以前、「可否茶座アカダマは、2011年12月に閉店します!」としてお知らせしたとおり、喫茶アカダマは、12/25(日)に閉店する。朝日新聞奈良版(12/4付)に、大きく取り上げられた。見出しは「路地裏サロン 喫茶店さらば」である。以下に記事内容を紹介する。
54年余 奈良市「アカダマ」今月閉店 奈良市の老舗喫茶店「可否(コーヒー)茶座(ちゃざ)アカダマ」(同市小西町)が今月、店を閉じる。50年以上の歴史があり、多くの文化人らも集ったが、「喫茶文化の変化」などが閉店を決意させた。
「1人で時間潰すカフェの時代に」 奈良市の小西さくら通り商店街から脇道を入った建物の2階。ソファやカウンターなど27席。クラシック音楽がかかり、昭和レトロな雰囲気だ。エプロン姿のマスター大槻旭彦(てるひこ)さん(66)が切り盛りし、忙しい時は妻のヨリ子さん(64)が手伝う。コーヒーは11種類、紅茶は32種類。ヒマラヤ産コーヒーにインドの香辛料で味付けした甘いシルクロードコーヒー(600円)といった変わり種もあるが、客の大半はブレンドコーヒー(420円)を注文する。豆を一粒ずつ選んで手回しの焙煎(ばいせん)機で煎り、サイホンで淹(い)れる。苦みや酸味が強すぎず、開店以来変わらぬ味だ。
大のコーヒー好きだった父の故・陸朗(りくろう)さんが1954年、東向商店街で経営する「アカダマ薬局」のカウンターでコーヒーを出し始めた。3年後、本格的な喫茶店に模様替え。うどんが50円で食べられた時代、コーヒー1杯60円と決して安くはなかったが、にぎわった。「当時コーヒーを出す店は奈良でうちだけだったと思います」 65年に今の場所に移転。旭彦さんは大学卒業後、商社で働いていたが、過労で倒れたのをきっかけに72年に店を継いだ。
街にはセルフサービスのチェーン店やカフェが増え、昔ながらの小さな喫茶店の灯は消えつつある。「今は店の主人と会話を楽しむ喫茶店より、1人で時間を潰すカフェが主流。喫茶店の時代は終わった」。疲れを感じることも増え、閉店を決めた。閉店を惜しむ常連客でにぎわう。「皆さん、『長い間ありがとう』って。こちらが言わなきゃいけない言葉を言ってくださるので恐縮です」。営業は土・日・月曜の午前10時~午後6時。22日から最終日の25日までは毎日開ける。
寺社関係者・文化人来店「会話だいご味」 店は寺社関係者や文化人が多く訪れ、サロンのようだったという。春日大社宮司の故・水谷川忠麿(ただまろ)さんが常連だった縁で、店の看板は樹齢800年の春日杉を用い、鹿の角を飾っている。東大寺別当の故・上司(かみつかさ)海雲さんや芥川賞作家の故・森敦さん、朝日新聞で天声人語を書き、帝塚山学園長にもなった故・吉村正一郎さんも通った。写真家の故・入江泰吉さんは夫婦で訪れ、1時間ほどくつろいだという。
東大寺別当だった故・北河原公典(きたかわらこうてん)さんはスーツにソフト帽を着こなし、週に2、3回は店に。お水取りの行でこもる時の様子などを聞かせてくれた。「お客さんとの会話で学ばせてもらえるのが何よりのだいご味でした」 20年ほど前には世界的なトランペット奏者、故ニニ・ロッソさんが来日した際に訪問。「アカダマのコーヒーは世界一」とほめてくれたという。大槻さんは奈良まほろばソムリエの資格を持ち、奈良大学の通信教育部で東洋史や西洋史、仏教美術史などを学ぶ。「閉店後は学業に専念します。できたら大学院まで行きたいですね」(根津弥)。
マスターの大槻さんは「アカダマブログ」も書かれていて、12/4付の記事で新聞掲載のことを紹介されている。《12月4日の朝日新聞で奈良版にアカダマ閉店のことを取り上げていただきました。ちょっと面映い感じですが、まあ、うそはありません。60年近くになれば、過去にはいろいろな人が来てくださいました。新聞に取り上げるとなると、どうしても有名人ということになってしまいますが、いわゆる市井の人がお客さんの大部分です。年に数度の人も、何年に1度の人も、ほぼ毎日の人も、多彩なお客さんに支えられて今まで営業できたことを、日々実感しています》。
