百醜千拙草

何とかやっています

シンポジウム

2011-10-28 | Weblog

ちょっと前、自分の研究分野外の小さなグラントの募集を見て、応募してみようと、たまたま別の目的で作った手持ちのマウスを使った研究計画を立て、応募のための抄録を書き終えたところで、友人からメール。最新号のCellにそのアイデアは論文になって出ていますよ、とのお知らせ。見てみると、なるほどその通り、もともと彼らのグループの以前の論文を読んで思いついたことなので仕方ありません。彼らはステムセル、ガン研究者なので、この論文で扱っているような代謝に関しては素人だから手を出さないだろう、との考えが甘過ぎました。一方、まだグラントの抄録を書いただけの段階で論文が出てくれたので、傷が浅くて済みました。私も代謝は素人に近いですし、加えて彼らのようなリソースも人もカネもないわけで(だからグラントに応募しようと思ったのですけど)、うっかり同じ土俵に上がったら、一発で撃沈されていたことでしょう。身の程を知れ、という教訓だと受け止めたいと思います。前回応募した別のグラントも、提出直前に関連した論文を出されてしまい、大幅に変更しないといけないハメに陥りました。私のアイデアが凡庸なのが悪いのでしょうけど、私よりも先に同じようなアイデアを思いついてやっている方は、私がグラントを書く前に論文を発表して下さい。グラントの提出直前とかレビュー前とかは最悪ですからね。

このCell論文のガン研究者の人も辿っていけば、MITのWhiteheadに行き着きます。Whiteheadの研究者と言えば誰もが眩しすぎて直視すると目が潰れるほどですが、マウスのエピジェネティクス、ステムセルの研究分野ではFounding memberでもあるRudolf Jaenischが直接的、間接的にこの世界に与えた影響の大きさは驚くべきものがあります。数多くの彼の弟子がこの世界でトップクラスの研究を出し続けています。つい先日はそのJaenischをメインの一人に据えたステムセル関係のシンポジウムに行きました。トリはJaenischとiPSの山中先生でした。山中先生の話を直かに聞くのは実は私は初めてでした。公演中、うわさで聞いていた関西系のコテコテのギャグが炸裂しどうなることかと思っていたら、意外にも結構聴衆には受けていました。Jaenischの話は何度も聞いたことがありましたが、今回は久しぶりだったので流石に昔と同じ冗談はでませんでした。私はDoug Meltonの話にやはり感銘を受けました。特定の段階まで分化させたステムセルを如何にそれ以上分化させずに増殖させるかという問題について話しました。この人の話も何度か聞きましたが、聞く度に新たに感心する所があります。頭の良さを感じさせる人です。山中先生の話で感心した所は、iPSとESの違いについての話でした。これまでにiPSは元の組織の記憶を引きずっているとか、エピジェネティクな修飾が違うとか、少なからぬ数の論文が有名雑誌に出て、iPSとESとの違いが強調されてきたわけですが、その結論は尚早である、ということを50クローン以上のiPSをいろいろなアッセイで比較して示されました。おそらくESもそうでしょうが、iPSの質にはかなりのバラツキがあって、質の「悪い」ものは確かにESとは違うが、質の「良い」ものはESと見分けがつかないという話でした。こういう地道でかつ力のいる仕事をしっかりできるのが日本の研究の強みなのかな、と思ったりしたわけです。日本製の工業製品と同様、しっかりしたデータと基礎の上に積み重ねられる技術であるからこそ、信頼性も発展性もあるのでしょう。

ところで話変ってTPPですが、日本をTPPに引き込むアメリカのもう一つの目的を指摘してある記事を読んで、アメリカを利するTPPは経済協定であると同時に実は軍事戦略なのだということを納得させられました。ガダフィが殺された第一の理由はおそらくガダフィがアフリカを連合して欧米支配から独立するという構想を持っていたからだろうという意見があります。良く知りませんでしたが、産油国リビアの生活レベルは高く、一般国民が独裁に虐げられているという話はウソではないかという話もありました。事実エジプトやチュニジアでの市民デモはなかなかリビアには飛び火しませんでした。ヨーロッパがアフリカの植民地化にあたってしたことは分断でした。力の弱いものが強いものに対抗する唯一有効な手段は「連帯、団結」です。アフリカの連帯を望んだガダフィは故に欧米の脅威であったというわけです。同様に日本国民の側にたってアメリカが言うタテマエとは違う真の「民主主義社会」を望む小沢氏をアメリカの出先機関の日本の官僚国家権力が20年以上にわたってあの手、この手で潰そうとしてきています。日本人が連帯してアメリカの無理に「ノー」と言われたら困るからです。話をTPPに戻しますと、TPPの軍事的目的とは、即ち、日本をアジア圏から分断し、アジア諸国が連帯して欧米支配に抵抗しにくくするための手であるということです。下に、「何となく」クリスタルクリアな田中康夫氏の記事を引用したいと思います。(一部省略、強調)


“護送船団”記者クラブは、枯れ葉剤でヴェトナム戦争に“貢献”し、今や遺伝子組み換え作物開発でシェア9割を超える米国モンサント社と昨年、長期的協力関係を締結した住友化学の米倉弘昌会長率いる日本経団連を慮(おもんばか)ってか、TPPを農業問題へと意図的に矮小化しています。

宰相NÖDÁは17日、「日本は貿易立国だ。アジア太平洋地域は成長のエンジンになるので、高いレベルのTPP経済連携は日本にとってプラスだ」と内閣記者会インタヴューで高言しました。

呵々。日本の最大輸出先国は中国その中国のみならず韓国、台湾にも参加を求めぬアメリカ主導のTPPは、アジアに於ける日本の“孤立化”を画策する「環太平洋戦略的経済“分断”協定」に他なりません。
にも拘らず、外交に於いても性善説が通用すると信じて疑わぬのか、交渉の途中でも離脱は可能と自称“ドラえもん”官房長官も他称“口先番長”政調会長も明言する始末。それって、破談にするかも知れないけど取り敢えずは結納の打ち合わせをしませんか、と持ち掛けて許されると思い込んでるKYな男性と一緒じゃありませんか。
斯くも“お子ちゃま”な認識と覚悟だから、百戦錬磨の北朝鮮にも中国にもアメリカにも見くびられてしまうのです。与党統一会派「国民新党・新党日本」の諫言にも耳を貸さず、アメリカに阿諛追従(あゆついしょう)の日本経団連改め米倉経「米」連と一蓮托生の民主党政権の猪突猛進を阻止せねば、「にっぽん改国」ならぬ「壊国」へと奈落の底です。

お説の通りです。松下政経塾のドジョウや口先番長、私はこの連中は確信犯だと思っていましたが、ひょっとしたら大人になりそこなった(病識の無い)病人なのかもしれません。だとしたら始末が悪いです。

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反格差デモのこと

2011-10-25 | Weblog

週末、ガダフィのことを書きかけてうっかりそのまま投稿してしまいました。題名をつけてそのままにしておきます。そこで引用したFifiさんのブログのちょっと前のエントリでアメリカなどでの「反格差デモ」に関しての意見が非常に興味深いと思いました(「わがままデモ」だよね?)。

いわゆる反格差デモが各国の都市で行われている。世界中でというより、今回のは主に先進国で広がっている。ニュースでなんど見ても、イマイチその主張がハッキリしないのも特徴。
で、実際彼等は何に爆発したの?先進国が好んだ資本主義において格差が生まれるのは当たり前でしょ?富裕層が生まれてそれらが大多数を支配する。今まで通りじゃない?
むしろ、その制度を国際経済に導入して国際社会に格差をうんできたでしょ?世界を見たら今までだって貧しい国はずっと貧しかった、大国のために利用され、いつまでも虐げられてきたじゃない。
いまさらって思うようなことがあれば、それはただ、富裕層だたったはずの?いや、当然富裕層に参加することを期待していた先進国の若者たちがその将来設計を狂わされてることに不安を感じて暴れただけでしょ?
アメリカは今まで世界中の弱者から富を吸収して贅沢してきたじゃない?そのうえ、アメリカであるとゆうだけで、その思想を世界の国々に押し付けてきた。

主張がハッキリしないというのは、闘うべき「敵」を彼らも明確に定義できていないからではないか、と私は思います。反格差に関する最近の内田樹の研究室のエントリーでは、日本の社会運動について以下のように総括しています。

戦後日本で大きな社会運動が起きたのはすべて「反米ナショナリズム」の運動としてです。
外形的には「左翼」主導の運動でしたので、本質は見えにくいですが、そうなのです。
内灘闘争以来の反基地運動、60年70年の二次にわたる安保闘争、佐世保羽田に始まるベトナム反戦戦争などなど・・・巨大な動員をもたらした社会的な異議申し立ての運動はすべて本質的には反米闘争(すなわち「日本の主権回復闘争」)として行われました。

今の日本の格差社会は「アメリカ的社会観」が作り出したものです。そして、これまでの質問でお答えしてきたように、若者たちは「アメリカ的社会観=能力のないものが階層下位にとどまるのは当然であるという考え方」を深く内面化しております。

ですから、もし彼らが「アメリカ的な社会観・人間観からの脱却」という枠組みで、「格差社会の是正」ということを言い出したら、その主張は広範な国民的共感を獲得する可能性があります。

日本で劇的な社会改革運動を起こそうとしたら、それは「アメリカの属国であることを恥じる、主権奪還の闘争」として行われる他ない。

現代の壮年以下の世代でアメリカが日本の宗主国であり、日米は主人と奴隷の関係にあること、マスコミの言う「トモダチ」とは、(誰が言い出したのか忘れましたが余りに喩えがスバらしいので引用させてもらいますが)良くて、ジャイアンとのび太のような関係に過ぎないこと、日本の権力は彼らの出先機関であること、そう認識している人はどれくらいいるでしょうか。同様に、アメリカの一般市民で、現代の格差社会を作り出したシステムを構築してきた本当の彼らの敵を認識している人は多くないでしょう。私も正直「誰が敵」かは言えません。ロッカフェラなどのユダヤ金融だというのが定説でしょうが、彼らは表に姿を現しませんから。それと比較すると、アラブでの敵はハッキリしています。アメリカです。政治的主張もしやすい。日本でも敵はアメリカと言ってもよいですが、彼らの価値観や社会システムが余りに深く現代日本に浸透して内部から日本を支配しているので、それを外在化して一般国民にとってアメリカを共通の敵だと認識するのが難しいのではないかと私は思います。一方、アメリカ市民にとっての敵とは誰か、それは、アラブが敵と呼んで来たアメリカのことであり、日本がトモダチという名前の宗主国と崇めて来たアメリカに他ならないと思います。即ち、カネを武器に支配力を牛耳って来た一部の人々のことであり、故に自動的にユダヤ金融だという結論になるのだろう、と私は思います。しかし、外国からみれば、もちろんアメリカ一般市民も、アメリカの諸外国からの搾取の恩恵を受けて来たわけですから、Fifiさんのように考えるのももちろん理解できます。

土曜日にノームチョムスキーがOccupy Bostonの集会で講演しました (下)。アメリカの経済発展の歴史を振り返り、アメリカの経済の中心が製造業から金融操作業へと移り、富(カネ)の偏在が極端化してきたことの問題点、Occupy Bostonなどの市民の運動の意義を確認する話でした。最後に、核問題や環境破壊についてもアメリカ政府が問題を先送りして問題を大きくしてきたことを批判しています(日本政府に比べたらまだマシには見えますが)。

カネはかつてはモノの流通や交換のための道具に過ぎませんでした。カネが人を支配する力を持つことが明らかになると、モノを買うための道具としてではなく、その道具そのもの直接操作して支配力を手に入れる者が現れました。銀行屋です。ちょうど日本の立法と司法のようなもので、法を作りその遵守を司るべき所が、実は不法を働き、彼ら自身に都合の良いように法を作り替えてきたように、人のカネを預かるべき銀行がそのカネ(ゴールド)を盗み、それを紙幣を刷り散らかして誤摩化し、挙げ句に税金で補填させたりしてきたわけです。一般市民の富は消えて無くなったのではなく、一部の人間に局在しているのことです。

反格差社会デモでの主張はわりとはっきりしていると私は思います。市民の富を不正に局在化させてきたシステムに反対しているわけです。問題は現時点でのその責任者がはっきりと特定できないということです。政府に煽られたとは言え、金融バクチに参加してきたアメリカ市民自身も一役買ってはいるわけですし。

いずれにせよ、私は社会主義的(極端には共産主義的)政治システムがある程度導入されない限りアメリカ市民の生活は今後も下降の一途となると思います。一方、その闘いに敗れた時におこることは、食料やモノのコントロールを通じて一般人を支配する世界的金融ファシズムであろうと思います。

加えて官僚ファシズムが国民を蝕む日本は、アメリカよりもまだ悪いと私は思います。アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひくのはいまだにその通りで、アメリカが落ちてきたら、そのクッションをするために日本はその下敷きにされるようになっています。アメリカを敵として闘うというアイデアも有りかと思いますけど、日本人でありながらその手先となって売国に加担してきた霞ヶ関の連中や売国政治家の方が私はもっとたちが悪いと思います。

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ガダフィの死

2011-10-22 | Weblog

リビアのガダフィー大佐が殺されたという数日前のニュース。ビンラディンの時と同じ、これでは闇から闇です。殺したのは少年兵だという話ですが、どこまで本当なのか怪しいものです。アメリカが手を回したのではないのかと勘ぐるのは私だけではないようで、Fifiさんの意見に私は共感します。

ビンラディンの時もそうだったが、なんか口封じ的な殺され方に思えて仕方が無い。
リビアは表向きは国際社会において孤立してたと思われているが、色んな国と繋がってたからね。もちろんあのアメリカとですらブッシュ政権下では、いわゆるズブズブの関係だったわけ。
生きたまま拘束されて裁判なんかかけられちゃ、だれが一番困っちゃう?カダフィの性格上、おしゃべりだからね、捕まったあかつきには、なんでも白状しちゃいそうだもんね。

オバマが早速、これでリビアの独裁が終わって民主主義がどうとかこうとか会見していましたが、そんな心にもない演説をしないといけないのも気の毒なものです。ガダフィ死亡のニュースを聞いて、NATO連合軍とアメリカの「民主主義」の勝利だと単純に浮かれて星条旗を振っている若者の映像も見ましたが、正直、暗澹たる気分になりました。

産油国リビアで反米ガダフィの死、とイラクのフセイン、どちらも広義にはアメリカに殺されました。ガダフィはアフリカを合衆国にして西側諸国に対抗するという構想を持っていたそうです。一方、西洋諸国はアフリカの植民地化に際してアフリカを分断しました。またリビアはアフリカで最初に人工衛星を打ち上げ、通信インフラを整えようとした国なのだそうです。これらの動きをアメリカが歓迎するはずがありません。「民主主義」など表向きのキレイごとで、その実はアフリカの地位向上を抑え石油を手にしたいだけのことです。ガダフィを私はよく知りませんが、アフリカが西洋諸国に対抗するためのリーダーシップが独裁という形を取らざるを得なかったのであれば、独裁者だから非民主主義で悪い、という単純な判断はすべきではないでしょう。軍隊が良い例です。戦争に勝つためには司令官の命令が一兵卒まで通らなければなりません。民主主義でやる戦争などありません。そしてガダフィはもともと軍人なのです。

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インターナショナル

2011-10-21 | Weblog

前回の続きのようなものですが、先日の「内田樹の研究室」の「格差と若者の非活動性について」というエントリーを読んで、そこに引かれているマルクスの「万国のプロレタリア、団結せよ」という言葉に注意を引かれました。

マルクスの思想的天才性は、彼が社会のラディカルな変革は「なによりもまず弱者たちが連帯し、団結するところから始めなければならない」ということを直観したこと、最初のスローガンに「戦え」ではなく、「連帯せよ」を選択した点にあると私は思っています。

今の日本社会でこの言葉ほどrelevantな言葉はないと私は思います。プロレタリアとは現在日本社会で役人でもなく大企業の役員でもないかつては中流と言われた9割の日本国民のことです。団結すること、連帯すること、上からの洗脳教育ではなく、ボトムアップで人々の意識を共有することが大切だと私は思います。

「人間の絆」という小説の「絆」は、原題では「Of Human Bondage」で、Bondageという言葉は「絆」というよりは、普通は「束縛」という意味で使われるのだという話を最近、昔のひろさちやさんの本で読んだところでした。電通が震災にあたって「がんばろう日本」とか「絆」とかいう言葉をまき散らせて、責任所在を誤摩化して国民の注意をそらそうとしてきました。彼らの使う「絆」という言葉の意味は、奴隷を繋ぐ鉄の鎖、束縛の縄という意味なのです。大多数の一般国民が「絆」という言葉から思うのとは異なる意味を持っているのです。対して、「連帯」、「団結」とは鉄の鎖で繋がれるのではなく、腕と腕を自らの意志で組みあわせることであると私は思います。

それで、ふと思いついて、「インターナショナル」の歌詞を読み直してみました。私はこの歌はソビエトの歌だと思い込んでいたのですが、実はオリジナルはフランスの歌だったのですね。日本語歌詞に複数あるようで、二つ見つけました。

立て飢えたる者よ いまぞ日は近し さめよ我が同胞 暁は来ぬ 暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて海をへだてつ 我ら腕結び行く いざ闘わん いざ奮い立て いざ インターナショナル我らがもの

立て呪われしもの 立て飢えたるもの 正義の炎は今こそ燃ゆる 過去をば捨てて 奴隷よ 立て立て 世はくつがえる 無より全てに この戦いに集えよ 明日は インターナショナル我らがものよ

一般人たるわれわれは自覚のあるなしにかかわず、現代社会では、飢えたるものであり、呪われしものであり、奴隷です。団結し、暴虐の鎖を断つために、闘う日が近づいているように思います。

「全共闘世代」の後の世代は「しらけ世代」といわれました。全共闘世代だった悪徳弁護士とか空きカンとかが与党になって権力を手にした瞬間に、すっかり体制側に寝返って、民衆の敵となりました。インターナショナルも歌われなくなって久しく、しらけ世代以後は、世界や社会からすっかり関心を失い、自分の狭い世界でに籠って、団結とか闘争とかいう言葉は格好悪いモノと冷ややかに眺めてきました。そして、ついにそのツケが回ってきた、そんな気がします。

インターナショナルが再び国民にrelevantになってきたことは喜ぶべきか悲しむべきか、いずれにせよ、闘争は避けて通れないだろう、そんな気がします。


もう一つ、内田樹の研究室の最新のエントリーから、TPPまたは自由貿易の本質をついたエントリーの中の引用を引用します。TPPをこのように大きな視点から理解しようとする議論は少なく、極めて有用だと思います。あいにく日本政府やマスコミは、長期的かつ広い視点で客観的に物事を考えて自分で決定するという本来の機能を決定的に欠いていて、飼い主の投げるものは何でも条件反射的に走って取りにいってしまうという大脳皮質壊死状態です。連中を最終的に動かせるのはなにより一般国民の団結と連帯しかないと思います。ともあれ、原文を是非、ご一読ください。

完全雇用は自由貿易にもまして第一の優先目標である。完全雇用を達成するために輸入制限の強化が必要であれば、不幸なことではあるが、それを受容れなければなるまい。」(100頁)
続けて下村はこう書く。
「自由貿易とはそういうものである。決して、神聖にして犯すべからざる至上の価値ではない。
強大国が弱小国を支配するための格好な手段でもあることをもっとハッキリと認識すべきだ。」(100頁)

TPPとは、アメリカや日本の資本家が、日本の大多数の中小企業、公益産業、農業を犠牲にして、それらに就く人々をカネの奴隷にすることによって、一人勝ちするための謀略であると私は思います。格差を広げ、カネによって少数の人間が大多数を支配できるようにするシステムだと思います。導入されれば、早ければ数年で日本の社会はトコトン荒廃してしまうでしょう。

 

ところで、ボストンでの格差反対プロテストでの集会で、この週末の土曜日、御年83歳のチョムスキーが講演予定です。どんな話をするのか楽しみです。

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闘いの意味

2011-10-18 | Weblog

先月の学会以後、いろいろと忙しくてストレス溜まり気味です。忙しいのは学会レポートや論文のレビューなどなどの締め切りのある雑用が重なったのと、実験助手の人が急に辞めてしまったためで、忙しい割に本業の研究の方が遅々として進まないのが余計精神衛生に悪いようです。この週末も締め切り間近のグラントの準備をシコシコしていました。それと、来年夏を第一目標にに新たなプロジェクトのネタを練らないといけないのですが、なかなかグラント向けのよいアイデアが出てこないのもストレスの原因です。グラント向けのアイデアは、グラントレビューアが「意義がある」と思うようなネタでなければならず、かつその研究遂行能力が私にあることを示せなくてはならず、そして当然、私自身が心から面白いと思えなければならず、加えて、研究を無事遂行できる現実性を示すだけのデータや根拠を提出できなければならなりません。アイデアはソコソコ思いつくのですが、なかなかこういう条件を満たすものはありません。とにかく今週の小さなグラントを集中して済ましてしまってから、ゆっくり考えようと思っております。

辞めた実験助手の人のかわりに、数ヶ月前から無給で来くれている人が思わぬことから予定変更になって国に帰るのをやめて来年秋まで残ることになりました。彼女は自国で修士課程を終えた後、博士課程進学までの間の経験のためにと来たのですが、彼女の本国の経済危機が深刻になり、アテにしていた大学の博士課程プログラムが大幅に縮小されたために進学できなくなったためです。彼女の国では若者の失業率は4割近く、最近も格差反対デモで警察と衝突した市民が多数負傷するというニュースを見ました。将来的に自国で研究者を目指すのは不可能と見切って国を出る決心を固めたようで、大変気の毒です。あいにく私は給料も十分には払えないのですけど、それでも国に帰るよりはマシだし研究は楽しいからいい、と明るくしてくれているのが救いです。来月からも一人若手の女性が来てくれる予定ですが、彼女の本国も先の人以上の経済危機なので、すでにちょっと心配に思っています。

日本も間もなく彼女らの国のようになっていくのでしょう。いうまでもなくこれは企業資本主義(カネ)と官僚主義(権力)が結びついて、一般国民を喰いものにしてきた結果であり、日本も同様です。加えて、日本の場合はアメリカの圧力が大きいことが話をより難しくしていると思います。TPPは導入されたら、確実に日本の今の現状を悪化させ、食料をアメリカに握られ、日本のインフラを支える産業や医療は利潤追求のためのバクチの道具に使われて荒廃させられるでしょう。結果、日本は自力で食っていくことができなくなり、国民の大多数が非正規職員として低賃金労働者とならざるを得なくなり、アメリカと一部の日本の資本家の奴隷と成り果て、貧しい国になっていくと思います。そうなってしまうと日本はアメリカにとってもうま味のない国ですから、最後は核廃棄物のゴミ捨て場ぐらいにされてしまうのが関の山となりかねません。

今の政府が余りにヒドいので国民が立ち上がりました。「TPPを断固拒否するデモ」が開かれるようです。(コチラ

日本の民主主義は、民主主義の独立国家という看板を戦後、アメリカに掛けてもらっただけのもので、他の諸国のように民衆が市民革命を経て勝ち取ったものではありません。人の権利や尊厳はしばしば侵害されます。現在の日本ではそれが本当に目に余ります。それに対してどう反応するか。若い時は、仏教が教えるように「忍辱」こそ尊ぶべき態度だと考えておりました。個人の問題と内在化して耐えることをまず考えるべきだと思っていました。もちろんそのような小乗的発想は必要でしょう。しかし、それでは子供や弱い立場の人々は救われません。それで、最近は「闘うこと」は重要だと思うようになりました。若い時は、正邪、明暗、善悪というのは相対的な価値観に過ぎないと思っていました。しかし、最近は人間社会においては、これらは光と影のような受動的な関係ではなく、独立して、絶対的な善というものがあり絶対的な悪があるように社会ができているのだと考えるようになりました。若い時は経験が足りなかったので絶対的な善悪というものが理解できなかったのだと思います。

日本も本当に民主主義国家であるためには、われわれ自身の権利は、闘いを通じて勝ち取ることが必要なのではないか、などと思うようになりました。血を流して勝ち取ってこそ、その尊さが理解できるのではないかと思うようになりました。血を流して闘うことが好きな人はいないでしょうが、もうすぐ否応無く闘わざるを得なくなるような気がします。闘わなければ生き延びることさえできなくなる時代になっていきつつような気がします。そうなった時、一連の小沢事件の本当の意味が広く国民に理解されることになるのでしょう。

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売国TPP記事に憤る

2011-10-14 | Weblog

いつもながら、三流軽薄新聞、サンケイの経団連の提灯記事には、ハラがたちますね。先日のTPP参加に関する記事です。よくもここまで、独断と偏見に満ち無根拠かつ無責任な記事を平気で刷り散らかせるものです。サンケイの記者に良心とか矜持とかという言葉は無いのですかね。こういう確信犯のタワゴトにハラを立てるのも虚しいものですが、こういう記事を真に受ける人々も今だにいるのです。

主張:TPP参加、首相が決めずにどうする

TPP交渉を進める米国など9カ国は11月12、13の両日、米ハワイで開くアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議までに大枠合意を目指す。日本にとってはアジア太平洋の成長を取り込み、日本企業の国際競争力を強化する好機となる。日米同盟を補強し、中国への牽制(けんせい)にもつながる。

TPPと日米同盟とは無関係。そもそも日米同盟そのものがアメリカの軍事戦略に日本が利用されているだけのことで、日本は損はしても何の得もないシロモノ。アメリカこそ中国なしではやっていけないのですから、アメリカは中国が日本にちょっかいを出してきても、中国を本気で牽制するワケがない。日本は利用されて捨てられるだけのことです。

TPPの狙いは10年以内の関税撤廃原則など高水準の自由貿易圏構築にあるが、米国も砂糖など特定品目の除外を求めて交渉中だ。交渉に仲間入りしてこそ、有利な折衝の機会も開かれる。参加の意思を関係国に伝える作業も含めれば、月内にも決断しなければとても間に合わない。

何をあせっているのか、サンケイは。交渉に参加する前に、国内産業、農業の十分な保護政策を検討することが不可欠。それをやらずにうっかりアメリカの口車に乗って、NAFTAで荒廃させらされたメキシコ経済をどう考えているのか (下)。

 農業団体などの反対論に加え、「公的医療保険制度が崩壊する」(医師会)、「外国人労働者が大量流入する」などの誤解も多く、偏見や誤解を解く努力も大切だ。

外国人労働者はともかく、これは偏見や誤解ではなく、当然のように予想されることであり、それを「偏見や誤解」と独断するサンケイの方が相当に悪質でしょう。昨日、暗黒夜考に転載されたSapioの記事の一部を再転載します。

◆農地、共済まで根こそぎ──標的となるのは「金融」「投資」分野(SAPIO 2011年6月29日号掲載) 

アメリカの狙いはコメじゃない! TPPは日本経済を襲う真っ黒な巨大津波となる 

東日本大震災を受けてUSTR(米通商代表部)のロナルド・カーク代表は「現時点で(TPPに)日本を駆り立てるのは、人の弱みにつけ込むようなものだ」と述べた。 

小さな4か国による地域経済協定だったTPPを、アメリカが乗っ取ったのは、金融を含むサービス輸出と投資促進によって景気浮揚と雇用増加を達成するためだ。それまでWTOやFTAを通じてアメリカが輸出を試みてきたのは、金融を含むサービスと投資であり、今年1月にアメリカとの情報交換後に日本政府が「TPP24作業部会」を作ったさい、4か国TPPにはないのに新たに登場したのも「金融」と「投資」だった。

日本がTPPに参加すれば、アメリカの金融と投資が日本国内で加速し、郵政の簡保は市場を開放させられ投資の対象として医療は民営化を要求され、政府事業へのアメリカ企業の投資が容易になり、これらの分野でトラブルを処理するアメリカ人弁護士の活動が拡大されるだろう。


だいたい、TPPを進めたい経団連にしても、本当に彼らが関税撤廃で得するのか疑問です。アジアで彼らの市場となる国々は参加しないのですよ。対米輸出にしても関税の率はそれほど大きくない訳で、そんなものは円高ドル安のご時世、為替相場がちょっと動くだけで、関税分など吹っ飛んでしまうぐらいのレベルしかないのです。そんなわずかなしかも無いかもしれない儲けのために、日本を売ってしまっても良いのか、ということです。

一方、TPPに関しての去年の赤旗の記事 「TPP参加 無関税化は何をもたらすか。NAFTA発効17年 メキシコにみる 農業壊れ国の主権失う” 輸入農産物依存45%・離農4割と対比してみると、サンケイの「主張」が如何に無根拠なデタラメかがよくわかるというものです。

農業に加えて、国民の生活に直結する医療や年金などに対する影響を私は心配しています。先進国で唯一、未だに国家医療保険制度がなく、医療保険を民間保険会社が行っているアメリカでは、医療はビジネスであり、人々の暮らしをサポートして社会の安定性を確保するための機構ではありません。結果、病気になって医療費が払えず破産する人、病気になっても満足な医療も受けられない人が大勢います。アメリカの金持ちに対する医療のレベルは高くとも、社会全体として医療が国民の健康維持に果たす役割をみれば、アメリカのレベルは随分低く、極端な医療格差があります。日本でも病院に来る人を「患者様」と呼んで医療サービスという商品の消費者として扱いだしてから、医は算術の面が露骨になってきたように感じます。私は、昔の日本の医者を医療の頂点に置く傲慢ともいえるシステムがよいとはとても思いませんけど、患者様はお客様で、お客様は神様、と揉み手で媚びへつらうのもどうかと思います。日本は憲法で国民が文化的で健康的な生活をする権利をうたっていますが、震災後の政府の対応を見てわかるように、それは口先だけのこと、憲法で保障されている筈の権利は守られていません。そんな国ですから、TPPでアメリカの医療ビジネスが大規模に進出してくると、中小民間医療機関や場合によっては公立病院でさえ潰されて、国民のための医療から、資本家のための利潤追求の道具にされてしまう可能性は高いと思いますし、これまでも国民のカネで出来たものを「民営化」してアメリカ企業などに格安で叩き売ろうとしてきた売国政府ですから、何をするかわかりません。

10年前、財務省がまだ大蔵省だった時代に書かれた下の本を最近、読みました。この国の官僚が描く売国政策は、コイズミ時代に始まったものではなく、戦後、営々と続いてきたもののようです。

国売りたまふことなかれ―大蔵省にからめとられた日本 (川北隆雄 著 新潮社)

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自分の首を絞める人々

2011-10-11 | Weblog

今年は、チュニジア、エジプトでの市民革命が起き、現在、アメリカでもウォールストリート、ワシントンなどで市民による大規模なプロテストが起きています。格差の開きがますます大きくなってきた資本主義社会で、資本者階級と労働者階級の対立が再び激化してきたということだと思います。アメリカでも日本でも、現代の大多数の若者はその親の世代よりも貧しくなりました。そんな社会に誰がした、と言っても詮無いことですが、どう考えても、経済成長停止後の日本の社会問題の多くは、悪質な官僚組織のせいであると結論せざるを得ません。特に震災後、保身第一で全く無能としか言いようのない政府役人の体たらくを見ると、あれがガリ勉してT大H学部に行った人間のナレの果てなのか、ああならなくて良かったと思う一方、官僚という連中は、保身第一で他人よりもテストで良い点を取ることだけは得意な連中が選りすぐられているのだから、そりゃ一筋縄ではいかないだろう、と暗澹たる気分になります。政治家に官僚以上の力がない以上、日本に巣食う官僚組織という癌の病巣をどうにかできるのは、連帯した市民の力しかないと思わざるを得ません。


官僚組織が保身本能ゆえのずる賢さを営々と発達させてきた一方で、戦後の平和ボケのマスコミや日本国民は自分の頭で考える習慣を失ったかのようです。二つ、ブログ記事を紹介します。

板垣英憲のブログから

こうしたマスメディアの世論操作が、こうも簡単にできるのは、日本国民の大半が、ズバリ言えば、「愚民」なるが故にである。この論調に易々と乗ってしまうのが、あの「みのもんた」(敬称略)らの軽薄キャスターや司会者、あるいは訳知り顔のコメンテイターであった。唯一まともなのが、ジャーナリストの江川紹子さん(神奈川新聞記者出身)であると言える。
 小沢一郎元代表が、初公判後の記者会見で、「怒り」を露にしていた。記者のなかから、「国会での説明責任」を聞かれて、質問者があまりにも無知なのに怒ったのでいる。「君はどう考える? 三権分立が分かっているのか」と。弁護士でありながら法廷に立った経験がほとんどない自民党の谷垣禎一総裁ら野党党首が、「国会での説明責任を果たせ」と述べていたが、逆に言えば、野党は、まさしく、日本国憲法の遵守義務に違反する発言をしているのである。


第四の権力、マスコミの記者のレベルの低さに憤る気持ちは良くわかります。この記者ような「アホ」にマスコミという暴力装置を使って「人物破壊」攻撃を受けてきたのですから。弁護士の資格を持っているはずの自民党や社民党の党首とかが、この問題を「国家権力の濫用」としてではなく、小沢氏の政治資金問題として、単に与党にダメージを与える目的だけで国会で追求するとか言っているのが、もう病膏肓、末期的としか言いようがありません。この人たちは、自分さえよければ、法治国家として機能していなくても構わないとでも思っているのでしょうかね。何かの拍子でタニガキ君とか万が一、与党党首にでもなってうっかり官僚組織の気に入らないことでも口走ったら、自分も適当な罪状をでっち上げられてハメられる、明日は我が身だ、と思わないのでしょうか。戦うべきは、己の利益のために法をねじまげてでも特定の個人をトコトン攻撃して「人物破壊」に加担する、日本の検察と司法でしょうに。

そう考えていたら、田中良さんの国会探検にも同様のことが書いてありました。

ところが今回も野党の党首クラスが揃いも揃って「証人喚問」などと騒いでいる。全く学習効果のない哀れな連中である。

ロッキード事件以来続けられてきた「政治とカネ」のスキャンダル追及ほど民主主義政治の足を引っ張ってきたものはない。国民の税金の使い道を徹底して議論しなければならない予算委員会で、日本の政治は肝心要の事をやらずに政治家のスキャンダル追及に力を入れてきた。大衆に気に入られたいがためである。

国民も愚かかも知れませんが、政治家もそれ以上に頭が良くない。マスコミの連中も都合良く使われるだけの器量しかない、同じアホウなら皆、アホウになって踊ってしまえ、ということですかね。


もう一つ、TPP 交渉参加の決断を急ぎたい、という野田氏のニュース。この人、首相就任後、とにかく波風を立てないことを至上命題にしてきたかのような影の薄さで、批判らしい批判を受けずに来ていますが、泥の中のどじょうからステルス弾が飛んできそうです。やはり、前評判通りの財務省の操り人形であったようです。輿石幹事長が何とか押さえてくれたらよいのですけど。前のチョムスキーの本で、アメリカがカナダ、メキシコと結んだNAFTAという貿易条約が批判されていました。アメリカに有利な不公平な貿易取引がメキシコを喰いものにしましたが、TPPはNAFTAの拡大版であり、早い話が日本のあらゆる産業にアメリカがそのルールを押し付けて今度は日本を喰いものにしようとしているだけのことです。だから中国や韓国はTPPには加わらない。日本でTPPに前向きなのは、多少の関税が撤廃される輸出大企業からなる経団連だけ。直撃を被る農業従事者は当然、大反対していますが、この影響は農業だけに限りません。医療などのサービス業も含めたありとあらゆる産業に市場原理主義が徹底され、貧富の差はますます拡大し、(今でもそうですが)大多数の人間がカネの奴隷と化すことになります。カネがないと生きていけない世の中で、カネを儲けるには、誰か(企業)の奴隷となって低賃金でこき使われるしかないという意味です。日本の転落はある意味、自然の理でやむを得ないのですけど、官僚や政治家はそれを止めようとするのではなく、後押しするのだから救われません。

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小沢氏全面対決、Jobs氏

2011-10-07 | Weblog

二つのビッグニュースが重なりました。

Steve Jobs死去のニュース。そろそろかとは思ってはいましたが、やはりその訃報に接してみると何とも複雑な寂しい気持ちがします。まだ56歳だったのですね。多分、私の親の代上の人が、美空ひばりやプレスリーの訃報を聞いたときのような感覚ではないかな。私が学生の時は、タイプライターで論文を書いていた人もいましたから。日本では80年代後半にAppleのMacintoshが大量に研究室に導入されて論文書きの文化に革命が起きました。以来、生物系研究室はパソコンはMacが伝統となっているのではないでしょうか。ニュースのSteve Jobsの昔の映像を見ていたら、10歳になる下の子が、それを見て「Steve Jobsが死んだのか!」と驚いていましたが、ウチの連れ合いは、「それ、誰?」という反応。私は随分、MacにはClassic IIの時代からお世話になってきましたので(これもMacBookで書いています)、やはり感慨深いです。

もう一つは、小沢氏のデタラメ裁判が始まったという話。冒頭陳述で、小沢氏は、あらためて無罪を主張した上で、検察に対し厳しく糾弾しました(小沢氏発言全文)。私が特に強く共感する部分を抜き書きます。


議会制民主主義とは、主権者である国民に選ばれた代表者たる政治家が自由な意思により、その良心と良識に基づいて、国民の負託に応え、国民に奉仕する政治であります。国家権力介入を恐れて、常に官憲の鼻息をうかがわなければならない政治は、もはや民主主義ではありません。

日本は戦前、行政官僚、軍部官僚検察・警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。その結果は、無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇でした。昭和史の教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば、日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません。

 

官僚組織側は、小沢氏失脚さえ果たせればよいと、デタラメをやり続けた挙げ句に、ここまで問題を大きくしてしまいました。即ち、これまでやってきたように、メディアを抱き込んで国民を洗脳し、官僚組織に都合の悪い人間をヤミからヤミへと葬って来たやり方で、小沢氏も角栄や鈴木宗男氏と同じように始末してやろうとしたのに、それが簡単に行かなかったので、逆に己の不正をさらけ出してしまうハメに陥ったということです。ここで裁判をうまく収めないと、検察を含む官僚組織の悪質さをますます露呈することになって、検察は特捜の大物数人の首を切って誤摩かすぐらいでは済まなくなるでしょう。特捜は即刻廃止し、立法と司法を完全に行政から独立させないといけないのは明らかなのですが。


この週末には、陸山会のでっち上げ事件でのヤラセ裁判の不当判決に抗議するデモが開かれるようです。


証拠なし、犯罪事実に関する調書不採用、検察側の起訴罪状にも含まれない「収賄」を、裁判官の「推認」にもとづき事実とする、言語道断の暴論判決に断固抗議するべく、この日、国民の糾弾の声を上げます。

 なんら事実の裏づけなく、裁判官らの主観により一方的に犯罪を認定する、このようなことがまかり通るなら、司法への信頼は崩壊します。
人を犯罪者と認定するのに、証拠はいらないことになるのです。これでは捜査自体が無意味です。
被告が、自分は犯罪者「ではない」ことを証明できなければ有罪とされる、「疑わしきは罰する」判決が前例として容認されるなら、今後も「推定有罪」・「推認有罪」の論理によって罪を宣告される人々が続出するでしょう。

陸山会事件一審判決は、検察側の威信を守るために、裁判官らみずからが「証拠による事実認定」を放棄し、主観的な決め付けにより犯罪認定を行った、司法のモラルハザードの代表的実例です。
われわれ国民は、このようなことを絶対に容認すべきでありません。裁判官が、法に定められた証拠主義を守らないのならば、誰が誰に法を守るべきと言えるのでしょうか。


この裁判長も身の危険を察してか、公になっている個人情報を必死で削除しようとしているようですが、一般国民は、日本官僚のようなヤクザではありませんから、暗殺を企んだり、家族に嫌がらせしたりというようなことはしないと思います(多分)。この人は、自分がやましい事をやったので、やったことをやり返されるとでも思っているのでしょう。

このような不正が堂々とまかり通る国なのは、国民が十分に賢くないからです。無論、それは権力側の洗脳効果による部分が大きいわけですが、いまやJobsやBill Gatesのお陰で、国民は、原論統制され情報操作された新聞やテレビからではない、本当の情報を手に入れることが容易になっていうわけですから、一般国民も、わが身が可愛ければ、もう少し全体的に賢くなる必要があると思います。

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しっくりこない感、ファシズムへと加速する日本

2011-10-04 | Weblog

酵母でみつかった長寿遺伝子Sir2とその関連遺伝子 (Sirtuins) は、その揺るがぬ地位を確立したものと思っておりましたが、この度、Natureに、Sir2過剰発現による寿命延長効果は、より遺伝的バックグランドを均一化すると消えてしまうという反駁論文が出ていました。

Sirtuinsと代謝と寿命の関係は、MITのLenny Guarenteとその弟子、HarvardのDavid Sinclairらが二十年来積み上げてきた仕事で、一般社会へのインパクトも小さくありません。彼らは、Sirtrisという今は大手製薬会社の子会社となっている会社を作り、Sirtuin刺激因子を商品化しようともしています。また、Sirtuinの刺激因子が含まれているという理由で健康に良いと赤ワインも宣伝されてきました。これらの根拠になっているのが、Sir2による長寿効果というワケですから、研究という分野を超えて、一般にも今回の反駁論文が及ぼす影響は大きそうです。なにより、通常、「効果がなかった」というnegative resultがNatureのような一流雑誌に載るということからしても、このトピックの話題性がうかがえます。フロントページではこの論文に関して見開き2ページを使い、二本の論評を載せているという破格の扱いも、今回の論文の影響の大きさを物語っています。この論文は基本的にnegative dataに基づくもので、もしこの論文がNatureにrejectされていたら、マトモな雑誌に載っていた可能性は低かったのではないかと私は想像します。そう言う意味でもこの論文をNatureが採用した意義は高いと私は思います。即ち、Negative dataであっても、十分にコントロールを取って行った研究で、強い結論が得られ、その結論の意義が高いと考えられるような論文は一流雑誌に採用されるべきだ、というメッセージを発したということです。

この論文を見て、一昨年の年末、私はLenny Guarenteの話を聞く機会があって、その時の印象をブログにも書いたのですが、その時の軽い失望感が蘇ってきました。

「研究」とはデータと論理に基づいて何らかの客観的事実を明らかにする活動と建前上は考えられているわけですが、データをとるのもそれを解釈するのも、「誰か」が基本的には恣意的な基準を使って行っているわけで、極論すると、主観の入らない客観などというものは無いと言ってもよいかも知れません。Guaranteの話を聞いた時、彼の示したデータは確かに結論を裏付けているのですが、私は、何かわからないけどしっくりこないと感じたのでした。私は、現実的に研究者のもっとも重要な才能とは、「カン」だと考えております。何かしっくりこないと思う時、何かがおかしい、そういうことを何度も経験してきました。今回の論文で、Guarenteの話を聞いたときの「しっくりこない感」は、ひょっとしたらコレだったのだろうかと、振り返って思ったのでした。

ところで、陸山会事件の不当判決の余波がまだまだ残っています。マスコミは有罪という判決だけを国民に刷り込んで、この判決の本当の意味を悟らせないようにと気を配っているようですが、今日、読んだ二つのブログ記事をリンクしておきたいと思います。

一つは山口一臣、週刊朝日元編集長の二つの記事、陸山会裁判判決要旨を読んで気がついたこと(1)、とこれが判決文コピペ事件だ、です。これらの記事の中で、山口さんは、次のことを発見しています。

ここまで書いて古い資料をひっくり返していたら、驚くべきことに気がついた。先ほど指摘した、判決要旨に書かれた岩手県等における公共工事の受注に関するくだりは、西松建設事件の裁判のときの検察側冒頭陳述の丸写しだったのだ。

なんと裁判所の判決文が、別の裁判の検察の冒頭陳述のコピーだったという、裁判所と検察の腐った関係を露骨に示した吐き気のするような話です。ここまでこの国は腐っているのですね。

もう一件、平野貞夫さんの、憲法原理を崩壊させた陸山会事件の判決

このタイトル通りのことで、日本がますます官僚が牛耳る国家権力による市民支配へと進んでいくファシズムの流れにあることを指摘しています。この傾向は10年も前からあり、ますます強くなってきました。そのうち、戦争になって国民が赤紙をもらう日も近いでしょう。

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