百醜千拙草

何とかやっています

テクノロジーとバイオロジー

2014-01-31 | Weblog
今年の研究費申請には、研究室存続がかかっております。締め切りまで約半年、それまでにあと二本は論文を出したいと頑張っております。論文のアクセプトまで一年以上かかることもしばしばですから、どうなるか分かりません。原稿を書きつつ、詰めの実験をしつつ、研究費申請を書きつつ、そのための実験をしつつ、日々の雑用をこなしつつ、という日々です。昔から綱渡り人生で、綱渡り経験はそれなりにあるはずですが、何度たっても慣れません。

〆切とか待ち合わせとかが昔から苦手で、遅れたらどうしようと心配して、早く始めすぎて、中だるみして〆切前にジタバタすることになったり、また時間にヘンに余裕があると一旦テンパイした手を崩して組み直そうとしたり、要らないことをしてしまってかえって悪くしたりします。どうも、いろいろ考え込んでしまう方で、それがストレスを増やしているようです。
 心配することの8割以上は実際には起こらないという統計があるそうですし、心配も何もしなくても、良くないことは起こりますし、起こらないものは起こらないのですから、結果的には、殆どの心配はストレスを作り出すだけと言えないこともありません。しかし、心配することによって、色んな可能性を考えますから、心配が全く悪いわけではなく、すべき心配としなくてよい心配を見分けて、すべき心配をしたらあとは現在のことに集中するというのが理想なのだと思います。とはいっても、客観的に自分を見て、自分に適切なアドバイスするというのは難しいものです。すべき心配とすべきでない心配がリアルタイムでは簡単に判断がつきにくい場合も多々あります。研究でもそうですね。振り返って評価すれば、する意味のない実験というのは研究活動の8割以上を占めているように思います。しかし、その8割のムダがあったせいで2割の成果が出たという部分もあるのも事実かと思います。

今回、研究申請の一つのネタは、オーソドックスに行った場合にはちょっと微妙なプロジェクトなので、「流行りワザ」を取り入れて、見栄えを良くする戦略を考えています。流行りワザは、Crispr/Casがアピール感が強いかなと思って手を出してみようかと考えています。このシステムはかなり応用性の高い技術ですから、これからもいろんな利用法が出てくるだろうと思います。私の考えている利用法は、まだ報告はありませんけど、誰かやっているはずです。
 関連技術の変遷をみるとやはり深い感慨を抱かずにはおれません。ZFNによる遺伝子改変の技術を使ってラットのノックアウトが作られたとニュースを聞いたのがつい最近のことのようです。ZFNはちょっと使いづらいと思っていたときにTALENが開発されて、当時は私はこの技術の発展形が遺伝子編集技術の最終形になるのではないかと思いました。しかし、その後、間もなく、ZFNやTALENと異なるメカニズムを使ったCrispr/Casが彗星のように登場し衝撃を受けました。TALENよりも遥かに簡便で、応用性が高く、スケールアップが容易なこのような技術が、これほど早くに開発されるとは思ってもみませんでした。これでおそらく、ZFNもTALENもメインストリームから消えて行ってしまうでしょう。
 二週間前のNatureの記事では、プラスミド リポジトリサービスのAddgeneが、昨年、リクエストに応じて配布したCrispr/cas関連プラスミドは12,000以上との話ですから、世界中でおそらく一万人に近い研究者がCrispr/Casを使い始めているということではないでしょうか。そういえば、このシステムの応用でトップ集団を走るMITのZhangという若手研究者は昨年のNatureでもっともインパクトのある研究者10人の一人に選ばれていました。
 思えば、こうした技術の進歩が過去のスタンダードな実験方法、場合によっては研究の目的にそのものにさえ変化をもたらしてきました。RNA発現解析法に喩えれば、これはReal-time PCRがノーザンブロットに置き換わり、次世代遺伝子シークエンサーが最終的にはマイクロアレイ技術に置き換わるようなものだと思います。テクノロジーの進歩にはいろいろ驚かされることが多いですが、バイオロジーは、なかなかそういうわけにはいきませんね。華々しいニュースを横目で見ながら、十年一日のごとくコツコツと毎日、勤める日々です。
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恐慌から戦争へ

2014-01-28 | Weblog
この数日のニュースから。

領土主張のサイト開設、政府
2014/1/25
 山本一太沖縄・北方相は24日の閣議後の記者会見で、領土問題に関する専用サイトを立ち上げたと発表した。沖縄県の尖閣諸島、島根県の竹島、北方領土の日本の領有権の主張を発信する狙い。来月をメドに英語版も作成する予定だ。

本当にバカですね、としかいいようがありません。わざわざ、相手を刺激して問題を大きくしておいて、「大変だ!」とワメくのですから。ワザとやっているのでしょうか?そうでなければバカ過ぎます。こういうのをマッチポンプというのではなかったでしたっけ。詐欺師の手口です。

新興国通貨 揺れ再び アルゼンチン発、トルコ・南アに
2014/1/25
 新興国通貨が再び揺れている。今年から米国の量的金融緩和の縮小が始まり、新興国から投資資金が流出するとの懸念が根底にある。発端は23日に12%も急落したアルゼンチンペソ。外貨準備の不足や経常収支の赤字など、通貨を防衛しづらい国の弱みを突く動きが、トルコリラなど他の新興国にも波及している。そのあおりで投資資金の避難先となる円は1ドル=102円台まで上昇した。

二月を照準に計画されていたと言われる株式市場暴落が始まったのでしょうか。「黄金の金」ブログによると、世界同時恐慌が始まった1930年の株価のチャートと現在のチャートのパターンが酷似しているそうです。チャートほどあてにならないものはありませんが(おそらくフラクタルになっているでしょうから、似ている形は探せばどこにでもみつかるのではないでしょうか)、それにしても、このチャートの相似は気味悪いです。歴史は繰り返すとも言います。マーケットは上がれば下がります。ふりかえれば、1930年の大恐慌もそうでした。上がって落ちる。株がおりおりに暴落するのは(意図的であるにせよ、ないにせよ)、起こるべくして起こることですが、今回、騒ぎはかなり大きくなって、世界大恐慌を引き起こす可能性は十分あると思います。貧すれば鈍するのです。アメリカも日本も実質、経済成長ということが不可能なのに、まるで経済成長するしか生き延びる方法がないかのように振る舞い、小手先の金融操作でなんとか持たせて来ているのですから。これが崩壊するのに必要なのはちょっとしたキッカケだけです。歴史を振り返れば、株式市場の暴落、世界大恐慌、そして、その後に来るのは戦争ですね。第二次世界大戦は大恐慌の結果と言えなくもありません。その結果、アメリカ経済は復活し、世界覇権を握ることになりました。日本はすでに経済は下り坂、加えて、少子化、老齢化、原発事故と社会負担は増加している上に、常識はずれの金融緩和をやったばかりです。これで一撃を喰らえば、国民の不満は爆発するでしょう。あるいは、これをすでに見越して、特別秘密保護法案、軍国化、アベ氏と政府の中、韓、米に対する挑発的行動、なのでしょうか。
 戦争ほど政府への不満を反らすのに便利なものはありません。しかし、日本には第二次大戦のときのアメリカと違って、戦争で金儲けできるインフラがありませんから、戦争の効果は一時的なもので、長期的には大きなマイナスにしかならないでしょう。まずは、アベ氏とか、都知事選に出ている実戦経験はないのに口だけは勇ましい人とかの暴走族なみの思考回路と行動をとる迷惑な人々を引きずり降ろさねばなりません。
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心変りのワケ

2014-01-24 | Weblog
前回の記事に関して、コメントをいただきました。ありがとうございます。それで、ちょっとだけフォローということで。三流週刊誌のような話で恐縮です。
なぜ、仲井眞知事が心変わりしたのか、という点に関しては、東京都知事のスキャンダルが大きかったのだろうと思います。詳しくは植草教授のブログ、知られざる真実の12/25/13の記事(下に一部、転載)をご覧いただければと思います。

なぜ、このタイミングで、たかだか5千万というカネで、東京都知事は辞任に追い込まれたのか、ということですね。大抵の政治事件には意図があります。

政治家に手を回して、商売を手伝ってもらう、昔の言葉で言えば「政商」ですか、良くある話です。医も算術なら、病院経営は商売、商売の利便を政治家に図ってもらうかわりに、政治活動を補助するのですね。徳州会に限らず、日本医師会も、かつては自民党それから民主党と与党をサポートして、医療行政を通じて利益を得ようとしてきました。昔からどこにでもある話で、きちんとした手続きを踏めば、違法でさえありません。ただし、違法かどうかの解釈は玉虫色なので、小沢氏とその秘書が、選挙の直前に言いがかりをつけられたように、国家権力とマスコミは、やる気さえあれば、誰でもその社会的生命を抹殺し十分なダメージを与えることができるようになっています。

仲井真知事が辺野古埋立申請を一蹴できない理由」から、最初のパラグラフを転載します。これだけでも、私のような下種が勘ぐるには十分な状況証拠ではないでしょうか。

仲井真弘多沖縄県知事が2006年12月の知事選で辛勝した決め手になったのは、徳洲会の全面的な選挙支援であったと伝えられている。
徳田毅議員は自由連合に所属し、2006年の沖縄知事選に立候補した糸数慶子候補の支持陣営にいた。
その徳田毅氏が知事選直前に自由連合を離脱し、仲井真弘多候補支持に回った。
徳洲会は組織的な選挙を展開したと伝えられている。
徳洲会は沖縄にも病院を保有し、これらの病院が基軸となって大規模な選挙応援が繰り広げられた。
選挙は糸数候補優位に進展したが、最後の局面で徳洲会による選挙支援が功を奏して仲井真氏が当選したと伝えられている。
この時期に世間を賑わした大きなニュースがあった。
徳洲会病院による生体腎移植の問題である。
刑事事件に発展する様相を示していたが、沖縄知事選が終了するのと同時に、潮が引くようにこの問題も報じられなくなった。
徳洲会に大きな力が加えられ、そのなかで、徳田毅氏が自由連合を離脱して仲井真氏支持に回ったと見られる。
このときの首相が安倍晋三氏である。
徳田毅氏は沖縄知事選が終了すると、直ちに自民党に入党した。

仲井眞知事が辺野古承認をする数週間前に、降って湧いたような徳洲会がらみのスキャンダルでで東京都知事が追いつめられた、これは「(辺野古移転にウンと言わないと)次はお前だ」というメッセージですね。どうも、辺野古移設承認という「本丸」を取るために、東京都知事を見せしめにして、捨て石にしたということのようです。誰が絵を描いたのかわかりません。基地利権に絡む連中とその一味の官僚でしょう。
 さらに勘ぐると、ひょっとしたらプレスリーのモノマネ師が最初から噛んでいたのかも知れません。都知事を見せしめにして、沖縄知事に辺野古をウンと言わせる。都知事を辞任に追い込んんだ上で、都知事選にでてくるネズミ男をアベ自民党が支援するであろうことを見込んで、「殿」を担ぎ出す。そこで、声だかに「脱原発」を叫んで、アベ派に「原発推進派」のレッテルを貼り、返す刀で自分の息子に正論を吐かせて、アベ降ろしと、息子の人気を上げ、劇場第二幕をの幕開けを図る。 勘ぐりすぎかも知れませんが、モノマネ師はアベ氏よりは、こういう計算においてははるかに頭はキレますから、全ての事件が実は、息子の人気取りという一点に向けてシナリオが描かれていたという可能性はあるでしょう。モノマネ師にとっては、都知事は捨て石、ネズミ男は当て馬、殿は神輿の飾り、アベは前座の道化、ということでしょう。ま、喫緊の課題である脱原発へ繋がるのであれば、多少のことは取りあえず目を瞑りましょう。

ところで、昨日のニュースだと、特捜が東京都知事の特州会事件を取り調べるとのことです。都知事がハメられたのは、そもそもは、某宗教政党の利権に手を出そうとして、官僚、検察の学会関係者の不興を買ったかららしい、という話が去年の地上げ屋さんのブログにありました。また、(本当かどうか怪しい話ですが)この事件を足がかりに別の大物を上げて汚名を晴らしたいと検察特捜が考えているらしいというウワサも聞きました。となると、複数の筋(結局、もとで繋がっていはいるのですが)が、一石三鳥を狙って、この都知事にスキャンダルを仕掛けて辞任に追い込んだということのようです。あとは検察の思惑次第かと思いますが、この話は、前の石原爺さんや総理経験者まで捜査が及んで、もっと大きくなるかも知れません。
三流週刊誌ネタのゴシップはこの辺にしておきます。

ところで、今回の名護市市長選前に、自民党の軍事オタクは名護市に五佰億を落とす約束をしました。単純計算して、有権者一人当たり200万円ぐらいですか。(少なくとも私にとっては大金です)それが直接自分のフトコロの中に現れるというわけではなくても、市に経済振興の目的で落とされたカネはトリクルダウンとなって、市民の財布を潤すだろうという期待感を市民に与えるのは十分だったでしょう。市長選の開票結果では、自民党、公明党の支援を受けた辺野古移設推進の対立候補が、15,000票、反対派市長が20,000票ほどですから、この15,000人ぐらいが、プライドよりもカネをとったということです。もちろん、米軍兵相手の商売をやって生計を立てている人々も多いでしょうから、自民党の露骨なカネのバラマキがなくても、自発的に基地移転に賛成した地元民の人もいたでしょう。悪い言葉で言えば、沖縄は政府というヤクザにカネという麻薬浸けにされてしまって、心ならずも基地なしで生きて行けない体にされてしまったという部分もあります。結果、多くの対立候補への票は、心ではなくカネで買われたものだろうと推測します。カネが欲しいと思う人は、本土の人も沖縄の人も同じように多いでしょう。にもかかわらず、500億のカネになびかなかった有権者は、はるかに多かったのです。私は多くの沖縄の人々の気持ちは、下の岩下おじさんのブログにある通りだろうと想像します。辺野古の美しい海岸を潰して米軍基地を新設するということは、地元の人にとっては、親の敵に娘を売り飛ばすような行為だと思ったのではないでしょうか。自民党の軍事オタクは、女衒さながら、美味しいもの食べてキレイなものを着て良い生活ができますよ、と甘言を弄しつつ、これ見よがしに目の前で札束をビラビラさせたということです。

私が、昔、旅行者として沖縄に行って、何となく感じた事は、沖縄の人はずっとこの「差別」と共にあったということ、われわれ本土の人間は、その差別の存在に無知で鈍感であること、そして「問題はカネで解決できる」という浅ましい拝金主義にすっかり侵されてしまっているということでした。

名護市長選挙は安倍政権打倒への鏑矢となるだろう

でもその子供たちに「なぜ海を汚してジュゴンを殺したの?」と問われて答えられる大人はいないはずである。これは感情的情緒的反対論ではない。娘を犯され環境を破壊してまで守るべき大義が一体この世に存在するのかという本源的な疑問である。


大義など勿論ないのです。利権屋がカネ目当てでやっていることですから。戦争もそうです。戦争の「大義」など何もありません。人を殺して富を奪うのが戦争ですから。
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差別の問題

2014-01-21 | Weblog
40日の砂漠での断食の後で、何度も脅しや恐れや疑いを植え付け、誘惑しようとしたサタンを、キリストは断固として撥ね退け、ついに「サタンよ、去れ」との言葉によって、サタンは退きます。このサタンとの荒野の戦いで、イエスは全ての点で試されたと聖書にはあります。その間、イエスは気を緩めることもなく、忍び寄るサタンの誘惑を警戒し、それを否定しました。
困難な仕事を成し遂げるには、サタンの誘惑を撥ね除ける強い意志が必要です。

沖縄の米軍基地負担の改善を謳って選ばれたはずの沖縄県知事がどういうわけか(?)辺野古への移設を認めてしまい、沖縄県民と正義を愛する人々の怒りを買ったのは記憶に新しいです。辺野古への移設の容認の経緯を質問されて、(よほど触って欲しくない事情があったのでしょう)逆ギレして、あきれられました。
どうして、沖縄米軍基地に反対して知事になった人が、宗旨替えをしてしまうのか。いつ、どのようにサタンに誘惑されてしまったのでしょうか。

そして、辺野古移設反対を掲げた名護市市長が再選しました。沖縄県知事も今年いっぱいで任期切れ、これで辺野古への移設はとりあえず遠のいたと思われます。この市長はこれから、サタンの誘惑にさらされることになります。日本の場合は陰湿で、前の福島県の佐藤知事同様、誘惑が利かなければ、犯罪をでっちあげられて抹殺されることになりますから、ここは是非とも多くの人々が辺野古移設への経緯を注視して、この市長を国家による犯罪から守る努力が必要だろうと思います。

沖縄基地問題は、福島原発、などと構図は同じ、「差別」の問題です。極論すれば、都会、霞ヶ関が、己の利益のために、地方にイヤなものを押し付けてきたということです。事故を起こすまでの原発と異なり、沖縄の基地は、騒音、事故、米軍兵による度重なる暴行事件、様々な問題を起こしてきており、大多数の沖縄県民が、72年以降もずっと被害を受け続けて来ました。彼らの主張はずっと、ブレていません。その怒りは、「差別」とわかっていながら、あくまで沖縄にイヤなものを押し付け続け、鳩山氏を除いて、その改善を一度もマトモに考えようとさえしなかった日本政府に向けられています。その上で、ずっと味方だと思っていた沖縄県知事が最後の最後で、辺野古を容認したというガッカリする事件がおこったばかりです。
名護市長選の結果は、何十年と続きて来たブレない沖縄県民の人の願いの表れです。

このニュースを伝える時事の記事を見て、その傲慢さに怒りがこみ上げました。

安倍政権、移設シナリオに狂い=日米関係に影響も-名護市長選

本文は省略しますが、この記事の中に、沖縄県民の人の長年の苦しみ、地方への差別、といった地元の人の目線に立った記述は、皆無、「ゼロ」です。全てのことが上からの目線、政府にとって、日本にとって、アベに取って、辺野古移設反対派が市長に選ばれたことが「困る」としか書いてありません。こういう記事を書く「差別的人間」が中央にいて、差別をますます広げて行くのです。

これは、利害が直接絡む与党、政府、マスコミだけの態度ではありません。本土や都会に住む一般人が「沖縄や地方は、その分の金を受け取っているのだから文句を言うな」というような傲慢で思いやりに欠ける発言をしているのをネットで見かけます。工作員だと思いたいですが、困っている人に付け込んで、札束で頬を張るような、人間として最低の行為を肯定するようなことを言って恥じないのですから、こういう人はきっと金のためなら命も惜しくないのでしょう。いつから日本人はこれほどまでに下品で浅ましくなったのだろう、と思わずにはおれません。

「自分さえ良ければいい」それが、この国を運営する人間の多くが考えていることです。大多数の都会に住む日本人も、実のところは、差別があろうと自分に迷惑が及ばなければ構わない、と思っているのかも知れません。自分の生活で手いっぱい、沖縄の人の苦難に同情しているヒマはない、というのが本音でしょう。そうかも知れません。それでも、少なくとも日本の根強い「地方差別」の存在を知っておくことは大切だと思います。「自分さえ良ければいい」人でも、いつ明日は我が身になるかも知れませんし。

ところで、この間、灘中学校の算数の入試問題を解いてみました。半分しか出来ませんでした。この問題を小学生が60分で解いて、よく出来た子供を選んで入学させるのです。東大入試も似たようなものでしょう。これらの算数の問題はよく出来ていますが、どうせやるのなら、60分ではなく、一週間ぐらい時間を与えてやらせて、もっとも独創的な方法で解答した人を選ぶようにした方が、日本の将来のためだろうと思います。(結局、こういった進学に進んだ人間が東大に行って役人になるのですから)これらの算数の問題で限られた時間で効率よく正解を出すには、じっくり考えているヒマはありません。パターン認識で覚え込んだ問題例のどれに近いかを探し出して方法を当てはめるしかありません。思考力を試すのではなく、結局は記憶力です。つまり、解答がある場合に、人よりも「早く」正解にたどりつく能力のある人間を選ぶ試験です。進学校、東大、を経て、官僚というコースは、既にある答えを早く見つけて競争に勝つことに長けた人間を、養成、選択するというプロセスのようです。しかるに、世の中の多くの問題には、正解もなければ、しばしば60分以内に「早く」答えを出す必要もないものが多いと思います。正解のない問題を多角的、独創的な視点を持って考え、将来、振り返ってはじめて、ベストであったと評価されるような判断ができる人間がリーダーシップを取るべきです。日本の競争社会は、むしろ不適切な為政者を選び出すように働いているのかも知れません。

そう思うと、沖縄米軍基地問題が、返還から40年以上経っても何一つ改善しないのも分るような気がします。政治を裏で操る官僚にとって、米軍基地の県外移設、対米自立という「独創的」な解答はありえない(なぜなら、そういう解答パターンが過去になかったから)のではないでしょうか。だから、現状を見て、最適解を編み出す努力をせずに、過去の解答パターンに現実をむりやり合わせようとしているのではないでしょうか。それで、戦後70年近くたっても、日本はアメリカの植民地でありつづけているのではないでしょうか。
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東京から脱原発を

2014-01-17 | Weblog
都知事選には、ついに「殿」のお出まし、機を見るに敏なプレスリーのモノマネ師が、一枚噛んでいるのが気に入りませんが、脱原発というgood causeのもとには、人間の好き嫌いはとりあえず置いておきましょう。鳩山兄弟も潤沢な資金で支援するとの話。

一方、情けな過ぎるのが自民党とその支援を受ける候補。(もっと情けないのが民主党であることは言うまでもありません)東京新聞の一月十日の「筆洗」の一部をコピーします。

どんな世界であろうと師弟の縁を切る「破門」とは厳しいものである。、、、
自民党が東京都知事選で、かつて除名処分にした元厚生労働相の舛添要一さんを支援する方向だという。舛添さんは野党だった二〇一〇年、離党した。自民党が苦しかった時である。「自民党はもう支持されない」と、たんかを切って飛び出した▼破門した人を支援するなんてなんと心が広いとは決して思わぬ。勝てそうな「玉」を見つけられず、困った揚げ句、舛添さんに寄っかかっただけの話である。、、、


そして、
「私は応援しない。応援する大義はないと思う」
 小泉進次郎・復興政務官(32)は15日、視察先のさいたま市で記者団にこう語り、東京都知事選で舛添要一・元厚生労働相を支援する自民党の方針に公然と反旗を翻した。

