百醜千拙草

何とかやっています

Blessed are the meek

2015-02-27 | Weblog
ただ一度与えられたこの人生を生きる機会をどう過ごすべきか、誰でも折につけ考えることだと思います。独り身で健康だった若い時は、「やりたいことをやる」のだと単純に考えておりました。むしろ今の方が、その考え方は強まっているような気がします。しかし、ふりかえって、本当にやりたいことをやってきたのか、と自問自答すると余り胸は張れません。小学校の時から漠然と研究とか学問とかを職業にしたいと思っていました。そして、確かに少なくとも今は研究しながら生活しておるわけですが、もう一段階上の話、すなわち「何のため」に研究したり学問したりするのか、という点はずっと霞がかかったままです。一つ一つの研究の目標、「Specific Aim」というのは当然あるのですが、それが達成されたところで、その「何のために研究しているのか」というパーソナルな問いに答えがでるとは思えません。マラソンランナーが走り続けることそのものが目的であるのと同じような感じなのかも知れません。「それではダメなのではないか?」と思うと同時に、一方では、人生は死ぬ時までのヒマつぶし、楽しくヒマを潰すことが第一だ、という意見に心の中では賛成しています。

それでも、多くの人々の税金がもとになった研究費でヒマつぶしをさせてもらっているのだから、人々や社会のニーズに応えるという使命があることは分かります。そのバランスですね。やりたいことをさせてもらうかわりに人々や社会のためになる成果を出す、逆に資金を出す立場からすれば成果の期待できない研究にはカネは出さない、というのはあたり前だと思います。しかし、研究者も人間で家庭もあったりするわけで、まずは生活ができる立場にあることは第一条件です。残念ながら、研究環境は厳しいままで改善の兆しが見えません。アメリカではオバマはブッシュ以来の研究緊縮財政に対し3.3%の研究予算の増加を表明しました(多分、共和党に多数を握られた議会で潰されるでしょうが)。しかし、そもそも今のアメリカの研究レベルを維持するには3%ではなく、30%の増加が必要だと人々は考えています。クリントン政権で増加した研究規模に対しこの十年以上つづく緊縮財政はアメリカの研究環境の急激な劣悪化を招きました「何のために研究するのか」と聞くと、真顔で「研究費を貰うため」という答えが返ってくるのが普通になりました。そして「研究費を貰う」目的はと更に本音を探ると、それは「生活のため」ということになります。研究とか芸術とか、そんなものは、余裕がないとなかなかできないものです。喰うのに精一杯の人には難しいことですが、残念なことに世界はますます、喰うだけで精一杯という人々が増えてきています。

資本主義が末期的となり、日本経済は衰退期に入り(上がっているのは実質経済とは無関係のマネーゲームの株価だけ。むしろ日銀がカネを刷り散らかした上に経済活動は低迷したままなので、余ったカネが株式市場に流れてバブル状になっているだけでしょう)、サバイバルが第一目標となってきました。即ち、そういう人々にとっては、人生を生きる目的は、何らかの方法でカネを稼いで自分の体や財産などを維持すること、ということになりかねません。もっと極端に言えば「死なないこと、欲を言えばラクして生きること」が目的であり、人生の活動はその手段に過ぎない、というようなレベルに我々は達しつつあります。正直、これでは「人間」ではなく大腸菌と変わりません。しかるに、大腸菌のように命をつなぐことだけに精一杯の生活の中で、いかに人間らしく生きれるのか、というのが問題です。

しばらく前に、読んだEckhart tolleの本の最後のパラグラフに聖書の言葉が引いてありました。

Blessed are the meek, for they inherit the earth. (Matthew 5-5)


ここにヒントがありそうな気がします。meekという言葉は日本語では「柔和なるもの」と訳されているようです。Eckhartは、meekであることは「我 (Ego)」が取り除かれたものである、というような解説をしています。自己とその生命を維持することはEgoの本質です。しかし、それがとり去られた時に、人は人間らしくなる。ならば、喰うことを思いわずらわず、あるもので満足することを学ぶこと、そういうことがmeekであるということなのかな、と思います。
そんな人々が地を相続することになるのです。
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読んで応援、東京新聞

2015-02-24 | Weblog
日米両政府は、安倍晋三首相が4月下旬からの大型連休中の訪米時に米議会で演説を実施する方針を固めた。
安倍首相は演説で、TPPなど経済分野を含めた幅広い両国関係の深化が相互の国益にかなうとアピールするとみられる。 という不穏なニュース。

この人、日本の国益も日本国民の安全も全く気にしないのに、外国にいい顔をすることだけには熱心です。今回、TPP参加を堂々とアメリカ議会で宣言すれば、それはアメリカ議会は拍手喝采するでしょう。カモがネギをしょって得意満面でわざわざ自分の方からワナにかかりにやってくるのですから、漁師としては、心の中ではバカにしていても、表面上は拍手と笑顔でその獲物を讃え、お世辞の一つを言うのもやぶさかではないというものです。


東京新聞、筆洗から、「平和ブランド」を破り捨て、国民を危険にさらして国益を大きく損ねても、アメリカに貢ぎたい反知性政府、加えて自己陶酔。
、、、
ある撮影で、スタッフが進行が遅れているのでもう少し待ってほしいと頼んだ。シナトラは拒否した。「あなたの撮影はどうするんですか」と説得するスタッフに「わけないさ」。おもむろにシナリオを取り上げて未撮影のページをビリビリと破ったという▼これでは映画にはなるまい。政府にもシナトラ級に気の短い方がいらっしゃるようだ。日本周辺有事での自衛隊による米軍への後方支援を認める周辺事態法。これを改正して周辺という概念を削除してしまおうと考えている▼周辺概念が事実上の地理的な歯止めとなっていた。世界中どこでも米軍を後方支援したいばかりに、邪魔となるページを「わけないさ」とビリビリ破るおつもりか▼弾薬の提供も解禁、武器使用基準も緩和するとあっては戦後撮影し続けてきた映画「平和の国」のシナリオはもはや大幅に書き換えざるを得なくなってしまう▼「マイウェイ」はシナトラが歌うと心地よいが、昔はカラオケで素人が歌うと自己陶酔と嫌われた。政府がシナトラ気取りで「これがマイウェイ」と金切り声を上げる。聞いている「周辺」には寒けが走る。

関連して、同日の東京新聞の記事、「報道を制限する官僚たち」から、

 過激派組織「イスラム国」が一部支配するシリアへの入国を計画した新潟のフリーカメラマンが外務省から旅券返納を命じられた。この件でイラクでの取材を思い出した。
 陸上自衛隊のイラク派遣が決まった二〇〇三年暮れ、当時の防衛庁は「積極的に取材対応する」と報道陣に約束した。年が明けると事態は一変する。外務省から「『退避勧告』を出しているイラクで取材対応とは何事か」とのクレームが入り、約束はほごにされた。
 イラク派遣は、自衛隊にとって初の「戦地」派遣だ。装甲車、ロケット砲など重火器も持参した。「報道するな」という方がおかしい。、、、
 防衛庁官房長(当時)はイラク派遣直前に陸海空幕僚長の定例会見廃止を表明した。、、情報流出を嫌う首相官邸に防衛庁トップの事務次官(当時)がゴマをすった、、、、。
 「役所の立場」「官僚の立場」は、報道の自由や「知る権利」に優先すると考える人たちがいることを覚えておきたい。(半田滋)


とまた、気分の悪い話をしてしまいました。今年はもう人の悪口は言わないと決めたはずでしたのに、この私の知る限り史上最低レベルの知性をもつ政権が、資本主義末期の混乱の世に現れたことに強い危機感を感じずにはおれないのです。
 政府がNHKはもとより民間メディアに圧力をかけて情報を隠蔽し、秘密保護法で言論封鎖しようとする中で、マスメディアの中では東京、中日新聞が頑張っています。あたり前のことが普通に言えない社会にならぬよう、今後も日本人の良心を代弁して頑張ってもらいたいと思います。

それにしても、この政府を見ていると、以前にも引用しましたが、「悪は光の不在である」という言葉が思い出されてなりません。「知」は闇を照らす光です。闇を照らされると困る連中が、情報を隠蔽し、国際緊張を煽って国民の目を反らせようとします。

一方で、われわれは「悪に対峙した時には、自分を光に近づけるような行動を取らねばならない。」という言葉も思い出すべきでしょう。因果応報、天網恢々、悪は天が必ず誅します。われわれがすべきことは、この反知性政府に反知性で対抗するのではなく、知の光をもって応じ、われわれ自身を光から遠ざけてしまわないように注意することです。
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日本人ブランド

2015-02-20 | Weblog
産経新聞に載った曾野綾子さんのコラムの内容に批判が殺到し、南アフリカ大使館が正式に抗議文を出したという話を聞きました。コラムには、南アフリカのアパートで、アパルトヘイトの廃止後に黒人の家族が大挙して入居し、他の住人が逃げ出したという話が書かれています。違う人種の人と一緒に住むのは難しい、という意見のようです。

一歩さがって、この話を眺めると、アパルトヘイトのために貧しい生活を強いられてきた多くの黒人が、その黒人を搾取してきた白人の豊かな生活を脅かしている、ということらしいです。しかし、何と言いますかね。アフリカ人の住む土地にいきなりやってきて武力と暴力で現地住民を奴隷にし、生活どころか生命まで脅かしたのはヨーロッパ人の方です。人間というのはどこまでいっても自分が第一、自己中心的な存在だなあ、と思います。

個人のレベルで「ある人種に属する人には、やっかいな人が多い」という関連性から、人種(や社会レベルや外見などなど)を基準に態度を変えるというのはありうることで、それはある意味、自分自身を守るための方策です。個人のレベルで「南京大虐殺」や「ホロコースト」はなかった、と信じるのも自由です。しかし、それを新聞という「公器」に発表したのであれば、それは問題でしょう。

なぜ人種差別が良くないと世界の大勢が考えるようになったのかは、前世紀までのヨーロッパ帝国主義への反省ゆえではないかと思うのです。ヨーロッパほど酷くはないにせよ、日本でもアジアでも、人種、文化、性、言語、宗教、などなど多くの属性に基づく差別はありました。それは自己を守り利益を上げるために、自分にとって都合の悪い人間は排除し、使える人間は利用していくという利己主義が拡大していった結果であろうと思います。戦争はそのために起こっています。

その過去を反省し、地球は一つであり、同胞は助け合う方が殺し合うよりも効率がよいということを学び、人類は共生していく、そのために差別をなくし、人道主義を支持していくという流れになってきたはずです。他を利することは己の利にも繋がります。視点のレベルを上げてみればあたり前のことです。ダライ ラマは「compassion」を強調します。他人を思いやり、人の過ちを許すことは、許さないことよりも難しいですが、難しいことに挑戦していくことが人間的な意識の進化をドライブしていると思います。

ある種の人種の人とはいっしょに暮らすのは厄介だから離れてくらそう、というのは消極的で簡単な解決策。一緒に暮らすと色々と面倒だが、同じ地球に住む同胞として、折り合いをつけ、一緒に暮らせるように努力していこう、というのが積極的な解決策です。人々は、大変でも積極的に共存、共栄する道を探そうと決意したのです。その困難に立ち向かおうとする人々の思いに反する否言動が日本の新聞でなされたということが残念です。

戦後の日本が世界で活躍できた大きな理由の一つは、「平和主義」、「他人を思いやる心」によって築いてきた「日本人ブランド」ではないかと私は思います。世界の人々から「日本人はいい人が多い」と思われています。私も「日本人だから信用する」と言われたことがあります。勿論、一部の悪意のある人間は、日本人は人がいいから騙しやすいと思っていて、実際に騙されます。私もそのような人間とトラブルになったことがあります。しかし、平和主義で良い人間であることは、そうでないことに比べてはるかにプラスの方が大きいです。悪人も敵もマトメて同じ人間として認め、思いやることのできる度量の大きさが日本人にはあったはずだと私は思います。しかるに、その「日本人ブランド」を平気で傷つけるようなxxの穴の小さい政権や新聞が存在しているのは何故なのか。やはり、貧すれば窮する、余裕がなくなってきているのでしょうか。
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情報の制限

2015-02-17 | Weblog
最近、随分、もの覚えが悪くなったような気がします。「ど忘れ」は毎日です。
さっきも見覚えのないところから催促のメールが来ました。過去数日間のメールを探ってみたら、確かにメールは受け取っていて読んでいる形跡がありました。それでも思い出せません。

以前の私は責任感が強く、済ませていない用事があると落ち着かないタイプの人間でしたが、最近は、ペンディングの案件を複数引きずっていても、忘れてしまうのか、何とも思わないようになりました。

それにしても頭が悪くなるというのは困ったものです。私は、周囲の動向には鈍感で反応が鈍いのですが、見聞きしたことを比較的よく覚えているのが強みで、それが頭の回転の遅さをカバーして、そのおかげて何とか続いたと思っているのですが、どうもその唯一の武器がなまってきたようです。

ひょっとしたら、インターネットで過剰情報が入り過ぎているのが問題なのではないかと思い始めました。論文を読むために買ったタブレットもその用途に使うことはなくなり、メールのチェックやどうでもよい記事を読むことが多くなり、さすがにマズいと、電源を入れないように最近はしています。情報処理能力が減っているのだから、入ってくる情報を制限せざるを得ません。ただでさえ最近は、じっくりと丁寧に論文を読むという習慣が乏しくなってきていますから、ネットで余計な情報をかき集めて消費してしまう時間を減らして、じっくり物事を考える時間をつくらなければ、残りの限られた人生の時間をムダにしてしまうと思う日々です。
内容のないエントリーになってしまいました。
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歴史を創る

2015-02-13 | Weblog
ちょっと前に「歴史」についての話題が続いて、私も思う所をと思っていたのですが、そのままになっていました。

2/4/15の東京新聞、本音のコラム(斉藤美奈子さん)から
大晦日のライブでのふるまいをサザンの桑田佳祐さんがおわびした。会見で審判部を批判した横綱白鵬がおわびした。人質事件で政府を批判した共産党の池内さおり衆議院議員もおわびした。彼らに謝罪を強いたのは世間の非難と彼らが属する「業界」の圧力である。この国では自由な意見を表明すると「謝れ」コールが起きるのだ。
人質事件で拘束されていた湯川遥名菜さんと後藤健二さんのさんの親族も「ご迷惑をおかけして」「世間をお騒がせして」と政府と国民におわびした。痛ましい謝罪だった。
 これほど謝罪を重んじる国なのに、謝罪しなくていい人もいる。人質事件の不幸な結末に対し、安倍首相は「誠に無念、痛恨の極みである」とは述べたが、謝罪の言葉は口にしていない。、、、、
 戦後70年の談話でも首相は「謝罪と反省」を外したい由。軽微かつ正当な個人の発言には発言には謝罪を強いても、国家の重大な過ちは謝罪しなくていいらしい。(文芸評論家)


教科書の歴史を書き換えて「美しい国」に整形したいアベ氏、歴史は解釈ですから、本当のことは分からないものです。しかし、そこにコンセンサスがあるのなら、それを覆そうとするのはリスクが伴う行動です。とくに日本は敗戦国、中国とアメリカは戦勝国、事実はどうあれ戦勝国の歴史観がコンセンサスを作ります。負けた以上、それは飲むしかない。それを覆したのなら、もう一度、戦争して勝つしかありません。そんなことは誰も望んでいないのです(アベ氏はわかりませんが)。ドイツも負けました。ユダヤ人大虐殺が歴史になりました。今日の朝刊では、ナチス・ドイツが強制収容所でユダヤ人らを殺害したホロコースト(大量虐殺)の記録を、関係者の証言のみでつづる映画「SHOAH ショア」(クロード・ランズマン監督)が14日から、ほぼ20年ぶりに東京・渋谷の劇場で3週間限定で公開される、というニュースがありました。しかし、ホロコーストの犠牲者の数は不思議なことによく分からないのです。田中宇さんの記事から。

 

イスラエルは、欧州に対していくつかの政治的な武器を持っている。その一つは、政界や財界をはじめとした欧州の有力者の中にユダヤ系が多いことだ。
 欧州に対するイスラエルのもう一つの強みは「ホロコースト」だ。アウシュビッツ強制収容所の「ガス室」で110万人のユダヤ人が殺されたというのが「正史」だ。以前は殺された人の数が「400万人」だったが、その後明確な理由なしに110万人に「改訂」された。「正史」では、ナチスは「チクロンB」という毒物で大量殺害したことになっているが、研究者(Germer RudolfやJhon Clive Ballら)が、アウシュビッツの「ガス室」とされている部屋の壁を削って調べたところチクロンBの痕跡が見つからなかったと発表した。すると、彼らの中の何人かが独刑法の民衆扇動罪で起訴された。日本では、この件を指摘する記事を出した雑誌マルコポーロが廃刊に追い込まれた。ホロコーストの「正史」の事実性に疑問を持つことは、おおむね世界的に禁じられている。
アウシュビッツで大量虐殺が行われたという話は、ドイツ政府も認める「正史」だが、具体的にどこでいつ何人殺されたか、犯罪捜査に不可欠な確定的な物的証拠がまったくない(証言しかない)。ドイツの86歳の知的な女性ウルスラ・ハーバーベック(Ursula Haverbeck)は、そのように言っている。彼女は昨年、物的証拠があるのなら教えてほしいとドイツの政府や裁判所、ユダヤ人団体など関係各方面に問い合わせ、ウェブサイト http://ursula-haverbeck.info/まで立ち上げたが、どこからも何の返事もなかった。その結果をふまえて彼女は、証拠がない以上、ホロコーストはなかったと考えざるを得ないと述べている。


しかし、重要なのは、アウシュビッツなり南京大虐殺なり慰安婦問題の事実ではなく、それに対する国際社会の認識と解釈でしょう。その解釈に敗戦国が異を唱えるということは、極めて危険で不穏な行動と見なされると思います。少なくとも建前上、日本が民主主義国家であり、政府の見解は国民の意見を代弁すると世界は取ると、アベ氏がちょっとでも考えていたら、彼の度重なる軽卒な行動はなかっただろうと思います。だからこそアベ政権は絶望的に感じるのです。


内田樹の研究室、歴史の検閲についてから

アメリカの歴史家団体は5日、日本の教科書出版社に対して第二次世界大戦中に日本が行った女性の性奴隷化についての記述を変更するように日本政府が圧力をかけようとしたことに対して強く抗議する共同声明を発表した。

歴史家たちは出版社を支持し、「いかなる政府も歴史を検閲する権利を持つべきではない」とする著者Herbert Zieglermの立場に同意を示している。また第二次世界大戦中のもろもろの非道についての事実を明るみに出そうとしている日本及びその他の国々の多くの歴史家たちと連帯したいとも述べている。
われわれは過去から学ぶことで歴史を実践し、歴史を創り出す。われわれはそれゆえに出版社や歴史家に圧力をかけて、特定の政治目的のために歴史研究の結果を歪曲しようとする国家や特定の関係者の企てに反対する」と声明は述べている。


日本政府が、事実を隠蔽し歪曲するというのは、福島原発事故や小沢事件の顛末を見てイヤというほど思い知りました。それは政府内部、関連の人間の私利私欲によるものです。しかし、アベ氏が、福島のことでウソを言い、歴史を修正し、外国で虚勢を張ろうとするその動機は、カネとかの大人の事情ではなく、どうも子どもっぽい自己愛から来ているように見えます。いずれにしてもやっかいなことです。
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日々のできごと

2015-02-10 | Weblog
研究費申請書書きで、ストレスの日々がずっと続いております。何も他のことができません。〆切は着実に近づいてくるのに、なかなか形が整ってきません。この数日でも何度も方針が変わりました。アイデアはそれなりに思いつくのですが、一つ一つのステップを熟考していくと、全ての点で及第点がとれるようなプロジェクトにならないのが殆どです。欠点を補強していくと形になるかな、といろいろやってみた挙げ句に結局、ダメとなってゴミ箱(コンピューターの)行きになるのが殆どです。昔、作家の人が頭を掻きむしりながら原稿を丸めてゴミ箱に捨てる漫画をよく目にしましたが、今の私がまさにその状態です。悲しいのは、私の場合、書いたものが作品になるのではなく、お金を出してくれる機関に売り込むための作文であり、通って初めてナンボのものだということです。その間、真に生産的なこと(実験)はできません。資本主義の社会ですからセールス活動も科学活動に必要なものとは割り切ってはいますが、この数年、研究費のことばかり考えてきて、研究そのものを楽しむ余裕がありませんでした。これは悪循環です。これがあと一年以上続いたら(そのまえに資金切れになるかも知れませんが)ちょっと精神的に持たないなあ、と思う日々です。などと言っていたら、数ヶ月前に書いた研究費申請の不採択の通知がきました。二ヶ月かけて書きましたがゼロです。ちょっと、泣き面にハチ状態です。ヤバい状況には強いつもりでしたが、長期戦はちょっと精神的に堪えますね。

しばらく前にチャプターを書いた本が出版されたようで、製本が送られてきました。千ページ以上もある驚くほど立派な本です。$200近くします。誰が買うのでしょうか?正直、原著論文を書くのと違って、レビューや本のチャプターには(誰でも)力が入りません。結局それなりのものにしかなりません。専門書は儲かるビジネスでもないのに、これをわざわざ印刷して本にした出版社の方々や、本当に買った人がいたのなら何だか悪いなあと思いました。インド系の研究者の人が編集をしたのですが、その本の最初の方でわざわざ一ページをさいてどうも自分の両親の写真を出して献辞を書いていたのを見つけました。どうもこれはインド系の人の文化のようですが、日本人からするとちょっと公私混同のような感じがしますね。

力の入っている原著論文、小さなものですが、エディターがリバイスを要求してきました。最近、統計がうるさいです。私のような定性的なアッセイの多い研究は統計などあまり必要がないことが多く、これまでの雑誌も、統計などどうでもいいじゃないの、という人々の集う場所だったので、余り問題はなかったのです。今回の雑誌、インパクトファクター的には二流雑誌なのですが、専門誌なので臨床論文ものせる関係か、統計とグラフの表示法をやり直せと言ってきました。グラフ表示はバーグラフではなく、dot plotにしろ、とかmean +/- semではなく、95% confidence intervalを使えとか、結構、細かく指定されました。95%CIなど、誰もリアルタイムPCRのデータに使っているのを見たことがありません。そもそもCIとは何ぞや、ちゅーあたりから勉強し直すことになりました。グラフもこれまではエクセルでチョイチョイとを作って貼付けていましたが、dot plotはなかなか思うようなグラフが描けません。やむを得ず、臨床系の人も使っているということで、Prism 6というグラフを作るソフトを30日お試しで使ってみました。素晴らしいです。もっと早くから使っておけば良かったと思いました。30日過ぎてもこれは手放せませんから買うことになりそうです。Nature系の雑誌も去年ぐらいから、かなり統計に関して厳しい規定を設けています。われわれの様な実験に一々、パワー計算をあらかじめするようになどと書いてあります。めんどくさいです。そういえば、去年Natureに出た昔の知り合いの人の論文は、有意差を示すのに一群50頭以上の妙な端数のマウスを解析していました。パワー計算などしていないのが明らかです。結局、この世は建前と本音、形さえ整っておればいいのでしょう。
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我々はアベではない

2015-02-06 | Weblog
ちょっと前のエントリーと矛盾するようなタイトルですが。

人質の命と引き換えに無意味なパフォーマンスで非難を浴びたアベ氏。テレビの報道番組で、元官僚の古賀さんが痛烈に批判をしたことが話題になっています。古賀さん、満員電車と単独行動には気をつけてください。痴漢のでっち上げや偽装自殺は国民に対する立派なテロです。

フリージャーナリストの岩上さんのインタビューをまとめて下さった方の記事をリンクします。

「「やはり、確信犯なんですよ。今回の中東歴訪は、」古賀茂明氏インタビュー:岩上安身氏」  
https://twitter.com/iwakamiyasumi
岩上安身による元経産官僚・古賀茂明氏インタビューの模様を実況します。

テレビ朝日「報道ステーション」で安倍政権を批判した古賀氏に、その真意を岩上安身が直撃します。@iwakamiyasumi

岩上「本日は元経産官僚の古賀茂明さんをお迎えしました。報道ステーションでのご発言が大きく取り上げられています」
岩上「報道ステーションで"I am not Abe"と発言されました。この真意についてお聞かせ下さい」
古賀氏「後藤さんの解放を願う方が、"I am Kenji"というスローガンを掲げていました。後藤さんは信頼の輪を構築することを目指していました」

古賀氏「では、どうしてそこまで官邸が強気になれたのか。事前にお金を払って解決していれば、米国に対して顔向けできなくなります。安倍総理は今回、中東に行って、米国や英国とともに有志連合の一員であると認めてほしかったのでは」

古賀氏「やはり、確信犯なんですよ。今回の中東歴訪は、人道支援のためではなく、欧米と肩を並べたい、という目的のために行われました。イスラエルとの会談は、そのためにこそセットされたのでしょう。」

古賀氏「人質事件が発覚した後、『人道支援』という表現を強調することに切り替えましたよね。それは、人道支援のための中東歴訪だったのに、イスラム国というならず者が攻撃してきた、というロジックを作るためでした」

古賀氏「"I am Kenji"こそが、日本の心であり、憲法の心であると思います。しかし安倍総理が、それと違うことを言って歩いているわけですね。だから我々日本人は、I am KenjiとI am not Abeをセットで世界に発信すべきでは」

岩上「古賀さんは、昨年『国家の暴走』という本を刊行されています。帯に、『安倍政権による軍事立国化を食い止めよ』とあります。日本の経産官僚が、軍事立国を進めようとしているという、驚くべき内容です」

古賀氏「安倍総理が、軍事力を背景として、米国や英国と同様に世界を仕切ることができるようになることを目指しているのだと思います。そのために、「戦争をするための13本の矢」がセットされている。日本版NSC、特定秘密保護法などなど」

古賀氏「今回、日本人のイスラム国に対する報復感情を政府が煽っているように思います。憎悪に恐怖が重なった時、『やられる前にやらなければならない』という思考回路になります。『やられる前にやる』というのは、殺人ですよ。それが、正義にすり替えられていく」


古賀氏「一国のリーダーというのは、まずは冷静になるよう、国民に訴えかけることが務めなのでは。日本国憲法のせいで、日本が弱腰だなんて思っている国はありませんよ。なぜ安倍総理は、この平和ブランドを恥だと思うのか、全く理解できないんですよ」

古賀氏「安倍総理は、中国が強くなるなら日本も軍事的に強くならないと、と思っています。経産官僚はそこに乗っかって、軍需産業で利益を出そうとしているのでしょう。今、経産官僚は、安倍政権にグッと食い込んでいるんです」

古賀氏「今の安倍政権とそれをサポートしている人たちは、自分たちが勝つということしか考えていないんですよ。負けるなんてことは思っていない、そういうメンタリティなんでしょう。(軍事的に)強くなって、世界に認められたい、ということ」

官僚トップが、後先考えずに戦争を始めるしか日本経済を建て直す方法はない、と視野狭窄に陥っているという話は、以前から聞いています。世の中、カネでしか物事を考えられないこれらの人々、勝ち負けでしか物事を考えられないアベ氏やその支持者のような人々が、カネを失う恐怖、負ける恐怖、にとりつかれて、パニックになっているように見えます。恐怖にとらわれた人間ほど愚かな行動をとるのです。イスラム諸国がISISと同じででないのと同様、われわれ日本人の大多数はアベではないということをわかってもらうことは大切だと思います。ISISとアベ政権、やっていることは大差ありません。
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暴走、裸の王様

2015-02-03 | Weblog
余りに気の重い話題なので触れなかったですが、今回、二人目のISISによる犠牲者が出てしまいました。私もモスリムの知り合いは複数いますし、今はシーア系の人と一緒に働いています。イスラム教はアフリカ、中東、インドネシアと非常に広く広がっており、その内部は既に多様化しています。大多数の日本人と同様、大多数のイスラム信者が世界の平和と自由を望んでいます。

アベ氏が、世界中を無意味にウロウロしてカネをバラまいては、好戦的で不穏な発言を繰り返すからと言って、日本人が皆戦争をして平和を破壊したいと思っていないのと同様、ISISの過激な行動はモスリムの人々の考えを代表しているわけではありません。そもそもISISはアル カイーダ系組織であり、アルカイーダは、冷戦時代にアメリカが対ソ連用に使った諜報、工作機関ということですから、本来のイスラム圏大多数とはほぼ無関係な集団です。アルカイーダにしてもISISにしても、その中心には、中東を蹂躙し自国の利益にために利用してきたアメリカ牽制し抵抗することが具体的な目的としてあり、当然そこには、世界のいじめっ子、アメリカに対する恨みがあります。人は感情の動物です。軍事力に乏しい彼らが、アメリカに対抗するにはテロ行為しかありません。加えて、アメリカに対する積年の恨みと憎しみが、彼らの極端で残虐な行動となって表れるのだろうと想像できます。しかも彼らにとってみれば、行動こそ極端であれ、わがもので彼らの土地を利用し侵略し虐殺するアメリカからわが身を守ろうと必死なのでしょう。しかし、憎しみの連鎖をどこかで断ち切らなければなりません。それをするのは力を持っている方です。

この人質事件に対するアベ氏の対応に対する山のような批判を聞くにつれ、私は絶望的な気分になります。
客観的にアベ氏のしたことを見ると、
1. 平和憲法の改正を公言し、好戦的、排他的言動を繰り返して、諸外国に不安を与え続けてきた。
2. その一方で、アメリカの絶対隷属主義を続けて、アメリカの子分であることを世界に吹聴し、日米軍事同盟強化を訴えてきた。
3. 親米諸国のみを取り巻きをつれて税金で遊び回っては、カネをバラまく約束をした。これらの行動を通じて、日本は、軍国化してアメリカの下っ端として、アメリカの世界軍事戦略に協力する、というメッセージを反アメリカ諸国に出した。
4. 今回、外務省ルートでの人質救出交渉の妨げになるにもかかわらず、今回、外務省が止めるにもかかわらず、わざわざ中東に行き、ISISを名指して、ISISと戦う国を支援するという挑発的発言をして、ISISを怒らせた。
5. 人質救出に失敗した上に「テロには屈しない」「卑劣だ」などと発言をした。

アベ氏がもし自分自身が人質にとられた場合も、日本のその時のトップに同じ行動、同じ言動をとってもらいたいかどうか、聞いてみたいものです。戦争がしたいのなら、まず自分が前線に出る覚悟があるのか知りたいものです。(答えは自明ですけど)自分の人気取りのためにバラまくカネは国民の税金、ポーズをつけるための勇ましい言葉は人質の命の犠牲、自衛隊を戦場に送って流される血は国民の血、から成り立っています。この人に最も欠けているのは、もし自分が人質の立場だったら、国民の立場だったら、あるいは、テロリストの立場だったら、アメリカの立場だったら、という他人の立場になって考えることができる想像力と物事を客観的に多角的に考えることができる思考力でしょう。

テロは彼らの戦略です。「お前のやっていることは卑劣だ」と言ったところで、テロリストが行動を改めるでしょうか?テロリストにしてみれば、アメリカやその取り巻き(日本)が力に任せてやっていることの方がはるかに卑劣だと思っているでしょう。「テロは卑劣だ、テロには屈しない」というのは当然、諸外国や一部の日本人に対するポーズにしか過ぎません。そう言っておけば、アメリカは「よしよし」と頭をなでてくれるだろうと思っていっているのです。そう言っておけば、自分の失敗を責任転嫁した上に軍国化するのに都合がいいから言っているのです。すべて自分の身かわいさだけの言動です。アベ内閣が本来すべきことは、愚かな行動の挙げ句に人質救出に失敗し、国民の命を守れなかったことへの謝罪と反省です。理想家の鳩山さんは「命を守りたい」と言いました。少なくとも建前上は国民を守ることが国家の第一の責任だと私は思います。

然るに、アベ氏は自分のやったことに何の反省も見せていないように見えます。立場上、公に反省して自己批判するのは難しいでしょうが、少なくとも反省しているのであれば、それがわかるような行動があって然るべきでしょう。それが全くない。これは、やはり「播磨屋」がいう通り、この人が「裸の王様」なのだということなのだろうと思います。それが私の絶望感のもとです。この人は治しようがないのです。

いまさらながら、松原さんの25年前の予言が不気味です。「恐怖の男・安倍氏は、男に生まれながら男人形として、日本の名で世界を歩くでしょう。、、、その人こそ、わが国が『戦争』の言葉を身近に感じる流れを作る人物であり、操り人形です。政治家たちのランクを、国民1人ひとりが見極め、日本の国のために命を捧げられるほどの人間選びをしなければ、草も口にできなくなります」

結局は、国民が自らを滅ぼすことになるアベ氏を選んでしまったのです。奇しくも先週、ユダヤ人虐殺などドイツの「過去」への沈黙を鋭く批判したワイツゼッカー元ドイツ大統領が死去しました。ナチス ドイツを思い出させるアベ政権ですが、国民一人一人が前の戦争の愚かさを思い出すことで、その暴走を止めなければなりません。
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