百醜千拙草

何とかやっています

平常心是道

2019-07-29 | Weblog
面白い実験を思いついたのですけど、おおっぴらに言うと「そんなことをしてどうするのだ」と批判されそうなものなので、コッソリとやっています。自分でも、最終的にどんな結果になるのか、ちょっと予想がつきません。結果次第では実験は正当化できるかも知れないという類のものです。

よほどバカげたものではない限り、何でも一度ならやってみる価値があると思っていますので、できる範囲でやってます。何か、瓢箪から駒、みたいなことがおこらないとも限りませんし。

一方で、メインのプロジェクトはコケまくり。軽い気持ちで始めた二、三の小さなプロジェクトは、有意義な結果に繋がらず、撤退。時間はどんどん経って行くのに成果は上がらず。月曜日の明け方に鬱っぽい気分で目がさめるのは辛いですが、平常心を保つ訓練にはうってつけの状況です。

平常心といえば、平常心是道という禅語があって、この平常心は、現代のわれわれが普通に使う意味と若干異なっています。

、、、「平常心」とはどういうものであるか。それは、わざわざ修行などしないこと。これは善いこと、これは悪いことなどという価値判断も要らぬ。取捨選択というような選り好みもしない。この世界にはいつまでも無くならないような永遠な実体があるとか、もともと何にも無いんだとかいうような固定観念を持たない。また、これは凡人の見方だとか、聖者の見方とかいうものを持たないことを言うのである。、、、

また、曹洞宗西光寺の法話のサイトでは、この言葉に関して次のような解説があります。
、、、では趙州の悟ったものは一体何だったのでしょうか。
それは「無心」です。、、、、「無心」については、前回の「達磨安心」でクドクド"説明"した通りです。ですからすでにお分かりのように、この公案の狙いもまさに「無心」の実体を悟ることにあるのです。
では「無心」の実体とは何でしょう。それは「あるがまま」です。、、、、「あるがまま」に「分別」が付着することで「妄想」となるのです。妄想は欲望の根源です。、、、、

というわけで、平常心とは分別や妄想のない素直な心のことのようです。

研究という知の追求の活動にグラントや論文や名誉心などがくっついて欲望となり、欲望が満たされないがために、ますます、ありのままの平常心が失われる、ということでしょう。

負け惜しみに聞こえるでしょうけど、カネや名誉やキャリアよりも平常心の方が大切だと私は思います。

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Mind the Gap

2019-07-26 | Weblog
一年後のグラントのアイデアと計画をこの半年ほど、ずっと考えているのですが、なかなかいいものが出てこず、苦しんでおります。少なくとも締め切りの三ヶ月前ぐらいには、具体的な計画が煮詰まり、それをサポートする強い予備データも揃いつつなければなりません。逆算すると、もうあまり時間がありません。

審査する方がやる価値があると思ってくれる研究計画で、実現性の比較的高いものを出す必要があります。「やる価値がある」研究は、審査側の都合で決まるわけですけど、こちらには各審査員を選ぶ権利はありませんから、広く、分野の人々のコンセンサスに基づき、分野のニーズにあったものであり、ある重要な問題をうまく解決できる方法を提示する、という形で書くことが望まれます。

分野のニーズは色々ですけど、基本的には、隙間を埋めるものです。臨床のニーズだと、よい治療法がない、診断法がない、などの問題を細かく分析していって、その解決を阻んでいる穴に直接アドレスする、基礎研究であれば、ある知識とある知識の間にある隙間を埋めることによってよりcomprehensiveな概念を作る、応用研究だと、ある目的を達成するのにボトルネックとなっている部分の穴を埋める、などという形が考えられます。隙間を埋めて一続きにする、橋渡しをする、そういう研究計画が好ましいと思います。

思いつく研究アイデアから、これらの条件に合致しないものを外すと、1割も残りません。その中で、審査員をワクワクさせることができるもの、を探していくと、何も残らず、結局、振り出しに戻って、一からやり直し、と、このサイクルを延々と続ける羽目になっています。

ちょっと話が変わりますけど、しばらく前、初めてロンドンに行った人が、英語圏でありながらロンドンはいろいろユニークだと、地下鉄を例にあげて、話をしいてました。地下鉄は普通、サブウェイとかメトロと呼ばれると思いますが、ロンドンではその形状からTubeと呼ばれており、電車とプラットフォームの間の隙間に注意を促す、"Mind the gap"という駅の構内放送は名物になっているらしく、"Mind the gap"グッズもロンドン土産で売っているという話でした。多分、イギリス以外ではこういう言葉遣いはしないからでしょう。

グラントの心配をしながら、この雑談をしていたわけですが、研究計画を書く上では色々な現実的な制約にどうしても縛られるわけですけど、たぶん、一番大事なのは、これだな、と思いました。ニーズに応えること、それは、知識や臨床や技術の隙間を埋めることです。大きな隙間、小さな隙間、いろいろとあります。しかし、それを埋めることで地つづきにできれば、そこを大勢の人々が通ることができ、大きなインパクトがあります。

それで、私のグラントと研究のスローガンはこれにしました。

London Tube "Mind the Gap"

研究イメージ的にはこんな感じですかね。

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参院選帰趨

2019-07-23 | Weblog
参院選の結果は、まだまだ道遠しですが、希望を持たせるものでした。「れいわ」は当選者はALSの舩後さんと木村さんが比例特定枠で当選。重度身体障害の国会議員、これは国内外のメディアが大きく取り上げるでしょう。また当選者こそ目標の5名には届かなかったものの、比例での「れいわ」の得票率は4%、東京選挙区での野原さんの得票率は3%を越え、政党要件をクリアしました。この急ごしらえの政治団体が4.5%の比例票を集めるというのはすごいことです。前回、山本太郎が東京選挙区で集めた票が60万。今回、れいわが集めた票は200万。これらをテコに次の衆院選ではより有利な戦いができます。今回の山本氏の落選は残念でしたが、これは想定内、次の衆院選では党首討論に出てきますし、メディアも正式な政党である「れいわ」を無視できませんし、政党助成金で金銭的にもかなり有利です。今回、個人献金を集め10人を擁立して、その固く閉じられていたドアに片足を突っ込み、硬い既得権を守っている鎧にヒビを入れました。次の衆院選が楽しみです。

それにしても、やはりこれは有権者の問題。誰が投票しても一票は同じ重みです。民主主義教育を怠り、一億総白痴化政策をとってきた政権の作戦が効いています。今回の投票率は五割を切りました。アメリカなら大学教育を受けている都市部の若者の投票率はおそらく8割以上でしょう。市民は民主主義国家の当事者そのものであり、投票は社会の構成員としての義務であると考えていると思います。

大阪選挙区、辰巳さん、亀石さんの落選は残念です。そして、代わりに当選したのが、維新と自民と公明党、ちゅーのが悲しいです。野党のフリをする与党の補完勢力にしか過ぎない維新、大阪が強いというのはただの地元びいきでしょう。維新の比例で鈴木宗男が当選。被選挙権を回復してから数年前からひたすらロシア外交ど素人のアベにゴマをすりまくっていた鈴木宗男ですから、これも維新は自民の補完勢力であるという証拠の一つなのかもしれません。

本当の保守なら、これらの詐欺集団ではなく、野党に入れるべきです。どう考えても、立憲やれいわの方が保守。共産党ですら、アベ自民党に比べたらはるかに「保守」です。メディアはいまだに「右と左」、「保守とリベラル」というような単純なラベルを貼って単純化したがり、自民党は自動的に保守政党と考えますが、違います。イデオロギーで党色を塗り分けられたのは50年前の話。あえていうなら、今は「右か左」ではなく、「上と下」の戦いです。民主主義を蹂躙し一部のカネと力を持っているものが大多数の国民を奴隷化するのを推進する売国政党、つまり現在の与党と維新、と、国民の生活が第一のそれ以外の党、です。そして、立憲主義に基づいて憲法を守ろうとするのが保守、手前の都合の良いように憲法を変えてしまえ、というのが独裁アベ政権です。自民党と公明党が、保守ではなく、憲法を変え、消費税を増税し、福祉を削り、税金を自分の取り巻きに横流して、国民生活と日本の社会基盤を破壊しようとする危険で凶暴なテロ組織なのは、元衆議院議員の平野貞夫さんによって、アベが内乱予備罪で告発されたことに示されています。そして、公明党は、カネと力に目がくらみ、「平和と福祉を破壊する党」と成り果てました。

わざわざ、自分の首を締め、搾取しようとする連中に投票する大多数の「下」に属する人々は、もう集団自殺するために群れて飛ぶイナゴの大群のようです。たとえ、死に向かって集団で飛んでいても、自分の頭で考えて行動するよりは、何も考えずにみんなと一緒に飛んでいる方がとりあえず「楽」だ、長いものに巻かれる方が「楽」だという刹那主義的思考停止の結果かもしれません。

それにしても、与党の徹底した低投票率を目指す作戦、は本当に情けない。胸を張って堂々と成果と政策を訴えたのでは、支持を得ることができないのがわかっているので、一般市民には選挙があることさえ周知させないように、マスメディアには選挙の話題を極力控えさせる。
もっともクソなのがNHK。久米宏、生放送で、メディアが政権に人事と予算で首根っこを押さえられているような国は先進国とは言えない、と批判。「れいわ」の応援に駆けつけた森達也監督、取材にきていたメディアに向かって、(もはや社会現象となったれいわ)を報道しないのなら、記者でも報道でもない、単なるサラリーマンだ、と批判。れいわの選挙後の記者会見でも、山本太郎氏、いつまで、政権のケツを舐めるつもりなのか、とNHKを批判。

与党の姑息さ、卑怯さには限りがないですけど、失笑の的になったのは、公明党党首の山口氏の選挙ポスター。「公明党」の「こ」の字も書いてありません。公明党を全面に出すと票を失うと思ったのでしょう、党首のクセに。それからアベ、批判を恐れて、コッソリと演説日程を隠して選挙応援にくるような臆病者の腰抜けが総理大臣。「アベのステルス演説」と言われていますが、今回の選挙戦でも、「アベ辞めろ」と叫んだ一般人を警察に排除させ、派遣労働者のサクラを雇ってツアーバスで演説会場を固めて抗議の人々を遠ざける作戦。このアベの行動は、まさに、恐怖にかられ、自分に自信のない人間のそれです。 ま、この男もさすがにこれまででしょう。



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Think outside the box

2019-07-19 | Weblog
しばらく前、尊敬する知り合いの有名研究者の人と学会でたまたま会いました。普通はこの学会には来ない人ですが特別に講演で招かれたとのこと。十年ほど前に、遠くの大学の再生医療研究所の所長になって移ってしまってから、会う機会もなくなってしまいました。この方は分子別でやっていた世代の人で、臓器で言えば、脳、骨格、腎臓の発生学的研究をしていた人ですが、学会で会ったぐらいの頃、骨格系と脳の研究プログラムを閉鎖して、腎臓一本に絞ったので、その理由を聞いてみたところ、「腎臓病は有効な治療が乏しく、基礎研究も進んでいるとは言えない。自分は基礎研究者だが、施設を変わって腎臓病の患者さんと実際に関わることが増えて、腎臓研究により使命感を感じた」との話。

ついでに、厳しくなる一方の研究業界で、今後研究者はどういう風にやっていくべきかということも聞いてみました。これに関しては「Think outside the box」といういささか陳腐な答えが返ってきました。ま、しかし、競争が激しくなっているところで、カネなしヒトなしヒマなしの零細研究室が、皆と同じことをやっていたのでは将来はないし、中国のようにマンパワーに優れたところと力技では勝ち目はないわけで、誰もやりそうにないことをやらないと生き残れないのは、当たり前といえば当たり前です。そのためには、同じ分野の人々が思いつく限界を突き破ったところを目指すしか勝機はありません。

もう一つ英語で良く聞く表現に"Push the envelope"というのがあります。限界を内側から押し広げ、領域の外にある解を考えることによって限界の突破を図る、とくに零細研究室では、そんな研究をやるしか生き残る道はなさそうです。言うは易し行うは難しの典型例ですが。

一方、これらの戦略を大胆に行動に移したのが山本太郎。行動することは何よりも大切です。たった一人、政党要件も満たさず、メディアにも無視されつづける弱小政治勢力がこの三ヶ月あまりで成し遂げたことは、驚嘆に価します。原発事故から政治活動に飛び込むのにも躊躇しませんでした。そして参議院議員に当選してからの6年、地道に街宣をやり、炊き出しボランティアに参加し、専門家の門を叩いて経済を勉強し、国会ではアベ政権のデタラメを厳しく糾弾し、と並の人間の数倍もの活動を通じて基礎体力をつけてきました。そして、今回の参院選、野党の不甲斐なさを見て、大胆な戦略をとり、圧倒的な行動力で、組織に頼らず、一般市民献金によって3億という驚くべき額をあつめ、普通では考えつかないような人選と選挙戦略によって、10人の候補を擁立し、われわれを驚かし、興奮させてきました。まさに、outside the boxを考え、驚くべき行動力でenvelopをpushした結果です。そして、これらを成し遂げる原動力となったのは、彼の真摯な思いと情熱でしょう。これらの誠意と情熱に基づいた努力は、今回の選挙ではなくても、必ず形となって実るでしょう。(物理法則ですから)




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一人で国会を変える、山本太郎の戦略

2019-07-16 | Weblog
ネットで見る限り、山本太郎のれいわの熱狂は、グッとくるものがあります。街頭演説で1000人を越えるかのような人々が集まり、拍手を送っています。サクラを動員してようやく100人の自民党とは熱気が違いますね。大昔、ビートルズがやってきて、興奮しすぎて失神したりするファンが出て社会現象となりましたが、それを思い起こさせます。 それでも、魂を売ったTVメディアは、この社会現象を報道しません。


山本氏の選挙戦略も、なかなか素晴らしい。比例の第一、第二位に重度障害者の候補を当てる。最初は私、その真意がわかりませんでした。政治は権力争いであり、その権力を得るには選挙で勝たなければならない。無名の障害者の候補を出すことが、選挙に勝つ上で得策なのか、と思いましたが、よく
考えると、山本太郎はもっと冷静沈着に、かつ現実的にこの選挙を考えているのだと思いました。

つまり、多数決で物事がきまる国会では、いかに権力を握るかを各党が考えており、それに向けて選挙戦略を決めるわけです。政治は、権力、多数を取らないと「変えられない」と思っている。とくに、数に任せて、やりたい放題、法律を無視して少数派の意見を踏み潰し、答弁という時間稼ぎでアリバイをつくって強行採決して国会を形骸化するようなアベ政権のようなヤクザとの争いに勝つには、数と力で圧倒するしかないという結論に達せざるをえません。しかるに、この金と組織力で固められたこの独裁政権を力づくで退場させるのは容易なことではありません。うまくいっても何年もかかります。それを待っていられない状況に日本はあります。

山本太郎は、今の野党共闘のレベルでは今回の参院選でも次の衆院選でも権力争いに勝つことはできないと冷静に判断しているでしょう。今回の参院選でも、山本の「れいわ」も取れて3議席と計算しているはずです。つまり、比例で一人か二人、自身は落選、という結果を予想していると思います。その1-2議席で、アベを止められるかと言われると止められない。ならば、その議席で、とにかく最大の影響を与えることができる戦略をとる、それがこの比例の人選ではないでしょうか。

比例区では山本の名前で、この重度障害者の候補者の少なくともどちらかは当選する可能性が高いわけです。そして、これらの障害者の方が当選した瞬間に、国会は変わらざるを得ないのです。国会から障害者対策を始めないといけなくなる。それをレバレッジにして障害者の議員が社会的弱者の人々のアドボケートとなって、世論を動かしていくことになるでしょう。歴史初の重度障害者の国会議員、メディアも無視はできないです。山本太郎はそう考えているのでしょう。これは山本太郎本人にはできないことです。過去6年、もっとも鋭くアベを糾弾した結果、国会で少数派の力の限界を実感せざるを得なかった山本太郎、少数派が一人でも国会を変えるインパクトを与える戦略を練った結果が、自身ではなく、重度障害者を国会に送り込むという「奇策」であったと思います。

つまり、与党や無関心層は山本太郎一人ではどうせ何もできないだろうとタカを括ってきたわけですが、障害者議員なら、一人が国会を変え得るのです。二人であれば、尚更です。

そして、東京選挙区。創価の野原氏を擁立し、公明党党首と対決させる。これもシビれます。野原氏は創価学会の教えに沿って正論を述べるだけで、それがそのまま公明党批判になっている。マトモな創価学会員なら、野原氏を支持せざるを得ない。つまり、ここも現役の創価学会員に公明党を真正面から正論をもって批判させることで、たった一人の候補者が、選挙の結果に関わらず、公明党の支持基盤にヒビを入れることができるのです。まして、野原さんが当選して、国会で公明党を批判すれば、その与党へのダメージはかなり大きなものとなるでしょう。

山本太郎が、今回の独立から見せた素晴らしい情熱と才能は驚くべきものがあります。若さと情熱とイノベイティブな戦略と冷静な頭脳、加えて努力家であり、演説も上手くなりました。

もしも、このれいわの熱狂をTVが報道し出せば、転がる雪だるまのように支持は急激に拡大するでしょう。野党は山本太郎を中心に共闘することになり、真性保守を掲げる野党が、カルト右翼政党と成り果てた自民党と対決することになる。
そうなれば素晴らしい、と思います。その可能性もあると私は思います。戦略と行動力の山本氏を革命家、チェ ゲバラに喩える人もいました。(https://www.youtube.com/watch?v=vyLyQ7hoxBU&feature=youtu.be) なるほど、民衆に支持される革命家、という共通点があります。
Hasta Simpre Commandante (Che Guevara)、サンタナの演奏で。


民主主義の正道を通り、ゆえに保守を掲げる山本氏は、革命家よりも、総理大臣がふさわしい。数年後に、山本太郎が総理大臣になれば、それは、JFKやオバマの時のような現象が起こるでしょう。小沢一郎も、引退前の最後のご奉公、山本太郎を担いで最後にデッカい花火を打ち上げてもらいたいと思うのですが。
結局は国民次第ですが、この国の悲惨な現状が十分理解できているとは思えません。それが一番の問題です。

誠実に努力をし、真摯に語りかける人の言葉は、心に響き、人を動かします。口先だけで「真摯に向き合う」といい続けるだけのペテン師が誰からも相手にされなくなるのは、今回のG20での各国首脳のアベに対する振る舞いをみれば明らかです。
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体に合わない服

2019-07-12 | Weblog
特に何というほどの興味も持っていなかった研究分野を、「">大学院の枠で空いているのはこの分野だけだから」と言われてやり始めたのが、今の私のキャリアにつながっています。正直、この分野には多少詳しくはなりましたが、今でも研究システムとして使っているだけで、この分野のコアな専門家の人々の興味を私は共有できません。私の興味を持っていることは分野からすると結構ズレいて、そういう理由で私はどの分野のコアな人々とつるむことなく、フラフラと根無し草のようにやってました。 

近年、研究分野は臓器別でかなりきっちり分けられるようになって、臓器を簡単に変えることは難しくなりました。昔は分子別という区別もあり、例えば、Notchのシグナルを研究している人なら、脳や造血器などなど、その分子が重要な働きをするいろいろな臓器を同時に扱う人がいました。今はなかなか分子別のアプローチでは専門家からは認めて貰えません。ま、その臓器別での研究分野分別のおかげで、私もこの分野の片隅にいまだにいるわけですが。

ふと、キリスト教作家であった狐狸庵先生、遠藤周作さんのキリスト教について話を思い出しました。有名な話ですが、遠藤さんは、日本人である自分にとって、キリスト教は、(母に着せられた)体に合っていないブカブカの洋服だったと喩えています。葛藤の末、そのブカブカの洋服を日本人の自分に合うようにと仕立て直すことがご本人にとってのクリスチャニティーであるというようなことを述べられていたと思います。私にとっての今の研究はこれに近いです。過去十数年、この研究分野と私のやりたいことを擦り合せながら隙間的なことをやってきました。私のやりたいことには使命感も大義もありません。面白そうなことで何か自分ができることをやっています。ま、しかしそれでは金を出す方も分野の人々も納得してくれませんので、一応、真剣に皆の役に立つようなことをやろうと心がけてはおります。 