《ただ記事にもありましたが、お客さんの質の変化というか、お客さんと店とのミスマッチというか、もちろん今のままの店がいいというお客さんも沢山いらっしゃいますが、世間ではそうでない人の数の方が多いようです。いわば存在価値が薄れてきたということでしょうか。それでも頑張るか、もう良いと考えるかですが、私も正直疲れました。ここらでゆっくり休ませていただきます。本当に長い間ありがとうございました》。
新聞を見て、お友達も駆け付けた。翌日のブログには《今日は大学のサークルの同級生が店をやめるということで各地から駆け付けてくれました。大学を卒業して45年、こんなときに8人も集まってくれるなんて夢のようでした。集まれば気分は学生時代。いや~楽しいひと時でした。朝日新聞のおかげで、それ以外にも懐かしい顔がいっぱい集まってくれています。ほんとにありがたいことです》。
最近は「奈良まほろばソムリエ友の会」の広報部会長として、会報紙を創刊された。《奈良まほろばソムリエの友の会、会報紙が出来上がりました。今日発送です。会員の方には2,3日中には手元に届くと思います。中身については、正直満足はしていませんが、初めてのことだし、まあこんなものかなという感じです。皆さんも友の会ホームページにアップしますので見ていただけます。第1号は主に友の会とは?という紹介記事で、それほど読み物としてはおもしろくないです。これで、少し要領もわかったので次号からはもう少し中身のあるものにしたいと思っています。注文なり、要望なり、意見をお寄せいただければありがたいです》。
大槻さんは、いつも笑顔でお客さんに接しておられるが、カウンターで四六時中コーヒーを淹(い)れ、接客されるというのは真剣勝負で、結構シンドいことだと思う。朝日の記事には「閉店後は学業に専念します。できたら大学院まで行きたいですね」とあった。ブログには《奈良大学で勉強を始めて半年、西洋史概論、シルクロード学、東洋史概論と勉強して、当然のことながら世界の歴史はお互いに関連、影響しながら進んでいることがよくわかりました。またその奥の深さも》。
《そしていよいよ本丸というか、文化財概論と考古学概論に進んできましたが、本を読むほどに、その山の高さ、谷の深さに圧倒されます。そして各分野における研究者の努力に畏敬の念と、自分の知識のなさを感じざるをえません。奈良まほろばソムリエの知識などは、その山の表層どころか、チリ程度のものであることが痛感され、少し鼻を高くしていたことが恥ずかしいです。まあこれがわかっただけ、進歩かなと思うこのごろです》。
あべ静江のヒット曲に「コーヒーショップで」(作詞:阿久悠)があった。「古くから学生の街だった 数々の青春を知っていた~♪」というあの歌である。その2番の歌詞をご存じだろうか。「服装や髪型が変っても 若いこはいつの日もいいものだ 人生の悲しみや愛のこと うち明けて誰もみな旅立った そんな話をしてくれる コーヒーショップのマスターの かれた似顔絵 私は描いて なぜか心を安めてる」。まだ66歳なのに「枯れた似顔絵」などと書くと失礼であるが、飄々(ひょうひょう)とした大槻さんのお顔を拝見すると、いつもこの歌詞を思い出してしまう。あのお顔を拝見して心を安めた人も、多かったのではないだろうか。
大槻さん、長い間美味しいコーヒーを提供され、また奈良の「喫茶店文化」を支えてくださり、有難うございました。これからは学業と、ソムリエ友の会役員としての活動を主軸において、飄々と第二の人生を歩んでください!
54年余 奈良市「アカダマ」今月閉店 奈良市の老舗喫茶店「可否(コーヒー)茶座(ちゃざ)アカダマ」(同市小西町)が今月、店を閉じる。50年以上の歴史があり、多くの文化人らも集ったが、「喫茶文化の変化」などが閉店を決意させた。
「1人で時間潰すカフェの時代に」 奈良市の小西さくら通り商店街から脇道を入った建物の2階。ソファやカウンターなど27席。クラシック音楽がかかり、昭和レトロな雰囲気だ。エプロン姿のマスター大槻旭彦(てるひこ)さん(66)が切り盛りし、忙しい時は妻のヨリ子さん(64)が手伝う。コーヒーは11種類、紅茶は32種類。ヒマラヤ産コーヒーにインドの香辛料で味付けした甘いシルクロードコーヒー(600円)といった変わり種もあるが、客の大半はブレンドコーヒー(420円)を注文する。豆を一粒ずつ選んで手回しの焙煎(ばいせん)機で煎り、サイホンで淹(い)れる。苦みや酸味が強すぎず、開店以来変わらぬ味だ。
大のコーヒー好きだった父の故・陸朗(りくろう)さんが1954年、東向商店街で経営する「アカダマ薬局」のカウンターでコーヒーを出し始めた。3年後、本格的な喫茶店に模様替え。うどんが50円で食べられた時代、コーヒー1杯60円と決して安くはなかったが、にぎわった。「当時コーヒーを出す店は奈良でうちだけだったと思います」 65年に今の場所に移転。旭彦さんは大学卒業後、商社で働いていたが、過労で倒れたのをきっかけに72年に店を継いだ。
街にはセルフサービスのチェーン店やカフェが増え、昔ながらの小さな喫茶店の灯は消えつつある。「今は店の主人と会話を楽しむ喫茶店より、1人で時間を潰すカフェが主流。喫茶店の時代は終わった」。疲れを感じることも増え、閉店を決めた。閉店を惜しむ常連客でにぎわう。「皆さん、『長い間ありがとう』って。こちらが言わなきゃいけない言葉を言ってくださるので恐縮です」。営業は土・日・月曜の午前10時~午後6時。22日から最終日の25日までは毎日開ける。
寺社関係者・文化人来店「会話だいご味」 店は寺社関係者や文化人が多く訪れ、サロンのようだったという。春日大社宮司の故・水谷川忠麿(ただまろ)さんが常連だった縁で、店の看板は樹齢800年の春日杉を用い、鹿の角を飾っている。東大寺別当の故・上司(かみつかさ)海雲さんや芥川賞作家の故・森敦さん、朝日新聞で天声人語を書き、帝塚山学園長にもなった故・吉村正一郎さんも通った。写真家の故・入江泰吉さんは夫婦で訪れ、1時間ほどくつろいだという。
東大寺別当だった故・北河原公典(きたかわらこうてん)さんはスーツにソフト帽を着こなし、週に2、3回は店に。お水取りの行でこもる時の様子などを聞かせてくれた。「お客さんとの会話で学ばせてもらえるのが何よりのだいご味でした」 20年ほど前には世界的なトランペット奏者、故ニニ・ロッソさんが来日した際に訪問。「アカダマのコーヒーは世界一」とほめてくれたという。大槻さんは奈良まほろばソムリエの資格を持ち、奈良大学の通信教育部で東洋史や西洋史、仏教美術史などを学ぶ。「閉店後は学業に専念します。できたら大学院まで行きたいですね」(根津弥)。
マスターの大槻さんは「アカダマブログ」も書かれていて、12/4付の記事で新聞掲載のことを紹介されている。《12月4日の朝日新聞で奈良版にアカダマ閉店のことを取り上げていただきました。ちょっと面映い感じですが、まあ、うそはありません。60年近くになれば、過去にはいろいろな人が来てくださいました。新聞に取り上げるとなると、どうしても有名人ということになってしまいますが、いわゆる市井の人がお客さんの大部分です。年に数度の人も、何年に1度の人も、ほぼ毎日の人も、多彩なお客さんに支えられて今まで営業できたことを、日々実感しています》。
《ただ記事にもありましたが、お客さんの質の変化というか、お客さんと店とのミスマッチというか、もちろん今のままの店がいいというお客さんも沢山いらっしゃいますが、世間ではそうでない人の数の方が多いようです。いわば存在価値が薄れてきたということでしょうか。それでも頑張るか、もう良いと考えるかですが、私も正直疲れました。ここらでゆっくり休ませていただきます。本当に長い間ありがとうございました》。
新聞を見て、お友達も駆け付けた。翌日のブログには《今日は大学のサークルの同級生が店をやめるということで各地から駆け付けてくれました。大学を卒業して45年、こんなときに8人も集まってくれるなんて夢のようでした。集まれば気分は学生時代。いや~楽しいひと時でした。朝日新聞のおかげで、それ以外にも懐かしい顔がいっぱい集まってくれています。ほんとにありがたいことです》。
最近は「奈良まほろばソムリエ友の会」の広報部会長として、会報紙を創刊された。《奈良まほろばソムリエの友の会、会報紙が出来上がりました。今日発送です。会員の方には2,3日中には手元に届くと思います。中身については、正直満足はしていませんが、初めてのことだし、まあこんなものかなという感じです。皆さんも友の会ホームページにアップしますので見ていただけます。第1号は主に友の会とは?という紹介記事で、それほど読み物としてはおもしろくないです。これで、少し要領もわかったので次号からはもう少し中身のあるものにしたいと思っています。注文なり、要望なり、意見をお寄せいただければありがたいです》。
大槻さんは、いつも笑顔でお客さんに接しておられるが、カウンターで四六時中コーヒーを淹(い)れ、接客されるというのは真剣勝負で、結構シンドいことだと思う。朝日の記事には「閉店後は学業に専念します。できたら大学院まで行きたいですね」とあった。ブログには《奈良大学で勉強を始めて半年、西洋史概論、シルクロード学、東洋史概論と勉強して、当然のことながら世界の歴史はお互いに関連、影響しながら進んでいることがよくわかりました。またその奥の深さも》。
《そしていよいよ本丸というか、文化財概論と考古学概論に進んできましたが、本を読むほどに、その山の高さ、谷の深さに圧倒されます。そして各分野における研究者の努力に畏敬の念と、自分の知識のなさを感じざるをえません。奈良まほろばソムリエの知識などは、その山の表層どころか、チリ程度のものであることが痛感され、少し鼻を高くしていたことが恥ずかしいです。まあこれがわかっただけ、進歩かなと思うこのごろです》。
あべ静江のヒット曲に「コーヒーショップで」(作詞:阿久悠)があった。「古くから学生の街だった 数々の青春を知っていた~♪」というあの歌である。その2番の歌詞をご存じだろうか。「服装や髪型が変っても 若いこはいつの日もいいものだ 人生の悲しみや愛のこと うち明けて誰もみな旅立った そんな話をしてくれる コーヒーショップのマスターの かれた似顔絵 私は描いて なぜか心を安めてる」。まだ66歳なのに「枯れた似顔絵」などと書くと失礼であるが、飄々(ひょうひょう)とした大槻さんのお顔を拝見すると、いつもこの歌詞を思い出してしまう。あのお顔を拝見して心を安めた人も、多かったのではないだろうか。
大槻さん、長い間美味しいコーヒーを提供され、また奈良の「喫茶店文化」を支えてくださり、有難うございました。これからは学業と、ソムリエ友の会役員としての活動を主軸において、飄々と第二の人生を歩んでください!
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