画像はたぶん水呼吸の入口と出口。正面のニッと笑いかけた口のような、イソギンチャクの触手がうにゃうにゃとあるような部分で吸い込む。右上の楕円に開いた小さな口から水を吐き出している。緑の細いものは吐き出した瞬間のモノだ。吸い込んでいるのは、水中の酸素を取り込むためだけではなさそうだ。口は別にあるのかもしれないが、この触手状のものは何のためだろう。漉すためだけではなさそう。排水口は間歇的に吐き出しているから、呼吸としての排水だろう。小用ということも兼ねてのものかも知れないが肛門ではなさそうだ。左は同居のカワニナ。
『貝の構造』で検索してみて、ヒットした中にアサリの入水管と出水管というのがあった。確かにアサリの酒蒸しなんかを食べるときに二本の長い管がはっきりと分かる。ドブガイの生態をきっちり書いてあるレポートなどは、どうもネットでも探せそうにない。あまり解っていないという記述があったくらいなものだから、研究者が少ないのだろう。
少しは観察して実験なんかもしてみたいが、解剖なんかはとてもじゃないができない。一匹しかいないし生きてるのを飼うのが楽しいのだから・・・。ところで貝はどう数えるのだろう。いっかいにかいではないだろう。貝殻と食材の貝と生物としての貝とで数え方がそれぞれにあるのかも知れない。ちょっと検索して覗いてみると、アワビなんかは一枚とか一杯とか一匹とか色々言うようだし、一口なんてのもある。
ウチのドブガイ一匹野郎は、もう水槽の中でなくてはならない大事な構成員だ。大切な濾過装置なのだ。私は水換えということをしない。水槽を外にビオトープ状態で置く場合はほったらかしでもよいと解ったからだ。ほったらかしだと、各水槽で色んな濁り方をする。それぞれが微妙にプランクトンの発生状況、生息種類が違っているからだろう。ひどく濁ったら、そこにドブガイを入れてやる。
すると、数日で水槽の水が澄んできて底まではっきりと見えてくるのだ。澄んできたら、その時点で一番濁った水槽にドブガイを移す。それをもう2巡3巡としている。貝には迷惑か? 好都合か? 一度だけ気の毒な感じがあった。蛭の小さいのがたくさんまとわりついていた。
ネットで調べると、蛭にやられるのはかなりのストレスで死ぬこともあるとかないとか・・・。その時の蛭は一網打尽というか、十匹近く退治した。もしかしたら、琵琶湖から持ち帰ったときにもう貝の中にいたのか? それともウチの水槽の一つで蛭が増えたのか? 何かに付いてた卵?が孵った?のか?・・・などと思ったりしつつ、何とか退治できてよかった。
色んな環境に放り込まれながらもウチのドブガイはあまりストレスがないように見える。澄んできて水の底が見え始めると、いつだって、足と言うのか白いベロを大きく出し、水の出入口も開いて弛緩している風だ。
殻がかなり汚くなったので、磨いてやった。ついでに少しは大きくなったかと測ったが全然大きくなっていない。9センチのままだ。これから暖かくなったら、急激に大きくなるのかも知れない。大事な浄化装置だから死なせないようにしようとドブガイに愛をそそぐ今日この頃。