tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

田中利典師の「地球平穏・世界平和への祈り」のメッセージ

2023年05月21日 | 田中利典師曰く
ウクライナのゼレンスキー大統領を迎え、広島市で開催されている「主要7ヵ国首脳会議」(G7サミット)最終日である今日(5/21)の「田中利典師曰く」では、「白光真宏会・富士聖地 SOPP 平和の祈りに参加!!」(師のブログ2011.5.24付)を紹介する。
※トップ写真は、吉野水分(みくまり)神社の桜(2023.3.31撮影)

白光真宏会(びゃっこうしんこうかい)は富士宮市に本拠を置く宗教団体で、祈りによる世界平和を提唱している。よくお寺や神社の境内で「世界人類が平和でありますように May Peace Prevail on Earth」というポール(ピースポール)を見かけるが、あれもこの団体の活動の一環である。

利典師はSOPPに登壇、「修験道 平和の祈りのメッセージ」を披露された。なおSOPPは「Symphony of Peace Players〜世界平和交響曲宗教・宗派を超えて共に世界の平和を祈る~」というイベントで毎年1回、富士山が望める場所で開催されている。2011年のSOPPは、

仏教修験道、ヒンズー教、神道、ユダヤ教、キリスト教東方正教会、イスラム教スーフィズム、白光真宏会の代表者が、それぞれの歴史、背景を纏うような美しい正装姿で胸に響くスピーチをされ、平和の祈りを先導してくださった。法螺貝の風趣さ溢れる音色で仏教修験道の祈りが始まった。

とあるので利典師がトップバッターで、法螺貝の音色とともに登壇されたようだ。満を持してのメッセージである。今はロシアによるウクライナ侵攻が収まる気配を見せないなか、より切実に世界平和への祈りが求められている。では、全文を紹介する。英訳もあるので、それは末尾に貼っておく。

白光真宏会・富士聖地SOPP平和の祈りに参加!!
ご縁があって、白光真宏会が主催される・富士聖地SOPP平和の祈りの集いに仏教界からのメッセンジャーとして5月22日に出演させていただいてきた。SOPPは昨年のゲスト参加以来、2回目である。

お祈りは法螺師3名を伴って、世界遺産登録記念の際に、全国の修験教団で以て採択した「修験道平和の祈りのメッセージ」を読み上げ、般若心経を5000人余の参加者の前でお唱えした。

このSOPPにお誘いを受けて以来、いつかこのメッセージを披露したいと思っていたので、念願をかなえてのステージであった。参加者との大合唱によるお祈りは壮観な時空を体感させていただいた。以下、メッセージを紹介する。

********************:

修験道「平和の祈りのメッセージ」
”人が信じる、すべての仏に、神々に、合掌”

私たち人間は、地球の住人です。その地球、そして大宇宙の森羅万象の中で、私たち人間は特別に優れているとか、劣っているとか、そういうことはありません。あらゆる命、あらゆる存在が、全て等しくこの世にあります。

しかし、人間はその真理を忘れ、今に至りました。欲望を満たすことだけが生きる意味ととりちがえ、森羅万象をないがしろにする。
人間同士、些細な理由で互いをわけへだて、差別する。宗教、人種、歴史、文化…。互いの価値観のちがいを、ことさらにあげつらい、蔑み、妬み、争い、ときには殺し合う。なんとあさはかなことでしょう。

歯止めのきかない自然環境破壊、頻発するテロや戦争、すべてが、その結果です。今、人間はみずから播いた災いの種に苦しめられています。そして、この苦しみは、私たちの子や孫の世代まで、そのもっと、ずっと先の世代まで続くのです。

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」とユネスコ憲章の中にあります。禍の根源にあるのは、私たち一人ひとりの心です。見えざる大きな力が働いているわけではありません。この心を正すことなくして、地球に平穏は訪れません。

世界自然憲章の前文は「人間は自然の一部である」と語ります。「自然は人間を癒す」とも語ります。人間は、自然との深い関わりなしに、その歪んだ心を正すことはできないのです。

山に伏し、野に伏し、自然を、そこに坐す神仏を祈る修験道は、そうした人間の心に巣食う罪、過ちを戒め、五体を通した修行の中で、清め、再生することを実践してきました。大自然の霊気に接することで、山を、木々を、一切の存在、命を敬い、感謝する心を育んできました。また釈尊は「すべての生きとし生きるものよ幸いあれ」と述べました。

人と人は、過去にとらわれず、互いを思いやる。すべてを咎めず、許す。その精神は「恕(じょ)」の一文字に集約されます。私たちは、第7回SOPP世界平和交響曲・平和の祈りの集いに際し、日本独特の宗教である修験道から、この「恕」の心を、世界に、未来に発信します。

そして、地球上の山川草木、さらには大宇宙のありとしある全存在とともに、宗教、人種、歴史、文化の違いを超え、すべての人間に、森羅万象の一切に、「地球平穏・世界平和」への祈りを捧げ続けることを宣言します。 金峯山寺 田中利典                      

*******************

ちなみに真宏会の通訳はおられたが、法螺師で同行した弟子も英語が堪能なので、鈴掛姿で、英訳を朗読させた。素晴らしいお祈りの一日だった。

追伸 帰りの新幹線で、静岡駅財布置き去り事件を起こしたが、無事、届けられることになった。とても大きな御利益をいただいた気がする。(^^;)

MESSAGE of PRAYER for WORLD PEACE

“Prayer for World Peace to the Buddha and Deities We Believe in”

We human beings are inhabitants on this Earth.
On Earth, and in all creation, we human beings are neither above nor below other beings. All beings and all lives exist equally in this world.

However, we human beings have forgotten this truth, mistakenly thinking that life is only about fulfilling our desires. As a result, we have turned our backs on the world of nature.

We gain wealth and abundance by looking down on and doing harm to beings whose lives are equally precious.
We discriminate against people based on their religion, race, history, culture, and other trivial matters, leading us to despise, oppress, and humiliate others, and even to kill.

As a result, we have brought about ceaseless environmental destruction and repeated acts of terror and war. These seeds of destruction that we have sown will continue into future generations, so that we are taking the future away from our children and grandchildren.

In the UNESCO Constitution, it is written: “…since wars begin in the minds of men, it is in the minds of men that the defenses of peace must be constructed.” This is indeed the truth. The cause of war is not in some great invisible force, but in the heart of each individual.

Furthermore, in the UN World Charter for Nature, it is written: “Mankind is a part of Nature”.
Unless we can humbly examine our deep connection with nature, we will be unable to set our crooked minds straight.

In Shugendô, ascetic training takes place in the mountains and fields, with prayers to Buddha, the Deities, and the world of nature. Our aim is to guard against the mistakes and wrongdoings which lodge themselves in our minds, to purify ourselves through physical and spiritual ascetic practices, and thus to be born anew.

By contacting with the spirits of great nature, Shugendô has helped to cultivate respect and appreciation for mountains, trees, all life and everything in creation.
Shakyamuni Buddha left us this message: “May all living things be happy.”

Consideration for one another without regard for the past; forgiveness without blame.

This spirit—the way human beings should be—is summed up in the Japanese character jo (恕), meaning ‘tolerance and forgiveness.’

On the occasion of the 7th annual Symphony of Peace Prayers, we of the Shugend – a faith, which is unique to Japan, send the spirit of Jo out to the world and to the future.

We continue to offer prayers for ‘Peace on Earth and Peace in the World,’ with respect and gratitude for all human beings—transcending all differences of religion, race, history, and culture—for mountains, rivers, grasses, trees, and all of nature, and for the entire universe and everything in creation.
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『増補改訂版 奈良「地理・地名・地図」の謎』が発刊!/奈良新聞「明風清音」第89回

2023年05月20日 | 明風清音(奈良新聞)
昨年のクリスマスイブから取り組んできた『奈良「地理・地名・地図」の謎』の増補改訂版(実業之日本社刊 税込み1,100円)が、刊行された。旧版は、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」が監修した本で、同会としては初の著作である。

私を含め、同会の5人の会員が改訂作業に取り組んだ。コロナ禍のなか、基本的には各自が在宅で作業したが、途中で2回、顔を合わせ、丁丁発止とやり合った。東京書籍の地図帳に約1,200ヵ所の間違いが見つかり、これは「コロナ禍の在宅勤務などの影響」と報じられた(NHKニュースなど)。

自宅作業では、なかなか集中力が保てないし、緊張感もない。やはり、集まって議論を戦わせながら相互チェックするという過程が、どうしても必要なのである。おかげで各自の負担は大きかったものの、良い著作に仕上がったと自負している。先週から県内の書店の店頭にも並んでいるので、ぜひお買い求めいただきたい。では「明風清音」(2023.5.18付)の全文を紹介する。

