青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

急にお暇が出来たので 秋の西上州訪問記その1

2013年10月19日 23時35分27秒 | 上信電鉄

(鉄道の日記念・一日フリー乗車券@上信電鉄)

金曜日、帰宅したらいきなりヨメさんに「明日一日どっか行って来ていいわよ」と言う夢のようなお話をいただく。聞けば、実家にヨメさんの姉貴が帰って来るので会いに行くからなんだそうな。ともあれ理由などどうでも良く、早速どこへ行こうかと思いを巡らせるのであるが、急に言われ過ぎて何をしたらいいのか(笑)。とりあえず飯食ってから改めて考える。情報を収集すると、肝心の天気がどーもよろしくない。西へ行けば行くほど雨雲を迎えるような形になるので西行はパス。ならば甲信越方面か?とは言えこちらも基本は曇りベースで小雨交じりの雰囲気。うーん…この状況で思い切った遠出はかなりのバクチと判断。ならば手近な場所で情報を収集すると、近い割には取りこぼしていた上信電鉄に目が行く。今までフリーきっぷが2,160円と高くて敬遠してたんだけど、10月は鉄道の日記念で1,700円と若干のプライスダウン。よし、ここにすっか。

  

新車になってから初めての深夜ヒトドラ(一人ドライブ)。とは言え群馬だからそんなに急ぐ必要もなく、圏央道の狭山のパーキングでぐっすり仮眠を取ってからの上信入り。始発駅の高崎駅から入るのがスジかなとも思ったのだけど、無料駐車場がある上州富岡駅からのアプローチ。天気には奇跡は起こらず、予報通りのどん曇り。上州富岡駅は富岡製糸場の世界遺産登録に向けて改築工事の真っ最中、上信クラスの地方私鉄にしちゃえらい立派な駅のサイズに、地元の並々ならぬ熱意がうかがえる。個人的にはユネスコの世界遺産登録ってのは観光ビジネスの一種でしかないと思ってるんだけど、どうせ登録するんなら碓氷峠のめがね橋とか丸山変電所とかも登録してあげればいいのにね。同じ明治の近代化遺産なんですから。

  

と言う訳で現在の上州富岡駅は仮設。朝6時半に到着したんだが、寒いね…
窓口で若い駅員さんにフリーきっぷを所望すると、「この駅で初めて売れた鉄道の日記念のフリーきっぷですよ!」と慶んでくれて何より。っつーか普段より安いんだからもうちょっとアピールして売ろうよ(笑)。次の電車は7時前に高崎行きと下仁田行きがこの駅で交換するダイヤで、どっちに乗っても良かったんだけどとりあえず下仁田行きに乗ってみる。下仁田ジオパーク号は元西武701系。


朝の下仁田行き下り電車なんてほとんど人乗ってないだろうなんてタカをくくってたら、意外に沿線の朝練部活高校生がちょいちょいと乗っている。西富岡、上州七日市、上州一ノ宮、神農原と鏑川の作った台地の上を走る上信線、国道254号に沿って田畑と住宅街が混じったようなとりとめのない風景が車窓に流れる。上州一ノ宮で高校生が降り、神農原から先は山が迫って珍駅名の南蛇井(なんじゃい)、千平から渓谷沿いの山間路線となって歩みが極端に慎重になる。短尺レールから伝わるジョイントの揺れが激しくなり、森の中の赤津信号場から上信線唯一のトンネルを抜けると、グッと山が迫って電車は終点の下仁田に着いた。

  

社名から見て分かるように、本当であればこの先の内山峠を越えて信州は佐久方面までの延伸を夢見ていた「上信電鉄」の終着駅。夢見ていた割には頭端式の行き止まりホームが1面2線であって、その他に貨物扱い時代の側線が何本か、現在は滞泊列車の留置線として使われており、ホーム横の大きな倉庫が物資の集散地として賑わった当時を偲ばせます。渋焦げた瓦屋根の平屋建ての駅舎、駅前には「上信タクシー」の待合所と商店街。街に迫った山には低い雲が霞みたなびいて、駅前通りの向こうには小雨の土曜日の朝にひっそりとした街並みが続いている。どっかで見たような記憶のある駅前風景だなあ…と思い出してみたら、雰囲気が御殿場線の山北駅前に良く似てます。


側線に赤錆びた有蓋貨車が3両、これも鉄道貨物の栄華の時代の名残か。
「上信 テム8」「テム9」「テム10」と書かれていて、現役当時は水濡れ厳禁の生石灰の袋を運ぶための貨車だったようです。下仁田の山の中に白石工業と言う生石灰を生産する会社の工場が今もあるんだが、その運搬にでも使われてたんかねえ。今は物置代わりにでも使ってるようですが。

  

電車が到着すると降りて来た客を降車口から追い出して、次の列車が出発する前になってから改札を始めるためホームからじっくり駅を眺める時間はあまりないです。駅舎の中はベンチが並べられた待合室になっていて、出札口真上の「上毛かるた」には「ねぎとこんにゃく 下仁田名産」と書いてあった。言われんでも分かっとる(笑)。この「上毛かるた」ってのは群馬県民には一般常識らしいですね。「つるまう(鶴舞う)形の群馬県」とかね。乗って来たジオパーク号の隣に留置されているのは、次発の1000系@桃源堂ラッピング。昭和51年に新潟鐵工所で制作された自社発注の電車ですが、新潟鐵工所で電車って作ってたんだねえ…気動車のイメージしかないけど。地方私鉄としては昭和52年にローレル賞を受賞した経歴もあり、当時としては大胆なデザインもあって意欲作だった事が伺えます。ちなみに「桃源堂」は富岡市に工場を持つおもちゃの会社みたいですね。最初「Tornado(竜巻)」かと思ったw


折り返しのジオパーク号に乗って、下仁田の一個手前の駅である千平(せんだいら)駅に戻ります。小雨がそぼ降る悪コンディションですが、ちょっくらこの駅の周りで撮ってみようかなと。地方私鉄には「終着駅の一個手前の駅は名撮影地の法則」ってのがあるように思うんですが(笑)、思いつくままに挙げてみると長野電鉄の上条、富山地鉄の音沢、上田電鉄の八木沢、大井川鐡道の崎平、秩父鉄道の白久など、理由は分かんないけど結構当てはまってると思わんですかい?

千平の駅は、線路に押し迫った山と鏑川に挟まれた細長い集落の一角にある無人駅。
ホームに舞った桜の枯葉が雨に濡れ、秋を感じるうら寂しき風情。
下仁田の駅で貰ったパンフレットを傘代わりにしながら撮影地を探すのでありました。
続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする