tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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田中利典師/随想随筆(4)拝観講座を主催

2016年06月26日 | 奈良にこだわる
金峯山寺長臈(ちょうろう)の田中利典師が中外日報(宗教・文化の専門紙)に4回連載された「随想随筆」の最終回(6/3付)を紹介する(第3回は、こちら)。師のブログ「山人のあるがままに」に掲載された。
※トップ写真以下3枚の写真は、「りてんさんといく拝観講座」で撮影(4/29~30)

今回の見出しは「拝観講座を主催/世間にアクセス積極的に」。先日開催された「りてんさんといく拝観講座」(私も参加した)をマクラに、金峯山寺宗務の第一線から退かれて以降の活動についてお書きである。しかし師のブログには

中外日報で連載している拙稿「随想随筆」全4回の最終回です。少々甘い最終章になりましたが、まあ、とんがらないでつれづれに、いまの心象をしたためています。よろしければご覧下さい。

実は今回の原稿執筆は大ちょんぼをしていまして、字数制限を勘違いしたまま書き上げました。依頼されていたのは12字×79行でしたが、私が書いたのは17字×79行。

なんと3割も多く書いたので、削るのに大変苦労をしました。少し舌足らずな感が残ったのはそのせいもあります。またなにかの機会で元原稿をアップしたいと思います。

とあった。つまり新聞に掲載される前に「完成稿」があったのだ。私は、そのモト原稿を拝見したいとムリを申し上げた結果、このほど原稿をお送りいただいた(師のパソコンがウイルスに冒されたので、お送りいただくのが遅くなった)。以下にモト原稿を紹介させていただく。文字数調整後の原稿は、中外日報の紙面でご覧いただきたい。



本山宗務の第一線から退いて、今までとは違う比較的自由な立場でいろんなことに関わっているが、この春、「りてんさんといく金峯山寺拝観講座」を企画した。Facebookやブログなど、SNSでの告知を中心に、20名限定で募集して、有り難いことに最終21名の参加者を得た。

内容は吉野山の宿坊に宿泊して、修験道講座、宿坊夕座勤行、食事作法付き食事、蔵王堂夜間拝観、夜の交歓親睦会、そして翌日の朝からは蔵王堂勤行、朝食、蔵王堂秘仏拝観案内、本地堂法話会、お別れ昼食会と、午後3時から翌日のお昼過ぎまでびっちりと予定を組んで、ご一緒した。普通の講演会なら、4回分くらいはしゃべったかもしれない。

おおよその参加者の意見は、来て良かったというものであった。次はいつやりますか?と催促も受けた。そんな研修会を主催して感じたのは、自分たちが思う以上に僧侶の世界、お寺の世界に対して一般の方々が興味を持っているのだということだった。「こんなに身近にお坊さんと会うことはないです」と何度も言われたりしたし、「一杯、接したことが嬉しい」と何人もの参加者に言われたのだった。逆に言えば、私たち僧侶が思う以上に普段は一般の人々から僧侶が遠ざかってしまっているということだろう。そのこと自体を私たちは深く自覚しなくてはいけない。



4回にわたり本稿で紹介した、地元綾部でのコミュニティラジオの出演も、Amazonの僧侶派遣業の問題も、寺社フェス向源のことも、更には「りてんさんといく拝観研修」も、私にとっては同根から来ている。宗教から遠ざかった人々に少しでも寄り添う試みが大切なんだという思いである。幸い私の周りには「たなかりてんを若い人に近づけようプロジェクト」というような動きをしてくれる人々もいて、この5月、6月だけでも地元綾部での講演会や奈良町での法話会など、8つの催しが企画されている。

初詣に行き、お盆には墓参りをし、神社や教会で結婚式を挙げ、クリスマスも祝い、人生の終焉には大方が僧侶を呼んで葬儀をする…そういう日本人が無宗教であるはずがない。宗教者側が、もっと積極的に世間に対しいろんなアクセスをする必要があると私は思っているが、思っているだけではだめなので、まず出来ることから始めることとしたのである。

宗教を取り巻く状況は決してよいとはいえない。政教分離の問題もあるし、オウム真理教事件以降はここ20年、宗教といえば禁忌される風潮さえ漂ったままである。スキャンダラスに取り上げられる宗教事例ばかりが氾濫して、宗教の持つ良さや尊厳性にあまり目が向けられない現状もある。そこを打破する努力がこれからは一層、問われていくのだと思っている。

まさに修験の教えで言う「山の行より里の行」を自分なりに体現しなければならないと思うばかりである。さてさて、本稿も約束の紙面が尽きた。私に何が出来るのか、たかがしれてはいるが、最後に、私なりにこの道を進めることをお誓いして、筆を置くこととする。徒然なる文章に最後までお付き合いいただき感謝申し上げたい。


この写真は利典師のFacebookから拝借

「りてんさんといく拝観講座」について、「おおよその参加者の意見は、来て良かったというものであった」とお書きの通り、私も参加して本当に良かったと思っている。お坊さん、しかも修験道のお坊さんたちと身近に接し、一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだり。なかなか普段はお聞きすることのないお話も聞くことができた。夜間や早朝に蔵王権現さまの前でのお勤めに参加できたのも、得がたい経験だった。

しかし何より素晴らしかったのは、田中利典師というスゴい方と四六時中顔をつきあわせることができたということ。ご講話以外は別のお坊さんに任せることもできたと思うが、師はそれをせず、常に付き合っていただけたということが、何より有り難かった。

「日本人が無宗教であるはずがない」は、この随筆の第3回で紹介させていただいた。英語の「religion」を「信仰」ではなく「宗教」と訳したことから「私は無宗教で…」などという日本人ができあがった。分別のつくトシになって、全く信仰心を持たない日本人など、いるのだろうか?

「宗教を取り巻く状況は決してよいとはいえない」は、残念ながらその通りである。オウムの昔もあれば、最近はイスラム過激派によるテロ事件があいついでいる。私の身近で、こんなこともあった。湯川遥菜さんや後藤健二さんの拉致事件が起きた2014年頃、国内のある銀行が「ハラール」(イスラム法で許されたもの)に関するセミナーを企画し公表した。訪日外国人観光客が急増する中、インドネシアやインドなどからムスリム(イスラム教徒)がたくさん来られているので、その対応を学ぼう、というものだが、それが公表後、突然中止された。

それは「イスラム教徒=過激分子」という誤った思い込みがあったのだろう。世界で最も人口の多いのがキリスト教徒で、2番目がイスラム教徒だ。おそらくそんな事実も知らずに思い込みだけで中止したのだろう。ウチは幸い実施できたが、やはりこの裏には「宗教=危険なもの」という誤った刷り込みがある。

以前師は『月刊住職』に、こんなことを書かれた。昭和の終わり頃、金峯山寺の知名度が低かった時代の話だ。《「薬師寺の高田好胤さんみたいな人が金峯山寺から出なあかんな」といわれたのです。薬師寺には橋本凝胤和上もおられたが、その弟子の好胤さんが出たことが再興につながった。立派な仏様や伽藍があっても、現実には人を介してしか伝わらない。(中略)そこで不肖、自分は高田好胤にはなれないけれど田中利典にはなれる、と》。利典師は一念発起し、金峯山寺の再興に取り組まれたのである。蔵王権現像の特別ご開帳も、利典師が企画された事業の1つだ。

最後に師は《私なりにこの道を進めることをお誓いして、筆を置くこととする》と書かれている。人生80年の時代にあって、還暦をお迎えになったばかりの師は、まだまだこれからが正念場だ。利典師、今後ともよろしくお願いいたします!

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