東関東大震災被災者や救援全般に関わる人々にとって今はまだ目先の問題が多種多様に差し迫っていて復興のシナリオを論じる場合ではないかも知れない。私は何の専門化でもない部外者だけれど、どうなっていくのだろうかと度々想像する。
今回の津波では斜面を最高37.9mまで駆け上がったということだが、津波自体の高さの最大値はどれほどだったのか、それを防ぐには何mの防潮堤があったらよかったのか知りたい。1993年に発生した奥尻島地震を検索してみると、『奥尻島は震災発生から5年後の平成10年3月に「完全復興宣言」をいたしました』と奥尻島観光協会のH.P.にある。防潮堤や人口地盤や避難路を造り、奥尻島地震時と同程度の津波を想定して対策を施したそうだ。
太平洋沿岸の平地を高さ30mの堰堤(えんてい)で蔽いつくす事なんてできるのだろうか。近所の知人は早い時点で『万里の長城を築くしかない』と言っていた。もしそれが本当に計画されたら、ニューディール政策の規模を大幅に上回る長期大土木工事になる。そんな決断ができるだろうか。
個別地域的には計画が机上論からすでに実行へと動きだしているのかも知れない。『離れたくない』『残りたい』『元に戻したい』というインタビュー場面をテレビでよく目にする。願いのイメージは、地域の結びつきであったり、風景であったり、先祖伝来のものを守りたい、移転移動が考えられないなどなど多様だろうけれど、発想のコペルニクス的転換も必要になっているようだ。旧約聖書の出エジプト記のような、200年程前のアメリカ移民のような・・・。
部外者の空想なので、少し飛躍が過ぎるかも知れない。場所があるなら高台への集合移転は先例もあるのでスムーズに行われるだろうけれど、高台が十分になければ城塞都市のような村や町を造るしかないだろう。それとも流れ橋の逆発想で、メガロフロートの村なども検討されているのだろうか。
画像は私が持っているバール、くぎ抜きの類。梃(てこ)の原理を実際的に感じられる身近な道具だ。阪神大震災時、崩れた家の中に閉じ込められた人に、誰かがわずかな隙間からバールを差し入れたので、自力で脱出できたという記事を読んだことがある。それ以来バールは寝床近くに備えている。梃(てこ)は力を何倍にもすることができる。今現在かの地では、地道な努力とともに梃(てこ)の作用が必要とされている。何が梃(てこ)となり得るか、知恵の出し所だ。