などの中央銀行が通貨の独占的な発行権を持っていたのが、曲がりなりにも政府、即ち(建前上は)「国民」の代表機関がその権利を取り返すということです。
是非やってもらいたいと思います。多分、下のブログにあるように、本当にやろうとしたらオバマはリンカーンの時と同じように命が危ないかも知れませんけど。

通貨は、アメリカでも日本でも「無」から作られています。それを作っているのは、FRBや日銀といった民間銀行であり、その持ち主はロスチャイルドなどのいわゆる世界金融マフィアです。中央銀行制度とは、簡単に言えば、中央銀行が「無」から作り出した金を政府に貸し出して利息を取るという詐欺システムです。政府が支払う利息はもちろん国民の税金です。そういうカラクリで国民の富を金融機関のウラにいる金融マフィアが吸い上げ、国民を「カネの奴隷」にしているのが、残念ながら現在の通貨システムです。「通貨」は単なるモノやサービスの交換促進の手段ではありません。カネは力であり、人をコントロールする武器です。
しかし、もしも、民間の中央銀行ではなく、政府が直接、通貨を発行すれば、利子を払う必要がないので、このカラクリは動きません。実際、リンカーンは南北戦争後に戦費に困り、一時的に政府発行の通貨(グリーン バックス)を流通させました。リンカーンはその後も引き続いて通貨の発行権を政府に取り戻すことを計画していたので暗殺されたのだと考えられています。

さて、今回の一兆ドル硬貨の発行は、そもそも記念硬貨などの発行を想定して法定化された制度を利用して、アメリカ財務省が(FRBではなく)通貨を発行するというアイデアです。硬貨とは言え、その材料のコストは知れたものですから、FRBと同様に、ほとんど「無」から一兆ドルを作り出すようなものです。それをFRBに預けて一兆ドルを作り出す、ということです。これをどんどんやられると、「無」から作り出した金を政府に貸し出して利ざやを稼ぐというFRB(そのウラにいる金融マフィア)のイカサマ商売が成り立たなくなります。政府は利息を「無」から作った硬貨で返せばよいのですから。日本もコレをやりましょう。多大な借金など一瞬でなくなり、財源の心配などしなくてすみます。まずは法改正をして部分的にでも政府が通貨発行権を握る必要がありますが。何よりも手っ取り早いのは日銀を100%国有化してしまえば済む事ですけど。


この件に関しては、下のブログの解説が分かりやすいと思いますのでリンクします。
オバマ大統領、1兆ドル硬貨を二枚発行、オバマ大統領を少し見直した。やり切るなら命がけだ。

追記。
投稿後、たまたま覗いた、前阿久根市市長の竹原信一さんのブログで「おカネの仕組み」についてシリーズでエントリーがあるのを知りました。リンクしておきます。
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年頭所感

2013-01-10 | Weblog
クリスマスもお正月も終わり、早くも一月も1/3が過ぎ去ろうとしています。
年末には、もの寂しさ、不安などを感じることが増えました。誰でも将来に不安を抱かざるを得ないような世の中です。世界や日本の社会が抱える様々な問題は一朝一夕には解決しそうにありません。個人的なことでも、ひょっとしたら、明日、仕事をクビになるかも知れない、重大な病気を宣告されるかも知れない、そう思うと不安は尽きません。実際にこれらのことは身の回りの人々に起こりました。同じ事が自分に起こらないなどと誰が言えるでしょう。
しかし、その仕事をクビになった人は現在、新しいキャリアに前向きに元気に取り組んでおり、重病を宣告された人は手術と化学療法を終えて社会復帰しようとしています。将来の不安にとらわれず、目の前の現実をしっかり見つめて対処してきています。
私も、ネガティブな感情にとらわれず、状況は客観的に評価しつつそれに冷静に対処することをと心がけています。未だ来らぬ未来のことを心配し、すでに過ぎ去った過去を後悔して、現在を台無しにするほどバカらしいことはありません。
それで、今年はもっと楽しいことを考える時間を増やそうと思っています。社会や身の回りの外的な要因を変えるのは困難です。原発を止めないといけないのは自明ですが、かと言って、一人で原発まで行って勝手にスイッチを切って終わりというわけにはいきません。原発を止めるために、われわれにできることをすることは大切ですが、思い通りに原発が簡単に止まらないからと言って、それに対して必要以上の不安や怒りを感じるのはわれわれ自身にとってよくありません。
やるべきことを理性的に判断したら、いやな感情にとらわれずに淡々とやって、感情はもっと楽しいことやうれしいことのためにとっておこう、とそう考えています。社会の問題をすぐに解決するのは難しくても、自分の感情や思考は自分がコントロールして、よりポジティブな方へと向かうようにしたいと思います。

