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奈良県下の水分(みくまり)神社を紹介(産経新聞「なら再発見」第49回)

2013年10月14日 | なら再発見(産経新聞)
産経新聞奈良版・三重版ほかに好評連載中の「なら再発見」、今回(10/12付)の見出しは「大和国四所水分神社 鎮座する水の神様に感謝」、筆者はNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」理事の鈴木浩(ゆたか)さんである。鈴木さんは「水系」に強い。では、全文を紹介する。
※トップ写真は、菟田野みくまり祭の「鳳輦神輿(ほうれんみこし)」

 奈良の母なる川で知られる吉野川は、大淀町下渕で分水され、奈良盆地に水が引き込まれている。ここには奈良、和歌山両県が吉野川から取水する量を分けるための「水分(みくまり)」施設、下渕頭首工(とうしゅこう)がある。
 古来、奈良盆地では「日照り一番、水つき一番」と言われるほど干ばつや水害に悩まされ、「米一升、水一升」として水を大切にしてきた。そのためか、大和には水分の神々が住むという。



 崇神(すじん)天皇の御世から、県内には4か所の水分神社「大和国四所水分神社」がある。宇太水分神社(宇陀市菟田野[うたの])、葛城水分神社(御所市関屋)、吉野水分神社(吉野町吉野山)、都祁(つげ)水分神社(奈良市の都祁地域)の4社だ。
 それぞれ奈良盆地の東西南北から見守るかのように、水の神「天之水分(あめのみくまりの)神」をお祭りしている。これらの神社にまつわる物語を紹介しよう。
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 宇太水分神社は芳野川沿いに3社あり、総社で最上流の上社(上芳野)、中流の中社(古市場)、下流の下社(下井足)が、それぞれ水分神とゆかりの神を祭神として鎮座している。
 毎年10月第3週の日曜に催される「菟田野みくまり祭」がすごい。上社の女神である速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)が豪奢な「鳳輦神輿(ほうれんみこし)」に載り、渡御(とぎょ)行列を仕立て、6キロ離れた中社の男神・速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)に年一回だけの逢瀬にやって来る。
 内にある根元がくっついた2本の大きな夫婦杉の下に、神輿を着座させるロマンチックな秋祭だ。この男女神から誕生したのが「天之水分神」である。


宇太水分神社の夫婦杉

 この日、菟田野の各地区から次々と繰り出される勇壮な太鼓台行列の音が響き渡る。伊勢湾台風以来、中断していたが、平成2年のふるさと創生事業で神輿のレプリカを造り、1200年伝統の「みくまり祭」を復活させた。
 葛城水分神社は葛城山から流れ出る水越川の上流にある。江戸時代のはじめ、水不足に困った大和側と河内側が、国境の水越峠で争った「元禄水論」という大事件があった。
 この争いから約300年後、大和の人々の「吉野川から水を」との願いは、下渕の取水施設の完成によってかなった。



下渕頭首工(とうしゅこう)

 吉野の天之水分神は、元々は円錐形の神体山である青根ケ峯に鎮座していたようだ。この山は東の音無川、西の秋野川、北の象(きさ)川、南の丹生川の4河川の分水嶺にある。
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 吉野水分神社は豊臣秀吉が吉野の花見に訪れた際、この神社に子授け祈願をし、誕生したといわれ、秀頼が再建した。本殿は、天之水分神を祭る春日造りの中殿に、流造りの左右殿が付く、三殿一棟の壮麗な水分造り様式。類例のない国宝(級)の建築として有名だ。
 都祁水分神社は、飛鳥時代、伊勢国の修行者の霊水が白龍(はくりゅう)となり飛昇。都祁の地へ降り立ち、水分神になったことに始まるとの伝承がある。この神社は大和川の源流地にあり、木津川との分水界に祭られている。
 現在、下渕頭首工により大和平野へ分水されている吉野川の水は、太古の古吉野川(こよしのかわ いわゆる中央構造線)をまたぎ、2本のトンネルを通って導水されている。今日も絶えることなく水を分け与えていることに、感謝の祈りを捧げたい。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会理事 鈴木浩)


奈良県に4つの水分神社があることは知っていたが、水分神社はあまねく全国にあるものとばかり思っていた。平凡社『世界大百科事典』の「水分神(みくまりのかみ)」によると、

流水を適度に分配することをつかさどる神。 〈くまり〉は〈配り〉の意で,多くは各地方の重要な水源となる河川の上流や分水嶺にまつられており, 灌漑治水を祈る神である。 《古事記》には〈天之水分神〉〈国之水分神〉として見えている。 《延喜式》神名帳には,大和国 (奈良県) に損木 (かつらぎ) 水分神社, 吉野水分神社,宇太 (うだ) 水分神社,都昭(つげ) 水分神社が, 河内国 (大阪府) に建 (たけ) 水分神社,摂津国住吉郡 (大阪府) に天水分豊浦命神社が記載されている。

《延喜式》によると神梢官が執行する四時祭の祈年 (としごい) 祭と月次 (つきなみ) 祭や臨時祭の祈雨神祭 (きうしんさい) には, 大和国の損木,吉野,宇太,都昭の四つの水分神社に奉幣や馬の奉納があった。 いずれも大和朝廷の直接支配が及ぶ地方の周辺山地に鎮座し, 比較的年間降雨量の少ない大和地方にとって重要な水源の神であり, とくに吉野山地と宇太山地には後世各所に多くの水分神社が分祀されて今日に至っている。 なかでも宇陀郡の宇太川水系の水分信仰は盛んで, 現在では測田野 (うたの) 町古市場の宇太水分神社を中心に全国的な水利関係者の信仰を集めている。

なお平安時代から〈みくまり〉をなまって〈みこもり〉とし, 御子守明神と呼んで子授け安産の産育信仰の対象ともなった。 とくに吉野山の吉野水分神社は《枕草子》や《紫式部日記》などに子守明神とあり, 豊臣秀頼や本居宣長などはこの神の申し子として厚い信仰を寄せた。 同社は子守宮とも称し,現在も産育信仰が盛んである。


うーん、なるほど。とりわけ奈良県に多いのだ。「平安時代から〈みくまり〉をなまって〈みこもり〉とし, 御子守明神と呼んで子授け安産の産育信仰の対象ともなった」というのは、住吉の神(航海の神、海の神)が、「住み良し」となって海に関係のない場所でも祀られたのと同じであり、とても興味深い。

鈴木さん、貴重なお話を有難うございました!

コメント (2)
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