百醜千拙草

何とかやっています

ビタミンよりスタチン(2)

2008-11-28 | Weblog
11月の最後の木曜日は、アメリカでは感謝祭です。家族が集まって、七面鳥の丸焼きやクランベリーソースやカボチャのパイを食べて、男性はビールを飲みながらアメリカンフットボールを見、女性はBlack Fridayと呼ばれる翌早朝から始まる一年で最大のバーゲン、After Thanksgiving Saleへ向かう準備をします。想像するに、Black Fridayは1987年に世界的に株価が暴落した月曜日であるBlack Mondayをもじって、感謝祭翌日の金曜日に商品の売値が急降下することから、そう呼ばれるのだろうと思います。
 ここ半年の株価の動きを見ていると、1929年に起こった世界大恐慌(この時にも一日で13%の株価の暴落を来しましたが、木曜日でした)や1987年のBlack Monday(22%の下落)のことが思い起こされます。先日、日本のとりあえずの代表であるアホウ首相は、ペルーでのAPEC首脳会議での記者会見で、「1929年のブラックマンデー、、、」と発言し、またもやフロッピーをDVD ドライバーに入れてしまいました。この人には、あの三猿の置物を見習ってもらいたいですね。どうせ、見えても聞こえてもいないのですから、しゃべるのも止めてもらいたいものです。
 そして、その後、更に、
「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」。麻生首相が20日の経済財政諮問会議で、こんな発言をしていたことが、26日に公開された議事要旨で明らかになった。
というニュース。
「たらたら飲んで、食べて、何もしない人」って、アホウさん自身のことではないでしょうか。ひょっとしてこの発言は高度な自己批判だったのでしょうか。いや、アホウさんは「何もしない人」ではなくて、「しなくてよいことをしたり、しないといけないことをしなかったり、言わなくてよいことを言ったりする」人でした。大多数の日本国民がアホウさんのアホウ発言のために「痛めた片腹」の医療費は、少なくともアホウさんが払う義務が十分にあると私は思います。
 
さて、本題ですが、
11/9にNew England Journal of Medicineに発表された、抗コレステロール剤、スタチンの血管病予防効果についての臨床研究、Jupiter(Ridker et al. Rosuvastatin to prevent vascular events in men and women with elevated C-reactive protein. N Engl J Med. 2008 Nov 20;359(21):2195-207, 2008)について、11/11のエントリー、ビタミンよりスタチンで触れましたが、この研究についてのコメントが11/14号のScienceに出ていました。Jupiterの最も重要な結論は、「正常コレステロール値の健康な人でもCRPが高ければ、スタチンの服用によって、血管病変を予防し死亡率を減らすことができる」ということなのですが、Scienceでは、この結論に多少、批判的なコメントがされています。その中で、Scripps InstituteのEric Topolは、コレステロールが正常値でもCRPが高いということは、既に血管病に対する何らかのリスクを持っている人が対象になっている可能性があり、(そういった人のコレステロール治療が、総合的に血管病変発症を下げたのであって)必ずしも健康人を対象にはしていないのではないかと述べています。CRPが高いという自体、その人が健康ではないことを示唆しているわけで、健康でかつCRPが高いという表現そのものがoxymoronicであると言えます。事実、JupiterのCRPの高い対象者の多くが、過体重で、15%は喫煙者で40%がメタボリックシンドロームであったようです。
 この患者群でのCRPの高値がどういう理由なのかは不明ですが、私が研修医のときは、CRPは非特異的炎症の指標として、よく使われる血清学検査の項目にしか過ぎませんでした。私は未だにCRPがどのような生理機能を持っているのか不勉強で知りません。今回の研究でも、多くの人はCRPは単なる炎症の指標と考えているようですが、中にはCRPそのものが血管病変を進行させると考えている人もあるようで、この記事によると、Isis Pharmaceruticalsというカリフォルニアの製薬会社ではCRP阻害薬の開発を試みているそうです。現在すでに安全性の確認のための臨床投与を開始したとのことです。対して、CRPは炎症の結果として上がるだけで、CRPは血管の炎症の原因または促進因子ではないという多数派の説を支持するデータとして、先月NEJMに掲載されたデンマークの臨床研究での、CRP遺伝子の多型性と心疾患の間に有意な相関を認めなかったという論文が引かれています。しかしながら、この遺伝学研究はCRPの遺伝子多型性がCRPの分子機能にどんな影響があるか不明であること、基本的にはnegative dataであるという点で証拠としてはちょっと弱いものではあります。今度は是非、コレステロールもCRPも正常の完全にマッチした群を対象に二重盲検で、スタチンの効果を検討してみて欲しいと思います。それでも尚、スタチンが血管病変発症を下げるとなれば、成人は全員、ビタミン剤を飲むようにスタチンを飲むことが推奨されるようになるかも知れません。

追記。
気になって、Black Fridayの由来をWikipediaで見てみたところ、Black FridayはBlack Mondayより20年も前から使われている言葉らしく、もともとフィラデルフィアでこの日に交通量が多いことを指していたようです。Blackはクリスマスショッピングシーズンが感謝祭の後に始まり、小売店が「黒字」となることに由来しているようです。
恥ずかしながら、CRPは肺炎球菌のC多糖体に反応する蛋白で補体の古典的経路を活性化するという機能があることを今知りました。学校で習っていたはずですが、覚えていませんでした。CRP高値の人では血管病変での免疫反応が促進されて炎症が進行と病変の進行をおこすことは十分考えられますね。
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進化するシークエンサー(2)

