tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

真田丸(27)不信

2016年07月16日 | 日々是雑感
紹介が遅くなってしまった。先週(7/10)のNHK大河ドラマ「真田丸」は、「第27回 不信」だった。参院選の開票速報のため時間を繰り上げての放送だった。同番組のHPから「あらすじ」を拾うと、

秀吉と茶々に再び男子が誕生。信繁は、関白秀次のそばに付くように命じられる。秀吉との溝が深まることを恐れる秀次は、吉野の花見で能を披露し機嫌をとろうとする。しかし、秀次の能をみた秀吉は…。一方、秀吉は信繁に官位を授けると言いだす。信繁は兄・信幸にも官位を願い出るが、それを知った信幸は弟に情けをかけられたと激しく憤る。そんな中、秀次が失踪する。

奈良県民として注目したのは、「吉野山の花見」のシーン。吉野町の公式HPによると、

吉野での花見といえば、豊太閤秀吉の 花見を抜きには語れません。秀吉が、絶頂の勢力を誇った文禄3(1594)年、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗ら錚々たる武将をはじめ、茶人、連歌師たちを伴い、総勢5千人の供ぞろえで吉野山を訪れまし た。しかし、この年の吉野は長雨に祟られ、秀吉が吉野山に入ってから3日間雨が降り続きました。

苛立った秀吉は、同行していた聖護院の僧道 澄に「雨が止まなければ吉野山に火をかけて即刻下山する」と伝えると、道澄はあわてて、吉野全山の僧たちに晴天祈願を命じました。その甲斐 あってか、翌日には前日までの雨が嘘のように晴れ上がり、盛大に豪華 絢爛な花見が催され、さすがの秀吉も吉野山の神仏の効験に感じ入ったと伝えられています。


有名な「吉野山に火をかけて即刻下山する」のシーンはなかったが、番組の最後に吉野山が紹介されたのは、良かった。秀次の能は、吉水院(吉水神社)で披露されたのだ。さて今回のタイトル「不信」だが、いろんな不信が登場した。整理すると、


1.秀次の秀吉に対する不信
(1)秀次は叔父である秀吉に頭が上がらない。秀吉は、秀次に日本を5つに分けて、そのうちの1つ九州を拾(ひろい 秀吉の子=のちの秀頼)のものとすることを提案する。秀次の秀吉に対する不信感が募る。
(2)豊臣秀俊(秀吉の正室の甥=のちの小早川秀秋)が小早川隆景の養子になることが決まる。秀次は「厄介払いが始まった」「次はおれの番だ」と言い秀吉に対する不信感が募る。
(3)豊臣秀保(秀次の弟)の病状は回復することなく死去。秀吉は秀保の死を隠そうとした(葬式をしない)。秀吉の仕打ちに秀次は不信感を抱く。
(4)秀次は秀吉の隠居城となる予定の「伏見城」の絵図面を見てしまった。絵図面は、そこで政務がとれるようになっていた…。

2.信幸の信繁に対する不信
真田昌幸と信幸は叙位のお礼に秀吉を訪ねる。そこで信幸は「本当は信繁だけが官位を授かるはずだった」ということを知る。弟に情けをかけられたと、信幸は信繁に不信感を抱く。

ほかにも稲(信幸の妻)が「浜松に帰る」と言いだしたり、秀次から「側室になってほしい」といわれたきりが、それを止めてくれない信繁に不満を持ったり…。いろんなに「不信」が登場した。そして最後には秀次が勝手に聚楽第を出てしまう。秀次は、相当追い詰められていたのだ(確か高野山に蟄居して、のちに切腹させられた)。では最後に、藤丸タダアキさんに締めていただこう。ブログ「地域活性局」より。


秀吉の実子が亡くなって秀次が関白になります。そして関白になった後に、また秀吉に実子ができます。名前は拾(ひろい)と名付けられました。前の子供は捨(すて)と名付けられていました。捨て子は育つという風習があったそうですね。しかし亡くなったので、今度は拾い子は育つという考えのもとに拾と名付けられました。

そして秀次は迷走を始めます。熱海に2か月の旅行に出掛けます。跡継ぎの苦悩が見えてきます。秀吉との関係を保ちたいと能を学びます。宇喜多秀家。

私はよく経営者の方から後継者の相談を受けます。経営者が後継者に望むのは「デキる後継者」です。しかし、多くの場合、後継者というのは経営者の理想には近づかないものでしょう。秀次の苦労は秀吉には届きません。そして(秀次の)弟の秀保が病気になります。やがて亡くなります。秀保は秀吉の弟、秀長の跡を継いでいました。

秀次の弟の秀俊は小早川家に養子に出されます。この時期に人がいなくなっていきます。真田丸27話の題名「不信」はここで現れます。ドラマでは一進一退の人間関係が続きます。しかし、実際は秀吉は計画的に秀次を殺したでしょう。そして豊臣家には成人男性がいなくなってしまいます。秀吉は周りが見えにくく自暴自棄にもなっていったのでしょう。


秀吉の晩年は呆けていたとしか言えない状況になっていきます。そして真田は兄弟揃って官位をもらいます。信幸は伊豆守、信繁は左衛門佐に任官します。ここでも信繁の入れ知恵が入り、信幸は真田丸27話の題名通り不信に陥ります。

そして父の昌幸は伏見の普請を秀吉から命じられます。27話の題名は不信。普請とかけているのでしょうか。そして、伏見城の普請図が出てきます。そこには評定場などがかかれています。隠居城には必要なのかと秀次は思います。まさに27話不信ですね。

そして秀吉もまた秀次に不信を持つんですね。そして秀保が死んでしまいます。秀吉は豊臣政権の前途を暗く思ったでしょう。そして葬式もさせませんでした。それを見て秀次や秀俊はまた不信に思います。真田丸27話不信の感想を書きました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする