百醜千拙草

何とかやっています

国会大包囲デモ

2012-07-31 | Weblog
オリンピック開幕しましたが、あまり盛り上がっていないような感じです。やはり、それどころではないと思っている人が多いのでしょう。
 オリンピックは国威発揚の機会でした。しかし、冷戦が終り、経済成長がとまり、人々の国というものに対する感情も随分、変わったのではないでしょうか。なにしろ、「グローバル」であることが良いことで、日本国内企業でありながら社内公用語を英語にしたという恥ずかしい会社まである時代です。もはや,大勢の日本国民にとって、おのが国の同胞が遠い異国で、ガイジン相手に牛若丸さながらに活躍し、我らニッポン国民の評判をあげようとどうしようと、カンケーないと思っているのだろうと思います。私も半分、そう思っています。それでも、不思議なものでテレビで日本人が出ている競技をみると、自然と日本を応援しています。日本が水泳でメダルをとるのを見ました。名前がよくわからなかったので、とりあえず、「マエハタがんばれ」と応援しました。

現実は、オリンピックで国威発揚より、原発事故や、自分の仕事のこととか、そんな逼迫した重大事が解決しないまま迫って来ていることの方が百倍も重要です。起こってしまった原発事故も収束せず、住民に多大な被害を出し続けている上に、マトモな対処もせず、今後、首都圏を含めて急増すると考えられる放射線障害に対して何の議論もなく、次にもう一回、同じ事故が起こったら国が消滅するかもしれないという危機がありながら、これほどリスクの大きな原発を止めようという正常な判断力が欠如している脳死状態の政府。そういうどうしようもない相手は、近寄らないのが一番なのですけど、そのキチガイが日本の国の自爆装置のスイッチに指をかけているとなれば話は別です。

100基をこえる原発を持つアメリカでさえ、原発の将来性がないことは十分承知しています(週間朝日)。ずっと温存していたオイルとガスが百年以上はあるので危険な原発に依存する必要性はないとのこと。そもそもオイルよりウランの埋蔵量の方が圧倒的に少ないです。日本でも、元原子力工学者であった大前研一さんが原子力に見切りをつけてコンサルタントなったのが、70年代初めですから、四十年以上前に、日本でさえ原発は終わった技術と認識されていたのです。(大前さんの原発に関する意見には私はあまり賛成できませんが)

先週は恒例の金曜の官邸前デモは日曜日の「国会大包囲デモ」のため、自発的に集まった人々によるものとなりました。「国会大包囲」の様子をヘリからの空撮で見ました。すごい数の人々です。警察発表で一万人あまりという(どうも警察は本当はデモ人数の正式発表というのは行っていないらしく、この数字の出所は不明)新聞の情報ですから、以前の例から考えて、実数は20万人ぐらいは少なくともあったのではないでしょうか。例によって、田中康夫氏、みどりの風、などなど国会議員も参加。興味深いのは民主党議員のスピーチに激烈なヤジが飛んだことです。つまり、デモ参加者も脱原発を妨げているのは民主党であり、脱原発への最初の第一歩はドジョウ内閣倒閣であると認識しているということです。デモ以外に国民ができることは、脱原発実現を目指す政党、現在のところ、共産、社民、生活(国民の生活が第一)、日本新党、などを支持していくことだと思います。そろそろ、小沢氏もデモに姿を現して、脱原発を訴えるべきでしょう。現時点では、脱原発派の彼らを政権につかせることがとりあえずは現実的なやりかただと思います。ドジョウのように与党になった瞬間に変節する人間もいるので、それが必ず成功するとはいえませんが。

そのドジョウ政権、いよいよ、末期的症状を呈しています。ウワサによると、「週刊文春」というのは、アメリカにとって都合の悪い政治家に対して、ウソまじりの下世話なスキャンダルを載せて、印象操作するための媒体なのだそうです。ついこの間は、(有田議員によると)どうも捏造したらしい手紙まで使って、小沢氏の家庭問題をネタに下品な記事を掲載して顰蹙を買いました。その文春が、今度はドジョウの金銭のスキャンダルを掲載しています。それを見て、ドジョウはアメリカに見切られたのだ、と推理する人もいます。ま、アメリカにドジョウは「使えない」と思われるのも、やむを得ないでしょう。yahooみんなの政治のアンケートだと、ドジョウ内閣不支持率96% ですからね。よく、これで降ろされないものです。ま、降ろしたところで民主党の支持が上がるとはとっても思えませんが。興味深いのは、同じアンケートの支持政党を調べたもので、「国民の生活が第一党」が41%でダントツ、二位の自民が8%、民主が6%というデータ。笑っちゃいますね。実際の選挙ではこのまで極端にはならないでしょうが、選挙では「国民の生活が第一」(生活党)が大躍進するのは間違いないでしょう。扇動の手口が知れ渡って、国民に呆れられつつある大阪市長の党は、たぶん国政ではダメでしょうね。

ところで、明日から一週間ほど休みをとって、インターネットのない生活を楽しみたいと思います。いろいろ普段考えないようなことを考える機会にしたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エネルギーも地産地消で

2012-07-27 | Weblog
知らない中国人研究者の人からグリーンカードを申請するので、推薦状を書いて欲しいという依頼がありました。沈み行くアメリカ経済でアメリカのグリーンカードを欲しがる人は減っているとは思いますけど、研究者にとっては他の国に比べたらアメリカはまだ多少はマシなのでしょうか。研究者枠でのグリーンカード申請には、通常、研究者としての優秀さを移民局に示すために、個人的面識のない複数のアメリカ国内外の人々から推薦状をもらう必要があります。どうも、私が彼の仕事を前の学会報告で取り上げたのを読んで、コンタクトしてきたようです。困った時はお互いさまと引き受けて、われながらあきれるほど熱烈な推薦状を書きました。ほめ殺しまでもう一歩というところです。しかし、「謙譲の美徳」という言葉を知らないアメリカ人で、研究のことなどわかる筈も無いシロートの移民審査官を説得しないといけないのですから、とにかくウソのない範囲でできるだけ大仰にほめ倒しておきました。知らない人が読んだら、この中国人研究者はいつノーベル賞を取るのだろうと思うかも知れません。

そのあと、ベルギーの科学研究費を配分する機関らしいFWOという所から、グラント審査員(エクスパートパネルとかいう仰々しい名前)の国外枠に空きができたのでやりませんか、というメール。おぼろげながら、前にも一度、この機関のグラントレビューをやったような記憶があります。エラい人はもうこのようなコミュニティーサービスはやらないので、私のような下っ端にこのようなボランティアの仕事が回ってくるのでしょう。一応、ウェッブサイトに行ってみました。本部はブリュッセルにあるのにウェッブサイトはオランダ語。何が書いてあるのかサッパリわかりません。どうもこの機関はフランダース地方の研究施設に特化しているような感じです。この国のことは良くしりませんけど、どうも、フランス語圏とオランダ語圏が半ば独立しているような感じです。ちょっと気の進まない話なので、とりあえず返事は保留。


それにつけても、何かとストレスの多い日々です。昨年の原発事故後、ずっと憂鬱な気分が続いています。7/13号のScienceには、黒川さんが委員長を努める東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の報告の記事があって、原発事故が「人災」であるとの認識を示したという記事がのっていました。私、いまだにどういういきさつで黒川さんが原発事故調査委員会の委員長をやっているのかよくわからんのですが、同じ東大でも医学部はムラ外なのでしょうか。私、大昔、黒川さんがまだ医者をしていたときに、一度だけ腎臓疾患のケースに関連してお目にかかったことがあります。スムーズでスマートという印象を持ちましたが、東大秀才のもつ例の匂いもしっかりしていたのも覚えております。(別にヒガミではありません)
 いずれにしても、原発という負の遺産、このまま放置するわけにはいかないというのが国民大多数の意見でしょう。国民のみならず、世界の多くの人々がそう考えているはずです。東京近辺でいまだに放射性ヨウ素が検出されていると聞きました。福島原発、メルトダウンして手のつけようがないので、あたり前といえばあたり前ですけど、現在もずっと核反応が進行し続けていて放射性物質が持続的に飛び散っているということですね。こんな中で安全設備もロクにない大飯原発を、これから安全処置を講じるというプランだけ立てたから「危険でない」と強弁して再稼働したのですから、政府はキチガイです。結局は、全て「カネ」欲しさから来ています。原発利権にぶら下がる連中、不良債券化した原発のために利益を減らすのが恐い電力会社。
 電力などの社会に必要不可欠なインフラを扱い、その発電所の事故がこのような国を滅ぼすレベルの影響をもつような組織が「民営」というのが私は、時代遅れでおかしいと思います。ムダはでますけど、発電事業は細かく分割し、小さな発電所を県や市町村レベルで運営し、電力を自給自足するというのが良いような気がします。生活に不可欠なものですから。ちょうど、インターネットが普及してテレビを見る人が少なくなったのと同様に、情報だけでなく、電力、食料、水、など生活に必要なものは一括生産はやめて、可能な限り地産地消し、各地方自治体が基本的に自給自足できるようにリスク分散するのがいいのでしょう。自由貿易はその上でのことではないでしょうか。もちろん、中央官僚は地方が力を持つのを嫌うので、この辺は本当に力のある政治家が政治主導を発揮する必要があり、それは、これまでの小沢氏への権力組織をつかった陰謀、マスコミを使った人格破壊攻撃などなどを見れば、容易なことではないのは明らかではありますけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怒りのオスプレイ

2012-07-24 | Weblog
下請けのたのまれ原稿書いておりますが、ストレス溜まりまくりです。簡単なレビューのようなものですけど、自分の専門分野に特化したレビューではなく、広く浅く教科書的に書かないといけないので、大変時間もかかる割に、見返りもほとんどない、悲しい仕事です。誰かがこの手の仕事をしないといけないのはその通りですけど、レビューとか書くのが好きで勉強好きな人が趣味を兼ねてやるべきだな、と思いました。前にも広く浅くのレビューをやった時にそう感じたと思うのですけど、のど元過ぎれば何とやらですね。自分の論文を書くのとはモチベーションが3桁違います。

次の学会の暫定プログラムを見ました。元T大のK先生の名前がT大の所属で書いてありました。来られるのでしょうか。それで、一昔前、K先生と同じノックアウトマウスを作って競り負けた人とK先生の話になりました。K先生のこれまでの貢献は大きい、こういう結末になって残念だ、という結論。大きな研究室を抱えて強いプレッシャーがあったであろうことなど、この人は同情的で、研究不正はポスドクとか院生レベルのものだろうと考えているようでした。日本には杉野教授の前例もあるので、不正がいったいどのレベルで行われていたのか、私はわかりません。もちろん日本国外、アメリカなどにも、複数、データをでっち上げてグラントを騙し取ったのがばれて、国家に対して損害賠償をしなければならなくなった研究者とかもいます。いずれにせよ調査の結果などは公表し、責任の所在などを明らかにすべきではないかと思います。不正に対してしっかりした対応をしないと、「研究倫理」というのは建前だけ、インチキはやったもの勝ちになってしまう可能性があると思います。(公約は口先だけ、インチキし放題のくせに何の責任もとらない今の民主党政府が好例ですね。こういうのは野放しにしてはいけません)それと、同じT大の不正でも、「外様」だったT教授への対応と比較しても差があるような気がするのですけど。

週末の官邸前反原発デモ、この60年日米安保以来の大規模なデモにもかかわらず、これまでほとんど無視してきた捏造偏向国策プロパガンダ報道機関(NHK)がついに、報道し始めたという話。このブログの情報が本当だと、情けないのがその理由。フランスのルモンド誌に、国営放送がデモを報道しないのは異常だ、と非難されたから、だそうです。外圧に弱い国ですから、さもありなんと納得。
  今回は、鳩山氏も参加したという話。こういうところがこの人宇宙人たる所以なのでしょう。現時点で自分が属し、しかもかつて代表までつとめた与党が運営する政府の方針に対して反対デモに参加する、という前代未聞の痛快な話。どんどんやって下さい。離党前の景気付けでしょうか。

別名、「未亡人製造機」とも呼ばれるデクの坊、オスプレイの配置が始まりました。腹立たしいです。この軍用貨物飛行機、垂直離陸ができるというのがウリですが、操縦が非常に難しい上、エンジンが非力で安全機構に問題があり、これまで離着陸時に事故が頻発している大変危険なモノなのだそうです。最近だと2年前にアフガニスタンで事故り、その事故報告が「機体の欠陥問題」と結論したことに対して、上層部が都合が悪いので報告書を握りつぶした、という話を聞きました。つまり、「欠陥機」だというレッテルを押されると困るということです。余りに多額の開発費をかけたので、引くに引かれず最後は、何でも引き取ってくれる日本(からカネがでている沖縄基地)に押し付けたということでしょう。アメリカはこれで多少開発費が回収できる、事故が起きても犠牲になる民間人は沖縄人だぐらいにしか思っていないのでしょうか。どんなに危険でもアメリカに買えと言われればホイホイと二つ返事で買う日本政府、知らぬ間に危険な原発も50基以上、あげくに危険は一般国民や沖縄に押し付けてしまえ、という汚らしさ。もちろん、危険物を押し付けるアメリカも悪いのですが、アメリカとしては戦勝国であり、戦争でやっつけた有色人種の国の日本がアメリカの言う事を聞くのは当然だ、という傲慢な残忍さに満ちた「ヨーロッパの心」で動いている国ですから、アメリカに良識を求める方がムリです。こういう相手に、本来、日本政府はおのが同胞を守り、少しでもよい条件を得るために、粘り強く交渉するのが本来の姿ですが、実際やっているのは、アメリカ様の言う事は「二つ返事」、イヤなことは沖縄に押し付けて、蓋をして終りですからね。沖縄の人々のことを思うとその官僚任せで無責任かつ無能な政府をなんとすればよいのか、なんともその卑怯さに怒りが湧いてきますね。

無法者アメリカと言えば、

シリアのマクディシ外務報道官は23日の記者会見で、内戦状態に陥ったシリア情勢に外国軍が介入すれば、化学兵器を使用する可能性に言及した。シリアは化学兵器禁止条約を批准せず、これまで公式には化学兵器の保有を確認していないことから、発言は極めて異例だ。
 報道官は「(一連の騒乱で)化学兵器を使用したことは一切なく、自国民に使用することはない」と強調、化学兵器は軍の管理下で安全に保管されていると説明した。そのうえで報道官は「外国の軍事侵攻に直面しない限り、化学兵器は使用しない」と発言した。アサド政権は外国の支援を受けた「テロリスト」が国内を混乱させていると主張している。


というニュース

シリアは、反省しないアメリカのやり方を腹に据えかねているのでしょう。この露骨なシリアへの軍事介入の動きに、中国、ロシアが実際、どう対応しようとしているのか、私はよくわからないのですが、いずれも結局は自国の利益で動きますから、別に彼らが正義の味方であるというワケでもありません。いずれにしても、アサド大統領や本丸で狙われているイランの大統領がフセインやガダフィと同じ運命をたどることにならないことを私は望みます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カネ、原発、テロ

2012-07-20 | Weblog
アメリカの来年度の予算審議が始まりますが、研究界の人々は戦々恐々、すでに歯を食いしばっています。前回、増え続ける借金の上限を更に上げるために大胆な財政一律カットをするという合意ができました。それが来年度の予算から始まる可能性があります。もっとも大打撃を喰らうのは国防費ですが、医学研究の中心的基金であるNIHの予算も削られます。約$30 billionというNIHの予算はブッシュ政権になってから実質、横ばいで、クリントン政権時のNIH予算倍加政策で拡大した研究プログラムが、特にここ数年大打撃を受けてきています。すでに、十年、二十年と研究で喰ってきた人が、廃業を余儀なくされているのですが、この一律財政カットが通ると、多くのNIH外のアカデミアへの資金は一割以上もカットされることになり、その影響は相当、深刻なものになると思います。そのしわ寄せは、プロジェクトのグラントで雇用されるポスドクが最も打撃を受けるは勿論のこと、教官職にあるアカデミアでの研究従事者も、ほとんどが多かれ少なかれ給料の一部(または全部)や研究費をグラントに頼っているわけですから、悲惨なことになりそうです。
 カネが第一、人間は第二、という主義でやってきた資本主義国家ですから、そのルール(というか社会システム)の中にいる以上、当面は、その弱肉強食の世界で、大多数の弱者が如何に身を守るか、英知を搾るしかないのは事実でしょう。
 この世界的経済危機の元凶とも言えるアメリカ中央銀行、FRB議長のバーナンキが先日、経済動向について議会で話しましたが、私には適当なその場しのぎにしか聞こえませんでした(発言要旨)。量的緩和はまだ余裕がある、などと警戒感を煽る発言。インフレ政策はさすがに取らないとは言っていましたが、ま、それは当然でしょう。

私の上の世代と下の世代を眺めると、研究者という職の驚くべき条件の悪化が一目瞭然です。勿論、研究者ばかりではなく、あらゆる面で、今の若い世代は、上の世代に比べて、レベルの低い生活をせざるを得なくなっています。研究に関して言えば、日本の科学研究界の深刻な問題とその劣化がいよいよ顕在化してきました。その後退は出版論文数でも明らかです。近年、唯一論文出版数が減少している国が日本です。この傾向は今後も続くでしょうし、多分、他の先進国でも同様の経過をとるでしょう。ま、心配していても仕方ありません。自分が納得できるようにやるだけです。暗いことを考え続けると暗い現実を引き寄せてしまいますから、楽しくやりましょう。

活断層の上に立っていると問題になってる北陸電力の原発、どうする気でしょうか。日本は既に「命よりもカネ」ですからね。国民と世界の人々を道づれにみんなで一緒に滅亡しようと思っているのでしょう。毎度、毎度、原発関係の政府や電力会社の一般住民に対する対応を見ると、怒りではち切れそうになります。現代の日本と世界の社会において、最も深刻な問題は、経済とかカネではなく、いかに原発事故を収拾させ、溜まりに溜まった危険極まりない放射性廃棄物をどう処分するか、であることは疑いの余地はありません。にもかかわらず、電力会社や政府は、原発の不良債権化を防ぐため(つまりカネのために)「電気が足りない」という大ウソをついて国民をだまし、恫喝したうえ、多数の住民や国民の意思を無視して、活断層の上にあると指摘された原発でさえ安全だと強弁し、ただでさえ処分ができなくて困っている核廃棄物をますます増やし、更なる世界に対する脅威をつくりだしています。これはもう、国家権力と癒着した原発ムラの世界市民に対する無差別テロ行為に他ならないと思います。

テロと言えば、シリアのテロ組織の活動が活発になって、政府要人数人も死亡したというニュースがありました。シリアのテロはアメリカのイラン侵攻へ向けての作戦だと思っているのですが、いよいよ、アメリカの魔の手がイランに迫ってきたように感じます。アメリカのイランの核開発へのイチャモンとそれに対する制裁に対し、ロシアと中国が反対してきていて、なんとか微妙なバランスを保っています。アメリカが真剣にイラン侵攻をはじめると決定するならば、その広報機関の国連を使って、まもなく代々的にプロパガンダををはじめるでしょう。アメリカに言いなりの日本はもちろんアメリカ様には逆らえません。
 そんな中で、今月始め、鳩山氏が北京の大学の世界平和フォーラムで「対イラン制裁は日本経済に多大な影響を及ぼす」と述べた上で、「アメリカが今、イランに対して行っているやり方は、以前にイラクをはじめとする他国に対しても実施されたが、それは失敗した」と、例によって、日本の政治家としては言わないことになっている「正論」を述べたことを知りました (イランラジオ)。この人、安定感に欠けますが、こういうトボケた過激発言をへっちゃらでやってくれるところが、憎めませんね。もっとやってもらいたいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平和のための戦争

2012-07-17 | Weblog
世の中に余裕がなくなると、人間というものはその醜さや汚さを露骨に現してくるもので、最近、ちょっとその毒気に当てられて、気分がすぐれない日々です。これは努力して避けなければいけません。
週末、ふと本棚の隅にあった聖書物語という本をちょっと読みました。体調の悪い時にこんな本を読むべきではありません。聖書にでてくる人々の醜さ、おぞましさで、またまた体調が悪くなってしまいました。親子、兄弟での殺し合い、近親強姦、裏切り、暗殺、なんでもありです。いま、永田町や霞ヶ関界隈で起こっていることも本質的には同じようなものですから、人間というものは太古の昔から成長しないものだとつくづく思います。

聖書物語を読んでいて、シャローム(平和)と彼の地で呼ばれるものが指す平和は、仏教的な全体的調和のとれた静的な状態とは随分違うのだということを知りました。シャロームは戦争や殺し合いの中にさえある力のこもった「動的」な概念なのだということで、東洋的な平和はむしろ堕落とさえ考えられているということです。東洋が争いや対立の起こる前に目をつけて、「無分別」の世界をめざすのと逆に、かれらはもっと動物的で、平和は敵を倒し己を守ることによって得られ、戦い続ける中に求めるものだと言っているようです。あくまで終わりのない二項対立、弁証法の世界です。平和は不安定な一過性の状態にすぎず、戦い続けることによってしか得られないものだ、最近はこういう平和の概念、多少は理解できるようになりました。それでも多分、西洋人の動物本能的なものへの比較的無批判な親和性を東洋人が理解するのは多少難しいだろうと思います。知り合いのギリシャ人は、「殺し合うのは人間の本質」だ、と言います。聖書からもわかるようにヨーロッパでは「互いに殺し合う動物が人間である」という考え方が常識なのでしょう。だから、マルクスは「社会主義、共産主義は、人間の動物的なものを何とかしようとする試み」と言ったのでしょう。人間の動物的なるもの、即ち、己の命と利益を守るために殺し合うという行いを抑制し、より「人間的なもの」を発展させるために、社会主義や民主主義が考え出されました。民主主義は人々に人間としてのアプリオリの権利を認めることによって殺し合いの少ない社会をつくるという試みでした。結局は、民主主義というエントロピーが低い状態を維持するには、持続的なエネルギーの流入が必要なことがわかりました。やはり、動物的なものに対して、まずは、戦ってそれを抑えなければならなかったということだと思います。仏教の理想を実践するのはこの動物的な社会では難しい。実際は、人間としての権利を持つというアイデアを守るために、人々は立ち上がり、戦う必要がありました。

権力者がその動物的本能をむき出しにして人々の権利を蹂躙しているとしか思えない現代日本で、自分たちの命や権利を守るために日本人も戦うことの必要性を体を張って示し出しました。日本各地で起こっているデモの盛り上がりがそれを示しています。先週末の官邸前や代々木公園での10 -20万人という規模のデモが、住民意思を無視する独裁官僚政治に反対し、日本の民主主義を守ろうとしています。これは、官僚独裁という弾圧をはね除け、主権者国民の平和を実現するための戦争であると言えるのではないでしょうか。戦いは勝たねばなりません。そのための長期的戦術も必要とされるだろうと思います。

先週末での政党支持率調査で、「国民の生活が第一」がトップであった(支持政党無しが8割ではありましたが)ということがわかりました。自民、公明、民主に裏切られた日本国民が政治に幻滅する気持ちはよくわかります。しかし、一方で、盛り上がってきた反原発デモをただのガス抜きにして終わらせてしまってはいけません。そのためには政治の参加が必要でしょう。これまでも反原発議員がデモに参加してきました。この市民運動が小沢新党やその他の反原発政党ととうまくタイアップしていければ、デモはより効果的になるのではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貧乏くさい

2012-07-13 | Weblog
前回、書き直すのが面倒くさくて、要点だけ箇条書きにしましたが、コレはラクでいいですね。そもそも科学論文は、修辞を排して、要点だけをできるだけ単純な文章で書くという訓練をするわけで、私もそういう書き方に慣れているので、箇条書きで書く方が圧倒的に論点もわかりやすいし、書きやすいことを実感しました。

小沢新党、「国民の生活が第一」という会派名と同じ政党名になったようで、いいのではないでしょうか。どう省略するのでしょう?意味が残るように省略するのは難しそうです。確かに「新政研」からとって「新政党」では、党名に中身がありませんし、それにかつての「新生党」とまぎらわしいです。「国民の生活が第一」そもそも、政権交代時の小沢民主党は、このスローガンで選挙を戦いました。政権を委託されたときの民主党幹事長が、クーデター執行部の民主党の変節を批判して、そのスローガンを持って離党し、スローガンそのものを党名にする、というのはわかりやすくてよいです。クーデター執行部が運営する現民主党は、「国民の生活が第一」という精神を捨て去ったのだ、という批判にもなっています。

この数日、新聞はこの小沢新党の話で持ち切り、できる前は、できてもしない新党への期待度を調査したり、新党ができたらできたで、早速、経団連や既得権側の連中から新党批判のコメントを一面に出してネガティブキャンペーンを繰り返しています。マスコミは小沢さんに喰わせてもらっているようなものです。体制側はそれだけ「国民の生活が第一」党を恐れているのでしょう。

この国の政府、官僚、マスコミらは、原発に関する対応でわかるように、ウソを平気でつき、そのウソがどんなにバレバレでも、押し通すキチガイどもです。新党旗揚げに先だって、小沢氏を嵌めた検察審査会のデタラメを探ってきた森ゆう子議員、国会で審査会の証人を呼び、その矛盾やデタラメを指摘した上で、何度も、「どうしてウソをつくのか」と糾弾。普通の人間だったら、ウソをついた証拠を握られて、ウソをついたのを正面から糾弾されたら、大人しく負けを認めるものです。官僚どもは絶対しません。いくら証拠を山積みにされてても、そのウソを壊れたレコードのように繰り返すだけです。悪質極まりない。
 続いているのが冗談としか思えない陸山会裁判、これだけの批判を受けながらも、論理もクソもない理屈で控訴した検察役弁護士や、さっさと公訴棄却しない裁判官、どう考えても次の選挙時期に、何か仕掛けてくるでしょう。それがちょっと心配ですが、小沢氏は多分、それも織り込み済みで次の一手を読んでいるのでしょう。

新党「国民の生活が第一」は三本柱からなる綱領を設けた。

1、「国民の主権」
国も官僚も企業も団体も、もはや公共の福祉の名の下に情報を独占し隠ぺいすることは許されない。

2、「地域主権」
国と地方の関係については、統治機構の抜本改革の中で協議を先行させる。

3、「国家としての主権」
安全保障のみならず文化・教育・科学技術・経済・金融・外交等々、真の主権国家を確立する。


これらの考えは素晴らしいと思います。官僚や既得権に対する正面きっての挑戦です。なぜなら、現在、1、日本の主権は国民ではなく、官僚組織とその守護者である政治家や利権互助会の企業らが実質握っており、2、それは中央集権のピラミッド型権力構造をとっているために地方は中央に隷属してしまっていて、3、日本は安全保障は無論のこと、金融、外交、経済において、アメリカの意向に背くことができない植民地国家である、からです。特に3を明言したことは特筆に値すると思います。

 ところで、内田樹の研究室の最近のエントリー、伊丹十三と「戦後精神」を読みました。私は、伊丹十三氏はマルサの女などの映画監督として主に知っているだけすが、マル暴関連の映画を作った時にヤクザに刺され、その後、最終的には510組関係の者にビルの屋上に押し上げられて自殺を強要されたという話を地上げ屋さんのブログで以前読んだ覚えがあります。
 その内田樹のエントリー、半冊分ぐらいの長文ですが、なかなか素晴らしい洞察に満ちています。伊丹十三氏が孤立を恐れない高貴な人間であり、ヒューマニティーを守るために戦う人であったという評価に私も同意します。江藤淳と同世代の戦中派であるというのも知りませんでした。この二人が生きていたら、小沢新党の上の綱領を読んで、どう言っただろうと想像せずにおれません。
 このエントリーで現代を含む戦後日本の深い病理について再び述べてあります。いわゆる先進国という名のついている国で、ここまで屈辱的な立場にある国はないと私は思います。その日本の立場に対する日本人自らの認識の欠如というか、見て見ないふり、というのが、私にはちょっとガマンできない部分があります。
 エントリーでは「貧乏」と「貧乏臭い」の違いについて、述べてあって、私も、日頃から貧乏は仕方が無いが貧乏臭いのはダメだと思っているので、妙に共感してしまいました。貧乏はただの欠乏状態に過ぎないのに、貧乏臭いのは、それを「恥ずかしく思う」ことからにじみ出るイヤラしさです。貧乏という欠乏状態を直視し、改善のための最適の行動をとる、それが貧乏から抜け出す道でしょう。貧乏臭いのは貧乏を直視することを厭い、クサいものに蓋をするような態度ではないでしょうか。この態度、イヤなものを直視せず、蓋をしてしまうことが、戦後日本がいまだにかくまで屈辱的な立場に置かれ、いくら外国にカネを出しても尊敬されない国である原因ではないか、と私は感じるのです。一言でいえば、物的には「貧乏」とはいえないのに「貧乏臭い」国、そんな国に私は見えます。
 昨日のニュースで、日本人がブロードウェイで主役をやった、例によって「世界のナントカ」だ、という記事を見ました。これが、私のいう典型的な貧乏くささです。つまり、イヤな現実、日本は戦後ずっとアメリカの植民地であり独立国家ではないという現実を直視するかわりに、その屈辱を日本人の世界の舞台での活躍というもので覆い隠して、日本は独立した一流国だと自らを偽る態度(私は負け犬根性と呼んできましたが)を記事から感じるのです。いくら日本人が活躍したところで、それはブロードウェイであったりベースボールであったりというアメリカの土俵の上での話に過ぎないワケです。いくら日本人が上手にセリフをしゃべって踊ったところで、それを見たアメリカ人は、まず第一にそれが、日本人であることを意識もしないでしょうし、かりに日本人だとわかったところで、(言葉は悪いですが)いわば犬とか猿が凝った芸を見せるのに感心するのと同様に、「へー、日本人も人並みに芸はできるんだね」ぐらいにしか思わないでしょう。つまり、いくら日本人が野球ができてもブロードウェイにでたところで、当のアメリカ人が「日本はすごい」という評価はまずしないと断言できます。それをわかっていながら、メディアは「世界のナントカ」だ、というような記事を書く。その辺が貧乏臭いのです。

国民の生活が第一党の綱領、それが心からのものであれば、素晴らしいです。日本の貧乏くささの根源である官僚組織、その官僚組織を貧乏くさくさせているアメリカ支配を正面から批判しているからです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反原発、紫陽花革命

2012-07-10 | Weblog
先週末の官邸前原発デモについて、書いて投稿しようとして、うっかり全部消してしまいました。気をとりなおして、もう一度、書いたのですが、それも消してしまいました。ちょっと書き直す気分になれないので、言いたかった要点だけ箇条書きにしておきたいと思います。

