tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

真田丸(25)別離

2016年06月29日 | 日々是雑感
日曜日(6/26)のNHK大河ドラマ「真田丸」は「第25回 別離」だった。藤丸タダアキさんによれば、これは「豊臣政権の世代交代としての別離。政権内部の派閥の別離。秀吉と鶴松の別離。そして秀吉の目標だった天下統一が達成されたことによる目的との別離。天下統一という目標と、その後の次は何をすればいいのかという政権内部の目的意識の別離」。

このように、さまざまな「別離」が描かれた。印象に残ったのは、やはり千利休との別離。利休は敵方の北条に武器を売っていた「死の商人」だったのだ。NHKのHPから「あらすじ」を拾うと、

北条の滅亡によって秀吉の天下統一が完成。しかし、その矢先、秀吉の愛児・鶴松が重い病を患う。日に日に悪化する病状。信繁や三成は、千利休のことが頭から離れない。利休は武器商人として北条ともつながり暗躍していたが、それを信繁たちが突き止めると秀吉によって切腹に追い込まれだのだ。利休の呪いを恐れる人々。家康は秀吉が嫡男を失った後の天下の行方を思い描く。

NHKの「あさイチ」(6/3)に出演した桂文枝は、利休のラストシーンについて「意外な展開。見事です」と絶賛していた。また「できることならもうちょっと出たかったですね」とも。オリコンのHPによると、

NHK大河ドラマ『真田丸』(毎週日曜 後8:00 総合ほか)。19日放送の第24回で北条が滅亡し、秀吉(小日向文世)は名実ともに天下の覇者となった。その翌年(天正19年=1591)に起きたことといえば、千利休の切腹。本作で利休を演じる落語家の桂文枝は、今月3日に同局の『あさイチ』に生出演した際、自身のラストシーンについて「意外な展開。見事です」と絶賛していた。

秀吉のもとで厚遇され、その親密ぶりは「(豊臣政権内での)内々のことは宗易(利休) に、公儀のことは宰相(秀長)に」と言われるほどだった利休。それが、秀吉によって切腹に追い込まれることになるなんて。一体何が起きたのか。その理由については、諸説あって現在もなお大きな謎となっている。

きょう26日放送の第25回で、作者・三谷幸喜氏はどのように利休を追い込むのか。三谷氏は「今までの千利休ではなく、“万”利休を目指す」と掲げていた。伏線は第24回にすでにあって、信繁(堺雅人)が小田原城の蔵にあった鉛や箱に打たれた刻印と、利休の出店で茶々が手にした扇子の刻印が同じであることに目ざとく気づいてしまう。

大河ドラマは欠かさず視聴してきたという文枝。出演は今作が初となる。それも、自身と同じ大阪・堺出身の利休という大役がめぐってきた。「出られるということだけでうれしくて。でも、お茶を立てながらせりふを言うのは難しかったですね。できることならもうちょっと出たかったですね」と名残惜しそうに話していた。



奈良県民として名残惜しいのは大和大納言・豊臣秀長の死。信繁、三成、吉継から利休の「死の商人」ぶりを聞かされた秀長は、病身を押して兄・秀吉にそのことを告げる。これは秀長の最後の大仕事となった。しかしこのシーン以外、秀長はあまり登場せず、とても残念だった。せっかくの機会なので、以下、秀長のことを『世界大百科事典』(第2版)から紹介しておく。

豊臣秀長 1541‐91(天文10‐天正19)安土桃山時代の武将。豊臣秀吉の異父弟。筑阿弥の子。小一郎,のち美濃守。初め長秀,1585年(天正13)ころより秀長に改めた。1577年以降秀吉の中国征伐に従って頭角をあらわし,但馬竹田・出石城主などとして但馬・播磨経略に努めた。本能寺の変後も秀吉の片腕として山崎の戦,賤ヶ岳の戦,小牧・長久手の戦に従軍。85年には紀州一揆弾圧後の紀伊経略,秀吉の名代として長宗我部氏を下した四国征伐で大役を果たし,その功により同年閏8月大和・紀伊に和泉・伊賀の一部を加えた100万石を領し,大和郡山を居城とした。

さて、最後に藤丸タダアキさんの解説を彼のブログから紹介しておく。行政の長・秀吉と商人・利休には「美的感覚の違いが決定的にあった「その差が利休を死に追いやった」という分析は面白い。

真田丸25話別離は豊臣秀長の死と千利休の切腹の話から始まりました。この二人は秀吉の往年の名助手です。秀吉は九州の大名大友宗麟にこのようなことを言っています。「外のことは秀長に、うちうちのことは利休に」。政権のNo.2の秀長が政商の千利休を切腹へと手筈を進めます。ここには行政と商業者の事情の違いが垣間見えます。

行政とは地域の上に成り立つ収税権を持つ組織です。商業者は人のいるところには需要を見つけて進みます。豊臣政権にとって北条家は敵でした。しかし、商業者の千利休にとっては北条が相手であってもそこの需要がある限り商圏を広げます。豊臣政権にとっては敵が有利になる可能性がそこにできるかもしれない。千利休がそれを武器を売ることで不利になるかもしないという猜疑心になります。

また、秀長と千利休の死は同時に豊臣政権の世代交代も意味しています。私は秀吉と利休には美的感覚の違いが決定的にあったと思います。今でもその差が利休を死に追いやったと思っています。


鶴松の病気は利休の祟りだと噂があると話がありました。しかし利休にはそんな趣味はないと思います。石田三成の詰所に加藤清正と福島正則が訪ねます。このシーンでは武断派と文治派というような印象が出ました。ただし、三成には骨もあるという書き方でした。

親族も集まりました。秀次・秀俊・秀保・秀勝。そして宇喜多秀家。秀家は厳密には血縁ではありません。しかし、秀吉の期待にもっとも応えた猶子です。秀家に関しては以下で紹介しています。宇喜多秀家について

鶴松は亡くなります。秀吉はその悲しみを忘れるように新しい企画に没頭し始めます。真田丸25話では秀吉と鶴松もまた別離となってしまいました。真田丸25話別離の感想ですが、豊臣政権の世代交代としての別離。政権内部の派閥の別離。秀吉と鶴松の別離。

そして秀吉の目標だった天下統一が達成されたことによる目的との別離。天下統一という目標と、その後の次は何をすればいいのかという政権内部の目的意識の別離。今回の真田丸25話ではそんな感想を持ちました。


北条を滅ぼし天下統一を成し遂げた秀吉は、しかし秀長と利休という名参謀を失った。糸の切れた凧のようになった秀吉の次の「企画」とは…。次回「瓜売(うりうり)」をお楽しみに!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする