tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

観光地奈良の勝ち残り戦略(6)県庁を高級ホテルに

2007年09月21日 | 観光地奈良の勝ち残り戦略
(注)森精機製作所の「登大路ホテル」(08年11月オープン)の情報は以下のサイトを参照のこと。客室は15室のみで、1泊5万円以上。完全会員制(縁故募集のみ)の高級ホテルである。
※登大路ホテルの公式ホームページ
http://www.noborioji.com/
※登大路ホテルのランチ(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/4c4e2bece89b876bd2ca72d6193f8798
※旅行のクチコミサイト
http://4travel.jp/domestic/area/kinki/nara/nara/narakoen/travelogue/10352986/

昨日(9/20)の奈良新聞のコラム「國原譜(くにはらふ)」に、荒井知事の定例記者会見のエピソードが紹介されていた。

9/18ホテル日航奈良で、日本最大の外資系経済団体である在日アメリカ商工会議所関西支部関係者に対し、《最高級で国際級のホテル誘致を目指す荒井知事がプレゼンテーションを行い、出席者と意見を交換した》(同紙9/19付記事)。

しかし《「残念ながら平城宮跡周辺に有力な県の遊休地がない」ということで、このプレゼンテーションでは立地に直接つながる意見交換にまでは発展しなかった》(9/20付「國原譜」)。

《会見で知事はホテル候補地を「ここ」(県庁)と冗談でテーブルを指さしていたが、県庁舎を移転するぐらいの覚悟でホテル誘致に励めば、活路は開かれるかも。もし計画すれば波紋は必至だろうが、県経済活性化への議論の価値はある》(同)。

県広報広聴課の「なら県民電子会議室」でも、県庁を八木(橿原市)や郡山(JRと近鉄が交差する辺り)に移転し、現在地に高級ホテルを誘致しよう、という提案が出ていた。

冒頭の写真は、市内のビル屋上から撮った県庁舎だ。森の中から塔屋がつき出ている。手前は興福寺北円堂(興福寺で最古の建物)、県庁の塔屋の右は大仏殿の屋根。森のように見えるのは興福寺境内の樹木だ。左奥は三笠温泉郷、(写真に出ていないが)右手には若草山がある。


奈良県分庁舎と大仏殿(県庁舎6階から撮影)

このロケーションに高級ホテルというのは、面白い発想だ。昨日このブログに書いたように、すぐ近くには名園や国立博物館がある。近鉄奈良駅も近い。

今の県庁の位置(奈良市登大路町)は、北に寄りすぎなので、県民には不便だ。知事がその気なら、いっそ移転して跡地を有効活用するのもアリだろう。世論の盛り上がりを期待したいところだ。

(09.6.8 追記)奈良経済同友会の柳谷勝美代表幹事(財団法人南都経済センター顧問)も、日経新聞(09.5.20付「エコー」欄)で、次のように語った。「奈良公園の前にある奈良県庁を移転しホテルにすべきだ」「建物の高さなどを漫然と規制する現状を改め、修景保全を義務化する一方で土地利用は規制緩和するなどメリハリをつけないと、観光は発展しない」。

※参考:観光地奈良の勝ち残り戦略(5)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/b14c0cb7017b08a7733cee1354ced419
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吉城園

2007年09月20日 | 奈良にこだわる
奈良県庁舎の東に、吉城園(よしきえん)、依水園(いすいえん)という2つの名園が並んでいる。どちらも奈良検定のテキストに出ているおなじみの庭園だ。

写真の吉城園は、春日山原始林に源流を発する吉城川沿いにあり、もとは興福寺塔頭(たっちゅう)の摩尼珠院(まにしゅいん)のあった所とされる。明治時代に民間の所有となり、大正8年に現在の建物と庭園が作られた後、県の所有に移った。

飛火野と同系の地下水脈が園内を流れているそうで、杉苔の庭が見事だ。
http://www.narakotsu.co.jp/yoshikien/

この日は9月後半とはいえ、まだ夏の暑さの残る日で、若い女性が2人、池の見渡せる縁側でひと休みしていた(ここは庭園の出入口付近で、石段を上っていくと苔の庭や茶花の庭が広がる)。

ご覧の建物のすぐ裏側が知事公舎である。「なら県民電子会議室」では、「知事公舎を改築して迎賓館にすれば良い」というアイデアが出ていたが、確かにここに賓客をお迎えすれば、奈良情緒にたっぷり浸っていただけることだろう。正倉院展が開かれる奈良国立博物館もすぐ近くだ。
http://www.kenminconf.pref.nara.jp/top.cgi?FID=forum6
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台湾点心の「臥龍坊」

2007年09月15日 | グルメガイド
奈良市三条通りに、本格的な台湾点心の店がある。臥龍坊(奈良市三条町473-4)というお店だ。

原語の発音で「ウォーロンファン」、日本語読みすると「がりゅうぼう」。ワシントンホテルプラザの斜め向かい、餃子の王将や福森酒店が入居する福森ビルの東隣だ。カウンター7席のみの小さな店で、間口が狭く照明が薄暗いので、入るのにはちょっと勇気がいるが。
http://www.geocities.jp/woulonfan_tw/index.html

ここの名物は、売り切れ御免の「小龍包」(しょうろんぽう・写真右下)だ。注文してから蒸してくれる(3個で550円)。メニューには、写真入りで食べ方の説明まで載っている(写真左上の生姜や酢醤油をつけて食べる)。皮の中からアツアツの肉汁がしたたり、これはうまい。

台湾風スパイスの利いた麻婆豆腐(写真左下・880円)や、ご飯の上に豚肉の煮込みと高菜のような漬物が載った魯肉飯(ルーローファン 980円)もお薦めだ。

他にも、牛すじ肉の煮込みが載ったラーメンや豚足の煮込みなど、奈良ではなかなかお目にかかれない珍しい料理がある。
http://www.eonet.ne.jp/~nara-gourmet/butaman/garyuubou/garyuubou.htm

