青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

Forget me not

2016年03月11日 22時19分28秒 | ローカル私鉄

(静かなる爪痕@大洗町)

今日は3・11、あの震災から5年になります。3月11日だからとことさらに騒いでも詮無き話なのかもしれないけれども、やはり日本人の「何かが変わってしまった」あの日を改めて思い返す気持ちが生まれるのも、それは素直な気持ちであるのではないかなあと思います。あの震災以降、毎年のように行っていた東北地方に行く事もなくなってしまい…いや、震災がきっかけだったとは思いたくはないのだけど。そう言えば先日訪れた大洗・那珂湊も、茨城県の中では比較的被害の大きかった地域で、大洗港のフェリーターミナルや那珂湊の魚市場周辺は津波によって相当の被害を受けてもいます。地面より1.35mの津波を示すモニュメント。小学生の身長くらいと侮っていたら、一気に持って行かれるのが津波の力だそうです。


そんな那珂湊の街を走るひたちなか海浜鉄道線も、東日本大震災では震度6強の揺れに見舞われ、盛り土の崩壊、路盤の変形、レールの湾曲、施設の損壊と大きな被害を受けました。三陸の鉄道のように直接的に津波の被害を受けたわけではないのですが、地方のローカル鉄道には復旧への資金負担だけでも相当な重さであったろうと推測されます。震災直後、レールが波打ちズタズタになった光景からは考えられないほどきれいに敷かれたバラスト。色のない枯野を染める中根の朝焼け、キハ11の2連が盛り土の築堤を登って来る。


湊線と言えば中丸川の流域に広がる中根周辺の田園風景が一番の撮影スポットですが、こと地盤という意味では川沿いの低湿地帯。巨大地震の揺れには正直脆弱な地盤であった、と言う事なのかもしれません。しかしながら、迅速な復旧へのプロセスと、何よりも事業主である鉄道会社の熱意で約4か月後に全線を復旧。震災からこちら、被災した鉄道を地元の意向だのなんだのと理由を付けてはぐずぐずと結論を先送りして、不作為の継続によるフェイドアウトを狙ったJR東日本との取り組みの違いは正直感じてしまいますわなあ。


県立那珂湊高校へ通う生徒たちを乗せた8時の那珂湊止まり。震災の年に一高と二高が統合されたらしいですけど、県立那珂湊は茨城県の中でも歴史のある高校なんだそうです。構内踏切を渡る学ラン姿。茨城交通による廃線の申し出、そして東日本大震災を経てもなお、鉄道が地域の交通インフラの一つとしてしっかり機能している事を証明するかのような、いつもの那珂湊駅の風景が優しいですね。


アクアワールド大洗から見た太平洋。うららかな日差しに、男らしく強い波の打ち付けるさまは「水戸を離れて東へ三里、波の花散る大洗」と歌われただけの事はあります。はるか見晴るかす太平洋は、あの日あの時、牙を剥いて人間に襲い掛かったとは思えないのどかな早春の海の風景で、そこには正直震災の影はなかったんだけど…

5年が経って、「風化して来ている」なんてしたり顔でコメントする輩が増えた。そう言いたくなる頃合いなのは分かるけど、あの時本気で「日本が終わる」と思ったあの震災は、個人的には忘れようとしてもそんな簡単に忘れられるもんじゃないでしょう。自分は何をしてあげられる訳ではないけれど、忘れないのも支援だとするなら、きっと死ぬまで忘れないんじゃないかなと思う。
コメント
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