オリンピックは国威発揚の機会でした。しかし、冷戦が終り、経済成長がとまり、人々の国というものに対する感情も随分、変わったのではないでしょうか。なにしろ、「グローバル」であることが良いことで、日本国内企業でありながら社内公用語を英語にしたという恥ずかしい会社まである時代です。もはや,大勢の日本国民にとって、おのが国の同胞が遠い異国で、ガイジン相手に牛若丸さながらに活躍し、我らニッポン国民の評判をあげようとどうしようと、カンケーないと思っているのだろうと思います。私も半分、そう思っています。それでも、不思議なものでテレビで日本人が出ている競技をみると、自然と日本を応援しています。日本が水泳でメダルをとるのを見ました。名前がよくわからなかったので、とりあえず、「マエハタがんばれ」と応援しました。
現実は、オリンピックで国威発揚より、原発事故や、自分の仕事のこととか、そんな逼迫した重大事が解決しないまま迫って来ていることの方が百倍も重要です。起こってしまった原発事故も収束せず、住民に多大な被害を出し続けている上に、マトモな対処もせず、今後、首都圏を含めて急増すると考えられる放射線障害に対して何の議論もなく、次にもう一回、同じ事故が起こったら国が消滅するかもしれないという危機がありながら、これほどリスクの大きな原発を止めようという正常な判断力が欠如している脳死状態の政府。そういうどうしようもない相手は、近寄らないのが一番なのですけど、そのキチガイが日本の国の自爆装置のスイッチに指をかけているとなれば話は別です。
100基をこえる原発を持つアメリカでさえ、原発の将来性がないことは十分承知しています(週間朝日)。ずっと温存していたオイルとガスが百年以上はあるので危険な原発に依存する必要性はないとのこと。そもそもオイルよりウランの埋蔵量の方が圧倒的に少ないです。日本でも、元原子力工学者であった大前研一さんが原子力に見切りをつけてコンサルタントなったのが、70年代初めですから、四十年以上前に、日本でさえ原発は終わった技術と認識されていたのです。(大前さんの原発に関する意見には私はあまり賛成できませんが)
先週は恒例の金曜の官邸前デモは日曜日の「国会大包囲デモ」のため、自発的に集まった人々によるものとなりました。「国会大包囲」の様子をヘリからの空撮で見ました。すごい数の人々です。警察発表で一万人あまりという(どうも警察は本当はデモ人数の正式発表というのは行っていないらしく、この数字の出所は不明)新聞の情報ですから、以前の例から考えて、実数は20万人ぐらいは少なくともあったのではないでしょうか。例によって、田中康夫氏、みどりの風、などなど国会議員も参加。興味深いのは民主党議員のスピーチに激烈なヤジが飛んだことです。つまり、デモ参加者も脱原発を妨げているのは民主党であり、脱原発への最初の第一歩はドジョウ内閣倒閣であると認識しているということです。デモ以外に国民ができることは、脱原発実現を目指す政党、現在のところ、共産、社民、生活(国民の生活が第一)、日本新党、などを支持していくことだと思います。そろそろ、小沢氏もデモに姿を現して、脱原発を訴えるべきでしょう。現時点では、脱原発派の彼らを政権につかせることがとりあえずは現実的なやりかただと思います。ドジョウのように与党になった瞬間に変節する人間もいるので、それが必ず成功するとはいえませんが。
そのドジョウ政権、いよいよ、末期的症状を呈しています。ウワサによると、「週刊文春」というのは、アメリカにとって都合の悪い政治家に対して、ウソまじりの下世話なスキャンダルを載せて、印象操作するための媒体なのだそうです。ついこの間は、(有田議員によると)どうも捏造したらしい手紙まで使って、小沢氏の家庭問題をネタに下品な記事を掲載して顰蹙を買いました。その文春が、今度はドジョウの金銭のスキャンダルを掲載しています。それを見て、ドジョウはアメリカに見切られたのだ、と推理する人もいます。ま、アメリカにドジョウは「使えない」と思われるのも、やむを得ないでしょう。yahooみんなの政治のアンケートだと、ドジョウ内閣不支持率96% ですからね。よく、これで降ろされないものです。ま、降ろしたところで民主党の支持が上がるとはとっても思えませんが。興味深いのは、同じアンケートの支持政党を調べたもので、「国民の生活が第一党」が41%でダントツ、二位の自民が8%、民主が6%というデータ。笑っちゃいますね。実際の選挙ではこのまで極端にはならないでしょうが、選挙では「国民の生活が第一」(生活党)が大躍進するのは間違いないでしょう。扇動の手口が知れ渡って、国民に呆れられつつある大阪市長の党は、たぶん国政ではダメでしょうね。
ところで、明日から一週間ほど休みをとって、インターネットのない生活を楽しみたいと思います。いろいろ普段考えないようなことを考える機会にしたいと思います。