NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2023.4.6)掲載されたのは〈「義経千本桜」深い関わり/源九郎稲荷神社(大和郡山市)〉、執筆されたのは奈良市在住の藤井哲子さんだった。
※トップ写真は、源九郎稲荷神社の本殿と狛狐=大和郡山市洞泉寺町で
歌舞伎や文楽で「義経千本桜」を見たことのある人なら、おなじみの「河連法眼館(かわつらほうげんやかた)の段」に登場する「佐藤忠信実は源九郎狐」の白狐である。なお義経が吉野山に逃れたのは、金峯山寺を中心とする山伏勢力の力を借りるためだったそうだ。私は、田中利典師の話で初めて知った。では、記事全文を紹介する。
源九郎稲荷神社(大和郡山市)
源九郎稲荷神社は、秀吉の弟で、郡山城主だった大和大納言・豊臣秀長が、郡山城の鎮守として創建しました。日本三大稲荷の一つに数えられることもあります。
本殿の前には、宝珠をくわえ財宝にご利益があるという狛狐(こまぎつね)と、巻物をくわえ知恵にご利益があるとされる狛狐が、参拝する人々を笑顔で見守っています。「喜常(きつね)札」と記された御朱印にも巻物をくわえた狐が描かれています。
神社名の由来は、歌舞伎や文楽で人気の演目、妖力を得た狐の心に浄化される物語「義経千本桜」に深い関りがあります。源平合戦の後、兄・頼朝によって吉野山へ追われた源九郎義経は、そこで忠臣・佐藤忠信に化けた白い狐の神通力によって助けられました。
側室の静御前が鼓を打つと狐が現れ、義経は自分の名前を取って、狐に源九郎と名付けました。春の訪れとともに、狛狐の傍らに植えられた中村勘九郎梅と桜が、鮮やかに境内を彩ると、物語を重ねる人も多いのではないでしょうか。
「大和郡山お城まつり」では主な行事として、「白狐渡御(とぎょ)」が行われます。白衣に白狐の面をつけた子どもたちが、白狐ばやしに合わせて市街地を練り歩きます。(奈良まほろばソムリエの会会員 藤井哲子)
(住 所)大和郡山市洞泉寺町15
(祭 神)宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、源九郎稲荷大明神
(交 通)JR郡山駅、近鉄郡山駅からいずれも徒歩約10分
(拝 観)午前10時~午後5時
(駐車場)無
(電 話)0743・55・3830
※トップ写真は、源九郎稲荷神社の本殿と狛狐=大和郡山市洞泉寺町で
歌舞伎や文楽で「義経千本桜」を見たことのある人なら、おなじみの「河連法眼館(かわつらほうげんやかた)の段」に登場する「佐藤忠信実は源九郎狐」の白狐である。なお義経が吉野山に逃れたのは、金峯山寺を中心とする山伏勢力の力を借りるためだったそうだ。私は、田中利典師の話で初めて知った。では、記事全文を紹介する。
源九郎稲荷神社(大和郡山市)
源九郎稲荷神社は、秀吉の弟で、郡山城主だった大和大納言・豊臣秀長が、郡山城の鎮守として創建しました。日本三大稲荷の一つに数えられることもあります。
本殿の前には、宝珠をくわえ財宝にご利益があるという狛狐(こまぎつね)と、巻物をくわえ知恵にご利益があるとされる狛狐が、参拝する人々を笑顔で見守っています。「喜常(きつね)札」と記された御朱印にも巻物をくわえた狐が描かれています。
神社名の由来は、歌舞伎や文楽で人気の演目、妖力を得た狐の心に浄化される物語「義経千本桜」に深い関りがあります。源平合戦の後、兄・頼朝によって吉野山へ追われた源九郎義経は、そこで忠臣・佐藤忠信に化けた白い狐の神通力によって助けられました。
側室の静御前が鼓を打つと狐が現れ、義経は自分の名前を取って、狐に源九郎と名付けました。春の訪れとともに、狛狐の傍らに植えられた中村勘九郎梅と桜が、鮮やかに境内を彩ると、物語を重ねる人も多いのではないでしょうか。
「大和郡山お城まつり」では主な行事として、「白狐渡御(とぎょ)」が行われます。白衣に白狐の面をつけた子どもたちが、白狐ばやしに合わせて市街地を練り歩きます。(奈良まほろばソムリエの会会員 藤井哲子)
(住 所)大和郡山市洞泉寺町15
(祭 神)宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、源九郎稲荷大明神
(交 通)JR郡山駅、近鉄郡山駅からいずれも徒歩約10分
(拝 観)午前10時~午後5時
(駐車場)無
(電 話)0743・55・3830
