石破氏、総裁選不出馬を表明とのこと。敵の敵は敵でも味方ということでしょうが、河野氏を支持するらしいです。総選挙での自民の大敗を見越してここは洞ヶ峠ということでしょうか。勘ぐるに、岸田氏が勝った場合は、総選挙で議席を減らし、その後はアベ政権時代の不祥事を蒸し返されて立ち往生するだろうから、その後に自民党の改革を名目にして総裁を狙う、また仮に河野氏が勝った場合は、アベ、麻生の力を削ぐチャンスだし、河野氏も長続きするわけがないので、薩長組を潰した上で河野退陣のタイミングを狙うということでしょう。アベ、スガが溜め込んだ数々の爆弾付きの問題をこの落ち目のタイミングで引き受けるのは得策ではないということでしょうな。しかし、これで衆院選で野党が勝てなければ、河野氏の総理大臣、たとえ短命に終わるとしても、日本は当面、下り坂が止まらないでしょうね。人望と信頼のないリーダーのもとで組織が動くはずがないです。この一年でも十分イヤというほど思い知りました。
それにしても、日本の大人は随分、幼稚化したものだなあ、と最近のニュースを見ていて思います。ろくに事実を調べもせずワクチン陰謀論を平気で撒き散らす人とか(ちゃんと調べていたら、陰謀論を信じたりしないでしょうが)、まったくのウソをワイドショーで知ったかのようにしゃべるコメンテーターとか、ホームページに朝鮮差別の文書を露骨に公表して、韓国から撤退することになった化粧品メーカーとか、、、子供でもやらないようなことを大の大人が平気でやって反省しないのです。政治家のレベルは国民のレベルといいますけど、やはり今の日本のレベルはアベ スガ並みなのか、と思うと気が滅入ります。
幼稚さというのは無知からきていると思います。自らの無知を自覚することが無知からの脱却の一歩です。その近道は、複数の専門家に話を聞くことではないかと私は思います。
この間、ピアノの調律師の人のビデオを見ていたのですけど、ピアニストからのクレームがついた時の話が大変興味深かったのでそのビデオを下にリンクします。
専門家の話を聞くと、まるで、4次元のこの世界に折り畳まれて隠れている残りのミクロの次元が目の前に開かれるような感じがします。専門家の話は深く、自分がいかにものごとを知らないかを実感させられます。
なので、専門家でもない開業医や一般の医者などの人が撒き散らすワクチン陰謀論には気をつけましょう。専門家の話は、当たり前に聞こえるようなものでも、すごく深いのです。分子生物学の知識もウイルス学の知識も免疫学の知識も疫学の知識もそれぞれの専門家は一般開業医の何百倍も深いのです。何年もそればかりやっている人たちですから。知識が足りず、判断能力が不十分なところに陰謀論が入り込む余地ができます。陰謀論が自分の主張に都合のよい場合、証拠やデータに当たってそれを理解して自分の主張の是非を判断するよりも、陰謀論を信じる方がラクです。陰謀論なら証拠やデータが乏しいことがその根拠とさえなっているので、データを集めて多角的に検討、判断するという労力も頭脳も必要ないですから。
話がズレましたが、ものごとは、思い込みを捨て複数の専門家の話を謙虚によく聞いた上で、客観的に判断しましょう、ということです。例えば、このピアノ調律師の方のビデオで紹介されている下の話、ピアノでビブラートがかからない、というようなクレームは、おそらく専門家かプロのピアニストが解説してくれないと理解できないと思います。
1. このピアノからこんなに美しい音がでるはずがない
2. 自分はこんなにうまく弾けるはずがない
3. ビブラートがかからない
1.と2.はプロのピアニストが楽器に求めるものというのは素人が求めるものとは違うのだことを教えてくれます。また、3.は大変、興味深いです。ピアノの構造上ビブラートは絶対にかからないようにできているのに、ビブラートがかかったように聞こえるように作曲されている曲があって、それにはピアノの調律や調整がどうも重要なようです。
この話をきいて思い出しました。単音楽器のサックスで和音を出す、という話です。普通は倍音を使うことを考えると思いますが、昔、ローランド カークというジャズ プレイヤーは複数の音を同時に出すためにサックスを3本まとめてくわえて演奏するという力技を編み出しました。ピアノでビブラートをかけると聞いて、すごい力持ちのピアニストがピアノを持ち上げて揺すっている絵を想像してしまいました。
Roland Kirk
もう一つ、このピアノ調律師の方のビデオで学んだのですが、ピアノの音色を変えるテクニックというのがあります。プロなら誰でも知っていると思いますけど、キーのどの部分をどのように弾くかによってピアノでは音色が変えることができるのですけど、それは木でできているハンマーの棒のしなり具合がタッチによって微妙に変化するというメカニズムだそうです。だから電子ピアノではこれができないということですね。
専門家の話は深く、われわれにあたらしい世界を見せてくれます。