tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

夢窓庵(むそうあん)で、第10回グルメサークル(奈良シニア大学)を開催!

2023年05月26日 | グルメガイド
奈良シニア大学のクラブ活動「グルメサークル」は、おかげさまでご好評いたただき、順調に年9回(4、8、12月を除く)開催している。2023年度の初回は、日本料理「夢窓庵(むそうあん)」(奈良市水門町70-7-1-2)にお邪魔した(2023.5.16)。参加者は25人だった(スタッフ2人を含む)。
※トップ写真は、「八寸」(前菜の盛り合わせ)


新年度の初回だったので、まずは乾杯からスタート



奥の広い座敷に大きなテーブルが3つ備えられていた。このサークル、たいていは女性の参加者の方が多いが、今回は男性13人、女性12人と、初めて男性の数が女性を上回った。





授業などでも、女性の方が男性より活発だ。女性は2~3人の「お仲間」同士で腰掛けるが、男性はぽつんと1人で座ることが多い。女性の方が社交性が高いということなのだろう。お店のHP「ご昼食」には、



長年日本料理の世界で腕をふるった料理長自ら選びぬいた、旬の食材を存分に使い手間暇かけた五種盛やしんじょう。お米は香り豊かな奈良県産を使用するなど、こだわり抜いた食材をお楽しみください。


器も、見事なものだった。具のしんじょうも美味しい!

奇をてらわず、「オーソドックスな料理」がここの特徴である。このお店は、ミシュランガイドで一つ星を獲得している。ミシュランのサイトには、


八寸(=トップ写真)。最近の料亭では、八寸に力を入れるところが多い


酢の物も、こんなに豪華だ!

夢窓派の祖とされる臨済僧(夢窓疎石)にちなむ屋号。和モダンな空間は開放感にあふれ、四季折々の庭は造園師の女将によるもの。板長は真味を求めるべく創作はしない主義。季節の椀種は伝統に倣い、土鍋炊きのご飯は素朴に。山葡萄を育てるのは、日本料理に合うワインをつくるため。古都の風情と現代性が馴染む。


見事な器に、ブリが載ってきた


ご飯は土鍋炊きの県産コシヒカリ。当然、私はお代りをした


漬物もたくさん付いてきた

欧米人はよく「日本料理にはメイン料理がなく、すべて前菜だ」と言うそうだが、日本酒などを楽しみながら、少しずつ料理を楽しむのが「日本流」ということなのだろう。




フルーツは、高坏(たかつき)に載っていた、さすがは奈良の名店だ!

ここはヤマブドウのワインが名物なので、皆さんに推薦した(私はスタッフなので飲めなかったが)。お店の正面で記念写真を撮ったあとは、すぐ近くの吉城園(よしきえん)へ。ここは県営なので、入場は無料である。同園のHPには、



吉城園は、「興福寺古絵図」によると同寺の子院の摩尼珠院(まにしゅいん)があったところとされています。明治に民間の所有となり大正8年(1919年)に現在の建物と庭園が作られました。企業の迎賓施設の時代を経て、昭和の終わりから奈良県が所有し庭園を公開しています。園内は池の庭、苔の庭、茶花の庭からなり、苔の庭には離れ茶室があります。





夢窓庵の庭も吉城園の庭も、青葉若葉で私たちを迎えてくれた。次回の第11回(6/5)は、初めて薬膳料理にチャレンジする。皆さん、お楽しみに!
コメント (4)
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田中利典師の「地震封じ、被災地救済、物故者追悼」の祈り

2023年05月25日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「大震災の祈り」(師のブログ 2011.7.25 付)だ。金峯山時報「蔵王清風」欄に寄稿された文章である。東日本大震災から、約130日経過した頃の話だ。師は震災の翌日から、震災の起きた午後2時46分に毎日、般若心経を唱えておられる。奥駈修行中でも、見舞い中の病院でも、高速道路のPAでも、必ず祈りを捧げておられる。
※トップ写真は、吉野水分(みくまり)神社(2023.3.31 撮影)

祈りの最中には〈大津波に街が飲み込まれる映像がフラッシュバックで甦り、心が乱れてならない。しかし蔵王堂でのお勤めの時だけは、大きな力で守られているような気持ちが生まれ、心の乱れは起きないのである。天地の揺らぎを鎮め、天魔の障りを打ち砕く蔵王権現様のご威力に包まれているからに違いない〉という。では、以下に全文を紹介する。

大震災の祈り
機関誌に書いている随筆から・・・


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「大震災の祈り」
3月11日の東日本を襲った大震災以来、130日を越える。金峯山寺では義援金の供出のほか、2度にわたって現地への見舞い巡回活動を行った。しかし、実は私自身はまだ被災地に行けないでいる。ただお祈りを続けているのみでなのである。

お祈りは大震災の翌日から行っている。折しも私自身が長く関わった全日本仏教青年会からの提案で、震災の起きた午後2時46分に、地震封じ・被災地救済・被災物故者追悼のため、全国の寺院で同時刻にお祈りを行うという運動も始まり、金峯山寺でも朝夕の勤行や長日護摩での祈願とともに、2時46分のお祈りをはじめることとなった。蔵王堂では同時刻になると、梵鐘が鳴り響く。

私も同時刻のお祈りを毎日行っている。本山にいるときは蔵王堂の御宝前で、外に出ていてもその時間にはどこにいても必ず般若心経一巻を被災地のためにお唱えしている。東京の大手町の地下鉄入口や、母の見舞いの病院、自坊、高速道路のPA、会議中を抜け出して…など、今までいろんな場所で行った。

奥駈中、ちょうどその時刻が弥山への胸突き八丁登拝の最中だったので、行者一同で東北に向かい般若心経をお唱えしたりもした。時刻が時刻なだけに、なかなか時間を合わせるのは難しいのだが、私の携帯電話は15分前と、2分前にアラームを設定していて時刻を知らせてくれるので、ほとんど忘れたことがない。

そんな風にいろんな場所でお祈りをしているが、一番落ち着くのは蔵王堂でのお勤めである。あの時刻のお祈りは、目を閉じると、テレビなどで何度も見せられた大津波に街が飲み込まれる映像がフラッシュバックで甦り、心が乱れてならない。

しかし蔵王堂でのお勤めの時だけは、大きな力で守られているような気持ちが生まれ、心の乱れは起きないのである。天地の揺らぎを鎮め、天魔の障りを打ち砕く蔵王権現様のご威力に包まれているからに違いない。

普段私たちは願主の願いに応じて、家内安全や身体健康、当病平癒、商売繁盛などなどたくさんのご祈願を行じている。いわゆる祈願専職の僧侶だが、まさに国難ともいえるこんなときに、国土の平穏と人々の救済を祈らなくて、いつ祈るというのか。

大地の揺らぎと、これ以上の被害の拡大を防ぐこと、そして災害によって奪われた多くの方々の慰霊をご本尊に祈ることこそが、まず私が出来る働きだと思って、日々祈りを行じさせていただいている。是非、この祈りが更に大きく広がることを念じてやまない。

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今日この毎日の祈りが大きなイベントに繋がることになった。「ア・センス・オブ ホーム」の上映会である。詳しくは後ほど。
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映画「銀河鉄道の父」に泣いた!

2023年05月24日 | 日々是雑感
映画を見て、久々に泣いた。こんなに泣いたのは2008年公開の「おくりびと」以来なので、15年ぶりのことだ。
※トップ写真は、読売新聞(5/5付)から拝借

映画「銀河鉄道の父」は、宮沢賢治(菅田将暉 すだ・まさき)と父の政次郎(役所広司)、妹のトシ(森七菜 もり・なな)の心あたたまる心の交流の物語である。私は、シネマサンシャイン大和郡山で見た(5/22)。読売新聞(5/5付)〈役所広司×菅田将暉「銀河鉄道の父」心温まる親子の絆〉によると、

門井慶喜の同名の直木賞受賞作を映画化。詩人で童話作家の宮沢賢治(菅田将暉)と父、政次郎(役所広司)の強い絆で結ばれた親子の物語に、心温まることだろう。

賢治の誕生から37歳の若さで亡くなるまで。短いとはいえ、濃密に生きた時間を、2時間8分の上映時間に収めるのだから、駆け足気味になるのはやむを得ないが、政次郎の視点という軸があるので、散漫な印象はない。

賢治が赤痢にかかれば、医者になど任せられないと、政次郎はつきっきりで看病する。家業の質屋を継いでもらいたいはずの政次郎が、賢治の妹、トシ(森七菜)のお世辞にまんまと乗せられ、進学を許してしまう。

人造宝石なるものを作って商売をしたい。日蓮宗とともに生きていくのだ。そういうことを突然言い出す賢治を前に、政次郎は驚き、どなり、あたふたとする。このあたりの描写は、聖人視されがちな賢治とは違う姿が見られ、興味深い。

実は、父子の二人三脚によって、踏み外しそうになった道が軌道修正されていく様子が伝わってくる。役所と菅田の2人の演技巧者が楽しげに役に没頭。醸し出されるユーモアが心地よい。

トシが亡くなり、賢治が病魔に襲われ、死の影が濃厚に。一般にイメージされるような賢治の姿が描かれ、政次郎が寄り添うようにそばにいる。驚きは少ないが、安心して感動に浸ることができる。成島出監督。(読売新聞文化部 近藤孝)


淡々としたシーンが、祖父(田中泯 たなか・みん)が痴呆症を発症したあたりから一転、悲しいことが続々と起きる。子煩悩な父親と賢治の心の交流は、私と亡父、私と息子の親子関係を思い出させてくれる(私は結構、子煩悩だった)。手持ちのカメラワークが、いい味を醸し出していた。予備のタオルハンカチが大活躍した。

シリアスなシーンに、時々ユーモラスな場面が混じって心が和む。これはいい映画だった。皆さんも、ぜひご覧ください!
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故 五條順教猊下(げいか)の遺稿集『吉野修験 大先達の遺訓』

2023年05月23日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「大先達の遺訓」(師のブログ 2011.8.6 付)である。大先達とは、利典師が長年、お弟子として随身(ずいじん)されてきた故五條順教猊下のこと。利典師は本書で、猊下の200編もの箴言(しんげん)を紹介されている。BOOKデータベースには、
※トップ写真は吉野山上千本の桜(2023.3.31 撮影)。シロヤマザクラ以外の桜もあるのだ

吉野に生まれ山伏として活躍し、約40年にわたり金峯山修験本宗の管長を務めた著者が、実践の中から湧きでた生き方・修行の極意を述べる。実践実修の道を歩んだ大先達ならではのストンと心に響く名言にあふれた一冊。

Amazonのカスタマーレビューには〈短時間で読む事が出来、書かれていることも、良いことばかりなので、何度も気軽に読み返し出来ます〉とあった。では、利典師のブログ記事全文を以下に紹介する。

大先達の遺訓
『大先達の遺訓』金峯山寺刊 大法輪閣発売

http://www.amazon.co.jp/%E5%90%89%E9%87%8E%E4%BF%AE%E9%A8%93-%E5%A4%A7%E5%85%88%E9%81%94%E3%81%AE%E9%81%BA%E8%A8%93-%E4%BA%94%E6%A2%9D-%E9%A0%86%E6%95%99/dp/4804613196

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一昨年、先の管長猊下が亡くなられ、この5月には順教猊下の徳を偲んで、遺稿集を出版した。大法輪閣から販売された『吉野修験 大先達の遺訓』である。出版以来、各方面の方々からいい本ですねとお褒めの言葉をいただいている。

猊下は常々、「一輪の野の花の美しさの分かる人間でありたい。美しいものが美しいと素直に見られるように、つねに心を調えておきたい」とお話になっていた。「桜や紅葉の、何気ない美しさに心打たれる人間でありたい。牡丹、芍薬、菊、桜など名のある花ばかりが花ではない。道ばたの名のない草花のつつましい美しさを知ったことで、私の人生はより豊かになったように思う。」…そのような野の花の美しさを体感されたのは、猊下の奥駈体験からであろう。

「入峯していると、それぞれが命を精一杯生きているのが体感できる。そのようなことを心に受けとめることを〝秘密安心(あんじん)〟というのだろう。悟りは決して高遠なものではない。草花は決して他と較べることをしないということを、素直に心に受けとめることができれば、それもまた一つの悟りなのだ。自然が道場であるということは、端的に言えばそういうことなのだ。」…そうも語っておられた。

そんな修行の極意を身につけられていた猊下の立ち居振る舞いは、常日頃から、いつも清らかで美しく、管長というお立場が天職のように感ずるほど、管長様らしい管長様であった。ご自身も「管長とはかくあるべきだ」という、なにか信念のようなものをお持ちで、その自分の信念に徹しきっておられたようだった。

今回出版となった箴言集にまとめられたお言葉は、まさに大自然に学び、大自然の霊威を体感する修験道に生涯を捧げられた大先達たる気概と日々の生き方の極意、修行の心得が示されている。それはわれわれ修験道に身をおく行者たちだけではなく、一般の人々の日々の生き方の支えとなる人生の達人からの応援訓でもある。是非一読をお勧めしたい。

本書には全200編もの箴言が納められている。ひとつひとつのお言葉につながりはないが、全編を通じて、猊下の清らかな生き様と、境地の高さがふつふつと甦るような読後感がある。大先達からの応援訓を多くの人々に味わっていただきたいと願う次第である。
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唐招提寺名物!おかず味噌「招提みそ」

2023年05月22日 | グルメガイド
遠来の観光客をガイドすることになったので(2023.5.20)、下見のため唐招提寺にお参りした(5/14)。最後に売店に立ち寄ると、同寺名物「招提みそ」(税込み1,000円)があった。懐かしくなって買い求め、ご飯のおかずや酒の肴に、少しずついただいている。



味噌のルーツは飛鳥時代とも、天平時代に鑑真和上が持ち込んだとも言われている。〈味噌は、飛鳥時代に、朝鮮から渡来し、尾張・美濃・近江辺りに住み着いた高麗人により始められた高麗醤(こまびしお 密祖)とする説、奈良期の753年(天平勝宝5)に、唐僧・鑑真がもたらした醤豉とする説がある〉(岡田哲著『たべもの起源事典 日本編』ちくま学芸文庫)。招提みそのパンフレットには、このように書いてあった。



招提みそ
当寺開山鑑真和上が大唐国から滄海(大海)を凌(しの)いで(乗り越えて)奈良天平朝廷に向かわれるに当り、船上の糧として中国甜豉(てんし=味噌の一種)を将来されております。




以来その由緒を継ぐものがわが国内に遺(のこ)っているべきはずと、予(かね)て心がけていましたところ、はからずも紀州御坊にその名残をりを伝えていることが知れました。



ついてはこれに当山伝承の秘法に基づく勘案を加えて招提みそを再興し、開山大和上の月忌日には必ずこれを宝前にお供えするとともに、山内大衆もいただいて、開創千二百年のゆかりと唐甜豉元来の味を偲んでおります。



このたび有縁の士の勧めもあり、これに応えて御参詣諸賢にも門戸を開いてお頒(わか)ちすることにいたしました。伝統に生きる僧坊起居の一端を御披露できることと思います。唐招提寺

作っているのは紀州御坊市のメーカーだった。御坊市といえば「金山寺味噌」の本場なので、味噌造りに長じていたのだろう。大豆や瓜、茄子のツブツブが入っていて、「これは茄子かな。これは瓜だな」と楽しみながらいただいている。

シソやショウガの味もよく利いていて、これはよくできたおかず味噌である。唐招提寺でしか買えない天平の味噌、ご参拝の折には、ぜひお買い求めいただきたい。
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