(開業当時そのままに@高野下駅)
九度山から各駅停車に乗り換え、高野下駅に戻って来ました。一時期は終点でもあった駅なので、現在でもこの駅止まりの列車があったりします。丹生川支流の不動谷川に沿った、椎出という山中の小集落にある駅は、おそらく開業当時のままの木造。石垣の上にあるホームから階段で駅前に降りて来るような形になっていますが、この石垣と駅入口の間のビミョーな空間は、昭和34年まで高野山森林軌道(木材積み出し用のトロッコ)が走っていた名残なんだそうな。
駅からはトロッコの軌道跡を使った遊歩道が整備されており、渓谷に沿って九度山の駅へ向かって下って行く事が出来るようになっています。高野下の駅で降りたカップルも、ハイキングがてらこの道へ向かっていく様子。太陽が高くなって結構暑くなってきましたが、駅前の自販機で冷たい飲み物を仕入れて歩き始める事にしましょう。
もとより、この遊歩道を歩いて九度山の駅まで行くのはおそらく一時間くらいかかってしまうので、その途中にある高野線の撮影スポットを目指しての移動。最初は舗装されていた道も、いつの間にかアスファルトは途切れ、森の中にいかにも林鉄の廃線跡だなあって感じの素掘りの切通しなどがあったりしていい雰囲気。
駅からのんびり森林浴気分で歩くこと15分、高野線が竜王峡を渡る鉄橋が見えて来ました。ここが高野線の撮影スポットである丹生川橋梁。大正14年の開業時に架設された上路トラス橋で、個人的にはこの手のトラス橋は大好物です(笑)。下を流れる丹生川の流れは岩を噛み、気持ちよさそうに白く波立って流れている。川と並行する国道の車の流れも少なく、たまにツーリングの一団がドドドドッと音を立てて通過して行くのみ。
早速ポイントに三脚を立て、岩場に腰を下ろしてのんびりと列車を待つ。やって来たのは急行の極楽橋行き。17mの2000系ズームカーでも3両乗らないアングルの短い橋で、全編成乗せるならこの逆サイからのアングルになりますが、光の回り的には編成ぶった切れてもこっちだよねえ。この列車はなんばから直通してくる急行で、橋本で8→4両に落とされた後極楽橋へ向かう列車です。なんば→極楽橋の直通急行は平日2本、土休日1本のみと非常に少なく、基本的には橋本乗り換えを余儀なくされます。
橋本から返して来た天空1号。深緑の車体が竜王峡をゆっくりと渡って行きます。3両弱が限界のアングルでも、天空は極楽橋側2連ですからこれでいいでしょう。夏を思わせるような強い日差しでちょっと光線がカタい感じも致しますが…さすがにいい時間帯の高野山方面行きの列車なんで、車内の乗車率は上々の様子。列車はこの丹生川の鉄橋を渡り、椎出トンネルをくぐると高野下の駅に出ます。
1編成しかない貫通型の31000系でやって来た特急こうや5号。橋本までの「特急りんかん」に使われる同じスタイルの貫通型11000系は21m車ですが、この31000系は高野山岳線規格の17m車。どこまでの輸送力がこの区間に求められているかは分かりませんが、いずれにしろ17m×4両が限界では、優等列車は21m車の6~8連が中心の完全な都市型輸送の橋本以北と山岳線区の橋本以南は運用面でアンマッチが起こってしまうのは仕方がない事かもしれません。
昔から「大運転」と呼ばれるなんばから極楽橋行きの直通列車に使われていたズームカー。初代ズームカーである22000系はついこないだまで往時の塗色で大井川を走っていましたね。都会から山岳地帯まで、起点と終点で大きく性格の変わる南海高野線の特徴を捉えて活躍していましたが、バブルの時代に大幅に沿線住民を増やした高野線には17mの2扉車と言うのはなかなか使い勝手が悪い。老朽化もあり、後継車として2000系新型ズームカーを投入してはみたものの、21m車と17m車が混在する事で列車ごとに長さや両数や扉位置がバラバラするし、何より車体の小さい17m車は混雑が激しい。基本的には特急以外は橋本で系統を分断するという判断に至り、大運転は大幅に縮小。橋本~極楽橋ローカルは2連ユニットの2300系が主に担当する事になっています。
本来は大運転用に作られ、ズームカーの系譜を引き継ぐはずだった2000系。系統分断によって主たる職場が奪われた結果、余剰となった一部は南海本線に転属してそこまで混まない各停運用に就いています。車両が短くドアも少ないため、前面に大きく「2扉車」と書かれてるトコロが物悲しい。ホントはこんな場所を走るつもりはなかったであろう2000系のリストラ後のトホホな状況を一枚。たぶん2扉車で来ると知らなくて4扉車のドア位置で待ってる客とかに「チッ!」って舌打ちされているのだろうね。2扉なのも理由があんのよ。そこを分かっていただきたい(笑)。
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