百醜千拙草

何とかやっています

No Nukes! (22) パンと信念

2011-05-31 | Weblog
ようやく今週、内閣不信任案が提出されるとの話。可決のためには与党から80人の賛成者が必要ということです。心配なのは、民主党の腰抜け議員たちで、昨年の代表選のときも、土壇場で、空きカンと悪徳弁護士らの甘言に寝返って、史上最悪の空きカン内閣を存命させ、最大不幸を招きました。インチキ代表選の時に我が身の利益を考えて天秤にかけて土壇場で投票先を変えた信用できない連中です。元参院議員の平野貞夫さんによれば、議会制民主主義はキリスト教を背景に生まれ、議会は社会と政治における教会であるとみなされていたそうで、そこでの最大の罪悪は「嘘をつくこと」であったのだそうです。そんな歴史的観点から考えると、この国の議会には、空きカンを筆頭にして「誠実さ」という議員として(あるいは人間として)最も重要な資質を欠く人間が多過ぎると私は感じざるを得ません。空きカン一派は延命のために「解散総選挙」という脅し文句で、これら腰抜け議員の不信任案への同調を牽制しています。「不信任案に同調する民主党議員は除名する」と昼行灯のオカダ氏、言ったそうで、谷岡郁子議員はツイッターで反応。

今朝の新聞で、造反したら除名する旨の岡田幹事長の表明に、思わずのけぞりました。何度選挙に負けても責任を取らない人が、他の仲間は一回で責任を取らせるわけ?これは、私の知る組織の論理ではないと、今日の参議院幹事長室会議で表明し、両議員総会を開くべきだと発言しました。

総選挙という言葉で脅かされて、日和ってしまうようではロクな仕事もできないだろうと思うのですが、やはり人間だれでも己の身が可愛く、空きカン同様、国民の不幸が続いても一日でも長く議員でいたいと思う腰抜け議員の多い民主党。しかし、ここで空きカンを降ろして民主党を立て直さない限り、いずれにしても次の選挙では民主党党員は大多数が落選間違いないのです。目先のことと自分のことしか考えられない議員は居ない方がましです。国民に選ばれて国民に奉仕する使命をもった国会議員としての矜持を思い出してもらいたい。前回の代表選で空きカンや悪徳弁護士の脅しにビビった腰抜け議員も、この戦後最大の国難にあって何もできない空きカン内閣の無能ぶりを散々目の当たりにして、さすがに危機感を持ってくれただろうと願うのですが、どうでしょう。正直な所、もし、内閣不信任案が可決されない場合は、日本に将来はないと思います。空きカンが居座るからという理由以上に、空きカンの有害さを理解しない人間、あるいはわかっていても己の保身のために見て見ぬふりをする人間が国会議員をするような国だからです。

内閣不信任案が可決された場合に、空きカンがどういう行動をとるのか、それもちょっと心配です。自爆テロで解散総選挙を宣言して民主党を壊滅させる、という普通ならあり得ない行動をとる可能性があります。この人の極端な自分本位な性格と精神の異常さを考えるとあり得ると思うのです。空きカンは総選挙になっても自分は大丈夫だとでも思っているのでしょうか。前の選挙で公明党の代表でさえ落とされたのを忘れてはいないでしょう。無能でも風向きを読むことだけは聡い空きカンですから、解散すれば、空きカン自身も現職の総理大臣でありながら選挙で落とされ、嘘つき、無能、卑怯者の烙印を押されたまま、引退することになる可能性が高いことぐらい分かっているはずだと思うのですが。
 不信任案を出された時点で、総辞職して自ら身を引くのが賢者の振る舞いですが、とにかく相手は空きカンですから。キチガイに刃物、空きカンに解散権、何をするかわかりません。私としては、総辞職後、小沢氏の采配で組閣という筋が望ましいと思いますが、この際、解散総選挙でも構いません。それで、空きカンが永久に消えてくれて、あのサバ目を見なくて済むのなら、かえってサバサバするというものです。東北で実質、選挙など施行できない状況で、解散を宣言することは常識的にあり得ないのですけど、何しろ、常識とか良識とか矜持とかという言葉を一切知らないドアホのことですから。

地上げ屋さんのブログから(http://latache1992.blog56.fc2.com/)
田中眞紀子師匠、
菅政権について、「何が足りないのか?」 と問われ・・
「ありとあらゆるものが欠落してるのではないでしょうか?」
首相が指導力を発揮するにはどうしたら? と聞かれ・・
「根本的に無理です。市民運動をやっていた人というのは・・組織の経験がないから組織論は語れません」
(中略)
菅違いしちゃいけません!
「市民運動をやってた人」 なんておっしゃいますが・・ 正確に申し上げますと・・ このかたは、
「市民運動をやってた人のお手伝い」をしてたんです。 (笑)


小沢氏、ウォールストリートジャーナルのインタビューで、先週末、福島原発事故への政府の対応は「遅く、放射能汚染に対する認識がまったくない」と批判するとともに、「首相は一日も早く代わったほうがいい」と述べたというニュース。
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_242207
このインタビューを聞く限り、私、小沢氏の意見に一点の異もありません。責任を負う覚悟のない人間は決断できない、空きカンはこの言葉を聞いても何も感じないのでしょうかね。ただ、次の強いリーダーがいくらでもいる、という答え、次の首相に誰を考えているのか、私には思い浮かびません。国難が落ち着くまでは小沢氏、自らやらねばならないのではないのでしょうか。

ところで、俳優の山本太郎さん、事務所を辞めたとの話。
電力会社から多大の広告料を貰い、原発推進プロパガンダに協力してきたテレビやマスコミは、原発反対を弾圧します。

以下、一部抜き書き。

福島第一原発で起こった原発事故のあと、
「 反対。って言うと、芸能界で仕事干されるんです、 御存知でした?でも言ってやります、反対!」
と山本は、脱原発を自身のツイッターで声高に訴え、デモに参加するなど原発反対運動を続けてきた。


山本は4月9日にツイッターで「原発発言やリツイートはCHECKされ必ず仕事干される(中略)だからって黙ってテロ国家日本の片棒担げぬ。親不孝許せ」と宣言し、翌10日に東京・高円寺で約1万5000人が参加した反原発デモに参加。さらに23日に文科省前で行われたデモにも参加し、同省が定めた放射線量年間20ミリシーベルトの撤回を訴えていた。


そして、予想通り、出演予定のドラマを降ろされ、所属事務所にまで取材攻勢が及んだため、事務所に迷惑がかかるという理由で所属事務所を辞めたのだそうです。人はパンのみに生きるものにあらず、信念に生きるのです。山本さんのその信念の源はわかりませんし、役者さんなので演技が入っているのかも知れませんが、その言葉を聞いて私は素直に感動しました。空きカンや日和見主義の民主党の腰抜議員とは全く逆ですね。パンのためには信念などどうでもよい、そんなゾウリムシみたいな人間を総理に戴くことほど、国家と国民にとって不幸はありません。

内閣不信任案が提出されたなら、与党の衆議院議員は、国家の興廃がかかっていることを肝に銘じ、己の信念に従って正しい判断をしてもらいたいと強く願います。
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No Nukes! (21) 一兆円の詐欺

2011-05-27 | Weblog
例によってマスコミは殆ど報道しませんでしたが、23日、原子力行政についての参考人として、京大原子力研の小出氏を含む原子力専門家が、ソフトバンクの孫氏らと共に、参院行政監視委員会で脱原発についてレクチャーをしました。小出氏、説得力あるしゃべりで原子力の危険性とその行政対応のデタラメぶりを批判していたのをYoutubeで見ました。私は、小出さんの話を聞いて、このままでは地球が人間の住めない場所になるのは時間の問題だとあらためて危機感を感じました。しかし、目先のことと保身しか考えない官僚や政治家にどこまでメッセージが伝わったのか、例によって馬の耳でなければよいと思うのですが。

原子力利権については、もんじゅを上げて次のように言っておられます。

日本は「もんじゅ」という増殖炉の原型に1兆円以上の金を捨ててきました。現在の裁判制度でいうと、1億円の詐欺をすると1年の実刑になるんだそうです。では、1兆円の詐欺をしたら、何年の実刑を喰らわなければならないのでしょうか。1万年です。
原子力安全委員会、あるいは経産省・通産省等々、行政に関わった人で「もんじゅ」に責任のある人はいったい何人いるのか私は知りません。でも、仮に100人だとすれば、ひとり、ひとり100年の実刑を処さなければいけないのです。


最後に、余程、ハラに据えかねていたのでしょう。ガンジーの7つの大罪をあげて、原子力にむらがる利権者と行政を批判して話を締めました。
1.原則なき政治 2.道徳なき商業 3.労働なき富 4.人格なき教育 5.人間性なき科学 6.良心なき快楽 7.犠牲なき宗教

法律を無視して都合のよいように恣意的に放射線基準を変え、己の保身しか考えていない空きカン内閣は、まさに「原則無き政治の大罪」を犯しており、原子力の危険を知りながら、地域住民の頬を札束で張って原発の危険を押しつけ、独占企業であることを良いことに利潤をむさぼる東電は「道徳なき商業の大罪」を犯しており、原子力関係のハコモノを乱立させてはそのポジションに天下って税金をかすめ取る官僚は「労働なき富の大罪」を犯していると思います。罪を犯せば罰せられ、償いを求められるのが、普通の人々です。しかるに、彼らはどうでしょうか。仮に彼らが自らの大罪を認めたとしても、彼らの罪は余りに重く、償いは余りに難しい、と私は感じます。

それにしても、いつ空きカンは辞めてくれるのでしょうか。地震がなければ3月のはずでした。地震が起こって悪徳弁護士は「空きカンはラッキーだ」と言い、空きカン本人は「これであと2年は保つ」とほくそ笑んだという話を聞きました。この国難にあって、参議院議長が空きカンを辞めさせろと檄を飛ばしているのに、肝心の衆院で内閣不信任案を主導するはずの自民党の党首が全く頼りない。そんな中で、小沢氏とコーモン渡部爺との合同誕生会がマエハラ氏の仲介で行われたという気味の悪い話。外国人献金問題を口実にうまく空きカンの泥舟から逃げ出したマエハラ氏、空きカン内閣の沈没を見越して、次の主流派になるはずの小沢氏にとりいろうというつもりなのですかね。これを見て、党内部から倒閣が近いと慶ぶ人もあります。空きカンが消えてくれるのはもちろんうれしいです。しかし、小沢氏、去る者は追わず来る者は拒まずと鷹揚に構えて話に乗ってやっているのかも知れませんが、この三人が集まって笑っている写真を見ると、昨年の小沢邸での新年会に一升瓶を抱えてやってきてにこにこしながら写真に収まっていた空きカンを思い出して嫌な予感を感じるのです。
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No Nukes! (20) 終わらない悪夢

2011-05-24 | Weblog
頭痛で体調不良の上、仕事が忙しくなってきて今日は余りモノが考えられませんので、最近あったことがらなどを記述的に。
 先週末は割と楽しいことがありました。イスラエルの共同研究者が学会ついでに立ち寄ってくれて、久しぶりに話しました。やはり直接会って、興味の一致する研究分野の話をあれこれするのは楽しいものです。メールである程度は用が足せますけど、直接話さないとわからないようなこともあります。それから、別の共同研究者の人の論文、N紙へのリバイスを出したという話。やっぱり名前の通っている研究室は違いますね。前も別のプロジェクトでこの研究室の別の人と共同研究をしたことがありました。提出前に見せられた原稿はパッとしないなあと印象で、どこに出すのか聞いたらN紙と言ったので、私は最初、冗談かと思いました。しかし論文は、リジェクトにもならずに最終的には、Full articleでアクセプトされたという経験があります。「この研究室の研究なのだから素晴らしい成果に違いない」みたいなニュアンスのレビューもあったそうで、論文が通ってよかったと思う一方、ちょっと複雑な気分になったのを覚えております。今回の論文は、しっかりした良い研究だと思うのですけど、無名の研究室からだったら、多分よくてC紙の姉妹紙ぐらいでしょうね。私も一度はN紙に投稿だけでもしてみたいものだと思ってはおりますが、あいにく寄るべき大樹もなく、小さなことからコツコツと地道にやるしかないなと思っております。
 その後、依頼していた新しいトランスジェニックのマウスができたという知らせ。二年来やっている研究のレベルを上げるのに、このマウスとあとできればもう一つ新しいマウスモデルが必要だと考えていたので、多少前進しつつあるような感じです。マウスがふえてきたので、ちょっと研究費を節約しないといけないのが悩みの種。

さて、週末は、youtubeで「終わらない悪夢1-7放射性廃棄物はどこへ (http://www.youtube.com/watch?v=SteP6jHO1x0&feature=player_embedded#at=14)」というドキュメンタリーを見ました。危険な核廃棄物をどう処理するかという問題を十分に考慮しないまま、世界中で核開発がどんどん進められてきました。ロシアのMayakやアメリカのHanfordなどの核施設とその周辺の強烈な汚染状況には本当に気分が悪くなります。むろん、これは氷山の一角で、おそらく中国を始め特に政府の情報コントロールの強いその他の核施設保有国でも、同様に強度の放射線汚染はあるはずで、それが多分表面化しにくいだけのことなのでしょう。日本でも放射線汚染はしょっちゅう起こっておりコッソリと地域住民にも本当のことを知らせず処理されてきました。今回のような大惨事であってさえ、国は知らせるべき情報を隠蔽し、福島県とその周辺の人々を危険にさらしつづけています。こんなことが世界中で起こっていて、世界の多くの場所はすでに危険すぎて、人は近寄ることができなくなっています。現在も世界中の原発で、日々、自然界に存在しない半減期が何万年もある危険極まりない放射性物質が作られつづけているのに、それを人間は処理することができません。アメリカはモンゴルに核廃棄物を埋めようと計画していたらしいですが、今回の事故を逆手にとって、福島第一原発から周辺30キロぐらいは永久に立ち入り禁止地域になるだろうから、山手の地下を核廃棄物の永久保管所にしようとしているのではないかと考える人もいるようです。
 環境や将来のことを考えずに日本国中に工場を乱立させて、数々の公害を引き起こしたのは遠い昔のことではありません。原発はその公害の中でもとりわけ危険で有害なものだと思います。なぜ、人は過去の過ちから学べないのでしょうか。
 日本は独立国ではないので、アメリカの意向を無視して勝手にものごとを進めることができないという事情はあります。今回も官邸にアメリカ人が駐在して原発事故処理や浜岡停止などを空きカンに指示していたという話もありますから、少なくとも今の日本、平時でも非常時でも日本国民のための政治というものは不在と言えましょう。それで、平田オリザ氏も、先週に「アメリカの強い要請で汚染水を海へ流した」というような話をワザワザ韓国の講演で発言したのでしょう。韓国では、国民の強い要望によって、アメリカ軍基地が大きく縮小しました。「アメリカが日本に圧力をかけて(横田基地を守るために)放射性汚染水を海に流させた」という話は、きっと日本人よりも危機感を持って響くはずです。一方、当事者の日本人は、アメリカの支配によって日本は骨の髄まで吸い尽くされて、ひょっとすると福島県はアメリカの核廃棄物の永久投棄場にさえされるかも知れないといういう状況におそらく韓国人以上に鈍感なのではないでしょうか。平田氏の勇気あるメッセージも受け手に意味を読み取る能力がなければ、ムダ玉です。
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No Nukes! (19) 君子のふるまい

2011-05-20 | Weblog
福島第一の4号機が危機的状況にあるという話のフォローアップで、下のサイトに詳述がありました。

http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-547.html

現場の情報が限られているので、正確にはわかりませんが、建屋が傾いており、白い煙がしばしば上がっていることから、5階にある使用済み燃料の貯蔵プールの漏れがとまらず、核燃料が溶解しているのではないかという話です。フクシマはこのままお手上げとなって、放射性物質を長年に渡って垂れ流し続けることになるのかも知れません。

楽しみにしていたサミット前の内閣不信任案の提出が見送られそうだというウワサ。参議院議長の西岡さんの痛烈な空きカン批判を聞いてワクワクしながら待っていたのに残念です。西岡議長の発言から抜き書き。

菅さんがサミットの場で恥をかくというよりも、世界から(底の浅さを)見透かされるのが嫌ですね。
「『急流で馬を乗り換えるな』という言葉があるが、急流を渡れず流されているのであれば、馬を乗り換えなければならない」と申し上げたが、菅さんは急流を泳いでいない。馬に乗っているのは国民全員ですよ。
「戦後最大の国難に菅さんが首相でいることが最大の不幸だ」と言われているそうですが、その通りでしょうね。
とにかく、みんなで船(ふな)縁(べり)をたたいて、一斉に「辞めろ」といわなきゃだめですよ。
菅首相の政治手法は「こうする」とか「検討する」とか言うだけ。「いつまでにやる」「いつからやる」というのをほとんど聞いたことがない。すべてが先延ばし、先送りです。これだけの国難の中で一国の最高責任者として、国民に語るべきことを語っていないのは、首相としての資質に欠けます。


国民の99%が辞めろと言っても(支持率1%でも)石にかじり付いてでも辞めないと言った人ですから、参議院議長がどれほど痛烈に批判しても、馬の耳になんとやら、なのですかね。

さて、「公務員が国歌、国旗を否定するなら辞めればいい」「起立しないのなら、府民への挑戦と捉える」と述べて、国家斉唱時に起立しない教員を罷免する条案を提出するとういう大阪知事のことが数日前ニュースになりました。これについて多くの人が意見を述べています。

どうも、教職員組合が強い大阪という土地柄で、市町村、府の役割が複雑に入り組んでいる教育委員会制度に不満があるのが動機のようで、国歌斉唱時に起立する、しないという(些細な)問題をダシにして、教育委員会を管理しやすい形にかえてやろうという意図のようです。

君が代斉唱に抵抗する人々はイデオロギー的な理由が主だと思いますが、「君が代」は歴史的には、別に天皇制の擁護や独裁主義やファシズムなどとは無関係なようですし、歌詞そのものにも思想的に危険(そもそも、思想的な危険さというのは相対的なものですが)とも感じませんから、私は君が代が国歌として制定されて式典で歌うということには何の抵抗もありません。ロケットが飛んだり爆弾が爆発したりするアメリカ国歌の歌詞の野蛮さに比べたら、遥かに平和的でよいと思っております。ものは考えようです。
 しかし、絶対に君が代は歌いたくない、歌うと、戦時中に洗脳されてお国のために死んで行った身近な人々の無念が思い出されて、悔しさに身が震える、そんな人もいるでしょう。先の戦争のような過ちを二度と繰り返してはならない、そう子供たちに教えるために教員になったというような人もいるでしょう。ならば、私のように「君が代」は平和で良い歌だと思う人間がいる一方で、 「君が代斉唱」に危険の匂いを感じ取る感受性の高いアレルギー体質の人々もいるということでしょうから、そんなアレルギー体質の人のことも思いやれる世の中であって欲しいと私は思います。
 極端な話、国歌斉唱に強いアレルギー反応を起こして心身症を発症して健康を害する人もいるでしょう。そういう人に「公務員だから健康に害があっても君が代を斉唱しろ」と強制することが果たしてできるのか、と私は疑問に思います。ならば、国歌斉唱の強制は文化的で健康な生活を保障する日本国憲法に違反することになりますし。
 例えば、そのアレルギー反応がもっと明らかなような場合ではどうでしょうか。ピーナッツアレルギーでピーナッツを食べると喘息発作の出る子供の場合はどうでしょう。学校給食は全員同じものを食べるという規則があった場合でも、ピーナッツ入りの給食を食べないのなら規則違反だから学校をやめろ、という人はいないでしょう。ものごとには例外が常にあります。

国歌斉唱時に教師が起立せず、式の一部に参加しないということがあって、困るのは誰なのでしょう。確かに、それを見て不愉快になる参加者はいるでしょうし、学校であれば、校長は示しがつかないと感じるでしょうし、知事は現場で規則を守らなくてもよいといういう態度が蔓延すると統治にかかわる、と思うでしょう。ですから、管理者の立場からすれば、規則が常に守られている社会が良い社会であって、個人の自由度がしばしば規則違反を招くような社会は良くないと思うのは当然でしょう。そういう観点から言えば、府知事の言動は、穏やかさにかけますが本音がそのまま表れているだけだと思います。「大阪の教員や教育委員会は管理しにくい」(だから、もっと管理を強化しないといけない)というのは、管理する側の理屈であって、先生や生徒の側の現場の理屈ではありません。この知事は、教育委員会はもっと管理しやすくしないといけない(そうしないと洗脳効果が得られない)と思っていて、極論すれば、管理者が管理しやすい国民を作る事が教育だとでも思っているのではないでしょうか。そこには国民のための教育という目線がありません。
 また、国歌、国旗の否定するなら公務員を辞めろ、とか起立しないのは府民への挑戦であるとかいうのは、この府知事(あるいは管理者側)の見解に過ぎないわけで、もし、これを本気で言っているのだとしたら、知事という立場以前に人間としてちょっと狭量ではないのか、と私は感じます。

多分にこの人の挑戦的なもの言いが物議を醸した原因なのでしょう。もっと穏やかに話をすすめることもできたはずで、事実、日本の国の国民洗脳はマスコミや教科書などで心理的抵抗を引き起こさないように極めてsubtleに行われて来て、国民も知らず知らずの内に「日本的被統治民」になっていくものです。
 相手がいる場合に、相手に何かをさせようとすると普通は交渉となるわけです。交渉というものは、お互いの立場や要求を考慮しながら落としどころを探っていくもので、相手の言い分を聞かずに、問答無用の敵対的言動をすれば、それは交渉になりません。これは宣戦布告のようなものです。これでは、お互いが歩み寄って真の解決に至ることはありえないでしょう。教師は突っ張って辞めるか、嫌々ながら条例に従うふりをするかのどちらかを選択することになるでしょう。それでは国歌斉唱時の起立という形だけは整っても、心は入らず、むしろ、いやいや従わされた教師の恨みは一層増幅するでしょうし、ならば、生徒にももちろん恨みは伝染すると考えられると思います。それで、この知事が意図したことが達成できるのでしょうか。
 この知事がどういう意図でこのような挑発的な言動をしたのか、思うに、挑発的言動はアピールしますから、政治的な損得を計算した上でやったのでしょう。しかし、目的はどうあれ、私は、為政者が国民に対して敵対的挑発的言動をするという行為は気に入りません。私は、統治する立場にあるものは(少なくとも表面上は)君子の振る舞いと思いやりを見せてもらいたいと思っております。実るほど頭を垂れる稲穂かな、とも言います。上の方から下を挑発してその反動を利用するような計算高い行為は下種であり、君子の行いではありません。
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No Nukes! (18) 誠意と責任

2011-05-16 | Weblog
先週、福島第一原発事故で、比較的損傷が軽いと当初言われていた一号基が、実はメルトダウンを起こしていたという事実をようやく東電が認めたというニュースがありました。水を入れても溜まらないという話はずっとあったわけで、普通に考えればメルトダウンを起こして圧力容器を破ったと解釈するのに、東電は「メルトダウン」という言葉を避け続けたが、ついにごまかし切れなくなって認めたということです。

日経では、
東京電力は14日、福島第1原子力発電所1号機の原子炉建屋地下階の半分程度が水につかっていることを確認した、と発表した。1階では2000ミリシーベルトの高放射線量も計測したという。1号機の核燃料は溶け落ち、圧力容器や格納容器は損傷している。原子炉から放射性物質を含む汚染水が建屋内に大量に漏れ出た公算が大きい。(中略)また、経済産業省原子力安全・保安院の西山英彦審議官は14日の記者会見で「2号機、3号機も1号機のように燃料棒が(圧力容器の底に)溶け落ちている可能性は否定できない」と語った。

とあります。

「2号機、3号機もメルトダウンしている可能性は否定できない」という言い方に、私はまた誠意の無さを感じるのですが、もっとも被害が軽度だと考えられていた1号機でさえ、お手上げに近い状態のメルトダウンが起きているのだから、それよりも明らかにダメージの大きい3号機など、メルトダウンが起きていないと考える方がおかしいわけです。だいたいつい数日前にも3号機は黒煙を上げて爆発していたではないですか。メルトダウンの可能性は「否定できない」ではなく、「間違いない」と考えているのが現場の本音でしょう。
 そして、冷却し続けなければならないのに、この状態でどうするつもりなのか、今後どういう自体が考えられるのか、例によって伝わってきません。当事者は、多分、もうお手上げだと思っているのでしょうが、住民や国民の怒りが恐くて、多分、正直に言えないのでしょう。「最大限努力したが『想定外』のことが起こって大惨事になった」と言い訳する逃げ道を残したいのでしょう。大事に至っても、責任をとって挽回しようとするのではなく、国民にどんな迷惑をかけようとも、最後まで責任から逃れようとする卑怯な態度だと思います。
 因に、1 -3 号機の話しかニュースに出ませんが、宮崎学氏のサイトによると、どうも4号機も危機的状況だそうです。

報道されない4号機の危機的状況について  http://miyazakimanabu.com/2011/05/15/1054/


地震発生時、4号機は確か点検停止中だったはずなので、使用済み燃料に何らかの異変が起きたということでしょうか?このサイト(http://fukumitsu.xii.jp/syu_f/FukushimaGenpatsu_1.html)によると、4号機の総燃料量は最も多かったようで、その冷却がうまくいっていないということなのでしょうか。


東電の「誠意のなさ」については、東京新聞が社説でさらに批判。
夏の節電 見逃せぬ東電の不誠実  2011年5月14日 東京新聞

東日本大震災で東京電力の福島第一原発をはじめ、発電能力が大きく損なわれた。
節電は今夏の国民的課題だ。
しかし、その前提となる電力の供給能力など、東電の情報公開は誠実さを欠いている。(中略)供給確保の情報を表に出さず、電力不足を大々的にキャンペーンすることで、脱原発を牽制(けんせい)したと受け取られても仕方がない。(後略)


「誠意のなさ」といえば、空きカンと日本政府です。徳川時代から、社会を固い枠組みで仕切り、その枠に個人を閉じ込めることで、徳川の権力の安寧を図って来た国です。一旦、ワクにはめられると、いくら個人の能力が優れていようとそのワクを越えて上昇することは難しい封建社会が今だに続いています。逆に言えば、良いワクにさえ入れば、個人の能力は関係ない。だから、みんな東大に行って官僚になりたがるのでしょう。
 私はささやかな零細研究者でありますが、研究は結局は実力勝負で中小零細企業のようなものですから、この「システムのワクの中に入りさえすれば安泰」という世界とは対極にあります。自転車をこぎ続け、競合者との競争の中で、研究成果を発表し、研究費を工面し続けることができないと、店を畳んで、現場から去らなければならない宿命です。中小零細企業経営者同様に、何が原因であれ失敗は100%自分の責任です。想定外のことがおきて廃業となったら、それを想定できなかった自分の責任ですし、騙されたら騙される方が悪いという世界です。
 ところが、この国のエラいさんたちは、責任を逃れつつもしっかり自分の利を確保できる人間が有能だとでも思っているのでしょうか、自分の成功は自分のもの、失敗は他人の責任、という(私から見れば)「卑怯者体質」が、透け透けなのです。情けなくなります。
 外国では地位が上がれば責任は増し、それだけその責任を全うするだけの能力が求められます。日本の大きな組織では、空きカンを見てもわかるように、無能でも責任をとらなくても、一旦地位を手にすれば、そこに居座って害をまき散らし続けることができるという前近代的な社会システムです。その最たるものが官僚組織というものなのでしょう。

責任転嫁することを英語では"pass the buck"と言い、Trumanが大統領だったときの机の上には"The buck stops here"と書いてあった(最終責任は自分が負う)という有名な話がありますが、空きカンと政府に全く欠けているのが、この「最終責任は自分が負う」という覚悟というか根性と言えるのではないでしょうか。もう空きカンの悪口を言うのは健康に悪いのでやめますが、この人のサバ目を見る度に、「日本人に生まれて情けない」と悲しくなるのは本当に嫌なものです。
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No Nukes! (17)

2011-05-13 | Weblog
原発反対!
諸外国は日本政府と東電が発表するフクシマの放射線汚染のデータが怪しいと不信を募らせてきました。先週号のNatureのCorrespondenceではプリンストン大の危機管理コンサルタントのSandman氏、Lanard氏がフクシマの関係当局および日本政府が、とりわけ、将来的な展望について情報を十分に提示してこなかったことを批判しています。一般人(とくに日本国外の人)は当局の「直ちに影響はない」を疑っていますし、政府のいう見込みや計画を信用しておらず、結果として、日本製食品をさけたりヨード製剤を飲み出したりという行動に走ることになっている、とあります。政府の言うことが信用できないので、人々は自分の身を守るために過剰に反応せざるを得ないということです。
 私もこの二年弱、言うことが全く信用できないウソつきの隣人とつきあわないといけないハメになって、随分、消耗しました。相手の言っていることがかなりの高い確率でウソである場合、それにしたがって自分の行動を決めることはできません。言っていることがウソだと仮定し、最悪の状況を想定しながら、行動を決めないといけなくなるので、どうしても過剰なことをすることになります。このNatureのコメントは危機にあって、臭いものには蓋をし、その場限りの言い逃れを繰り返すし、正直でなく、情報開示に積極的でない政府や当局の行動がいかに国民に消耗を与えているか、ということを批判しているわけです。
 因みにこの号では、参謀を辞任した東大の小佐古氏の事件もSeven daysのコーナーで触れてあり、「福島原発周辺の学校での放射線安全基準はいきあたりばったり(ad hoc)で国際基準と乖離しており、高すぎる」と批判して辞任したとあります。
 日本政府の危機管理の無能に、危機感を抱いたアメリカは官邸にアメリカ人アドバイザーを常駐させて、マッカーサーさながら、空きカンに指示出しをしていたという話も明らかにされました。無能な政府が原発処理を誤るよりは、官邸がGHQ化しても、原発を収める方が優先だと私は私は思います。

しかし、最近IAEA、アメリカDOEなどが独自または共同で航空モニタリングなどを行い、汚染状況の調査の結果、日本もついにデータを隠すことができなくなって、数日前に発表した汚染状況のデータには、ショックを受けました。その時の会見の様子が下のブログに文字おこしされています。

http://www.monipo.net/blog/x/osenmap-110509/

この強烈な数字を見て、私は目眩と動悸がしました。チェルノブイリでの一平方メートル当たりの最大汚染が148 - 370万ベクレル、フクシマでの最大汚染(原発周辺を除く)は何と、300- 3000万ベクレルです。数字に幅があるのですけど、一番低い数字をとっても、チェルノブイリ並み、高い数字だとチェルノブイリの10倍の濃度の放射線汚染が、帯状に30km圏を越えて飯館村に向けて伸びています。チェルノブイリでは、強制移住などの処置をとったにもかかわらず、現在に至るまで数多の甲状腺癌をはじめとする放射線障害が出続けています。そのチェルノブイリでの処置と比べると、今の日本政府のとっている処置は極めて甘く、近い将来に多くの問題を引き起こしてくる可能性が高いと考えざるを得ません。汚染地図からみると、半径80kmのあたりでも30-60万ベクレル/平米のところがあります。
 東京を含む地域にもかなりの放射性物質が撒き散らかされたのは間違いないようで、これから5年、10年後に顕在化するであろう放射線障害のことを考えると暗澹たる気分になります。その被害者の数は、東京住人へも影響が及ぶ可能性が高いので、チェルノブイリの比ではないでしょう。チェルノブイリでは5-10年で子供の甲状腺癌が10倍となりました。放射能汚染はチェルノブイリを遥かに越え、しかも人口密集地帯へと及ぼうとしており、政府の安全対策は全く不十分なわけですから、チェルノブイリでの被害者は死亡者だけでも4000人です。フクシマではこの数はおそらく遥かに越えるレベルになるのではないかと恐れています。

先週末にも爆発があり、さっきのニュースでも一号機は原子炉に穴が開いて水位が保てず、冷却が困難になりつつあり、かつ大量の汚染水の問題を抱えて、立ち往生しているとあったように、フクシマ原発の事故は終焉にはほど遠く、日々、放射性物質が漏れ続けている状況にあります。加えて、作業員の人の疲弊、作業の難航を考えると、これから先、東日本はどうなるのか不安が絶えません。

こうなってくると、日本政府お得意の「目先のことしか考えない」、「直ちに影響がなければOK」、「何かあったら『想定外』」、と思考停止したくなりますが、目をつぶっても耳をふさいでも、飛んでくる放射能は防げませんし、フクシマの現実は変りません。

ついに、数字的には、チェルノブイリを越えて世界一の放射線事故になってしまいました。今後のaftermathはいかほどになるのか見当もつきません。しかし、起こってしまった事はどうしようもありません。とにかくフクシマを落ち着かせて、各地にある原発を廃炉にしていくしかできることはありません。それでも、もう昔の日本には永久に戻すことはできません。日本に住むということは、人が永久に住めない危険な土地を抱え、そこから飛んでくる放射能と共存せざるを得ないということを意味しています。
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No Nukes! (16) 暴君的レビュー

