1月27日、J.D. サリンジャー死去とののニュースを聞きました。91歳だったそうです。ニューハンプシャーの自宅で自然死とのこと。
このニュースを聞いて、昨年のレヴィ= ストロースの時と同様の感覚を覚えました。
「ナインストーリーズ」や「ライ麦畑」がヒットしたのは1950年代で、私が初めて、「ナインストーリーズ」を手にした70年代には、サリンジャーは、既に絶筆状態になってから、随分経っていました。「ナインストーリーズ」を梅田の古本屋で買った時、私はサリンジャーのことを知りませんでした。その本は文庫になる前のハードカバー版で(多分)和田誠さんの魚とヒトデ(だったような気がします)のイラストの表紙に惹かれて、何か別の本と一緒についでに買ったのでした。本のタイトルも、「ナインストーリーズ」ではなく、「九つの物語」だったような気がします。これは、その後に明かされる(多分)架空の一家、Glass家にまつわるエピソードの短編集で、最初の「バナナ魚に最適の日」で、いきなり主人公が自殺をするという話で始まり、当然、当時少年だった私は、よく理解できなかったのですけど、妙に心惹かれるものを感じ、以来、その他の作品も読むようになりました。バナナ魚とは何か、主人公の自殺の意図は何か、何も明かされないまま、この短い話は終わってしまいます。「ライ麦畑」の主人公が、「セントラルパークの池の白鳥は冬はどこに行くのか」という疑問になぜ取り付かれているのか、説明されぬまま話が終わっているのと同様です。これらは、深い隠喩であったのか、あるいはそもそも大した意味はないのか、小説が伝えたいものは何なのか、あるいは、本人が言ったように、自分の楽しみだけに書いている物語で、伝えたいものがあるわけではなく、ただ読者への素材を提供しているだけなのか、私はよくわかりません。
でも、私は、サリンジャー作品の「雰囲気」が好きでした。当時少年だった私に、サリンジャー研究者が議論するように、彼の作品の意義が理解できたわけではありません。読んでみて、何だかわからないけど、面白いと思っただけなのです。振り返って思えば、それは、現実逃避傾向の強かった私に、サリンジャー作品が、全く異なる世界を見せてくれるように感じたからではなかったか、と思います。そのページの間から漂う昔のニューヨークの香りと私の周囲には見たことのないような行動をする人々は、演歌の流れるパチンコ屋とニンニクの匂い漂う餃子店の前を通って毎日通学していた私の現実を、つかの間、忘れさせてくれました。現在でも、現実逃避癖は残っていますが、今は、不思議なことに、昭和の高度成長期の日本の映画を見たりすると、サリンジャーを初めて読んだときのような気分になるのです。
いずれにせよ、彼のスタイルがヘミングウェイらのロストジェネレーションの後の現代アメリカ文壇に強い影響を与えたのは間違いありません。その後の近代アメリカの作家がしばしば、サリンジャーの影響を述べていますし、その流れはおそらく、日本では(庄司薫は言うまでもなく)村上春樹らに受継がれているのだろうと思います。
サリンジャーに私がもう一つ負っていることは、禅仏教へ親しむきっかけを作ってくれたことです。私が禅仏教に興味を持ったのは、サリンジャーの「フラニーとゾーイー」を読んだからでした。ヘンな話です。きっと戦後の欧米での禅ブームのころと、作品が書かれた時期が重なっているのでしょう。ただ、作品としてのフラニーとゾーイーは、ちょっと登場人物が饒舌すぎて、余り面白いと思えませんでした。そして、絶筆前に出された「大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア:序章」で、ようやく、ナインストーリーズの「バナナ魚」に、背景が与えられるのです。
それにしても、サリンジャーの作品が、未だにこれだけ広く読まれ続けているということが私には不思議に思えます。時代をこえて、若者の感性と共鳴するところがあるのでしょう。あるいは、彼の作品が近代アメリカ文学の新しい潮流の源になったという歴史的認識ゆえでしょうか。私はサリンジャーの出世作の「ライ麦畑」を少年時代に読み損なったので、「ライ麦畑」を読んだのは、もうおじさんになりかけてからで、当然というか、あまり、面白いとは思えませんでした。でも、若者時代に読んだ彼の他の本は、とても好きだったことを覚えているのです。
本人は、とっくに書くことを止めてしまったのに、五十年以上も前に書いた作品が、未だに世界中で読まれ続けていることを、サリンジャーはどう思っていたのでしょうか。そして、この五十年間、秘密に満ちた彼の生活の中で、書くことを止めた彼の精神を支えていたのは何だったのでしょう。想像できません。まるで、彼の人生はこれらの少数の作品を生み出すためだけにあったようです。そして、その仕事が終わった後に、彼はニューハンプシャーの山の中に姿を消してしまいました。その五十年間の孤独の中で、どういう気持ちで暮らしていたのか、そのことを考えると痛々しいような気持ちもします。
サリンジャーの死亡を伝えるニューヨークタイムスの1/28/10の記事で紹介されている様々な話は興味深いです。若者に対する彼の著作の影響力の例として、ジョンレノンを暗殺したデイビッドチャップマンが、暗殺の説明は「ライ麦畑」を読めば分かると、言ったというようなことが書いてあります。レーガン暗殺未遂の犯人も「ライ麦畑」の愛読者だったそうですし、「ライ麦畑」が禁書になったこともあるそうです。このように社会的インパクトの大きい作品を書いた作者が、社会との関わりに病的な嫌悪感を持っていたことは興味深いです。
サリンジャーはおそらく激しい潔癖性だったのでしょう、出版に伴うゴタゴタやファンからの手紙、そうしたものに極度の嫌悪感を示したようで、1974年に実現したインタビューでは、書くことは好きだが、自分のためだけに書く、出版することは酷いプライバシーの侵害であると言って、作品の発表を拒んだのだそうです。世の中の作家志望の人の多くとは逆ですね。 私生活やそのパーソナリティーには謎が多く、批判も多いようですけど、私たちにとっては、とんでもなくつき合いにくい変人だが優れた作品を書く作家の方が、とってもいい人なのに作品がつまらない作家よりも、数百倍も有益であるのは論を待ちません。(政治家もそうですね)
本人が幸せであったかどうかは分かりません。世間とかかわることがここまで苦痛だったのであれば、人間はそもそも社会的動物ですから、たぶん、つらいことも多かったでしょう。
サリンジャーの死を聞いて、寂しい気持ちに捕われた、元文学少年少女のおじさんやおばさんは多いのではないでしょうか。前出のニューヨークタイムスの書評欄では、サリンジャーをアメリカのトルストイと例えていました。彼の死によって、彼の作品は、現代アメリカ文学ではなく、古典と分類されるようになるのかも知れません。それはちょっと寂しいなあ、という気がするのです。
「ナインストーリーズ」や「ライ麦畑」がヒットしたのは1950年代で、私が初めて、「ナインストーリーズ」を手にした70年代には、サリンジャーは、既に絶筆状態になってから、随分経っていました。「ナインストーリーズ」を梅田の古本屋で買った時、私はサリンジャーのことを知りませんでした。その本は文庫になる前のハードカバー版で(多分)和田誠さんの魚とヒトデ(だったような気がします)のイラストの表紙に惹かれて、何か別の本と一緒についでに買ったのでした。本のタイトルも、「ナインストーリーズ」ではなく、「九つの物語」だったような気がします。これは、その後に明かされる(多分)架空の一家、Glass家にまつわるエピソードの短編集で、最初の「バナナ魚に最適の日」で、いきなり主人公が自殺をするという話で始まり、当然、当時少年だった私は、よく理解できなかったのですけど、妙に心惹かれるものを感じ、以来、その他の作品も読むようになりました。バナナ魚とは何か、主人公の自殺の意図は何か、何も明かされないまま、この短い話は終わってしまいます。「ライ麦畑」の主人公が、「セントラルパークの池の白鳥は冬はどこに行くのか」という疑問になぜ取り付かれているのか、説明されぬまま話が終わっているのと同様です。これらは、深い隠喩であったのか、あるいはそもそも大した意味はないのか、小説が伝えたいものは何なのか、あるいは、本人が言ったように、自分の楽しみだけに書いている物語で、伝えたいものがあるわけではなく、ただ読者への素材を提供しているだけなのか、私はよくわかりません。
でも、私は、サリンジャー作品の「雰囲気」が好きでした。当時少年だった私に、サリンジャー研究者が議論するように、彼の作品の意義が理解できたわけではありません。読んでみて、何だかわからないけど、面白いと思っただけなのです。振り返って思えば、それは、現実逃避傾向の強かった私に、サリンジャー作品が、全く異なる世界を見せてくれるように感じたからではなかったか、と思います。そのページの間から漂う昔のニューヨークの香りと私の周囲には見たことのないような行動をする人々は、演歌の流れるパチンコ屋とニンニクの匂い漂う餃子店の前を通って毎日通学していた私の現実を、つかの間、忘れさせてくれました。現在でも、現実逃避癖は残っていますが、今は、不思議なことに、昭和の高度成長期の日本の映画を見たりすると、サリンジャーを初めて読んだときのような気分になるのです。
いずれにせよ、彼のスタイルがヘミングウェイらのロストジェネレーションの後の現代アメリカ文壇に強い影響を与えたのは間違いありません。その後の近代アメリカの作家がしばしば、サリンジャーの影響を述べていますし、その流れはおそらく、日本では(庄司薫は言うまでもなく)村上春樹らに受継がれているのだろうと思います。
サリンジャーに私がもう一つ負っていることは、禅仏教へ親しむきっかけを作ってくれたことです。私が禅仏教に興味を持ったのは、サリンジャーの「フラニーとゾーイー」を読んだからでした。ヘンな話です。きっと戦後の欧米での禅ブームのころと、作品が書かれた時期が重なっているのでしょう。ただ、作品としてのフラニーとゾーイーは、ちょっと登場人物が饒舌すぎて、余り面白いと思えませんでした。そして、絶筆前に出された「大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア:序章」で、ようやく、ナインストーリーズの「バナナ魚」に、背景が与えられるのです。
それにしても、サリンジャーの作品が、未だにこれだけ広く読まれ続けているということが私には不思議に思えます。時代をこえて、若者の感性と共鳴するところがあるのでしょう。あるいは、彼の作品が近代アメリカ文学の新しい潮流の源になったという歴史的認識ゆえでしょうか。私はサリンジャーの出世作の「ライ麦畑」を少年時代に読み損なったので、「ライ麦畑」を読んだのは、もうおじさんになりかけてからで、当然というか、あまり、面白いとは思えませんでした。でも、若者時代に読んだ彼の他の本は、とても好きだったことを覚えているのです。
本人は、とっくに書くことを止めてしまったのに、五十年以上も前に書いた作品が、未だに世界中で読まれ続けていることを、サリンジャーはどう思っていたのでしょうか。そして、この五十年間、秘密に満ちた彼の生活の中で、書くことを止めた彼の精神を支えていたのは何だったのでしょう。想像できません。まるで、彼の人生はこれらの少数の作品を生み出すためだけにあったようです。そして、その仕事が終わった後に、彼はニューハンプシャーの山の中に姿を消してしまいました。その五十年間の孤独の中で、どういう気持ちで暮らしていたのか、そのことを考えると痛々しいような気持ちもします。
サリンジャーの死亡を伝えるニューヨークタイムスの1/28/10の記事で紹介されている様々な話は興味深いです。若者に対する彼の著作の影響力の例として、ジョンレノンを暗殺したデイビッドチャップマンが、暗殺の説明は「ライ麦畑」を読めば分かると、言ったというようなことが書いてあります。レーガン暗殺未遂の犯人も「ライ麦畑」の愛読者だったそうですし、「ライ麦畑」が禁書になったこともあるそうです。このように社会的インパクトの大きい作品を書いた作者が、社会との関わりに病的な嫌悪感を持っていたことは興味深いです。
サリンジャーはおそらく激しい潔癖性だったのでしょう、出版に伴うゴタゴタやファンからの手紙、そうしたものに極度の嫌悪感を示したようで、1974年に実現したインタビューでは、書くことは好きだが、自分のためだけに書く、出版することは酷いプライバシーの侵害であると言って、作品の発表を拒んだのだそうです。世の中の作家志望の人の多くとは逆ですね。 私生活やそのパーソナリティーには謎が多く、批判も多いようですけど、私たちにとっては、とんでもなくつき合いにくい変人だが優れた作品を書く作家の方が、とってもいい人なのに作品がつまらない作家よりも、数百倍も有益であるのは論を待ちません。(政治家もそうですね)
本人が幸せであったかどうかは分かりません。世間とかかわることがここまで苦痛だったのであれば、人間はそもそも社会的動物ですから、たぶん、つらいことも多かったでしょう。
サリンジャーの死を聞いて、寂しい気持ちに捕われた、元文学少年少女のおじさんやおばさんは多いのではないでしょうか。前出のニューヨークタイムスの書評欄では、サリンジャーをアメリカのトルストイと例えていました。彼の死によって、彼の作品は、現代アメリカ文学ではなく、古典と分類されるようになるのかも知れません。それはちょっと寂しいなあ、という気がするのです。