もとを正せば、科学研究というものそのものが18世紀の西洋で生まれたものであり、現在の生命科学に関して言えば、ヨーロッパそしてアメリカで発展した分子生物学が基本になっており、日本人も全盛期後半は大挙して欧米に留学し、研究を学んでいたのでした。だから日本人にとって、科学研究そのものがブカブカの洋服とも言えます。それでも、アジア人とバカにされつつも、コツコツと実験をし、タドタドしい英語で学会発表をし論文を書く努力をつづけてきたおかげで、前世紀の終わりと今世紀の初頭には、日本からの華々しい科学の成果が国際的に認知され、尊敬を受けるようになりました。ブカブカの洋服を仕立て直し、舶来ものとは言えぬほど、科学や工学は日本で進歩し根付きました。

私も若いころは、「科学」というものがヨーロッパで生まれたものであり、否応なく西洋化させられた日本のシステムの中で生きていかねばならないことに、納得できないものがありました。加えて、戦争に負けたせいもあり、日本人の西洋コンプレックスは根強く固定されたような気がします。その影響か、白人に対する劣等感、その反動であろうとおもわれるアジア諸国の人々や他の有色人種に対する根拠のない優越思想は非常に醜いものがあり、その典型例を、日本の恥、アベ、に見ることができます。

話がズレましたが、ま、こんな大げさな話ではなく、私は、実は、自分の(一応)属している研究分野に対しても、いま一つ、しっくりこない居心地の悪さを感じており、その感じは昔からずっと変わりません。分野の他の仲間と楽しく同じ興味で盛り上がることができるのなら楽しいだろうし、居心地もいいだろうな、とは思いますけど、無理そうです。仲のよい人々とは研究の話で盛り上がることはなく、大抵、共同研究者は別の分野を当たって見つけています。

体に合わない服を仕立て直すことを通じて、新しいものが生まれることもあります。新しいものを生み出せない研究には意味はないので、私にとって、この研究分野は、矛盾表現ですけど、体に合わないからこそ馴染めているのかも知れないと思います。きっと居心地が良くなったら終わりも近いということでしょう。
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消費税、年金、そして人権

2019-07-09 | Weblog
7月6日、ジョアン・ジルベルトが、リオデジャネイロの自宅で亡くなったというニュース。 享年88歳。
若い時は試験勉強のBGMでボサノバもよく聞いていました。「イパネマの娘」、「コルコバード」、「シェガ ジ サウダージ」、「インセンサテス (How insensitive)」、ボサノバの名曲には限りありません。ボサノバが好きではないという人はいるかもしれませんけど、嫌いだという人はあまりいないのではと思います。中でも、私が名曲と思うのは、「デサフィナード」です。意図的な「音階やリズムからズレ (Desafinado)」を絶妙な和音に乗せてあります。

作曲者のカルロス ジョビンとの共演で


小野リサ バージョン


話変わって、前回ちょっと勘違いしていましたが、選挙区から「れいわ」候補として出るのは、創価の野原さんだけのようです。第一の目標である5人の議席を得るためには比例で500万票ぐらいでしょうか。とすると有権者の1割弱ほどですか、投票率を考えてもかなりハードな数字ですけど、頑張ってもらいたいです。正直、立民への期待度は南下傾向、野党で頑張っているのは共産党。しかし、インテリへの反感や、マイナスイメージが強い共産党という党名にアレルギーを持つ人はまだまだ多いでしょう。
 与党、自民党は、小泉政権から独裁色を強め、今や右翼カルト政権と言って良い状態に変貌してしまいました。その権力を保つためにウソをつき、ゴマカシ、恫喝、国策捜査に、メディアに圧力と、書ききれない悪行三昧を続けてきたアベ政権。国民の資産を己の政権浮揚のためだけに浪費し、癒着土建業者を儲けさせるためだけに辺野古を埋め立て、米軍でさえ使用を中止したポンコツ戦闘機を言い値で買い、国会で追及されるのが嫌さに、しょっちゅう海外に逃げるのに、外交は全くの無能、ロシアには厚かましいと言われ北方領土返還の可能性を潰し、北朝鮮には「蚊帳の外」と言われ、イランにはアベの言葉は信じられないと言われ、カナダには中国と間違えられ、アメリカには徹底的にバカにされる。その無能ぶりをごまかすためにカネをバラまく。アベが海外にバラまいた国民の税金は60兆円。日本の年間税収が40兆円に過ぎないのに、年収をはるかに超える額を大盤振る舞い。これだけカネを使っても世界の首脳にはマトモに相手にされていないのを露呈したG20。この恥知らずの愚か者が国民に与えた損失は計り知れません。何かするたびに大きく国益を損ずる役立たずのくせに、一方で年金を削り、福祉を削り、外国人の人権を蹂躙し、消費税で貧乏人から絞り上げる、まさに、人間のクズとしか言いようがない。

自民党もかつては派閥間で競いあいバランスをとりながら広く支持される政党でしたが、今はもう違います。

このまま、アベを放置していては、10年以内に国は崩壊するでしょう。貧困と犯罪の増加は加速します。国内で喰っていけなくなって、難民化したり海外に出稼ぎに出るという時代になるのではないでしょうか。事実、大学を終えても国内にマトモな就職先がなく、中国で就職し中国企業の日本人向けのカスタマーサービスなどに従事しているという話を聞きました。

もう手遅れかもしれませんけど、とにかく諸悪の根元のアベ政権を止めないといけません。





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参院選勝負

2019-07-05 | Weblog
「山本太郎氏は比例で出馬、れいわは比例特定枠を使用」
というニュース。
一人で、街頭演説を繰り返し、支持を拡大していきた山本氏、個人の献金を二億以上積み上げ、10人の候補者を擁立しました。自身は比例特定枠の第3位で立候補とのこと。

正直、勝ち目の少ない大勝負ではないか、と危惧しております。比例候補者で一、二位の二人は重度の障害を持っています。小選挙区での選挙活動が難しいというのが比例の第一、二に当てた理由ではないかと思いますけど、本人が3位で立候補するということは、本人が当選するためには、比例で3人、300万票以上が必要とのこと。その票が取れるかどうか、それは、この過去六年の活動と、独立してからの数ヶ月で拡大してきた支持がどこまで広がったかによるでしょう。この比例順位は計算に基づいた自信の表れなのか、一か八かの賭けなのか、今のところわかりません。一方、小選挙区での顔ぶれをみると、心配が残ります。反原発と北朝鮮拉致問題でアピールできる蓮池透さんは希望が持てます。それから、沖縄の創価学会員の野原善正さん、なんと東京選挙区から出て公明党代表の山口氏と争うのだそうです。これは、全国の創価学会員に大きなインパクトがあると思います。公明党は平和の党ではもはや無く、「与党の中から自民にブレーキをかける」のではなく一緒になって暴走している状態ですから、創価学会員の人々は冷静に考えてください。教義に反する公明党を支持すると仏罰が下るというものです。創価学会員が野党から出て、公明党トップと真っ向勝負、面白いと言ってはナンですが、これは創価学会にとっては歴史的事件でしょう。

当たり前のことが当たり前と言えない社会になってます。当たり前の主張が支持されるのなら、れいわは全員当選すべきです。しかし、投票権を持つ国民の多くはアベをのうのうと六年もやらせるようなレベルですから、最悪の結果は、比例で1名−2名、小選挙区で0-2名で、山本氏の落選という結末でしょう。逆に、比例で3人とも当選し、選挙区で二人以上が当選すれば、歴史が変わる可能性があると思います。そうなって欲しいと思います。

Youtubeでの会見の様子。 https://youtu.be/T18A7hZFvXw
「、、、、とにかく、その1議席を守れというような戦いになるならば、私、今回こんなことをやってません。東京から素直に出てます。
そうじゃない。6年前、なんとか風穴を開けたいと思って多くの方々に力を貸していただいて私は東京選挙区から出て議席をいただいた。
でも6年前と同じ戦いをやるつもりは、私にはさらさらないんですよ。
どうしてか?その1議席があったとしても世の中の壊れていくスピードは緩められなかったじゃないですかってことですよ。
これはガス抜きでしかないってことです。
残念ながら、冷めた意見を言えばやはりその数は増やしていくしかないと。
じゃあ、その数を増やすためには最大ができるような、みんなで運動を作っていくしかないという考え方です。、、、」
コメント (2)
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恥かしい

2019-07-02 | Weblog
私、この政権をなんども批判してきました。一番の問題だと思うのは、アベの人間性です。人の悪口を言うな、他人をジャッジするな、というのは日本に限らず、本質的に利己的な動物である人間が社会生活を営む上で重要な戒めの言葉であります。例え本当のことであっても他人を傷つけるようなことはいうべきではない、と私も思っております。
しかし、アベを批判するのを私はためらいません。アベは公人であり建前上は国民の代表であり、他人ではありません。極論すれば、アベを批判するのは、他人ではなく国民が間接的に自らを批判することであるということです。
アベは明らかにそれがわかっていません。国民全員の代表であり、国民全員の利益の増大に勤めるべき立場でありながら、考えているのは自分のことばかり。手前に都合の悪い国民は「あんな人たち」と指を指す。一方で、逆に、批判的なヤジを受けても、「そんなあなたも守りたい」と返した山本太郎。アベの政治家としての自覚なさとその人間性の淺ましさ、見ている方は本当に恥ずかしい。

今回、G20で外国首脳が来ました。建前上、国民の代表であるアベは議長にもかかわらずほとんどの首脳に無視されました。会場も見る限り、信じられないレベルのチープさです。そして、その後、トランプはアベ抜きで北朝鮮と韓国との歴史的な会談。蚊帳の外、誰にも相手にしてもらえません。各国首脳の“ガン無視”に安倍議長オロオロ (https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/257270) -- 世界中の孤独を独り占めしたような光景だった。8日大阪G20サミットの開幕時、安倍首相は各国首脳を1人ずつ出迎えた後、集合写真の撮影までの間、ほとんど誰にも相手にされなかったのだ。、、、同じ光景は昨年12月、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスG20でも見られた。各国首脳夫妻の記念撮影時、安倍首相と昭恵夫人には誰ひとり近寄らない。語学に自信がないのか、自ら話し掛けもせず最後までポツン。その様子は今もユーチューブで公開されている。、、、--
外国の人々は、アベを見、このチープな会場を見て、これが現代の「日本人」であり「日本社会」を象徴しているのだろう、と思うかもしれません。

この悲しい光景を見て、「是非、勘違いしないでほしい、そこでヘラヘラ愛想笑いするしか能がない男は、単にそういう家系に生まれて、その厚顔と倫理観の欠如を見込まれて、ずるい連中に担がれているだけのハリボテなだけで、普通の日本人はもっと正直で賢いのですよ、"We are not Abe"です」と思った人も多かったでしょう。

ま、アメリカも同様ですけど。ロシアがトランプの選挙に介入したのは、トランプのような単細胞がアメリカのトッブだと御しやすいと思ったからだという話もあります。「神輿は軽くてパーがいい」、きっとアベ政権も最初はそうだったのでしょう。ただ、その「パー」の勘違い度も、邪悪さと不誠実さも、想像を越えており、神輿を担いだ連中も手を焼いている状態なのではないでしょうか。

このG20の様子を見ていて、私の心境にピッタリなツイートを見つけました。私も「恥知らず」とこの政権をなんども批判していますけど。まさにそれ。日本は「恥」の文化です。「恥ずかしいことをするな」というのはもっとも優先されるべき行動基準でした。ところが、アベはその日本人の常識をまるで逆手にとって、「恥かしくない態度」とか「高潔さ」とか「思いやり」とかという日本人の価値観をためらいなく踏みにじり、さらに法律もルールも平気で無視、まさか、ここまではやらないだろうという線を平気で踏み越えてくるのです。私には、この男は日本人どころか、もはや人間には見えません。




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