青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

神尾、桜の忘れ里。

2019年04月13日 17時00分00秒 | 大井川鐵道

(大河のほとりの隠れ里@神尾駅前)

大井川SL2本目。1本目は家山の鉄橋→返しは高熊の踏切→2本目は神尾の駅前へやって来ました。撮影者は基本的に桜が沿線に植わっている場所に展開していたようですが、さすがにここで撮る人はいなかったと見えて私一人。神尾は、大井川を遡って来た線路が地蔵峠のトンネルに入る直前にある駅で、並走する国道は線路の遥か上。国道から細い山道をクネクネクネクネと降りた集落のどん詰まりにあって、アクセス的にもあまり宜しい場所ではありません。忘れ里のような神尾の最奥にある駅は、山の木々の芽吹きとともに、ひっそりと春を謳歌していました。


果たしてこの駅を日常的に利用しているのは何人くらいいるのだろうか。テレビの番組じゃないけど、篠山紀信の息子が思わず調査しに来そうな秘境駅である。千頭に向かって右側は大井川、そして前にぽっかりと穴が開いているのが地蔵峠のトンネル。国道が走っているのはトンネル上の峠の尾根のさらに上の方なので、かなりの高低差がある。金谷から家山に向かって走る国道473号も地蔵峠の隘路がネックになっていて、改良工事はやってますけど単純に走るだけだったら対岸の県道64号の方がスムーズだったりしますね。


大井川を渡る風に木々がざわめく神尾の駅。お昼時になって光線の方はトップライト、SLを撮影する条件としては難しい感じのコンディション。2本目のSLは千頭まで行くかわね路号、タッタカタッタカタッタカタッタカ…という独特の走行音が聞こえてきました。仔馬のギャロップと呼ばれる独特のブラスト音はC56、焦げ茶色の旧客を引き連れて地蔵峠のトンネルに向かいます。


青空に透ける神尾の桜。そこそこの老木と見えて花付きに勢いはない様子ですが、それでも今年も精一杯咲いて神尾の里の春を彩っている。相当テングスやツタにやられて栄養取られちゃってるっぽいから、取り除いてやるだけでももう少し見栄えも花付きも良くなるのかもしれないけど、なかなか手入れまで難しいのかな。雑木を刈り、暮らしの近くにある里山を保全する人たちがいないのが現在の日本の中山間地の現状でしょうか。

川風に汽笛一発、地蔵峠の上り勾配に挑むかわね路号。最後尾のE101の大きな吊り掛け音がトンネルに消えて行きます。
さあ、次はどこで撮ろうか。
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高熊、復活の「さくら」罐

2019年04月12日 22時00分00秒 | 大井川鐵道

(さくらまつりの家山川@SL急行さくら13号)

思った以上に川根両国に長居をしてしまったせいで、家山にて撮影するはずだったさくらまつり臨の1本目はギリギリの到着となってしまった。予定ではもうちょっと前に到着して撮影地くらいは吟味したかったんだけど、キャパの大きな家山川の河原に立って撮影するのみ。自業自得でございます(笑)。結構遠征するとさ、あれもこれも撮りたくなって結構タイトなスケジュールを組むのがどうしても止められないんだけど、しっかり構図を練って作った一枚とアワアワして撮るだけ取った一枚と、見る人が見れば分かってしまうものなのでしょうねえ。それでも、満開間近の桜とSLの組み合わせは悪かろうはずはなく、春の川根路のワンショットとなりました。


そしてさくらまつり臨のもう一つのお楽しみ…と言うか、同業者の方の中ではこっちが本命だった御仁も多かったのではないでしょうか。家山止まりのさくらまつり臨には最後尾に西武電機のE34がぶら下げられていて、客扱いを終えた後はSLと客車を新金谷まで回送するのでありますが、復路の先頭に立つE34には、「さくら」のヘッドマークが掲げられているのであります。元々ね、西武E34って国鉄のEF65Pを思わせるパノラミックウインドウと2灯ビームの前照灯に尾灯横の手すりが付いておるのですけど、このお顔に「さくら」のカンは、ちょっと昭和のブルトレキッズには涙ちょちょぎれ(死語)モンの過分なアクセサリー。福用駅の北側、高熊の踏切から思いっ切りS字を圧縮して叩いてみました。


ああ、寝台特急さくら。長崎行きか佐世保行きか…20年前に益田競馬に行くのに横浜から小郡まで乗ったことがあるよ。ここまでやるなら、いっそのことEF65よろしくアイボリーと紺の国鉄直流機関車色に塗っちゃって!というリクエストが届いているとかいないとか。こんなノスタルジックなサプライズが出来るのもさすがは大井川鐵道と感服せざるを得ない。牽引する客車がトーマス向けのオレンジの旧型客車ですけど、まだ整備はしてないけど新金谷の外れには急行はまなすで使ってた14系も控えてるからねえ。EF65P(もどき)+14系なんて組成出来たらそれってもろ特急さくらやん!
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両国、桜追憶

2019年04月11日 17時00分00秒 | 大井川鐵道

(暖かな日差しに包まれて@川根両国駅)

川根両国の側線で憩うスハフ4とトキ2両。井川線の中では旧型客車の部類に当たるスハフ4は、オープンデッキのオールドスタイル。出自は中部電力のダム建設や発電所の管理に従事する作業員の輸送用に作られた純然たる事業目的の車両で、現在はイベントごとでもなければあまり動く事もないご隠居さんである。いつも川根両国の車庫か側線でこうして日向ぼっこをしていることが多いんだけど、まあこれだけ天気も良くて桜も咲いていれば、ご隠居暮らしも悪くないかもしれない。


暖かな風が流れる川根両国。日向ぼっこを決め込んでいたスハフ4も、一応(?)現役の客車。当然ながら日々の点検が必要と見えて、職員の方がハンマーを持ってはカツン、カツンと台車のチェックを行っている。おいおい…せっかくのんびり桜を見ながらウトウトしてたって言うのに、無粋なヤツだなあ。なんてご隠居のボヤキが聞こえて来そう。井川線の線路の幅は本線と同じく狭軌の1067ミリですが、トンネルの建築限界がかなり小さいので台車もミニサイズ。クッション役のバネやゴムが少ないせいか、乗っているとゴロゴロガタガタと硬質な乗り心地が伝わってきますね。






駅の北側には、川根両国の駅を見下ろすように吊橋が架かっていて、この吊り橋の上からは両国検車区がよく見えます。ちょうどさっき川根小山で見送った試運転列車が両国に到着したところで、短い客車を側線に引き込んでDDを切り離していました。トタン板の倉庫の中には、咲き誇る桜の下で昔の井川線の主役だった加藤製作所のDB(二軸ディーゼル機関車)が静かに眠っていて、微かに漂う重油の匂いに、奥大井が林業を中心に栄えた林鉄の全盛期を偲ぶ。

 
 

咲き誇る両国の桜をバックに、井川行き203レ。満開には一歩手前か、開け放たれた窓から両国の桜を愛でる乗客たち。井川に向けて標高を上げていく井川線、両国が標高300m、終点の井川は標高670mだから、長島ダムより向こうの奥大井の風はまだ冷たいかもしれない。203レのヘッドマークは「しずおかディスティネーションキャンペーン」にちなんだ「アッパレ!しずおか元気旅」のもの。4~6月の春シーズン、3か年連続で開催される計画で、今年はその本番の年なのだとか。


井川線が一番乗客を集めるのは、寸又峡の紅葉が見頃になる10月下旬から11月上旬にかけてと聞きます。桜の時期は短いけれど、桜が終われば新茶の芽吹きが始まるし、若葉が萌えるように山を覆うこれからの奥大井の景色もまた素敵なものだと思う。フリーきっぷを持って、往復3時間の林鉄旅。お尻は多少痛くなっちゃうかもしれないけども、悪くないかもしれませんよ。
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川根小山桜今昔

2019年04月09日 22時00分00秒 | 大井川鐵道

(箱庭の春@川根小山駅)

井川線の魅力って何だろう。改めてそんなことを考えながら、今まで撮影した井川線の写真を振り返ってみると、千頭から奥泉の辺りで撮影したものが多いことが分かる。果てなく続く南アルプスの山々を削り、曲がりくねって流れる大井川。そんな川の流れに沿って、山の斜面を切り開き、僅かな耕地と茶畑を営みながら僅かな家々が続いている。井川線の魅力は、そんな小さな集落を丁寧に拾いながら、奥大井の風土を紡いでいるところにある。それは、新線に付け替えられたアプト区間ではなく、千頭から奥泉の間の、この辺りにいちばん濃く残っているように思う。


小さな小さな集落を、川の形に従うようにカーブしながら結んでいく井川線。そんな集落の奥の奥、昼なお暗い杉林の中の細い細い道を抜けた先にぽっかりと青空が見えて、そこに川根小山の駅があります。この駅には以前も来たことがあって、その際に駅に桜の木が植わっていたのをおぼろげながら覚えていた。そんな私へのご褒美なのだろうか、私の訪れを待っていてくれたかのように、駅にそびえる大きな一本桜が見事な花を付けていた。積まれた古い枕木のクレオソートの香りが仄かに漂い、山を渡る鳥の声と風の音だけが聞こえる川根小山の駅。森の中の秘密の箱庭のような空間に咲く小山の桜が、奥大井の春を笑う。


駅のホームから、暖かな日差しの下で伸び伸びと花を開かせた桜を見上げる。あんまり花には詳しくないけど、スラリとしたその立ち姿はソメイヨシノではなくてヤマザクラ系の木でしょうか。ダム建設の資材運搬用として、現在の中部電力がこの小山の集落にレールを敷いたのは昭和初期。戦後に大井川鉄道がその線路を引き継いで旅客転用し、昭和34年に川根小山の駅が開業していますが、この桜の木は駅の開業を記念して植えられたのではないかなと。樹の古さや大きさからして、その当時からのもののような気がします。

 

遠くから、フランジを軋ませて列車の近付く音が聞こえてくる。列車の接近を知らせるブザーが勢い良く鳴り始めると、井川方面からの列車がトンネルを飛び出してきた。あれ、この時間千頭行きの列車はないはずなんだけどなあ。見ると、DDを先頭にした客車2両のミニ編成、どうやら行楽シーズンを前にした試運転列車の様子。ヤマザクラの花陰をくぐって、井川行きの始発列車を待ちます。


先ほど川根両国で見送った201レが、大井川の谷をゆるゆると遡りながら川根小山の駅まで上がって来た。両国から小山を列車は20分かかっているところ、寸又峡へ行くバスは千頭駅前から奥泉駅前をトンネルを通って10分で結んでしまう。観光路線である井川線に速達性というものは求められていないと思うけど、随分と違うものだ。既に井川の手前の閑蔵までは2車線の舗装道路が伸びていて、正直千頭へ出るだけであれば井川線沿線の住民は車かバスで十分に事が足りているとは思うのだが、利用者減による減便を繰り返しながら、そして何度も何度も土砂災害で不通になりながらも、井川線は今もその車輪の音を奥大井に響かせ続けている。


人跡稀な奥大井の杣道に鉄道が通った時、果たしてこの地の人々の暮らしというのはどんなものだったのだろう。少なくとも、街へ出るだけでも大変な労苦を伴ったであろう小山の集落に、鉄道の開通というものは相当な福音であったことは想像に難くありません。切り出した木材は川に流すことなく貨車に乗せられ、摘んだお茶の葉は鉄道に乗って製茶工場のある千頭の街へ。出来上がった新茶の袋を抱えて、行商の人は金谷の街へ、静岡の街へ。きっと、この小さな集落の暮らしを鉄道が変えたはずだ。

今は人っ子一人乗る姿を見ることは稀な、森の中の駅の栄枯盛衰。
ヤマザクラが見守る、60年目の川根小山の春です。
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両国、桜好日

2019年04月08日 17時00分00秒 | 大井川鐵道

(うららの春の両国界隈@川根両国駅)

朝から川根路をそぞろ撮り歩き。一応メインイベントのSL三往復は、家山駅の時刻で11時くらいからスタートするので、その間は井川線を撮影する事に。大井川鐵道と言えばまずSL、みたいなところがありますけど、私はこの井川線も好きです。なんなら、本線より好きかもしれません。大井川の刻む峻険な峡谷を、小さな機関車と客車を連ねた編成がフランジの音も高らかに山の奥へ奥へと誘ってくれる魅力にあふれた井川線。そんな井川線の車両基地である両国検車区と、乗務員の詰所を兼ねる川根両国の駅。この駅は桜の木々に囲まれていて、時期になったらきれいだろうなあと長年思っていた駅でもあります。暖かい風を受けて咲き誇る桜、この風景を撮りたかったんだよね。


井川線では、常に千頭側の守りを固めるDD20形。204を先頭に重連で待機中。おそらく千頭からの2番列車の牽引機になるのでありましょう。客車は千頭の構内に留置してある事が多いので、両国から千頭までは重単の運用だろうか。井川線のDD20は、小さな箱型のいでたちと、つぶらな片目の尾灯がチャームポイントの愛らしい形をしています。井川線は進行方向にかかわらず、常に千頭側にDDをくっつけて運行を行っていますが、アプト区間では動力車で自重のあるDD20に後ろから補機(ED90)を連結した方が望ましいという編成バランス的な理由があるものと思われる。もしDDを進行方向に沿った井川側に付けて運行し、アプト区間は後ろから補機を連結して急勾配を押し上げようとすると、おそらく自重の軽い客車だと連結機に負担がかかり過ぎて座屈とかしちゃうんだろうな。


千頭からの市街を抜け、花びら舞い散る川根両国の駅に滑り込む井川方面の始発列車。まあ始発言うても朝の9時過ぎだったりするんですが…(笑)。じゃあ、動力車を一番後ろに付けて、機関士さんはどこで運転してるの?という事ですが、井川方面行きは井川側の先頭に制御車のクハがついていて、そっから最後尾のDDを総括制御する形の運転方法を取っています。だから、井川行きの場合先頭の制御車に運転士が乗っていて、DDには誰も乗ってない(か、車掌が乗っているか)のよね。桜の時期だけに、今日は井川線も「さくら」のカン付き。しかも国鉄が九州のブルトレでよく使ってたメロンパン型の厚みのあるヘッドマークなのもまたいいよねえ。


この日の井川行き始発列車は客車5両にDD206(HIJIRI)の編成。この機関車はかつての井川線カラーである腰から下がカスタード、上が赤のツートーンを身に纏うリバイバル車。塗装し直されたのが最近なのか、ツヤッツヤして井川線のDDの中では一番状態が良さげな感じがします。ようやく寒の戻りから脱して爽やかな風吹き抜ける奥大井、窓を全開にオープンエアーで愉しむのが井川線のお約束。この3月に、長いこと土砂崩れで不通だった閑蔵~井川間が復旧したばかりの井川線。終点井川まで1時間45分の旅路は、両国の桜並木に見送られてのスタートです。
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