田中利典師のブログから、過去の名作を紹介している。タイトルがうろ覚えでも、検索をかけるとちゃんと出てくるのがありがたい。一昨日は「かきくけこ」運動だったが、今回は「修験道と法螺と熊」(2008.8.13)だ。
※トップ写真は吉野山の桜(2023.3.28撮影)
私は利典師のブログを開設当初(2006.4.24)から、愛読していた。私もブログを開設していた(2005.11.12~)ので、とても参考になった。ふと「もう忘れているものもあるだろうな」と思いついて、開設当初からの師のブログを再読し始めたが、これは面白い! 過去の記憶がどんどんよみがえってきた。
これから順不同で、当ブログに掲載させていただこうと思っている。今回はタイトルにあるように、修験者が吹く法螺貝と、熊など森の動物たちとの関わりで、山伏ならではの視点で書かれている。以下に紹介する。
「修験道と法螺と熊」
8月24日に吉野町中央公民館大ホールで、日本熊森協会の森山まり子会長さんの講演会があります。これを主催しているマイミクで魔女?のけろこさんに依頼されて当日の配布資料に掲載する原稿を頼まれました。で、昨夜かき上げましたので、みなさんにも披露しますね。
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「修験道と法螺と熊」
修験道というわが国独特の山岳宗教は、山を道場に修行することを本分としています。修験道の行者のことを山伏といいますが、山に伏し野に伏して修行をするから、山伏と呼ばれます。その山の修行で欠かせないのが、山伏十二道具のひとつ、法螺です。
世に、いい加減なことを言う輩を法螺吹きと称します。この法螺吹きの法螺は山伏の法螺が語源ですが、しかし本来の意味は、嘘をついたり、いい加減なことを言うものでは勿論ありません。昔、いい加減なことを大仰に言う山伏が横行したので、山伏のシンボルである法螺が、嘘つきの代名詞になったのでしょう。
実は法螺とは本来、お釈迦様の説法を表していて、法螺の音を聞くことによって、まるでお釈迦様の説法を直に聞いたように、人々の悪い煩悩や悪業が消え失せるという意味なのです…と、これは修験道の教義的な意味。これとは別に山伏の道具には山修行の必須アイテムとしての実用的な意味があります。
法螺の実用的な意味は実に深いのです。まず山には番地もないし、携帯電話も通じません。山で修行をしているとお互いの位置がすぐわからなくなります。そこで法螺を立てる(吹くこと)のです。そうすると、たちどころに離れている者同士の場所がわかります。法螺の譜には出発や集合などの合図の意味もあり、情報伝達の役目も担っているのです。
それからもう一つ重要な意味があります。山には獣たちがたくさん棲んでいます。もともと大自然は獣や動物たちのすみかなのですから…。そのすみかに人間が入らせて頂き、修行をさせて頂くのです。とりわけ深山幽谷にいると、熊や狼など数多くの獣たちが生息しています。
そこに外来者の人間が突然現れると、獣たちを驚ろかせてしまうことになります。鉢合わせにでもなったりすると、当然のごとく、人間が襲われることになり、修行どころではなくなってしまいます。そこで前もって法螺を立て、山伏が近づいていることを知らせるのです。
法螺の音はどこまでも響くし、獣たちにとってはとてもこの世のものとは思えない音響と聞こえるでしょうから、その場から退散してしまいます。つまりは警告の音なのです。
修験道は自然の中で育まれてきた日本古来の宗教ですが、自然との関わり方、熊や狼たちとの関わり方も、ちゃんと分をわきまえて、行じられてきたのです。
※トップ写真は吉野山の桜(2023.3.28撮影)
私は利典師のブログを開設当初(2006.4.24)から、愛読していた。私もブログを開設していた(2005.11.12~)ので、とても参考になった。ふと「もう忘れているものもあるだろうな」と思いついて、開設当初からの師のブログを再読し始めたが、これは面白い! 過去の記憶がどんどんよみがえってきた。
これから順不同で、当ブログに掲載させていただこうと思っている。今回はタイトルにあるように、修験者が吹く法螺貝と、熊など森の動物たちとの関わりで、山伏ならではの視点で書かれている。以下に紹介する。
「修験道と法螺と熊」
8月24日に吉野町中央公民館大ホールで、日本熊森協会の森山まり子会長さんの講演会があります。これを主催しているマイミクで魔女?のけろこさんに依頼されて当日の配布資料に掲載する原稿を頼まれました。で、昨夜かき上げましたので、みなさんにも披露しますね。
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「修験道と法螺と熊」
修験道というわが国独特の山岳宗教は、山を道場に修行することを本分としています。修験道の行者のことを山伏といいますが、山に伏し野に伏して修行をするから、山伏と呼ばれます。その山の修行で欠かせないのが、山伏十二道具のひとつ、法螺です。
世に、いい加減なことを言う輩を法螺吹きと称します。この法螺吹きの法螺は山伏の法螺が語源ですが、しかし本来の意味は、嘘をついたり、いい加減なことを言うものでは勿論ありません。昔、いい加減なことを大仰に言う山伏が横行したので、山伏のシンボルである法螺が、嘘つきの代名詞になったのでしょう。
実は法螺とは本来、お釈迦様の説法を表していて、法螺の音を聞くことによって、まるでお釈迦様の説法を直に聞いたように、人々の悪い煩悩や悪業が消え失せるという意味なのです…と、これは修験道の教義的な意味。これとは別に山伏の道具には山修行の必須アイテムとしての実用的な意味があります。
法螺の実用的な意味は実に深いのです。まず山には番地もないし、携帯電話も通じません。山で修行をしているとお互いの位置がすぐわからなくなります。そこで法螺を立てる(吹くこと)のです。そうすると、たちどころに離れている者同士の場所がわかります。法螺の譜には出発や集合などの合図の意味もあり、情報伝達の役目も担っているのです。
それからもう一つ重要な意味があります。山には獣たちがたくさん棲んでいます。もともと大自然は獣や動物たちのすみかなのですから…。そのすみかに人間が入らせて頂き、修行をさせて頂くのです。とりわけ深山幽谷にいると、熊や狼など数多くの獣たちが生息しています。
そこに外来者の人間が突然現れると、獣たちを驚ろかせてしまうことになります。鉢合わせにでもなったりすると、当然のごとく、人間が襲われることになり、修行どころではなくなってしまいます。そこで前もって法螺を立て、山伏が近づいていることを知らせるのです。
法螺の音はどこまでも響くし、獣たちにとってはとてもこの世のものとは思えない音響と聞こえるでしょうから、その場から退散してしまいます。つまりは警告の音なのです。
修験道は自然の中で育まれてきた日本古来の宗教ですが、自然との関わり方、熊や狼たちとの関わり方も、ちゃんと分をわきまえて、行じられてきたのです。