鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

ニュージーランドの地震について思うこと

2011年02月26日 03時33分45秒 | 随筆或いはエッセイ
取材姿勢;被災者家族への取材がひどすぎる。舐めるようにカメラは追いかけ、取材記者はマイクを突きつけて無理強いの詰問口調だ。現地へ向うべく空港に行く途中であったり、搭乗手続きを急いだりしている人達は、まるで犯罪を犯した者のように困惑しカメラを避けている。家族の安否を気遣うよりも報道陣への不快感が先立っているように見える面持ちを観ると、テレビ映像を観ながら自分がカメラを向けているように居心地の悪い気持ちになる。映像には群がる報道陣もついでに映っているのでなおさらだ。クライストチャーチでは、病院に入り込んだ日本人記者が2人警察に拘束されたという。アメリカでのポトマック川への飛行機墜落事故で、或るカメラマンが川に浮く瀕死の女性を撮って問題になったことがあった。そのとき女性がすぐ助け上げられたなら助かったかも知れないと非難され、カメラマンも自責の想いを後に語ったのだった。戦場カメラマンなら許される、或いは積極的に撮るべき事態も、似て非なる災害現地報道においては別物の行動規範があろう筈なのに、と思うのだ。

災害現場での人命救出活動映像を観ていつも思うことがある。自分がそのような現場に直接居合わせたことがないからなのかも知れないが、突っ立っている人が多くて働いている人が少ないと思ってしまう。10人いたらたいてい1人か2人しか腰をかがめていない。連絡を取り合っているのか、安全確認をしているのか、二次災害を防ぐために見張っているのか。不謹慎かも知れないが、はた目に観たら呆然としている人が多すぎる気がしてしまうのだ。事態は急を要しているのだから、人海戦術が一番必要だろうに、バケツリレーのような列ができていてよさそうなのに、と思うのである。

なぜ土木工事に使われるベルトコンベヤーのようなものが使われないのだろう。安全を確認しつつ隙間を見つけて深部へ奥底へと生存者の発見に努めることが最優先されるのはわかるが、それと平行して大事なのが堆積した瓦礫の取り除きだろうに。安全確認のために、救助活動を一時中止したという報道もあったり、半壊した建物の崩落の危険性などがあるため、市街地への立ち入りを禁止したという報道もあったが、それぞれの思いから勝手な行動をする住民や報道陣や野次馬や外部から来る様々な理由を持つ人など総てを、半強制的に組織化して救護救援瓦礫撤去に駆り出すことはできないものなのだろうか、と思ったりするのである。

イラクに自衛隊が派遣されたことがあったが、あれは人為的に破壊された道路やインフラの復興のための派遣だった。そして攻撃される危険もあったり、ロケット弾が駐屯地に撃ち込まれたりした。自然災害の今回こそ、なぜ自衛隊を派遣することをしないのだろう。復興支援ではなく、緊急の人命救助である。それも日本人が多数被災している救援活動に対してだ。攻撃や非難はされないだろうから、武器は持たずにスコップと自前の食料と訓練された統制力と筋肉を惜しまず使ったら良いだろうに、と思う。

人型ロボットがスペースシャトル・ディスカバリーで宇宙ステーションに運ばれるという記事があった。アニメのガンダムにあったモビルスーツのような災害時用人型重機が投入されたらいいのにと思ったり、頑丈で小型な檻に作業員を入れて吊り下げ、安全を確保しながら撤去作業を迅速にやったらいいのにと思ったり、チリの落盤事故時の救出に使われた1人乗りエレベーターのようなものを隙間から突っ込んでモグラのように進んだらいいのにとか思ったりするのである。

勝手な想像をしている野次馬に過ぎないのだろうけれど、瓦礫から煙が出ていたりして、想像するだけで息が苦しくなりそうだ。死者の身元確認が遅れているのは当たり前のことだろう。生存に希望を抱いている人が大半なのだから。『救出』というニュース速報がテレビに流れ、『奇跡』や『奇跡的』という文字が新聞一面トップに踊るのを待ち望んでいるのだ。

コメント (4)
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