私の人生に残された時間は、これまで生きてきた期間よりずっと短くなってしまいました。昔の楽しかったことをいろいろ振り返って懐かしんだり、残りの時間をどう楽しく過ごすか考えてたりしている年の始めです。
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フクシマ二号機の温度上昇

2013-01-08 | Weblog
ベネズエラのチャベス大統領の病状が思わしくないという話です。ブッシュ政権時の影響力の強い反米政治家ですから、彼の力が失われた場合に世界的に影響が及ぶだろうと思います。幸い、アメリカは火の車で、外国に出かけて行って戦争やっている体力もなくなってきましたから、チャベス氏の力が衰えたからといってすぐに大事にいたることはないだろうとは思うのですが。キューバのカストロも引退、チャベスも去るとなると、中南米は今後どのように変って行くのでしょうか。

Patti Pageさん、元日に死去とのニュース。85歳。日本では江利チエミさんがカバーした「テネシーワルツ」が有名ですね。当時、江利さんは14歳、30年前に45歳で亡くなっていますから、もし存命ならば75歳、Patti Pageより10年若かったのですね。

それよりも気にかかるのは年末から現在にかけて急上昇している福島第一原発、二号機の温度です。現在、180 C弱と「低温停止状態」とはほど遠い状況になっており、温度は単調増加傾向を示しています。

現在、日本は原発問題を第一に取り組まないといけないはずです。マスコミも新政権も今だに放射能を放出し続けている福島原発を過小視し続けていると思います。そんななかでも東京新聞の社説はもっともです。多分、普通の理性のある国民なら誰でも共感するのではないでしょうか。一部転載します。

原子力の時代を超えて 年のはじめに考える

 
総理、後戻りはいけません。国民の多くは、それを望んでいない。原子力の時代を超えて「持続可能」へ向かう。3・11を真に乗り越えるためにです。
 ドイツの哲学者故マルティン・ハイデッガーは「原子力の時代」に懐疑的でした。… 哲学者は続けます。
 「われわれの故郷は失われ、生存の基盤はその足もとから崩れ去ってしまったのです」と。
 核兵器と原発。核は制御し難いものであることを、福島原発事故に思い知らされました。理不尽な力に故郷を追われ、多くの人々が避難先の仮住まいで、二度目の新年を迎えることになりました。哲学者が遺(のこ)した言葉は、予言のようにフクシマの心に迫ります。
 原子力の時代はヒロシマで始まって、フクシマで終わったはずではなかったか。水素爆発の衝撃は神話のベールを吹き飛ばし、鉄骨やがれきの山と一緒に横たわる、それまで見ないようにしてきたものが露(あらわ)になったはずだった。
 フクシマは教えています。
 人間はいまだ、自然の猛威にあらがう技術を持ちません。これからも持ちうることはないでしょう。雨風に運ばれ、複雑な地形の隅々にまで入り込んでしまった放射能を集めるすべはありません。
 ひとたび事故が起きたとき、電力会社はおろか、政府にも、広範で多様な損害を満足に償うことはできません。補償は莫大(ばくだい)な額になり、安全のための補強にはきりがない。ほかよりずっと安いといわれた原発の発電コストが、本当は極めて高くつくことも、福島の事故が教えてくれました。
 核のごみ、危険な使用済み核燃料の処分場は決まりません。各原発の貯蔵プールからいまにもあふれ出そうとしている。
 その上、原発の敷地内やその周辺からは、大地震を引き起こす恐れのある活断層が、次々に発見されています。日本列島は地震の巣です。原発を安全に運転できる場所など、あるのでしょうか。
 原子力の時代の次に来るもの。それは、命や倫理を大切に、豊かな暮らしと社会を築く、「持続可能の時代」であるべきです。
 発足早々、原発の新・増設に含みを持たす安倍政権には何度も呼びかけたい。時代を前へ進めることが、政治家と政府の使命であり、国民の願いでもあると。