雨にもかかわらず、官邸前デモは前週同様の15 - 20万人が参加。坂本龍一氏、亀井静香氏、志位和夫氏、田中康夫氏らが演説。
前週よりも厳重な警護体制が敷かれていて、警察は、地下鉄出口を封鎖し、デモの人々を地下鉄駅に封じ込める、「デモ弾圧」をやった模様。
関電前でも過去最大級のデモ。
関電は大飯原発再稼働後、すでに6基の火力発電所(大飯原発一基の2倍以上の電力供給力をもつ)を運転停止。つまり、原発を動かすかわりにもっと余力のあった火力発電所を止めたということで、原発を動かさないと「電力の供給不足」になると言っていた政府や関電などのいうことはウソであった。(原発はなくても電気は足りているというのは、ずいぶんも前から、多くの人々が指摘していたこと)原発は止めてしまうと、一気に不良債権化し(電力は作らなくても、莫大な管理維持費がかかる)、会社経営にマイナスとなるとなるために、電力会社は運転しつづけたいだけのことだった。速攻で火力発電所を止めた経緯や、電力データは、「Everyone says I love you!」の記事に詳しいので是非、ごらん下さい。この国の政府や電力会社は、多くの国民がウソだと見抜いているウソを平然とつき続ける。

福島の復興の妨げになっている最大の問題は、放射能汚染のようだ。観光や天然資源を扱う職種は悲惨なことになっており、これらに従事する人々は東電に半永久的に土地を奪われ、生計の手段を奪われ、財産を奪われたに等しい。その東電に補償請求をしたら、全額8万円の補償金だったという人の話を雁屋哲さんのブログで読んだ。原発の事故は一回、起きれば、広範に土地と人々の生活を半永久的に破壊する。原発を動かさないと日本経済がダメになるとか、原発事故より交通事故の方がよっぽど人が死ぬとか、そういう戯れ言を言う欲で面の皮が突っ張った連中には本当に怒りを感じる。学ばない奴らだ。

反原発を軸とした市民運動は「紫陽花革命」とネットで呼ばれている。反米イスラム市民が、親米ムバラクを退陣に追いやったエジプトのように、反原発の市民が原発擁護の経団連、電力会社、原発利権にどっぷりの官僚組織を解体させるぐらいの勢力になって欲しいと思う。官僚に振付けてもらっている政治家に任せていても一歩も先に進まない。人々が立ち上がり、連帯し、人々自身で運動するしか道はないような気がする。

大阪市長はダメ。この人は機を見るに敏な単なる扇動者であることが、原発に対する態度ではっきりした。Flip-flopper、風向き次第でどっちにでも転ぶ、ラグビーボール、原口氏のような感じ。信用出来ない人間は敬して遠ざく。政策の実現に際して数を集める必要はわかるが意見は違っても信用できる人間と組むべき。でないと、空き缶のように、ここ一番で足をひっぱられる。大阪市長が国政に出れば一定票は集まるだろう。結局、同じ一票といっても、よく考えて信念に基づいて投票する人もあれば、テレビで見たという理由だけで投票する人もあれば、所属組織に強要されて投票する人もあって、一票の質はさまざま。しかし、民主主義では、どの一票も同じ価値を持っている。大阪市長の党が集める票は、大阪市長なみの国民が投票した結果。政治のレベルと国民のレベルは相関する。

マスコミがいまだに毎日、叩くところを見ると、マトモで力があるのは小沢新党。どちらにしても選挙は近い。民主と自民は自爆。脱原発を旗印に少数政党を一気に束ねてかつての細川政権が再現するかも知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米イラン侵攻の可能性

2012-07-06 | Weblog

アメリカ、イラン侵攻を執拗に画策しているような雰囲気です。シリアのアサド政権転覆を図って、テロ組織を支援し、親米アラブ系からなる国連調査団を利用して、シリアの内戦を煽ってきたのは、どうも、イランへの侵攻に際して外堀を埋めて行く分断作戦であるように見えます。そして、イランの核開発をネタにイランへの原油禁輸処置を行いイランをしきりに挑発しています。イランの核開発を一方的に批難し、シリアの反米イスラム政権をテロ攻撃する中で、アメリカがペルシャ湾への派兵を決めたとニュース、「ペルシャ湾へ派兵、狙いはイラン」という記事がニューヨークタイムスに出ました。

露骨ですね。この動きを見れば、イラクのフセイン、リビアのガダフィのパターンを狙っているとしか見えません。反米イスラム国に軒並み言いがかりをつけ、NATOや国連を巻き込んで侵攻し、邪魔者を力ずくで殺す、さすがは世界最大のテロ国家です。

 

しかし、アメリカのどこに戦争するカネがあるのか、つい首をかしげてしまいます。歴史的にみれば、戦争が増えたのは、金本位制が廃止されたからだと言えます。中央銀行がいくらでもカネを刷れるようになったので、戦費を集めるのが容易になったという理由があります。それまでは戦争をしたくてもカネが無くできなかったワケです。ヨーロッパで前世期にやたら殺し合いが増えたのは、そういう理由があります。

戦争をやれば、普通、敗戦国はもちろん、戦勝国もそれなりの犠牲を払うことになり、戦争がプラスになることはありません。しかし、軍需産業は儲かります。結局、そうして、軍需産業とそこに癒着した政府が、大勢の一般国民と侵攻された国を犠牲にして、金儲けのために戦争を繰り返すようになりました。それをずっとやってきたのがアメリカです。

アメリカ人が右手を左胸に当てて、国旗に向かって「Pledge of allegiance」をするシーンとか、大統領がメモリアル デイなどに白々しく厳かな顔をして戦没者に献花をしたり、イラクで死んだ米兵を不自然なぐらい讃えたりするのを見ると、正直、私は反吐がでそうになります。アメリカ政府と軍事産業は、いわば、カネもうけのためにその国民や外国の人々を殺してきました。しかし、いまだ多くのアメリカ国民は、外国でアメリカ兵がアフガン市民を虐殺するのは、自国と世界の平和のためであり、アメリカ市民として国家に忠誠を誓い、死んだアメリカ兵に敬意を示すのは、国民として当然である、と思っているようです。

 

これまでは、FRBにドルを刷らせて、軍事産業に回し、そして国防費(戦争資金)に使ってきました。しかし、もはやドルの価値は史上ないレベルに下がっていて、どんどんカネを刷るわけにいかなくなってきています。加えて、前回の共和党と民主党の借入金上限の交渉で、来年度の国防費は(ついでに研究費も)大幅に削られる予定になっています。(この辺の交渉は、各党が政治的優位に立つための、言ってみれば茶番ですから、必要になれば量的緩和はいつでもやるつもりなのでしょうが)