すべて、台湾・高雄市出身のご主人が調理してくれる。日本での生活も長いそうで、日本語もお上手だ。質問すると、とても丁寧に答えていただける。

うっかりすると通り過ぎてしまいそうな小さなお店だが、噂が口コミで広がり、常連客も多い。奈良で味わえる本格台湾点心、ぜひお試しを。
http://www.eonet.ne.jp/~nara-gourmet/butamann.htm
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ニューヨークの「日本風日本料理」

2007年09月12日 | グルメガイド
面白い記事を読んだ。村上龍が編集するJMMのメールマガジン「from911/USAリポート 第318回」(07.9.1付)だ。タイトルは「国境を越える味覚」で、筆者の冷泉彰彦氏は、米国ニュージャージー州在住の作家である。

記事によると、ニューヨークの辛口レストランガイド「ザガット・サーヴェイ」のベスト31軒(30点満点中、27点以上)の中には日本食レストランが7軒も入っている。それらのお店の日本料理は、@約70ドル(約8千円)もするという(通常のディナーは6千円程度)。

ニューヨークでは80~90年代に日本人駐在員向けの日本食レストランができ始め、その後、和洋折衷の「フュージョン(融合)料理」の段階を経て、今は《「日本風日本料理」とでも言いましょうか、アメリカ人が「これがホンモノの日本だ」と考えた高級日本料理》の段階にあるそうだ。

《アメリカの中の物好きなグループが、明らかに異文化としての「日本食」に惚れ込んでいる》《日本食にのめり込んで大枚をはたき、「スシバーではヒカリモノも食べるのが通だ」とか「ギンジョウシュのサケは甘ったるいことがあるので、サケを選ぶならジュンマイの中から良いブランドを探すべきだ」とか言っているのは、何とも壮観》

《そこには、アメリカでは珍しい自国文化に対する「自己否定」の感情があります。健康志向で細かなところまで配慮の行き届いた日本食を賞賛するというのは、アメリカの食文化を「不健康」で「無神経」なものだとする心理の裏返しだからです》

冷泉氏は、そこから政治的な姿勢にも飛び《日本食という異文化にここまで熱心になるという心情は、どう考えても一国主義・孤立主義の心情とは正反対のベクトルがそこに働いていることを示しています。これからの日米関係を考える上で、この感覚は重要なのだと思います》。

確かに、最近の地球温暖化防止への熱心さは、かつて京都議定書離脱という暴挙に出た同じ国の政策とは思えない。異文化や他国の意見に広く耳を傾けようとするスタンスへの転換が読み取れる。

そこでハタと気がついたのだが、肝心の私たち日本人が「大切な日だから美味しい和食を食べよう」という機会は、どんどん減っている。ホテルでフランス料理、とかワイワイ中華料理、という機会の方が多いのではないだろうか。

8千円の高級和食となれば、幹部級サラリーマンの接待とか年配の方を囲むお祝いの席や送別会、法事の食事くらいしか思い浮かばない。居酒屋チェーンへ行っても和洋中韓折衷だ(麺類や丼物、回転寿司といったB級和食はよく食べるが)。

写真は春日ホテル(奈良市登大路町)の、夏の会席料理だ(奈良県調理技能向上展に出品された見本 06.7.27)。丸茄子の炊き出し、大和肉鶏の一人鍋、天然鮎の塩焼きなど、地元食材などを使った「健康志向で細かなところまで配慮の行き届いた日本食」のオンパレードである。

自国の、また地元文化の良さをしっかりと舌と胃に刻む意味からも、時々は「日本風日本料理」「大和風和食」を賞味したいものだ。
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益田岩船

2007年09月08日 | 奈良にこだわる
いちど見てみたいと思っていた「益田岩船(ますだのいわふね)」を訪ねた(9/1 橿原市白橿町)。

近鉄橿原神宮駅西口から西へ延びる道を、益田大橋のところで南に折れ、白橿南小学校の手前(案内標識あり)から石船山(いわふねやま)に入る。険しい道を5分ほど登ると、頂上の少し下のところで、この巨石が目に飛び込んでくる。
http://www.kintetsu.co.jp/spot/spot_info/spot0001027.html

想像していたより、よほど大きい。東西約11m、南北約8m、高さは約5mもある。同じ巨石遺構でも、石舞台のように駐車場の横にあるのと違い、分かりにくい場所を探し当て、険しい山道を登って竹藪の中でご対面すると、有り難みも増すというものだ。

何のためにこんな遺構が作られたのかは、分かっていないそうだ。益田池の眺めを賞賛した空海の石碑を据えた台座だとする説、天文台とする説、終末期古墳の石槨だとする説などがある。

現地の案内板(橿原市教育委員会)には、溝や穴が高麗尺(こまじゃく)で計られ、花崗岩の加工技術が終末期古墳と共通することから、7世紀代の特色を持っていると記されていた。

松本清張は、拝火教(ゾロアスター教)の「水の石」(水の女神の祭壇)だと推理した。飛鳥に運ぶつもりが急に不要となり、現在地に残されたのだろう、と。確かに場所が中途半端だ。山頂でなく、やや下ったところにぽつんと置いてあるのだから。

「goo地図」を検索していると、「奈良県特殊地形一覧」というサイトが見つかった。益田岩船のほか、屯鶴峰(どんづるぼう)や屏風岩など、7つの不思議スポットが出ている。以前に訪ねたところもあるが、機会を見て再訪し、写真とともにご紹介したい。
http://map.goo.ne.jp/kanko/26/29/
コメント (5)
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