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真田丸(28)受難

2016年07月22日 | 日々是雑感
NHK大河ドラマ「真田丸」、前回(9/17)は「第28回 受難」だった。「受難」とは、主として豊臣秀次(秀吉の姉の長男)の受難である。NHKの公式HPによると、
※画像はすべて同番組の公式HPから拝借

秀吉に再び男子が生まれ、居場所を失った秀次は関白の座を放棄し聚楽第(じゅらくてい)から出奔、信繁を頼って京の真田邸に身を寄せる。一方、信繁は秀吉から、大谷吉継の娘・春との結婚を命じられる。秀吉の怒りを恐れた秀次は、信幸を伴い高野山へ向かう。秀次の娘の運命を託された信繁は、命を救うため、堺の伝説の商人・呂宋助左衛門のもとを訪れる。


本題とは関係ないが、面白い展開があった。秀次の前で真田信幸は「われらの母も公家の出なのです」と紹介すると、母親は狼狽。「いずこの?」という秀次の問いかけに稲(信幸の妻)が菊亭晴季の娘だと告げる。すると秀次は「菊亭は私の妻の里。晴季殿は私の舅。すると妻の姉?」というツッコミが入り、ウソがバレてしまう、という展開だ。確かに「菊亭晴季の娘」説は以前はあったが、今は否定されている。そこをドラマはうまく突いていた。

もう1つのサプライズが呂宋助左衛門、演じたのは松本幸四郎。NHKのかつての大河ドラマ「黄金の日々」と同じ役柄で、これは楽しませてもらった。石田三成は「南蛮との商いで大儲けした」と言っていたが、これは助左衛門がヨーロッパまで行っていたというのではなく、フィリピンのルソン島あたりで、ヨーロッパの品々を買い付けた、ということだ。助左衛門が秀吉に売りつけた壺(いわゆる「ルソンの壺」)は、実は島民の便器だったという話もある。その便器の臭いをかいでご満悦の秀吉のシーンは、笑えた。


こんなやりとりもあった。秀次は高野山へ逃亡し青厳寺に入る。秀次は「これまで秀吉に振り回されてきた」と真田信幸に語る。信幸は「私も振り回されてきました。あまりに大きすぎる父、私の声だけがなぜか聞こえぬ祖母、病がちなのかどうかよく分からない最初の妻、決して心を開かぬ2度目の妻、そしてあまりに恐ろしい舅」。秀次は「それは難儀であったのう」。

秀次は、信幸に官位を与えたことを引き合いに出し「返上したりはせぬな?」と念を押す。「あれは私が関白として行った数少ないことの1つじゃ」。自刃を前にした秀次の遺言のような言葉だった。今回、新納慎也(秀次役)の演技はとても良かったし、これまであまり取り上げられなかった豊臣秀次という人が、よく分かった。


横道が長くなった。最後は藤丸タダアキさんにビシッと締めていただこう。

真田丸28話では受難という題で進行をまとめています。受難とは苦しみや災いを受けることをいいます。信幸・信繁の母が菊亭家の娘なのか?という話がありました。この時代は養女などの形もあるので、真相はわからないのでしょう。信幸の嫁が本多忠勝の娘で徳川家康の養女として真田家に嫁ぐという形ですね。

そして信幸の妻、稲も嫁に行った受難を味わいます。信繁は秀吉から正室の打診があった一方で、信幸は官位受領の際の受難に苛まれます。
秀次(新納慎也)も関白職の受難に苛まれます。それにしても新納慎也さんの演技は素晴らしいですね。信繁は秀吉と秀次の間を取り持とうとします。真田丸28話にして、信繁は関白と太閤の間を取り持とうとします。

秀吉は当初、寛大な処置を取ろうとしました。しかし、信繁が秀吉に呼び出されたことに秀次は絶望を感じます。結局は切腹してしまいました。史実とは違う流れですが、心情はそうだったのかなと思いました。秀吉は秀次からの受難もまたあったのですね。真田丸28話「受難」では後継者の受難を描いるなという感想を持ちました。

徳川家の跡継ぎ徳川秀忠・本多正信の跡継ぎの本多正純も登場します。家康の三男秀忠は家康に忠実な息子でしたが、真田丸ではいうことを聞かなさそうでしたね。家康から見ると秀忠は受難だったという落ちが真田丸の最後にあるのでしょうか。真田丸28話の感想はすべて受難でまとまっていたという一言につきます。

秀吉は秀次の妻子供をすべて殺します。子供がいると、復讐をされる可能性があるのですね。しかし、秀次の娘たかが隠し部屋にいました。信繁はこれを助けます。信繁の優しさですね。真田丸28話受難の感想を書きました。

真田丸では当初はあまり題名を気にしていませんでした。しかし、最近は題名に非常に敏感になるようになりました。真田丸28話受難の感想は、三谷さんはまとめてきているなと(笑)
コメント (2)
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