昨日の奈良新聞(2024.5.8付)の1面トップに、〈高松塚古墳壁画・西壁男子群像の“杖” 「ポロ」のマレット? 橿考研の中村氏「唐の壁画と共通点」史資料検討し独自見解〉という大きな記事が出ていた。
※トップ写真は、高松塚古墳壁画の西壁男子群像。奈良新聞の記事サイトから拝借
高松塚古墳壁画に描かれている杖は、ポロで使う「マレット」(スティック)ではないか、という新説を中村健太郎さんが発表したというのだ。これは興味深い説である。記事に出てくる「打毬(だきゅう)」は、NHK大河ドラマ「光る君へ」(第7回)にも登場していた。NHKのサイトには、
打毬は、毬杖(きゅうじょう)といわれる棒状のもので毬(たま)をゴールに投げ込む団体競技です。紀元前6世紀のペルシャを起源とし、馬上で行うものと徒歩で行なうものの2種があって前者はポロ、後者はホッケーのようなイメージです。例えば白と赤とか、青と緑というような2つのチームに分かれて競い合うんです。
全日本ホッケー選手権大会 南都銀行(黒)VS天理大学(赤)戦(2011.5.22)
壁画には馬も描かれていないので、奈良新聞の記事で中村さんは「騎馬ではなく徒歩で競技するポロを表現した可能性がある」と書いているので、これはまさに「ホッケー」のイメージだ。平城京や平安京で行われていた打毬が、飛鳥時代の壁画に描かれ、それを奈良の社会人チームが引き継いでいるというのは、面白い。以下、記事全文を貼り付けておく。
平城遷都1300年祭では南都銀行女子ホッケー部員により、打毬が再現された(2010.5.3)
奈良県明日香村の国宝・高松塚古墳壁画(7世紀末~8世紀初め)の西壁男子群像が手にする杖状の持ち物は、ポロのマレット(スティック)ではないか―。中国・唐や中央アジアの壁画と史資料を検討し、そんな説を県立橿原考古学研究所(橿考研)の中村健太郎主任企画員(中央ユーラシア史)が発表した。これまでマレットとみる見解もあったが、証拠を示して論じたのは初めて。
高松塚古墳壁画の西壁男子群像のうち右端の人物は、先端がL字型をした杖状の持ち物を手にする。従来は権力を象徴する威儀具とみるのが通説となっていた。
中村さんは近年発掘調査が進む唐の壁画に描かれた、男女の従者の棒状持ち物を調査。男子はポロの毬杖(きゅうじょう=マレット)、女性はT字型やU字型の杖と描き分けていることが分かった。唐時代の出土遺物も調べた結果、毬杖はL字型で高松塚壁画と共通し、中村さんは「高松塚壁画の持ち物もマレットと判断できる」と話す。
ポロは馬に乗って行う団体球技。ペルシャ発祥で中央アジアを経て唐や日本へ伝わったとされる。中村さんは中央アジアの壁画や中国の史料から、唐には7世紀後半以降、当時商人として活躍したペルシャ系のソグド人らによって伝えたられたと指摘する。
日本では平安時代初期(9世紀前半)にポロが行われた記録があり、5月の端午の節句に行う宮中の年中行事や、外交儀礼で天皇らが権勢や栄華を誇り実施した。それ以前の飛鳥―奈良時代には、万葉集に「打毬之楽」の表現があり、平城宮跡(奈良市)ではポロに用いたと考えられる「木球」も出土。ただ日本書紀や続日本紀などの正史には記録がなく、中村さんは「当時は唐から伝わった最先端の娯楽として皇族・貴族が私的に興じたのではないか」とみる。
さらに高松塚壁画のマレットはやや短く、馬も描かれていないため、「騎馬ではなく徒歩で競技するポロを表現した可能性がある」と語る。唐では徒歩で競技する場合もあったという。
中村さんは3月20日、橿考研で開かれた講演会「高松塚古墳壁画の系譜―東西交流の視点から―」で説を発表した。「高松塚壁画の研究は国内にとどめず大陸に目を向けることで新たな境地が開けるのではないか。今回の研究はその問題提起になれば」と期待する。
※トップ写真は、高松塚古墳壁画の西壁男子群像。奈良新聞の記事サイトから拝借
高松塚古墳壁画に描かれている杖は、ポロで使う「マレット」(スティック)ではないか、という新説を中村健太郎さんが発表したというのだ。これは興味深い説である。記事に出てくる「打毬(だきゅう)」は、NHK大河ドラマ「光る君へ」(第7回)にも登場していた。NHKのサイトには、
