百醜千拙草

何とかやっています

明確な民意

2019-02-26 | Weblog
24日の県民投票で、新ためて沖縄県民の民意が示され、50%以上の投票率、投票者の8割が辺野古の基地建設に反対、合計では有投票権者の40%弱の人が、辺野古の埋め立て反対を表明しました。自公への投票者が日本全国で25%しかないことを考えると、沖縄県民の圧倒的な民意が示されたと言えるでしょう。
一方、この売国犯罪政権は、辺野古埋め立てを反対に掲げて当選した知事との面会も拒否し、法律も民意も無視し、お得意のウソとごまかしと恫喝、卑怯極まりないやり方で、工事を強行してきました。本当に腹立たしい。おそらく、連中のことですから、県民投票の結果に関しては、例によって「県民に寄り添う」とか口では言いながら、埋め立てを強行継続する。良心を持たず、恥も知らず、先を見通す知力もなく、己の欲のままに権力を行使する人間のクズは、クズであるがゆえにおそろしい。
 連中の目的は税金を食い荒らすことですから、基地建設強行は県民のためでも国民のためでもアメリカ軍のためでさえない。実現不可能な事業に、工事費用は膨らめれば膨らむほど、連中は税金を食えて喜ぶ。アソーやアベの関連企業の利権のための事業。もりかけも東京オリンピックも築地移転も同じ構図。税金を食い荒らすための方便。アベは内乱予備罪で平野貞夫氏に告発されていますが、日本がマトモな国だったら、アベはとっくの昔に罷免されて、A級犯罪人として刑務所に入っているはずです。それにしても、この売国政権の愚かな行いのためにこれからの世代が被る辛苦を想像すると心が痛みます。
 沖縄の歴史は日本政府による蹂躙の歴史でした。太平洋戦争では捨て石にされ、戦後はアメリカに占領され、返還後も取り上げられた土地には米軍基地がいすわり、在日米軍による騒音や墜落危険と軍人による犯罪にさらされ続けました。度重なる基地反対にマトモに向き合おうとしたのは鳩山政権だけでした。対米隷属外務官僚の謀略で鳩山政権が潰されて以降、沖縄基地問題は後退し、アベ政権に至っては、法律さえも無視して工事を強行。その工事は不正がてんこ盛り。制限されている赤土を埋め立てに使い、しかもその費用は相場の二倍以上を請求するという悪徳ぶり。それを指摘をした東京新聞記者を狙い撃ちにして嫌がらせを続ける。あげくに、工事を完成するための地盤補強の技術さえないことがわかったのにやめようとしない。悪質極まりない犯罪政権。

リテラの記事

-- 安倍政権に対し、県民がはっきりと「反対」の民意をつきつけた。本日おこなわれた辺野古新基地建設の賛否を問う県民投票は「反対」が多数となることが確定した。朝日新聞の出口調査では「反対」に投票した人は7割におよび、昨年、知事選で玉城デニー氏が獲得した過去最多の約39万票を超える可能性もあるという。
 、、、この県民投票をめぐっては、安倍政権および安倍自民党が、なんとかその結果を無効化させるため、投票率を下げさせようとさまざま卑劣な手段に出てきたからだ。、、、
 その一方、投票率を下げさせたい、「反対」票をなんとしても削りたい安倍政権が取ったのは、「辺野古か普天間か」という大嘘の喧伝と、ひたすら辺野古の工事を進めるという強権的な手段だった。
、、、、2017年6月に当時の稲田朋美防衛相が「前提条件が整わなければ、(普天間)返還とはならない」と国会で答弁しているように、「辺野古に基地ができれば普天間は返還する」などという約束はなされていないのが現実だ。
 しかし、こうした事実を覆い隠し、安倍首相や菅義偉官房長官らは頻りに「普天間の危険除去のためには辺野古への移転しかない」などと言いつづけている。、、、
 さらに、政府は昨年12月14日から海への土砂投入を開始し、既成事実づくりに躍起。、、、菅官房長官は、、、投票がおこなわれる前から、県民の意志表示は無視する、と宣言したのである。
22日のNHK『ニュースウオッチ9』では、、、辺野古に基地ができても普天間が返還されるわけではないという事実を伝えることもせず、「サンゴは移植した」という安倍首相の虚偽発言をそのまま垂れ流し、挙げ句、投票日直前に「棄権」という選択肢を強調する──。こうした報道こそが、県民の分断に加担するものではないか。
 このように、政権と忖度メディアによる圧倒的な発信力によって、県民に苦悩を押し付け、分断し、投票の士気を下げる“妨害”活動をおこなってきた安倍政権。こうしたことを考えれば、有権者の50%を超える人びとが投票をおこない、その大半が「反対」票に投じたという結果は、極めて重要だ。
だが、それでも安倍政権は、またも沖縄の民意を無視し、この無謀な新基地建設を進めると打ち出すだろう。そして、メディアも沖縄の住民だけの感情として矮小化してしまうかもしれない。
 しかし、今度こそそんな犯罪行為やデタラメを許してはならない。そもそも辺野古の新基地建設は、すでに物理的に暗礁に乗り上げている。大浦湾側の埋め立て予定地で見つかっている軟弱地盤について、政府は地盤に砂杭を打ち込む計画だというが、その数はなんと約7万7000本という途方もない数字だ。しかも、地盤改良はもっとも深い地点が水面下90メートルという世界的にも珍しい工事で、この深さに対応できる作業船は国内に存在すらしない。無論、莫大な工費となることは必至で、政府は当初2400億円としてきたが、沖縄県は2兆5500億円と試算。工事全体も13年かかるとしている。
なおも工事を進めるという権力の暴走を見過ごすことは、沖縄だけではなく、すべての国民が同じように蹂躙されることを認めることになる。今回の「反対」の意思を、安倍首相はしっかり重く受け止めろ。そう全国から声をあげなければならない。投票によって明確に示された民意を蔑ろにすることは、けっして許されない。---
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恥かしくないのか

2019-02-22 | Weblog
国会でも野党が取り上げましたが、ガースーが会見での望月記者の質問を抑制しようと、一年半ぐらい前から、望月記者の質問に限って、執拗な質問妨害をし、東京新聞に圧力をかけたという事件ですが、先日は、東京新聞が社説と検証記事で政府のやり方を批判。
おかしいことをしている政権におかしいことをしているのではないか、と問い正すことはメディアの本来の仕事であり、権力者側はそれを国民の声と謙虚に聞いて正すのがそもそもの社会のありかたです。それを、逆に権力者側がメディアを露骨に妨害するということが行われています。百年前の話ではない、今、現在の話。アベ政権になって、報道の自由度、民主主義度が民主党時代から急落し、モラルは失われ、金と力でやりたい放題、ウソに偽造にでっち上げ、なんでもありのなんとも下品極まりない社会になってしまいました。政府の言うことは信用してはいけません、と改めて子供に教えないといけない時代に逆戻りです。ジム ロジャースは「私がもし10歳の日本人なら、ただちに日本を去るだろう」という記事の中でこう述べています。

-- 日本は、私が世界で一番好きな国の1つである。これまで私は世界一周旅行を2回敢行し、数えきれないほどの都市を訪れたが、その中でも東京──あれほど豊かな食文化が発達している都市を私は知らない。銀座に世界最高のステーキハウスがあるのをいまでも覚えている。最高のイタリアンレストランは、イタリアではなく日本にあるのだ。、、、、その日本が50年後か100年後には消えてしまうのは心から残念でならない。、、、なぜ消えると断言できるのか?当然だ。これだけ借金があり、しかも子どもを作らないのだから。私はこれだけ日本を愛しているが、日本に住もうとは思わない。借金と少子化、この二つがシンプルな理由だ。、、、、、 10歳の子がこのまま日本に残り、大成功して財を成すことも可能だろう。しかし、その人生は順風満帆には行かないだろう。なぜなら日本に吹いているのは、追い風ではなく逆風なのだから。--

記事の中では、「30年後、社会問題は深刻になり日本は犯罪大国になる、自分の身を守るため、あるいは革命を率いるための方法が必要である」とも述べています。
今のアベ政権の売国政策、国富の私物化を見ていると、このままアベ路線を受け継ぐ自民党政権が数年つづいて、もし、そうならなかったら奇跡でしょう。良心と知性というものを持たないアベは30年後のことなど知ったことではないと思っているのでしょう。

さて、報道抑制についての話に戻ります。
記者会見の質問 知る権利を守るために
 記者会見での記者の質問は、国民の知る権利を守るために、報道機関として当然の行為だ。権力側が、自らに都合の悪い質問をする記者を排除しようとするのなら、断じて看過することはできない。
 なぜ今、こうしたことに言及せざるを得ないのか、経緯を振り返る必要があるだろう。
、、、
 首相官邸の報道室長は官邸を取材する報道機関でつくる「内閣記者会」宛てに文書で、質問を「事実誤認がある」「度重なる問題行為」とし「事実を踏まえた質問」をするよう申し入れた。
 また報道室長はたびたび、本紙記者が質問している途中に「質問は簡潔にお願いします」などと催促したり、遮ろうとしている。
 しかし、質問は本紙の取材、報道による事実関係に基づいたものであり、決して誤認ではない。
 もし、政府が事実誤認と考えるなら、会見の場で事実関係を提示し、否定すれば済むだけの話だ。
 、、、
 菅氏はかつて会見で安倍晋三首相の友人が理事長を務める加計学園の獣医学部新設を「総理の意向だ」と伝えられたとする文部科学省文書を「怪文書みたいではないか」と語ったことがある。
 その後、文書は存在することが分かった。政府が常に正しいことを明らかにするとは限らない。一般に権力は、都合の悪いことは隠すというのが歴史の教訓である。
 権力を監視し、政府が隠そうとする事実を明らかにするのは報道機関の使命だ。

関して、さらに同新聞の詳細な検証記事。
(上)国、投入土砂の検査せず 「辺野古工事で赤土」は事実誤認か
(中)1分半の質疑中 計7回遮られる
(下)会見は国民のためにある

 、、、、
◆「表現の自由」にまで矛先 内閣広報官名など文書 17年から9件
 長谷川広報官の申し入れ文書は「事実に基づかない質問は慎んでほしい」という抗議だけでなく、記者会見は意見や官房長官に要請をする場ではないとして、質問や表現の自由を制限するものもある(表(1)参照)。
 、、、、
 記者会見の進行役を務める上村報道室長が、質問の途中で本紙の望月記者をせかすようになったのは一昨年秋から。「簡潔にお願いします」「質問に移ってください」と繰り返し、そのたびに質問は遮られてぶつ切りとなる。、、、、
 本紙は今年1月22日、長谷川広報官に文書を送り、18日の沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設を巡る県民投票に関する二つの質問で、上村氏から途中に計8回、せかされたと伝えた。「お互いが落ち着いて質疑をするために、事務方の催促は最小限にしてほしい」と要請したが、その後も続いている。
 、、、、1分半ほどの短い質疑で、質問は計7回も遮られた。
 官邸側は本紙編集局長宛てに文書で、会見は記者が意見や政府への要請を述べる場ではないと主張、上村氏が質問を遮る理由にもなっている。ところが他社の記者の質問では、意見が交じって時間がかかっても遮ることはほとんどしない。、、、本紙記者の場合、当てられるのは常に最後で、1問目が終わるといつも上村氏が「次の質問、最後でお願いします」と宣言するため、2問に限定されている。上村氏が本紙記者に質問妨害や制限を行っているのは明らかだ。
 望月記者は一昨年から森友・加計学園疑惑などで官房長官らに質問してきた。最近では「税を追う」キャンペーンに関連し、増大し続ける防衛予算や沖縄・辺野古の埋め立て工事などの質問を多く行っている。
 森友学園への国有地売却を巡る財務省の決裁文書改ざんのように、政府側の説明にはうそや誤りがあることがありそれをスポークスマンである官房長官に質問するのは記者の重要な仕事だ。特定の記者に対する質問妨害に、政府側が嫌う記者を封じ込めようとする意図はないのか。
 、、、権力が認めた「事実」。それに基づく質問でなければ受け付けないというのなら、すでに取材規制です。 、、、 記者会見はだれのためにあるのか。権力者のためでもなければメディアのためでもなく、それは国民のためにあります。記者会見は民主主義の根幹である国民の「知る権利」に応えるための重要な機会です。
 だからこそ、権力が記者の質問を妨げたり規制したりすることなどあってはならない。私たちは、これまで同様、可能な限り事実に基づいて質問と取材を続けていきます。

と社を挙げて、望月記者をバックアップ。
その望月記者、
とのこと。

いや、この政権の「恥知らず」ぶりを見れば、「恥ずかしくないのか」というのは連中にとってはもはや褒め言葉なのではないでしょうか。普通なら、ガースーも上村も、胸を張って外を歩けないところだと思いますけど。
恥かしいといえば、リテラの「『安倍がトランプをノーベル賞に推薦』を海外メディアはどう伝えたか? 世界に恥さらすも開き直る安倍首相」という記事を思い出しました。この記事では、アベのことを「疑いなく“カス”である。」と結論しています。私は、「人間のクズ」だと思っていますけど、カスって、不潔な場所の隙間とかにたまる汚い臭いやつのことでしょ?
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ウソと圧力

2019-02-19 | Weblog
「『国家の恥』と知事が批判、提訴」という見出しを見て、玉城さんもアベに堪忍袋の緒が切れたのか、と思ったら、カリフォルニア州知事がトランプのことを批判している記事でした。議会の反対にもかかわらず「国境の壁を作る」と駄々をこねて、意見を通すために予算を人質にとり、そして「国家非常事態宣言」を出した事件に関してです。

-- トランプ米大統領がメキシコ国境の壁建設のため出した国家非常事態宣言を受け、西部カリフォルニア州のギャビン・ニューサム知事(民主党)は15日、「非常事態はでっち上げ」などと反発し、トランプ政権を相手取り近く訴訟を起こすと発表した。賛同する他の州も加わる見通しだという。東部ニューヨーク州の司法長官も声明で「あらゆる法的手段で闘う」と述べ、訴訟も辞さない構えを見せている。--

勘違いの原因は、「国家の恥」といえばアベ政権、の条件反射。しかし、トランプとアベはその人間性がよく似ています。自分が国境の壁を作りたいから大統領権限を使ってゴリ押しするトランプ。そして、そもそも憲法を遵守するべき立場にある総理大臣が自分が変えたいから改憲の旗振りをするアベ。すでに違憲ではないと政府が見解を出している自衛隊を「憲法違反だ」と言いがかりをつけ、「自衛隊隊員の子供が、お父さんは憲法違反、と泣いた」という逸話を持ち出してきては、感情的に改憲を煽るわけですから、トランプの「壁を作らないと、権限で国を止めてやる」という子供じみた脅しと五十歩百歩。ちなみに、アベのこの「お父さん、憲法違反」話、すでに自衛隊は違憲ではない、という政府見解が出て久しいのだから、アベが本来するべきことは、憲法を変えるのではなく、「お父さんは憲法違反ではないから安心しなさい」と説明することでしょう。

まそれはともかく、この似た者同士、アベの方が邪悪さにおいてはトランプの上をいくのではないかと思いますが、二人とも、ウソつきで、エゴが強く、恥知らずである上に、知的能力にかなりの問題があるのにその自覚がなく、倫理観や人間としての高潔さというものを欠き(だから平気でウソをつけるわけですが)、最もリーダーにふさわしくないタイプであることは共通しています。

それから、そのトランプをノーベル平和賞にアベが推薦したとの話を聞きました。笑い話としか思えませんが、アベならやりかねないと思いました。類は友を呼ぶ。「お友だち」は不正をしてでも優遇するネポティスト同士、トランプのためなら推薦もするし、税金で戦闘機も買いまくる、沖縄の民意を無視して辺野古を埋めたてる、、、。

-- 米国のドナルド・トランプ大統領は2019年2月15日(現地時間)、安倍晋三首相からノーベル平和賞に推薦された、と明かした。、、、、
一方、脳科学者の茂木健一郎氏は、
「、、、次なる一手として、紅白歌合戦に出場していただいたらどうか。トランプさんの気分を良くするために日本ができることはまだまだある」
、、、
ノーベル平和賞は各方面からの推薦を受け付けており、年によっては被推薦者が200を超えることもある。なお、ノーベル賞の公式サイトによれば、過去の被推薦者にはあのアドルフ・ヒトラーや、ヨセフ・スターリンなども名を連ねている。--

という記事。

さて、もう一つ、ちょっと心配な話。
アベ、アソーとガースー、永田町Three Stooges。

この連中、毎日毎日、色々やってくれます。官房長官の会見で、唯一まともに仕事をしていると言って良い東京新聞の望月記者、ガースーは相当、煙たいようで、東京新聞に圧力をかけ、会見では官邸報道室長の上村が、望月記者の質問に限って7-8秒ごとに質問妨害をし、ガースーは実質回答拒否を続けてきたわけですが、この官邸のやり方があまりにひどいと、しばらく前には新聞労連が抗議もしました。
しかし、官邸側は、「政府は15日の閣議で、東京新聞の特定記者による官房長官記者会見での質問について「必ずしも簡潔とは言えない質問が少なからずある。今後とも長官の日程管理の観点からやむを得ない場合、司会者がこれまでと同様に協力呼び掛けなどを通じて、円滑な進行に協力を求める」との答弁書を決定した」との話。質問にまともに答えられないから質問の方を抑制しようとする。流石はクズの集まり、恥知らずのアベ政権、逆ギレの閣議決定。以前の「総理夫人は私人である」閣議決定ももアホでしたが、とにかくレベルが低すぎる。

関して、m TAKANO@mt3678mtさん、
「官邸会見での対応」の閣議決定には驚いた。記者に対して今後も「円滑な進行に協力を求める」としているが、そもそも“円滑な進行”を記者会見の前提にすること自体が間違っている。政府が聞かれたくないことも聞く以上“円滑に”進行するはずがない。それが本来の記者会見だ。

澤田愛子@aiko33151709さん、
そのうちに、安倍内閣は「安倍総理は嘘などついていません」という内容の閣議決定をするんじゃないでしょうか。もうやになっちゃうよ、フェイクニュースでも「フェイクではありません」と閣議決定することもあるんじゃない?

こんな圧力に屈するようではマスコミの存在意義はないですが、加えて、官邸は、前川文科省事務次官つぶしの時にやったような人格攻撃を、望月記者に対しても準備しているという週刊新潮の記事。記事では、ガースーが警察組織を使い、望月記者の身辺調査を指示したと書かれています。週刊誌の記事ですから、真偽不明ですけど、あの官房長官の会見を見ていたら、十分ありえるでしょう。事実、前川元次官に関しては身辺調査をした上で読売を使って人格攻撃をしたわけですからね。幸い、東京新聞は全面的に望月記者を守る体制、朝日の一部も擁護。多分、良心のあるマスコミは皆、この汚い官邸のやり方に憤っているでしょうが、記者も生活もある会社員の集まり、マスコミ各社トップの多くはアベの寿司友達、政府広報の広告料を脅しに使われ、飴と鞭で懐柔されていますから、動きが鈍いです。しかし、こんなことを放っておいては、マスコミの意味はないです。権力の走狗となったマスコミは遠からず消えていくことになるでしょう。

ゆみ@yumidesu_4649さん、
この、不当かつグロテスクな報道圧力に、強く反発・抗議したメディアはない。だが、菅官房長官の答弁は事実を歪曲したものであり、見過ごせるものではまったくない。もしこれにメディアが今後も沈黙するようであれば、それはメディアが自殺したと言わざるを得ないだろう。
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InclusionとDiversity

2019-02-15 | Weblog
二週間前のNature フロントページの記事が印象に残ったので。
著者はDavid Asaiさんという、多分、日系アメリカ人、で現在ハワードヒューズ財団の科学教育シニアディレクター。

アカデミアにおいて、アメリカなどではDiversityが重要だと長年言われてきました。この場合のDiversityは人種や性的マイノリティーを増やそうということをだいたい意味していると思います。そのことが、アカデミアの発展につながるという理屈が、私にはよく分かりませんけど、アカデミアが似たような人々が寄り集う閉鎖的空間になってはまずいだろうとは思います。アカデミアで偉くなっている人は大抵、秀才であり、一流大学にいって大学院やポスドクでは有名研究室で一流の研究に携わり、成果を出した人々です。アカデミックな優秀さに沿って選択が行われているわけですから、そもそもDiversityとは逆です。思うにアカデミアでは人種にかかわらずに優秀な人を増やしたいから、人種や性別で選択をしないというのが多分、Diversityの意味するとこなのでしょう。しかし、これは社会の問題であります。マイノリティーは所得の比較的低い家庭の出身であり、そういう家庭では教育をあまり重要視しないか、物理的な理由で十分な教育を受けられない可能性が高まり、結果として、自然と大学でアカデミアを追求する人々の割合が低くなるだろうと想像できます。アカデミアで、Diversityを増やす努力とか、そのためのAffirmative actionとかは、私はむしろ不公平ではないかとさえ思っているわけですが、これは、もっと単純にみんなが居心地のよい職場をつくるための努力であり、メンバーの快適さを増やすことで能力を上げるのを目的とした動きであると解釈すべきであり、逆にDiversityという言葉はその目的にふさわしくないのではと思います。

近年、よく聞かれるようになった"Inclusion"はDiversityよりもマシだと思います。その違いや概念についてこの記事はよい解説になると思います。 以下、ごく一部を意訳。

To learn inclusion skills, make it personal

大学などで招かれて科学的エクセレンスについて講演する時、私はdiversityとinclusionの重要さを強調します。一年ほどまえのこの手の講演で、私は簡単な実習を加えました。私は聴衆の人々に、彼らが部外者であると感じた時のことを思い出して、その話をしてほしいと頼んだのです。ある委員会唯一の女性であった人、他の大学職員と一人だけ見た目が違う人、ざわざわとした会話でいっぱいになりました。、、、
、、白人でない昔の学生がお互いに、大学時代のことを話しました。彼らは常に監視されているように感じ、身の安全のために、文化的な特徴を消すようにしていたと言いました。、、、、

このとき、私は"Inclusion"というのは感情に注意を払うことなのだと理解し始めました。毎日、自分がそこにいてよいことを正当化する必要があるならどう感じるだろうか、そしてその環境で生き延びるために常に警戒していないとしたら、どんな気持ちだろうか。
、、、、
InclusionのないDiversityは空虚なポーズに過ぎない。Inclusionは、構成員が)そこに帰属しているという思い(を持ってもらうこと)です。だから、力強く、包容力がある平等な環境の構築は「心」から始まるのです。
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千里の道も一歩から

2019-02-12 | Weblog
国会では相変わらず笑えないアベのギャグが炸裂しており、そのプシぶりは強制入院ものですが、今日は触れません。
われわれにも生活というものがあります。この数年で日本の社会を根底から破壊してきた刃物を持ったXXガイとでも形容すべきアベ政権を倒すことがなかなかできずにいますが、戦いの中でも、われわれは毎日の生活を営んで行かねばなりません。ロンドン空襲の翌朝、朝のミルクティーのための牛乳を配達するミルクマンの写真を思い浮かべました(この有名な写真は実はヤラセの可能性があるそうですが)。


私の場合、生活とは、研究とグラントと夕方の団欒と週に二回のランニングと週末のビールです。新しいことをやり始めているのに、時間と人手が足りません。人手不足は共同研究を募り、サービスをアウトソースして金で解決しようとしていますが、金で何とかできない部分がかなり多く、ちょっと困っております。

予備応募の結果の正式通知が先週末に来て、二ヶ月先のグラントの締め切りに向けて、準備を始めようとしています。これはちょっと特殊なグラントで、まずtranslationalであること、そのアイデアが極めて新規性に富むこと、ゆえにハイリスク、ハイリターンなものに限定されます。
私のグラント応募の研究アイデアは非常に単純なのですが、それを実現するのはおそらく想像しているよりも十倍は大変と思います。ハイリスクが前提ですから、グラント応募では実現の困難性を述べた上で、そのための対策案を具体的に提示していくという形の書き方をすることになると思います。

しばらく前に「Despicable me」という漫画映画がありましたが、その中で主人公が「月を盗む」プロジェクトの資金の融資のために悪徳銀行でプレゼンテーションをするというシーンがあります。そのために、ロケットを建造し、縮小ビーム銃で、月を縮小させて盗むというアイデアを話します。アイデアは単純で野心的ですが、その実現可能性をデータや議論で示さなければ資金を出す方を説得できません。
映画のこの場面での縮小ビーム銃がまだ開発できていないと聞いた銀行の反応は、重要な予備データが示せていないグラントを読んだレビューアの反応そのものです。



私のグラントもこれに近いです。縮小ビームを開発しロケットで月まで行って、月を小さくして盗む。それが最終ゴールですけど、私のグラントの場合、真の目的は、ゴール達成のために必要な技術の開発やその過程での生物学的発見です。幸いこのグラントでは通常のグラントで必須の実現可能性を示す予備データは必要はありません。荒唐無稽な話を緻密でロジカルな議論を通じて、実は実現可能であるかもしれない、と思ってもらえれば成功です。

このアイデアは1年半前のある論文をたまたま読んだことがキッカケですが、これまでとは違う分野ではあるのですが、やる価値のあるプロジェクトであると強く感じたので、この半年以上をかけて材料を揃えたりポツポツと実験をしてきました。結果、困難ではあるが、グラントやその最終ゴールの実現性は抜きにしても、やはり、やるべきであるとの結論に達しました。新しいことをいろいろ覚え、勉強し、試行錯誤しています。それは楽しいのでいいのですが、実験は失敗の連続です。

しかし、失敗しては文献を探し仮説を思いついては実験する、その繰り返しで、なぜうまくいかないのかに関してほんの少しずつですが分かってきたような気がします。それが直ちに解決につながるわけではないというのがもどかしいですが、期待の1000分の1ぐらいの速度で前進はしているような感じはします。

ずっと、いろいろな事情で避けてきた実験手法、Flow cytometryやシングルセル解析もやらないといけなくなりそうですし、新たななマウスツールも開発する必要があり、忙しくなる一方です。しかし、どうも学問に王道なし、千里の道も一歩からで、一歩、一歩を着実に進めることが一番の近道なのかな、と思い始めたところです。
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アジア パージ

2019-02-08 | Weblog
イギリス(GB, UK)で研究室を持っている同窓の先輩と久しぶりに会って食事をする機会がありました。
移民問題で揺れるイギリス、EUからの離脱もそもそも移民の増加が原因かと思います。所属する大学が新自由主義者の学長を呼んできて、リストラを敢行したそうです。しかし、近年のナショナリズムというか反移民感情の高まりゆえなのか、ターゲットになったのは、少数に過ぎない外国人教官、特にアジア人とのこと。アジア人教官の首を切るとは大っぴらには言えないので、ターゲットとなったアジア人研究者のプロファイルを調べて、その研究分野を大学のプログラムから削るという口実で、狙い撃ちしてのアジア人パージが堂々と行われたとのことで、現在、裁判準備中という話。
なんとも壮絶な話で、何と言ってい良いのか、言葉もありませんでした。

やはり帝国主義の時代から連綿と続く白人の他人種への差別、偏見、優越思想というのは根強いです。人間ですから、誰もが自分が他人よりも優れていると思いたいのです。しかるに科学分野で、実際に現場を回しているのはアジア人です。彼らがいなければ近代の科学研究というものは成り立ちません。しかし、彼ら白人にとっては、アジア人は優秀な奴隷であるべきであり、研究室を主稈して大学での白人教官の優位を脅かすような存在となるのは許されない、そう思っているのでしょう。

悲しいことですが、人種ぐらいしか優越性の拠り所にするものがない白人の根強い他人種への反感というものは、厄介です。感情の問題ですから。そういう連中は、そもそも勝ち負けでしか物事を判断できないのに、能力ではアジア人にかなわないわけです。外国人、それも人種的に劣っているはずの日本人や中国人が、自分の国にやってきて、同胞の白人教官を押しのけて、大学でデカい顔をするのは我慢ができない、ということでしょう。でも現実は、優秀なアジア人研究者が、デカい顔をして、ヨーロッパの田舎の大学のパワーゲームにうつつを抜かすようなことは稀でしょう。彼らは人種差別を十分に感じているし、多くの場合、単に研究を追求したいだけで、そのために彼らのとってのベストの場所を探して、その大学にたどり着いたに過ぎないのだと思います。

他人は変えらないし、そんな偏狭な人種主義者が陰湿ないじめをするような場所は学問をするべきところではない、学問の精神とヒューマニティーを踏みにじる金儲け主義で人種差別主義の大学には、優秀な学生も来ないし、すぐ衰退することが目に見えているから、移動する方が良いと思う、とは言ったものの、そう簡単に良い移動先が見つかるようなご時世でもないわけですし。

貧すりゃ鈍する、余裕がなくなれば偏狭になる、それがナショナリズムの正体で、自分の優位性や生存が脅かされていると感じている人間に、もっと余裕を持ちましょう、と言ったところで、どうしようもないです。彼らにとってはアジア人教官は脅威であり、アジア人がいなくなれば素晴らしい世界が実現するとでも思っているでしょうから。そもそもそれは勘違いなので、アジア人がいなくなれば、また別の人々をターゲットにすることになるだけでしょうが。

ま、われわれできることはこういう現実に際しても、心の余裕を忘れないこと、「許せないを許してみる」気持ちではないかと思います。
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国家の崩壊

2019-02-05 | Weblog
もうこの国はメチャクチャですな。国家の体を為していない。
いうまでもなく、小泉政権が始め、アベが日本にトドメを刺すに至った売国政策の結果です。
政権も、国民のために、一生懸命、誠実にやってもダメだったら、それはそれで仕方ない、責任をとって、辞めて次の人に引き継げばよい。アベも自分の失敗を認めて責任をとっていれば、今のように「人間のクズ」とまでいわれることはなかったでしょう。

しかし、どう考えても、アベには国民のために誠実に働くという気持ちがカケラもないと思わずにいられません。この男は自分と仲間のために国民の財産を私有化し、国を叩き売り、そのための権力を維持するためだけに、平気で、ウソをつき、文書を捏造し、都合の悪い人々には陰湿な迫害を加え、結果、巨大な負の遺産を国民の現代と将来の世代に負いかぶせることを厭わない。私利私欲のためには国家の滅亡さえ気にしない。しかもこの男には自己利益のために他人に責任を擦りつけ、ウソを平気でつくことができる、つまり、人間としてのdecency, 「恥」という概念の理解がスッポリ抜けているのです。

先日は、ガースーの記者会見で、唯一記者らしい質問をする東京新聞の望月記者に関して、内閣の上村報道室長が東京新聞に圧力をかけたというニュースがありました。このガースーと望月記者の会見のやりとりを動画で見れば、ガースーと質問妨害する上村のクズさ加減がよくわかります。これを客観的数字にして示されている方がおられます。先月の会見の一例では、ガースーの望月記者の質問に割いた回答時間は3.5秒、他の記者には30秒以上は回答しています。上村の質問妨害は合計2問中、8回、記者が質問している間、7-8秒に一回は妨害を入れています。
聞かれて当然の質問にまともに答えられないような、疚しいことをしている証左でしょう。


この一年でアベ政権で露呈した政府のウソは、厚労省の裁量労働制に関するデータ、財務省森友問題での文書改竄、防衛省のイラク日報、中央官庁での障害者雇用の水増し、法務省の外国人実習生調査データ、などなど。多くの省庁にまたがった組織的犯罪であり、その動機はアベのウソや政権の失敗をゴマかすためですから、もう腐りきっています。「偽造、捏造、安倍晋三」、こんなことを言われた総理大臣はかつて居なかったです。トランプもたいがいクズですけど、アベはクズに加えて邪悪だと私は思います

アベの無能ぶりは経済だけにどどまりません。沖縄では、県民が反対する辺野古の埋め立てを法律を無視して強行する一方、税金から支払われるその費用は法外なレートで利権企業に流す、アメリカからは何の役にもたたないポンコツ戦闘機をまとめ買いし、その費用は将来の国民のツケ。外交ではことごとくカモにされ、25回もプーチンに会いにいったのに、北方領土はロシアの言い分を認め、返還の可能性を消滅させて、戦後の日本政府の努力を反故にした挙句、経済援助までするハメになった無能の極み。交渉ということが全くできない、というより、その虚言癖と頭の悪さゆえコミュニケーションそのものが成り立たないのでしょう。無能なら何もしなければ少なくともマイナスにはならないのに、やってるフリをしたいものだから、いらないことをして墓穴を掘る、そのくせ、自己正当化だけは忘れない。

もうキリがないからやめますけど、振り返っても、アベが公約してきたことは全て失敗、北方領土は進展どころか後退、北朝鮮拉致被害者の帰還者ゼロ、経済政策は、インフレと成長どころか、戦後史上最低の成長率、年々下がりつづける国民平均収入。その数字を粉飾、改竄してゴマかす組織的犯罪、株価操作のために日銀に大量に株を買わせ、日銀の資産がGDPを超えるという異常自体を作り出す。世界中の国を見ても、中央銀行の資産がGDPを超えるなどという異常な国は日本だけです。一方で、福祉を削り、年金支給年齢を引き上げ、消費税増税を目論む。これほど、無能で邪悪で利己的で良心というものをもたない人間は見たことがない。

アベ政権がこの数年で作り出した巨大な負の遺産は今後の日本を30年は暗黒の時代に置くことになるでしょう。強烈な財政赤字、少子化高齢化が進み、原発事故の後遺症、製造業の競争力の低下と、日本がV字回復する可能性はまずありません。

そこに来て、先週末のニュースでは、年金運用、14・8兆円の赤字 過去最大、世界的株安や円高で、とニュース。2年半前に5兆円の損失を出して大きなニュースとなりましたが、今回はそれをさらに大幅に上回る損失。これもアベが株価操作のために年金運用での株式投資枠を引き上げた結果ともいえるでしょう。

一般国民にとっては笑いごとではないです。生死に関わる話ですから。手遅れでも、とにかく史上最悪の人間のクズの集まり、アベ政権を止めないといけません。
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Djelem, Djelem ジプシー音楽2

2019-02-01 | Weblog
昔から歌い継がれている民謡やクラッシックの音楽が人々を惹きつける魅力はなんなのだろう、とふと思いました。現在に足るまで、数多くの楽曲が作られ、そのうちのいくつは流行しますが、10年、20年と歌いつがれることは稀です。私もたまに50-60年代のジャズや70-80年代のヒット曲を聞くことがありますけど、いい曲も多いし音楽的にも優れたものも多いのに、それらはもやはオールディーズ専門ラジオ以外では滅多に耳にしません。これらの流行歌と民謡やクラッシック音楽の違いをぼんやり考えていた時、それはやはりメッセージの普遍性ではないのかな、と思い当たりました。

以前のジプシー音楽の続きですけど、このユニークな音楽の発展は、ジプシーという少数民族の迫害の歴史そのものです。ジプシーは主に北インドからパキスタンが起源の移住民族、ロマとほぼ同義とされています。ロマ迫害はずっと続いてきており、第二次大戦前のドイツではロマ ホロコーストと呼ばれる虐殺で50万人のロマが殺されたそうです。加えてヨーロッパ各地で、差別や社会活動の制限を課されてきました。現在でもロマ迫害は人権上の大きな問題であり、近年の最大のロマの居住国であるトルコでの迫害事件は耳新しいです。

そんな中で独特の民族的アイデンティティを維持してきたロマに「国歌」とされる曲があります。「Djelem, Djelem」 という曲です。ロマの迫害の歴史、連帯のメッセージ、そして何より未来への希望の歌。この曲が作られたのは1949年だそうです。世界大戦が終わって過去の傷を負いながらも未来に希望を託す、民族の誇りを取り戻そう、その普遍的なメッセージが歌い継がれている理由なのではないかなと思います。
国歌といっても、他の地理的領土をもつ国が、(国民統治のために)国歌や象徴を定めて、強制的に演奏させるというものとは違うと思います。この曲は人々の人々のための曲と思います。愛国心を鼓舞するのではなく、人々の感情に寄り添うような、しみじみとした国歌です。

(歌詞の一部の意訳)
長い道を旅して、幸せなロマにあった。
ロマよ、どこらかきたのか、テントを積んで。
旅は楽しかったかい?
ロマよ、ロマの若者よ。

私も昔は素晴らしい家族があった。
でも、The Black Legion(白人至上主義の武力集団)に殺された。
世界のロマよ、ともに行こう。ロマに道は開ける。
今こそ、立ち上がれ、高く。
ロマよ、ロマの若者よ

神よ、白い扉を開けよ、わが同胞が見えるように。
放浪の道に戻り、幸せのロマと一緒に歩むのだ。
ロマよ、ロマの若者よ

立ち上がれロマの人々。世界のロマよ、ともに行こう。
暗い色の瞳と顔、暗い色の葡萄のようであって欲しい。
ロマよ、ロマの若者よ。

ロケットが飛んだり爆弾が爆発したりする景気のいいアメリカの国歌や、暴君を血祭りにあげてその血で畑を満せ、というような物騒なフランス国歌、あるいは、石にコケが生えるような時代の安寧を願う「君が代」などとはずいぶん趣が違って、大変に人間的です。Djelem Djelemが、広く一般に歌い継がれているのは、人間としての悲しみや希望といった普遍的なテーマを同じ人間の視点から歌っているからではないかと思います。

セルビアの才能ある歌手、Jelena Tomasevicの歌でどうぞ。
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