NHK大河ドラマ「真田丸」、日曜日(6/19)は「第24回 滅亡」、つまりは北条氏滅亡の話だった。NHKのHPから「あらすじ」を拾うと、
信繁は沼田裁定で競り合った本多正信、板部岡江雪斎から頼まれ、北条氏政の説得に向かう。降伏するように説くが、氏政は容易には受け入れない。やがて徳川家康、上杉景勝、そして昌幸が氏政の元をひそかに訪れる。東国でしのぎを削った強敵同士として、秀吉に許しを請い生き延びることを勧める。実力を認め合う者たちの言葉に氏政の下す決断は―。
信繁は北条氏政に降伏を促すため、城に潜入。捕らわれながらも説得を試みるが、これは空振りに終わった。前回同様、高嶋政伸(北条氏政)の真に迫った演技が光る。こそのあと徳川家康、上杉景勝、真田昌幸が勢揃いし、氏政を説得するシーンが見ものだった。説得に応じない氏政に、昌幸が言い放つ。「死にたければ死になされ。されど、生きておればまだまだ楽しいものが見られますぞ。このまま秀吉の天下が来るとは到底思えぬ。もう一暴れ、したいとは思いませんか?」。これに対して氏政は「おぬしらの働きぶり、あの世でしかと見物させていただこう」。そして、やはり氏政の最後は、汁かけ飯…。
このあたりの展開、本当にあったのだろうか。検索してみると、三谷幸喜のこんな文章がヒットした。朝日新聞デジタル(6/16)「最新の歴史研究が支えに(三谷幸喜のありふれた生活:805)」に、こんなことを書いていた。これはなかなか手がこんでいる。
大河ドラマ「真田丸」。今週と来週は豊臣秀吉の小田原征伐。北条氏の滅亡をじっくり描いている。今回は時代考証の話。「真田丸」には黒田基樹さん、平山優さん、丸島和洋さん、佐多芳彦さんという戦国史の専門家が時代考証・風俗考証のスタッフとして加わっている。皆さん、その道ではトップクラスの人たちだ。
直に言って、僕の歴史知識は一般レベル。「賤ケ岳の七本槍(やり)」を六人までは言えるけど、平野長泰が思い出せない、その程度だ。そんな僕が書いた台本を、時代劇に精通したプロデューサーたちと時代考証スタッフの面々が、がっちりサポートしてくれる。最新の学説を元に、既成の概念を打ち破る戦国ドラマを作ろうと、皆さん、気合満々。
僕は台本を書きながら、歴史的に分からないことがあったら、プロデューサーに相談。例えば、関ケ原の合戦の時、石田三成の挙兵の知らせはどうやって真田昌幸に伝わったか。伝令が走ったのは想像出来るが、この時、昌幸は上杉征伐に向かっている最中。どこにいるか分からない相手に、緊急の密書を送る時、当時はどうしていたか。小説なら「昌幸の元に三成から密書が届いた」の一行で済むが、ドラマは具体的なことがはっきりしないと、何も書けない。
書き上げた初稿を元に、考証会議が行われる。僕は次の回を書いているので、参加はしない。先生たちのチェックが入り、さらにそれを元に第二稿を書く。その作業を何度も繰り返しながら、決定稿に近づけていく。
ドラマでは真田信繁は秀吉の馬廻(うままわり)衆(いわゆる護衛)を務めている。専門家から歴史の捏造(ねつぞう)だと指摘されたが、これは決して僕の創作ではない。馬廻をしていた事実は、つい最近になって分かったこと。歴史は日々成長している。
小田原征伐で、信繁を活躍させたいと思った。この戦に参加しているのは確かだが、どんな役目を果たしていたかは、定かではない。そこで、「北条氏政に降伏を促すため城に潜入」というエピソードを思いつく。だが実際は降伏の交渉をしたのは黒田官兵衛。史実は曲げられない。
官兵衛は秀吉の命を受けたオフィシャルな交渉係。その裏では、徳川家康らも密(ひそ)かに開城交渉をしていたらしい。官兵衛とは別に、信繁は家康の命令で非公式に氏政に会うというのはどうか。考証の先生たちの意見を踏まえ、プロデューサーが考えてくれた。
では、なぜ家康は信繁に託したのか。そこからは僕の仕事。その前の回で、秀吉の前で信繁と舌戦を繰り広げた、北条の外交担当板部岡江雪斎と、家康の軍師本多正信を思い出す。信繁の知恵と度胸に惚(ほ)れ込んだ彼らが動いたことにしよう。こうしてようやく物語が動き出す。そんな感じで毎回やっています。
複数の交渉が同時に行われていたことは、あまり知られていないので、官兵衛ファンの方は、信繁が手柄を横取りしたとお怒りかもしれませんが、そうではないのです。描かれていないだけで、ちゃんと官兵衛も頑張っているのです。
なるほど、こんなやりとりをしているのだ。最近「三谷幸喜の台本が遅れまくり?」という記事が出ていたが、頑張っていただきたいものだ。では最後に、藤丸タダアキさんのブログを紹介する。藤丸さん曰く「歴史は繰り返されるとともに、個人の事歴は子孫まで残ってしまいます」、これは深い言葉だ。
約20万の豊臣軍と小田原に籠城している約5万の北条軍。小田原攻めは籠城戦でもあり、そんなに戦闘はなかったでしょう。なので、史実にはなくても多くの外交の駆け引きがあったでしょう。しかし、高島政伸の氏政役は真に迫っていますね。板部岡江雪斎も良い雰囲気です。
氏政の考えは家康・伊達政宗との共同戦線による東国統治だったでしょう。伊達150万石、徳川150万石、北条250万石で、550万石となります。しかし、この当時、もう秀吉の臣従地域は1000万石を超えています。その勢力で戦っていたとしても結局は強者秀吉に飲み込まれていたでしょう。
結局は大は小を兼ねることが社会の宿命です。より大きい構想がある方がより多くの人を惹き付けます。北条の構想力は秀吉の構想力に勝てませんでした。真田丸24話滅亡は北条家の滅亡です。
さて、秀吉は約束を破り、氏政は切腹します。秀吉はもう国内は制圧したということで信義を破ります。秀吉や家康に共通する事ですが、史実に残ることを計算していません。天下統一という事業はその後も永遠に続くように支配者は思っていたでしょう。しかし、24話において、滅亡するのは北条だけでなく豊臣家の信義でもあるでしょう。
家康も大坂の陣で豊臣家を散々だまして、滅亡させます。しかし、それは260年経った、幕末以降に徳川家に結局は影響を与えます。歴史は繰り返されるとともに、個人の事歴は子孫まで残ってしまいます。
北条氏政と小田原北条氏はこれにて滅びます。息子の氏直は高野山に登った後にすぐに亡くなります。しかし、北条家は5男の氏規の子孫が残ります。大坂河内狭山藩にて明治まで存続し、今に至っています。
板部岡江雪斎はこの後、秀吉に仕えます。戦後のさまざまな決定は宇都宮で行われました。宇都宮評定です。東北は伊達がようやく中央部を征した頃でした。他は小さな大名ばかりでした。伊達政宗と片倉小十郎景綱が出てきます。実は片倉景綱の息子の重長の嫁は信繁の娘です。これは大阪の陣でのエピソードがあります。それを待ちましょう。
真田丸も24話目にして、秀吉の統一がほぼ完成しました。これは同時に信繁の青年期の戦いの終わりを意味します。何故なら、これ以降関ケ原まで東国には戦争がほぼないからです。紛争は少し東北で起きました。これからは豊臣家が滅亡に向うようになっていきます。真田丸24話滅亡の感想でした。
信繁は沼田裁定で競り合った本多正信、板部岡江雪斎から頼まれ、北条氏政の説得に向かう。降伏するように説くが、氏政は容易には受け入れない。やがて徳川家康、上杉景勝、そして昌幸が氏政の元をひそかに訪れる。東国でしのぎを削った強敵同士として、秀吉に許しを請い生き延びることを勧める。実力を認め合う者たちの言葉に氏政の下す決断は―。
信繁は北条氏政に降伏を促すため、城に潜入。捕らわれながらも説得を試みるが、これは空振りに終わった。前回同様、高嶋政伸(北条氏政)の真に迫った演技が光る。こそのあと徳川家康、上杉景勝、真田昌幸が勢揃いし、氏政を説得するシーンが見ものだった。説得に応じない氏政に、昌幸が言い放つ。「死にたければ死になされ。されど、生きておればまだまだ楽しいものが見られますぞ。このまま秀吉の天下が来るとは到底思えぬ。もう一暴れ、したいとは思いませんか?」。これに対して氏政は「おぬしらの働きぶり、あの世でしかと見物させていただこう」。そして、やはり氏政の最後は、汁かけ飯…。
このあたりの展開、本当にあったのだろうか。検索してみると、三谷幸喜のこんな文章がヒットした。朝日新聞デジタル(6/16)「最新の歴史研究が支えに(三谷幸喜のありふれた生活:805)」に、こんなことを書いていた。これはなかなか手がこんでいる。
大河ドラマ「真田丸」。今週と来週は豊臣秀吉の小田原征伐。北条氏の滅亡をじっくり描いている。今回は時代考証の話。「真田丸」には黒田基樹さん、平山優さん、丸島和洋さん、佐多芳彦さんという戦国史の専門家が時代考証・風俗考証のスタッフとして加わっている。皆さん、その道ではトップクラスの人たちだ。
直に言って、僕の歴史知識は一般レベル。「賤ケ岳の七本槍(やり)」を六人までは言えるけど、平野長泰が思い出せない、その程度だ。そんな僕が書いた台本を、時代劇に精通したプロデューサーたちと時代考証スタッフの面々が、がっちりサポートしてくれる。最新の学説を元に、既成の概念を打ち破る戦国ドラマを作ろうと、皆さん、気合満々。
僕は台本を書きながら、歴史的に分からないことがあったら、プロデューサーに相談。例えば、関ケ原の合戦の時、石田三成の挙兵の知らせはどうやって真田昌幸に伝わったか。伝令が走ったのは想像出来るが、この時、昌幸は上杉征伐に向かっている最中。どこにいるか分からない相手に、緊急の密書を送る時、当時はどうしていたか。小説なら「昌幸の元に三成から密書が届いた」の一行で済むが、ドラマは具体的なことがはっきりしないと、何も書けない。
書き上げた初稿を元に、考証会議が行われる。僕は次の回を書いているので、参加はしない。先生たちのチェックが入り、さらにそれを元に第二稿を書く。その作業を何度も繰り返しながら、決定稿に近づけていく。
ドラマでは真田信繁は秀吉の馬廻(うままわり)衆(いわゆる護衛)を務めている。専門家から歴史の捏造(ねつぞう)だと指摘されたが、これは決して僕の創作ではない。馬廻をしていた事実は、つい最近になって分かったこと。歴史は日々成長している。
小田原征伐で、信繁を活躍させたいと思った。この戦に参加しているのは確かだが、どんな役目を果たしていたかは、定かではない。そこで、「北条氏政に降伏を促すため城に潜入」というエピソードを思いつく。だが実際は降伏の交渉をしたのは黒田官兵衛。史実は曲げられない。
官兵衛は秀吉の命を受けたオフィシャルな交渉係。その裏では、徳川家康らも密(ひそ)かに開城交渉をしていたらしい。官兵衛とは別に、信繁は家康の命令で非公式に氏政に会うというのはどうか。考証の先生たちの意見を踏まえ、プロデューサーが考えてくれた。
では、なぜ家康は信繁に託したのか。そこからは僕の仕事。その前の回で、秀吉の前で信繁と舌戦を繰り広げた、北条の外交担当板部岡江雪斎と、家康の軍師本多正信を思い出す。信繁の知恵と度胸に惚(ほ)れ込んだ彼らが動いたことにしよう。こうしてようやく物語が動き出す。そんな感じで毎回やっています。
複数の交渉が同時に行われていたことは、あまり知られていないので、官兵衛ファンの方は、信繁が手柄を横取りしたとお怒りかもしれませんが、そうではないのです。描かれていないだけで、ちゃんと官兵衛も頑張っているのです。
なるほど、こんなやりとりをしているのだ。最近「三谷幸喜の台本が遅れまくり?」という記事が出ていたが、頑張っていただきたいものだ。では最後に、藤丸タダアキさんのブログを紹介する。藤丸さん曰く「歴史は繰り返されるとともに、個人の事歴は子孫まで残ってしまいます」、これは深い言葉だ。
約20万の豊臣軍と小田原に籠城している約5万の北条軍。小田原攻めは籠城戦でもあり、そんなに戦闘はなかったでしょう。なので、史実にはなくても多くの外交の駆け引きがあったでしょう。しかし、高島政伸の氏政役は真に迫っていますね。板部岡江雪斎も良い雰囲気です。
氏政の考えは家康・伊達政宗との共同戦線による東国統治だったでしょう。伊達150万石、徳川150万石、北条250万石で、550万石となります。しかし、この当時、もう秀吉の臣従地域は1000万石を超えています。その勢力で戦っていたとしても結局は強者秀吉に飲み込まれていたでしょう。
結局は大は小を兼ねることが社会の宿命です。より大きい構想がある方がより多くの人を惹き付けます。北条の構想力は秀吉の構想力に勝てませんでした。真田丸24話滅亡は北条家の滅亡です。
さて、秀吉は約束を破り、氏政は切腹します。秀吉はもう国内は制圧したということで信義を破ります。秀吉や家康に共通する事ですが、史実に残ることを計算していません。天下統一という事業はその後も永遠に続くように支配者は思っていたでしょう。しかし、24話において、滅亡するのは北条だけでなく豊臣家の信義でもあるでしょう。
家康も大坂の陣で豊臣家を散々だまして、滅亡させます。しかし、それは260年経った、幕末以降に徳川家に結局は影響を与えます。歴史は繰り返されるとともに、個人の事歴は子孫まで残ってしまいます。
北条氏政と小田原北条氏はこれにて滅びます。息子の氏直は高野山に登った後にすぐに亡くなります。しかし、北条家は5男の氏規の子孫が残ります。大坂河内狭山藩にて明治まで存続し、今に至っています。
板部岡江雪斎はこの後、秀吉に仕えます。戦後のさまざまな決定は宇都宮で行われました。宇都宮評定です。東北は伊達がようやく中央部を征した頃でした。他は小さな大名ばかりでした。伊達政宗と片倉小十郎景綱が出てきます。実は片倉景綱の息子の重長の嫁は信繁の娘です。これは大阪の陣でのエピソードがあります。それを待ちましょう。
真田丸も24話目にして、秀吉の統一がほぼ完成しました。これは同時に信繁の青年期の戦いの終わりを意味します。何故なら、これ以降関ケ原まで東国には戦争がほぼないからです。紛争は少し東北で起きました。これからは豊臣家が滅亡に向うようになっていきます。真田丸24話滅亡の感想でした。