百醜千拙草

何とかやっています

Think Locally, Act Locally

2009-01-30 | Weblog
文科省の会議に着物を着て出席していた委員の人がいた、という話題だった昨日の「大隅典子の仙台通信」は、Think globally, act locallyという題で次のような事が書かれていました。

考え方はグローバルで、でも日本文化を大切にするというスタンスが好きです。 資源に乏しい日本が科学技術立国を目指す理由には、科学技術で世界をリードする、世界と戦う、という観点もあろうかと思いますが、それよりも、「科学技術で世界に貢献する」という考え方の方が好みです。

私は、逆にThink locallyな人が多くいることが、まずは必要ではないか、と思います。Globalに考えるということは、畢竟、世界と競争することになると思います。なぜなら、世界(つまりアメリカ)の方が競争原理で動いているからです。そういう世界に向かって、競争ではなく貢献したいと言うということは、「いいように利用して下さい」と言うことです。イラク戦争での無料のガソリンスタンドをやらされて、「世界平和に貢献した」と自画自賛する自民党を見れば、さすがに人の良い日本人も、ああはなりたくない、と思うでしょう。逆説的ではありますが、世界に貢献することは、真にLocalであるからこそ、そのGlobalな競争に巻き込まれずに済み、それゆえに、可能になるのではないかと思ったりします。例えば、日本のアニメや漫画です。これらは、何十年も前から純粋に日本の子供たちに向けて制作され、現在では日本特有の誇れる文化となりました。それらは、未だに日本の子供たちだけを見て制作されていると思います。そして、世界がそれを発見することになりました。もし、最初から世界のことを考えてアニメが作られていたら、ろくなものにはなっていなかっただろう、と予想するのは難しいことではありません。考え方はグローバルで、日本文化を大切にするというスタンスというのは、既に、グローバルがローカルを内包するいう「上下関係」が避け難く形成されてしまい、ローカルが常にグローバルの下位構造として位置づけられるということが避けられません。そういう考え方では、日本文化は常に、日本の外(つまりアメリカ)から見た日本文化としてしか捕えられないようになってしまうと思うのです。つまり、日本しか知らない日本人が日本文化そのものを生きるのとは違い、グローバルな考え方などというものがあると、外人観光客がそのエキゾティックさゆえに興味を覚えるのと同様の、テンプラ、フジヤマ感覚なしに、日本の文化を見れなくなってしまうのではないかと危惧するのです。
  現在、生物学の論文は主に英語で書かれますが、和文の学術雑誌がないわけではありません。しかし、皆が論文を和文で書いたのでは、読んでもらえないし評価が低くなるということで、よい論文を日本語で書くのを止めてしまった結果、日本語で書かれた論文も、それを載せる雑誌も、日本人からでさえ、高い評価を得られなくなってしまいました。そんな、"Global thinking" が広がる一昔前は、水産関係とある種の電気物理の世界最先端の論文は日本語で書かれて、日本の雑誌に掲載されており、外国人はその情報を得るために、わざわざ日本語を英語翻訳して読んでいたそうです。日本が電気工学で世界をリードしてきたの理由の一つは、そういった初期の重要な論文が日本語で書かれていたために、外国人が日本の技術レベルを見落としていたという話も聞いたことがあります。
 また逆に、全部の知りたいことを英語で書いてもらえるアメリカがグローバルな考え方みたいなものを持っているかと問えば、おそらく否でしょう。世界の中心だと公言して憚らないアメリカは、アメリカローカルが即ちグローバル、という考え方でやっているでしょう。
 真にユニークでそれ故に価値が高いものは、Localな市場や人に向けてLocalに考えるというところでしか、生まれないのではないかとさえ、思ったりします。例えば、「着物が好きなのは、それが日本人としての自分の何かに訴えるものがあるから」という理由であるべきあって、「着物が日本文化の一部であるから」みたいなスタンスでは、創造的なものは何も生まれないと思います。グローバルな考え方(とりもなおさず、アメリカローカルな考え方)というのは、後者のような見方を捨てることができないものだと私は思います。
(付記。私はプッチーニを敬愛しておりますが、マダムバタフライで、髷のカツラをつけた超重量級のプリマドンナが土俵入りするのは、ちょっといただけないと思います。これは、むしろ、「Think locally, act globally」の例でしょうか)
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参加者全員が最終結果に責任を

2009-01-27 | Weblog
ちょっと古くなってしまいましたが、相撲部屋でのしごきで若い力士が死亡するという事件があり、それに係った兄弟子が執行猶予つきの刑を受けることになったというニュースがありました。執行猶予つきということで、いずれも抗訴はしないとのことで、彼らが「罪を一生かけて償いたい」とも述べ、全面的に自らの非を認めているらしいことを知りました。しごきは親方の指示によって稽古場といういわば密室で行われたことを考えると、この兄弟子たちも加害者である一方、被害者でもあると私は思います。裁判長も、上下の厳しい相撲界で親方は絶対的権力を持っており、その指示に逆らうことは容易ではなかったと考えたようで、猶予つき実刑という形になったものと思います。この兄弟子たちも相撲界で頑張ろうという希望に燃えて入門したに違いありません。しかし、この部屋に入り、親方の指示に従ってしごきを加えた結果、相撲協会からは解雇され、裁判によって犯罪が確定していましました。自らの行為の結果とはいえ、若くして将来への夢を絶たれた上に罪人となってしまった彼らに、私は多少の同情を禁じ得ません。しごきのどこまでが親方の意図でどこまでが兄弟子たちの裁量であったのかわかりませんが、誰も殺そうと思ってやったのではないと思います。親方にすれば、少々、手荒なことを指示しても、兄弟子たちもまさか殺してしまうようなことはすまいという気持ちがあったでしょうし、兄弟子たちは兄弟子たちで、親方の指示に従ってしごきを加えているのだから、死ぬは死なないは自分たちが心配することではないと思っていたのではないかと想像します。兄弟子たちが裁判で全面的に罪を認めたということは、「親方の指示でやったのだから自分たちに責任はない」という言い訳が誠実なものでないということに自ら気づいたということを示しているのだと思います。人間は、他人に対して正当に力を行使する権利を与えられると、それを口実に本来、人として根本的にすべきでないようなことでも平気でするようになるものです。普段は普通の良識ある若者や父親である兵士が、一旦、戦場に置かれ、上官から「戦局を考えると、民間人の犠牲もやむを得ない」とでも言われたら、戦局がどうあれ、よろこび勇んで、民間人を殺し略奪するものです。つまり、多くの人間は、自分の行為の責任を誰かに正当に転嫁できるとなった瞬間、無責任な行動をとることに躊躇しなくなるということなのであろうと思います。イラクやスダーンやガザで犠牲になった多くの一般人は、そんな無責任な兵士たちによって殺されました。まして、血気盛んな若者が、親方から「存分にしごいてやれ」とでも言われたら、本当に手加減なしでやってしまうことになりかねないのは容易に想像できます。しかし、兄弟子たちは、自らの行為を振り返って反省し、「親方の責任になるのだから自分たちは無責任な行動をとっても許される」という理屈がただの詭弁に過ぎないことを理解したのであろうと思います。私は今回の判決はまず妥当なものであろうと思います。今回の事件では親方の責任が九割、親方が指導者として未熟過ぎたのが根本的な原因といえるでしょう。

 ところで、これと似た様な状況を実験的に作り出し、人の行動を研究したという話がしばらく前のニュースに出ていました。 Santa Clara UniversityのBurger博士の研究では、被験者は、俳優が演じる回答者がクイズに誤って答えたら、電気ショックをあたえるようにと指示されます。もちろん、被験者には、回答者が俳優で、電気ショックに苦しむのが演技であることは知らされていません。この実験は最初に1963年に行われ、その時、10人中8人は、回答者(俳優)が、強い苦しみを見せても、更に強い電気ショックを与えることに躊躇しなかったそうです。此のたびの同様の実験でも、大多数の男女が、自分が押す電気ショックのスイッチで回答者が強い苦痛を示しても、指示通りに電気ショックを押し続けたそうです。Burger博士は、被験者の人のこの反応に関して、「人はある種のプレッシャーの元におかれると、普段考えられないようなことをすることもある」と述べています。同様の実験を行ったSan博士は、「こういった具体的な指示に従って動くという条件下では、人の注意は目前の仕事に集中してしまい、その結果や意味まで考えなくなってしまう」と言っています。つまり、相撲部屋での稽古で、親方に「しごけ」と指示されたとすると、兄弟子たちは、その指示を遂行することばかりに注意を向けてしまい、その結果として重篤な問題を起こす可能性についての倫理的思考を停止してしまったのではないか、とも想像できます。上に述べたように、私はそれに加えて、他人を力で圧倒することに対する本能的快感というか、より端的には、弱いものいじめをする人間の根本的は意地悪さみたいなものが、加味されていると考えます。そうでなければ、兄弟子たちは、「親方の指示に従っただけで、自分たちは悪くはない」と思う筈で、裁判で示したような罪の意識を持たないであろうと思われるからです。

 こうした「正当な理由」のもとに、直接的に他人をいじめるという場合はやりすぎることに繋がって、しばしば重篤な結果を引き起こすことになりますが、それ以外の場合でも、上の方から具体的な指示を受けて行動する場合、人は「自分は命令に従って行動するだけなのだから、責任は自分ではなく、命令した方にある」という安心感をもって、思考停止を起こすことはよく見られます。つまり、「命令されたことだけやれば、あとはどうなろうと自分の知ったことではない」、という気楽な立場を確保した時点で、物事を深く考えることを止めて、気軽に勢いに乗って、「やっちゃえ、やっちゃえ」というノリで、重大な誤った決断を下したりするようになることが多々あります。
 昔、大学病院に救急部が出来たころ、救急部は急性期の治療だけをして後は病棟がやるという方針でした。(今は、どうか知りません)救急部ができる前は、急患を大学が受入れるときは最初から病棟にあげて、最初から主治医をつけて一貫した責任の中で医療が行われていました。急性期に自分がミスをするとそのつけは自分が払わなければなりませんから、最初から後々のことまで考えて初期治療に当たりました。救急部ができてからは、救急部は、とにかく24時間やれば、後は病棟が引き受けてくれるという無責任さで、とんでもない初期治療をされて手遅れになって病棟に上がってくる患者さんが増えました。救急部がなければもっとスムーズに治療できていた例が沢山出ました。できた当初の救急部というものは、患者さんにとっては、大学病院でもとりあえず見てもらえるということでしたが、長期的にみれば、救急部は各科からの寄りあった素人集団が短絡的な治療を行って、とりあえず24時間だけ心臓と呼吸は持たせるが、後の責任は病棟に丸投げする、という病棟からすると(たぶん患者さんにとっても)迷惑な存在でした。
相撲部屋のしごきはこの大学の救急部を思い出させます。参加する個人の各々がその行為の最終結果に責任を持たないシステムは暴走するのです。親方は「すべて自分の責任である」と裁判で述べました。当たり前のことでも、後になって振り返えってからしか、わからないことはしばしばあります。親方のこの言葉は全く正しいのですが、事件が起きた時には、おそらく親方は、振り返って考えれば当然の、この考えを自覚することができなかったのでしょう。起こるべきでない事件でしたが、親方や兄弟子の心に出来たふとした隙を、悪魔は見逃さなかったのでした。
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オバマ政権への期待と不安

2009-01-22 | Weblog
オバマのinaugurationについて書こうと思っていたのですが、あんまり書くことがありません。
住宅バブルの崩壊、経済の低迷、失業率の増加、この局面で、アメリカ人に向けて、誤解を招くことなく、何かポジティブなことを言おうとしたら、誰がしゃべっても、ああいったスピーチにならざるを得ないだろうと思います。選挙前であれば、相手方を攻撃し明るい未来を約束する、キレのよい演説も可能でしょう。しかし、今や、アメリカ大統領となったオバマは、攻撃する相手もいませんし、それにこれからは、自分の政権中におきることは、全て、自分の責任となって返ってきます。トルーマンではありませんが、「The buck stops with Obama」という状態へと変化した、言い換えれば、攻撃する側からむしろ、防御する側に回ったと言えましょう。「ブッシュが悪いから世の中が悪い」とこれまでは言えました。だから、ブッシュと共和党を政権から引きずりおろせば、世の中は良くなると国民は考えて、オバマを選びました。そして、ブッシュは去り、民主党政権となりました。国民はオバマになって、社会が良くなることを期待しています。しかし、スタートラインが悪過ぎます。経済は当面はこの調子で落ちる所まで落ちるでしょう。Inaugurationの日、ニューヨーク株式市場は、更に4パーセントほど下がりました。Inaugurationのスピーチで、オバマは、経済が悪いこと、テロ対策や外交問題も進展がないなど、の暗い話題から始めました。世の中は良い状態ではないことを強く強調した上で、歴史を振り返って、アメリカが成し遂げて来たことを思い出し、われわれの力を信じて、未来に向かってがんばろう、というようなことをしゃべりました。他に何が言えたでしょう。

このinaugurationが歴史的であるとメディアは盛んに喧伝するのですが、その意味は、どうも、アフリカ系大統領がはじめて誕生した、という点以外にはなさそうです。普通の感覚だと、このことに意識的にならない方がおかしいとは言えます。今回のinaugurationにあたって、オバマも奴隷解放を行った(というか、行わざるを得なかった)リンカーンに自らを重ね合わせるような行動や言動をしています。前日の祝日のマーティン ルーサー キング日は、黒人公民権運動で大きな役割を果たしたリーダー、キング牧師に因んでいます。45年前に、 National MallとReflecting Poolをはさんで inaugurationのセレモニーの行われた議事堂とちょうど反対側にあるリンカーンメモリアルの前で、キング牧師は、黒人と白人が同等の権利を持って共存する社会の実現に向けて、「I have a dream」の演説を行いました。そして、ついに、アフリカ黒人の血を引くオバマが大統領に就任しました。そういう観点から、アフリカ系黒人の子孫が大統領となったことの歴史的な意義について、異議を挟むつもりはありません。しかし、オバマ自身が、アフリカ系アメリカ人の代表として大統領を務めるというようなつもりがないのは明らかです。彼は、選挙前から人種というカードを積極的に使ったことはありません。白人支持者もアメリカの民主党政権のリーダーとしてオバマを選んだだけで、むしろオバマの人種は思慮の対象外であった筈です。マイルスデイビスが白人のビルエバンスをバンドを入れた時、黒人ファンからの文句に、「いい音を出す奴なら、仮に緑色の肌をしていてもオレは雇う」と答えたというのを思い出します。ミッシェル ペトルチアーニが偉大なピアニストであるのは、彼が先天性骨形成不全で、身長は一メートルもなく、ピアノペダルに足も届かなかったからではありません。オバマのinaugurationセレモニーでバイオリンを弾いたイツアーク パールマンが偉大なバイオリニストであるのは、彼がポリオで車椅子に乗っているからではありません。同じく、オバマが支持されたのは、彼が黒人の血を引くからではありません。そもそも、少年期は白人社会の中で育ち、そしてハーバードでの高等教育を受けたオバマは、ボストンのロックスベリーやニューヨークのハーレムの黒人街で少年期を過ごしたMalcom Xとは違います。見かけは黒人でも、社会的クラスという点で、オバマは、多数の一般黒人とは異にします。(選挙前、黒人公民権活動家から政治家となったジェシー ジャクソンが「オバマは黒人を見下している」と、こっそり言ったのがビデオに撮影されていて、問題になったのを思い出します)もしも、オバマになってからも、経済の好転が期待したように進まなければ、黒人の中には、特に、これまで自らの社会的非成功を人種差別のせいにして来たような人は、遅かれ早かれ、オバマに失望することでしょう。むしろ、オバマが黒人の血を受け継ぐ故に、彼らの社会や政府に対する怒りは、却って大きなものになるとも予想できます。また、非黒人一般国民も同様です。オバマの評価は結局は、オバマ政権中の「経済状況」に依存します。経済が上に向けば、オバマは、誰にとっても歴史的な素晴らしい大統領であり、経済が悪ければ、オバマの政策が仮に最善であったとしても、オバマは失敗の烙印を押されることになります。その時にオバマの人種的ルーツが、国民の感情にどういう影響を与えるか考えると、多分、オバマが白人であった場合よりもより深刻なものになりそうな気がします。オバマの選択はブッシュ政権への反動という部分が大きい訳で、この悪い状況であるがゆえに、オバマへの期待は必要以上に大きなものであるはずです。そんな状況を見ると、オバマが望むリンカーンの再来というイメージよりはむしろ、ジミーカーターが選出された時のことが思い出されます。カーターは、大統領をやめた後の活躍を評価されてノーベル平和賞を貰っていますが、大統領就任期間中は、全くの期待はずれでした。ウォーターゲート事件での共和党のニクソンに対する反感に乗じて就任時の高い支持率を得た所も、反ブッシュ票を集めたオバマと似ています。今回、オバマの就任をカーターと重ね合わせて論じている人が意外と少ないことに私は不思議な気がします。人はこのちょっと不吉な類似性をあえて口にしないようにしているのでしょうか。私も、この想像は、是非はずれて欲しいとは思っています。
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秋刀魚の味に見る世界戦略

2009-01-20 | Weblog
週末、小津安二郎の「秋刀魚の味」を借りてきて見ました。この作品は小津の最後の作品となったもので、昭和37年に松竹映画から公開されたようです。笠智衆が娘の岩下志摩を嫁にやるというだけの話です。昔は、笠智衆は「おれは男だ」で森田健作のおじいさん役をやっていたのが最も強く印象に残っていて、その特徴あるしゃべり方をおもしろがって物まねしたものでした。このしゃべり方は、出身の熊本弁が抜けなかったからだといわれているそうですが、小津の映画では他の俳優も感情を抑えた平坦なしゃべり方をします。このセリフの棒読みは、どうも小津が意図的に指導していたようで、俳優が必要以上に個性を出すことを嫌ってのことのようです。映画はほとんど4-5箇所の室内のセットで行われ、表面的には、モノトーナスな印象を与えます。しかも、抑揚を抑えた演技で、普通の人の普通の日常を淡々綴っているだけのように見えます。しかし逆に、喩えてみれば、平穏な海面をじっくりと見せることによって、その海面下にある人間ドラマをしみじみと浮かび上がらせている、そんなように思います。「秋刀魚の味」というタイトルにもかかわらず、(鱧は出てきましたが)秋刀魚は一切出てきません。家族が焼き秋刀魚をおかずに食事をするというようなあたりまえの光景の中は、普通の家庭の幸せなり、人間の生活といったようなものの象徴であると思います。そんな雰囲気を描き出しているこの映画には、たとえ秋刀魚は登場しないにしても、このタイトルは確かにふさわしいと思います。
 小津映画が現代の劇場で公開されたとしたら、若い人はどう評価するだろう、と想像せずにはいられません。ハリウッド映画の大掛かりで、肉体的、物理的な映画を、受動的に見るのに慣れた現代人が、いったいどんな反応を示すのか、興味があります。映画でありながら、限られたセットしか使わず、決まったカメラアングルで撮影し、話はごくありふれた日常を綴っていて、俳優はセリフを棒読みしているのです。小津映画の良さが分かるには、それなりの人生の経験を経る必要があるのかも知れません。あるいは、小津のような豊かな想像力が必要でなのしょう。小津は死ぬまで母との二人暮しでした。でありながら、「娘を嫁にやる話」や落ちぶれた漢文の教師といった役どころに、本当に経験したことがなければわからないのではないかと思われるような繊細な演出がなされています。(私も娘を嫁に出したこともなければ、研究者を廃業して落ちぶれたという経験もまだないので、ここは、想像で書いています)この「秋刀魚の味」の中には、東野英治郎が演じる笠智衆の学校時代の漢文の教師が出てきます。行かず後家となってしまった娘と二人でラーメン屋をやって細々と暮らしています。東野英治郎が酒に酔って、「人間はみんな一人ぼっちで生きているのだ」と言う場面があって、私は、なんだか、小津自身の声を聞いているように思いました。「人は水を飲みたいと思ったら、自ずからの手で杯を傾けねばならない」という言葉を、鈴木大拙の本のどこかで読んだ覚えがあります。事実、人間は一人ぼっちで生きているという真実を実感することによって、人は他人を思いやる気持ちを持てるようになるのではないかと思います。東野英治郎が「娘を、つい自分のいい様に使ってしまい、嫁に出すことが出来なかった」と後悔する場面があるのですが、妻や娘を自分の一部として考えてしまい、「人は皆、一人ぼっちで生きている」という事実から眼をそらせてしまったことに老いてから悔やんでいるのです。
 映画は婚礼の日に娘を送り出した笠智衆が台所の椅子に一人腰掛けて、背中を丸めるシーンで終わっています。笠智衆が、人間は一人ぼっちで生きているという事実をしみじみと噛みしめているこの場面に心を動かされない日本人はいないのではないかと思います。思えば、昭和37年当時に、この映画を娯楽として劇場に見に行ったであろう日本の人々が、この映画のように見る者の想像力を必要とする作品を楽しんでいたということに感心します。あるいは、もしこの映画を楽しむのに想像力が必要でなかったのであれば、昭和37年ごろの日本は、多分とても良い社会であったのだなと私は思います。

そして、この映画は、この極めて日本的な題材の映画を日本的といってよい手法で撮る監督が、現在においても「世界の小津」として、世界中の映画ファンに尊敬されているという事実をもって、真のグローバリゼーションとは何かということを教えてくれているように感じます。それを象徴する場面が、この映画の中で、戦争中の部下と偶然、再会した笠智衆がトリスバーで杯を傾けながら語るシーンではないかと思います。「戦争にもし勝っていたら、今頃、自分たちはきっとニューヨークにいますよ。どうして負けたのでしょうね」と聞かれて、笠智衆は、「でも、負けて良かったじゃないか」と答えます。この一見、あきらめの言葉のように見えながら、同時に「絶対的な現在の肯定」ともとれる言葉が、私は小津の精神を表現しているように思います。この精神によって、小津は日本人の共感を得ることができ、そして世界の人の共感を得たのではないかと私は思います。小津は、日本人的といわれる振る舞いや心理を、じっと深く見つめることで、日本人を越えた普遍的なものを描き出しているのだと思います。つまり、黒澤明が世界のクロサワといわれるのとは別の理由で、小津は世界の小津となったということだと思います。「荒野の七人」の例を上げるまでもなく、第二のクロサワはハリウッドにもいます。しかし、小津はその圧倒的な、天才的ユニークさ故に、他の追従を許しません。そしていわば、この小津的アプローチが、これからの日本が世界に貢献して生き残っていくための道ではないかと思います。
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Picowerの悲劇

2009-01-16 | Weblog
Science, News of the Weekから。先月、5兆円の損失を出し、巨大ねずみ講に過ぎないことが明らかになったMadoffファンドは、数多くのチャリティーの資金運用をまかされていました。資金運用をMadoffに委託していた科学研究財団もあり、今回の事件ではPicower財団のことが取り上げられていました。 Picower財団は複数の科学研究のスポンサーとなっていましたが、最も大きいのは 利根川進が最近まで所長を務めていたMITのPicower Instituteではないかと思います。今回、この財団がMadoffの詐欺にあったため、20年前から総額、約300億円の科学寄金を提供してきたこの財団は閉鎖されることになるそうです。今後、Picower Instituteはどうなるのかはわかりませんが、この財団がMITに出していた他の学生向けの奨学金などのプログラムやMIT以外の研究室へのサポートはできなくなるようで、受けて、閉鎖にいたる研究室もでてくる模様です。Picower以外にどのようなチャリティーがMadoffの詐欺被害にあったのか不明ですが、アメリカでは、Howard Hughes Medical Instituteをはじめとする多くの私的な財団の協力も、少なからず科学研究に寄与してきていますので、被害はまだ拡大する可能性があります。研究者にとっては、一生懸命グラントを書いて、貰えるとなったお金が突然、なくなるというのは、一旦、Cellにacceptされたのに、出版される前に論文のretractを強いられるようなものです。(ちょっと、分かりにくい喩えですね)グラントに研究キャリアが依存するような多くの研究所では、これによって研究者を廃業しないといけなくなる人も出てくる可能性があると思います。去年のノーベル賞となったGFPのcDNAをクローニングした人も、研究費を失った後、研究者を廃業し、現在はアラバマでレンタカー会社のバスの運転手をしているそうですし。

アメリカもそれに追従する日本も、政府が国民の福祉を削るかわりに規制緩和をしてきました。それは、本来、一般市民が自分の生活を自分自身で保障していくことを易しくするためのものだったはずですが、逆に金を持っているところが、規制緩和を乱用、悪用することになり、かえって一般市民への被害を引き起こすことになりました。アメリカでの政府による年金システムは殆ど破綻しているので、国民は自ら税的優遇措置のある投資口座に引退資金を積み立てるよう指導されています。そんな引退用の投資資金の運用をMadoffファンドにまかせて、老後の引退資金をそっくり騙しとられてしまった人も沢山いるようです。日本の派遣社員の問題などは、結局、規制緩和によって、持てるものの持たざる一般国民の搾取をより容易にしてしまった結果であると言えます。現在の苦境は、自民党、特に小泉政権が仕込んだ時限爆弾がの爆発によるものと言ってよいのではないでしょうか。しかし、一応は民主主義の日本ですから、騙した小泉も悪人なら、騙された国民もバカだったのだと反省しなければなりません。独裁者ヒトラーを選んだのも民衆ですし、史上最低の大統領ブッシュに二期もやらせて、世界に迷惑をかけたのもアメリカ国民でした。
 バブル以降の社会で、経団連の番頭のような自民党が未だに日本に相応しいのかどうか、明らかと思います。牛歩戦術ではないですが、ノラリクラリと衆院解散を屁理屈でかわそうとする往生際の悪い(そしてブッシュ同様、多分史上最低ランクの)首相に一刻も早くトドメを刺して、国民自ら、希望の灯りを点さねばなりません。
小泉首相と安倍、福田、麻生と続く三首相(特に麻生首相)を比べてみると、思い出す言葉があります。

「悪人とバカを比べたら、悪人の方がましである。悪人は時には悪人でなくなることがあるが、バカはどうしようも無い」

小泉首相が種々の改悪で現在の日本の困難を引き起こし、残りの三人は単にその後始末のために引き出されただけなのに、麻生さんよりはまだ小泉さんを支持する国民の方が多いという話を聞きくと、なるほどと思います。
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学生運動と戦争

2009-01-13 | Weblog
週末の「内田樹の研究室」で40年前の学生運動とは何であったのかという解釈が試みられていました。簡単には、第二次世界大戦の敗戦当時、日本を神の国であると教育された少年が、アメリカの属国となることを選んだ日本の「恥辱」を忘れ得ず、「果たされなかった本土決戦」の代替として起こした運動であるという説のようです。また「新左翼の学生運動というのは、幕末の『攘夷運動』の3度目のアヴァターである」とあります。確かに当時の学生運動は、幕末の江戸の彰義隊や京都の新撰組と重なるものがあります。振り返ってみれば、歴史の必然の流れを受入れられない若者たちの、理想(あるいは正義)が現実に押しつぶされていくことへの勝算のない抵抗であったと考えることもできると思います。大人にとっては彰義隊にせよ、学生運動にせよ、迷惑なものだったでしょう。

 遠くから眺めていると、イスラエルとパレスティナの戦争にも同様のものが見えます。戦争はどちらに義があるという問題ではなく、勝ったものが正しいという性質のものなのですから、「正義」は、相手をやっつけるための口実に過ぎません。正義が踏みにじられたから、あるいは何かを守るためとか、戦争の理由が声高く叫ばれ戦争の正当性を人は言うのですが、私にとっては「戦争という行為は理由に関わり無く絶対悪。以上終わり」です。
 学生運動から戦争に話が流れてしまったので、戦争についてもう少し直接的な仮想例を考えてみたいと思います。例えばロシア(ロシアでなくてもよいのですが)が理由無く攻めてきて、日本を植民地にしようとしたらどうするか、ということを考えてみます。このような、数十年前だったら(あるいは近未来にも)十分ありうるシナリオに対して、日本は自国を守れるようにちゃんと戦える軍隊を持たねばならないという意見は尤もだと思います。とりわけ自衛隊で働く人が「自衛のために戦う」ということを彼らの仕事であると考えているのだとしたら、自衛隊内からもこういう意見が出るのは頷けます。しかし、軍隊は、破壊し殺すためのもので、言ってみれば、軍隊はそれを使うものを侵す麻薬のようなものとも言えます。軍隊を持たないわけにはいかないでしょうから、軍隊は麻薬と同様に、厳しい管理下に置いて、その使用には社会が強い制限を加えておく必要があります。軍隊の力の行使は戦争であり、「戦争は絶対悪」と私は思っていますから、軍隊は持っても、軍隊がその力を使うようなことがないようにしないとなりません。その点、たとえ元々、アメリカに押し付けられたものにせよ、憲法九条があることは日本にとって幸いであったと思います。つまり、思うに、「国を守るために戦う」というのは本来、自衛隊の本務ではない、即ち、自衛隊が「国を守る」ためにあるという点は正しいが、自衛隊は「戦う」ためにあるのではない、ということです。そのことが、自衛隊幹部にも十分認知されていないということではないのかと思うのです。それでは、もし本当にどこかの国が攻めてきたらどうするか、アメリカがイラクにしたように、他国が日本に力ずくで侵入してきて、われわれの街を破壊し住人を殺し始めたらどうするか、私なら、「戦争は絶対悪」という立場なので、難民となって逃げると思います。自衛隊は建前上、戦わないわけには行きませんが、侵攻された時点で既に勝てる見込みはありませんから、国民を逃がすという目的のための時間稼ぎという形にならざるを得ないでしょう。私は子供のときは仮面ライダーを欠かさず見ていましたし、正義感が強く、正義は勝つと信じていましたので、二十年前なら、うっかり、皇国の興亡をかけて戦う、とでも言ったかも知れません。今は、それはやってはいかんと思います。右の頬を打たれれば、打ち返さずに逃げる、それが君子の作戦と思います。敵は既に勝算を持っているからこそ侵攻してくるわけで、他国の侵略にあった時点で、日本は既に戦って勝てる見込みはないと考えられます。つまり、日本が軍隊を持つ意味というのは、侵略を牽制するという一点に全てがあり、故に、その軍隊は実際に力を行使することを想定はして形成されるものの、行使しないことを目的にすると言えます。
 幕末の攘夷運動にせよ、パレスティナ問題にせよ、そもそも戦争を問題解決の手段と考えているらしいことがおかしいと私は思います。ここまでこじれて感情的になっていれば、逆ではないでしょうか。戦争のために理由がいる、むしろ、そんな感じがします。

「正義」という頭の中にしかない「幻影(または理想)」は人を扇動したり説得したりする道具であって、それによって正当化される殺人という「現実の行為」は絶対悪です。こうしたこじれた関係にどんな形の解決があるか考えて見ますと、私は、イスラエル、パレスティナ問題にしても(あるいは、ロシア、コーカサス地方の紛争にしても)、解決法に「両者が仲良く共存する」という答えは無いと思います。しかし、共存することは解決に必須です。ここから導き出される答えは、「仲悪く共存する」しかありません。ある意味、これは問題の解決ではなく、問題の先送りに過ぎないのですが、これで均衡が保たれるのなら、問題を永遠に先送りし続けるというのは、解決法と言ってもよいと思います。戦争は絶対悪ですからできません。ですから、始終、顔をつきあわせて口喧嘩はするが、絶対手は出さない、というルールを厳しく適用するのが最善であろうと思います。国連に実行力がない以上、アメリカは、自国の利益の追求のために他国を利用するという態度を率先して放棄し、イスラエル、パレスティナの停戦管理をするべきであると思います。これは、ブッシュには絶対できないことですが、オバマなら可能かもしれません。

学生運動に話を戻しますと、学生運動の波に巻き込まれて、例えば、東大入試が中止になったりして、人生の計画が狂ったりした世代というのは、私よりは20年ほど上の世代です。それでも、私が大学生の頃、とっくの昔に下火になっていましたが、学生運動はまだそれなりにありました。ヘルメットをかぶってゲバ棒をもった集団が授業の最中に校庭を行進するのを何度か見たこともあります。当時、私の母校の本学の大学自治会は確か、民主青年同盟(民青)と呼ばれた共産党の下部組織だったように思います。一方医学部自治会は社会党関連だったように思います。当時の学生運動は、血気盛んな若者がエネルギーを持て余し、何となく影響されてよくわけもわからず、クラブ活動感覚でデモに参加していたというのが実情なのだと思います。大学や大学寮の自治会には当時でも、洗脳部隊がいて右も左もわからない新入生にウケウリの理想論を吹き込んで「オルグ」してしようとしていました。普通のノンポリ学生はそうしたうさん臭いところには近寄らず、楽しく学生生活を送ることに集中するので、いっそう、そんな活動家集団は孤立した異常な少数の人々とみなされていたように思います。同じ共産系の組織から分裂した中核派と革命的マルクス主義者同盟との内ゲバ抗争が激しかったころのことは、私は勿論知らないのですが、大学時代にはそれでも、その抗争の痕を示す張り紙などが電柱とかに残っていて、私が「殲滅」という漢字を覚えたのは、そんな過激派のアジ広告からでした。学生活動家が闇討ちにあって殺されたりしていましたが、誤った思想を広めて害をなす者を殺す事は正しいことであると心から信じていた様子でしたから、今から思えば、オウム心理教信者と同様の精神構造であったのでしょう。「正義や理想」を買いかぶり過ぎていたということでしょう。私は自治会と名のつくところには深く関わったわけではありませんが、友人の何人かは社会、共産思想に基づいて多少の活動をしていましたので、野次馬気分でデモに参加したこともあります。いわゆる団交でしたが、何の交渉であったのか忘れました。多分、授業料やカリキュラムのことだったのでしょう。大学の学長室まで押し掛けて、学長に向かって怒鳴ったり、自己批判しろとか、どうとか叫んでいるのを遠目にみていた記憶があります。学生が暴徒となると厄介なので、大学側も警察や機動隊に連絡するわけですが、デモ学生がうっかりつかまって前科者になると教員資格を取れなくなるとかで、教育学部の学生を優先的に逃がすためのドリルとかまであって、野次馬には物珍しい行楽なのでした。体制を批判し、大学の学長室に無理に押し入って自己批判とか言ってる大学生が卒業したら教員免許を取って学校の先生になるというのです。その辺の自己矛盾からしても、学生運動が、かつての「理想に殉死する」というような悲愴なものではなくて、学生時代の課外活動的な「学生運動ごっこ」に過ぎなくなっていたということなのでしょう。私はある意味、そんな学生運動ごっこは健康的なものだと思っています。ワクチン接種は、病気にならないように、わざと毒を落とした病原菌を接種するわけです。学生運動ごっこでも何でも、年をとってから「俺たちが若いころは、無茶やったもんだよー」とお茶をすすりながらいえる程度の経験をしておく事は、本当の無茶、例えば、日本赤軍とかオウムのサリンとか自爆テロとか、までに行ってしまう危険を防ぐのではないかと思ったりします。(その相手をさせられる大人は良い迷惑でしょうけれど)
歴史は繰り返すと言います。40年前の学生運動の再燃は、近々、起こり得ると思います。社会の不満が募ると、若者たちは、それをエネルギーのはけ口に利用しようとするからです。またそんな時に必ず出てくる、食い詰めた人たちを利用しようとする扇動者には気をつけなければなりません。
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雪の日、見守り見送る

2009-01-08 | Weblog
Wakeというのは、日本の通夜に当たるのでしょうが、葬儀に先立って、夕方ぐらいから親族、知人が集まって、故人についての思い出話をしたりします。英語のwakeとwatchはどうも語源を同じくするらしく、通夜をwakeというのは、葬儀の前に死者を見守る(watch)という所からきているらしいです。また俗説では、通夜は死者が万が一生き返って目をさました場合に備えて行うからだという説があるようです。中国や日本でも死人に魔がさして動き出す「走屍」という現象が語り継がれています。(故杉浦日向子さんの漫画で知りました)走屍を起こした死人はそれを見た人と同じように動き、見た人を追いかけてくると言われています。ほうき草でつくったほうきで死人を打つと走屍は解けるそうです。(杉浦日向子さんの漫画で、主人公の葛飾北斎が、頼まれて死人の絵を描いている間に走屍にあう、という話は、どうも中国の古い言い伝えを題材にしているようです)走屍とは、もともと中国のゾンビのキョンシー(キョウシ)の走るものをいうのだそうです。死んだ後、故人の肉体に魔がささないように、そして無事あの世へ渡れるようにと「見守る」儀式がwake、通夜ということのようです。
 遺族にとっては、通夜を行うことで、弔問に訪れる人々への対応の忙しさにしばらく気を紛らわせることができます。そして最後にお別れに来てくれた人々の思いやりに触れる機会を得て、続いてやってくる深い喪失感を乗り越えていこうとするのだと思います。

先日、急逝した子の通夜は教会で行われることになりました。教会には長い列が出来て、その子を知る人が順番に、遺体を前に別れを告げ、遺族の人にお悔やみを述べました。教会には生前の写真やビデオなどが飾られていて、訪れた人は、それらを見てあらためて故人の思い出を噛みしめるのでした。
葬儀はその翌日、行われました。夜通し降って白く積もった雪の上に、雪は昼前からは雨となって夕方まで降り続けました。
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生きていれば、いいことあるよ

2009-01-06 | Weblog
ジョントラボルタの長男が急死するというニュースをテレビで知りました。どうも川崎病による血管病変があったらしく、何らかの発作を起こした後、倒れた拍子に強く頭をぶつけたのが死因らしいということでした。テレビでは家族で微笑むトラボルタ一家の幸せそうな写真が繰り返し流されていました。ジョントラボルタの必死の救命処置にも係らず、蘇生しませんでした。自分自身も含めて、肉親の突然の死に遭遇する家族の動揺や行為を見る機会は何度もありましたので、我が子の突然の死にジョントラボルタがどのように反応したのか、その想像が、頭の中に短い映像として何度も浮かんできました。
 昨日、妻がメールを見ていて「えっ!」と声を上げました。子供が通っている小学校の校長先生からのメールで、それは一人のクラスメートの急死を告げるものでした。小さな小学校で皆がお互いを全員知っているような所です。その子は私の上の子供と同い年で、幼稚園前からいっしょだった子で、誕生会に呼ばれたこともありました。癲癇持ちだったようで、小学校では特殊学級にいて、普段は転倒したときのためにヘルメットをかぶっていました。それ以外はひとなつこいごく普通の子供でした。奇妙なことに、私の子供たちは、彼が死んだというニュースを聞いて、まるでどこかに転校していったぐらいの程度の反応しか示しませんでした。たとえ、毎日のように顔を合わせて、一緒に遊んだりしても、子供たちの人間関係はシンプルにできていて、そこにいないということは、転校でも夏休みでもあるいは死であっても、「そこにいない」というだけのことのようです。きっと「ない」ことを実感するには大人の想像力が必要なのでしょう。あるいは「死」というものは、転校や夏休みと本質的には変わらないことを子供たちは知っているのでしょうか。
 若い子供が死ぬという事件を聞くたびに、その子供たちの短い一生の意味というものをつい考えてしまいます。むしろ、残された親や兄弟にこそ、子供の死は強く意味を持つもものだろうと思います。だから、その子供の一生の意味とは、その子供の周囲の人間も含めて考えるべきではないかとも思います。私は、人は死んだら「素晴らしいあの世」で幸せに暮らせると信じているので、死んだ人は、どんな死に方をしてもあの世で救われると思っています。だから、若い子供の死は、修行場である現世では、死んだ子供よりもその周囲の人間にこそ、むしろ向けられているように思われます。長生きして大往生した人の死は喜びをもって語られますが、若い人の夭折は常に悲しいものです。おそらく「何らかの目的」のために、この世での修行が完成する前に、この世を去り早くに天に帰っていかねばならないからでしょう。
 修行場である以上、この世は住みにくいように出来ています。戦争や犯罪は決して無くなりません。人は常に不満とともに生きることになります。それは、戦争は平和を知るために、憎しみは愛を感じるために、そして死は生を生きるために、わざわざ与えられているのだと私は解釈しています。そして、人は戦争や犯罪や憎しみを克服しようと懸命に努力することを求められています。そうすることが修行場であるこの世を生きることであろうと思います。
 ライブドア事件の偽造メールで失脚し、先週自殺してしまった元民主党議員の人が、昨年に最初の自殺未遂を起こしたとき、元ライブドアの堀江被告が、(政治目的でライブドア事件を利用しようとしたこの議員に対して)「生きていれば、いいことあります。くさらないで、がんばれよ」と言ったらしいですが、この言葉が届いていたらなあ、と思います。私は両人の行いを決して肯定はしませんが、「生きていれば、いいことあります。くさらないで、がんばれよ」と言った瞬間の堀江被告の言葉に込められている善意は信じられると思います。(あいにく、感受性に乏しいマスコミはこれを皮肉と解釈したようです)「生きていれば、いいことあるよ」良い言葉だと思いませんか。子供を失って深い悲しみにくれる親、政治生命を絶たれて絶望する若手政治家、彼らが心の中にこの言葉を自ら見い出して、辛い人生を生きる意味に目覚めるために、苦しみは与えられるのかもしれません。
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新年明けましておめでとうございます。

2009-01-02 | Weblog
2009年になりました。明けましておめでとうございます。不景気、経済危機で、おめでたいという気分でない方も多いと想像します。私も将来を考えると一寸先は闇なので、いろいろ考えると「めでたい」と手放しでにこにこしているわけではありませんが、暗い過去は過ぎ去り、暗い未来はまだ来ていないというわけで、とりあえず、今、こうしていることは「めでたい」といってもハズレではないと感じています。
 「門松は冥土の度の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」と、一休さんは言ったらしいですが、無事に新年まで生きることができて、しかもあの世という素晴らしい世界へ近づいていくことができるのですから、私にとっては、正月はめでたいです。正月に限らず、毎日、毎日、めでたいです。「めでたくもあり、めでたくもなし」と言った一休さんの本音も、「めでたくもない」といいながらも、こうしておせちを食べながら新春を祝えるのだから、本当は「めでたい」と思っていたのだろうと思います。けれども、底抜けにめでたいのではなくて、「年取るごとに、腰も痛いし、目も見えなくなる、いろいろ嫌なことも多いが、愚痴を言えるのも生きているからこそだな」、というような感じの「めでたさ」だと思うのです。だから、一休さんが正月からしゃれこうべを杖に乗せて、近所を回って、「本当は正月はめでたくはないのだぞ」などという嫌なことを言って、屠蘇気分に水を注したというような伝聞は、私はウソだと思うのです。そういう大人の振る舞いのできない人であれば、「いつも本音で言ってるのに、どうして、みんな自分を正直な立派な人だと思わないで、空気と漢字の読めないオタンコナスだと思っているんだろう」と首をかしげている誰かさんのように、一休さんの支持率はもっと低くなっている筈だからです。

そういうめでたい正月ですが、正月と言っても、何年も正月に正月らしいことはしていません。生来、普段の生活と違うことをすることに、抵抗を覚える上に、無精ものなのです。これは生きる智恵ともいえます。人間、急激な生活の変化は肉体的、精神的に健康に悪いものです。ですので、正月の新年の挨拶とかが済んだら、普段の日曜日と同じ調子です。年をとったので、アルコールは全く飲めなくなりましたし、食べるのも食べれなくなりました。正月だからといって、特別な楽しみがあるわけではありませんしね。小学校の宿題には書初めをしましょうとかいうのがあるそうです。善いアイデアですね。筆で字を書くというのは普段、キーボードしか叩かない人にとっては、新鮮な体験ではないでしょうか。私は、書道教室で幼少時にうけた心理的トラウマのせいで、筆ペンを見ただけで嫌な気持ちになってしまうタイプですが、昔の小説などで、硯にシコシコと墨を擦り、匂いを嗅いで、「ああ、いい墨だねー」とか言っているのを読んだりすると、書かなくても墨を摩るぐらいはしてみたいなと思ったりします。また、そのあたりを散歩している人が、ふと矢立てを取り出して、さらさらと、一句したためる様子とかを思うと、俳句が読めて、筆が使えたらカッコいいだろうなと思ったりします。

さて、新年といえば、New year’s resolutionです。去年の新年の抱負は、「生活向上」でした。去年の正月に、伝説の「生活向上委員会大管弦楽団(略して、生向委)」の名曲についての思い出をブログに書いたので、覚えているのです。この不景気で、一般の人は生活レベルが落ちた人も多かったのではないかと思います。我が家では食パンのグレードが一ランク下がりましたが、一方では、テレビを買い替えました。それぐらいですかね。悪くはならなかったのでヨシです。 夢や目標というのは自然と心のうちにあって、それを明言するのが新年の抱負なのですが、今年の抱負はとくに「なし」ということで行きたいと思います。「よい研究をして、面白い論文を書き、無事、グラントを取りたい」と毎日思っていますから、これは多分、何か外部からの変化がない限り変わりないと思います。研究など、いくら頑張って努力しても、出ないときは出ないので、それは仕様がありません。去年までは、石にかじりついてでも頑張るぞという気持ちがありましたが、今年は、もうちょっと、肩の力が抜けていますし、経験上、石にかじりつかねばならぬ程に追いつめられたら、良い結果はまず絶対でないことは十分、分かっているので、なるだけストレスをためないように「平坦な」一年であることを心がけたいと思います。
 皆様にとってもよい年となりますように。

追記。
先月、ネズミ年が終わる直前、ラットのES細胞がついに樹立されたとの報告が2つの研究室から出ました。FGF、MEK/ERK、Wntのシグナル系の阻害剤を使うことで成功したようです。これらのESにおけるシグナル系の重要さは最近明らかになってきて、それが、今回のラットでのES細胞樹立の鍵となったようです。これでラットでも遺伝子ノックアウトが可能になれば、生理学的な実験や、これまでのラットの変異ラインを使った遺伝的解析の幅が広がることと思われます。
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