やはり、プレスリーのモノマネ師、息子の人気浮揚のためのステージをセットアップ。抜け目がありません。

細川氏出馬を受けての天声人語は珍しく中立的でマトモ。

エネルギーや原発政策は国策であり、首長選にそぐわないという議論はある。しかし、都知事選で光を当てることの意味は大きい。福島の事故の後に行われた一昨年の衆院選でも去年の参院選でも原発の扱いをめぐる論戦はかすんでいた▼都は並の自治体とは違う。最大の電力消費地であり、エネルギー問題の当事者にほかならない。立地の危険を地方に引き受けてもらって傍観しているわけにはいかない。今回、都民はわがこととして熟考するまたとない機会を得る▼都民だけの問題でもない。私たちの日本は未来の子孫に何を残すのか。、、、勝敗はともかく、候補者同士の無私の論戦を切に望む。

さすがに原発で大もうけしたポダムの会社、読売の社説は、脱原発批判のプロバガンダ記事。原発事故の加害者と言ってもいいような立場のクセに何を言うか、という感じです。「読売やめますか、それとも人間やめますか」のレベル。

そもそも原子力発電は、国のエネルギー政策の根幹にかかわる問題だ。脱原発を都知事選の争点にしようとするのは疑問である。、、、
電力の大消費地である東京で、「脱原発」候補の票が伸びれば、原発再稼働への影響も避けられない。、、、(筆者:「何と、露骨な!!」) 
都知事選は23日に告示され、2月9日に投開票される。2020年東京五輪・パラリンピックへの対応や、急速に進む人口の高齢化、首都直下地震への対策など様々な課題が問われる。脱原発だけに焦点をあててはならない。

都知事はフクシマ原発事故をおこした会社の最大株主、東京都の代表ですよ。原発問題が中心になるのは当然です。

経団連の提灯持ち、読売に輪をかけてみっともないのが、サンケイ新聞の「主張」、タイトルだけ読んでもこの新聞のイカレ具合がよくわかります。

都知事選 脱原発主張に利用するな  (筆者:「サンケイこそ、新聞、原発再稼働プロパガンダに利用するな」) 
 
本文を読むまでもないでしょう。(よって省略)

東京新聞の親会社、中日新聞の社説では、読売、サンケイと全く逆の主張。

東京都知事選 脱原発は大事な争点だ

細川氏は、同じく「脱原発」を主張する小泉純一郎元首相に協力を仰ぎ、全面支援の約束を取りつけた。「原発の問題は、国の存亡に関わる問題だという危機感を持っている」と決意を述べた。 
東京は国内最大の電力消費地として原発の恩恵にあずかってきた。都は東電の大株主としてそれを間接的に支えてもきた。
 都民は原発政策にどんな態度を示すのか。グローバル経済の中で飽くなき成長を目指すのか、原発のない新しい国づくりを目指すのか。都知事選は自己の生き方や倫理観とも向き合う好機だ。
 本紙の都民世論調査では、「すぐに原発ゼロにする」と答えた人と「ある程度時間をかけて原発ゼロにする」と答えた人の割合を合わせると、65%近くに上った。

記事の引用ばかりになってしまいました。この際、(宇都宮氏には悪いですが)、「殿」に頑張ってもらいましょう。
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成功よりも大切な...

2014-01-14 | Weblog
先日、思いがけず、十数年前の同僚が別の用でやってきて、顔を見せてくれました。「超秀才」で、勉強では絶対勝てないという人です。私は小学校、中学校のころから、超秀才の人々にコンプレックスを抱いていて、そういう人は別次元にいて、「同じ人間」ではないのだと考えてきました。しかし、もうこの年になると、勝つも負けるもないので、超秀才に対する苦手意識は随分なくなりました。この同僚も十数年前は、その秀才ぶりが尊敬されると同時に、一方では秀才臭さを嫌う人もいました。月日が経って、お互い、随分丸くなりました。
 再会を喜び、雑談をした後、新刊の著書をくれました。これまでの一般向けの著書は、自分の研究分野の話を一般人向けにしたものが主でしたが、今回の本は、研究とは無関係の哲学的な話のようです。随分、昔、研究以外の目標や夢みたいなものについて雑談をした時に、本を書きたい、と言っていました。それから十年で数冊、書いていますから、書くこと、または、人に話をすることが好きだったのでしょう。
 自分の目標を定めて、その実現に邁進し、実際に実現してしまうタイプの「成功者」の人生を送っておられます。あまり良い喩えが思い浮かびませんが、季節がら、スキーで言えば、多少のコブは無視できる筋力を持っていて、ハイスピードのスラロームで滑るタイプですね。長らくスキーはしていませんが、斜面のコブの一つ一つにゴンゴンと当たっては、飛ばされてしまう私とはタイプが違います。

話が飛びますが、昔、時代小説の編集者をしていたころの村松友視さんが、子母沢 寛さん(だったと思います)に、時代小説では司馬遼太郎さんの小説がもっとも面白いと言ったら、子母沢さんが、「司馬くんの小説には、表街道を突っ走るような爽快感がある。自分は、つい脇道に入り込んでしまうのでね」と言ったという話を覚えております。表街道を突っ走る人と脇道に入り込んでしまう人、ジャイアントスラロームが得意な人とコブに飛ばされる人、いろいろな人が、それぞれに役割をもって世の中を生きているのですね(ということにしておきましょう)。

私も、こんなブログを綴る理由の1/3は、人に話を聞いてもらいたい、という欲求からだろうと思います。程度の差はあれ、人は誰かにその存在を認めてもらいたいと思っています。書くということの一部はそういうことではないかな、と思います。論文にしてもそうでしょう。最初は、研究費のため、学位のため、ポジションのため、と思っていても、そのうち、同じ書くのなら、恥ずかしくないもの、誇れるものを書きたい、良い仕事をしたい、と思う訳で、そのモチベーションの半分は、他の人に認めてもらいたい、という欲でしょう。そんな欲がなければ、おそらく、面白い論文、感動するような論文というのは余り出ないのではないかなと思います。研究論文で苦労が報われて、面白い話にまとまって出版できると、とても嬉しいです。ある発見を手がかりにして、「お話し」を見つけていくというのは科学研究では、なかなか簡単なことではありません。話の筋を一歩進めるために、論文には一行も書かれていない何十倍もの努力がしばしば払われています。そんな努力の積み重ねでようやく一歩前進して「どうだ!」と思ったら、エディターやレビューアに「話がショボい」と一蹴されてガッカリしたりします。一つ新しいことを発見するだけでも大変ですし、それをもとに話を発展させていくというのはしばしば最初の発見以上の困難があります。しかし「お話し」がないとなかなか出版することも難しいですから、最後に花開くまで、苦しきを耐えてコツコツと努力を積み重ねることになります。(論文不正の多くは、この部分が苦しすぎるので、つい魔が差してインチキしてしまうのが原因だろうと私は思います)

それはともかく、今、客観的に振り返って、彼が「成功者」としての人生を送って来たことは、彼の強い意志と努力の当然の結果であると思います。(勿論、そういう努力をする機会や能力が与えられたという条件があっての上での話ではありますが)生まれつき何でもできるというワケではなさそうで、日々の努力の積み重ねの結果、普通の人の倍のレベルのパフォーマンスを達成しているように見えました。

成功の法則というのは単純な物理に準じていると私は思います。目標を実現するには、「(具体的な)ゴールに向かって、近づく」以外に道はありません。ニューヨークからサンフランシスコに行こうとするのならば、「サンフランシスコを目指して移動する」以外にサンフランシスコに着く方法はありません。いくら頭の中で「サンフランシスコに着いた私」をイメージしても、それ自体が私をサンフランシスコに連れて行くとか、あるいは逆にサンフランシスコを私に引き寄せることなないでしょう。ただし「サンフランシスコに着いた私」をイメージすることで目標を見失わずに「実際にサンフランシスコに向けて移動する努力を払う」確率を高めるという作用はあると思います。目標を見失わないことは大変重要です。しかし、それに加えて、実際に目標に向かって移動するという努力を払う必要があります。

いにく、昔の私は、目標そのものがよくわからず、つい、身の回りのことにいろいろと気をとられてキョロキョロして、脇道に迷い込んでしまったりした挙げ句に、道草そのものが目標だ、と自己正当化さえしようとしていまうような人間でした。親に散々しかられても試験前についSF小説を読みふけって現実逃避してしまう、のびた君のような子供でした。「成功者」になるにも向き不向きがあると、今では、暖かい目で自分を見てやることにしています。

負け惜しみを言うわけではないですが、人生においては、いわゆる「成功者」になることは、余り重要な事ではないと私は思います。結局、人はそれぞれにユニークな人生を送ります。人は人、自分は自分です。「成功者」になることよりも、人生でもっと大切なことは、色々な経験をして学ぶこと、だろうと私は思います。生命がひたすらDNAを複製するように、学ぶことそのものが学びの目的であるかのうように学ぶ、本来、人はそのように作られていると思います。その本来の働きに忠実であることが大切だろうと私は思います。

特定秘密保護法に反対する学者の会が、廃案を目指して賛同者を募っております。賛同戴ける方は、http://www.anti-secrecy-law.blogspot.jp/ (世話人、千葉大、小沢弘明先生)で賛同署名をお願いします。
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フクシマのバイタルサイン

2014-01-10 | Weblog
世間は東京都、都知事選で盛り上がっていますが、細川氏が出馬を検討している、というニュースにはちょっと驚きました。昨年末の地上げ屋さんのブログで名前が出ていたので、何かあるのかな、と思ってはいましたが、どういう事情なのか。てっきり陶芸家として余生を過ごすつもりだろうと思っておりました。誰かが引っぱり出してきたはずですね。それで、75歳にもかかわらず、担がれてやろう、と思ったその心境が興味深いと思うのです。カネではないし名誉ではないでしょう。「脱原発」でしょうか。そのためにもう一仕事やりたいと思ったのでは、と(全くの想像ですが)思います。細川氏擁立のウラでささやかれている最近「脱原発」を言い出した元首相、自分は引退しても息子は現役ですから、「脱原発」の風を利用してやろうと、いろいろ画策しているらしい、というウワサも聞きます。
 思えば、細川氏は、あの恥知らずの「原発事故収束宣言」を出して、全くの勝算もなく解散して、今の最悪のアベ政権を作り出した責任者、ドジョウの親分ですね。出来の悪い弟子ほど可愛いとは言いますが、ドジョウを首相にするためにウラで動いた(らしい)この人も、フクシマの現状に対して多少は責任はあるでしょう。自民党の長期政権を初めて倒した奇策、八党連立与党の時に小沢氏が担いだのがこの人ですが、小沢氏は今回の話に係わっているのでしょうか。今回の都知事選の候補者の顔を見ると、(あり得る選択肢の中で)消去法で二人は消えるのですが、残った宇都宮氏で大丈夫かという不安があります。しかし、細川氏、「脱原発」を表に出して出馬となれば、脱原発候補が二人で票を食い合って、結局、消去法で消えるはずの候補者が漁父の利をとるということにもなりかねません。脱原発で候補者は統一してもらいたいと思います。

それはともかく、最近の日本でフクシマ原発の状況の報道が極めて少ないことに愕然とします。汚染水問題はどうなったのでしょう?この問題が自然解決するはずがありませんから、今日も、毎日、300トンの高濃度汚染水が海へ垂れ流されていて、敷地のどこかでは汚染水が漏れ続けているはずです。去年の12月には、3号機から何度も蒸気か煙のようなものが出て、ロシアでは、フクシマの地下で核爆発が検出されたと報道されました。なぜ日本で報道されないのでしょう?それから、4号機の使用済み燃料の移し替え作業はどうなっているのでしょう?一つ間違えば「日本が終わる」と言われている作業です。本来なら、国民が固唾を飲んで見守り、昭和天皇の崩御の時にテレビが一時間おきに体温と血圧と脈拍とバイタルサインを伝えたように、フクシマの現況は逐一報道されてしかるべきです。ま、自民党と経団連や東電からマスコミは圧力を受けているのでしょう。しかし、いよいよ隠し通せなくなって報道される時には、おそらく手遅れになっていますから、自分の身を守るためには、みずから情報を求める努力が必要でしょうね。東京電力のサイトでフクシマのアップデートを伝える文章も、ストレートには書いてありませんから、行間を読む努力が必要です。

ところで、少し前のブログ記事に、2013年度の食品セシウムランキングがまとめられていました。
福島産のイノシシ肉からキロあたり、61,000 Bqがトップ、以下、主に山菜、キノコ類と並びます。付近の山野に飛び散った放射性物質に最も暴露されているものということで、不思議はありません。
流通している食品で発見されたものでは、群馬産のナメコが590 Bq/kg。福島産はおそらく(少なくとも建前上は)流通していなかったか、検査をパスしたものだけが市場に出たのだろうと思いますが、千葉の椎茸が二位というのは意外です。「とある原発の溶融貫通(メルトスルー)」での汚染地図を見ると、茨城南部、千葉北部に汚染地域があり、群馬にも広く汚染地域があるようですから、群馬産、長野の佐久産の農産物から放射能が出ているのも頷けます。

体重一キロあたり、1000 Bqほどで、半数の動物が死ぬという話があるらしいですから、これが本当なら、人間の場合、50,000 - 80, 000 Bqの放射能が蓄積すれば、半分死ぬかも知れません。体内に取り込んだものが排出されないと仮定すると、現在の基準値が一般食品で100 Bq/kgですから、基準値上限のものを一日、1キロ消費すれば、一年半足らずで、半殺しです。それまでに相当、体調は悪くなるでしょう。半減期の長い核種が多いわけですから、体に取り込んで、体の一部となっていけば、どんどん日ごとに蓄積して、延々と内部被曝しつづけます。長生きしたければ、なるべく安全そうな食品を選んで必要最小限の摂取に留めるしかないですね。情報を知ること、「知」は力なりですが、いまや、知らないと生きる力も奪われてしまうようです。

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life is fragile

2014-01-07 | Weblog
人は、生まれたと思ったら、生老病死と八苦の中で、あっという間に年老いて死んで行きます。少年は老いやすく学はなり難しです。人間は、精巧にできた肉体と精妙なる精神を与えられて、地上に生まれ、思い通りにならない地上での不自由な生活を経験して、終わりを迎えます。

道に落ちた枯れ葉が、初冬の風に吹かれて、かさかさといういう音を立てるとき、すっかり寒くなった夕暮れ時の濃紺の空を見上げるとき、あと何回、この季節を過ごすことが私に許されているのだろうか、と思ったりします。それでも、その少し物悲しい気分は、決して悪いものではありません。命のはかなさ、を感じれるからこそ、その尊さもわかるのではないだろうかと思います。

「life is fragile」と、死に近づいた時のスティーブ ジョブスがテレビのインタビューで呟いたときの顔が強く印象に残っています。それは、人生の大半をパソコン技術に捧げて、栄光と挫折の中を夢中で走りつづけた男のreflectionの言葉です。多少の違いはあるにせよ、われわれの多くがジョブスと同じように人生を生きて、気がつけば、もうその終わりだった、そんな感慨を持つものではないでしょうか。Fragileだからこそ尊く、繊細で精密だからこそfragileなのだと思います。

映画、「生きる」の中で、死期の迫った志村喬が、ほとばしる命の輝きを見せる若い女性を見て「命短し、恋せよ、乙女」と歌います。「恋」という感情は広く解釈されていますが、もとを正せば、生物としての生殖本能、ドーキンス的には「利己的な」生命の本質から生まれて来ていると私は解釈しています。「Love」と「Lust」の関係は、「青は藍から出でて藍よりも青し」ということわざの「青」と「藍」の関係に近いのではないでしょうか。ならば、生殖本能から由来した「恋」は基本的には若者のものです。そして「恋」と対句になっている若者の専売特許と言えば「革命」です。

「恋と革命」は、若きマルクスと親交もあった詩人、ハイネの枕詞で、私の子供の時は、ハイネの詩集を持ち歩くのが「ませた」高校生のステロタイプでした。ハイネの詩集は、恋愛、または(もっと低い確率で)革命活動への参加を暗示する漫画の小道具としても使われていました。その対句となっている「恋」と「革命」、いずれも激しい「情熱」が必要です。私の年では、情熱はあっても、いこし終わった後の炭火のようなもので、激しく燃え上がりません。「恋と革命」の精神はそれでも残ってはいると思いますが。

上のような連想をしたのは、今年、91歳になられた瀬戸内寂聴さんの最近の言葉を、又聞きしたからです。「続 壺 齋 閑 話」の「瀬戸内寂聴さんの死に支度」から。

読書誌「図書」の最新号(2014年1月号)に、瀬戸内寂聴さんの「これまでの100年、これからの100年」と題する講演記録が載っていて、興味深く読んだ。というのも冒頭で寂聴さんは、「毎日毎日が私にとっては、まさに死に支度ということです」と宣言されているからだ。
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寂聴さんは聴衆の皆さんにむかって、「皆さんにお会いするのはこれが最後と思います。そう思ってまいりました」という。最後にあたって寂聴さんが聴衆の皆さんに向かって勧めたことといえば、想像力の芽を育てて欲しいということだった。想像するというのは、相手が何を思っているか想像力をはたらかせることで、これは思いやりであるともいう。思いやりと言うのは愛である。つまり想像力=思いやり=愛、そういうものだと思う、と寂聴さんは言う。
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91年にわたるご自身の人生を振り返って寂聴さんは、「生きるということは愛することですね」と総括しておられる。愛することは若い時のほうがよいが、年をとってもできる、という。また、生きることは恋と革命だともいう。何故ここで革命が出て来るのか、よくわからないが、どうも常に自分を乗り越えていくということらしい。
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年をとれば、「恋と革命」の解釈も変わってきます。もっと広く静かなものなるようです。「生きるということは恋と革命だ」という言葉は、本当に「生きて」きた人の実感でしょう。恋(拡大解釈して「愛」)は、生命の、そして宇宙の根源のエネルギーです。そして革命は人間や世界に対する愛に基づいて起こされる行動であると解釈できるでしょう。生命のエネルギーに満ちている若者はそれが自然にできる、しかし、年をとっても、「恋と革命」を実践する方法はあります。「思いやりとその実践」、「良心に従って声を上げること」です。ダライラマも「思いやりが大切なのだ」と言っていました。大きなことはできなくても小さなことからコツコツとやりたいと思います。

さしあたっては、(エルサレム賞の村上春樹さんの言葉を借りれば)卵の側に立ち、アベ政権というバカの壁を崩すことが、われわれの「恋と革命」ではないか、そのために、静かな情熱を持って、考え、発言していくことではないかな、と思います。
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新年あけましておめでとうございます (2014)

2014-01-03 | Weblog
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

「新年がめでたい、今年もよろしく」という定型句ですが、これらの言葉には特別な意味はないように思えます。おはようございます(早いですね)こんばんは(もう晩ですね)などの言葉にとりたてて意味がないようなものでしょう。「よろしくお願いします」例えば、これを英語に翻訳しようとすると不可能です。目的語も主語もありませんから。何をどうすれば、よろしいのか、外国人には多分、理解できません。このあたりが、良くも悪くも、日本語の「味」というか、空気を読んで意向を忖度し、予定調和を念頭に、場を荒立てずに、阿吽の呼吸でいきましょう、という奥ゆかしさというかが表れていると思います。一方、この行間を読み、和を尊び、直接的表現を嫌う文化がもっとも馴染まないのが、議会制民主主義ではないかな、と思います。国会の質疑応答で、政治家が官僚の書いてもらった意味不明の官僚語の作文を読んで、民主主義政治ごっこしていますが、その言語明瞭、意味不明瞭、の官僚作文を読んで議論しているつもり、というのが典型的な例ではないかと思います。学会発表でもありますね。発表に対する質問者の質問に答えるのが目的ではなく、その場を丸く収めるのを目指して回答する人。学会において情報の交換を目的としないような、何の新たな情報も得られない時間つぶしのような質疑応答は本当に時間のムダだとしばしば思います。

しかし、そういう特殊な場合を除けば、話は別です。その言葉に大した意味がこもっていなくても、言葉を誰かに向かって投げかける、という行為にはもっと重要な意味があります。ウチの母は今年は私からの新年の挨拶が遅れて、がっかりしていました。挨拶することは、相手(の存在)を認めることであり、それこそがコミュニケーションの最大の目的であると言ってよいと私は思います。言葉が理解できる必要さえありません。私はあなたがそこにいることを知っていますよ、あなたの存在を認めていますよ、そういうメッセージが送れれば、それで十分ですから。(人間、無視されることほど辛いものはありません)

それはさておき、「新年がめでたい」という表現に関しては、私はそのままの意味を噛み締めるべきであろうと思います。新年の何が一体、めでたいのか、という話は前にもしたような気がするので、また繰り返しになるかも知れませんが、新年は絶対的にめでたい、と私は思っております。
「門松は冥土の旅への一里塚」という句を、昔はアレコレと皮肉に解釈していましたが、今では、この句を聞いても新年が来る度に、一歩一歩、お浄土へ近づいているのだ、ああ、めでたい、と素直に思えるようになりました。一休さんがどういう気持ちでこの句を読んだのかは知りません。「めでたくもありめでたくもなし」と続きますが、きっと本音は「めでたい、めでたい」であったのであろうと想像しています。

「人生に死という終わりがあって良かった」と私が言うと、それは大変ネガティブな考えではないか、と反応する友人が約5割の確率でいます。でも、そんな人でも、「では、もし絶対死ない方が良いのか?」と聞きかえしたら、答えに逡巡するものです。多分、キリスト教のように、人生は一回きりで、終わったらもう二度と人間界に生まれ変わることがないというような教えを信じている人ならば、死というものに対する忌憚の念は、われわれ東洋人よりも強いかも知れません。私は、生まれ変わりはあると信じている方が、今回はダメでも、次の半荘で挽回できる(かもしれない)、と希望をもてるので精神衛生上、よいのではないかと思います。

昔の中国では、死ぬことを「借りを返す」と表現していました。この世での体と命は借り物で、一生が終わったら、「ありがとう」と言って、借りたものを返す。(それで、また順番が回ってきたら、次の体を借りて、この世に帰ってきて、楽しむ)そういう意味ではないかな、と思います。苦しい事や面白くないことが多くても、「誰か」が、われわれに命と肉体を貸してくれて、様々な経験をする機会をあたえてくれるのです。たいへん有り難いことです。こうして、また一年が無事に過ぎて新年となり、まだ引き続いて何らかを経験をするチャンスがあるのです。生きてるだけで有り難い、新年になってお節が食べれて有り難い、唯々、めでたいです。そう思います。

そして、いよいよ終わりになれば、「いろいろ経験できて、楽しかったです、ありがとうございました」と言って、命と体を返す、そうありたい、と私は思っております。
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