百醜千拙草

何とかやっています

貧しい日本

2023-09-26 | Weblog
日本円は今や一ドル150円近くとなりました。80年代末期の水準です。日本の経済力は低下する一方、国民の貧困率は先進国で最大、ついに格差水準もあの新自由主義大国であるアメリカさえ超えたという話。貧しくなる一方で、少子高齢化はますます進み、カムバックの気配は全くありません。

そんな中で、インボイス導入は、今後の日本に長期的に復活不可能なレベルの打撃を与えると考えられます。世の中の人々の3割がインボイスの制度のことを理解しておらず、理解していると思っている半分は誤って理解しているという状況です。しかも誤って理解している人は消費税を正しく理解していないからであって、その誤りを正すのは知らない人にゼロから説明するよりも難しいかも知れません。そんな中、ネット署名で五十二万筆を集めたインボイス中止の要望書をキシダは受け取り拒否。この男の「聞かない力」には呆れ返りました。どうして総理大臣がこんなレベルなのか。アベは史上最悪の総理と言われましたが、すでに私の中ではキシダの悪性度はアベを越えつつあります。

消費税は「売上税」と言う形で最初導入されようとしたように事業者が払う税であって、消費者が払っているわけではありません。導入当初、年商三千万以下の事業者は「消費税分の価格が増えた分、得になる」という政府に詭弁に乗せられて、消費税と名前をかえた売上税の導入に賛成してしまいました。これが、その後の増税、そして今回の「免税業者」の廃止へとつながる地獄の入り口でした。消費税によって潤っているのは輸出大企業で、消費税分は下請けの中小零細企業に力で負担させ、加えて自社売上の消費税分は輸出還付金として受け取るというdouble dippingで利益を出しているわけです。いずれにせよ、最初は中小零細事業者に優遇措置があるかのように言って導入した消費税、蓋をあけれ見れば元請から消費税分の値引きを強要され、そのうち徐々に増税された挙句に免税措置からもはずされて、まるで弱者を助けるふりしてカタにはめるヤクザまがいの手口にすっかりやられてしまったというのが現状でしょう。

端的に、インボイスは中小零細企業に対する「いじめ」であり、そうした弱者に過大な税務処理と金銭的負担に強いられるか、もしくは取引から排除されるか、の究極の選択を迫るものです。日本企業の大部分を占める小規模事業者が日本の経済の屋台骨となってきたことを考えると、もしインボイス事業者への登録ボイコットが成功しなければ、多くの日本の中小零細は廃業を選ぶことになるでしょう。日本の不況はますます深刻化し、さまざまなサービスの消失していき、小規模事業によって成り立ってきた日本の多様な文化や技術がなくなるか、そうでなければ、金を持っている中国の企業などに買い取られていくことになるでしょう。一般の日本人はそのうち中国などの外資の企業の下請けとして搾取されるようになるかも知れません。気づいたら日本の老舗事業は全部中国の会社の子会社となっている未来も遠くないのではないかと思います。

昔、ユカタン半島のリゾート地に旅行した時のことを思い出しました。カンクーンなどのリゾート地には立派なホテルやゴルフ場などの娯楽施設があり、活発な経済活動があり、外貨を持ち込むアメリカやヨーロッパからの観光客がカリブ海のビーチを楽しんでおりますが、一歩はなれると、メキシコ現地人の人々の生活は貧しく、リゾートに落とされる金はリゾート開発者であるアメリカなどの企業が持っていき、わずかな金が現地労働者の賃金として支払われるのみです。メキシコの恵まれた自然や人材を使って儲けているのはメキシコでもメキシコ人でもなく、欧米の資本家で、一般メキシコ人は貧しく、一部の金持ちだけが美味しい思いをする世界。

日本もそのうち、中国の企業が外国人向けのホテルや料理店を買い取って日本人を労働者として雇い、儲けだけは持っていくというようになるでしょう。日本の昔からの遺産と食文化と日本人労働者を利用して、金儲けするのは中国人。日本は軍事的にアメリカの属国、経済的には米中の属国となって、最終的にこの金儲けのサイクルが破綻したら、彼らは去って、日本人には草を刈り尽くしたあとの草刈場のように荒廃した土地だけが残る、そんな未来が見えるようです。

つまり、日本政府が、日本の中小企業や国民を大切にせず、一部の大企業の短期的利益のために増税を繰り返し、社会保障を削りまくるというようなバカな真似をし続けた結果、日本はすでに身売りせざるを得ない状況に追い込まれたと言えると思います。

つくづく、つくづく思いますけど、自民党政権の日本政府ほどのバカはいないです。自ら自国を破壊し、自らの国民を弱らせて、アメリカと外国資本に国土と国民を売る、売国奴というのは自民党政権と政府のことでしょう。結局は、そんな最低の売国政権を長年、野放しにしてきた国民の責任です。こうして国を売って金儲けしてきた人々は、最悪の事態となればさっさと日本から出ていくでしょう。ほとんどの日本人はそうした自由がないし、荒廃した源が乏しく食料自給もままならない国で貧乏に耐えるしかなく状況に置かれることでしょう。残念ながら騙されたと気づいた時にはもう手遅れなのです。
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前提が崩れている

2023-09-19 | Weblog
前に、中国の会社で変形性関節症(または変形性関節炎;OA)の基礎研究を始めたという昔の知り合いの話をしたときにいろいろ思うことがありました。OAは高齢者の膝などの関節痛の原因の多くを占め、大変多くの方が困っておられる病気でありながら、手術以外になかなかよい治療法がないのが現状で、そこに非常に大きなunmet clinical needsがあり、特に中国などでこの分野に大金が投資されている原因と思われます。しかるに、この分野の基礎的
研究というのは十年以上、大した進歩があるように思えません。研究手法も非常にプリミティブで信頼性に問題があり、そこをなかなか改善できないのも理由の一つです。知り合いの彼もその実験手法そのものに問題を感じたのだと思います。

加えて、もう一つ、この研究分野には、根本的な概念上の問題があるのではないか、と私は思っています。疾病の治療を目的とした基礎的研究の多くは、生体の細胞の機能を操作することによって、疾病の進行抑制や再生を目指すという研究コンセプトに沿って、研究目標や計画が立てられているように思います。関節痛をきたす二大疾患であるリウマチ性関節炎(RA)とOA ですが、この二つは大きくそのメカニズムが異なります。リウマチは、免疫異常による炎症性疾患ですので、従来の治療法、つまり細胞の機能をモデュレートすることによって疾病の進行を抑制することができます。それゆえ、一見、RAの類縁のように思えるOAにもリウマチと同様の治療コンセプト(細胞機能を変化させることで治療効果を得ようとする戦略)が適応できるのではないかという前提を当てはめてしまったような気がします。現在、変形性関節症といわずに関節炎と呼ばれるようになったように炎症のファクターが関与しているのは事実ですが、炎症はむしろ二次的なものでしょう。

関節という組織は発生、成長の段階で、非細胞成分(軟骨基質)による緻密な三次構造が段階的に作られて完成していくものであり、その構造蛋白代謝回転スピードは半減期が数十年というレベルの比較的Staticな組織です。関節軟骨の物理的体積の9割以上は非細胞成分であり、その軟骨基質はかなりの物理的刺激に耐える必要上、非常に高度で緻密な構造を取る必要があります。よって、一旦、ダメージを受けた場合に、その構造は簡単には修復できるようなものではありません。ですので、組織内にわずかに存在し、すでに関節軟骨を形成するという役目を終えてしまった細胞を、薬剤などで刺激して、もう一度、力学的に強靭な軟骨基質を作らせて軟骨を「再生」するというのは、想像してみれば、相当困難であろうことは推測できます。microfactureなどの外科的手法で軟骨は「再生」できないことはありませんが、そうしてできた軟骨はオリジナルの関節軟骨に比べると、はるかに構造的にも機能的にも質が悪く、脆弱なもので、「再生」と呼べるレベルのものではありません。したがって、薬などが効く相手は軟骨そのものではなく、滑膜や神経といった軟骨以外の組織の細胞にほぼ限られると考えられます。

なので、OA関節は、非細胞成分の高次構造つまり、高度に力学的に最適化された軟骨基質の構造を再構築しないかぎり、「治癒」はしないと考えられます。細胞にチョイと刺激を加えたら、何らかの神の手が働いて魔法のようにあの緻密な構造を持つ軟骨基質が再生するのではないかと思うのは、粉々に砕けたガラスのコップをビニール袋に接着剤と一緒に入れて振れば元通りになると考えるのと同じほど、ナイーブというものです。

しかし、この分野で大量の低品質論文を見ると、「OAは細胞機能を操作することによって進行を抑制できる」という根拠の弱いドグマをあたかもアプリオリな真理であるかのように扱っています。私は、この前提をもっと厳密に検討するところから始めるべきだと考えています。そのためには研究手法も原始的だし、研究システムも最善とは言えず、それが堂々巡りになって分野の研究の質があがらない原因と思います。要は研究すること自体が困難な疾病ということです。

とはいえ、「砂上に楼閣を建てる愚」というものは、維新の大阪万博や対米隷属政権の辺野古の基地建設、などなどのように、前提が崩れ去っていて最初から失敗がわかりきっていることを無理にやり続けることであって、その長期的なマイナス効果は莫大なものがあることを自覚せねばなりません。欲や希望に惑わされず、立ち止まって理性的に考え、引き返すべき時に引き返す決断をすることが、賢者であり、蛮勇のみで思考停止して突っ走って大勢の人々を巻き込んで破滅するのは愚か者です。そうした慎重さと勇気を持てない人間はリーダーであってはなりません。

科学では、事実を捻じ曲げたり、捏造したり、隠蔽したりしてもウソは必ず明らかにされます。公文書を改ざんさせた与党政府に忖度して真実の隠蔽に加担する大阪地裁のように、いつまでも真実を隠し通すわけにはいきません。最初の一歩を間違えば、そのあとの努力はすべて無駄になります。一歩を進める前に、現在の立場が十分に堅牢であるかどうかを十分に確認する注意深さが重要だと思います。
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wrapping up

2023-09-12 | Weblog
週末、山の中の別荘地に住む年配の先生に夕食に招かれました。まだ景気の良かった時代に買って放っておいた土地に家を建てて引っ越されたのことです。標高550メートル、5kmの峠道を降れば海沿いの街に出ます。街への道を逆にもう少し登れば、街の夜景が一望できる展望台もあり、なかなかの絶景です。別荘地と言っても、今は定住者がほとんど、街まではバスも通っていて、道もよく整備されているので、森の中の小さな住宅街という感じ。建っている家のほとんどは洋風の立派な家が多く、バブル期に比べたら随分値下がりしたとは言え、中古物件でもちょっと庶民では手が出ない価格帯です。森の生活がしてみたいという話を私が以前にしたので、どうも自分の住む街を紹介しようとしてくれたようです。

ご夫婦二人の生活で、築数年のまだ新しい平家建ての家の裏側は山と小さな小川に接しているので、裏手は全く人の目がありません。広い玄関を入ると、左手が寝室となっており、寝室から直接繋がって、広い浴室とトイレがあります。浴室は壁全面がガラス張りになっていて、裏の自然の木々や小川を眺めながら入浴できます。右手には広いリビングがありこちらも全面ガラス張りの壁が裏にある大きなデッキと隔てられていて、リビングからも森の景色が楽しめます。その奥には広いカウンターが特徴のダイニングキッチン、それから書斎と書庫の小部屋に続いています。門も雨戸もリビングの壁のスイッチひとつで開閉する電動式。家の周囲の空間には様々な果物の樹が植えてあり、庭で取れたブルーベリーを使った手作りジャムとパイを振る舞ってくれました。休みの日は庭仕事で忙しいとのこと。二台が横に停めれる駐車スペースには、ベンツとレクサスのスポーツカー。昔の言葉で言うDINKsカップルで、雑誌に載っているようなライフスタイルです。

私も、こういう生活はいいなと思います。子育てもほぼ終わり、家のローンも済んだので、多少の余裕はできつつあり、望めば、この先生の半分ぐらいのレベルの生活はできないこともないかもしれません。しかし、悲しいことに、子育て時代の節約習慣が染み込んでいる上に、これまで仕事と生活で精一杯だったため、余裕ができたからといって、大した趣味もなければ、やりたいことも思いつきません。今更、ゴルフや旅行をしたいとも思わないし、おいしいものを食べたいという欲もなく、「僕のソーセージをお食べ」的なことにも興味はないし、絵画、音楽、演劇、スポーツ、コンサートといったことはYoutubeで鑑賞するぐらいでいいかなと思ってしまいます。研究を仕事にしていた時は身近であったいろいろなセミナーを聞くのが娯楽のようなものでしたが、もう直接関わらなくなった今は研究の話はツイッターで流れてくるニュースを流し読みする程度で十分です。

晩年を過ごす土地や家については、少し快適な場所で暮らしたいという希望はあります。ローンを払い終った家は遠からず売るか投資用物件にするつもりで、そこで晩年を過ごすつもりはありません。多分5年以内には、終の棲家を考えることになるはずですけど、静かで気持ちの良い生活はしたいとは思うものの、もはや今更、良い家を建てたいというモチベーションもなく、結局、先生カップルのような憧れの生活に手を出すこともなく、多少の不満を抱えつつも、坦々と日々が過ぎて行って、ふと気が付くと、弱ってしまって何もできなくなっているような気がします。そして老人施設にでも入って、寝たきりになって、ある時、餅をのどに詰めた挙句に誤嚥性肺炎にでもなって、最後を迎えるのでだろう、そんな将来が結構リアルに想像できます。

人生をどのように締めくるか、誰でも考えることだと思いますが、私は無意識に、自分の一生の出来ごとがコヒーレントに纏まって、何らかの意味をなすようなものであって欲しいと思っているようで、今後の残りの人生をどういきるかということを思う時、過去にあったさまざまなことをどのように解釈し、意味を拾い出すのか、そしてそのために今後何をなさねばならないのかというようなことをつい考えてしまいます。

若い頃は、当たり前ですが、前ばかりを見て生きてきました。いつのまにか年を経て、もう先が長くないことを悟り、これまでの日々が後に残した膨大な過去の残骸を振り返って呆然とすることが増えました。しかし、過去は過ぎ去り未来は来たらず、で本当のところはわれわれは、虫や獣のように毎日の一瞬一瞬をただただ過ごしているだけであって、未来も過去も真には存在していないものだと思えば、もっと刹那的に生きるべきなのではないかとも感じます。

私は研究室運営のストレスに追い立てられるような生活にうんざりしたので、二度と経営者的な立場には立ちたくないと思っていますが、今の職場の長は私より一回り上ですが、専門職であると同時に経営者でもあります。立場上、走り続けなければならない運命です。代わりを探さない限り、走るの止めた瞬間、数百人が職を失い、そして少なからぬ額の負債の責任を個人で取ることになる、そんな運命です。その覚悟をもって、死ぬまで走り続ける人生に納得し、幸福を感じるなら素晴らしいことだと思いますけど、私にはムリです。先の年配の先生も「オレは死ぬまで働く、倒れた時は助けてくれるな」と私に言いました。日本人にとって働くことは生きることとほぼ同義なのでしょう。私といえば、老人施設で寝たきりの日々を送りながら介護士さん相手に愚痴と冗談を言いつつ衰弱して肺炎になって死ぬことになるまで、気楽な立場でヘラヘラと暮らしたい、と今は思っています。
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幻の「テイネイなセツメイ」

2023-09-05 | Weblog
最近、耳にすると失笑してしまう言葉があります。

「丁寧な説明をしていく」

この言葉を言うのは、「丁寧な説明」を全くする気のない連中です。沖縄の辺野古米軍基地、軟弱地盤で埋め立て不可能なのに強行。反対する県と地元住民には「丁寧な説明をしていく」らしいです。汚染水の海洋放出、原発事故被害者との会談、これまでの経緯をみれば、「丁寧な説明」など絶対に行われないことは明らかです。

この口先三寸の詐欺師どもは、「丁寧な説明をしていく」と言ったら、それは「丁寧な説明」がなされたことと同意であるとでも考えているようで、実際に「丁寧な説明」が実行されることがありません。万が一、「説明」が実行されたところで、それが「丁寧」であったためしがない。説明に納得がいかない人が質問すると、答えない、はぐらかす、貝になる、責任転嫁をした上で、時間がきたからと打ち切る。つまり、やってるフリ。

そういえば、数年前にも同じような言葉があったことを思い出しました。

「責任を感じている」、「責任は私にある」が、口癖の国会のウソつき男がおりましたな。

この無責任男は「責任」は感じれば終わりで、取るものではないと思っていました。責任を感じているフリをし、責任をとるフリをして、結局は、何もしない。

やってるフリで世の中が回るわけもなく、気がつけば日本はボロボロ、この調子だと、あと保って十年がいいところでしょう。これだけ国民も子供も大切にしない国で、権力を維持するには自民党はますます強権的になっていくしかない。その辺だけは悪知恵が働くのでしょう、憲法を変え、マイナンバーで国民の情報管理、十年後は北朝鮮かロシアのようになって、世界から孤立していくでしょう。そして、国民の不満を外敵にそらそうとするのはいつもの手口、すでに例によって反中、反韓を煽りだしてます。それにやすやすと乗せられる頭は軽いが声はデカい面倒な人々。そうした連中を扇動し、自民党をアシストする野党のフリをした自民党二軍集団の維新と国民、それから、踏まれても踏まれてもひたすら権力についていくだけの下駄の雪、公明党。

結果、遠からず、日本は夜郎自大の田舎者とみなされて、相手をしてくれる国も減り、食料自給率が実質10%で、資源に乏しいこの国はますます没落していき、食い詰めることになるでしょう。数字を客観的に見ればそう結論せざるを得ません。そして、貧すれば鈍するは世の常で、負のスパイラルから抜け出すのは容易ではありません。

さて、国民があまりよく理解できてないのが消費税とまもなく始まるインボイス制度でしょう。それは、政府の「丁寧な説明」が欠けているだけでなく、わざと誤解を生むように印象操作をしてきたからです。

二、三のポイントだけ書いておきたいと思います。

 消費税は消費者が払う税ではなく、事業者が売上に対して払う事業者税であって、商品価格の一部にすぎない。ゆえに消費税は事業者が消費者に代わって預かっている税ではない。消費税をあたかも消費者が払っているように思わせるために、商品価格に税額が別に示されるようになっているが、「消費税」とはかつて「売上税」という名前のために廃案になってしまった税制と同質のものである。
 インボイス制は加盟を選択した小規模免税業者に対して、増税と過大な税務処理負担を押し付けるものであり、増税分の一部は消費者に転嫁されることになる。インボイス制度はすなわち、増税のことである。加えて、インボイス制を選択した小規模事業者には深刻な事務負担を強い、加盟しない小規模事業者にとっては「元請け」から取引を外される可能性があることから、小規模事業者潰しにつながる。
 インボイス制は将来の更なる増税のための整備の一環であり、そのために導入により小規模事業者は多大な負担を強いられることになる。インボイス制度、すなわち増税によって、不景気は加速し、アーティスト、アニメーターなどの小規模事業者の廃業を早め、日本の近代、伝統文化を衰退に導くと考えられる。
 緊縮財政、増税、これらのことは、財務官僚の自己満足のために行われているらしい。財務省は「乏しい金」を他の省庁に恵んでやるという立場によってその絶対的権力を維持しており、景気がよく、金が潤沢であることは都合が悪い。この省は不景気で金が乏しい状況を作り出すために、増税や国民負担の増加を常に画策しているらしく、故に増税を決めた官僚は出世する。増税と緊縮のための口実が「プライマリーバランスの黒字化」という教義であって、彼らはこの教義をナイーブな国民に刷り込み、信者としてオルグし、納税に法悦を感じるように誘導する。「国の借金、一人あたり幾ら」とか「子供世代にツケを残すな」という財務省の生み出したレトリックとプロパガンダは強力に責任感の強い日本人を刺激する。財政赤字がどんどん積み上がっているアメリカでは、政府の赤字財政は国民が負うべきものでなく、よって、その赤字を「国民一人あたり」で割るというような意味不明のことは誰もしない。


コメント (1)
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