百醜千拙草

何とかやっています

見直しの時期

2016-06-28 | Weblog
理想と現実をすり合わせ妥協点を見つけていくというのは、なかなか根気のいる作業です。当たり前ですが、キレて投げ出すというのが最も良くない結果を生むのですけど、それを学ぶのに私は随分失敗を重ねました。今だに反省すること多しです。

「世界は一つで人類は皆兄弟」は真実でありますが、それを地上の皆が行動に現すことは今はまだ理想です。現実は、沈む者がいるから浮かぶ者があり、他人はみんな泥棒で、人の不幸は蜜の味であったりします。

「自分が一番可愛い」という人間の動物としての本音の部分は認めつつも、実は、自分も他者も等しく地球という家に生まれ育つ家族であるという理想に近づいていけるように、根気良く努力するところに人間の成長があるのだろうと思います。しかし、ジョンレノンのイマジンみたいなところ、国境も国も天国も地獄もないような世界に行きつくには、人類全体がその理想を共有し、努力していく必要があり、まだまだ途方もない時間がかかるであろうと思われます。

そんなことを考えながら、今回のイギリスのEU離脱のことを考えていました。ソ連崩壊につながったペレストロイカと状況がちょっと似ているような気もします。EU発足当時は、一般イギリス人も、ヨーロッパが一つの国のようになって、人々が自由に交流できることを、理想に近づく一歩として歓迎したでしょう。でも現実は、貧しい地域の人々が豊かで社会保障の優れた国を目指して大量移動し、結果として以前からのイギリス住民の負担を一方的に増やしてしまい、結局、理想のためのガマンも限界だという状況に追い込まれたというように感じます。しかし、生きるのに精一杯の貧しい移民の人々にとっては、理想よりも目の前のパン、腹が減っていては、比較的豊かに暮らしていたイギリス住民と同じレベルで人類愛や理想を語るのはムリです。またイギリス住民にとっても、これほど急激に増加する移民は想定外だったでしょう。増える人口でこれまで受けられていたレベルの社会サービスを受けることが難しくなり、病院は飽和し、学校の教育の質は低下し、犯罪は増加するわけで、中流家庭にとっては、彼らの生活が脅かされるとさえ感じるようになったのではないでしょうか。

理想は現実に基づいて作り上げられるものであり、現実が変化すれば、それに応じて理想も変化していくのは自然なことであろうと私は思います。EUの発足は殺し合いの歴史であったヨーロッパを核の時代の破滅的な荒廃から守り、かつより大きな経済活動を推進するという意図であっただろうと思います。そのより大きな経済活動の結果は、グローバル化という非人間的な経済によるカースト制の推進であり、消費活動の拡大による環境破壊ではなかったのではないのでしょうか。すなわち、「命よりもカネ」の傾向があまりに露骨になりすぎました。豊かな人々はより豊かに、持たざる人々の生活はより苦しくなり、貧富の差は広がりました。ヨーロッパ諸国の中での経済格差も歴然としたものがあります。

今回のイギリスのEU脱退の動きは、EU発足時の理想というものを、一旦、立ち止まって、見直す時期であることを意味しているのではないかと私は思います。戦争を防ぎ、人々が人間らしく幸せに暮らすために、ヨーロッパの国境をなくして「均一化」しようとするやり方がかえって社会の歪みを生み出したように見えます。貧富の差がまだまだ大きいヨーロッパ諸国の現実を考慮してプランを作り直した方がよい、とイギリス住民は考えたのではないでしょうか。目的は、戦争のない平和で人々が幸せに暮らすことができる社会の実現ですから、EUという手以外にもやり方はあるのではないかと思います。

ですので、今回のイギリスのEU脱退は、理想からの退行ではなく、新たなより良い理想を求めるための有意義な実験の始まりであると私は捉えたいとおもいます。今後、EU諸国にどのようなことが起こるのか、そのデータは貴重なものになると思います

ソ連が崩壊したように、EUという形も一旦、リセットして、また違うタイプの共同体を作るのがいいのかも知れません。壊すことなしには、より良いものに作り変えることはできないですし。
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企業とアカデミアの研究

2016-06-24 | Weblog
先日、とある大手製薬会社が主催した「交流会」に行ってみました。目的は人材の発掘ということらしく、多分50-60人の参加者の半分ぐらいが、転職に興味があったのではないかと思います。交流会とはいうものの、前半は、就職説明会みたいな感じでした。その後、参加者と会社関係者とでmignlingが始まったのですが、私は、たまたま隣にいたイメージング技術の開発などをしている工学系の研究者の人に、この方も製薬会社への転職の希望はないとのことなので、いろいろ面白い話を聞かせて貰っていました。

そこへ会社の研究開発部門の人がやってきたので、アカデミアとの共同研究への取り組みや、研究開発のストラテジーなどを聞いてみました。ま、バイオテクや中堅製薬会社のR&Dにいる人に聞いているのとと同じような話です。会社ですから、規模と制約は大きいですが、アカデミアの研究室と基本的な部分では変わらないな、と思いました。そして、そのワケは、ひょっとしたら実は、アカデミアの研究の方が製薬会社の研究スタイルに近くなってきたからではないか、と私は思い直しました。

アカデミアでもグラントを取って出版し続けないと回らないわけで、その点では、研究資金を調達して薬にして利潤をあげないと回らない製薬会社と同じです。利益の出せる製品を出すためには人々のニーズに応えないといけません。同様に、アカデミアでグラントを取るためには、やはり人々の興味のあることで、インパクトのある計画を提出する必要があります。生命科学系だと、どうしても病気とのつながりについて議論せざるを得ませんし、そうなると、その研究が如何にその関連した病気の治療や予防に役に立つかという具体的な話に自然となって、最近では、結局、Translationalな研究、製薬会社がやるような研究のミクロ版みたいなものを計画書に入れざるを得なくなる、という感じになっています。以前ならば、病気とのつながりは、本題に入るための落語のマクラみたいなもので、形式的なのでしたが、いまや競争も激しくなってきており、パッと見てそのインパクトが明らかな研究、実際的なものにすごく役に立つような研究が高評価を得るような傾向が進んできたために、疾病との関連性は単なるマクラでは通らなくなってきました。ま、計画書を評価する立場に立ってみれば、それはそうだろうと思います。数十とある申請書から最終的にトップ1-2割を選別するわけですから、シンプルで意義が明らかな研究ほど最終候補に残る可能性が高くなるわけで、従って、何らかの実利的効果が期待できる研究が選ばれやすい、ということだと思います。

ただ、製薬会社と違うのは、アカデミアで研究費申請の研究計画というのはあくまで、金を取ってくるための方便にすぎないということだと思います。もちろん、実績がないと金は取れないので、なんでもウケそうなネタを書けばよいというわけではなく、ある程度の本気度は必要です。しかし、研究計画を立てて、研究申請書を出して、運良くそれが当たって、実際に研究費が支払われるまでの間には、年単位の時間がかかることも多いわけで、現代のように進歩の激しい研究業界では、一年前の素晴らしい計画が、実際に研究費が下りたころには、まったく無意味な研究に成り下がってしまうということもしばしばあります。ですので、研究費は必ずしも計画を遂行するためではなく、もっとも有意義な結果を出せる活動に使われることになります。しかし、おそらく製薬会社ではそういうわけにはいかないでしょう。研究の中身と資金はかなり厳密にコントロールされるであろうと予想されます。事実、とある製薬会社からの小さなグラントをもらっている知人は、半年で3回の会社側とのミーティングとシンポジウムでの発表を課せられたとボヤいておりました。これではグラントというよりコントラクトです。

会社側の人は、企業での研究はチームプレーであることを強調し、それぞれの持ち場で、社員が生きがいを持って働いているという話をするわけで、勿論、その通りなのですが、合う合わないがありますね。私は和を尊ぶ平和主義者ですが、チームプレーとか体育会とか、トモダチとか絆とか、アベ自民党とかは、どうも、ちょっと。
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Dance with My Father

2016-06-21 | Weblog
日曜日は「父の日」でした。
自分が子供のころ、「父の日」という日があったかどうか、それを祝っていたかどうか、よく覚えておりません。母の日にカーネーションというのはあったような気がします。子供の時は、両親に何か特別なことをしたこともなく、ワガママで自分勝手で、親孝行というものをしたことのない不孝者の子供でした。