この状態では、戦争などはじめる状態にないと私は思うのです。しかも、オバマは、己の利益のために戦争をして、他国や自国の人間を殺しまくることに罪悪感をまだ持っているようですし、今年は選挙の年でもあるので、戦争はやりたくない、と思っているだろうと想像されるのに、アメリカがやっていることを見ていると、イラン侵攻をちゃくちゃくと準備しているように見えます。

ひょっとしたら、真珠湾攻撃をさそったルーズベルトのような作戦を考えているのでしょうか。今回のペルシャ湾への派兵の目的はホルムズ海峡の封鎖も考慮しているというアメリカ内部からの情報もあるようですから、イランの原油輸出を物理的に止め、兵糧攻めにして、イランのアメリカに対する攻撃を誘う作戦かも知れません。そして、「イランの先制攻撃」というプロパガンダで、一般アメリカ人を煽り、その勢いでイラン侵攻を考えているというのはありえない筋書きではないでしょう。一般アメリカ人が支持すればこの作戦は「あり」で、そうなれば、オバマはノーベル平和賞を貰った殺人テロリストと記憶されることになるでしょう。

イランは、第二次大戦時の日本のような立場に置かれようとしてるのかも知れません。しかし、第二次大戦前と現在では、人々の情報の量とその理解の程度に大きな違いがあります。インターネットのない時代に、真珠湾攻撃をもって、日本を邪悪な敵国であると一般アメリカ人を洗脳するのは容易でした。現在ではそれは難しくなっているでしょう。それにイラク侵攻や第二次大戦でアメリカ一般市民の支持を得るためには 9-11や真珠湾のように一般のアメリカ人が死ぬことが必要でした。イランが仮に先制攻撃をしたところで、「無実の一般アメリカ市民」が死ななければ、そこまで世論を盛り上げるのは難しいと私は思います。

 

さて、国内のニュース。笠間検事総長が予定通り辞職予定とのこと。新聞は「勇退」と書いてあって、鼻白みました。この人は非「赤レンガ」組、つまり、東大派閥でない非主流派であり、次の「赤レンガ」の検事総長までのつなぎで、最初から辞めることは決まっていたのです。そもそも、大阪地検の村木さん事件での証拠捏造が明らかになり、その責任を負って当時の検事総長が辞職した後に検事総長になった人です。その任期中に、今度は陸山会事件での調書報告書の捏造事件という村木さん事件よりも数倍も悪質な東京地検の組織的犯罪が明らかになりました。だからこそ、この人はこの東京地検の組織的犯罪に対して何かしてくれるだろうと皆が期待しました。結局、何もしませんでした。東京地検のその犯罪者集団を減給とか訓告とかというとんでもない甘い処分でコッソリ幕引きしようとしています。対して、つい先日、「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」が、笠間総長を含めた当事者を、犯人隠匿などの罪状で刑事告発しました。検察のトップを刑事告発するという異常事態です。この笠間総長がなすべきことをせず、事なかれ主義で、そのまま平和に辞めようとするのならば、この人も当然、厳しく糾弾されるべきです。犯罪を取り締まる組織のトップが、検察の犯罪に関しては十分すぎる犯罪の証拠の山を前にして、正義を行わないのですから、税金ドロボーで済ませるほど軽い罪ではありません。刑事告発された犯罪組織のトップがすべき事もせず、コソコソと退職金をゴッソリ集めて隠居するのを「勇退」と呼ぶのでしょうかね。

 

もう一つ、民主党集団離党に関して、離党を撤回した階議員と辻議員、その理由は、つまり支持団体が反対したからなのだそうです。離党届にサインして小沢氏に預けておいて、「知らない間に出されてしまった」という辻議員の言い訳はちょっと情けないと思います。つまり、サインした書類を預けても、出す前に相手が「確認」してくれるだろう、そのときに最終的に態度を決めて、必要なら撤回すればよい、と思っていたということでしょう。これは、自分の身のことでさえ自分で責任をもてず、逆に他人に責任を求めようとする、最近の日本人の典型的な病理です。つまり、自分のサイン入りの離党届が出されたのは「自分の責任ではない」とでも言いたいようです。例えるなら、大学入試に失敗するのは、高校教師が無能で、親のサポートが足りなくて、試験問題が偏っていて、天気が悪くて、運が悪いのだ、などなどと言い訳する浪人生のようです。何を言い訳しようと、大学入試に通らなかったという事実はかわらず、その事実は結局、自分で引き受けなければならないということがわかっていたら、こんなことは言わないでしょう。

対して、中村てつじ議員の離党の説明を読みましたが、支持団体の反対をおして離党したことに関して、その離党の意図を誠実に語っていると私は思います。(これが心からのものだとすれば)こういう人こそ応援したいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

20万人の力

2012-07-03 | Weblog

香港からグラントレビューの依頼がきました。1140香港ドル払ってくれるそうです。この中途半端な数字はどこから出たのでしょうか。それにしても、多くは無償のグラントのレビュー一本にこれだけ払えるのだから中国は景気がいいのですね。今年も何本か引き受けたイタリアのグラントレビューは、イタリア政府の予算の関係で支払いが半年遅れるというメールがちょうどその日に来ました。EUは前途多難ですね。私は、南ヨーロッパ諸国にとってはEUに留まることは長期的にはマイナスではないかと常々思っているのですが、知り合いのギリシャ人は、現状でEUから離脱することは崖から飛び降りるのに等しい、とも言います。つまり、ギリシャ社会がEU中央銀行のカネに依存する体質になってしまっているということでしょう。アメリカのFRBと同様、ドイツとフランスが実質牛耳っているEU中央銀行は「カネを作り出す」パワーをもっています。その「無から作り出したカネ」をギリシャやスペインやイタリアに貸し出して金利をとる、そういう悪どいことをやっている、私にはそのように見えます。簡単に破産宣告してもらっては困るというのもドイツとフランスの言い分でしょう。極論すれば、ユーロという麻薬を売るドイツ、フランスが、もう薬なしでは生きていけないような体になってしまった南欧諸国からさらに搾り取るためのスキームのようにさえ見えます。しかもギリシャはドイツから大量の兵器を買っています。ドイツにすればカネを払ってくれる限りギリシャはお客さんです。ギリシャにしても今、破産宣告すれば、ユーロ依存症の体ですから、ひどい禁断症状に見舞われるのでしょう。国家破綻した時のアイスランドのようになるでしょう。(それから数年たった現在、アイスランドはきっと破産宣告をしたことを喜んでいるとは思いますが)しかし、これまでのようにEU中央銀行がどんどん金を刷って南欧にバラまき続けることもできません。アメリカでのドルを見れば明かです。この10年で金(ゴールド)で評価すればドルの価値は1/8位に落ちています。それは、度重なる量的金融緩和による貨幣流通量の急激な増加によるものだと思います。金本位制を捨ててからこうなることはわかっていましたが、それにしても近年のドルの価値の低下はすさまじいものがあります。ドルの価値は上がる見通しはありませんし、アメリカのデフォールトも真実味をもってウワサされるようになってきています。そのうち、かつてのドイツのように、ドル札は暖をとる足しに燃やす位しか使い道がなくなるかも知れません。アメリカ政府とFRBがやってきたことは、一部の既得権を集中的に富ませる代償にドルを刷り散らかしてその価値を下げ続けたあげく、もはやその自転車操業でさえなりたたなくなるレベルにしてしまったということです。ユーロも同様です。

