東大寺の寺領を維持して復興の礎を築いた僧侶・実英の特集展示が、東大寺ミュージアムで開催されている。東大寺の公式HPによると、
特集展示「東大寺と徳川家康」2023年3月23日(木)~4月25日(火)
戦国時代、永禄10年(1567)に東大寺は兵火により大仏殿をはじめ多くの堂舎を失いました。徳川家康が慶長8年(1603)に江戸幕府を開いてから約100年後に、ようやく大仏さまと大仏殿の再興が成し遂げられました。この復興勧進を担ったのが公慶(こうけい)上人であることは広く知られています。
しかし、それ以前、江戸幕府草創の混乱期の中で、自らの学識を以て東大寺の所領を家康に認めさせた人物がいました。寺内無双の学僧と称された彼の名は実英(じつえい)。
江戸時代の東大寺復興について、罹災から公慶上人が登場するまでの間のことは意外とわかっていません。近年の研究により徐々に明らかになってきたこの空白期間について、本特集では実英と徳川家康の関わりに焦点を当ててその一端をご紹介します。
〈展示品〉
寺中寺外惣絵図 江戸時代(17世紀)/実英法印像 江戸時代・宝永7年(1710)/因明論議草(若言眼等) 江戸時代・慶長20年(1615)/徳川家康朱印状案 江戸時代・慶長7年(1602)/毛利輝元判物 室町時代・永禄12年(1569)/東大寺知行書上 江戸時代・延宝6年(1678)
この展示のことが奈良新聞(4/5付=トップ画像)に紹介されていたので、最後に全文を抜粋しておく。ぜひ東大寺ミュージアムをお訪ねいただきたい。
江戸時代の東大寺といえば、戦国時代に兵火に遭った寺の復興に活躍した公慶上人(1648〜1705年)が知られるが、それ以前に徳川家康に寺領を認めさせて寺を守った僧がいた。
その名も実英(じつえい、1552〜1642年)。近年の研究でその功績が明らかになった実英と、家康との関係にスポットを当てた特集展示が、奈良市雑司町の東大寺ミュージアムで開かれている。25日まで。
実英は大和国平群に生まれ、幼くして東大寺清涼院に入った。華厳教学のほか他宗や、内明(仏教学)などにも通じ、各地の仏教者から仰がれる存在に。仏教教義の問答を聴聞した家康も心を打たれ、東大寺に210石の寺地を認めた。
特集展示は4月17日の家康の命日に合わせ「東大寺と徳川家康」と題して開催。初公開となる「実英法印像」は、公慶上人が生涯を終えるまで尽力した大仏殿再建(1709年)の翌年に描かれたもの。寺領を維持して復興の礎を築いたといえる実英が再評価されたことがうかがえる。
寺領が認められたのち、家康の前で再び行われた問答のために実英が記したメモ「因明論義草(若言眼等=にゃくごんげんとう)」(1615年)も初公開。聴衆には「大御所(家康)」をはじめ「江戸将軍(徳川秀忠)」や京都の門跡衆・公家衆の名が並ぶ。
国宝東大寺文書の「徳川家康朱印状案」(02年)は、家康が210石や寺内の山林を保証した朱印状の写しで、寺領を与える代わりに国家安泰の祈祷(きとう)を求めている。「東大寺寺中寺外惣絵図」(17世紀)は家康が保証したのとほぼ同じ寺域が描かれている。
東大寺ミュージアムは「実英の学識によって東大寺が学問寺だと再認識され、寺領が守られたといえる。学問の力と、それを認めた家康の度量の大きさを感じていただければ」とする。
午前9時半から午後5時半開館。期間中は無休。入館料は大人600円、小学生300円、小学校就学前無料。問い合わせは同ミュージアム、電話0742(20)5511。
特集展示「東大寺と徳川家康」2023年3月23日(木)~4月25日(火)
戦国時代、永禄10年(1567)に東大寺は兵火により大仏殿をはじめ多くの堂舎を失いました。徳川家康が慶長8年(1603)に江戸幕府を開いてから約100年後に、ようやく大仏さまと大仏殿の再興が成し遂げられました。この復興勧進を担ったのが公慶(こうけい)上人であることは広く知られています。
しかし、それ以前、江戸幕府草創の混乱期の中で、自らの学識を以て東大寺の所領を家康に認めさせた人物がいました。寺内無双の学僧と称された彼の名は実英(じつえい)。
江戸時代の東大寺復興について、罹災から公慶上人が登場するまでの間のことは意外とわかっていません。近年の研究により徐々に明らかになってきたこの空白期間について、本特集では実英と徳川家康の関わりに焦点を当ててその一端をご紹介します。
〈展示品〉
寺中寺外惣絵図 江戸時代(17世紀)/実英法印像 江戸時代・宝永7年(1710)/因明論議草(若言眼等) 江戸時代・慶長20年(1615)/徳川家康朱印状案 江戸時代・慶長7年(1602)/毛利輝元判物 室町時代・永禄12年(1569)/東大寺知行書上 江戸時代・延宝6年(1678)
この展示のことが奈良新聞(4/5付=トップ画像)に紹介されていたので、最後に全文を抜粋しておく。ぜひ東大寺ミュージアムをお訪ねいただきたい。
江戸時代の東大寺といえば、戦国時代に兵火に遭った寺の復興に活躍した公慶上人(1648〜1705年)が知られるが、それ以前に徳川家康に寺領を認めさせて寺を守った僧がいた。
その名も実英(じつえい、1552〜1642年)。近年の研究でその功績が明らかになった実英と、家康との関係にスポットを当てた特集展示が、奈良市雑司町の東大寺ミュージアムで開かれている。25日まで。
実英は大和国平群に生まれ、幼くして東大寺清涼院に入った。華厳教学のほか他宗や、内明(仏教学)などにも通じ、各地の仏教者から仰がれる存在に。仏教教義の問答を聴聞した家康も心を打たれ、東大寺に210石の寺地を認めた。
特集展示は4月17日の家康の命日に合わせ「東大寺と徳川家康」と題して開催。初公開となる「実英法印像」は、公慶上人が生涯を終えるまで尽力した大仏殿再建(1709年)の翌年に描かれたもの。寺領を維持して復興の礎を築いたといえる実英が再評価されたことがうかがえる。
寺領が認められたのち、家康の前で再び行われた問答のために実英が記したメモ「因明論義草(若言眼等=にゃくごんげんとう)」(1615年)も初公開。聴衆には「大御所(家康)」をはじめ「江戸将軍(徳川秀忠)」や京都の門跡衆・公家衆の名が並ぶ。
国宝東大寺文書の「徳川家康朱印状案」(02年)は、家康が210石や寺内の山林を保証した朱印状の写しで、寺領を与える代わりに国家安泰の祈祷(きとう)を求めている。「東大寺寺中寺外惣絵図」(17世紀)は家康が保証したのとほぼ同じ寺域が描かれている。
東大寺ミュージアムは「実英の学識によって東大寺が学問寺だと再認識され、寺領が守られたといえる。学問の力と、それを認めた家康の度量の大きさを感じていただければ」とする。
午前9時半から午後5時半開館。期間中は無休。入館料は大人600円、小学生300円、小学校就学前無料。問い合わせは同ミュージアム、電話0742(20)5511。