青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

大和田桜堤花淡く

2019年04月07日 17時00分00秒 | 大井川鐵道

(川のほとりのホーム@大和田駅)

今回の大井川鐡道訪問は、さくら祭りの行われている家山を中心に色々と回ってみようと思っていたのですが、まずはすぐ隣の大和田の駅に来てみました。あ、漢字で書くと「大和田」ですが、読みは「おわだ」です。鉄道ファンには愚問だけど、ちょっとした読み方の罠があります。そーいや、新元号「令和」に即位される新天皇の皇后様の旧姓が「小和田(おわだ)」でしたねえ。皇太子結婚の際に、飯田線の「小和田」駅がブームになったことがありましたけど、あちらは「小和田(こわだ)」だったんで微妙感はあったよな。


大和田の駅は、大井川鐵道の中では塩郷の駅と並んで大井川の近い駅。駅と線路は川の堤防の上にあって、川と線路を隔てるように、堤防の上に桜並木が続いています。その昔は桜の名所として、SLの通過時はこの堤防にズラリとカメラマンが並んだそうですが、今は堤防が崩れるという事で線路にも立ち入り禁止の看板が立ってましたね。あと、家山もそうなんだけど植えてから相当に時間が経っているのか、桜の木もおじいちゃんでちょいと樹勢が弱い感じがありますかねえ。桜は咲いてるんだけど、花の色も淡い感じで。


駅の金谷側のカーブから、先ほど家山の鉄橋で見送った南海ズームカーを。ちょっと後ろのコンクリ工場が五月蠅かったか。南海時代は高野線で活躍した山岳機ですから、大井川程度の勾配はへっちゃら。大井川に移って来たのが平成6年ですから、もう川根路暮らしもずいぶん長くなりました。ちょっと前は大井川ってーと京阪3000、近鉄16000、そしてこの南海21000と昭和時代の関西私鉄の役者が揃っていたものですが。


南海時代は白地に「急」のまあるい看板を付け、大運転と呼ばれる難波から極楽橋への直通急行に充当されていました。大井川では最近になって当時を彷彿とさせる「普」の丸看板を付けるようになりましたが、イベントでの企画や多客期の臨時急行では、本家同様「急」のマルカンを付ける事もあり、関西私鉄のファンにはたまらない姿を披露していますね。


大和田の桜の中から飛び出して来た、家山交換の金谷行き4レ。東急7200の金谷側は、両運転台化のため増設した運転台のため、ダイヤモンドカットも無残なのっぺり顔。なんか東急の恩田にいる架線検測車みたいだな。今までは大手私鉄の中でも名車と言われた部類の車両を引き受け、動態保存的な要素も残しつつ使い続けてきた大鐵ですが、どうもこの東急7200の導入は効率優先というか…申し訳ないんだけど、その辺りの基本コンセプトからはズレているような気がするんよね。


朝の陽射しに浮かび上がる大和田の桜をバックに。東急7200はまだ千頭側の原型顔の方が撮っててもサマになるのかなあ…と思うのですが、いずれにしろ大鐵の雰囲気にステンレスカーはまだ若干の(若干以上の?)違和感があるのが正直なところ。それぞれが単行運転出来る車両を今のところ2連で使っていますけど、近い将来さらに乗客減となった場合は2連をバラして単行運転も視野に入れているのかもしれないなあ。
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さくら華咲く大井川

2019年04月06日 22時00分00秒 | 大井川鐵道

(祭りの前の静けさ@家山さくら祭り)

4月最初の週末は、何はなくとも桜。今年も桜×鉄道をどこでどう撮ろうか、迷って悩んで出した結論は、ちょうど都合よく平日に休みが取れた事もあって、大井川鐵道の桜をやってみる事にしました。いやあ、前々から撮ってみたいなあと言うのはあっても、桜が咲いてからの土日の大井川とか人出が凄すぎてまともに撮影が出来る自信がなかったからねえ…。有休じゃなかったらたぶん行かないですよ。午前3時に家を出て、下道節約モードでR1を西へ。大井川で桜と言えば、何はなくとも家山の桜。旧川根町の中心であった家山地区は、古くから桜で有名な町でもあります。


到着は朝6時半、まずは桜のご機嫌伺い。オール満開!と胸を張れるかは正直ビミョーなトコ。木によって咲き方はまちまちだけど、均したらまあ七分は咲いてるかな。家山川沿いに続くさくら祭りのメインストリートは、道路の上に桜の枝が覆いかぶさるように咲いていて重厚感のある見事な桜並木である。さすがにこの時間は観光客の姿はない。たまに地元民が犬を連れて散歩する程度で、宴の前の静けさと言った感じ。


SLの出番はまだだけど、せっかく早起きしてきたので朝イチから三脚を出してみた。それにしても普段の暮らしは怠惰だけれど、どうしてこうも趣味になると元気が出て来るのだろうか。こんな朝もはよから三脚出しているのは私のほかにもう一人だけ。軽く挨拶をして家山川の河原で対岸の桜の咲き具合を見ながらアングルの調整をしていると、山を降りて来る風に、川に流されているこいのぼりがハタハタとはためいた。


始発列車の金谷発千頭行きは、元東急7200系の改造車。東急から両運化改造を受けて十和田観光電鉄へ譲渡されたものが、同線の廃線に伴って大井川に再譲渡されたもの。大手私鉄のセコハン車の再流用というあたりが、大井川鉄道の苦境を物語っているような気がする。太平洋ベルト地帯に属する東海地方ではあるものの、峻険な南アルプスに分け入って行く大井川流域の中山間地の過疎化と高齢化は宿痾とも言えるもので、5年前に千頭までの普通列車が14往復から9往復になり現在に至ります。


茶農家と林業という第一次産業は斜陽化し、僅かに観光業と電源開発という頼みの綱が細々とメシの種として残っているような、そんな大井川鐵道沿線。家山で東急7200と交換してきた始発の金谷行きは南海ズームカー。最近は南海時代を模した系統種別のヘッドマークを付けて人気が復活していますね。普通列車の日中上下2時間間隔は電車の利用者には流石に辛いものがありそうですが、普通電車のスジがスッカスカな分、今日は臨時とは言え新金谷~家山で2往復、新金谷~千頭で1往復の計3往復のSL運行が組み込まれています。

春の桜と秋の紅葉が、大井川が一番賑わう書き入れ時。
その華やかさをカメラに収めるべく、ロケハンを始めてみましょうか。

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別れに最後の桜を添えて

2019年04月03日 22時00分00秒 | 京浜急行

(最後の春の大岡川を行く@京急800形)

春はお別れの季節です、みんな旅立って行くんです。あれほど京浜地区を跋扈していた短距離スプリンター・京急800形。ホームドアの導入のため、3扉車の前にドア間隔の合わない4扉車が駆逐されてしまうという悲哀。昨秋あたりからあっという間に久里浜工場送りになった同僚たち。3月末までに全車引退か、と思いましたけど、昨年の2000系引退時と同様、リバイバルカラーに塗装された823編成が最後の1本として残りました。淡いピンクの桜も、5分から7分くらいは咲き始めましたでしょうか、大岡川の桜と最後のコラボレーション。


しかし今年の桜は咲き始めてから満開になるのが遅い遅い。未だにコートを手放せない朝の寒さと、日中になればなったで寒気に伴う雲が広がってあまり日照が続かないのが影響しているのだろう。長野や新潟で未だにガッツリと雪が降っている光景を見るにつけ、今年は北国の桜の開花も当初目論見よりは一週間は遅れそうである。


大岡川の桜も、水が冷たいせいか今年はなかなか花が開いてきません。おそらく今週末くらいが一番いいのではなかろうか。たった一本となった800形を、朝方のいい光線に乗っかって浦賀方面から上って来る運用とピタリ合うかは非常にビミョーなのでありますが、願わくばもう一回くらい満開の桜を添えて、赤いダルマのお別れ写真を収めてみたいなあと思う訳であります。

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芙蓉、朝霧、富士の嶺。

2019年04月01日 22時00分00秒 | 小田急電鉄

(古き佳き日の御殿場線@山北鉄道資料館)

山北駅前にある観光案内所の2階には小さな鉄道資料館があって、鉄道の街・山北の歴史を今に伝えています。古き佳き日の御殿場線を切り取った写真には、第三相沢川橋梁を渡る小田急からの乗り入れ車・キハ5000型が写っている。「銀嶺」「芙蓉」の列車名で、非電化時代の御殿場線に小田急のディーゼルカーが御殿場乗り入れを開始したのが昭和30年のお話。キハ17っぽい車両と交換しているのは、ホーム前後のカーブから足柄の駅であろうか。


関東の大手私鉄である小田急が気動車を保有していたというのも、平成の鉄道キッズたちには俄かには信じられない話であると思うのだが、気動車が運用されていたのは御殿場線電化によるSE車の乗り入れまでの僅か13年。今に続く小田急線の御殿場線乗り入れの嚆矢となったキハ5000形は、3000系SE車にその座を譲った後は関東鉄道に譲渡され、常総線で昭和63年まで使用されていました。


山北の桜回廊を愛でながら、MSE特急ふじさん3号が行く。キハ5000形から始まって、3000系SE、20000系RSE、そして現在は60000系MSEが御殿場連絡特急「ふじさん」の任に就いています。しかし「ふじさん」ってのも何だか収まりが悪くて、未だに「あさぎり」と呼んでしまうなあ。思えば、平成初期のあさぎり沼津延伸に伴ってJR371系×20000系RSEがともに2階建て車両というバブリーなチューンナップでデビューした時が、御殿場方面の特急列車の一番華やかだった時代でしょうか。


小田急はあさぎり号を通じて割と御殿場~西伊豆方面にも力を入れてましたよね。御殿場の小田急御殿場ファミリーランドとか、田貫湖の小田急花鳥山脈とか、観光施設も随所にありました。花鳥山脈は秋になると一面のサルビアが咲くのが有名だった思い出がありますねえ。その昔、小田急の新宿駅の改札の前に西伊豆名産のタカアシガニが入った水槽があって、新宿のデパートに買い物に行くたびにその水槽を見るのが大好きだったんだけど、覚えてる人います?

御殿場ファミリーランドも花鳥山脈も今はなく、あさぎりは沼津延伸を取りやめて御殿場折り返しに戻り、定期4往復から3往復に減便されて現在に至ります。あさぎりの沼津延伸に伴って小田急も西伊豆フリーパスとか売ってたんだけど、大学のバイト時代の4年間で3、4回くらいしか取り扱った記憶がない。箱根フリーパスに比べると物凄く認知度が低かったんよね。儚く消えた小田急の西伊豆進出、バブルは遠くなりにけり、である。
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