2008-11-25 | 研究
先月末、10/28に一分子法によるシークエンシング技術の進歩について書き留めたのですが、その後、11/6日号のNatureで、一分子シークエンシング法の開発をめぐっての記事がありました。
 私は知らなかったのですが、ヒトゲノムプロジェクトのフランシスコリンズがつい最近まで所長を勤めていた NIHのヒトゲノム研究所(NHGRI)でも、高速で安価なシークエンス技術に投資してきており、その中心となる技術がナノポア(nanopore)シークエンシングという技術だそうです。前回紹介したように、一分子シークエンス法はヘリコスがすでに商業化していますが、より長いリードをより高速に読むという点で、現在もっともその目標に近いのが、Pacific Biosciences社のSMRTといわれる技術で、シークエンスしたいDNAをテンプレートにDNAポリメラーゼで相補鎖を合成させる際の蛍光ラベルした塩基の取り込みをリアルタイムでモニターするという技術です。アイデアそのものは目新しいものではないのですが、これをDNA一分子で行い、かつナノのレベルの正確さで蛍光を読み取るための技術というのはそう簡単に達成できるものではありません。しかし理論上、この技術では、DNAポリメラーゼの合成スピード、通常一分に1000塩基、という早さで読めるわけですから、現行の大量シークエンシングのスピードとは比べ物にならない速さです。速さで言えば、ポリメラーゼ反応などの化学反応を使う技術よりも、通常は物理的特性を検出する方が速いわけで、前回紹介したように日本やカリフォルニアでは、電子顕微鏡を使って、一本の梯子状に引き延ばしたDNAを顕微鏡で直接観察して塩基を読む方法を開発中の会社もあります。こちらだと長距離の連続した配列を一瞬で読んでしまうことが可能ですが、実用化はちょっとまだ先のようです。
ナノポア技術というのは、物理的シークエンシングの技術で、アルファヘモリジンという蛋白によって生体膜に開けた穴をDNAを通過させ、その時に生じる塩基特異的なイオンの流れを測定することで配列を決めようというアイデアです。ちょっと聞いただけでも、余りにsophisticateされ過ぎていて、これは使えないだろうという印象を受けます。イギリスに本拠を置くOxford Nanopore Technologiesという会社が主に開発を進めていますが、速度の問題(イオンのフローを測定するためには、ある一定時間DNAの一塩基がナノポアに留まる必要がある)、大量平行プロセッシングの困難さ(現在ようやく128同時平行)、正確さの問題(微妙なイオンのフローの測定でノイズに弱い)などなど、問題が山積みで、Pacific Biosciences社のSMRTの進歩と比べると、ちょっと勝ち目はなさそうです。Harvard のGeorge Churchも、結局、目標とする技術は、早く、安く、多く、という点に要約されるので、その点から考えてもナノポアが生き残るのは難しいと考えているようです。(日本では、「ポア」という言葉の響きも、オウム真理教事件を思い出させて良くないですね)
 この記事の中で、もう一社、Complete Genomicsというカリフォルニアの会社も紹介されていますが、この会社は「disruptive human DNA sequencing technology」というポリメラーゼではなく、ligaseを使ったシークエンシング法を開発し、使用しているようです。(確かABIの第二世代のシークエンサー、SOLiDもpolymeraseではなくligaseを使っていたように思います)この会社は現在、$20,000でゲノム解読を請け負っています。

ナノポアのアイデアは美しいのですが、どうも実用に向いていないような気がします。そういう例は他にもあると思います。例えば、マツダのロータリーエンジンとか。概念的にはロータリーエンジンは普通のシリンダー型のエンジンよりはるかに美しいのに、実用上は良くありませんでした。今使っているアップルコンピュータのシステムやGUI環境はウィンドウズよりはるかに美しいのに少数派ですしね。
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アホウの病態生理

2008-11-21 | Weblog
昨日、アホウ首相のアホウ発言にあきれ果てて悪口を書きました。しかし、世間に人は意外にこの失言に寛容な様子です。文脈から考えれば、今の医師不足は医師会が医師抑制を強く訴えたためで医師会の責任もある、(普通のサラリーマンの何倍もの収入を確保するために、医師抑制を推進して自分の業界の苦境を自分たちで招いた問題である)という流れで、医師側の責任に言及した際に「医師には社会的常識が欠如した人が多い」という流れになったのだから、そこだけを切り取って非難すべきではないという論調を述べている人もいます。それで、ひょっとしたら、私はあのアホウ首相が嫌いだから、失言に過敏に反応してしまったのだろうかと思ってみたりしたのです。確かに、客観的証拠のない、いわば、中傷を、「おれとは波長が合わない」という主観的な根拠に基づいて、首相という立場の人間が公の場で発言したのだから、失言であるのは間違いないのです。ただ、私はこれは「女性は子供を産む機械」発言よりもはるかにヒドい失言(少なくとも後者の失言には、女性は子供を産むという事実が述べられています)と思ったのに、世間の人が比較的この失言に寛容なのはなぜなのかという疑問が残ったのです。
 私はアホウ首相は本当にアホウであると、初めて国会中継かなにかでしゃべっているのを聞いたときに確信したのですが、自分でもその確信の根拠をうまく説明できなかったのでした。ひょっとしたらあの下品な顔やしゃべり方に対する単なる偏見なのかとも自問してみたりしたのですが、そんな表面的なことではありませんでした。確信を更に深めたのは、民主党の質問で鳩山幹事長の痛烈な首相の批判に、アホウ首相がニヤニヤしながら聞いていたのを見た時でした。この人は人の話を何も聞いていないというか、人の話を聞くという訓練をしたことがないのだろうと思いました。馬の耳に念仏とか馬耳東風とかいう、イノセントなものではなく、自動的に自分への都合の悪い批判を脳がシャットアウトするようにできているようなのです。私はこの手の人の理屈を理解しようとしない、そしてしないからできない、だから結局意思疎通不可能な人には、何を言ってもダメだということぐらいは知っていますし、そういう人にはなるべく近寄らないようにしています。このアホウ首相の、カップラーメンは400円ぐらいするとか、コンピュータネットワークをフロッピーで構築するとか、という非常識発言に対しては、ただの無知なのだと笑えないではないですが、この手の人が、その非常識をもって、他人の非常識を断ずるような態度は、一歩間違えれば大変危険なものだと私は強く感じたので、先日の失言に強く反応したのだと思います。(例えば、サラペイリンがプーチンが宇宙から攻めて来るとパニックになって、核ミサイルのボタンを押そうとている図を想像してみてください)
 今日、「内田樹の研究室」(http://blog.tatsuru.com/2008/11/20_1132.php) にそのアホウ首相の病態生理の解析がされているのを読んで感銘を受けました。小学生でも普通知っている漢字が読めない理由として、単に覚えていないから読めないという純粋な無教養と、本当は知っているはずのだけれどそれを覚えることを無意識が遮断していたというようなヒステリー性無教養とでもいうべきものが、このアホウ首相には混在しているのかも知れません。いずれにせよ、無教養は無教養なのですが、その有害度には無教養の種類によって差があると思います。
 そもそも解散総選挙のための人事で首相に据えられただけなのに、思うように支持率が伸びないからといって、ずるずると死に体の自民党の死亡宣告を遅らせるためだけに、首相の座に居座るというのは見苦しいものです。この際、潔く散った方が、まだ先に繋がると思うのですけど。

本当は、今日は一分子シークエンシングについての続報を書くつもりでしたが、また次回にします。
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アホウの上塗り

2008-11-19 | Weblog
「麻生」は「アホウ」と読むと誰かのブログで知りましたが、小学生なみの漢字も読めない首相が、「医師には社会的な常識がかなり欠落している人が多い」と発言したというニュースを聞いて、余りに、片腹痛く、どうしても一言、言っておきたくなりました。前内閣、前々内閣で、失言の嵐で、閣僚がどんどん更迭(この漢字、アホウさん読めますかね)されましたが、ようやく、自分の番ですか。アホウさん、そう発言した理由について、「おれの友達にも医者がいっぱいいるが、なんとなく話をしても、ふだん、おれとは波長が合わない人が多いと思った」と更に、アホウの上にアホウの上塗りの言い訳をしたと自民党の広報機関、NHKニュースで知りました。そりゃ、まともな人間なら、アホウさんと波長の合う人はいないでしょう。アホウもここまでくれば本物です。しかし、そう思うとまともな医者がアホウさんの友達にいるというのも考えにくいです。きっと、友達とアホウさんが考えているのは思い違いで、その人達は単にアホウさんをアホウ扱いしておちょくっていただけだったのが、さすがのアホウの中のアホウのアホウさんにも分かったのでしょう。日本の首相の顔とか言動とかを思い起こしてみると、「首相の中には知能とか常識とかが無い人が多い」というのが、一般国民の正直な感想でしょう。アホウさん、「辞任」という漢字、読めますか?

参考までに、晴天とら日和(http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/51308330.html)でまとめてある、KY(漢字が、読めない)アホウさんの発言の中読み間違いを下にペーストしておきます。

「正しい読み」 「あそうたろう君読み」
踏襲(とうしゅう) → ふしゅう
措置(そち) → しょち
有無(うむ) → ゆうむ
詳細(しょうさい) → ようさい
前場(ぜんば) → まえば
未曽有(みぞう) → みぞゆう
頻繁(ひんぱん) → はんざつ
実体経済(じったいけいざい) → じつぶつけいざい 
思惑(おもわく) → しわく
低迷(ていめい) → ていまい
順風満帆(じゅんぷうまんぱん) → じゅんぽうまんぽ
破綻(はたん) → はじょう
焦眉(しょうび) → しゅうび
完遂(かんすい) → かんつい
詰めて(つめて) → つめめて
怪我(けが) → かいが
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研究者と修行僧

2008-11-18 | 研究
臨床医学から基礎研究へと進んで大きな偉業を成し遂げる人は多くいます。先日そんな一人、Charles Weissmannの話を聞く機会がありました。彼はsite-directed mutagenesisを開発した人ですし、早くから遺伝子操作にも重要な寄与をした人なので、私の乏しい知識の中では、Weissmannは基礎分子生物学者という位置づけでした。実際、私の手元にある遺伝子ターゲティング用のベクターの一つは15年も前に彼のグループで開発されたものでした。何か技術的に面白い話が聞けるかもしれないと思っていたのですが、彼の話は、プリオン病の非常に現象的な話でした。基礎研究の内容もそれぞれ臨床との繋がりがはっきりした研究で、私は感銘を受けました。これが医者が基礎研究をやることの強みなのでしょう。基礎と臨床を常に関連づけて考えているのかも知れません。あるいは「病気で苦しむ人」のことがどこか頭の片隅にあるのかも知れません。この病人の気持ちを理解し、その役に立ちたいと思う気持ちは、大変、尊いものだと思います。
 基礎研究の研究活動そのものが与えてくれる知的な興奮を私は好きですし、それが未だに大して金にもならない研究を続けている主な理由ですが、一つ不満なことは、しばしば、基礎研究では「世の中の人のために働く」という感覚が乏しくなってしまうことです。現在、私が世の中に貢献しているかと問われると、論文やグラントのレビューのような誰かがやらねばならないような雑用を除くと、胸をはって世の中のために働いていますとはちょっと言えないような後ろめたい気持ちを感ぜずにはいられません。基礎研究は、いつか役に立つかも知れないことを産み出す、いわば将来への投資活動なので、直接誰かの役に立つようなものではないのですから当たり前といえばその通りです。業界内のごく限られた人々が当座の間、面白いと思ってもらえたらそれでよいというような性質のものなのですから、なにも一般の人に、「研究者というのは実験室に隠って役にも立たないことをやって税金を無駄遣いしている」という類いの非難に肩身の狭い思いをする必要などどこにもないとは思ってはいます。例えば、今年のノーベル化学賞のクラゲの発光物質など、当時の人は、本人も含めて、その発見がどんな役に立つのかは見えていなかったはずです。とはいうものの、二言目には税金を使った研究は国民の役に立つものでなければやめてしまえ、というような世間の意見に対して、今やっている基礎研究が役に立つかどうかは二十年経たねばわからないと歴史的事実で反論しても説得力がないのは、自分自身の研究が二十年後にどう役に立つのか自分自身でもわからないからでしょう。
 大学の基礎研究という活動のために税金からの研究費をお願いするのは、極端に言えば、禅の修行者が托鉢に出るのと同じようなものでないかと思います。仏教の修行者が寺に集まって修行をしようとしまいと、それはその人たちの勝手で、自分たちとは関係はない、と思うのが現代一般人の感覚かもしれません。しかし、過去、在家の人は、自分が修行できないかわりに修行をしてくれている修行者の人に感謝して喜捨するものでした。修行者の人が、一般の人のかわりに修行をし、何らかの真理に到達し、いずれ俗世間の人々を導いてくれる、というような漠然とした考えがあったのだろうと思います。また、世界の真理を理解するために仏法を研鑽する人に対する尊敬が一般にあったのでしょう。然るに、街角で托鉢する僧を物乞いか何かのようにしか思わない現代の拝金主義の人々に、大学に残って少ない給料で学問に励む人に対して昔の人が博士と呼んで敬ったような気分がどれだけあるのかは推して知るべしでしょう。大学で研究に励む人々を、自分たちができない研究をかわりにやってくれて、国の文化の発展に力を尽くしてくれている人々と考えているような一般人はまず皆無ではないかと思います。(もちろん、研究者の全てが高邁な学問の進歩という理想に燃えて、日々、研鑽しているという気はありませんが、少なくとも一部の研究者は尊敬に値するだけの理想と情熱をもって一生懸命働いていると思います)
 托鉢を受けて修行する修行者の心得として、大乗仏教には、菩薩がおこす「四弘誓願」という四つの誓いがあります。鈴木大拙は、「先生の見性は何ですか」と弟子に問われて、四弘誓願の最初の句、「衆生無辺誓願度(衆生は無辺なれど、誓って度せんと願う、つまり、限りない世の人を導くために身を惜しまず働くという誓い)」と述べました。仏徒の修行の先には、世の中の人のために立ちたいという究極の目的があって、それがために寺に集まって修行をするわけです。基礎研究者も意識の上ではそうでありたいものだと私は思います。
 ところで、最近、ちょくちょく見る、「内田樹の研究室」のブログでは、ブログのタイトルの副題に、「みんなまとめて、面倒みよう」とあって、フランス語訳らしい、– Je m’occupe de tout en blocという文が添えてあります。このフランスの言葉に由来があるのかどうか知りませんが、初めてみたとき、これは「衆生無辺誓願度」のことを言っているのだな、と私は思いました。大学教員または研究者として、そして人間として、常に忘れてはならないもの、それがこの言葉ではないかと私は思います。とは言え、なかなか、理想と現実のギャップは大きいものがあるのですが。
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危機と機会

2008-11-14 | Weblog
今回の経済危機について、会計士、山根治さんは、自身のブログで、その解釈を公表されています。その中に次のようにまとめられておられ、なるほど、と思ったので、書き留めておきます。

 これまでの話をまとめてみますと、-

1. アメリカが中心となって引き起こした、2つのトラブル、イラク戦争と金融危機をお金の側面から見た場合、それぞれが500兆円、合わせて1,000兆円の損害を全世界に与えた、
2. この1,000兆円の損害の内訳を見てみますと、イラク戦争によって、破壊するためだけに費消された「モノ」を300兆円とすれば残りの200兆円は、誰かが不当な利益として既にフトコロに入れた勘定になり、金融危機については、損害額500兆円の全てが誰かのフトコロに不当な利益として入っている、

このように、集約することができます。

 つまり、
イラク戦争の費用500兆円のうちの200兆円と、金融危機の損害500兆円とを合わせた700兆円は、その大半をアメリカをはじめとするアングロサクソンの人達がフトコロにし、それだけ不当な利益を享受した
ということです。

このたびの、リーマン・ブラザーズの経営破綻を引き金にして顕在化した、世界的な経済危機は、イラク戦争で濫費された300兆円の「モノ」と、2つのトラブルのドサクサに紛れて不当に他人の富を奪いとった700兆円の「カネ」の跡始末をめぐるもので、モノとカネ、合わせて1,000兆円のいわば反作用とでも言えるでしょう。なかでも、不当な富の移転である700兆円については、正当な富の所有者に向けて再移転される動きがこれから活発になることでしょうし、このたびの金融危機といわれるものの正体は、まさにこの不当な富である700兆円の再移転のプロセスであると見てもいいでしょう。所詮、経済合理性に反する偽りの行為とその結果は、いつの日か必ず是正される宿命を持っているようです。


フームと唸ってしまいました。私が漠然とおかしいと感じていた様々な現象を、整合的に説明する、その鮮やかな謎解きを読んだようです。経済の面だけを切り取って見ても、社会全体を現していて、しかもその動きがより良く見えるのですね。まさに今回の金融危機とは「不当な富の移転」をやりすぎたための破綻といえるでしょう。
アメリカ政府の今回の金融機関への資金投入は、投資家を含む人々は一概にその効果に懐疑的なようで、冷ややかな目で見られています。受けて、市場からの資金の引き上げは続き、一般の人の消費はグンと落ちんでいます。経済活動の2/3は消費活動によるものですから、これは一段とビジネスを圧迫し、ますます負の螺旋を下っていくようです。30年代の大恐慌と比べると、アメリカでの失業率は大恐慌時の25%に対し、現時点で6%、GDPもそれほど落ちているわけではないので、数字的には楽観視している人もいるようですが、一寸先は闇ですからわかりません。これまでの経緯を見ていると、金融機関の破綻は氷山の一角で、実は、この金融工学とかいう名前のインチキが金融機関以外の大企業にも蔓延していて、そのインチキがきかなくなってくると、多くの企業でもその実体は結構やせ細ってきていることが、一つ一つ明るみに出てきているというような感じを受けます。アメリカの企業の旗印、自動車産業も崩壊寸前で、公的資金の注入は不可欠のようです。山根さんは、「100年に一度のチャンス」というタイトルで今回の金融危機について述べられていますが、確かに今回、100年に一度の1930年代の大恐慌以来の大惨事となる可能性があると思います。社会の経済システムは大幅な修正と再構築を余儀なくされるでしょうし、その過程で「不正な富の移転」で甘い汁を吸い続けてきた階層の清掃が行われ、その結果、より効率的なシステムに生まれ変わるはずです。それは非既得者層へのチャンスを拡げると思います。現時点で、溜まった膿を排出するための手術が行われようとしているわけで、その手術侵襲は、一時的には多くの人に苦しみを与えることになるでしょうが、それは、必要な作業であろうと思われます。
 日本を振り返って見ますと、政治の面で、小泉政権がやったことは、金融機関がもっともらしい名前のインチキを繰り返したことと同様に、インチキに「改革」とか適当な名前をつけて、堂々と国民に売りつけたことではないかと思います。そのインチキがきかなくなることは自身はとっくの昔にわかっていたはずで、首相交代以後、するすると政界から逃げていったのも当初からの計算のうちだったのでしょう。いずれにせよ、政官財の癒着を促進し、国民の富を不当に移動させていた張本人の自民党もいよいよ崩壊へと秒読みに入ったようです。この際、膿は徹底的に出し切ってもらいたいものです。
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ビタミンよりスタチン

2008-11-11 | 研究
先週のビッグニュースとして、アメリカでは第三位の抗コレステロール薬、Crestorを販売しているAstra Zenecaが出資した臨床試験の驚くべき結果がありました。
 今年のラスカー賞となった遠藤博士の、HMG CoA reductase阻害剤の発見をきっかけに近年、コレステロール治療は大きな変化をとげました。二十年前の発売以来、Crestorを含む一連のStatinと総括される抗コレステロール薬の臨床応用による治療効果、経済効果は測り知れません。今回は、27の国から17,000人以上の対象者を集め、Jupiterというコードネームで施行されたStatinの大規模臨床試験が、予定の5年を待たずして終了したというニュースが先週末に発表されました。普通、臨床試験が早く終わってしまう場合は、予想外の副作用が頻発したとかいう悪い結果によることが多いわけですが、今回のは逆で、余りに効果が優れていたので、5年もやる必要がなかったというのが理由です。
 コレステロールが本当に動脈硬化の主原因なのかという批判は常にありました。状況的な証拠からはコレステロールと動脈硬化の相関は認められてはいましたが、動脈硬化病変の観察などから、物事はそう単純なものではないというのが人々の考えでした。近年、こうした成人病の進行に「炎症」が深く関わっているという知見が明らかとなってきており、動脈硬化の進行には炎症の抑制が重要なのではないかと考えられるようになってきました。今回のJupiterでは、非特異的なマーカーであるCRP値(hs-CRP: high sensitive CRP)は高いが、コレステロール値が正常の対象者群にプラセボとスタチンを処方し、心血管病変および死亡率を検討しています。結果、スタチン処方群では心血管病変のリスクは44%低下、死亡率も21%低下しました。つまり、コレステロールが正常でも炎症所見があれば、スタチンの治療は大変有意義であるということを示しているということです。今回のJupiterの結果は、動脈硬化治療の方針を革命的に変える可能性があると思います。経営的にも大ヒットが欲しいAstra Zenecaにとっては、非常に大きなニュースであろうと思います。勿論、スタチン治療による長期的な影響については、これからもっと研究が必要で、将来的に、「hs-CRPの高い人は皆、スタチンを飲むべきである」というコンセンサスに至るかどうかは、長期研究の結果に依存するであろうとは思われます。
 数年前、女性ホルモン薬、プレマリンを創っていたWeythが大規模リストラを行ったことがありました。数年前まで、閉経後の女性ホルモン補充療法は、骨粗鬆症を予防し、動脈硬化を抑制するために、推奨されていた治療でした。一方で女性ホルモンは乳癌や子宮がんの発生を促進するということは以前から懸念されていたことで、総合的にみて、女性ホルモン補充療法が万人にとってよいのかどうかという問題がありました。その結論は、結局、数年前の研究で、女性ホルモン補充によって、癌などによって、死亡リスクが高まることが明らかとなって決定し、その論文を受けて、瞬時にして、女性ホルモン補充療法は、スタンダードの治療から、むしろすべきでない治療とガイドラインが変更され、プレマリンを製造していたWeythは大きな打撃を受けたのでした。日本では、閉経し、背骨が曲がって、髪の毛が白くなるというのは、自然の老化のプロセスだという考えもあり、また、がんに対する拒否反応もあって、女性ホルモン補充療法は普及しませんでした。自分の体も含む「自然のプロセス」に積極的にinterventionを加えて、都合の良いように変えていこういう、西洋の考え方には功罪あると思います。結局、人間はいつか死んでいくわけで、成人病のコントロールというのは、最後の旅立ちの日に向けて、どのようにスムーズに舵を取っていくかという治療であるべきなのではないかという観点からみると、仮に心臓病や骨粗鬆症が予防できて、それによる死亡が減ったところで、いずれは別の病気による死亡率は相対的に上がる訳で、結局、これは勝ち目のない戦いではないかと思います。世間には、長生きしたいという人もあれば、早く死にたいと思う人もあり、心臓病で死にたいと思う人もあれば、老衰して肺炎で死ぬほうがよいと思う人もいるわで、成人病とどうつきあっていくかというのも、個人の価値観にしたがって、個別のやり方があるべきであろうと私は思います。
 スタチンが長期的に、どのような評価を受けるかは、今後を見守るしかありません。しかし、コレステロール値が高くない人でもスタチンを飲むことで効果があるということは、人間の体というものは、現代のライフスタイルに最適の状態にまで進化しているわけではなさそうであると考えさせられます(適者生存の進化論的観点から見れば)。ちょっと例えが適切ではないですが、スタチンがコレステロールを下げるだけの働きしかないとしたら、コレステロールが高くなくても抗コレステロール薬を飲むのがよいというようになると、胃がんができるまえに予防的に胃を摘出しましょう、みたいな妙なロジックへと発展しないかと不安になったりします。もちろん、胃や虫垂を予防的に摘出するかどうかという判断は、ガイドラインではなく個人が決めるべきことだと思います。
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必然の選択

2008-11-07 | Weblog
アメリカ大統領選、国民はオバマを選びました。予想された結果とは言え、蓋を開けてみれば、フロリダ、オハイオ、ペンシルバニア、バージニアと選挙の帰趨を決定する重要な州を全て押さえての圧勝となりました。マッケーンのconcession speechも中々しみじみと味わい深いものでした。今回のマッケーンの敗戦は全てブッシュのせいと言ってよいでしょう。ブッシュ政権下で経済が順調であったなら、結果は随分変わっていたはずです。ブッシュが次から次へと繰り出した誤った判断が、現在の苦境を招いてしまい、共和党全体に対する不信を招いてしまったのだと思います。これに関しては、共和党内でもブッシュとは違って中道よりのマッケーンはどうしようもありませんから、ちょっと気の毒です。20年前、圧勝して大統領になったブッシュ(父)は、それから4年後の大統領選で、民主党のクリントンに大敗を喫し、政権交代が実現しました。このときも経済問題が原因でした。常に経済が政権交代の主な原因なのです(”It’s the economy, stupid!”は、1992年のクリントンキャンペーンで広く使われた言葉です)今回も、ブッシュ父の湾岸戦争のリバイバル、イラク侵攻で戦争している間に、経済が弱体化し、同様のパターンを繰り返すことになりました。親が親なら子も子です。
マッケーンのスピーチの様子からは、力を出し切って戦い抜いた者の爽やかさが感じとれました。もう選挙戦術上、オバマを批判する必要もなくなり、昔のマッケーンに戻って、集まったサポーターに向かって、オバマを次期大統領として、アメリカが纏まり、更に発展していく時期であると呼びかけました。選挙が終わった今では、ブッシュの悪政、マッケーン選挙対策チームの戦略のまずさ、武器となるだったはずのペイリンの自爆、ありとあらゆる逆風が吹くなかで、老骨にむち打って長い選挙戦を戦い抜いたマッケーンを賞賛したいと思います。4年前にブッシュがやめるようなことがあったとしたら、マッケーンはよい大統領となっていたと思います。しかしながら、更に4年のブッシュの悪政によって、国民は、根本的な改革を要求するようになりました。即ち、時代は共和党で高齢のマッケーンではなく、民主党の若い新しいリーダーを必要としていました。振り返って過去を眺めれば、全ての出来事に必然性を読み取られるものです。ブッシュの悪政は良過ぎたクリントン時代に対する必然であったように感じられます。そして、オバマの出現はそのブッシュゆえに必然であった、つまり、人権活動家でない若い黒人系で民主党の大統領候補というオバマは、国民が待ち望んでいたアイコンそのものだったのではないでしょうか。そんな救世主の出現を国民が欲していたところへ、オバマがふいに出てきました。その時から既にオバマは歴史の必然となっていたのだと思います。そのことが、今回の記録的な投票率の高さに反映されていると思います。
 20年前、黒人人権活動家のジェシージャクソンが民主党大統領候補を目指して予備選を戦いました。今回、集まった群衆の中で、選挙後のオバマのスピーチを聞きながら、ジェシージャクソンの両目からは涙が頬を伝い落ちていました。こみ上げてくるものをぐっとこらえるかのように口元を結び、それを人差し指で押さえていました。人々から頭一つ飛び出たそのジェシージャクソンの表情には、これまでの苦難と喜びが入り交じったような複雑な感情が読み取れました。マイノリティーとして虐げられてきた多くの黒人にとって、今回のオバマな勝利は一段と感慨深いものでしょう。45年前に、Martin Luther King Jr.が、人権を訴える有名な、”I have a dream”のスピーチを行ったと同じ日に、オバマはデンバーの民主党大会でノミネーション受諾スピーチをし、そしてついに大統領に選ばれました。アメリカ黒人にとってもオバマの出現は必然であった筈です。もしもオバマが20年前に大統領選に出ていたとしたら、ジェシージャクソンほどに戦えたかどうかわかりません。たぶんダメだったでしょう。20年前は、そういう時代ではなかったのです。全ての条件が揃った今だからこそ、今回、オバマは勝てたのだと思います。しかし、人種の問題を今回の大統領選と重ねて見るのは良くないことだと思います。確かにオバマは「可能性に限りはない」といい、黒人がアメリカ大統領となったことと黒人の地位の向上を関連づけるような発言をし、黒人から喝采を浴びました。しかし、選挙の前からオバマ自身、アメリカは雑多の人種や共和党員や民主党員が入り交じっただけの国ではなく、(多様な構成因子が有機的に)連結した(United)国であり、人種や主義を超えて思考せねばならない、と強調してきました。オバマは過去の人権活動をルーツとする黒人政治家と異なり、最初から人種を超越したところに政治的イデオロギーを築き、その高い理想を語ることによって人を惹き付けてきました。つまり、オバマが選ばれたのは人種ゆえではなく、民主党代表としてのそのassertiveなリーダーシップゆえです。だからこそ、多くの若手、知識人を中心とする白人もオバマを支持したのだと思います。オバマは黒人代表はなく、アメリカの政治家代表として選ばれたことを、黒人も白人も理解しておく必要があります。

オバマの本当のチャレンジは来年から始まります。国民の期待は大変大きく、ブッシュ政権中の残された問題は余りに重いです。政権交代への熱狂が一段落したら、国民は冷静な目でオバマをその行動によって評価し始めます。これだけ不利な条件でホワイトハウスを引き継がねばならないオバマには、期待が大きい分だけ評価の基準も厳しくなると思われます。しかし、彼は歴史の必然が生んだ大統領です。また、長い選挙活動中、彼がただのプリーチャーではない器の大きさを持っていることもだんだんと明らかになってきました。楽観視はできませんが、オバマはアメリカを良い方向へと向けてくれるものと期待しています。

(近いうち、日本にも必然的に自民党崩壊が起こるはずです。日本に欠けているのは、強いカリスマ性を持った新しい時代の若いリーダーですが、さしあたり、日本の土壌には、オバマではなく小沢一郎の方が向いているかも知れません)
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米大統領選前夜祭

2008-11-04 | Weblog
明日いよいよ4年に一度の大レース、アメリカ大統領選の投票が行われます。今回の大統領選では、社会情勢や経済が悪くなってきた中で、政治への国民の関心の高まりを反映したせいか、期日前投票にも記録的な列ができる程で既に多くの有権者が票を投じています。
最終ストレッチでのマッケーンのキャンペーンには、例の配管工、ジョーが参加している様子を見ました。サポーターも何を考えているのか、「ジョー」とかいたバッジを身につけてマッケーンの話を聞いています。なんだか溜め息がでます。ペイリンを担ぎ出した時と同様、ジョーの場合も、担ぎ出す方も担ぎ出すほうなら、それにのせられてのこのことマッケーンキャンペーンに出てくる方も出てくる方だと思います。このナイーブな正義感に基づいているのであろうと思われるアメリカ一般人の行動力というのは、笑って済ますことができないものがあります。アメリカは民主主義、即ち、衆愚政治の国です。つまり、圧倒的多数の余り賢くない人が、非常にナイーブな判断を自信を持って下すことによって政治を動かしてきた国です。その根拠は薄弱でありながら、自分の国は正しいという自信というか信仰が、国の動向を決め、イラクを侵略し、国防の名のもとに、世界の人々を殺し続けてきたのです。マッケーンがペイリンやジョーを使ってやろうとしていることは、判断力の乏しい人々に誤った自信の根拠を与えようとすることだと思います。配管工のジョーが将来ビジネスをもって、オバマのプランで増税となるレベルの年収(25万ドル)を稼ぐようになる確率は一体、どれくらいでしょうか。マッケーンはジョーを一般人の代表のように扱い、一般人の人ががんばって25万ドル以上の年収になった場合にオバマの政策では損をすると言います。しかし、平均収入5万ドル未満の一般アメリカ人の一体何パーセントが生涯の間に年収、25万ドルも稼ぐようになって、増税を心配しないといけなくなるというのでしょう。殆どの一般人には無関係な話です。しかし、アメリカ人の多くの人がそのうち自分たちは億万長者になると真面目に考えているらしいという話もあり、その根拠のない自信にマッケーンはつけ込んで、まず起こらないであろう輝く未来の幻想を、今はまだただの配管工のジョーを使って一般人に売り込もうとしているわけです。一般アメリカ人は、まず起こらないと思われる25万ドルを稼ぐようになった時のことを心配するよりも、万が一、明日、会社を首になって、収入が無くなった時に、マッケーンの縮小政策で随分と削られるであろう福祉の方を心配するべきでしょう。その方が年収25万ドルを稼ぐようになるより、はるかに高い確率でおこります。それにしても、アメリカ人の根拠のない正義感や自信にはしばしば辟易とさせるものがあります。8年前、どこの誰がみても、ブッシュ政権では悪くなるのがわかっていたのに、結局、皆がそのことを身にしみて感じるようになるためには、実際に8年やらせてみて、本当に悪くなったという事実をつきつけられる必要がありました。そのブッシュに追随して改革と叫びながら日本の社会を破壊していった人もいました。傷は深いですが、今ようやく立ち直るための機会が与えられようとしています。

ところで、先週末のSaturday Night Live (SNL)には、マッケーン本人が出演、ペイリン役のTina Feyと共演し、二人でテレフォンショッピングのホストをするというコントを演じました。先日ゴールデンタイムの30分のテレビ放送枠を大金をかけて買取ってキャンペーン番組を流したオバマに対して、テレフォンショッピングの放送枠しか買えなかったとの冗談で始まり、本人が選挙の直前にここまでやっていいのかと思うようなネタが満載でした。商品の一部として、ジョー人形三点セット、配管工ジョー人形、ビール飲みジョー人形(Joe 6-packs: 6缶パックの缶ビールを飲む労働者クラスのアメリカ人男性の象徴としてペイリンがスピーチの中でしばしば使っている喩え)、ジョーバイデン人形などが披露されました。マッケーンに隠れて、ペイリン役のTina Feyが「ペイリン2012」と書かれたTシャツをみせるのシーンもあって、共和党選挙対策本部もよく、このコントにOKを出したものだと思いました。つまり、ペイリンがなぜ、今回、のこのこと副大統領候補として出てきたのか、その本音は皆がすでに見抜いているということです。彼女が副大統領候補を受けたのは、アメリカの国民のために国をよくしたいという使命感からではなく、「有名になって権力を手にしたい」という自己中心的な権力欲からで、それが国民には丸々すけて見えているのですね。 仮に今回、マッケーンが大統領に選ばれたとしたら、マッケーンは一期のみの大統領、4年後には副大統領の自分が共和党大統領候補として選挙にでることになるわけです。僻地アラスカの市長上がりの一女性知事であるペイリンには、今回のマッケーンの選挙対策上の「女性で保守派」というニーズが無ければ、ホワイトハウスでの中央政治へ入り込むようなチャンスなどないでしょうから、血迷ったのでしょう。そんな権力欲でギトギトしたペイリンの醜い本音がコントのネタになっているのです。

 最近のオハイオでのキャンペーンでマッケーンは、興奮して、「勢いを感じる、勝てる、そんな気がする!」と叫んでいました。それは、まるで4年前の大統領選挙の予備選で、最初の州、アイオワで失望的な3位に終わった時のハワードディーンの叫びを思い出させるものでした。ディーンはその叫びの後も、全く票がふるわず、早々と大統領選から脱落したのでした。一方、オバマは、最近のインタビューもキャンペーンにも興奮した所はみられず、リラックスした安定感を見せています。消える前にパッと明るくなるろうそくの火、それを思い起こさせるようなマッケーンの興奮でした。

今回のアメリカ大統領選、アメリカの将来にとって、オバマという選択は火を見るより明らかな選択です。しかし、アメリカ人の根深い人種や性に対する偏見は、多少心配です。ナイーブな判断を自信を持って下す(しばしば相互理解不能な)一般アメリカ人の自信の根拠は、しばしばヘンな名前や肌の色であったりするのです。アメリカには「Fool me once, shame on you. Fool me twice, shame on me」という諺というか格言がありますが、今回も万が一、そんな下らない理由で、共和党政権となって、国民生活がもっと悪化したら、責任は共和党ではなく、判断力の乏しい国民にあります。もし今回もアメリカ人が共和党を選ぶなら、アメリカは民主主義はやめて、大統領は投票ではなく、テストか何かで選んだ方が余程、ましでしょう。
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