 

ところで、先週末、「反原発、官邸前デモ」かなりの盛り上がりだったようですね。私もネットで様子を見ました。主催者発表で20万人。私の知る限り、日本の市民デモとしては最大です。すばらしいです。さすがに20万人規模の官邸前でのデモを無視する訳にはいかず、マスコミも報道。おかしいのは警察が2万人弱と一桁も小さく報道したことです。航空写真も見ましたが、すごい迫力です。感動しました。一方、捏造偏向報道協会(NHK)は、前回(4万5千人)よりも上回ったとしか書いてありません。20万人という数字にビビったのでしょう。

 

その後読んだ、田中龍作ジャーナルで、デモの様子が次にようにありました。

 

20万人(主催者発表)が洪水となってジリジリと官邸の方に進んでいる。警察隊のバリケードは数分と持たず次々と決壊し後退した。指揮官とおぼしき警察官が「官邸を守れ」と叫んだ。それが合図だったのか。機動隊のバス(通称カマボコ)数台が官邸とデモ隊の間にスーッと割り込んできた。

 警察は指揮車の上から「皆さん、冷静になって下さい」と拡声器で呼びかけるが制止できない。現役の警察官たちにとって、これほどの大規模デモは経験したことがないはずだ。

 代わって主催者が呼びかけた。「また来週があります。ゆっくりゆっくり下がりましょう」「20万人では原発は止まらないんです」・・・終了時間を待たずして、デモは一人の逮捕者も出さず平和裡に散会となった。

 原発を再稼働させた野田官邸は、警察によって守られたのである。機動隊の車両が官邸正門を塞がなかったら、市民がなだれ込んでいただろう。

 

主催者の制止がなかったら、ひょっとしたら本当に市民は官邸になだれ込んで暴徒化していたかも知れません。主催者(広瀬隆さんだと思いますが)は冷静でした。私が生まれて初めて見た20万人規模の市民デモではまだ力不足だというのです。ここで問題をおこして運動の気勢をそいで、体制側に反撃の口実を与えてはいけないのです。着実に土台を踏み固めながら100万人の運動へと盛り上げて行くことが大切だと私も思います。

 

対して、ドジョウは、デモの人々の抗議の声を聞いて「大きな音だね」と言い捨てて官邸に入って行ったという話。この人、やっぱりどうしようもないですわ。60年安保闘争や、フランス革命でのルイ16世の末路とか知っているでしょう。ひょっとしたら今晩、自分は市民の群れに吊るし上げられて命の危険にさらされるかも知れない、そういう可能性を考えられないほど、想像力が乏しいのか、権力ボケしているのかなのでしょう。そうでなければよほど胆力がすわっているのでしょう。20万人の人々が一斉に動いたら機動隊など大した制止にはならないです。事実、田中龍作ジャーナルの現地レポートを読むと、一触即発の可能性もあったようで、もし市民の一部が暴徒化したら、実際にドジョウは吊るし上げられ、ナイフを首に突きつけられていたでしょう。そうならなかったのは、デモ主催者の冷静な制止があったからこそです。ドジョウは命拾いしたことをわかっているのでしょうかね。

 

もう一つ、このデモに関して、取り上げるのも大人げないですが、例の「少量の放射線は体にいい」と自説に都合のよいデータだけつまんで、原発擁護を繰り返すムラ人、池田某。このデモを「愚者の行進」と呼んでいます。この20万人の行動する市民を「愚者」と呼び、デモを「ナンセンス」と公に切り捨てることによって、この明らかに自分は賢いと思っているらしいこの人は、何を為したいと欲しているのでしょうか。原発に反対する多くの一般市民を「愚者」と呼び、命よりもカネの方が切実な問題だと訴えることで、原発に反対する市民の意見を変えれるとでも思っているのでしょうか?明らかに逆効果でしょうね。それとも、「愚者の行い」とはいかなるものかを、自分自身でを示してみせる自虐的ユーモアに富んだ人なのでしょうか。ま、実名でバカをやっている人に匿名のブログで批難するのも不公平でしょうからやめておきましょう。

 

最後に小沢グループの集団離党について一言だけ。離党は予定路線ですが、なぜ、輿石幹事長と三回も会談したのか、そこがナゾです。それと、当初52名の離党の予定が二人が撤回して50名になったという話で、その二人というのが階さんと辻さんだと聞いて、私はちょっとびっくりしました。彼らは小沢グループの中でも私は有能な人々だと思っていたので、この後におよんで離党を撤回するというのが解せなかったのです。彼らは離党届にサインをして小沢氏に前もって預けた人々です。離党をしたくないのなら、7/2に離党宣言する可能性が強いことはわかっていたのだから、前もって離党届を取り戻せば良かったのです。それをあえてしなかったことに何かウラがあるのではないかとふと思ったのです。つまり、民主党内にわざと小沢氏が彼らを残したのではないか、ひょっとしたら輿石会談はドジョウおろしと現クーデター執行部をさらに内部クーデターで転覆させるための策を話し合ったのではないか、などと勘ぐるのですが、多分、違うでしょうね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする