百醜千拙草

何とかやっています

枯葉

2021-09-28 | Weblog
日が短くなり気温が下がって、だんだんと秋めいてきました。葉が色づく木もちらほら見かけるようになりました。若い頃、秋はもっとも好きな季節でしたが、最近は、加えて寂しさも感じるようになりました。

週末、今年最初の枯葉の掃除をしました。まだまだ青々とした葉がほとんどの裏の樹を眺めて、この大量の葉がこれから枯葉となってどんどん落ちてきて、それを毎週、かき集めることになることを思いました。

「枯葉」というシャンソンは、もとは映画の挿入歌ですけど、1950年にイヴ モンタンが歌って有名になった曲で、すぐジャズに取り入れられ、最も有名なジャズ スタンダードの一つになりました。しかし、キャノンボール アダレイ とマイルスの有名な演奏のために、スタンダードでありながら逆にジャズではこの曲が演奏される機会はそう多くないように思います。

実は、これまでイヴ モンタンの「枯葉」を聴いたことがありませんでした。先日、Youtubeでたまたまこの曲を歌っている彼の晩年のライブ映像を見つけました。この歌はメインのメロディーの前にヴァースがついていて、さらにその前に語りの部分があることを知りました。その出だしは、「思い出して欲しい」という言葉で始まるのです。枯葉が北風に吹かれるころ、幸せだった過去、人生がもっと美しいかったころを回想するという歌です。

よかった昔を回想する歌というのは沢山あります。私も子供時代のさまざまなことを昨日のように覚えていますけど、なぜかいい思い出ばかりを思い出します。過ぎ去った日々は隣の芝生のように美しいのかもしれません。私の子供時代は、まだフォークソングが流行っていた時代でした。

ひと月ほど前にビデオをリンクしたフォークグループの「風」の大久保一久さんが最近、急死したというニュースを先日、知りました。71歳とのこと。伊勢正三さんはホームページで、「風」は今でも解散宣言をしていないデュオ。久保ヤンのやさしさがなかったら、「風」は存在せず、僕はただの孤独な男に過ぎなかったのです。と述べています。

今日は、昔を思い出して「枯葉」を。これらの人々も全員故人となって久しいです。

本家、モンタン。

枯葉と言えばコレ。マイルスのミュートのトランペットが曲調によく合ってます。

サラ ヴォーンの嵐のようなスキャットに舞い散る枯葉。感傷的なオリジナル曲とは異なった解釈。

日本でも数々な人がカバーしたようです。代表として越路吹雪。
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自己充足感

2021-09-21 | Weblog
科学雑誌のフロントページで、とあるステムセル研究者の訃報をみつけました。私の分野外の人ですが、7-8年前、知っている数人の人が共同研究したりポスドクをしたりしたりしていた関係で、名前は知っているという程度の人です。訃報欄で年齢が56歳というのを知りました。何となくもっと年上の人だろうと想像していたので、ちょっと驚きました。数年前の二、三の論文を思い出しました。あのころは、ああいったタイプの研究が流行していたのだなあ、きっとこの人もその頃は研究やキャリアや家庭のことで忙しい毎日を送っていたに違いない、きっと数年後に死ぬことになるとは思いもしなかっただろうなあ、などと考えていると、人は何のために生きるのか、という若い頃からの疑問に思いを馳せずにいられません。

アカデミアも含めて、競争が厳しくなる社会で、成功を求めて人は努力し、多くの時間や労力をその競争に打ち勝つことに費やした挙句に、成功した人もそうでない人も、みんな早かれ遅かれ死んでいき、あっという間に忘れ去れていきます。振り返れば人生の時間は本当に短いものだと思います。どうせ死ぬのになぜ人は生きるのか、という古い疑問に誰もが自分を納得させ得るような答えらしいものを見つけたいと望んでいると思います。

競争によってランクがつけられ、ランクの高いものからよりよい機会や報酬が得られるという現代の自由競争社会のシステムを、随分前から我々は、侵すべからず原則であるかのように、教えられて育ちました。もちろん、そんな原則など人工的なものにすぎず、人間は自由に生きることも選択できるわけですけど、社会の人との関わりの中で生きていれば、自由勝手に生きるのは、実は何かと不自由なものです。結局、みんなが共有する価値観に沿って、うまく立ち回る方が楽でもあるし、かしこいやり方だと多くの人は考えてそのように行動すると思います。しかし、世の中には標準化されたシステムの中で生きることが困難な人も多いです。私自身もどちらかと言うとそう言うタイプで、競争に打ち勝っていくことはおろか、社会の繋がりの中で居場所を見つけるということでさえ、ストレスに感じるほどです。

最近、「ダークホース」という本を知り、興味深く、読み始めました。非典型的な経路で成功を収めた人の共通点を調査したもので、価値観が「標準化」された現代社会に適応できなかった人々がどのような経路を辿って成功に至ったのかという考察がされています。

先のステムセル研究者のうように、アカデミアでの成功者というのは大抵の場合、典型的な経歴をもつ人が多いです。例えばアメリカなら、中流以上の教育熱心な白人家庭に生まれ、中学高校と学業にはげみ、優秀な成績を収めてアイビーリーグ大学を卒業した後、一流の大学院で学位をとり、一流の研究室で研鑽し、一流大学にポジションを得て、業績を積み重ね、業界と学会で名前を売り、地位と政治力を確立するというパターンです。これは現代の競争社会に沿った戦略で、ここに必要なのは、能力と運に加えて、子供時代から将来の学問的成功という目標に向けて、持続的な努力を注ぎ込む献身さです。ひたすら努力し、数々のプレッシャーと競争に打ち勝つ鋼の精神を持ち、競争に打ち勝つことを素直に喜べれば、正攻法で成功を収めることができそうです。一方で、こうした競争を勝ち抜くことで成功する以外の方法で成功を手に入れた人々、この本では「ダーク ホース」と呼ばれていますが、彼らには、そうしたあきらかな成功の法則や備わった性格的特性はないようです。しかし、著者らが解析したところ、彼らに共通しているのは、標準化された社会システムに馴染めず、結果、自らの充足感を第一に追求してきたということのようです。

思うに、この話は、自らの充足感を第一に考えて行動しつづければ成功するという非典型的な成功法則ではなく、自らの満足を追求する人々の一部が社会的成功を収めることもあるということだと思います。社会的成功、すなわち地位とか金とか名誉とか、は、他人の評価です。ダークホース的な人々が優先しているのは、自己充足感です。自己充足感と社会的成功は直接結びつかないし、むしろ相反するものかもしれません。逆にいえば、金も名誉も地位もなくとも、自己充足感に溢れた毎日があれば、それが彼らにとっての「成功」ということなのでしょう。

アカデミアや会社で競争を勝ち抜いて出世階段を上り詰めた人々でも、あまり幸せそうに見えない人がいるのは、他人の評価と自己充足感のバランスが悪いのかもしれません。
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専門家の話

2021-09-17 | Weblog
石破氏、総裁選不出馬を表明とのこと。敵の敵は敵でも味方ということでしょうが、河野氏を支持するらしいです。総選挙での自民の大敗を見越してここは洞ヶ峠ということでしょうか。勘ぐるに、岸田氏が勝った場合は、総選挙で議席を減らし、その後はアベ政権時代の不祥事を蒸し返されて立ち往生するだろうから、その後に自民党の改革を名目にして総裁を狙う、また仮に河野氏が勝った場合は、アベ、麻生の力を削ぐチャンスだし、河野氏も長続きするわけがないので、薩長組を潰した上で河野退陣のタイミングを狙うということでしょう。アベ、スガが溜め込んだ数々の爆弾付きの問題をこの落ち目のタイミングで引き受けるのは得策ではないということでしょうな。しかし、これで衆院選で野党が勝てなければ、河野氏の総理大臣、たとえ短命に終わるとしても、日本は当面、下り坂が止まらないでしょうね。人望と信頼のないリーダーのもとで組織が動くはずがないです。この一年でも十分イヤというほど思い知りました。

それにしても、日本の大人は随分、幼稚化したものだなあ、と最近のニュースを見ていて思います。ろくに事実を調べもせずワクチン陰謀論を平気で撒き散らす人とか(ちゃんと調べていたら、陰謀論を信じたりしないでしょうが)、まったくのウソをワイドショーで知ったかのようにしゃべるコメンテーターとか、ホームページに朝鮮差別の文書を露骨に公表して、韓国から撤退することになった化粧品メーカーとか、、、子供でもやらないようなことを大の大人が平気でやって反省しないのです。政治家のレベルは国民のレベルといいますけど、やはり今の日本のレベルはアベ スガ並みなのか、と思うと気が滅入ります。

幼稚さというのは無知からきていると思います。自らの無知を自覚することが無知からの脱却の一歩です。その近道は、複数の専門家に話を聞くことではないかと私は思います。

この間、ピアノの調律師の人のビデオを見ていたのですけど、ピアニストからのクレームがついた時の話が大変興味深かったのでそのビデオを下にリンクします。

専門家の話を聞くと、まるで、4次元のこの世界に折り畳まれて隠れている残りのミクロの次元が目の前に開かれるような感じがします。専門家の話は深く、自分がいかにものごとを知らないかを実感させられます。

なので、専門家でもない開業医や一般の医者などの人が撒き散らすワクチン陰謀論には気をつけましょう。専門家の話は、当たり前に聞こえるようなものでも、すごく深いのです。分子生物学の知識もウイルス学の知識も免疫学の知識も疫学の知識もそれぞれの専門家は一般開業医の何百倍も深いのです。何年もそればかりやっている人たちですから。知識が足りず、判断能力が不十分なところに陰謀論が入り込む余地ができます。陰謀論が自分の主張に都合のよい場合、証拠やデータに当たってそれを理解して自分の主張の是非を判断するよりも、陰謀論を信じる方がラクです。陰謀論なら証拠やデータが乏しいことがその根拠とさえなっているので、データを集めて多角的に検討、判断するという労力も頭脳も必要ないですから。

話がズレましたが、ものごとは、思い込みを捨て複数の専門家の話を謙虚によく聞いた上で、客観的に判断しましょう、ということです。例えば、このピアノ調律師の方のビデオで紹介されている下の話、ピアノでビブラートがかからない、というようなクレームは、おそらく専門家かプロのピアニストが解説してくれないと理解できないと思います。


1. このピアノからこんなに美しい音がでるはずがない
2. 自分はこんなにうまく弾けるはずがない
3. ビブラートがかからない

1.と2.はプロのピアニストが楽器に求めるものというのは素人が求めるものとは違うのだことを教えてくれます。また、3.は大変、興味深いです。ピアノの構造上ビブラートは絶対にかからないようにできているのに、ビブラートがかかったように聞こえるように作曲されている曲があって、それにはピアノの調律や調整がどうも重要なようです。

この話をきいて思い出しました。単音楽器のサックスで和音を出す、という話です。普通は倍音を使うことを考えると思いますが、昔、ローランド カークというジャズ プレイヤーは複数の音を同時に出すためにサックスを3本まとめてくわえて演奏するという力技を編み出しました。ピアノでビブラートをかけると聞いて、すごい力持ちのピアニストがピアノを持ち上げて揺すっている絵を想像してしまいました。

Roland Kirk


もう一つ、このピアノ調律師の方のビデオで学んだのですが、ピアノの音色を変えるテクニックというのがあります。プロなら誰でも知っていると思いますけど、キーのどの部分をどのように弾くかによってピアノでは音色が変えることができるのですけど、それは木でできているハンマーの棒のしなり具合がタッチによって微妙に変化するというメカニズムだそうです。だから電子ピアノではこれができないということですね。

専門家の話は深く、われわれにあたらしい世界を見せてくれます。
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鉄壁のブロック

2021-09-14 | Weblog
普段はツイッターで人のツイートに乗じてやってますけど、今回は久しぶりにブログで自民党に文句。

Japan As No.1 の時代をなんとか覚えている私にとって、日本が今日ここまで坂を転がるかのように急激に衰退したことは感慨深いです。エコノミック アニマルと呼ばれ、うさぎ小屋に住んで24時間ガムシャラに金儲けに邁進していたころの狂気じみた時代が過ぎ去ったことは悪いことばかりではないと思いますけど、一方で一億総中流路線をすてて、自民党がネオリベ的立場を鮮明にして、国民政党であることをやめ、既得権益者が一般大衆からカネを巻き上げるための政治装置となりさがった小泉政権あたりから、当然のように貧富の差は広がり、一部の富裕層と対照的に国民生活のレベルは単調減少しました。加えて、その過程で福島の原発事故が起こり、コロナが起こり、そのつど、ガツンガツンと崖から落ちるように日本は落ちてきました。こうした不運なできごとからも日本は逆に立ち直っていく機会はありましたが、残念ながら、国民の生活よりも当面の自己利益の増大にしか興味のない与党政府は対応を誤り、悪い状況をより悪くしていく一方でした。

コロナは、アベにとっては最大の挽回のチャンスだったと思います。モリカケ桜、でアベの犯罪が追求されていたとき、例えば台湾やニュージーランドのように強いリーダーシップを発揮して、国民の生活を守るための施策を積極的に行っていれば、支持は上がり、モリカケ桜が燻っても、コロナの最中に疑惑の追及から逃げるために仮病を口実に総理を辞任するような格好の悪いことにはなっていなかったでしょう。逆にやったのは、あの馬鹿馬鹿しいマスクの配布。そのマスクでさえ疑惑まみれで配布でさえマトモにできず行政のロジスティクスの劣化を晒すに終わりました。国民には徹底的にバカにされ、野党に押し切られてようやく給付金を決めたころには、その効果は薄く、結局、モリカケ桜を蒸し返され、国会の度重なる虚偽答弁を認めざるを得なくなり、逃げ出すハメになりました。その次のポンコツに至っては言葉がありません。まだご祝儀の支持率が多少高かったときに思い切ったコロナ対策をやっていたら、今回のように党内からバカにされて内閣改造もできず、現職でありながら総裁選に出馬さえできないような状況に追い込まれることはなかったでしょう。

いずれにしても、無能なのに恫喝や寝技で権力を持ち続けたために、すっかり腐り切ってしまった今の自民党。この独裁体制は小泉政権から始まり、結果、バカ殿と金魚の糞ばかりの党になってしまいました。

そんな自民党の時期総裁に立候補したのは、当然ながら冴えない面々。石破氏はまだ正式な出馬表明をしていないようですが、消去法でいって、今後も自民が与党に残るとすると石破氏がまだベストという状況だろうと思います。出馬になれば、最終的に石破氏と岸田氏、党員票で石破氏が競り勝つと予想するわけですけど、党員の中で石破氏についで人気なのが、ブロック太郎、変節太郎、と呼ばれる河野氏。

私、この人だけは御免被りたいと思います。ようやくアベが去り、ポンコツが去ったのに、多分、アベ以上に不誠実で傲慢かつ自己中の世襲ボンボンが総裁で下手をすると総理大臣、というのは勘弁願いたいです。