原発推進を明言した安倍内閣、発電コストを下げるために東電は原発再稼働の方向に向かいます。しかし、原発事故後の東電への政府の資金注入は青天井ですから、この政権はおそらくこの件で遠からず運営は行き詰まるのではないでしょうか。
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虚しい茶番

2013-01-04 | Weblog
間もなく、1人、研究室から去って行きます。マスターを取った後の三ヶ月という話で軽い気持ちで引き受けたのが、結局、一年半になりました。その間、なだめたりすかしたり、厳しく言ったり誉めてみたり、いろいろ努力してみましたが、やはり、本人に研究者としての自覚がない場合はどうしようもない、ということが身に染みてわかりました。とは言え、一年半、一緒にやってきた人ですから、ホッとする一方、寂しい気持ちもあります。彼女は博士課程に入学が決まりましたが、このままでは、遠からず大変、厳しい目に合うのは間違いないので、大学院を終えた後の事を大学院の入学初日からしっかり考えるように、とかなり厳しく言いました。しかし、やっぱり、全然わかっていないようです。博士課程を出て、最終的にアカデミアのポジションを長期的に維持できるのは、多く見積もっても2-3割というところでしょう。トップ20%に居なければ長期的にはムリです。そんな話もしました。限りある研究資金やポジションを奪い合うのですから、競争は激しいという現実をしっかり見つめて、実力をつけて準備する必要があります。その辺を自覚し地道に実力を磨く努力を続けなければなりません。彼女も何らかの縁で私の研究室に来た以上、できる限りサポートして上げたいとは思います。しかし、研究者など(研究者に限りませんが)孤独なもので、結局は個人の実力と運(これも実力のうちです)、Hardworkとdetermination、自分次第です。自分の面倒を自分で見れるようにするのがトレーニングなのですが、結局、口で言っても態度で見せても、彼女には伝わりませんでした。親の心子知らず、というとウチの母から文句がでそうですけど、結局は、本人自らが理解しない限り、何をやっても効果がないということをあらためて実感した、その無力感からくる寂しさですね。

ところで、いつもの政治劇場、最近はまとものフォローするのがアホらしくなってきました。アメリカでは、前回のDebt Ceilingを上げる代わりに民主党が飲んだ共和党の強制的予算カット執行期日とブッシュの減税政策の終了と借入金の上限到達が昨年末に一緒に来て(Fiscal Cliff:財政の崖)、大騒ぎしていました。そして、与野党駆け引きの結果、財政の崖からの転落が回避された、というニュースが新年そうそうありました。茶番劇がまかり通るのは日本だけではありませんね。最初から、強制的予算カットなどをすれば、大変なことになって自転車操業のアメリカ経済にトドメをさすことになるということぐらいのことは誰もがわかっているのですから、「財政の崖」が回避されることは最初から決まっていた事です。同様に借り入れ上限を上げることや、量的緩和をすることも、最初から決まっていた事です。喩えてみれば、アメリカ経済は骨髄不全の患者に輸血をし続けているようなものです。いつまでも輸血に頼っていられないとか、輸血に金がかかり過ぎるとか、野党は言うわけですが、輸血を止めたら死んでしまうのですから、輸血をし続けるという結論が変わる訳がありません。野党は与党に自党の支持者に有利なような条件を引き出すためにイチャモンをつけているだけのことです。結果、オバマの当初の増税案である年収25万ドル以上の人への増税が、共和党の反対で40万ドル以上への増税という条件へ退行しました。この辺も最初からシナリオがあったのでしょう。

