百醜千拙草

何とかやっています

信用されない日本

2007-06-27 | Weblog
この間米国在住の中国人の人から「日本は憲法を変えようとしているらしいですね」と言われました。その人は日本にとりわけ興味があるわけでもないようなのですが、朝のラジオショーを聞いていて知ったと言っていました。アメリカの一般向けのテレビやラジオはゴシップ雑誌なみのレベルで、政治や外交の話題では国民の税金とか生活とかに直結しない限りろくな報道がされませんが、インテリ用の局というのもあって、そういう所では日本の憲法改正が国際的にどのような意味があるのかというような議論もされているらしいです。その中国人(大学教官)やその他の知識層は、日本が憲法を変えようとしていることを危機感を持って眺めているわけです。第二次世界大戦後、アメリカ流民主主義教育によって完全に骨抜きにされた日本が、再び立ち上がって軍隊を正式にもとうとしていることを危惧しているわけです。この憲法改正の動きは実際にはアメリカ軍の極東での下部組織として日本軍を組織するのが目的のようです。結局はアメリカの手先として働けるようにすることによって、権力階級がより甘い汁を吸おうとしているということらしいです。しかし一般市民で、アメリカ人であれ日本人であれ、戦争がおこってうれしく思う人はいないでしょう。皆が平和に幸せに暮らしていけたら良いと普通の人は願っています。戦争が必要なのは、それを政治的、金銭的目的に利用しようとする政治家や武器商人なわけです。ですから、この日本の憲法改正の動きを望ましいと思っている一般人はアメリカにもまずいないはずです。おそらく95%以上のアメリカ人は日本が憲法改正をしようとしていると聞いてもそれが何の意味を持つのか理解できないでしょう。戦後民主主義教育で戦争は絶対悪であると教えられてきた世代の日本人にとっては、それがアメリカの方便であるとは頭でわかっていても、憲法改正ということに対して強い不安感を抱くものだと思います。熱しやすく冷めやすい日本人の気質を考えると、憲法改正で軍隊を持って、軍国主義的プロパガンダがはじまると、容易に極端にはしってしまいかねません。特に日本の縦割り官僚主義では、一部の権力者が大声でしゃべれば、とたんに皆が右へならえしていまう恐れがあります。そういった国民性からも私は日本が憲法を変えて軍隊を正式に持つようにしようという方向は危険だと思うのです。同様に海外のインテリ層は日本のこの動きを快く思っていません。その中国人と話していてそのことを改めて感じたのでした。
過去の国家の他国への侵略、侵攻を考えると、軍隊は当然の自衛手段です。しかしこれだけ世界が狭くなり、日本の世界での位置が大きくなっている現在、本当に怖いのは北朝鮮などのカルト国家によるテロ攻撃ではないかと思います。それでは北朝鮮が軍隊を派遣して日本に昔流の戦争を仕掛けてくる可能性はと考えるとそれは極めて低いと思います。そんなことになれば、北朝鮮を叩いておきたいと思っている国に正式な攻撃の口実を与えることになります。仮にそうした場合に、日本が軍隊を持って自衛の範囲を超えて自ら北朝鮮へ侵攻することが、果たして日本にとってどれだけの利益に繋がるかと考えると、戦争を政治的な道具に使いたいと思っている政治家以外には、何の利益もないように思います。
たとえアメリカの都合で、戦後民主主義を押し付けられたものにせよ、憲法第九条を持っているということは日本にとっては幸いであったと思うのです。憲法を改正して軍国主義を復活しても、日本国民にとってよいことは何一つありません。アメリカのイラク侵攻を支持していた一般アメリカ人を見ていても、戦争を支持する一般大衆は戦争をスポーツか何かの娯楽の換わりに考えているだけで決して成熟した判断力があるわけではないのです。そういった大衆を権力側が操作するのはたわいもないことです。日本は幸いなことに憲法を持ち、そのことによって、扇動による一時的な感情に基づく誤った判断に対してのブレーキがかかっているのではと思うのです。世界のインテリ層は日本の政治家を信用していません。彼らは優秀な日本人が世界中で活躍していることは知っていますが、政治的な意味では日本という国は信用していないのです。
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スキーとエスカレータと研究

2007-06-24 | 研究
若い独身時代にスキーをしていた頃は、とにかくこぶありの急斜面を目指したものでした。リフトから山頂に降り立って雄大な景色を見るというのももちろんスキーの楽しみでしたが、いざ斜面に向かったらそこからはいかに思うとおりに滑り降りるかという挑戦に立ち向かうのです。私がスキーを始めたのは社会人になってからでしたから、スキーがうまいはずはありません。特に好きだったのは「奥志賀第三リフト沿い」と呼んでいたコースでした。当時は奥志賀のこのコースはそこそこの距離と幅がある上に、多くの人はゴンドラで山頂まで行ってしまうので比較的人が少なかったのです。当時初心者に毛が生えたような私ですからこぶの急斜面をこけずに一気降りできたことは一度もありません。それでも滑り出すときはフォールラインに真っ直ぐに向いてこぶの腹をヒールキックしながら(と頭でイメージしながら)滑りおりようとしたものでした。モーグルでは雪面とのコンタクトを出来るだけ保つことが重要視されるので、こぶで跳びながらヒールキックを連発するのは、コントロールの悪いヘタクソなわけで、そもそも跳んでいては、急斜面ではすぐ破滅してしまいます。私は「初心者に毛」だったのでこぶではどうしても跳んでしまい、そのうち跳びながらこけずに急斜面を降りるのがよいのだと勘違いしていたふしさえあります。そんな滑り方をしてこけない人はどこにもいません。というわけで、こぶの急斜面でこけなかったことはなかったのでしたが、それでもフォールラインからそれることだけはどうも無意識に拒絶していたのです。あるとき友人と一緒に滑っていたとき「どうしてこけるのに、そんなに真っ直ぐ滑ろうとするのか」と聞かれて、「えっ?」と思ったことがあります。フォールラインに真っ直ぐ向かずに滑ることは私にとってはやってはならない基本的なルール違反だと考えていたのです。そう聞かれてはじめて自分がありもしないルールに自ら縛られていたことに気がつきました。ルールというよりはこだわりだったのでした。せっかく急斜面にきているのにわざわざ斜めに滑ったのでは急斜面に来た意味がない、そのこぶの急斜面をこけずに真っ直ぐ滑り降りるのが私の挑戦だと考えていたのでした。それに実際、私はこけることが嫌いではなかったのでした。コントロールしきれなくておおきなこぶに飛ばされて雪面に叩きつけられる時、私はしばしば笑っていました。友人にはそれが変に見えたのでしょう。雪の上だから少々こけてもそうダメージはありません。あれだけこけまくっていたのに、これまでのスキーでの怪我は、ビンディングがうまく外れず右ひざを捻ったことと顔面からアイスバーンに着地してあごの下をバックリ切ったことぐらいです。その自由に失敗できるのがまたうれしかったのかも知れません。スキーをしなくなって十数年、仮に今度してもこぶの急斜面にはいかないだろうし、そこでこけたいとも思わないでしょう。
 昔、スキーの楽しみは自己実現の楽しみだと語ってくれた知り合いの先生がいました。少しずつ上達して、できないことができるようになっていく、その満足感がスキーの楽しみの大きな部分だと言うのでした。それ以外にも自然の中でゆったりと自由を味わうというのもあるだろうし、さまざまなレベルの楽しみがあると思います。 最近いろいろなレベルの研究者の人と話をする機会があって、研究もスキーも似たところがあるなあと思ったのが、これを書き出したきっかけでした。研究はもちろん挑戦な訳ですが、私のようにほとんどこけるのがわかっていながらこぶの急斜面を真っ直ぐ滑ろうとする初心者は余り多くありません。いかにゴールにうまく到達できるかという点が研究計画を「売る」ための重要なポイントですから、私のようにこける可能性が高いと「売れない」のです。しかし、失敗しない研究はないし、批判されない論文や研究計画はないわけで、研究者はそれらの大小さまざまな失敗にめげずに挑戦しつづけることでしかゴールに到達できないというのは事実です。この研究者の生活を「下りのエスカレーターを昇る」と形容した人の言葉を最近知りました。まさにその通りで、逆境にめげず昇り続けないと終点に着けないどころか、振り出しに戻ってしまうのです。私のように一気に終点を目指して駆け上がろうとしてこける人もいれば、下りのスピードとほとんど変わらないスピードでしか昇らないのでいつまで経っても終着点につかない人、終着点を目前にして立ち止まってしまい振り出しに押し戻される人、力強く着実に上っていく人、さまざまです。最近は研究者の供給過多や研究資金の制限などから、下りのエスカレータはより早い速度で動いています。皆が昔以上のスピードで昇ることを要求されるようになりました。終着点も一過性のゴールにしか過ぎません。そこを通過するとたいていより早い別のエスカレーターを昇ることになるのです。こうなってくると、終点につくことよりもエスカレーターを昇ることそのものに喜びを見出せないとやってられません。昨日よりも今日、今日より明日と少しでも早く着実にエスカレーターを昇ることができるように精進する、それを挑戦だと考えて、自己実現の一部と捉えれるようにならないと、最近の研究者生活は辛いですね。
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国歌君が代

2007-06-18 | 音楽
前回、君が代について思うところを書いたのですが、そのあと気になってWikipediaで調べてみたら、この曲についてはずいぶん色々意外な事実があることを知りました。また、そこには君が代は1999年に正式に国歌と認定されたと記載がありました。だから君が代はやはり国歌と言っていいようです。 曲については、次のようにありました。
当初フェントンによって作曲がなされたが、あまりに洋風すぎる曲であったため普及せず、後により日本人の音感に馴染みやすい曲に置き換えようということで、明治13年(1880年)に宮内省雅樂課の奥好義のつけた旋律を雅楽奏者の林廣守が曲に起こし、それにドイツ人音楽家フランツ・エッケルトによって西洋風和声がつけられた。以来、『君が代』は国歌として慣例的に用いられてきたものである。明治36年(1903年)にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、『君が代』は一等を受賞した。
 というわけで、私が間違っていた一番重要なことは、君が代は日本人にしかその良さがわからないかもしれないと思っていたことのようです。少なくとも明治時代の世界の人々は君が代の良さを認めていたということですね。また「天皇制賛歌」のように聞こえると思っていた理由は、どうもこの曲を軍国主義の象徴ととりわけ戦後に批判されてきたことが知らず知らずに頭にインプットされていたからのようです。この曲(歌詞)の歴史的成り立ちをみると、これは字余りありの三十二文字の和歌であり、はるか昔から天皇制や国家といった概念とは直接関係なく成立してきたものであるらしいことが分かりました。私が抱いていたネガティブなイメージはどうも反軍国主義者たちの過剰(?)反応から生じた誤解だったようです。というわけで、君が代は日本が世界に誇る国歌であるとひけ目なしに言えるようになりました。
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一人君が代を歌う

2007-06-17 | 音楽
君が代は小学校の頃、何かの行事のたびによく歌わされました。子供心にもその単調な曲を別段歌いたくもないのにみんなで歌わねばならないということで嫌でした。大きくなるにつれて、君が代を歌う機会もずいぶん減りました。二十歳台の頃でも、スポーツの国際試合などで、国家が歌われたりすると、たとえばアメリカ国歌のようなちゃんとサビのあるメリハリのある曲の後に君が代が流れたりすると、陰気くさいなあと思っていました。それに、人間みな平等でならぬと思っていた若い頃は、その天皇賛歌のような内容も気に入りませんでした。
今朝、子供を学校へ送っていく途中の車の中で、子供たちに日本の国歌を歌ってくれと言われたのでした。それで実は君が代が国歌であるかどうかも知らなかったのですが、他に知る曲もないので、車の中で君が代を歌ってみたのです。一人で君が代を歌ったのは生まれて初めてだったかも知れません。嫌々歌わされていた頃は大勢の中に交じって聞こえないぐらいの声でしか歌ったことはなかったのです。案の定、子供たちは退屈な歌だと思ったらしいです。しかし歌った本人は、以外なことに君が代はなかなか良く出来た曲だなあと、生まれて初めて君が代という曲にちょっと感動したのでした。何がよいと一言ではいえませんが、まずは曲に和音の進行というものが必要ないのです。和音をつけてもつけれないことはないだろうと思うのですが、この曲はメロディーの強弱だけでシンプルに歌ったほうが、じーんときます。和音進行を加えるとおそらく曲の広がりを限定してしまうでしょう。俳句とか墨絵みたいなものです。あえて言わない、あえて色づけしないところに奥ゆかしい魅力があるのではないでしょうか。同じ理由で子供にはこの曲のよさが理解できないのでしょう。この曲の比較的単調に思われるリズムの上でゆっくり歌われるメロディーは、むしろその一見して単調に見えるリズムとあたかも無調のような曲調ゆえに、却って音として聞こえない部分の音楽を聞かせているような気がします。また歌詞についても別段「君」を天皇と考えずに象徴的日本人と自由に解釈することもあっていいのではないかと思ったら、別段気にならなくなりした。機会があったら、一人でゆっくり味わいながら歌ってみてください。日本のよさが凝縮されていることに気づくのではないかと思います。君が代のよさがわかるのは日本人だけかも知れません。
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無事の人

2007-06-14 | 文学
自分の子供をみていると、「うちの子供はよくできているなあ」としばしば思います。人の子供をしげしげ見る機会が余りないので、人の子供がどれほど素晴らしいかよくわかりませんが、きっとその子供の親は私は同じように思っていることでしょう。子供を何かに比較して良い、悪いと判断しているわけではなくて、子供の姿形、一挙一動を眺めていて自然に湧き上がってくる感動なのです。
臨済の説法で、次のような一節があります。
「君たちは、祖師に会いたいと思うか。ほかならぬ君たちという、今わしの目の前でわしの説法を聴いているのがそれだ。、、、毎日のさまざまの働きに、いったい何が足りないか。眼と耳と鼻と口と身と心という六すじの不思議な輝きは、いちどだって止まった事はない。もしこう考えることができるなら、諸君はもう死ぬまで何事もない男(無事の人)である。」
子供を見ているとそういったことを実感します。人の知恵の及ばない神秘が目前にあるのですね。子供は私たち大人よりももっと「何事もない人」に近いと思います。迷うことなく毎日精一杯生きています。この「何事もない人」という表現は、よく掛け軸などにみる「無事是貴人」のことです。何事もない人が即ち仏であるとの謂いです。何事もないというとちょっと誤解を生みそうですが、達磨の無心論の中には、心が無いことを知ることが最高の知恵であるというようなことが書いてあります。無心であることと無事は同意だと思います。そこに引かれている法鼓経の一文には『心を見る事ができぬとわかれば、対象もまたみることはできず、罪も徳も見る事はできぬ。生死も寂滅も見る事ができないし、およそ何ものも見る事はできず、見る事ができないことも見る事はできない』とあります。更に質問者の、その無心というのは木石に心が無いというのとどう異なるのかとの質問に対して、達磨は次のように答えています。「われわれのいう無心は木石と違う。そのわけは、例えば天界の太鼓だ。無心といっても、おのずと霊妙な教法を打ち出して人々を導く、、、無心といっても存在の極相を悟り、真実の知恵を備えて、三種の身が思いのままに働いて止まぬ、、、無心とは真実心である、真実心というものは無心のことだ」もっと平たく言えば、無心の人、無事の人とは、自らの生そのものをそのまま100%肯定しながら(肯定しているという意識すらなく)生きている人のことでしょう。無心とはその「生」に意識の注釈を付け加えることなく、そのままに味わえる心です。子供をみているとそうしたストレートに力強い「生」の不思議に心を打たれずにはおられません。そして、そんな子供と一緒に生活できる幸せを感じずにはいられません。
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究極の幸福

2007-06-10 | 文学
2日前に、半年前に応募した研究費申請が通らなかったことを知りました。8割以上が落とされるので、まず予想の範囲ではあるのですが、やはりちょっとがっかりしました。最近はこういったことに耐性が着いてきているので、落ち込みも一日以上持続することはありませんが、いつまでたっても落ち込んだり、まれに喜んだりを繰り返しているなあと思ったときに、昔読んだ詩の一節を思い出しました。

山のあなたの空遠く
「幸い」住むと人のいう。
ああ、われひとと尋(ト)めゆきて
涙さしぐみかえりきぬ。
山のあなたになお遠く
「幸い」住むと人のいう。

この有名なカールブッセの詩は、私も上田敏の海潮音を読んで知りました。確かこの詩が一番最初にあったような気がします。読んだのは中学生ころだったような気がしますが、子供心にも幸福とは虹のようなものなのだなあと共感した覚えがあります。今になってみれば、この詩の何が良かったのかピンときません。
以前にも取り上げた蘇東坡の詩、

慮山は烟雨  浙江は潮
未だ到らざれば 千般恨み消せず
到り得帰り来って 別事なし
盧山は烟雨 浙江は潮

に比べてみれば、深みが足りないように思うのです。これらの詩はよく似た構造をもっていますが、前者では、幻の「究極の幸福」を求めたが見つけられなかったので悲しい、という内容なのに対し、後者では「究極の幸福」の正体について述べられています。「別事なし」というのは、「悟りの前は山は山、川は川であったが、悟ってみると山は山ではなく、川は川ではなかった。しかしもう一段上ってみると、山はやはり山であり、川は川であった」ということと同意なのだろうと思います。達磨大師の「無心論」、盤珪禅師の「不生禅」に代表されるように、仏教は昔から、「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色、、、」と分別の起こる前を会得すること、幸福と不幸が分かれ起こる前を見よと教えています。そこに気がついて「別事なし」の心でいられることが究極の幸福なのでしょう。(研究費申請、通るもよし、通らざるもよし、、、ということで)

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民主主義国家の本音

2007-06-07 | Weblog
格差社会での自分の位置をぼーっと考えていた時、福沢諭吉の「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」を思い出しました。戦後民主主義の「みんな平等」という教育を受けてきた私は、この言葉に疑いをいだくことなく当然のものと考えていました。今でもこの言葉は真実であると思っています。しかし、なぜわざわざ「天は」という主語がここに入っているのかふと疑問に思ったのです。今の世の中、国民は賢くなってきています。人々は、戦後民主主義というものが幻想というか要するに究極のゴールは実現しない理想に過ぎないということをだんだん実感しはじめているのではないのでしょうか。だからこそ、ブッシュは言いがかりをつけてイラクへ侵攻し、その大義名分が立たなくなったら、今度は「イラクが民主主義国家になることを助ける」ということを戦争の言い訳に使うのだと思います。権力側の人間にとっては、一般アメリカ人や世界の人が「民主主義」を絶対的善と思っていて欲しいわけです。「民主主義」はかたち上、一般国民に主権があるようになっていますが、この格差社会のありようを見ていれば、「搾取するもの」とその他大勢の「搾取されるもの」のクラスに分かれているのは明らかです。搾取側は「民主主義国家であるということ」を利用して被搾取側の不満の矛先をかわすことができます。つまり「国民は平等の機会を与えられて誰でも努力すればよりよい生活を送ることができるようになる社会」で自分たちは努力して成功したという建前(実際そのようなアメリカンドリームを実現する人は勿論、ごく少数いるわけですが)をもって自己を正統化できるわけです。一方、イラクや北朝鮮やキューバのような独裁者社会は、世の中権力側と非権力側のクラスがあるという本音がはっきりしています。民主主義国家でもそれらのクラスは歴然としてあるのですが、民主主義の建前上、表立って言わないだけなのです。格差社会が皮肉な事にこの「ダブルスタンダード」の存在を際立たせてきたような気がします。なぜ福沢諭吉が「天は」と言ったのか、ちょっと勘ぐり過ぎかも知れませんが、「天は」と主語を限定することによって、江戸時代の階級社会が形式上無くなって新しい時代となっても、「天でない人は、人の上に人をつくるし、人の下に人をつくる」という現実と矛盾しないような表現を選んだのではと思うのです。つまりこの言葉は、単に人間皆平等という実現しない理想を述べたものであって、新しい明治時代の現実社会における人どうしのありようを述べたわけではない思うのです。もし本当に平等でそれが当たり前ならそもそもこういった言葉が注目されるはずもないでしょう。
民主主義国家におけるダブルスタンダードが、格差社会の進行につれてはっきり見えてくるような気がします。今後は、学校教育でこれまで本音と思って教えこまれてきたことが、国家の(あるいは日本の場合はアメリカの)国民操縦のために作り出された建前にしかすぎないと思うようになる人が増えてくると思います。そういう人々が体制側つまり搾取側とどう闘うかを考えると、それはテロ行為に行き着かざるを得ないと思います。日本の議会制民主主義は殆ど茶番にしか過ぎず、政治家は選挙に当選した瞬間から国民の代表であることを止めて、国民を搾取する者になってしまうのですから、そうした者どうしの話し合いが国民の利益につながるはずはないのですから。(個人的な一意見ですので、悪しからず)
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美しい自然

2007-06-04 | 音楽
行ったことはありませんが、写真や訪れた人の話を聞くとアイルランドは美しい島らしいです。アイリッシュダンスは十数年、マイケルフラットリーとジーンバトラーのリバーダンスで大人気となりました。リバーダンスのケルティック音楽の何となく日本の古い民謡を思い出させるような哀愁を帯びた素朴なメロディーには妙に心惹かれるものがあります。いまだにリバーダンスはキャストを替えて上演されていますが、本家のフラットリー、バトラーのコンビがやはり一番良いようです。皮肉なことにフラットリーもバトラーもアイルランド人ではなくアメリカ人で、私は彼らがアイルランド系かどうかも知りません。アイリッシュダンスはアメリカの女子には人気のある習い事のようです。それがアイルランド系アメリカ人のケルト文化に対する愛着に根ざしているのか、あるいは華美なダンス衣装が小さな女の子を惹きつけるのか良く知りません。しかしアイルランド系アメリカ人の祝日、セントパトリックデイに見られるように、アイルランド系アメリカ人にとってアイルランドに対する誇りや民族意識は、他の非マイノリティー民族に比べて、大変高いように感じます。
 なんでこんな話をしだしたかというと、自分のブログを開いてみて緑の色とクローバーの絵のデザインに改めて目がとまったからです。緑の色はアイルランドの象徴の色です。セントパトリックデイには、アイルランド系の人は緑のスカーフやハンカチを身に着けます。その緑はクローバー、アイルランドでのシャムロックの色なのです。シャムロックと緑色はアイルランドの象徴です(公式なシンボルではないようですが)。以前の「国家の品格」の中で著者は、天才が現れる条件として、国や故郷が美しいことを挙げ、その例としてアイルランドから生まれた数々の文学、数学の天才について触れています。天才は人口に比例して出るのではなく、ある地域に集中しているという観察は大変興味深いです。私はアイルランドに対してほとんど何の知識もありません。リバーダンスのライブビデオが撮影されたのがダブリンであることを知って、昔、大学の英語の時間に読まされた教材がジェームスジョイスの「ダブリン市民」であったことを思い出したぐらいです。アメリカで最も有名なアイルランド系の「天才?」といえば、ジョン F ケネディーでしょう。当時の政治の世界ではマイノリティーであったアイルランド系でしかもカトリックのケネディーがしかもたった3年の大統領就任期間であったにもかかわらず、現在に至るまで歴代の大統領の中で絶大な人気を集めているのは不思議です。大統領を2期務めながら、就任前からその知能レベルの低さを揶揄され、前大統領のジミーカーターにまで史上最低の大統領と言わしめたブッシュとは対照的です。
 現在の商業音楽に比べて、ケルトの音楽は他のフォークロアと同じように素朴で心に響く味わいを持っていると思います。人を容易に寄せ付けないような厳しい自然の中にある美しさというようなものを感じさせます。「国家の品格」では、天才の出る第二の条件として、「何かにひざまずく心」を挙げています。偉大な自然の前に素直に謙虚になれる心は、その厳しくも美しい自然があってこそなのだろうと思います。そう思うと現在の日本の都会は「醜い」の一言です。アスファルトで固められた地面の上に建物や電柱や看板が無秩序といって良いような無神経さで並んでいます。マウスの飼育舎と同じで、いかに少ない面積に数多くの人間を詰め込むかという、経済効率第一で発達してきたのですから無理もありません。そんなところに天才を期待するのは確かに無理があると頷けます。マウスの飼育舎で育ったマウスは、自然界では生きていくことさえ出来ないのですから。
とにかく、美しいものを愛する心は大切だと思います。若いころは汚いものにも魅力を感じますが、人間は結局生理的に美しいものに惹かれるのです。天才は美に対するバランス感覚から生まれるのではないでしょうか。死ぬまでに一度はアイルランドの美しい自然を見てみたいものだと思います。
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食べた米粒を数える

2007-06-03 | Weblog
昨日、長距離の単調な高速道路を運転しながら、その走っている道路をこれまでなんど通っただろうとふと思いました。同じ道を前に何度も走り、同じような景色や同じサービスステーションの明かりを何度も見ていることを思うと、長い間生きてきたなあと思いました。ふと昔、人は一生に何粒の米粒を噛むのか計算しようとしたことがあったことを思い出しました。結局計算できませんでした。大粒の雨が降ってきてワイパーを動かし始めた時、このワイパーは何回この往復運動をしてきたのだろうと思いました。この車だけでもすごい回数になるでしょうから、まわりを走っている車、世界中の車のワイバーの往復運動回数を全部足したら、とんでもない回数でしょう。こんな風に世の中のものに数字を当てはめていくと、世界は広いなあと思います。時間は早く経って行くようでも、ずっと昔から宇宙が始まってからの秒数を数えたら、きっと数えきれない数になるに違いありません。有限が無限を包含するとはこのことなのだろうと思いました。私という人間の一生は有限かも知れませんが、それを細かく区切っていくと、無限に区切れるのです。その細かな一区切りを一つ一つなぞってみると、ああ長い間生きてきたなあという感慨に繋がったというわけなのです。そう感じた昨日の夕方から今までに24時間経ちました。その間に私は、夕ご飯を子供たちと食べ、眠って夢を見、朝おきてトーストとコーヒーを飲み、子供のサッカーのゲームを見に行き、運動会に参加し、お昼のお弁当を食べ、、、と数えきれないほど多くのことをしました。不思議なことにそれはただ一日の出来事なのでした。そうした一日がずっと積み重なって四十数年という年月になったのでした。そう思うと、 することを少し減らさないと、人生の収集がつかなくなるのではないかと焦ったりしそうになるのでした。もちろん、小説や漫画ではないので、人生に収集がついたり、オチがあったりする必要はないと思うのですが、ちょっと流されていく途中で止まって振り返ってみたら、気が遠くなるような思いにかられたのでした。
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