というわけで、最近ツイッターでも総裁選の話題が多いので、私も、人のツイートに乗じて、この人が、大臣の椅子を目の前にしたとたんに脱原発の主張を引っ込め、ブログの脱原発記事を全部消して、変節太郎と呼ばれていることとか、都合の悪い記者の質問を無視し続けた傲慢映像とか、自分に批判的なツイートをする人を片っ端からブロックして、ブロック太郎と呼ばれているとかいう話とかをリツイートしているわけです。先日は、流れてきたツイートに添えてあった河野氏のホームページの写真に「貫くべき信念があります」と書いてあるのを発見して、おもわず吹き出してしまいました。変節ぶりを第一に批判されているのというのに。権力のためには過去の自分を否定し信念も恥も捨てるという信念ですかね。

その写真の文句が本物かどうか確認しようとホームページに行ってみたら、違う文句に変わっていました。また変節したのかな、と思い、今度はツイッターに行こうとしたら、なんと、私、ブロックされてました。私のような世間にはなんの影響もないような超弱小ツイッターアカウントもブロックするのだから、AIかバイトでもやとって、しらみつぶしにブロックしているのでしょう。自分のツイートに批判的なコメントがついて拡散されるのが嫌なのだろうと思いますけど、このXXの穴の小ささは政治家としては前代未聞だし、加えて手前の出世のために信念をサッサと引っ込めて、ブログ記事を消してなかったことにしようとする淺ましさは、総理大臣どころか公人としては、大いに不適格だろうと思わざるを得ません。

ひょっとしたら、河野氏は噛ませ犬で、総裁選をネタに総選挙に向けて自民の無料宣伝をメディアにさせるめの話題づくりとしてわざわざ担ぎ上げているのかもしれません。そうなら、私はまんまと自民党の手に引っかかったわけです。でも、やっぱり言わずにいられなかったので。
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発声のコツ

2021-09-10 | Weblog
来月の発表の録音をすませました。オンラインだと確かに会場に行く必要がなくて楽ですけど、会場の人の反応を見ながら喋るということができないので、やりにくいです。上半身だけドレスアップして、部屋の中を片付けて観葉植物を飾り、コンピューターの前に座ります。誰かが5メートル先で聞いている状態を想像しながら話します。

これはプレゼンテーションでの発声のコツを解説してあるいくつかのサイトから学んだ方法で、5メートル先にいる人がクリアに聞き取れるような声を意識して喋るとマイクを使って録音する場合でもちょうどよいようです。

私の声は普通に話すと声質が悪い上にこもるので、少しでもよく聞こえるようにと思いながら喋るのですけど、話の内容を追ってスライドを説明しながら、喉の奥を開けるとか少し大きな声でしゃべるとか、ということを常に意識しながら喋るのは難しく、喋っている間にいつもの冴えない喋りに戻ってしまいます。なので、5メートル先の人に聞こえるように喋るというのは比較的イメージしやすくよい方法だと思います。実際、5メートル先にふんふんと話を聞いている人がいれば、その人に向かって喋るでしょうし。

そうして録音した自分の声はやはり心地よいしゃべりとは程遠いですけど、死にたくなるレベルよりは多少ましでした。聞いている人は私が自分で思うほど声質など気にしていないだろうし、話の内容も多分2割ぐらい聞いていればいい方でしょうから、もっと気楽にやればいいのだろうとは思います。

今回のことで、Youtuberの人々の喋り方をちょっと注意して聞くようになりました。きっと何度もリハーサルをやって練習しているのでしょうけど、自然に感じのよい声でナレーションが入ると、内容にあまり興味がなくても聞いてしまいます。逆に必要な情報を得ようとビデオを探す場合でも、不必要にテンションの高い人とか、余分な冗談から入る人とか、妙に低調な人とかのビデオは避けています。必要な情報を無駄なく正確に聞きやすく伝えてくれるようなのが好きです。

それで思い出しましたが、ずいぶん昔、Jennifer Capriatiという女子テニス選手がいて、なかなかプレーはよかったのでしたが、世間では知能が問題視されたことがありました。その理由が喋りで、会見のときなどにやたら"filler words"と呼ばれる無意味な言葉が挿入されるのです。「あー」とか「えー」とか「いわゆるひとつのー」とかその手の言葉です。一分間にfiller wordsの典型句の "you know"を口にする頻度を数えたという記事もありました。

私も実感しますけど、優秀な人の発表には、こういう無駄な言葉がほとんど入らないのです。これは思うに、優秀な人は頭の中ではリアルタイムで言うべきことが推敲された上で整理されているからではないだろうかと思います。上手なピアニストが初見でも詰まらずに弾けるのと同じではないでしょうか。

Youtubeではナレーションがうまくて、内容が面白いので、つい見てしまうのが、クラッシック音楽のウンチクを語る「厳選クラッシックちゃんねる」で、この方はおそらく発声やプレゼンのトレーニングを本格的にやった人ではないだろうかと思います。私にはこのレベルのプレゼンは永久にムリです。


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語学習得の困難

2021-09-07 | Weblog
毎日5分のフランス語を始めて、何と1年たちました。毎日の課題が徐々に難しくなったので、今では20分ぐらいかかりますけど、習慣というのは恐ろしいもので、朝のコーヒーのついでにやっていたら、一日も欠かさずここまで続きました。しかし、最初の数ヶ月と違って、学習のスピードは頭打ちとなってしまったようです。一年たっても、ごく簡単な会話でなければほとんど聞き取れませんし、しゃべれません。読んで理解するのはそれよりはマシですけど、書けません。

身近にフランス語ができる人がいて、時々、気を使ってフランス語で挨拶してくれますけど、コマサバ? サバビアン、ボン ジョルネで止まってしまいますから、これでは上達するはずがありません。会話のネタになるようなこと、例えば「政権交代が日本経済に及ぼす影響」とか「おにぎりの最高の具はなにか」とか「あなたは神を信じますか」とか、をフランス語で語れるぐらいでないと、会話にならんのでしょうね。当分はムリです。だいたい聞いたことが理解できないのですから。

英語話者だとフランス語をマスターするのに約800時間が必要なようですから、私だとその二倍ぐらいと見積もると、仮に毎日一時間でも数年はかかる計算なので想定されたスピードなのかも知れません。

学習の進歩が実感できないと、モチベーションが下ります。その問題点を自分なりに考えると、基本の文法と語彙の知識が十分でないことが原因ではないかと思います。語彙力や文法力をシステマティックに高める努力をしていないので、わからない単語が入っていたり、イレギュラーに変化したりすると、ついていけなくなります。英語の文法や語彙の知識で理解しようとすると、フランス語特有の文法は知っていないとダメですし、英語の同様の単語が違う意味に使れたりすることがしょっちゅうあるので、却って混乱します。

また、一年たっても基本的なことなのに知らなかったことが随分あります。英語にない場合に多いです。最近はある動詞の変化を調べていて、日常会話には使われないが、お伽噺や書き言葉で使われるタイプの過去形があることを知って驚きました。結局、一つの動詞が主語のタイプや時制によって20種類ぐらいに変化するのです。また関係詞の中でも動詞は異なる変化をします。

私の感覚ではフランス語の文法や語彙は英語の数倍は複雑です。ヨーロッパ系の人々が英語を簡単に習得できるのは、彼らの言葉との類似性に加えて、英語が彼らの言語よりもはるかに単純な言語だからでしょう。

私のようなレベルでもフランス語が聞き取れる場合は、コンテクストの理解がある場合です。話の流れがわかっていれば、文章中のキーになるいくつかの言葉が理解できると、その他の部分は推測できます。多分、日本語でも英語でも聞いて理解するいうのは頭の中でキーワードから推測をして、推測と実際の音との合致をを確認するという作業を高速でやっているのだと思います。

ところが、文法の知識や語彙変化の知識などが十分でなければ、その予測をしながら聞いた音を確認するという作業ができず、結果として理解不能になります。逆に正確に発音された文章を聞いて単語が完全に聞き取れた場合でも、文章の意味がしばらく理解できないこともしばしばあります。

結局、思うに、一日、五分ぐらいでは使いもののなるレベルの知識を得るには圧倒的に経験時間が少ないということだろうと思います。日常の会話で使われる語彙は限られており、そう難しい構造の文章を話すわけでもないのに、外国語学習者がなかなか聞き取れず話せないというのは慣れの問題と思います。慣れとはつまり記憶の蓄積のことで、おそらく、会話が成り立つようなスピードで文章を理解し、文章を話すためには、あらかじめさまざまパターンにそった数多くのテンプレートの文章が頭の中にすでに存在している必要があるのではないかと想像します。その都度、聞いたり話したい文章を単語と文法の知識で解析したり構築するのではなく、あらかじめそれらの文章のパターンに一番近いものを記憶の中のストックから取り出してパターンを認識するというやりかたをしないと、実用にはならないと思われます。昔、TVで、出だしの一秒を聞かせて曲名を当てさせるというクイズ番組がありましたが、聞いて文章を理解するというのはこれに近いものがあるのではないかと思います。最初の数語が発声された段階で次にどういう文章が続くのかが無意識に予測できるだけのパターンの記憶の蓄積がなければ、リアルタイムのコミュニケーションは難しいでしょう。

よく、英語などでも数百語を知っていれば大丈夫、みたいな本がありますけど、多分、それでは実際には使い物にはならないでしょう。結局は、その数百語の組み合わせでできるかなりの数のパターンを音と意味とともに一つ一つ覚え、そのパターンの一部を自分でも発音できるようになるという作業が必須であろうと思われます。

ま、私はフランス語を使って何かしたいという目的があるわけではなくて、ラジオ体操がわりみたいなものなのでこれでもいいのですけど。これが一通りおわれば、習得難易度と今度は実用性も考えて、次はスペイン語かインドネシア語をやろうかなと思っています。
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美しい声

2021-09-02 | Weblog
来月の発表は、コロナのため、あらかじめパワーポイントに録音してオンディマンド配信という形になり、その録音をしなければなりません。私は声が非常に悪いので、やらねばならない発表の録音が非常に憂鬱です。録音した自分の声を聞くたびに死にたくなります。

数年前Book Offに入った時、一人の男性店員の「いらっしゃいませ」の声があまりに素晴らしいので、いい声ですね、と声をかけると、たまに詩吟の先生にスカウトされます、と。「いらっしゃいませ」の声に感動したのは初めてでしたが、そのときは声がいいのを心から羨ましく思いました。

たまに単純作業をすることがあって、その時には携帯電話で音楽をかけたりします。現在は、数年前からちょくちょく聞いているロシアやスラブ系の民謡、沖縄民謡、それから70年代のフレンチポップス、バッハ数曲などが携帯電話に入っております。昔はクラッシックの声楽曲もよく聞いていましたが、iTuneのデータが消えてiPodが壊れてしまってから聞かなくなってしまいました。それでも、今の電話にも一曲だけアリアが入っていて、これがかかると作業の手が止まってしまうのです。それがどういう事情で私の電話に入ることになったのかおぼえていないのですけど、その曲は、中丸三千繪さんの「私を泣かせてください」です。昔は、Renetta Scottoという歌手がベルカントで歌うプッチーニ曲が好きでした。ひたすら美しい声だったと思います。しかし、中丸さんの声には美しさに加えてまろやかな優しさを感じるのです。このヘンデルの曲は、ソプラノの高音が与える快感を追求するような曲ではなく、バロック時代の落ち着いた曲だからかも知れません。他の歌手も二、三、聞き比べてみましたけど、中丸さんの演奏がベストに感じます。

人を惹きつける声というのは確かに存在すると思います。トレーニングの成果なのか天性のものなのかわかりませんけど、多分、両方必要なのでしょう。

もう一つ、を見つけました。男性のカウンターテナーで歌われる場合も多いようですけど、声変わり前の少年のソプラノもいいですね。
追記
ちなみにこの演奏のAksel君、声変わりした現在はバリトンで歌っているそうです。

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