2011-05-10 | Weblog
原発反対!
政府は6日、中部電力に対し、静岡県の浜岡原子力発電所のすべての原子炉を停止するよう要請したと発表した、というニュース。
 これが、本当に政府が浜岡原発に危機感を持ったための行動なのか、空きカンお得意のアホーマンスなのか分かりませんが、前者であると信じたいです。断層の軟質土の上に対震偽装を施され杜撰な工事で立てられた、一触即発の浜岡原発に大事故が起きれば、本当に首都圏壊滅となるのがわかっているのにこれまで止められなかったことを考えると、残念ながら、これはGWが終わっていよいよ内閣不信任案が出されて首相を降ろされるとビビった空きカンが政権延命のために打ったの姑息な思いつきの一手に過ぎないようです。産経新聞は、首相が事務レベルと協議した形跡はなく、会見直前に決められたもので、これは「首相の保身術が生んだ『クセ玉』」と断じており、「浜岡停止により政府は原発政策の見直しを根底から迫られかねないが、首相がそこまで先を読んだようには見えない。」と結んでいます。主義も哲学も理念も何にもないスッカラカンで、あるのはバルカンならではの自己保存本能だけという大腸菌のような人ですから、誰もこの空きカンを信用していません。ほとぼりがさめて政権が保ちそうだとなれば、その情勢にあわせて手のひらの向きは日替わりで変ることでしょう。浜岡がこれで本当に廃炉に向かう可能性はむしろ低いでしょう。本人は厚顔にも月末のサミットに首相として出席するつもりで、その時に見栄をはるための実績が欲しいとも思ったようです。(個人的には、このような誠実さのない人間が国際会議で空虚なパフォーマンスをやることほど国益を損ねることはないと思いますので、是非、サミットには別の人に行ってもらいたいと願っております)だからこそ、仮に浜岡が停止になったとしても、それが一時停止で終わることなく、浜岡の廃炉、もんじゅの廃炉、そして全国の原発事業への縮小へ確実に繋がって行くように、国民が監視していく必要があります。

さて、再び先々週のNatureのWorld Viewのコーナーから。
MITのHiddle Ploeghが「ムダの多い横暴なレビューアー実験を終わらせよう」というタイトルで最近のハイインパクトジャーナルのレビューのありかたについて苦言を呈しています。
 ハイインパクトジャーナルには掲載数の何倍もの投稿がありますから、レビューアーも厳しくなるのは当然なのですが、困るのがレビューアが必要以上の追加実験を要求してくる場合です。レビューアは絶対的に強い立場にあって、論文採否が彼らの手にあるので、レビューアの要求する実験には、投稿者側はできるだけレビューアの感情を損ねないように気を使い、その実験が余り意味がないと考えられる場合でも、できる限り言われた通りにやろうとします。私の知っている例でも、期限までにS紙のリバイスで要求された実験をするために、手元に実験に必要なマウスがいなかったので飛行機でそのマウスがいる別の研究室まで往復して何とかデータを出したという人もいます。もちろん、実験結果を正しく解釈するために絶対的に必要な実験がなされていないのであれば、その実験を要求するのは当然でしょう。しかし、Ploeghも述べているように、しばしば、レビューアが要求する実験は、その原稿の結論を支持するのに必要だからではなく、そんな実験をしたら面白いだろうとレビューアが思うような「次のプロジェクト」の実験である場合が多いと思います。Ploeghが言う通り、レビューアは原稿にある結論がデータによって十分にサポートされているかどうか、データや解釈に瑕疵がないかどうか、そしてその結論の意義、を評価すれば良いのであって、レビューアが考える理想の論文にするための実験を要求をすべきでないと私も思います。その要求する実験によって論文の結論が変化せず、その結論が揺らぐことがないのであれば、それを要求することはレビューアの立場の乱用であり、越権行為であろうと私も思います。
 Ploeghはレビューアの「職権乱用」に加え、エディターも問題にしています。エディターが論文の価値をしっかりと判断して責任をもって採否を決めるかわりに、多い時には4人、5人のレビューアに見せて、多数意見を取ろうとする主体性のなさを批判しています。専門家か船頭か知りませんが、沢山いろんな人を集め、会議を乱立して仕事をしているつもりになっても何も決定することができない最終責任者がいますが、そんな感じですかね。レビューアが専門家ならエディターは判断を下す最終責任者なのだから、エディターがもっとリーダーシップを発揮するべきだということでしょう。確か、ワトソン、クリックのノーベル賞になったDNA構造のNatureの論文は、エディターがレビューなしで採択したものだったと思います。
 このムダが多いレビューア実験の弊害を防ぐために、Ploeghは具体的な提案をしています。一つは、リバイス実験を要求する際にその実験コストをレビューアに概算させること。私もこれはいいアイデアだと思います。レビューアも現実と理想をきっちり区別する必要があります。レビューア自身も研究者なわけですから、自分が要求する具体的な実験労力とコストを見てみれば、それをやらされる側の気持ちもわかろうというものでしょう。そして、第二は、雑誌専属ではない現場のアカデミアのエディターにレビューアの要求する実験が理にかなっているかどうかをしっかり評価させることです。超一流紙でなければエディターはアカデミアの人が片手間にやっている場合が多いでしょうから、これは一流紙ならではの問題でしょう。そして、第三にレビュアーに論文の採否をYesかNoでまず評価させること。私もだいたい賛成です。想像するに、レビューアは大抵、まず、論文をざっと読んでみて、評価する論文がその雑誌にふさわしいかどうかを素早く判断してから細部をみていくものだと思いますから、どっちにしても、YesかNoかはレビューの早い段階でレビューアの心の中にあるのではないでしょうか。
 レビューアも投稿者も同じ研究者なので、暴君的レビューを受けた人がレビューアとして他人の仕事を評価する場合に「やり返す」ことでウップンを晴らすような場合もあるでしょうが、逆にそれをを反面教師として、必要以上に厳しいレビューは、やったらやり返されるのだ、と考えることも可能でしょう。ピアレビュー活動は研究界で必要不可欠なボランティア活動ですから、同じやるのであれば、レビュー活動が同業の研究者の足を引っぱるのではなく、建設的な価値をもつようにと心がけたいものです。
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No Nukes! (15) 911の幕引きを図る米政府

2011-05-06 | Weblog
原発反対!
先週号のNatureでは、IAEA(国際原子力エネルギー機構)がフクシマの状況を伝える時に、"white smoke"が原子炉から上がっているという表現をしばしば使っているのに対して、記者会見での記者が、どうしてwhite smokeに「"」マークがついているのか、と質問したという話が載っています。この引用を示すマークは日常英会話でもよく使われ、引用マークをつけたい言葉を話す時に、両手の人差し指と中指を立てて二度上下に動かす動作をします。これは、引用マークのついた単語ズバリの意味ではなく、何らかのconnotationを暗に付加する場合に使われるので、記者は「white smoke」には何か隠された意味でもあるのか、という意味で質問したワケです。対して、IAEAのDenis Floryは、日本の正式の文書に使われている「白い湯気のような煙」をどう訳するか協議した結果、「"」マークつきの"white smoke"にした、と答えたという話。これは、日本の当局に気を使って、日本の報告からなるべく外れないようにしようとするIAEAの立場の弱さを示す一例としてあげられたものです。この記事では、日本が情報開示に積極的でなく、混乱を生んできたと日本を非難する一方で、IAEAがnuclear watchdogとしての機能をもっと積極的に果たすべきだという趣旨のようです。私も、核という事故がおこれば世界中に破滅的影響を及ぼしかねないものを扱っているのだから、国の事情を「忖度」するような監視機構では役に立たないと思います。国家を超越した権力をもって、事故の時は積極的に介入していくような機構が必要であろうと思います。


ビンラディンが暗殺されたというアメリカの発表ですが、インターネットでの感触では、このニュースを信じていない人がかなりの割合でいるようです。
普通なら、生け捕りにして裁判にかけるというのが筋であるのに、最初から殺す算段でのオペレーションをとったこと、死体は早々と海に流して処理したこと、オバマは、オサマ ビンラディンが死んだことを示す証拠写真を公開しないと決めたこと、怪しさマンマンです。残酷な写真を公開することで、イスラム過激派やアルカイダを挑発することになるとかいう最もらしい理屈を述べていますが、ノー天気なサラペイリンは写真を公開するのもミッションの内だと、蚊帳の外から無邪気な正論を述べたそうです。
 私はオサマ ビンラディンが腎不全で何年も前に死んだという話を聞いていたので、本当にそんな写真が存在するのか怪しいと思っています。2000年時点で、フランスのフィガロ紙にはビンラディンは人工透析が必要な状態であることが報じられており、パキスタンのオブザーバー紙には、ビンラディンは2001年の12/26に死んだと報じられたそうです。2002年にパキスタン大統領ムシャラフはビンラディンは死んでいると考えていることをCNNは報道。とっくの昔にビンラディンが既に死んでいると公式に発言した人は、アフガニスタン大統領カルザイ、FBIテロ対策長デールワトソン、イスラエル諜報部、元パキスタン大統領ブットなどなど。その後、2006年の8/23にビンラディンは重い腸チフスを患って死んだとのサウジアラビアの諜報機関の情報を引用したフランス諜報部のメモがリークされたそうです。いずれにしても、もしビンラディンの腎不全が本当なら透析が必要な慢性腎不全患者が、透析設備もないような山中で長期間活動していたという話はおかしいです。

アメリカマサチューセッツの一年生上院議員、スコットブラウンは、「証拠の写真を見たからオサマは死んでいる、陰謀論に惑わされないように」とインタビューで述べた後、実は「見たのは、出回っていたニセモノの写真だった」と前言を撤回したお粗末ぶり。逆にそれだけ、陰謀論、即ち、今回のビンラディンを殺したという政府の公式見解に疑いを抱く人ば多いということを示しているのでしょう。
 オバマは、ご丁寧にもニューヨークのグラウンドゼロを訪れて、911で亡くなった人に献花するというセレモニーをするらしいです。これで911を幕引きしたいということですね。ブッシュはそのセレモニー出席を「スポットライトを浴びたくない」と断ったそうですが、911の政府の黒幕は当時のチェイニーとブッシュだという話もありますから、あるいは良心の呵責かも知れません。

911は陰謀説が絶えず、Wikipediaの「アメリカ同時多発テロ事件陰謀説」(http://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ同時多発テロ事件陰謀説)によると、ニューヨーク市民の4割は、アメリカ政府首脳は少なくともテロ計画を事前に知っていたと考えており、2割のカナダ人は、ビンラディンは911とは無関係で、本当はアメリカの陰謀であると考えているとあります。イタリアのコシガ元大統領は911はアメリカの内部犯行であると新聞のインタビューで述べましたし、去年の秋の国連の演説で、イランの大統領も、アメリカ代表のいる面前で、911はアメリカの自作自演だ、と述べた話も話題になりました。
 映画プロデューサーのアーロンルッソが911が起こる一年程前に、黒幕のロックフェラー家のニックロックフェラーとした会話の内容を暴露した映像がYoutubeにあるのを、私は最近になって知りました(http://www.youtube.com/watch?v=EeWqlJHzcSo)。そこでロックフェラーは次の事を語ったとされます。
1) これから「ある出来事」が起こる。2)「ある出来事」によって、米軍はアフガニスタンに侵攻する。3) さらに、イラクに侵攻して油田を確保して、中東に(米軍)基地を構築してこれらの地域を「New World Order」に取り込む。4) これらの米軍侵攻の全てが、「巨大なでっち上げ」である。ルッソはこのインタビューの一年後に死んでいます。
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ネットの言論弾圧

2011-05-03 | Weblog
4/30に川内議員がTwitterで、原子力安全委は開催されていないのに、「議論の結果、小学生の被爆レベルを20mSv/yと決めた」と空きカンが国会答弁でウソをついた話を、あるブログ(goo ブログ)にコメントしようとして、下のリンクをコメント欄に含めると、コメント投稿が拒否されました。他のgooブログでも同様に拒否されます。このリンクを少し変えると投稿が許可されるので、gooブログ側が、このリンクを特異的にブロックしているようです。このリンクは川内議員のTwitterですが、この国の政府が(おそらく)ブログサイトに手を回して、ブロックしているのでしょう。小汚い言論統制です。

http://twitter.com/#!/kawauchihiroshi/statuses/64181158258278400

以前にも、Youtubeなどで特定の言葉を入れるとサーチがブロックされることがありました。今の日本政府がやる薄汚い小細工は、北朝鮮も真っ青です。
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No Nukes! (14) 殺人産業と犯罪内閣、ビンラディン

2011-05-03 | Weblog
原発反対
原発は、クリーンでも安価でもない、極めて危険な技術であり、作業員の命を金で買い、地域住民の健康を危険に晒す、殺人産業です。そして、下に非難されているように、原発利権を擁護し、情報を隠蔽し、安全基準を根拠なく恣意的に操作して、国民を危険に晒し続ける、空きカン内閣は殺人内閣の犯罪者集団であると言えます。原発事故の免責を認めるな。東電を解体せよ。

先週末に話題になったニュース。

東京電力福島第一原子力発電所の事故への対応に当たるため、先月、内閣官房参与に任命された小佐古敏荘・東大教授(放射線安全学)は29日、国会内で記者会見し、「政府の対応は法にのっとっておらず、誰が決定したのかも明らかでなく、納得できない」として30日付で参与を辞任することを明らかにした。
 小佐古氏は29日夕、首相官邸を訪れ、菅首相との面会を求めたが、実現せず、秘書官を通じて辞職願を提出、受理された。

 その後、記者会見した小佐古氏は、辞任理由について、「今回の原子力災害で、官邸の対応はその場限りで場当たり的だ。提言の多くが受け入れられなかった」と語った。具体的には、政府が示した年間20ミリ・シーベルトという小学校の校庭の利用基準などを挙げ、この数値を小学生などに求めることは許し難いと指摘した。


要は、政府が「法と正義」「国際常識とヒューマニズム」に基づく対応をおこなっていないことを批判しているわけで、言い直せば、日本政府は無法者非常識非人道的だ、ということです。恥を知れと言いたいです。アホウ氏なら「恥」という漢字は読めなくても意味ぐらいは知っていたでしょうが、空きカンに至っては「恥」という言葉の意味、ひょっとしたらこの言葉の存在さえ知らないのではないかと思わされます。

さらに川内議員のツイート。
@kawauchihiroshi川内 博史
菅直人総理大臣が、学校の放射線量の基準値について、「原子力安全委員会の議論で決めた」と答弁。何度でも言います。安全委員会は、開会されていない。即ち、議論していない。なぜ、こんな答弁するのか、理解に苦しむ。
4月30日Keitai Webから
http://twitter.com/#!/kawauchihiroshi/statuses/64181158258278400


空きカン、国会答弁で平然とウソをついた様子。

原発利権と東電の無責任、隠蔽体質が呼んだ悲劇の大災害、「フクシマ」ですが、災害を更に悪化させ続けていると非難を受け続けて来たのが、史上最低の無能内閣、「空きカン内閣」でした。無能だけならまだしも、空きカンには「人間性に欠陥がある」と数多の人々が指摘する通り、人間としてもっとも大切な「誠実さ」と「思いやり」というものが全く欠如しています。空きカンが政治の師と呼ぶ市川房枝さんが、生前に、空きカンのことを「信用できないから心を許すな」と秘書に言っていたというエピソードはよく知られていますし、市川さんの自著(私の国会報告)で、空きカンが後に自分の選挙で、勝手に、市川さんの名前を使いまくり、市川さんの支持者に選挙運動やカンパを強要して(迷惑した)という話が残されています。十年余り前も不倫相手に「あれほど薄汚い男だとは思わなかった」と吐き捨てられた話も週刊誌を賑わせたこともありました。

小沢氏は、民主党が参院選で勝つことができるようにと鳩山氏と共に身を引き、空きカンを代表に据えました。結果は見るも無惨なことになりました。このドアホが首相の座に座った瞬間から、バルカンならではの小汚いズルさと無能を全開にし、参院選は惨敗、マニフェストは無視、統一地方選の史上最悪の惨敗、衆院補欠選挙では候補者さえたてられず、あの政権交代から一年ちょっとで、最低最悪の党にしてしまいました。加えて、この空きカンの無能なること比なく、未曾有の震災と放射線事故という国家の危機でさえ、己が首相に居すわることしか考えず、国民に非常なる苦しみを与え続けています。このドアホのことを考えると余りにハラが立つので、自分の健康のためにやめますけど、GW明けにはさすがに内閣不信任案が与党から出されるという前代未聞のウルトラCで空きカンにとどめが刺されるというウワサもありますので、もうちょっとの辛抱だと思いたいです。

小沢氏は、騙されたとは言え、自分がこの空きカン内閣を作ったようなもので、この空きカンを引きずり降ろす責任がある、と言ったらしいですが、与党内部からの内閣不信任を突きつけるという意味なのか、あるいは、小沢派、鳩山派が、国民新党あたりと合流して、亀井氏を担いで、力づくで空きカンを踏みつぶすのか、とにかく、かなり劇的なことが起こるような気がします。ただ、不安が残るのが、お坊ちゃんで人が良すぎる優柔不断の宇宙人で、この人が情に流されず正しい決断できるかどうかですが、さすがに空きカンのことはハラに据えかねているでしょうから、やるときにはやってくれるだろうと思っています。

それにしても、人を見る目というのは大事です。人を見抜くには直感を鍛えておかねばなりません。理屈や論理の積み重ねで判断はできないものです。私は、自分の直感を軽んじて、理屈を重んじたために、痛い目にあったことが何度もあるので、理屈や論理というものが、将来のことを考える上で如何に信用できないものかは実感しています。平時ならば、ウソつきにも五分の理もあり、人間だれでも欠点があるものですから、包容力を持って人を信頼すること(ワキが甘くフトコロが深い)はリーダーとして大切な資質です。しかし、大事においては別です。誤った人間を信頼して害を招くようなことをしてはなりません。小沢氏、苦労も成功も若い時に経験し、20年前は与党の自民党を幹事長として動かしてきた人間です。思うに、空きカンという人間の人を見る目がなかったというより、おそらく「人間の善意を信じたい」という自らの願望が、空きカンへの評価を甘くしてしまったのではないか、と私は思います。しかし、日本はすでに困難な局面で未曾有の大災害を迎えた非常事態です。これ以上誤りを積み重ねる余裕は残っていません。一刻も早く空きカンを引きずり降ろさなければ破滅への加速度は制御不能になります。思えばチェルノブイリはソ連崩壊の序曲でした。ソ連崩壊後に、旧ソ諸国の人々は極度の食料、物資の不足で辛酸を舐めました。ナガサキ、ヒロシマが日本の帝国主義を終焉させ、アメリカの属国となって戦後の経済的発展を目指すように社会が変わったように、フクシマは日本に巣食う官僚組織という怪物を崩壊させるかも知れません。しかし、それは一般国民にも大きな痛みと犠牲を強いることになります。


緊急ニュースで、オサマ ビンラディンを米軍が殺害したとの発表がありました。真偽の程はわかりません。以前聞いていたところだと、ビンラディンは5-6年前に末期の腎不全で既に死んだという話でした。最近の本人の声やビデオは、以前のものやあるいはソックリさんをつかったニセモノであるというウワサでした。
 ニュースでは、一年前ぐらいから居場所をつきとめていたが、今回襲撃を決断して踏み込み、相手が反撃してきたので、頭部を射って射殺したという話ですが、肝心の遺体は既にイスラムの伝統にのっとって処理され、頭部を射ったので顔面の確認はできず、DNAテストをして本人かどうかを確認するという話です。怪しいですね。DNAテストでどうやって本人を確認するつもりなのでしょうか?アメリカは既にビンラディンやあるいはその親や子供のDNA finger printを持っているとでもいうのでしょうか?そんな情報なしにはDNAテストで本人かどうかを確認することなどできないと思うのですが。
 これで、内部犯行説が絶えない9-11テロの幕引きを図ろうとしているのではないのか、と勘ぐりたくなります。ビンラディンを殺害したが、遺体は処理されてしまい、頭部を射ったので顔もわからず、本人かどうかもわからない、まさに闇から闇です。フセインの時とは大違いです。そもそもアルカイダはアメリカが冷戦時代のソ連に対抗するためにビンラディンと共に作ったものと聞いています。そのつながりがどのようなものであったか知りませんが、このニュースが本当であれ、あるいはヤラセであれ、どっちにしても、アメリカとしては、9-11の疑惑を闇に葬る口実になったでしょう。オバマにしても財政困難と不景気にあえぐ国民の気をそらせ、アフガン撤退の口実にもなるという一石三鳥ぐらいの効果を期待しているであろうと思います。
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