土曜日にちょっとだけ仕事をして昼過ぎに帰ってきて、何か軽く食べようと思って冷蔵庫を開けると、「父の日おめでとう」と書いたカードとチョコレートを抱いた小さなクマのぬいぐるみが冷えていました。
ウチの二人の息子たちの贈り物です。

自分は自分の父に何もしたことがないし、子供も放置してきたのに、ウチの子供たちは、ちゃんとそんな父親を気遣ってくれるのです。何と幸福なことだろうかと思います。子供が、思いやりのある「良い人間」に育って、そして健康で幸せに暮らしてくれること、親にとってそれ以上の喜びはないです。私は恵まれているのだなあとつくづく思いました。

孝行したいときには親はなし、とはよく言ったもので、私の父親は、私が何一つ孝行らしいことをしたこともないうちに、突然、この世を去ってしまいました。その時は随分、後悔しました。その後悔も、のど元過ぎればなんとやら、それからずいぶんの月日が流れ、日々の数々の瑣末事の前に父親のことを思い出すことも少なくなりました。

今年の夏は父の法事があります。それが終わってしばらくすると、私は父親よりも年上になるのです。そう思うと時の過ぎる速さに驚きます。

父は、カッコいい不良であり、会社員であり、それから独立して商売を始め、零細ながらもシャチョーをやっていた人でした。親分肌で若い人にも友人にも慕われていたと思います。我が身と比べてみると、その父親よりも年上になろうかという年齢になっても私はいまだに子供のままだなあ、と感じます。昔の私は、クズではありましたが不良ではなく、カッコ悪いことから逃げようとするために却って醜態を晒すタイプで、人と関わるのが苦手なくせに寂しがり屋、といういじけた子供でした。最近、多少はマシになりましたが、やっぱり三つ子の魂です。ま、それでもいいか、とは思っておりますが。

若いとき好きだったLuther Vandrosが10年ちょっと前に死んだ時、ラジオで繰り返し掛かったのは、遺作となった「Dance with My Father」でした。2003年にグラミーでSong of the Yearとなったこの曲は、糖尿病の合併症で亡くなった自身の父を歌ったものでしたが、その翌年、今度はLuther自身が糖尿病の合併症で亡くなることになったのでした。

早くして亡くなってしまった父親、その父親との思い出、夫を失った母の悲しみ、しみじみと歌われるのを聞いていると、当時は、まるでLuther自身が自分の死について歌ったかのようにも思えて、妙に泣けてきたものでした。

私の父親が死んでから随分経ちますが、夢に出てきてくれたのはほんの数回です。そのうち時間が来れば、また会うことになるでしょうが、きっと、その時は私の方が年寄りになっているのでしょうね。そんなことを思いながら、この曲を聞いていました。
久しぶりに聞いてもやっぱりちょっと泣けますね。



追記。このビデオクリップに出てくる数々の有名人の人々は、病気で倒れてPVに自ら出ることができないLutherに代わって出演したものだそうです。
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目くらまし

2016-06-17 | Weblog
研究も私生活に関しても日々まずまず平穏で、たいしたニュースはありません。
久しぶりに「内田樹の研究室」が更新されていて、ルモンドの記事の翻訳が紹介されていましたので、すでにお読みになった方も多いとは思いますが、その一部を転載します。

舛添氏の奇癖は以前から知られていた。「2014年の知事選以来、舛添は会計上の規則違反を繰り返してきたと言われている」と都政に詳しいある人物は指摘している。民放テレビやスキャンダル専門紙で連日のように荒れ狂ったメディアの暴風について、この専門家は「攻撃は周到に用意されていたもので、タイミングを計って行われた」と言う。情報筋によれば、この攻撃は計画的なもので、官邸の暗黙の同意を得て行われた。
メディアが知事問題一色に染まったために、報道された場合に政府にとって不都合ないくつかのニュースが結果的に報道されなかった。知事についての報道の開始は、英紙「ガーディアン」が2013年にブラック・タイディングに対してなされた130万ユーロの資金流入についてのフランス当局の捜査について報じた5月11日と同時期である。シンガポールに拠点を置くこの会社はパパ・マサタ・ディアク−1999年から2013年までIOC委員、前国際陸連会長で、現在は汚職で捜査中のラミーヌ・ディアクの息子−の所有するものであり、この資金は日本の五輪誘致チームから出たものと見られている。
日本では、このニュースは二人の人物を巻き込む可能性があった。一人は現在も政界に力を持つ森喜朗元首相。彼は五輪の東京招致を推進し、現在も五輪組織委員会のトップにいる。もう一人はJOCの委員長で、皇族の竹田恒和である。
同じように、舛添氏に対する攻撃は「パナマ文書」の暴露とも同時期だった。日本の400の個人名と企業名がそこに言及されているというのに、日本のメディアはこれについてほとんど何も報道していない。
「さらに、舛添事件によって、7月10日の参院選の選挙選のスタートが丸ごと隠蔽された。これはさまざまな批判、とりわけ経済政策の失敗についての批判を回避しようとしていた政府にとってはまことに好都合なことだった」と専門家は語っている。


やはり、多くの人が違和感を感じたように、このセコい事件を延々とメディアが引っ張ったのは、目くらましだったのでしょう。この記事ではオリンピック招致における「電通」が絡んだ賄賂事件(これはフランスが調査中なので、ルモンドが特に取り上げているのでしょう)、それから、パナマ文書の問題(電通はここでもやっていましたね)への人々の注意を逸らすためであろうという話があります。政府が電通を通じてメディアをコントロールしているという話はずっとあるわけで、お互いの不祥事の報道は抑えたいのは彼らにとっては当然です。

、私は、しばらく前にも書きましたが、自民党の元TPP大臣の収賄事件を不起訴にした事件の隠蔽も大きな理由ではないかとおります。この収賄事件は現職自民党議員のものですから、突っ込まれると選挙に響くということでしょう。それにしてもこの方、収賄事件が公になったら、その瞬間に健康上の理由で国会にこなくなったくせに、不起訴となったら、急に健康障害が完治して政治活動に復帰する、というのだから、現金なものです。これはテスト前のうちの子供の腹痛なみです。

ま、国民は、いつまでもテレビや新聞での政府や広告主に都合のよい話を真に受けて意見誘導される都合のよい存在ではないとは思います。ウチでは既に誰もテレビは見ません。ラジオは生き残っても、全国ネットのテレビ放送という産業はそのうち消えていくのではないでしょうか。
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放射能、集めてばら撒く山桜

2016-06-14 | Weblog
数日前のニュース

公共工事で除染土を再利用へ 全国の道路、防潮堤に (東京新聞)
東京電力福島第1原発事故に伴う除染廃棄物の減量と再利用に向けた環境省の有識者検討会は7日、東京都内で会合を開き、放射性物質濃度が基準以下となった除染土を全国の公共工事で使うとする再利用の方針案を大筋で了承した。近く同省が正式決定する。
方針案によると、管理責任が明確で、長期間掘り返されることがない道路や防潮堤などの公共工事に利用先を限定。工事中の作業員や周辺住民の年間被ばく線量が1ミリシーベルト以下となるよう、用途や期間に応じて放射性セシウム濃度を1キログラム当たり5千~8千ベクレル以下と定めた。


わざわざ放射性物資で汚染された土壌を集めて分けたのに、今度はそれを全国にばら撒くそうです。
以前に、大量に放置されているこの汚染土を詰めたゴミ袋をドローンで写した映像を海外のマスコミで大きく流されたことがありました。海外に対しても国内に対しても、溜まる一方の放射能汚染物質を放置していると、原発事故の収束の見通しが立たないことをまた避難されて、福島も会場の一部となる東京オリンピックにも響く、というわけで、国としては、何かしているポーズを取りたいのでしょうね。かといって、根本的な解決法があるわけではないので、結局はいつもの通り、ツケは全国の住民にコッソリ回して、汚染をバラまいて薄めてしまえ、というのが、いかにもニッポン政府です。大きな問題は見ない、目先の問題は、ゴマかし、すり替え、先送り、自分たちが退職金をもらうまでボロがでなければ、その後は悠々自適の海外移住、後は野となれ山桜、絆だ、トモダチだ、ニッポンチャチャチャ、欲しがりません勝つまでは、と日本人の思いやりと和を尊ぶ心に付け込んで、結局はオノレがためという政府、さすがは民主制官僚独裁国家、ちゅーことですな。

この放射能廃棄物の再利用する今回の基準がいかにキチガイじみていかは、10年前の原子力安全委員会などでの文書から明らかかと思います。是非、下の署名サイトからリンクを見てみてください。一部、抜粋します。

そもそも3・11以前から今に至るまで、原発施設などから発生する100ベクレル/kg以上のものは、「低レベル放射性廃棄物」として、厳重に管理・処分されてきた。今回の「8,000ベクレル/kg以下、再利用しちゃえ」基準は、2011年時に、「非常時だから8,000Bq/kgを通常のゴミと同様に処分してしまえ」という環境省の方針を、さらに。緩めたものだ。

100 Bq/kgと8,000 Bq/kgの二つの基準の違いについて (環境省廃棄物、リサイクル対策部)(PDF)
廃棄物に含まれる放射性セシウムについて、100Bq/kg と 8,000Bq/kg の二つ の基準の違いについて説明します。
ひとことで言えば、100Bq/kg は「廃棄物を安全に再利用できる基準」であり、 8,000Bq/kg は「廃棄物を安全に処理するための基準」です。 

原子炉等規制法第61条の2第4項に規定する規則では、再生利用の基準は放射性セシウムについて100ベクレル/kg以下となっている。これは、原子炉施設のクリアランス・レベル(これ以下は放射性廃棄物として扱わなくてもよいというレベル)については、総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会廃棄物安全小委員会において、2004年(平成16年)に報告書を取りまとめ、2005年(平成17年)に原子炉等規制法を改正し、クリアランス制度を導入した。これだって、相当「甘い!」という批判があった。、、、


それにしても、1キロ5000- 8000ベクレルと言うレベルは、放射性同位元素を使って実験している人間からすれば、強烈な量の放射能です。それを道路などに何万トンというレベルで使うのでしょう。これからは、どこに行くにもガイガーカウンターが必要になりそうです。

オンライン反対署名

緊急署名 放射性廃棄物を含んだ除染土を公共事業で利用する方針の撤回を

もう一つ、福島でのオリンピック競技に反対する署名活動も行われているようです。

No Olympics or Paralympics in Radioactive Fukushima!
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xxとカネ

2016-06-10 | Weblog
資本主義の世の中、つまり現在ならカネですね、カネのために働き、カネを使って人をコントロールし、カネのためには(他人の)命や地球環境の犠牲もやむを得ぬ、そういう考えの人間が、国のトップにいるというのは不幸なことです。(そうでなかった例は少ないかもしれませんけど)ウルグアイのムヒカ大統領の話が、人々の心を打つのも、そういうカネ第一主義の政治家しか見当たらないという理由かもしれません。

ま、それはともかく、資本主義の原理で動く社会に大勢の人々が生活しているのだから、そこで生きて行くためには、好きキライは置いておいて、「結局、世の中カネよ」という理屈で社会は動いているという現実は受け止めて、それに対処していくしかありません。アカデミアも例外ではありません。

先日、医学部の学生さんとたまたま話をする機会がありました。休みを利用して体験した基礎研究が楽しかったようで、目をキラキラさせながら、「医学研究をしたいので、卒後に海外の大学院に進みたいです」という話をするので、どう反応すべきか、しばらく沈黙してしまいました。
 初対面の人だし、本来、研究の夢を語り、研究で生きて行くのは大変なこともあるけれど報われることもあるよ、みたいな話をすべきだったのでしょうが、結局は、つい、「へへへ、旦那、地獄の沙汰もカネ次第でっせ」みたいな話をしてしまい、すっかり鼻白ませてしまいました。本音はそのような現実の中で、カネではないところを目指して頑張りましょう、と言いたかったのですけど。

少なくともアメリカでは、アカデミアで研究で成功できるかどうかは、どれだけカネを取ってこれるかに依存し、それによってポジションも昇進も決まると言ってよいのではないかと思います。研究者に論文や仕事のインパクトが求められるのは、突き詰めれば、インパクトのある仕事を出せば研究費を取れる確率が上がるからに他なりません。研究費がなければ研究もできないし、研究費を取れないと、研究費についてくる間接経費を当てにしている大学やその雇用者の生活にも響きます。すると仕事は出ない、インフラは劣化する、人も雇えない、仕事がでないからカネも当たらないという負のスパイラルに落ち込むというワケです。

それで、その医学部の学生さんには、とりあえず学生時代には良い成績を取っておくこと、良い師を求めること、奨学金には積極的に応募すること、などを伝えました。私が若いときに、そうしたことに真面目に取り組まなかったことを今になって後悔しているからです。私、大学の専門の勉強は嫌いではなかったのですが、試験に関しては通ればよいとしか考えていなかったので、卒後随分してから、自分の成績表を取り寄せてみて、あまりの出来の悪さに我ながら情けなくなりました。試験はよい成績でパスしておかないと奨学金を取れる確率が減ります。奨学金が取れないと、一流の研究室の一流の師のもとで研究をするという機会を得ることが困難になり、したがって、インパクトのある論文を出せる確率が低くなり、よい論文が出せないと独立してやりたい研究をするためのポジションや資金を得る確率が低くなります。やはり、二流の施設の二流のラボから一流の仕事を出すのはなかなか困難です。

ま、そうやってゴールを設定してその達成のためにひたすら頑張るという人生が幸せかどうかは別問題です。しかし現実問題として、やりたい研究をやるためには、背水の陣で文字通り生き残りをかけてやってくる世界中の研究者とポジションとカネを奪い合うという競争に勝ち残らねばならない、という現実は急には変わりません。研究をやりたいからと、独身を選んだ有名ステムセル研究者の例もあります。それだけの献身と情熱を払ったからこそ彼女の成功があると思います。
しかし、私は、カネとポジションは奪い合うのではなく、回しあう方が、長期的にはプラスだろうと思っているのですが。

とりあえずは、まずは先立つものがあってこそ、研究も学問も物好きの暇つぶしと言ってしまえば、道楽にカネがかかるのは当たり前の話ではあるのですが。
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カシアス クレイの肖像

2016-06-07 | Weblog

東京都知事、サンドバッグになっていますが、「クレヨンしんちゃん」の本を必要経費で買ったなどというみみっちい話がトップ記事のタイトルになるのは、やはり異常だと思います。私、この人も前の不祥事で辞めた都知事もその前の自称文豪の人も、ついでに号泣議員も全員気に入りませんが、どうも後ろ足で砂をかけた自民党にも余り好かれていないこの人が血祭りにあげられているのは理由がありそうです。自民党にとって、突っ込まれると政権運営と次の選挙に影響が出るもっと大きな不祥事への注目を反らせたいからではないでしょうか。
 ど真ん中ストライクの真っ黒の案件で、久々に特捜も汚名挽回のチャンスとなるはずであった元大臣の収賄事件のことです。蓋を開けてみれば「不起訴」の大茶番、呆れ返った人も多かったでしょう。どうも小沢氏の事件の黒幕とも言われた法務省の誰かさんがもみ消したという話。さすがは、官僚と政権与党、越後屋と悪代官、水心あれば魚心。コッチはもみ消し、代わりに東京都知事の事件を煽って、目くらましということですな。東京都知事、目くらましに使われて多少気の毒な気もしないではありませんが、やっぱり自業自得ですね。

さて、話変わって、先週末、モハメド アリが死去とのニュース。
私の子供のころにアリはすでに伝説で、蝶のように舞い、蜂のように刺す、その華麗なる一撃は、榎本美恵子さんにも真似されるほどでした。
アリの全盛期の試合は私はリアルタイムで見ていたわけではありませんが、その活躍ぶりは何度もマンガや映画の題材となっています。
ヘビー級ボクシングで、実際に覚えているのは全盛期のマイク タイソンのブームですね。確かその後ぐらいに、すでに腹が出ていたジョージフォアマンが40過ぎてカムバックし、復帰後いきなり30数連勝を重ねているのをTVでみて、その化け物ぶりに驚いたことを覚えています。タイソンやアリのスピードではなく、フォアマンは重戦車のように相手を薙ぎ倒すスタイルでヘビー級ボクシングならではの醍醐味でした。そのフォアマンに最初に引導を渡したアリの試合を見たくなって、キンシャサの奇跡と呼ばれる伝説の試合を見てみました。重戦車フォアマンのパンチをガードで交わしつつ、相手の体力の消耗を待って、蜂の一刺し。アリの戦略がちですね。

アリは、リング外での活動も注目を浴びました。私は、反戦運動、人種差別撤廃運動、人道主義的活動や、引退後にテレビで見せるユーモアに富んだ話などの方をよく覚えています。ボクシングの後遺症と思われるパーキンソン症を発症したのは不運でした。しかし、パーキンソンのせいか表情を変えずに放つジョークに磨きがかかり、その人間的な魅力は多くの人に愛されました。

調べてみると、アリのプロでの成績は、56勝5敗で、このうち37勝がノックアウト勝ち、一方、フォアマンは、81戦76勝5敗、68ノックアウト勝ち、二人とも化け物ですな。

アリの名言集を見つけました。

チャンピオンはジムで作られるものじゃない。彼らの奥深くにある「何か」で作られるんだ。

肯定の繰り返しが信念につながる。その信念が深い確信になると、物事が実現し始める。

他者に貢献することは、この地球でのあなたの居場所に払う家賃である。

私が心から恐れるのは神の法だけだ。人が作った法はどうでもいいと言うつもりはないが、私は神の法に従う。何の罪も恨みもないべトコンに、銃を向ける理由は私にはない。

私ほど偉大になると、謙虚になることは難しい。

私の一番つらかった戦いは、最初の妻とのものだ。



アリの死に際して、フォアマンは、「大切な一部が逝ってしまった」とコメント。
ちょっと、さびしいですね。
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凡人の戦略

2016-06-03 | Weblog
あしかけ5年、ようやく論文が出たので、このプロジェクトに絡んで研究費申請したいと思い、どういう計画にするかをずっと考えております。やりたいことはいろいろあるのですけど。しかし、やりたいことを書いてもダメなので、審査員が私にやらせてやってもよいと思うような計画にしないといけません。

しかし、今どき万人が重要だと認めるような研究ネタがその辺に転がっているわけもなく、仮にあったとしても、そういうものはもっとエラい人々がすでに取り分は取ってしまっているわけで、自然と、自分の分野で自分の特技を生かした研究で、なおかつ意義があると思ってもらえそうなものという数々の制約の中で研究計画を立てることになります。当然、そんな制約の中でパッとしたものが簡単に思いつくわけもなく、あれこれ小さな実験をやってみたり、論文をひっくり返してみたり、そんな先の光が見えないような日々が長らく続いております。

かといって、競争のある世界ですから、ネタをのんびりと寝かせておくこともできません。先立つものはなくてもとにかく少しずつでも進めていかないと、あっという間に時代遅れになって、折角のネタもオクラ入りになってしまいます。その辺が苦しいです。

私は、これまで計画した研究がうまく成功したことが少なく、半分失敗したような題材の中に面白い現象を見つけて論文にするというスタイルでやってきているので、なかなかそういったネタを元に売れる計画を作るというのは難しいものがあります。やはり、研究費を貰うという点では、スケールは違っても、がん研究でのMoonshot計画みたいなトップダウンの目的が明確な計画をぶち上げる方が良いのに決まっています。しかし、派手な計画をぶち上げるためには、そういうことを言ってもバカにされないようなリーダー的なポジションを自分の分野ででも確立していないといけません。そのために、重なるリジェクトにもレビューアーの意地の悪いコメントにも負けず、毎日コツコツと勤めて、インパクトのある論文を書くために頑張り、東に小さな学会あれば行って営業活動し、西に共同研究のお誘いがあれば出かけて話を聞き、いつもニコニコと笑っている、そういう人にならねばならないのだろうと思います。

努力はしてますが、向いてません。

それにしても、あれこれ足掻いているのになかなか先へ進まないのはなかなか気分のよいものではないです。若いころはもっと簡単に絶望していました。
しかし、長年、こういう生活なので、たとえ現在はどうにもならないと思っていても、最後はなんとかなるものだことはわかっているので、とにかく目の前のことに集中してあがき続けるうちにヒントが見つかるだろうと、楽観的に日々を送るようにしています。3歩進んで2.9歩下がるぐらいで良しとしていれば、そのうちどこかに着くでしょう。

また、いろいろ足掻いている間に、世の中は狭いようで広く、上には上がいるということを深く実感することが増えました。私も無駄に足掻いたり年をとったりしているのではなさそうです。ヘビー級相手ににフライ級のパンチで正面からいったのでは勝ち目はありません。凡人は凡人なりの戦略で戦っていかねばならない、そこを工夫していくことが凡人研究者の楽しもでもあるのだろうと思います。

というわけで今日はあまり書くことがないので、本日の名言:The meaning of life is to find your gift, the purpose of life is to give it away. JOY J. GOLLIVER
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