打毬は、毬杖(きゅうじょう)といわれる棒状のもので毬(たま)をゴールに投げ込む団体競技です。紀元前6世紀のペルシャを起源とし、馬上で行うものと徒歩で行なうものの2種があって前者はポロ、後者はホッケーのようなイメージです。例えば白と赤とか、青と緑というような2つのチームに分かれて競い合うんです。
全日本ホッケー選手権大会 南都銀行(黒)VS天理大学(赤)戦(2011.5.22)
壁画には馬も描かれていないので、奈良新聞の記事で中村さんは「騎馬ではなく徒歩で競技するポロを表現した可能性がある」と書いているので、これはまさに「ホッケー」のイメージだ。平城京や平安京で行われていた打毬が、飛鳥時代の壁画に描かれ、それを奈良の社会人チームが引き継いでいるというのは、面白い。以下、記事全文を貼り付けておく。
平城遷都1300年祭では南都銀行女子ホッケー部員により、打毬が再現された(2010.5.3)
奈良県明日香村の国宝・高松塚古墳壁画(7世紀末~8世紀初め)の西壁男子群像が手にする杖状の持ち物は、ポロのマレット(スティック)ではないか―。中国・唐や中央アジアの壁画と史資料を検討し、そんな説を県立橿原考古学研究所(橿考研)の中村健太郎主任企画員(中央ユーラシア史)が発表した。これまでマレットとみる見解もあったが、証拠を示して論じたのは初めて。
高松塚古墳壁画の西壁男子群像のうち右端の人物は、先端がL字型をした杖状の持ち物を手にする。従来は権力を象徴する威儀具とみるのが通説となっていた。
中村さんは近年発掘調査が進む唐の壁画に描かれた、男女の従者の棒状持ち物を調査。男子はポロの毬杖(きゅうじょう=マレット)、女性はT字型やU字型の杖と描き分けていることが分かった。唐時代の出土遺物も調べた結果、毬杖はL字型で高松塚壁画と共通し、中村さんは「高松塚壁画の持ち物もマレットと判断できる」と話す。
ポロは馬に乗って行う団体球技。ペルシャ発祥で中央アジアを経て唐や日本へ伝わったとされる。中村さんは中央アジアの壁画や中国の史料から、唐には7世紀後半以降、当時商人として活躍したペルシャ系のソグド人らによって伝えたられたと指摘する。
日本では平安時代初期(9世紀前半)にポロが行われた記録があり、5月の端午の節句に行う宮中の年中行事や、外交儀礼で天皇らが権勢や栄華を誇り実施した。それ以前の飛鳥―奈良時代には、万葉集に「打毬之楽」の表現があり、平城宮跡(奈良市)ではポロに用いたと考えられる「木球」も出土。ただ日本書紀や続日本紀などの正史には記録がなく、中村さんは「当時は唐から伝わった最先端の娯楽として皇族・貴族が私的に興じたのではないか」とみる。
さらに高松塚壁画のマレットはやや短く、馬も描かれていないため、「騎馬ではなく徒歩で競技するポロを表現した可能性がある」と語る。唐では徒歩で競技する場合もあったという。
中村さんは3月20日、橿考研で開かれた講演会「高松塚古墳壁画の系譜―東西交流の視点から―」で説を発表した。「高松塚壁画の研究は国内にとどめず大陸に目を向けることで新たな境地が開けるのではないか。今回の研究はその問題提起になれば」と期待する。
NHK大河の「光る君へ」でF4が何やら馬に乗りながら球技をしているシーンがありましたが、「打毬」と言う競技なのですね。映像を見ながらこれは現代のホッケーの原型みたいやな~って思いました。馬に乗っていますので凄いな~と。
蹴鞠などは日本の国で考えられたようなイメージですがこの打毬面白いスポーツですね。
ポロは馬に乗って行う団体球技・・当時、唐から伝わったのでしょう。馬に乗るだけでも大変な練習が必要なのにその上球技とは! 役者さんもかなり練習なさっているんだなと思いながら見ていました。
日曜日の楽しみはNHK大河ドラマ「光る君へ」ですね。朝ドラも必見です(笑)
> 私もこの記事大変興味深く拝読させて頂きました。
それは恐縮です。手間をかけて書いたのに、FBにあまり「いいね!」が入らず、ガッカリしていました(笑)
> 「打毬」と言う競技なのですね。
ペルシャ→唐→日本と伝わり、宮中でも行われていたようです。
> 日曜日の楽しみはNHK大河ドラマ「光る君へ」
> ですね。朝ドラも必見です(笑)
私も「虎に翼」と「ちゅらさん」を録画して、毎日見ています。「ちゅらさん」では、堺正章が器用に三線(沖縄三味線)を弾くシーンが、いいですよ。