リーマンショックの時も、結局、大手金融機関の杜撰な経営が招いた惨劇であったのに、もっとも責任をとるべき金融機関は、「大きすぎて潰せない」という理由で、公的資金注入を受け、その役員は一般国民の血税をふんだくって、高給を取り続けました。「財政の崖」も「税と社会保障の一体改革」も同じです。一般国民の危機感を煽り立て、増税やむなし、という世論形成をするためのキャッチフレーズというわけです。「多少増税にはなったが、財政の崖が回避出来てよかった、そうでなければ大変なことになっていた」と人々が思ってくれるように、こんなサル芝居をやるのです。日本でも同じ手で、さまざまなサル芝居が行われ、支配階級の一般国民に対するmanipulationが行われています。全てを疑ってかかるのはエネルギーを消耗するものですが、少なくともマスコミの怪しげなキャッチフレーズやヒステリー気味の報道には冷めた目でナナメ横から眺めるようにすべきではないかと思います。
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あけましておめでとうございます

2013-01-01 | Weblog
2013年、あけましておめでとうございます。

原発事故以後、日本の社会も世界も余り明るい話題の少ない日々でした。カレンダーの区切りにそんな暗かった日々も過去のものとなりました。というわけでめでたく思います。

ただし、原発事故は現在も進行中ですし、日本の社会も明らかに間違った方向に進もうとしている現状は認識しておかねばなりません。過去から学び、未来に生かす、そのために人は過ちを繰り返します。原発事故によって、日本は大変な過ちを犯してしまったことを知りました。にもかかわらず、前民主党政権と自民党政権は、その過ちを知ったのに、それを正そうとしないばかりか「見ないふり」をすることを選択しました。日本は、これからの数年に、とんでもないしっぺ返しを喰うことになります。最初のジャブとして、「トモダチ作戦」で派遣されたアメリカ海軍兵が福島原発事故作業で被曝したとして、巨額の賠償を東電に求める裁判を起こしました。普通の頭を持っているのなら、訴えるとしたらアメリカ軍とかアメリカ政府でしょう。東電が雇ったわけでもないのですから。しかし、一般アメリカ人というのはこのレベルで、それを弁護士が利用するという社会ですから、始末に終えません。しかし、日本がTPPに参加すると、こういうことがどんどん起こるようになります。弁護士は裁判してナンボ、TPPでその市場は一気に広がります。TPPは日本をアメリカ社会化する構造改革の一環ですから、日本の企業やシステムはどんどんアメリカの悪徳弁護士から訴えられる一方、TPPは国内法より上位になりますから、日本の国は彼らを守ることができなくなります。

話がずれました。新年がめでたいという話でした。とにかく、謙虚に学ぶという気持ちをもって新たな年を迎えましょう。

個人的には、生まれてから今まで、良いこと悪いことうれしかったこと反省するようなこと、いろいろありましたが、こうして、家族や友人に恵まれて、飢えたり凍えたりすることとなくここまでこれました。それだけで十分、「もと」はとれています。後は全てオマケです。そういう意味で新しい年の初めにあたって、私がまだこんな駄文を書き連ねているということは、本当に「めでたい」としか言いようがありません。

これまでお世話になった皆さま、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
友人や家族の皆さん、暖かい気持ちや言葉をどうもありがとうございました。寂しい時や辛い時には励みや慰めになりました。
2012年は、厄介な人々とかかわり合いにならざるを得なくなり、時間も労力も精神的にも多くの被害を受けました。しかし、何でも経験です。厄介な人々、イヤな経験をどうもありがとうございました。経験は生かします。

今年は、少しでも皆さんの力になれるようにと心がけたいと思います。
良いお年を。
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