『奈良の謎』を増補改訂
5月10日、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」が監修した『増補改訂版 奈良「地理・地名・地図」の謎』(実業之日本社刊)が発売された。本書は当会初の著作(監修書)として2014年3月に刊行された旧版の増補改訂版である。このシリーズは各都道府県版が刊行されていて、奈良県版は根強く売れているそうだ。今回、増補改訂の機会をとらえて、中身を全面的に見直すことになった。

見直しの結果、旧版の78本の「謎」のうち12本をまるごと差し替えるとともに、残る66本も、最新の情報にアップデートした。この作業には、私を含め5人の会員が携わった。昨年のクリスマスイブにお話をいただき、正月返上で取り組んだ。

増補改訂版の「まえがき」には、〈「奈良を訪れると変わらない風景に癒やされる」という人は多いが、東京や大阪に比べて変化のスピードは遅いものの、奈良もじわじわと変化してきている。この九年間の変化で奈良の「謎」はさらに増えているように思われる。(中略)根っからの奈良好きが集まって、本書を監修した。ぜひ改訂された本書を携えて、奈良・大和路を巡っていただきたい。そして奈良に興味を持ち、奈良を好きになってもらいたい。ひとりでも多く奈良ファンになっていただきたい。そんな思いを込めた一冊である。〉

本書は五つの章に分かれている。「第一章 奈良の古刹のミステリー地図」「第二章 地図に残された古代王朝の足跡」「第三章 大和に伝わる信仰・伝説の謎」「第四章 古式ゆかしい地名のルーツ」「第五章 奈良の『今』がわかる迷宮地図」。今回、新たに書き下ろした12本のタイトルを紹介する。()内は私の補足である。

(1)興福寺は明治の初め廃寺となり、誰もいなくなった!?(神仏分離令と上知令)
(2)石上神宮に残る巨大寺院・内山永久寺の遺構!(神仏分離令と残された出雲建雄神社拝殿)
(3)江戸時代、ならまちにはもう一基五重塔がそびえていた!(幕末に焼失した元興寺五重塔)
(4)石舞台古墳がもうひとつあった!古墳が語る蘇我氏の飛鳥(小山田遺跡の発掘)
(5)初期ヤマト政権発祥の地、纒向遺跡は邪馬台国であったか?(邪馬台国纒向説)
(6)相撲発祥の地が奈良県に三つある不思議(桜井市、葛城市、香芝市)
(7)なぜ達磨大師が王寺町のお寺の本尊になった!?(『日本書紀』の片岡飢人伝説)
(8)南北朝合一後、奈良の地で起こった再興運動の痕跡とは?(南朝の末裔と川上村の朝拝式)
(9)吉野で作られていた!サンマの丸干し(熊野灘のサンマを吉野で干していた)
(10)有名な柿本人麻呂の歌、「かぎろひ」は「けぶり」だった!(「炎」の訓読・解釈の変更)
(11)「考古学の鬼」と呼ばれた森本六爾(ろくじ)の悲劇的な生涯(早くから弥生時代の水田稲作を主張)
(12)両国の花火、ルーツは五條市にあり!(鍵屋の創業者は同市大塔町の出身)

私は常々「京都は面白くてタメになる解説書がたくさん出ているのに、奈良は小難しい本ばかりだな」と不満に思っていた。本書は、その不満を解消する絶好の手引き書になったと自負している。

よく「奈良県民は、案外奈良のことをよく知らない」と言われる。本書は主として他府県の読者を想定しているが、ぜひ多くの奈良県民に読んでいただきたいと願う。

旧版の刊行時、本紙「國原譜(くにはらふ)」には〈貴重な歴史遺産を有する本県だが、それを十分に生かし切れていない。(中略)県民は地元の魅力を再認識すべきだろう〉(14年4月21日付)とあった。地元の魅力をよく知ることで、地元愛が生まれてくることを大いに期待している。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


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ご母堂を気遣う 田中利典師の想い

2023年05月19日 | 田中利典師曰く
今日は田中利典師が、あやべ市民新聞「風声」欄に寄稿された「母の病いに想う」(師のブログ 2011.5.19付)を紹介する。おそらく母の日にちなんで、寄稿されたのだろう。
※トップ写真は、吉野山奥千本の桜(2023.3.31 撮影)

師のご母堂は、同年10月に逝去された。その翌月、師は「回転焼きと母」を同紙に寄稿されている。いずれも、ご母堂に思いを寄せるいい文章である。私も母を亡くしているので、晩年、施設に母を見舞ったときのことを思い出した。では、「母の病いに想う」全文を紹介する。

母の病いに想う
「母の病いに想う」と題して、先日、地元の市民新聞に寄稿した。若干、本文を削られたが、投稿後、4,5日して掲載された(5月11日発行:あやべ市民新聞/風声欄)。以下、削られる前の原文をアップする。ご感想をどうぞ。

***************

「母の病いに想う」
ここ数日、毎日母を病院に見舞った。といっても単身赴任の私は自宅に帰ってきていたゴールデンウィーク期間のことで、それも多くて日に2時間くらいしかいられない。とても介護というようなものではなく、申し訳なく思うばかりである。

母の側に居る時は手をさすったり、足を優しくもんだりしている。そんな母に触れるほどに、ずいぶん弱ったものだと思う。日に日に衰弱していく姿に、大したこともしてやれないもどかしさを感じ、胸が潰れそうになる。母は心臓と肝臓と腎臓の機能が著しく低下しているが、それでも意識はしっかりしていて話は出来る。

江戸時代の正受老人(禅師)が「病中は只是れ六道修行、ひたすら病犬猫の態にて六道に流転せよ流転窮まりて断滅せん」と名言を遺しておられる。「病気ほどよき修行はないと心得よ。病気になった犬や猫のように羞恥心を捨てよ。医師や看護師の言うがまま、されるがままに打ちまかせ、心中で六道流転せよ。流転に流転を重ねて窮まった時、執着や迷いは断滅す」というほどの意味である。

自分ではなにも出来なくなりつつある母は、そんな自分を覚悟しているようで、身体の痛みを除いては、ほとんど文句を言わない。自宅看護が難しいので、もう自宅へは戻れないことも、家族がそばに付き添えないことも、すっかり受け入れている。まさに正受老人の境地にいるかのような穏やかさである。

そんな母は涙なしでは接しられないような容態であっても、どこか凛として私には映る。自分が病気を得てもこうはいかないだろうと正直思うほどである。

母は1月からS病院に緊急入院し、3月から主治医がいるK病院に転院した。ここ2年は入退院を繰り返したが、今回の入院ではなにかすっかり覚悟があるのか、執着心や迷いというのがそげ落ちているように思えるのである。

両病院とも先生も看護師も、たいへんよくしていただいている。S病院の担当医師の愛想の悪さには文句を言いたかったし、K病院にも改善のお願いしたいことはたくさんあるのだが、側に居られない分、母の介護は看護師さんに頼る他はなく、ただありがたいと、心から感謝合掌している。

母に遺された時間はいくばくかは知れないが、出来るだけ、今の気持ちのまま、心穏やかに毎日を過ごしてもらいたいと願うのみである。

**************

まあ文章にするとよく書くわけで、実際は文章から受ける印象よりは母は元気だしわがままなのだが、でもある面は、まさしく今の母の姿でもある。
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奈良まほろばソムリエ 歴史講座 「人物で語る奈良の歴史」(近鉄百貨店橿原店) 5月26日(金)スタート!(2023 Topic)

2023年05月18日 | お知らせ
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、近鉄大和八木駅前の「近鉄文化サロン橿原」(近鉄百貨店橿原店内)で、「奈良まほろばソムリエ歴史講座」を開催している。
※トップ写真は、金峯山寺境内の「南朝妙法殿」(2023.3.31 撮影)

2023年度前半は「人物で語る奈良の歴史」をテーマとして、同会会員の徳南毅一(とくなん・きいち)さんが講師を務める。申し込みはお電話で(0744-25-5421)。チラシによると、

「奈良まほろばソムリエ歴史講座」
奥深い奈良県の歴史をスクリーンを使ってお話しします。
今回は、人物で語る奈良の歴史をご紹介します。

5/26(金)遣唐留学生物語~玄昉と吉備真備の明暗~
6/23(金)吉野朝物語~後醍醐天皇と忠臣の物語~
7/28(金)大和武士団の系譜~松永久秀と筒井順慶の相剋の物語~
8/25(金)天誅組と十津川郷土~義人を語る、吉村寅太郎と野崎主計(のざき・かずえ)~


曜日・時間 第4(金)15:30~17:30
受 講 料 全4回 4ヵ月 9,548円 ※途中入会可    
※各講座短時間の授業見学(無料)、体験レッスン(有料)につきましては、別途お問合せください。 実施していない講座もございます。
電話(0744)25-5421[受付時間]10:00~17:30(日曜日は10:00~17:00) 


奮ってお申し込みください!



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田中利典師曰く「今日が人生最後の日だと思って、真剣に生きる」

2023年05月17日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「真剣な生活」(2010.9.18)だ。これは珍しく書き下ろしではなく、ブログ「伊勢―白山 道」の「真剣な生活は凄い気付きに」(2010.9.17)からの抜粋である。
※トップ写真は、吉野山奥千本の桜(2023.3.31 撮影)

90歳近い老人は数年間、都会に暮らす息子の家で住んでいたが、息苦しくなり住み慣れた村に戻った。〈コケるだけで、そのまま死んでしまうかも知れません。注意しながら、今日が最後になるかも知れない一日一生な生活が始まりました〉。そんな真剣な生活を過ごすうちに「生きているだけでも有り難い」と思うようになる…。では全文を紹介する。

こんなのを見つけました。朝から目から鱗の文章でした。転記します。

*****************

「真剣な生活は凄い気付きに」
ある廃村になりつつある集落に、1人で住む老人の話を知りました。90歳に近い老人は、数年前まで都会に暮らす息子の家に、数年間だけ住んでいました。本当は、息子の家が在る都会で自分の死を迎えるのが、家族にも迷惑が掛からずに自分にも最良だと思っていました。

しかし都会では、外をトボトボと歩けば自動車が危ないし、大好きな畑仕事も出来ませんでした。家にこもってテレビを見ても、もう視力と聴力が衰えていて意味が分からず、まったく面白くなかったのです。1日中、部屋にいるだけで、考え出すことは早く死ぬことばかりと成ってしまいました。もう、これでは嫌だとなり、死を覚悟して家族の反対を押し切って、1人で寒村へと戻られたそうです。

それから、老人の真剣な生活が始まりました。とにかく誰もいないのですから、コケるだけで、そのまま死んでしまうかも知れません。注意しながら、今日が最後になるかも知れない一日一生な生活が始まりました。

毎朝、日の出と共に起床し、今日は何を食べるかを考えることから始まります。朝食を食べ終わると部屋掃除をし、今度は昼飯の準備です。昼飯が終わると、今度は大切な食料を作る畑仕事です。そして、夕方に成ると木を燃やして風呂を準備し、夕食を食べると、もう疲れはててバタンキューです。

テレビを見ても聞こえないし、誰とも会えないのですから、自分の生活だけを真剣に見つめておられます。老人は、この生活が「最高に楽しくて仕方が無い」と明るく言います。

毎日、自分の死を覚悟して見つめて生きていますと、朝に目が覚めると「ああ今日も生きているのか。有り難いことだ」と心から思うそうです。そして、外の畑や山々の景色が、本当に光り輝いているのが薄い視力で分かるそうです。

老人の生活自体が「禅」であり、働きながら本当の瞑想をしている状態と成るのです。金を徴収して、「わざわざ座る形」の瞑想は、ただのヒマ人の道楽に過ぎません。座ろうと「する」時点で、本当の瞑想から外れています。魔境にしか行けません。

「生きているだけでも有り難い」と、真から思えるように成りますと、人間は精霊の気配を感じ始めます。そして、他人からの弱い思いの電波にも、思いやりからの理解をする事が出来るのです。これがカンナガラ(神と共に生きること)な生活をさせ、無難に生きて行くことを可能とさせます。

つまり、「生きられるのがアタリマエだ」なんて慢心した心では、正しく色々な気配にも気付くことが出来ないのです。そして、不満な状態へと自ら選択して進む事と成ります。

雑多な都会の中でも、「生かして頂いて ありがとう御座います」の視点で、生きることが出来れば最高です。綺麗な自然のおぜん立てが無くても、汚れた雑多な中でも「意識」出来ることが尊く、深い気付きへと導かせます。生かして頂いて、ありがとうございます。

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ホントにそう思いますね。ありがとうございます。
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